あなた以外の方に愛されていますので元婚約者はどうぞお幸せに

有賀冬馬

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今日も私は、姉妹たちの陰に隠れて生きていた。

クラウディア・フォン・ローゼンシュタイン伯爵令嬢――それが私の名前。でも、そんな大層な名前は私には似合わない。伯爵家の三姉妹の次女である私は、姉のアナスタシアのように華やかでも、妹のベアトリスのように愛らしくもない。地味で目立たず、いつも一人で本のページをめくっている、ただの影のような存在。

「あら、クラウディア。またそんなところで暗くしてるの?」

母の冷たい声が、図書室の隅にいた私に飛んできた。振り返ると、母は眉間にしわを寄せ、隣には姉のアナスタシアが優雅な笑みを浮かべている。

「いけないわ、お母様。クラウディアも、私たちみたいに社交界に出ればいいのに」

アナスタシアはそう言いながら、私の髪を指先でつまんだ。

「そのくすんだ髪の色、どうにかならないのかしら。まあ、どうせ無理でしょうけど」

くすんだ髪色、薄い顔立ち、ぱっとしない存在感。それが私。鏡を見るたびに、私って本当に伯爵令嬢なのかなって、ため息が出る。

「まあいいわ。あなたにはあなたなりの役割があるのだから。エドワード様との婚約が破談にならないように、くれぐれも地味に振る舞っていなさい。あなたの地味さが、かえって彼に安心感を与えることもあるかもしれないわ」

母はそう言って、姉と腕を組んで去っていった。胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。私はただの道具なんだ。そう言われたみたいで、涙が出そうになった。

エドワード様――侯爵家の嫡男。私の婚約者。

私は彼のことをよく知らない。これまでほとんど会ったこともないし、話したことも数えるほどしかない。でも、この婚約は私にとって、この家から抜け出す唯一の希望だった。





………


ある日、父から呼び出されて書斎へ向かった。いつも厳しい顔をしている父が、珍しく穏やかな表情をしている。

「クラウディア、お前に良い話がある。侯爵家嫡男エドワード様との婚約だ」

驚きで声も出なかった。私のような地味な娘が、あんなに立派な方と?

「もちろん、これは家同士の取り決めだ。お前に魅力があるわけではない」

父はすぐに厳しい顔に戻り、現実を突きつけてきた。

「だが、この婚約は家の名誉のため、そしてお前のためでもある。侯爵家のご子息と結婚すれば、お前はもうこの家では影のような存在ではなくなる。家柄が良ければ、それだけで周囲は尊敬の念を抱くだろう」

私はただ頷くことしかできなかった。父は、私を心配してくれているのだろうか? それとも、ただ利用しているだけ? どちらでもいい。この話は、私に新しい世界を見せてくれるかもしれない。そう信じて、私はこの婚約を受け入れた。

それから、少しだけエドワード様とお会いする機会が増えた。でも、彼は私に興味がなさそうだった。私と話すときも、視線はいつも宙をさまよっていて、時々、退屈そうにため息をつく。

「君のような地味な娘と結婚するなんて、家の格が落ちる…」

ある日、彼がぽつりとつぶやいた。私は何も言えなかった。ただ、胸が痛かった。でも、それでもいい。結婚してしまえば、きっと彼も私を見てくれるようになるはず。そう思っていた。


………





すべてが崩れ去ったのは、夏の夜会だった。

会場はきらびやかなドレスをまとった人々で賑わっていた。私も、母に選んでもらった地味な水色のドレスを着て、隅っこでジュースを飲んでいた。

エドワード様が、妹のベアトリスと一緒にいるのが見えた。ベアトリスは、いつも私に意地悪ばかりするけれど、今日は特に可愛らしいピンクのドレスを着て、エドワード様に甘えている。二人の姿はとても絵になっていて、誰もが羨ましそうに見ていた。

「皆様、ご注目ください!」

エドワード様が、突然ステージに上がり、高らかな声で話し始めた。会場のざわめきが静まり、誰もが彼の言葉に耳を傾ける。私も、少し胸がドキドキした。

「この度、皆様にご報告したいことがあります」

彼の言葉に、私の胸は期待でいっぱいになった。もしかして、私との婚約について話してくれるのかな?

「私は、クラウディアとの婚約を破棄します」

その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。え? 何を言ってるの?

「理由は、彼女が侯爵家の嫡男たる私の妻としてふさわしくないからです。彼女のような地味な娘では、我が家の格が落ちる。私は、もっとふさわしい女性と結婚します」

彼の冷たい声が、会場に響き渡る。

「私の妻となるのは…このベアトリスです!」

彼は、ステージにいるベアトリスの手をとり、満面の笑みで宣言した。ベアトリスは恥ずかしそうに顔を赤らめ、会場からは祝福の拍手が巻き起こる。

「おめでとうございます!」
「なんて素敵なカップルでしょう!」

会場の拍手と、祝福の言葉が私を刺す。誰も私のことなんて気にしていない。私の存在なんて、最初からなかったみたいに。

母と姉が、私を嘲笑うように見つめているのがわかった。ベアトリスは、勝ち誇ったような笑みを浮かべて、私をちらりと見た。

「お姉様、ごめんなさいね。でも、エドワード様は、私の方がお似合いだって言ってくれたの」

ベアトリスの声が、遠くから聞こえてくる。私はその場に立ち尽くすことしかできなかった。

「地味な娘では、家の格が落ちる」

その言葉が頭の中で繰り返される。私の存在、私の人生、すべてを否定された気分だった。涙が、止めどなく頬を伝っていく。



夜会から帰宅した私は、すぐに父に呼ばれた。書斎に入ると、父は険しい顔で私を睨みつけていた。

「お前は、この家の恥だ。侯爵家との婚約を破談にさせた上、家名に泥を塗った」

父の言葉に、私は何も言い返せなかった。すべてを否定された私は、もう何も信じられなかった。

「お前は、もうこの家にはいられない。遠縁の地へ行ってもらう」

遠縁の地?

「そちらで、静かに暮らすのだ。侯爵家にこれ以上迷惑をかけるな」

父は冷たく言い放ち、私に旅支度を命じた。私は、ただ頷くことしかできなかった。


翌朝、私は一人、小さな馬車に乗り込んだ。使用人たちは、誰も見送ってくれなかった。母も姉妹も、私のことなど最初から存在しないかのように、私を無視した。

馬車が動き出す。私は窓から、見慣れた景色を眺めた。この家で、私はずっと影のように生きてきた。そして、これからもずっと一人なのだろう。そう思うと、涙が止まらなかった。

私は、どこにも居場所のない、ただの哀れな娘。もう、誰も私を必要としていない。

「地味で、家の格を落とす娘」

エドワード様の言葉が、耳から離れない。私は、この旅の先に、どんな未来が待っているのか、想像もできなかった。ただ、絶望と孤独だけが、私の心を支配していた。

馬車は、どんどん進んでいく。私は、この世界から、そして過去の自分から、遠くへ遠くへと離れていくような気がした。
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