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私はリリアーナ。学院の広間は今日はいつもより華やかで、絨毯も灯りも手の込んだ飾りでいっぱいだった。胸がきゅうと痛んで、足元がふらつく。
母がそばで小さく息を吐いた。彼女の手を握ると、冷たさが伝わる。
「リリアーナ、行くわよ。笑われないでね」
私はうなずいて、一歩ずつ広間へ進んだ。みんなの視線が私に刺さる。まるで小さな棘の雨が降るみたいだ。
中央には光る石があって、それに触れると魔力の適性が示される。みんな順番に立って、結果を見ては笑ったり驚いたりしている。
ルドルフは先に石の前に立ち、誇らしげに微笑んでいた。私の婚約者だ。隣にはあの人の取り巻きがざわついている。
「次はリリアーナの番だ」
教師の声が広がる。私の心臓がばくばくして、手のひらが汗で滑る。息を整え、石に手を当てた。冷たくて、でもどこか温かい記憶を呼ぶような感触だった。
石の表面に文字が浮かび、結果が現れる。私は数字を見て、体の力が抜けた。
「最低等級」
周りの空気が一瞬で変わった。ざわざわと笑い声が起き、誰かが鼻で笑った。私の胸が裂けそうで、声が出ない。
「やっぱりね。期待はしてなかったけど」
誰かの低く冷たい声が聞こえる。アイリーンの声だ。彼女は白いドレスでゆっくりと近づいてきた。
ルドルフの表情が変わる。まるで氷が溶けるように、冷たい影が差した。
「これ以上、私の側にいる価値はない」
その声は刃物だった。耳の奥で何かが割れるような音がした。
「婚約を解消する」
広間が静まり返った。母の手が私の指にすがる。恥と痛みが同時に押し寄せる。父の顔がふと浮かんだ。彼はどこか遠い土地で、この目を見て微笑んでくれた。
でも今、ここにいるのは私だけだった。温かいはずの場所が、鋭い石のように冷たかった。
アイリーンがにこりと笑い、柔らかく言った。
「ルドルフ、いい選択ね。彼女では私の隣を務められないわ」
その言葉を聞いた瞬間、私の中の何かが崩れ落ちた。目の前がすべてぐらついて、足がよろめく。誰も手を差し伸べない。教師も貴族も、冷たい目で私を眺めるだけだ。
母が立ち上がって抗議しようとしたが、すぐに教師に静かに押し戻された。誰の顔にも同情の色はなく、ただ秩序だけが残っていた。
夜になり、私は屋敷を追い出された。指輪も、家の印章も取り上げられる。これまで当たり前にあった名前すら、取り消されたような気がした。
雨が降り始め、冷たい雫が頬を伝った。濡れた髪が顔に張りつき、ドレスは重くなった。母が小さく泣いていたのを見たが、私は振り返らなかった。
「どうして私ばかりが…」
誰にも答えはない。ただ、古い魔導書をぎゅっと抱きしめた。ページの角は擦り切れていて、父の字がまだところどころに残っている。本は私の大事なものだった。父が教えてくれた詩や簡単な魔法の走り書きが、私には宝物だった。
道は暗く、足跡は雨に消されていく。灯りのない道をひとり歩くと、世界が自分に背を向けているように思えた。
「あの子は弱い」
誰かが言った。私は顔を上げて見たが、背中を向けた人々はすぐに視線をそらした。ただの噂話で終わるはずなのに、あの言葉は鎖のように私を縛り付けた。
私は本を抱きしめて、路地に身を潜めるように腰を下ろした。ページをめくる指先はふるえていた。父の走り書きには、小さな丸の印とだけ書かれた魔法があった。私はその印を何度もなぞって、形を覚えていた。
「これが私の全部なの?」
つぶやくと、雨が答えるように頭上から音を立てた。驟雨が私を包み、世界を洗い流すようだった。けれど、洗い流されてほしいのは私の恥ではなく、私をそうした人たちの心の冷たさだと思った。
歩き続けるうちに、私は町外れへとたどりついた。風景は知らないものになり、古い遺跡がぼんやりと姿を現した。門は半分崩れていて、まるで誰かが忘れていった宝の箱のふたのように開いていた。
遺跡の中は静かで、雨音も遠くなる。花の匂いもなく、ただ石と苔と湿った土のにおいだけがした。けれど、その静けさがかえって恐ろしくなかったのは、私が誰にも見られないからだろうか。
中心にあった魔法陣の光は、波紋のようにゆっくり広がっていた。光の色が変わり、暖かい青緑が私をじっと見つめるように蠢いた。指を触れたとき、私は昔父が手を取って教えてくれたあの不思議な感覚を思い出した。
「何が…起きるの?」
声が小さく震える。光がゆっくり強くなり、石の模様がぼうっと輝き始めた。目の前の空気がねっとりと曲がって、何かが立ち上がる気配がした。
影が伸び、形を取り始める。最初は霧のようだったものが、人の姿になり、その顔は静かで優しかった。目は深くて、時間の流れを知っているようだった。
彼は私を見て、穏やかに笑った。声は思ったより澄んでいて、耳に心地よく響いた。
「やっと見つけた。私の番よ」
その言葉は奇妙に温かく、同時に重かった。胸の奥がきゅうっとなって、体の力が抜けた。恐怖もあったが、不思議と安心する気持ちも混じっていた。私はその場にへたりこみ、魔導書を抱いたまま目を閉じた。
世界はその瞬間、ゆっくりと暗くなっていった。意識が遠くなるように、私は深い眠りに落ちていった。
追い出された夜、私の足は冷たい石畳を叩いた。通りの影が長く伸び、誰も私に手を差し伸べない。人通りはまばらで、家の窓からは温かな灯りが漏れているのに、そこへ入ることは許されないような気がした。
心の中で何度も父の声が再生される。彼は小さな声で私に言ったことがある。『魔力は急がず磨け』と。だけど、あの場では私の魔力がどうだろうと、笑い者にされるだけだった。
「お前が…私を呼んだのか」
その声は先ほどの『番よ』とは違って、もっと古くて深い響きだった。彼の言葉はまるで幾重にも重なった時間から来ているようで、私の胸に直接触れてくる。
彼はゆっくりと近づいてきた。目が合ったとき、私は言葉を忘れた。彼の瞳は澄んでいて、まるで深い湖を覗いているみたいだった。恐ろしさよりも、何か大きなものに包まれているような感覚の方が強かった。
「君は小さな火だ。誰かがその火を小さくしただけだ。私はそれを消さない。むしろ、燃え上がらせよう」
その言葉の一つ一つが私の胸に浸み込んだ。知らない暖かさに、私は自分でも驚くほど安堵を感じた。今まで誰かに大切にされることを期待していなかったから、驚きが大きい。
しかし次の瞬間、頭がふらつき、目の前が白く滲んだ。彼の手の気配だけが残り、温かさと震えが混ざって伝わってきた。私は本を胸に抱え、ゆっくりと膝をついた。
「眠るがいい、リリアーナ。君の未来は私と共にある」
その声は囁きになり、私の意識は彼の言葉に絡め取られるように遠のいた。最後に見たのは、彼の穏やかな顔と、魔導書のページがかすかに光る様子だった。
私は深い眠りに落ちていった。心の中には、どうしようもない悲しさと、不思議な期待が同居していた。
暗闇のふちで、彼はもう一度言葉をくれた。声が優しく、厳しさも同じだけ含まれていた。
「君を嘲る者は多い。だが彼らは真実を知らない。君の力は量ではない。存在の深さだ」
私はその言葉を胸に引き寄せるようにして、目をぎゅっと閉じた。涙が一筋、頬を伝ったが、それが何かを洗い流す気がした。
「お願い、何でもいい。教えて、私にできることを」
私の声は震えて、小さな祈りのように空に消えた。彼は微笑んで、ゆっくりと手を差し出した。手のひらは大きく、温かい。そしてそこには、どこか古い記憶が眠っているようだった。
「恐れるな。私は君を守る。だが覚えておけ、守るということは時に厳しい選択を意味する」
彼の言葉を聞いた瞬間、私は小さくうなずいた。心の中で、静かな決意が芽生えたようだった。もう二度と、あの広間でただ笑われる人間にはならない。
それから世界はやわらかく溶けるように消えていった。雨の匂い、石の冷たさ、本の紙のざらつき。すべてが遠くなり、最後に彼の声が残った。
「よく眠れ、リリアーナ。新しい朝が来る」
私はその声を抱えて、ゆっくりと眠りに落ちた。意識の端で、母の小さな手がまだ私の手首を離さなかった記憶が揺れる。父の飾らない笑顔があった。弱いままでは終わらない、という小さな希望が胸に灯った。
暗い夢の中で、私は自分が小さな火だと想像した。風に吹かれ、消えかけても、誰かがそっと息を吹きかけて火を守る。そう思うと、不思議と怖さが薄れた。
最後に、私の唇から小さな声が漏れた。
「ありがとう」
そして、夢の中で私は小さく誓った。いつか必ず、あの広間で嘲笑した者たちの顔を前にして、胸を張って笑う日が来ると。目覚めたら、違う私でいると。静かにそう決めて、私は深い眠りに沈んでいった。
痛みも悲しみも、力に変えていくと。小さな火はいつか大きな炎になると、私は信じていた。
その夜、私はもう一度だけ目を閉じた。希望を抱いて。
静かに息を整え、眠りについた。そして朝。
母がそばで小さく息を吐いた。彼女の手を握ると、冷たさが伝わる。
「リリアーナ、行くわよ。笑われないでね」
私はうなずいて、一歩ずつ広間へ進んだ。みんなの視線が私に刺さる。まるで小さな棘の雨が降るみたいだ。
中央には光る石があって、それに触れると魔力の適性が示される。みんな順番に立って、結果を見ては笑ったり驚いたりしている。
ルドルフは先に石の前に立ち、誇らしげに微笑んでいた。私の婚約者だ。隣にはあの人の取り巻きがざわついている。
「次はリリアーナの番だ」
教師の声が広がる。私の心臓がばくばくして、手のひらが汗で滑る。息を整え、石に手を当てた。冷たくて、でもどこか温かい記憶を呼ぶような感触だった。
石の表面に文字が浮かび、結果が現れる。私は数字を見て、体の力が抜けた。
「最低等級」
周りの空気が一瞬で変わった。ざわざわと笑い声が起き、誰かが鼻で笑った。私の胸が裂けそうで、声が出ない。
「やっぱりね。期待はしてなかったけど」
誰かの低く冷たい声が聞こえる。アイリーンの声だ。彼女は白いドレスでゆっくりと近づいてきた。
ルドルフの表情が変わる。まるで氷が溶けるように、冷たい影が差した。
「これ以上、私の側にいる価値はない」
その声は刃物だった。耳の奥で何かが割れるような音がした。
「婚約を解消する」
広間が静まり返った。母の手が私の指にすがる。恥と痛みが同時に押し寄せる。父の顔がふと浮かんだ。彼はどこか遠い土地で、この目を見て微笑んでくれた。
でも今、ここにいるのは私だけだった。温かいはずの場所が、鋭い石のように冷たかった。
アイリーンがにこりと笑い、柔らかく言った。
「ルドルフ、いい選択ね。彼女では私の隣を務められないわ」
その言葉を聞いた瞬間、私の中の何かが崩れ落ちた。目の前がすべてぐらついて、足がよろめく。誰も手を差し伸べない。教師も貴族も、冷たい目で私を眺めるだけだ。
母が立ち上がって抗議しようとしたが、すぐに教師に静かに押し戻された。誰の顔にも同情の色はなく、ただ秩序だけが残っていた。
夜になり、私は屋敷を追い出された。指輪も、家の印章も取り上げられる。これまで当たり前にあった名前すら、取り消されたような気がした。
雨が降り始め、冷たい雫が頬を伝った。濡れた髪が顔に張りつき、ドレスは重くなった。母が小さく泣いていたのを見たが、私は振り返らなかった。
「どうして私ばかりが…」
誰にも答えはない。ただ、古い魔導書をぎゅっと抱きしめた。ページの角は擦り切れていて、父の字がまだところどころに残っている。本は私の大事なものだった。父が教えてくれた詩や簡単な魔法の走り書きが、私には宝物だった。
道は暗く、足跡は雨に消されていく。灯りのない道をひとり歩くと、世界が自分に背を向けているように思えた。
「あの子は弱い」
誰かが言った。私は顔を上げて見たが、背中を向けた人々はすぐに視線をそらした。ただの噂話で終わるはずなのに、あの言葉は鎖のように私を縛り付けた。
私は本を抱きしめて、路地に身を潜めるように腰を下ろした。ページをめくる指先はふるえていた。父の走り書きには、小さな丸の印とだけ書かれた魔法があった。私はその印を何度もなぞって、形を覚えていた。
「これが私の全部なの?」
つぶやくと、雨が答えるように頭上から音を立てた。驟雨が私を包み、世界を洗い流すようだった。けれど、洗い流されてほしいのは私の恥ではなく、私をそうした人たちの心の冷たさだと思った。
歩き続けるうちに、私は町外れへとたどりついた。風景は知らないものになり、古い遺跡がぼんやりと姿を現した。門は半分崩れていて、まるで誰かが忘れていった宝の箱のふたのように開いていた。
遺跡の中は静かで、雨音も遠くなる。花の匂いもなく、ただ石と苔と湿った土のにおいだけがした。けれど、その静けさがかえって恐ろしくなかったのは、私が誰にも見られないからだろうか。
中心にあった魔法陣の光は、波紋のようにゆっくり広がっていた。光の色が変わり、暖かい青緑が私をじっと見つめるように蠢いた。指を触れたとき、私は昔父が手を取って教えてくれたあの不思議な感覚を思い出した。
「何が…起きるの?」
声が小さく震える。光がゆっくり強くなり、石の模様がぼうっと輝き始めた。目の前の空気がねっとりと曲がって、何かが立ち上がる気配がした。
影が伸び、形を取り始める。最初は霧のようだったものが、人の姿になり、その顔は静かで優しかった。目は深くて、時間の流れを知っているようだった。
彼は私を見て、穏やかに笑った。声は思ったより澄んでいて、耳に心地よく響いた。
「やっと見つけた。私の番よ」
その言葉は奇妙に温かく、同時に重かった。胸の奥がきゅうっとなって、体の力が抜けた。恐怖もあったが、不思議と安心する気持ちも混じっていた。私はその場にへたりこみ、魔導書を抱いたまま目を閉じた。
世界はその瞬間、ゆっくりと暗くなっていった。意識が遠くなるように、私は深い眠りに落ちていった。
追い出された夜、私の足は冷たい石畳を叩いた。通りの影が長く伸び、誰も私に手を差し伸べない。人通りはまばらで、家の窓からは温かな灯りが漏れているのに、そこへ入ることは許されないような気がした。
心の中で何度も父の声が再生される。彼は小さな声で私に言ったことがある。『魔力は急がず磨け』と。だけど、あの場では私の魔力がどうだろうと、笑い者にされるだけだった。
「お前が…私を呼んだのか」
その声は先ほどの『番よ』とは違って、もっと古くて深い響きだった。彼の言葉はまるで幾重にも重なった時間から来ているようで、私の胸に直接触れてくる。
彼はゆっくりと近づいてきた。目が合ったとき、私は言葉を忘れた。彼の瞳は澄んでいて、まるで深い湖を覗いているみたいだった。恐ろしさよりも、何か大きなものに包まれているような感覚の方が強かった。
「君は小さな火だ。誰かがその火を小さくしただけだ。私はそれを消さない。むしろ、燃え上がらせよう」
その言葉の一つ一つが私の胸に浸み込んだ。知らない暖かさに、私は自分でも驚くほど安堵を感じた。今まで誰かに大切にされることを期待していなかったから、驚きが大きい。
しかし次の瞬間、頭がふらつき、目の前が白く滲んだ。彼の手の気配だけが残り、温かさと震えが混ざって伝わってきた。私は本を胸に抱え、ゆっくりと膝をついた。
「眠るがいい、リリアーナ。君の未来は私と共にある」
その声は囁きになり、私の意識は彼の言葉に絡め取られるように遠のいた。最後に見たのは、彼の穏やかな顔と、魔導書のページがかすかに光る様子だった。
私は深い眠りに落ちていった。心の中には、どうしようもない悲しさと、不思議な期待が同居していた。
暗闇のふちで、彼はもう一度言葉をくれた。声が優しく、厳しさも同じだけ含まれていた。
「君を嘲る者は多い。だが彼らは真実を知らない。君の力は量ではない。存在の深さだ」
私はその言葉を胸に引き寄せるようにして、目をぎゅっと閉じた。涙が一筋、頬を伝ったが、それが何かを洗い流す気がした。
「お願い、何でもいい。教えて、私にできることを」
私の声は震えて、小さな祈りのように空に消えた。彼は微笑んで、ゆっくりと手を差し出した。手のひらは大きく、温かい。そしてそこには、どこか古い記憶が眠っているようだった。
「恐れるな。私は君を守る。だが覚えておけ、守るということは時に厳しい選択を意味する」
彼の言葉を聞いた瞬間、私は小さくうなずいた。心の中で、静かな決意が芽生えたようだった。もう二度と、あの広間でただ笑われる人間にはならない。
それから世界はやわらかく溶けるように消えていった。雨の匂い、石の冷たさ、本の紙のざらつき。すべてが遠くなり、最後に彼の声が残った。
「よく眠れ、リリアーナ。新しい朝が来る」
私はその声を抱えて、ゆっくりと眠りに落ちた。意識の端で、母の小さな手がまだ私の手首を離さなかった記憶が揺れる。父の飾らない笑顔があった。弱いままでは終わらない、という小さな希望が胸に灯った。
暗い夢の中で、私は自分が小さな火だと想像した。風に吹かれ、消えかけても、誰かがそっと息を吹きかけて火を守る。そう思うと、不思議と怖さが薄れた。
最後に、私の唇から小さな声が漏れた。
「ありがとう」
そして、夢の中で私は小さく誓った。いつか必ず、あの広間で嘲笑した者たちの顔を前にして、胸を張って笑う日が来ると。目覚めたら、違う私でいると。静かにそう決めて、私は深い眠りに沈んでいった。
痛みも悲しみも、力に変えていくと。小さな火はいつか大きな炎になると、私は信じていた。
その夜、私はもう一度だけ目を閉じた。希望を抱いて。
静かに息を整え、眠りについた。そして朝。
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