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第九章 復讐の舞台から
第百九十話 復讐の舞台から(4)
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細く折れそうなクトの腕を引っ張り雑木林を必死に駆けていた。体力さえ戻れば少女は足には自信があった。怪我を負っているクトが心配だったが、クトというあだ名がしっくりくるだけあって、猫の子のように軽やかな動きだ。
「あいつら、悪いことを企んでいるの。聞いたのよ。私」
早朝、少女はそっとクトを起こして耳元でささやいた。ゲラルドという大男は自分の寝ぐらに戻ったようで、そこにはぐっすりと眠り込んでいるサティエルだけがいた。同じように食糧の入った麻袋に背を預けて眠っている。サティエルにはもう少しまともな寝床があったはずだが、どうやら疲れてその場で眠ってしまったらしい。
相変わらずぼんやりとしているクトの手を「一緒に逃げよう」と無理やり引いた。クトはあらがうこともせず立ちあがる。怪我を痛がる様子もないのが不思議だった。
朝靄のかかる雑木林はまだ薄暗く、ひんやりと体を包みこむ。寒くはないが不安だらけだ。逃げ出した後のことは何も考えていなかった。
いつも通り街に出てしまってから、劇場とあの家の往復しかしてこなかった少女は道がわからないことに思い至った。あちこちで人々が起きだしている気配がする。井戸に水を汲みに出てくる老人や、窓を開ける物音に少女は身震いをした。ぐずぐずしていては顔を知っている劇場の関係者に見つかってしまうかもしれない。だからといってむやみに街を動き回るのも危険だ。
「どうしよう」
クトに話しかけても仕方がないが、つい声をかけてしまう。やはりいきなり逃げ出すのは早計だったかもしれない。おとなしくいうことを聞いているふりをして、事前に準備をすべきだった。しかし今さらそんなことを思っても仕方ない。
途方にくれていると、それを察知したようにクトが少女の手を引いた。
「どこか当てがあるの?」
意外にもしっかりとした足取りで歩いてゆくクトに、少女は特に何も考えずついていった。
「ねぇ、どこへ向かっているの?」
話せないので仕方がないが、何の説明もなく進み続ける。少女のお腹がきゅうと悲鳴をあげた。以前よりは天と地ほどマシな扱いだが、サティエルも裕福なわけではない。むしろお金には困っているようだった。生活ぶりを見ればそれはわかる。そもそもさして素質のない子供を役者に仕立てて金を稼ごうと考えている時点で察せられる。とにかくサティエルは毎度お腹いっぱい食べさせてくれるわけではなかった。彼自身も生活費を切り詰めているのがわかるのでもちろん文句など言えない。
クトが足を止めて少女をふり返る。それから大人用のぶかぶかの上着のポケットから何かを取り出した。
パンだ。
「それ……」
クトはあまり食事をとらない。たまにこうやってもらった食事をポケットに入れてしまうのだ。少女のお腹がさらに鳴った。
「半分……」
分けてもらえないだろうかと、少女が手を伸ばすと、クトはすっと手を引いた。
「なによ。くれる気がないなら出さないで」
少女はむっとして声をあげる。しかしクトは無表情のままだ。
「私について出てきちゃったことを後悔してる? 悪かったわよ。それなら一人で戻ればいいでしょ」
聞いているのかいないのか。やはりクトは無表情だ。ぼんやりと遠くを見ている。
ふと、つられたように少女も周りを見渡した。いつの間にか劇場のある街の中心地からは離れてしまっていた。まばらに家があるが、どれもあまり裕福そうな感じではない。それどころか人が住んでいるのかすらあやしい。道は一応石畳で舗装はされているがガタガタであり、隙間からは草がぼうぼうと伸びていた。樹木も伸び放題で朝なのにあちらこちらに暗がりができていて薄暗い。水はけも悪いらしく汚らしい茶色の水があちらこちらにたまっていた。さらに壊れた生活用品や得体のしれないゴミが散乱していて、死体か何かが放置されていても不思議ではないような気持ちの悪い場所である。とにかく治安が悪そうだ。
レジスの街にまだこのような場所があるとは思わなかった。もしかして親からはあまり近づかないようにと注意されていた旧市街の辺りだろうか。だとしたら子供だけでうろうろしているのは危険だ。さらわれてまた奴隷市にでも並ぶのがオチである。いや、奴隷市であればまだマシだ。殺されても文句はいえない。
「クト、ちょっと……」
少女がクトの手を引こうとしたところで「おいっ」という怒声が響いた。
「誰の許可でこの辺りをふらついてやがるんだ」
声にふり向くと同じ年くらいの少年である。大人ではなかったことに安堵しつつも何やら不穏な様子ではある。子供といえどもまともな育ち方をしていないのは明らかで、大きさの合っていない汚れた服を着て腰に棒のようなものをさげている。髪もぼさぼさで何日も水浴びすらしていないように見えた。
「な、なによ。許可がないとここを歩いちゃいけないの?」
少女は精一杯虚勢を張るが、少年は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ダメに決まってるだろ。この辺は俺たちの住処なんだ」
少年が腰に結わえた棒のようなものを手にしたので、少女は半歩後ろにさがる。
「そ、そんなの誰が決めたのよ」
むきになって言い返すが、こんな野犬のような少年と喧嘩になったらただではすまないだろう。
「何を騒いでいるんだ」
いつの間にか少年の仲間と思しき数人の子供が集まってきていた。中から年長の少年が進み出て二人の間に割って入る。その少年は腰にボロボロの短剣のようなものをさげていた。さすがにぞっとして大きく後退る。
遠巻きに見ている子供たちが少女たちを見てひそひそと話しをしていた。あまり歓迎されていないことは明白だ。
「間違って入ってきちまったなら見逃してやるからさっさと行けよ。ここは俺らの縄張りだからな。覚えておけ」
短剣をさげた少年は子供たちのリーダーらしく、棒を持った少年も場所をゆずるように後にさがった。
「言われなくても出ていくわよ」
少女はクトの手を引こうとして、そこにクトがいないことに気がつく。
「クト?」
見るとクトは一人、あまり柄のよくない子供たちの間に進み出てパンを差し出している。
「何をしているの。早く行こうよ」
クトの手を引こうと前に出た少女を遮るようにリーダーが立つ。
「ふぅん、食い物か。お前、俺たちの仲間になりたいのか」
リーダーの少年は品定めするようにクトを眺めて、その手からパンを奪い取る。そしてそのパンを仲間の子供たちがいるあたりにポンと放ると、子供たちは我先にとパンを奪い合った。
よく見ると女の子もいるし、もっと小さな三、四歳くらいの子もいた。
「きちんと稼げるなら仲間に入れてやってもかまわないが、お前何ができるんだ?」
リーダーはまだクトをじろじろと観察している。
「仲間になるなんて言ってないでしょ。ほら、クト、もう行こうよ」
少女がクトの手を引こうとすると、クトはすっと手を引いてまたポケットに手をつっこんだ。そこにはもう一つパンが入っていた。すかさずリーダーがそれを奪い取る。
「随分と貢ぎ物が多いじゃねえか。そんなにここにいたいか」
リーダーがクトの顔をのぞきこむと、あろうことかこれまで無反応だったクトがこくりと小さくうなずいた。
「ちょ、ちょっとクト?」
驚いて悲鳴のような声をあげた少女を無視するように、リーダーはクトの顔をさらにのぞきこむ。
「さっきから何か変だな。お前、もしかして口がきけないのか」
思いがけずリーダーの少年が憐れむような声を出してクトを見る。それから少女の方をふり返って、クトと見比べるように視線を走らせた。
「な、なによ」
少女は思わず一歩さがった。
「こいつが口がきけないんじゃ、仕事ができないじゃねぇか。お前は代わりに何かできないのか」
「何かって……」
そもそもこんな連中の仲間になるなんて一言もいっていない。しかし今までほかの子供よりも少しばかり勉強ができることを誇りに思っていたが、たったそれだけのことでは一人で生活すらできないことに気づいて愕然とした。ほかにお金になりそうなことは何一つできない。
できないが、少女は苦しまぎれに口を開く。
「演劇がちょっとできる……かもしれない」
「あいつら、悪いことを企んでいるの。聞いたのよ。私」
早朝、少女はそっとクトを起こして耳元でささやいた。ゲラルドという大男は自分の寝ぐらに戻ったようで、そこにはぐっすりと眠り込んでいるサティエルだけがいた。同じように食糧の入った麻袋に背を預けて眠っている。サティエルにはもう少しまともな寝床があったはずだが、どうやら疲れてその場で眠ってしまったらしい。
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朝靄のかかる雑木林はまだ薄暗く、ひんやりと体を包みこむ。寒くはないが不安だらけだ。逃げ出した後のことは何も考えていなかった。
いつも通り街に出てしまってから、劇場とあの家の往復しかしてこなかった少女は道がわからないことに思い至った。あちこちで人々が起きだしている気配がする。井戸に水を汲みに出てくる老人や、窓を開ける物音に少女は身震いをした。ぐずぐずしていては顔を知っている劇場の関係者に見つかってしまうかもしれない。だからといってむやみに街を動き回るのも危険だ。
「どうしよう」
クトに話しかけても仕方がないが、つい声をかけてしまう。やはりいきなり逃げ出すのは早計だったかもしれない。おとなしくいうことを聞いているふりをして、事前に準備をすべきだった。しかし今さらそんなことを思っても仕方ない。
途方にくれていると、それを察知したようにクトが少女の手を引いた。
「どこか当てがあるの?」
意外にもしっかりとした足取りで歩いてゆくクトに、少女は特に何も考えずついていった。
「ねぇ、どこへ向かっているの?」
話せないので仕方がないが、何の説明もなく進み続ける。少女のお腹がきゅうと悲鳴をあげた。以前よりは天と地ほどマシな扱いだが、サティエルも裕福なわけではない。むしろお金には困っているようだった。生活ぶりを見ればそれはわかる。そもそもさして素質のない子供を役者に仕立てて金を稼ごうと考えている時点で察せられる。とにかくサティエルは毎度お腹いっぱい食べさせてくれるわけではなかった。彼自身も生活費を切り詰めているのがわかるのでもちろん文句など言えない。
クトが足を止めて少女をふり返る。それから大人用のぶかぶかの上着のポケットから何かを取り出した。
パンだ。
「それ……」
クトはあまり食事をとらない。たまにこうやってもらった食事をポケットに入れてしまうのだ。少女のお腹がさらに鳴った。
「半分……」
分けてもらえないだろうかと、少女が手を伸ばすと、クトはすっと手を引いた。
「なによ。くれる気がないなら出さないで」
少女はむっとして声をあげる。しかしクトは無表情のままだ。
「私について出てきちゃったことを後悔してる? 悪かったわよ。それなら一人で戻ればいいでしょ」
聞いているのかいないのか。やはりクトは無表情だ。ぼんやりと遠くを見ている。
ふと、つられたように少女も周りを見渡した。いつの間にか劇場のある街の中心地からは離れてしまっていた。まばらに家があるが、どれもあまり裕福そうな感じではない。それどころか人が住んでいるのかすらあやしい。道は一応石畳で舗装はされているがガタガタであり、隙間からは草がぼうぼうと伸びていた。樹木も伸び放題で朝なのにあちらこちらに暗がりができていて薄暗い。水はけも悪いらしく汚らしい茶色の水があちらこちらにたまっていた。さらに壊れた生活用品や得体のしれないゴミが散乱していて、死体か何かが放置されていても不思議ではないような気持ちの悪い場所である。とにかく治安が悪そうだ。
レジスの街にまだこのような場所があるとは思わなかった。もしかして親からはあまり近づかないようにと注意されていた旧市街の辺りだろうか。だとしたら子供だけでうろうろしているのは危険だ。さらわれてまた奴隷市にでも並ぶのがオチである。いや、奴隷市であればまだマシだ。殺されても文句はいえない。
「クト、ちょっと……」
少女がクトの手を引こうとしたところで「おいっ」という怒声が響いた。
「誰の許可でこの辺りをふらついてやがるんだ」
声にふり向くと同じ年くらいの少年である。大人ではなかったことに安堵しつつも何やら不穏な様子ではある。子供といえどもまともな育ち方をしていないのは明らかで、大きさの合っていない汚れた服を着て腰に棒のようなものをさげている。髪もぼさぼさで何日も水浴びすらしていないように見えた。
「な、なによ。許可がないとここを歩いちゃいけないの?」
少女は精一杯虚勢を張るが、少年は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ダメに決まってるだろ。この辺は俺たちの住処なんだ」
少年が腰に結わえた棒のようなものを手にしたので、少女は半歩後ろにさがる。
「そ、そんなの誰が決めたのよ」
むきになって言い返すが、こんな野犬のような少年と喧嘩になったらただではすまないだろう。
「何を騒いでいるんだ」
いつの間にか少年の仲間と思しき数人の子供が集まってきていた。中から年長の少年が進み出て二人の間に割って入る。その少年は腰にボロボロの短剣のようなものをさげていた。さすがにぞっとして大きく後退る。
遠巻きに見ている子供たちが少女たちを見てひそひそと話しをしていた。あまり歓迎されていないことは明白だ。
「間違って入ってきちまったなら見逃してやるからさっさと行けよ。ここは俺らの縄張りだからな。覚えておけ」
短剣をさげた少年は子供たちのリーダーらしく、棒を持った少年も場所をゆずるように後にさがった。
「言われなくても出ていくわよ」
少女はクトの手を引こうとして、そこにクトがいないことに気がつく。
「クト?」
見るとクトは一人、あまり柄のよくない子供たちの間に進み出てパンを差し出している。
「何をしているの。早く行こうよ」
クトの手を引こうと前に出た少女を遮るようにリーダーが立つ。
「ふぅん、食い物か。お前、俺たちの仲間になりたいのか」
リーダーの少年は品定めするようにクトを眺めて、その手からパンを奪い取る。そしてそのパンを仲間の子供たちがいるあたりにポンと放ると、子供たちは我先にとパンを奪い合った。
よく見ると女の子もいるし、もっと小さな三、四歳くらいの子もいた。
「きちんと稼げるなら仲間に入れてやってもかまわないが、お前何ができるんだ?」
リーダーはまだクトをじろじろと観察している。
「仲間になるなんて言ってないでしょ。ほら、クト、もう行こうよ」
少女がクトの手を引こうとすると、クトはすっと手を引いてまたポケットに手をつっこんだ。そこにはもう一つパンが入っていた。すかさずリーダーがそれを奪い取る。
「随分と貢ぎ物が多いじゃねえか。そんなにここにいたいか」
リーダーがクトの顔をのぞきこむと、あろうことかこれまで無反応だったクトがこくりと小さくうなずいた。
「ちょ、ちょっとクト?」
驚いて悲鳴のような声をあげた少女を無視するように、リーダーはクトの顔をさらにのぞきこむ。
「さっきから何か変だな。お前、もしかして口がきけないのか」
思いがけずリーダーの少年が憐れむような声を出してクトを見る。それから少女の方をふり返って、クトと見比べるように視線を走らせた。
「な、なによ」
少女は思わず一歩さがった。
「こいつが口がきけないんじゃ、仕事ができないじゃねぇか。お前は代わりに何かできないのか」
「何かって……」
そもそもこんな連中の仲間になるなんて一言もいっていない。しかし今までほかの子供よりも少しばかり勉強ができることを誇りに思っていたが、たったそれだけのことでは一人で生活すらできないことに気づいて愕然とした。ほかにお金になりそうなことは何一つできない。
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