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しおりを挟むその日、謁見の間には普段とはまるで異なる緊張感が漂っていた。
高い天井から差し込む光でさえ重苦しく感じられ、磨き上げられた大理石の床には厳粛な影が落ちていた。
集まった人々は皆、息を潜めるように静まり返り、ただこれから起こる出来事を待ち構えている。
衣擦れの音やわずかな咳払いさえ、場の空気を乱すほどに張り詰めていた。
荘厳でありながらも、どこか不穏な気配を孕んだ空間だった。
厳粛な静けさの中、私はアルベルト様の隣に立っていた。皇后として、私もまた、この国の政治に関わる重要な存在。
「陛下、侯爵家嫡男、エドワード・フォン・ロートリヒ様が到着されました」
侍従の声が、静かに響く。私の心臓は、ドクンと音を立てた。ついにこの時が来た。
謁見の扉が、ゆっくりと開く。現れたのは、かつて私の婚約者だったエドワード様。
彼の姿は、かつての堂々とした威光を放っていた頃とはまるで別人のようだった。
きちんと整えられていたはずの衣服は今やあちこちが乱れ、肩には疲労の影が色濃く漂っていた。
頬はこけ、顔立ちはやつれ果て、その表情には余裕や誇りなど一片も残されていない。
何よりも、その瞳に宿る焦りと絶望の色が、彼の心の荒廃を雄弁に物語っていた。
政争に敗れ、すべてを失いかけた男の姿がそこにあった。
かつて人々の注目を浴び、傲然と振る舞っていた彼はもういない。
残されているのは、敗北という現実に押し潰された哀れな人影だけだった。
彼は玉座の前に進み出ると、アルベルト様に深々と頭を下げた。
「陛下、どうかお助けください!我が家は、奸計によりすべての地位を失いました。どうか、我が家をお救いください!」
彼の声は切羽詰まった響きを帯び、まるで命をつなぎとめようと必死に懇願しているかのようだった。
その震える調子には威厳も自信もなく、ただ追い詰められた人間の弱さだけがにじみ出ていた。
かつて人々を見下し、傲慢な言葉を投げつけていたあの姿からは、とても想像できない哀れな有様だった。
プライドに縛られていた彼が、今や自らの尊厳をかなぐり捨て、ただ許しを乞うように声を荒げる――その光景は、かつての栄華がどれほど儚いものであったかを残酷に示していた。
私はただ静かに、その光景を見つめていた。
かつてなら胸をかき乱され、怒りや憎しみがこみ上げてきたかもしれない。
だが今の私の心は驚くほど冷静で、揺れ動くことはなかった。
必死にすがりつき、哀願する彼の姿を前にしても、同情や憐れみすら湧かず、ただ淡々と受け止めている自分がいた。
過去に私を苦しめた存在は、もう私にとって脅威ではなく、ただ遠い記憶を想起させる影に過ぎない。
私はまるで傍観者のように、静かに彼の末路を見届けていた。
アルベルト様もまた、一言も発することなく彼をじっと見据えていた。その眼差しには、容赦のない冷たさと、正義を貫く者の厳しさが宿っていた。
その眼差しは鋭く、重く、そして揺るぎなかった。
そこには情けや憐れみの余地はなく、ただ己の行いに対する当然の報いを示す冷徹な意志だけがあった。
彼の前に立つアルベルト様の沈黙は、言葉以上の意味を持ち、何よりも重くのしかかっていた。
「陛下、私は……」
エドワード様はさらに何かを言おうとして、ふと、視線を上げた。そして、私の姿に気づいた。
彼の視線が、私のドレス、髪飾り、そして顔に注がれる。私は、かつての地味な水色のドレスではなく、真紅の豪華なドレスをまとっていた。髪には、アルベルト様が贈ってくださった、宝石がきらめくティアラ。
「な……なぜ、君がここに……?」
彼の声が、かすかに震えている。
「そんなはずはない……!お前は、地味で……家の格を落とす……」
彼はまるで現実を受け入れられないかのように、信じられないという表情を浮かべて私を凝視していた。
その瞳には、抑えきれない驚きと理解できないという困惑、そして未来を閉ざされた者だけが宿す深い絶望の色が混じり合っていた。
かつては自信と傲慢さに満ちていたその目が、今では救いを求めるように揺れ、必死に何かを掴もうとしていた。
しかしその視線がどれほど強く私に縋りつこうとも、もう私の心を動かすことはない。
ただ残酷な現実だけが、静かに彼を飲み込んでいった。
私は、彼の必死な言葉に対して、一言も返すことはなかった。
ただ静かに唇の端を持ち上げ、穏やかな微笑みを浮かべた。
その微笑みには同情も憐れみもなく、ましてや嘲りすらない。
かつては彼の一言に心を乱され、涙を流した私だったが、今は違う。
微笑みの裏に宿るのは、過去を乗り越え、今を堂々と生きる自分自身への誇りだった。
私はただ静かに彼を見つめ、その結末を受け入れるように微笑んでいた。
「お前は……本当に、あの時の……クラウディア……なのか?」
彼は、まるで幽霊でも見たかのように、私を指差した。
「そうよ、エドワード様」
私は、静かに答えた。その声は、もう震えていなかった。
「私を蔑んだあなたを、私は決して忘れませんでしたわ」
私の言葉に、エドワード様は膝から崩れ落ちた。
「嘘だ……!なぜ……なぜ、お前が、こんなところに……」
彼は、信じられないという顔で、私とアルベルト様を交互に見つめている。
「私を地味だと馬鹿にしたあなたが、今さら私に助けを求めるなんて、……滑稽ですわ」
私は一歩、前に踏み出した。
「あの時、あなたは私を捨て、妹と結婚することを選びました。でも、その結果、あなたは何を失いましたか?」
私は問いかけた。彼は、何も答えられなかった。
「あなたの傲慢さが、あなたを破滅に導いたのですわ。自業自得、因果応報……まさしく、このことですわね」
私は、静かに、そしてはっきりと告げた。彼の顔は、真っ青になっていた。
「違うんだ!あれは……仕方なかったんだ……」
彼は必死に言い訳をしようとするが、もう遅かった。
「私を裏切り、傷つけたあなたが、今さら私に何を言うのですか?」
私は、彼がくれた屈辱を、一つ一つ思い出していた。そして、それらをすべて言葉にして、彼にぶつけた。
「あの時、私がどれだけ傷ついたか、あなたにはわからないでしょう。でも、私はもう、あの時の弱い私ではありません」
私は胸を張り、彼を見下ろした。
「あなたは、私を捨てた。でも、そのおかげで、私は本当の幸せを見つけられた」
私はアルベルト様の方を向いた。アルベルト様は、私の手を取り、優しく微笑んでくれた。
「この方こそ、私を地味だと馬鹿にせず、私のありのままの姿を愛してくださった方です。あなたは、人生で最も大切なものを見逃したのですよ」
私の言葉に、エドワード様はただ、呆然と立ち尽くしていた。彼の顔には、後悔と絶望の表情が浮かんでいた。
「アルベルト様」
私は、静かにアルベルト様の名前を呼んだ。
アルベルト様はゆっくりと前に出た。
「この国における彼の権利をすべて没収し、国外追放を命じる。二度と、この地に足を踏み入れないように」
アルベルト様は、私に頷き、静かに命を下した。
「そのように」
騎士たちがエドワード様に近づき、彼の腕を掴む。エドワード様は、何も抵抗しなかった。ただ、絶望的な顔で、私を見つめていた。
「さようなら、エドワード様。あなたの人生が、二度と輝くことがないことを願いますわ」
私はそう言って、彼に背を向けた。
エドワード様は、謁見の間から連れ出されていった。彼の姿が完全に見えなくなると、私はふっと力が抜けたように、アルベルト様の胸に寄りかかった。
「……怖くなかったかい?」
アルベルト様は、私の頭を優しく撫でながら、そう尋ねた。
「いいえ。怖くなんてありませんでした。ただ……これで、私の過去に、きちんと区切りをつけられたような気がします」
私はそう言って、彼の胸に顔を埋めた。
「ありがとう、アルベルト様。あなたのおかげで、私はここまで強くなれました」
彼は、私の頭にキスをしてくれた。
「君は、私の誇りだ。私の皇后として、この国を一緒に治めていってくれるかい?」
私は顔を上げて、彼の目を見つめた。
「はい。喜んで」
私は、もう、あの時の地味で、自信のない娘じゃない。私は、愛する人に守られ、そして愛されている、この国の皇后だ。
私は、アルベルト様と手を取り合い、謁見の間を出た。窓の外には、青い空が広がっていた。
もう、私の人生に、影はない。私は、最高の幸せを手に入れたのだから。
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