婚約破棄された地味令嬢ですが、今さら「やり直したい」と言われても困ります

有賀冬馬

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 私は、彼の腕の中にいた。
 魔物の群れを、一瞬で消し去った、魔導王と呼ばれる男。
 彼は私を抱え、まるで羽のように軽々と、空へと舞い上がった。
 私は驚きと恐怖で、彼のローブにしがみつく。

「大丈夫、怖くない」

 彼の声は、風に紛れて聞こえた。
 その声に、不思議と心が落ち着く。
 私は彼の腕の中で、初めて空を飛んだ。
 眼下には、遠ざかっていく荒れた大地が見える。
 私は、もうあの場所には戻らないのだと、このとき確信した。

 そして、たどり着いたのは、漆黒の塔がそびえ立つ、巨大な城だった。
 それは、まるで魔法で造られたかのように、荘厳で美しい。
 城の門をくぐると、中は想像を絶するほど豪華だった。
 大理石の床、天井まで届く本棚、そして、窓の外には満開の薔薇園が広がっている。
 私は、まるで夢を見ているかのようだった。

「ここが、私の城だ」

 彼はフードを脱ぎ、顔を見せてくれた。
 その顔は、私の想像を遥かに超えていた。
 端正な顔立ちに、どこか憂いを帯びた銀色の瞳。
 冷酷だと噂されていた男の、あまりに美しい横顔に、私は言葉を失った。

「私の名は、イザーク。君は?」

「ロザリン、と申します」

 彼は、私の地味な服を見て、少し眉をひそめた。
 ああ、やっぱり。
 エルド様と同じように、私を馬鹿にするのだろうか。
 身につまされる思いで、私はうつむいた。
 だけど、イザーク様は、私の手をそっと取って言った。

「ロザリン、君のその落ち着いた色が、とても美しい」

 え……?
 思わず、顔を上げた。
 落ち着いた色。
 地味、ではないんだ。
 地味だと言われ続けた私の服を、彼は「美しい」と言ってくれた。
 それは、私の心が初めて受けた、温かい光だった。

「君は、しばらくここにいるといい。君が望むなら、いつまでも」

 私は、その言葉に、胸がいっぱいになった。
 誰にも必要とされず、居場所を失った私を、イザーク様は受け入れてくれた。
 それは、私にとって、何よりも嬉しいことだった。



 イザーク様の城での日々は、まるで物語のようだった。
 朝は、庭園で読書をしたり、花の手入れをしたりした。
 イザーク様は、いつも私に、たくさんの本を与えてくれた。
 歴史、文学、そして魔法について。
 私は、今まで知らなかった世界を、少しずつ知っていくのが楽しかった。

 ある日、私が難しい魔法書を読んでいると、イザーク様が後ろからそっと声をかけてくれた。

「その魔法は、使い方が少し難しい。教えてあげようか?」

 彼は、私の隣に座り、優しく教えてくれた。
 彼の指が、魔法陣を描くと、そこから小さな光が生まれた。

「すごい……」

 私は、その光に夢中になった。
 イザーク様は、私の頭をそっと撫でてくれた。
 その手は、冷たいのに、とても温かかった。

 私は、イザーク様に、エルド様とのことを話した。
 家族に「地味」と言われ、エルド様に捨てられたこと。
 もう、誰にも必要とされないと思っていたこと。
 イザーク様は、何も言わずに、ただ静かに聞いてくれた。
 そして、私の手を取って言った。

「ロザリン。君は、誰かに必要とされるために生きているんじゃない。君は、君自身のために生きるんだ。君の価値は、誰にも決められない」

 その言葉は、私の中にあった、見えない鎖を解き放ってくれた。
 そうだ。私は、私のために生きるんだ。
 私は、もっと強くなりたいと思った。
 もう誰にも、自分の価値を決められたくない。
 私はイザーク様に、護身術や、簡単な魔法を教えてほしいとお願いした。

「わかった。君が望むなら、いつでも」

 イザーク様は、私の願いを快く引き受けてくれた。
 私たちは毎日、城の訓練場で、練習に励んだ。
 私は、最初は何もできなかった。
 剣を握る手は震え、魔法陣も上手く描けない。
 だけど、イザーク様は、決して私を急かさなかった。

「焦る必要はない。ゆっくりでいい」

 彼は、いつも優しく私を見守ってくれた。
 その優しい眼差しが、私の心を強くしてくれた。

 ある日、イザーク様が私に新しいドレスをくれた。
 それは、今までの地味な服とは全然違った。
 夜空のような深い紺色の生地に、星のようにきらきらと輝く刺繍が施されている。

「似合うと思う」

 そう言って微笑むイザーク様に、私は胸が高鳴った。
 鏡の前で、新しいドレスをまとった自分を見る。
 それは、まるで別人のようだった。
 地味で、うつむいていた私ではない。
 少しだけ、自信に満ちた、新しい私がそこにいた。

 私は、この城に来て、たくさんのことを知った。
 イザーク様は、冷酷な魔導王なんかじゃない。
 彼は、誰よりも優しくて、繊細で、そして孤独な人だった。
 世間から恐れられ、遠ざけられ、ただ一人、この城で生きてきたのだと知った。
 だから、彼は、誰にも必要とされない私の気持ちを、誰よりも理解してくれたのだ。

 私は、イザーク様のそばにいるのが、心の底から嬉しかった。
 私は、彼に何かしてあげられることはないだろうか、と考えた。
 彼が疲れているときは、温かいハーブティーを入れてあげた。
 彼が読書に夢中になっているときは、静かに彼の隣に座って、見守ってあげた。
 すると、イザーク様は、嬉しそうに微笑んでくれた。

「君がいると、この城が明るくなるようだ」

 その言葉が、私の心を温かく満たしてくれた。
 私は、もう地味な私ではない。
 イザーク様に、必要とされている私。
 愛されている私。
 私は、この城で、自分を磨き、尊厳を取り戻した。
 そして、イザーク様への、淡い恋心を、心の中に育み始めていた。

 そんなある日のこと。
 イザーク様が、静かに私に言った。

「もう、そろそろいい頃だろう」

「何が、ですか?」

 私の問いに、彼は微笑んで答えた。

「君の元婚約者が、君を探しているようだ。そして、君の家族も……」

 その言葉に、私の心臓がドキリと跳ねた。
 エルド様。
 もう、あの頃の私ではない。
 私は、もう二度と、彼に会うことはないと思っていた。
 だけど、もう、私は怖くない。
 私は、イザーク様という、誰にも負けない光を、そばに持っているのだから。
 私は、イザーク様の手を握り、決意の目で彼を見つめた。

「私、もう、大丈夫です。会ってみます」

 彼は私の手を優しく握り返してくれた。

「君が望むなら、私はいつでも、君のそばにいる」

 私は、もう泣かない。
 もう、怯えない。
 私は、あの頃の地味な私ではない。
 新しい、強く、美しい私として、彼らの前に立つ。
 そう決意したとき、私の心は、澄んだ空のように晴れ渡っていた。
 これから起こる、すべてのできごとに、私はもう、臆病にならなかった。
 なぜなら、私の隣には、誰よりも強い、イザーク様がいるのだから。
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