2 / 4
2
しおりを挟むガタッ、ゴトン……。
馬車に揺られながら、私は窓の外をぼんやりと見ていた。見慣れた景色はもう遠く、代わりに広がるのは、知らない森や丘ばかり。家族も、住み慣れた家も、もうない。私を待っているのは、遠く離れた知らない土地での孤独な生活だけだ。
「……もう、どうでもいいや」
そう思って、私は目を閉じた。婚約者だったエドワード様は、私を「地味」だと言って捨てた。家族は、私が家の恥だと罵り、見知らぬ土地に追いやった。私の人生は、もう終わってしまったのかもしれない。
頬を伝う涙が、ひんやりと冷たい。私はもう、泣く気力もなかった。ただ、このまま何もかも忘れてしまいたい、と願うばかりだった。
御者台からは、御者のハンスさんの声が聞こえてくる。彼は、父から私をこの土地まで送り届けるよう命じられたのだ。きっと彼も、私を厄介者だと思っているだろう。
「お嬢様、もうすぐ森を抜けますよ」
ハンスさんの声に、私は顔を上げた。夕暮れが迫り、空がオレンジ色に染まっている。森の木々は、影を長く伸ばし、まるで私を飲み込もうとしているみたいだった。
「……ありがとうございます、ハンスさん」
私の声は、ひどく掠れていた。
突然、空が暗くなり、雷鳴が轟いた。ゴロゴロ、ピカッ!
「お嬢様、嵐が来るようです!」
ハンスさんの焦った声が聞こえ、馬車がガタガタと大きく揺れる。森の中はあっという間に真っ暗になり、雨粒が窓を激しく叩きつけた。
「うわっ!」
大きな揺れで、馬車が傾く。馬のいななきが聞こえ、ハンスさんが叫んだ。
「お嬢様、馬車が溝にはまってしまいました……!この嵐の中では、馬も動けません!」
私は馬車から降りて、外の様子をうかがった。雨は土砂降りになり、全身がずぶ濡れになる。雷が光るたびに、馬車が溝にはまり込んで動けなくなっているのが見えた。
「どうしましょう……」
私は途方に暮れた。こんな森の中で、誰にも助けを求められない。絶望的な気持ちが、再び私を襲った。
その時、遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。こんな嵐の中、誰が……?
雨と雷の音にかき消されそうになりながら、一人の青年が馬に乗って現れた。フードを深くかぶり、顔はよく見えないけれど、その姿は堂々としていた。
「どうかなさいましたか?」
青年は馬から降りると、私に近づいてきた。彼の声は、低く落ち着いていて、不思議な安心感があった。
「あの……馬車が溝にはまってしまって……」
私は震える声で答えた。青年は馬車をちらりと見て、すぐに状況を理解したようだった。
「この嵐の中では、修理は不可能です。近くに古い小屋があります。そこで雨宿りしましょう」
彼はそう言うと、私に手を差し伸べた。その手は、優しくて温かかった。私は迷いながらも、その手をとった。
青年は私を小さな小屋へと案内してくれた。中は、雨風がしのげるだけで、何もなかった。彼は持っていた布で私の濡れた体を拭いてくれ、火を起こしてくれた。
「よかったら、これをどうぞ」
彼は懐から、焼き菓子を取り出した。
「ありがとうございます……」
私は小さな声でお礼を言った。温かい火と、彼の優しさが、凍えていた私の心にじんわりと染み渡る。
「あなたは……どちら様で?」
私は尋ねた。青年は少し微笑んだ。
「ただの旅の者です。君こそ、こんな嵐の森で、一人でどうして?」
私は迷った。自分の不名誉な過去を話すのは、少し恥ずかしい。でも、彼の優しい眼差しに、つい話してしまった。
「私……婚約を破棄されて、家を追い出されたんです。地味だから、家の格を落とすからって……」
そう言うと、涙があふれてきた。こんなことを、初めて会った人に話してしまうなんて。でも、不思議と彼の前では、ありのままの自分をさらけ出せた。
彼は何も言わず、ただ静かに私の話を聞いてくれた。私が話し終わると、彼は静かに言った。
「地味だなんて、とんでもない。あなたの瞳は、夜空の星みたいに綺麗だ」
彼の言葉に、私は驚いて顔を上げた。そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。
「それに、あなたの話を聞いて、あなたがどれだけ聡明で、優しい心を持っているかわかりました。そんなあなたを理解できないなんて、彼らは馬鹿ですね」
彼の言葉は、私の心を温かく包み込んでくれた。今まで誰にも言われたことのない言葉。私は、彼の優しい眼差しに、ただただ泣いた。
彼は身分を明かさないけれど、話し方や仕草から、とても高貴な人だとわかった。でも、彼はそんなことを少しも感じさせず、私に寄り添ってくれた。
「君は、君のままで美しい。そのことを、どうか忘れないで」
その夜、嵐はいつまでも続いた。でも、私はもう怖くなかった。彼の隣にいると、心が不思議なほど穏やかだったから。
朝になって、雨が上がった。空には、虹がかかっていた。
「そろそろ、私は行かなくては」
青年はそう言って、立ち上がった。私は寂しくなった。彼ともう会えないかもしれない、そう思うと、心が締め付けられる。
「あの、あなたの名前は?」
私は勇気を出して尋ねた。青年は少し困ったように微笑んだ。
「今はまだ言えません。でも、いつか必ず、あなたを迎えに行きます。その時まで、どうか、強く生きていてください」
彼はそう言って、私の手に小さな石を握らせてくれた。それは、とても綺麗な青い石だった。
「これは、約束の印です。もし、あなたが辛いことがあったら、この石を見て、思い出してください。遠い場所に、あなたの幸せを願っている人がいることを」
私は頷いた。彼の言葉と、温かい手のぬくもりを、私は一生忘れないだろう。
「ありがとうございます……」
私は彼の目を見て、心からお礼を言った。彼はもう一度優しく微笑むと、馬に乗って森の奥へと消えていった。
馬車に戻ると、ハンスさんが心配そうな顔で私を見ていた。私はもう泣いていなかった。顔は濡れていたけれど、それは雨のせいだった。
馬車は再び動き出す。遠縁の地に到着し、私は新しい生活を始めた。孤独な生活だったけれど、私はもう一人じゃなかった。
私には、彼がくれた希望があった。そして、いつか必ず迎えに来てくれるという、彼の言葉があった。
私は、彼がくれた青い石を大切に握りしめ、来るべき再会の日を夢見て、懸命に生きようと誓った。彼の言葉を胸に、私は地味な自分を隠すのではなく、磨いていこうと思った。いつか、彼にふさわしい私になれるように。
137
あなたにおすすめの小説
辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~
香木陽灯
恋愛
「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」
実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。
「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」
「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。
※ふんわり設定です。
※他サイトにも掲載中です。
復讐の恋〜前世での恨みを今世で晴らします
じじ
恋愛
アレネ=フォーエンは公爵家令嬢だ。美貌と聡明さを兼ね備えた彼女の婚約者は、幼馴染で男爵子息のヴァン=オレガ。身分違いの二人だったが、周りからは祝福されて互いに深く思い合っていた。
それは突然のことだった。二人で乗った馬車が事故で横転したのだ。気を失ったアレネが意識を取り戻した時に前世の記憶が蘇ってきた。そして未だ目覚めぬヴァンが譫言のように呟いた一言で知ってしまったのだ。目の前の男こそが前世で自分を酷く痛めつけた夫であると言うことを。
心を病んでいるという嘘をつかれ追放された私、調香の才能で見返したら調香が社交界追放されました
er
恋愛
心を病んだと濡れ衣を着せられ、夫アンドレに離縁されたセリーヌ。愛人と結婚したかった夫の陰謀だったが、誰も信じてくれない。失意の中、亡き母から受け継いだ調香の才能に目覚めた彼女は、東の別邸で香水作りに没頭する。やがて「春風の工房」として王都で評判になり、冷酷な北方公爵マグナスの目に留まる。マグナスの支援で宮廷調香師に推薦された矢先、元夫が妨害工作を仕掛けてきたのだが?
【完結】婚約破棄されたら、呪いが解けました
あきゅう
恋愛
人質として他国へ送られた王女ルルベルは、その国の人たちに虐げられ、婚約者の王子からも酷い扱いを受けていた。
この物語は、そんな王女が幸せを掴むまでのお話。
三度裏切られたので堪忍袋の緒が切れました
蒼黒せい
恋愛
ユーニスはブチ切れていた。外で婚外子ばかり作る夫に呆れ、怒り、もうその顔も見たくないと離縁状を突き付ける。泣いてすがる夫に三行半を付け、晴れて自由の身となったユーニスは、酒場で思いっきり羽目を外した。そこに、婚約解消をして落ちこむ紫の瞳の男が。ユーニスは、その辛気臭い男に絡み、酔っぱらい、勢いのままその男と宿で一晩を明かしてしまった。
互いにそれを無かったことにして宿を出るが、ユーニスはその見知らぬ男の子どもを宿してしまう…
※なろう・カクヨムにて同名アカウントで投稿しています
もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない
もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。
……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。
「お前を愛することはない」と言われたお飾りの妻ですが、何か?
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することはない!」「そんな事を言うために女性の寝室に押し入ったのですか? もう寝るつもりで化粧を落として髪をほどいて寝着に着替えてるのに! 最っ低!」
仕事大好き女が「お飾りの妻最高!」と恋愛感情無しで結婚したらこうなるよね、というお話。
婚約破棄されたので、あなたの国に関税50%かけます~最終的には9割越えの悪魔~
常野夏子
恋愛
隣国カリオストの第一王子であり婚約者であったアルヴェルトに、突如国益を理由に婚約破棄されるリュシエンナ。
彼女は怒り狂い、国をも揺るがす復讐の一手を打った。
『本日より、カリオスト王国の全ての輸入品に対し、関税を現行の5倍とする』
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる