追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?

タマ マコト

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第12話「カミラの決起」

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 昼の脈が鳴る少し前、広場の風はよく乾いていた。昨日まで湿りを含んでいた灰の匂いは薄れ、板壁に打ちつけられた白布は、陽を吸ってやわらかい牛乳色に膨らんでいる。掲示板の前——“見える場所”のど真ん中に、カミラは立った。侍女の制服は洗われてまだ硬い。襟元だけが、汗と息でやわらいでいる。

 彼女は紙束を胸に抱き、青い透明化術式の輪の中に足を入れた。輪は“歌の高さ”をそろえる道具だ。誰の声でも同じ高さで届く。背丈の差は、制度の差に似ているから、最初から平らにする。

「——読み上げます」

 カミラの声は、紅茶で温めた喉の色をしていた。高すぎず、低すぎず、疲れた広場にちょうど届く温度。彼女は一枚目の紙を開き、息を一度だけ整える。

「“新しい規範”。一、身分でなく、貢献で評価します。——“貢献”は、列を守る、当番を果たす、壊すより先に直す、人を殴らず眠らせる、から始まります」

 青い輪がふわりと光り、言葉が透明の文字になって空中に浮いた。字の横に、絵。列の絵、井戸の絵、便所の絵、青い灯の絵。字が読めない背中にも、絵は読める。

「二、役割は籤で巡らせます。組合長も市場の見張りも、任期は一週間。延長はなし。籤箱は透明です」

 ざわめきが、肯定の方向へ傾く。笑いが少し混ざる。籤は運を“公平”という名でならしてくれる。運の悪さを誰かのせいにしない練習になる。

「三、供出は“理由のある徴発”。理由は“街の存続”。隠した場合は三倍返し。——四、“内部告発の保護”。名は隠し、声は守る。開封は評議会五役を揃えて」

 カミラは紙をめくる指を止めず、次の行へ滑らせる。呼吸は正確。侍女として王妃の化粧箱を持っていた手が、今は街の言葉を支えている。細い手は、重い言葉を運ぶのが上手だ。

「五、“弱者保護は最初”。孤児、寡婦、怪我、障害——“余裕ができたら”ではありません。“最初”に置きます」

 その瞬間、広場の隅で誰かが短く拍手した。拍は一つで止まり、すぐ列のリズムに溶けた。拍手は街を壊す。けれど、正しい拍の少数は、脈拍に似て街を落ち着かせる。私は布の陰で頷き、壁に背を預けた。監査術式は脇で流れている。第七の唸りはわずかに高く、朝よりも機嫌がいい。

「六、価格上限。原価“+三割”。暴利、“禁”。違反は罰金ではなく“退場”。——金は力です。力に罰は効きません。場所から外します」

 青い腕章が二つ、群衆の海面を泳ぐ。ヨエルが合図し、治安維持隊の少女が背の高い男の肩を軽く叩いて列に戻す。殴らない。眠らせない。影だけ置く。影の置き方は、よく練習されている。

 カミラは最後の紙を持ち上げる。声が、ほんの少しだけ強くなる。

「七、“王家の名は掲げません”。“正統”より“脈”。“顔”より“仕組み”。これを、私たちは——」

「——侍女風情が、何を」

 裂け目は突然だった。声は、糸に油を塗ったみたいにぬめっている。白布の下から、黒布で紋章を隠した男が出てきた。昨日天幕で「復古」を唱えた残党の一人。彼は帽子を脱がない。脱がない頭が、言葉を汚す。

「女の口は台所で動かせ。規範だと? 貢献だと? お前が持ってる紙束は、王妃の鼻紙にもなりはしない」

 空気が冷たくなる。言葉は刃だ。空気の皮膚を切りつける。カミラの手が、はっきりと震えた。震えは恥ではない。恥を知っている手は、器用だ。彼女は震えたまま紙を落とさず、口を開いた。

「——“私の口は、街のために動かします”。台所も、街の一部です。あなたが“王妃の鼻紙”と言ったこの紙で、子どもたちは順番を覚え、パンを得て、眠りを得ます」

「生意気な」

 男の指が、彼女の肩の紐をつかもうと伸びた。紐は、侍女の命綱。王妃の頃からの癖で、外から触られると心臓が短く跳ねる。跳ねた心臓に、別の手が重なった。

 ——私の手だ。

 私は人混みの音を一枚めくり、間に滑り込み、男の手首をとる。とる前に、空気の角を落とす。怒りの刃はすでに磨かれている。刃を振るわずに、刃の冷たさだけを男の神経に伝える。麻痺符は使わない。使いすぎると眠りの価値が廉くなる。

「触れたら、指を一本ずつ説得することになるわ」

 男の目が私に焦点を合わせる。焦点の奥で、侮辱と恐怖が混ざる。混ざった顔は、鉄と錆の匂いがする。私は手首から肘へ、肘から肩へと己の気配を滑らせ、彼の身体に“今は闘う価値がない”という名の重りを乗せた。膝が沈む。空気が柔らかく凹む。ヨエルの笛は鳴らない。鳴らす必要がない。男は座り、うつむき、影が濃くなる。

「暴力は終わり。——読み上げ、続けて」

 カミラの喉が上下する。上下の中に、覚悟と恐怖が交互に差し込まれる。私は彼女の背に、見えない手紙を一枚貼った。“あなたは街の声”。貼っただけ。背中には触らない。彼女は紙を上げ、最後の行を読む。

「“七、王家の名は掲げません。私たちは、顔ではなく仕組みを選びます”」

 青い輪が強く光り、言葉が広場の端で一度跳ね返り、やわらかく沈む。拍手は起きない。代わりに、足音が“列”の音を取り戻す。鍋の蓋が二度鳴り、子どもが“次の先頭”の位置を思い出す。規範は、拍手ではなく、足で覚えるものだ。

 私は男の肩から気配をはずし、群衆の縁へ退いた。心は——温度を取り戻さない。寒い。寒いのは嫌いじゃない。だが今の冷たさは、刃を水で締める冷たさだ。

 刃を出さずに、研ぐ。

 私は術式の裏側へ指を差し入れた。“静かな毒”——中枢の深部に埋めた“自己崩壊の種”。昨夜から目を細め、今朝の議場で寝返りを打ち、今はまた浅い眠りを装っている。装いは器用だ。器用な嘘ほど、よく効く。

 条件はひとつ満たされた。“旧王権の復活宣言”。——なら、刃の角度を半度だけ鋭くする。腐蝕の速度を“わずかに”。井戸の水に混じる金属味が、誰も気づかない程度に一粒増える。青い灯の腹が、夜ごとほんの少しだけ早く落ちる。配管の第七が、四日で半音“より”下がる。人は、気づかない。気づくべき人だけが、耳の骨で気づく。

 男の仲間が怒鳴ろうとして、ヨエルの影にぶつかって飲み込んだ。影の置き方が丁寧だ。殴らない。眠らせない。影だけを足元に置く。影は沼だ。足が冷え、膝が折れる。

「カミラ、続けろ!」と誰かが言った。見上げると、バスクが杖で地面を一度、二度と叩く。拍は今度、歌に合っている。老魔導士の瞳から、薄い保身の霧が退き始めていた。彼は自分の臭いを嗅いでいる人間の顔だ。恥を自分で嗅げる者は、戻れる。

 カミラは読み上げを終えると、紙束を胸に抱き締めた。胸の前で紙の角が彼女の心臓に冷たく触れ、その冷たさで震えが落ち着く。彼女は深呼吸し、群衆へ言った。

「——『列』と『脈』で、私たちは今日を運びます。皆さん、どうか手を貸してください。私の手は小さいから」

 笑いが、やわらかく起きた。小さい手は、でかい仕事に似合う。私は頷き、監査のレイヤーをめくる。中枢の奥——種の殻の表面で、金属の霜が薄く広がる。半度、鋭くした刃は、光を吸わずに影だけつくる。影は長生きだ。長生きする影は、街の視力を試す。

「セレス」

 背後から、アシェルの声。近すぎる距離。焼き場の粉の匂いと、鉄の甘い匂いが同時にした。私は振り返る。彼は私の横顔を見る。見つめる。監査する人間を、監査する人間の目。

「それでも救いたいのは、誰だ」

 問は鋼だ。柔らかい言葉に見えて、芯が通っている。私は答えない。口が、動かない。動かせば、鎖が切れる。切れた鎖は、怒りを放つ。今は、刃だけ研ぐ。切らない。持たない者の首に当てない。人混みの音が波のように押し、引く。私は彼の方を見ず、広場の端に視線を滑らせる。

 ——救いたいのは、私の怒りを知らない顔か。私の怒りに似た顔か。昨日、紙の魚を泳がせていた子か。今朝、王の名を唱えた声の裏に隠れていた小さな喉か。答えは、どれも刃に触れる。触れれば、刃は鈍る。鈍らせた刃で、正確に糸を切ることはできない。

「……」

 沈黙は、逃げではない。黙ることでしか、守れない温度がある。アシェルは短く息を吐く。吐く音が、私の骨の内側で一度だけ反響し、すぐ消える。彼は腕を組み、群衆のほうを向く。

「俺は、お前の毒を嗅ぐ。嗅いだうえで、パンを焼く。パンは、毒と一緒に食えない。だから、毒の皿は別にしてくれ」

「……皿は、別」

 やっと、そこだけを言う。言葉は少量。少量で足りる。足りなくても、増やさない。増やすと、刃が笑う。刃が笑うと、誰かが血の匂いに気づく。

 広場の真ん中、男がゆっくり立った。麻痺ではない。影の底から、自分で立った。目は濁り、しかし焦点は戻っている。ヨエルが一歩寄る。笛は鳴らさない。男は唇を開き、乾いた声で言った。

「……列に、入る」

 カミラが頷く。頷きは許しではない。順番の確認だ。彼女は紙を下ろし、掲示板の新しい欄に“規範・決定”の印を押す。青い輪がその印を街中に薄く響かせる。音は鐘ではない。脈だ。人の心臓の真似は、街の炎を落ち着かせる。

 私は術式の深部から指を抜き、空気を一口吸った。空気は冷たく、舌の奥に鉄の味がほんの少し残る。半度分、鋭くした刃の香り。私は骨の弁を一つ閉じ、怒りの流量を“冷却”に回す。刃は熱で曲がる。曲がった刃は、まっすぐ切れない。

「読み上げ、終わりです」カミラが宣言する。声は擦れていない。彼女の喉に、私の怒りは入っていない。良い。怒りは私の仕事道具。人に貸すには、まだ粗い。

 評議会の天幕のほうから、バスクの低い声が聞こえた。「“復古派の陳情、受理せず”。掲示済み」杖の音が一度、広場の脈に合う。彼は自分の保身の匂いを肩で払い、代わりに街の匂いを吸い込む。老いの肺は深く、吸った匂いをゆっくり血に混ぜる。混ざる速度は、若い者より遅い。遅さは、長持ちする。

 アシェルが肩を寄せる。焼き場へ戻る前の、短い側音。「俺は、問いを置いたまま行く」

「拾っておく」

「焦げやすいからな」

「うん」

 彼は去る。私は彼の背中に、見えない印を一つ描く。“火の温度、安定”。印は彼の知らないところで働き、彼のパンは今夜も“まあよし”に焼ける。まあよしは、街の正義の最低ライン。最低ラインが守られていれば、毒は急には効かない。

 夕の脈が近づく。青い灯の脚がまた伸び、子どもたちの指がその胴を撫でる。撫でる指に、未来の器用が宿る。私は広場の隅で、ひび割れたランタンの位置を地図に記し、配管の歌の調子を一段階下げる。祝い疲れの街に、少し深い呼吸を。深呼吸の間に、刃はさらに薄い膜で覆う。覆えば、光は消える。光が消えれば、刃は冷える。冷えた刃だけが、正確に糸を断てる。

 ——それでも救いたいのは誰だ。

 問いは、骨に残る。骨が答えるまで、私は答えない。骨の返事は遅い。その遅さが、私の復讐を、今夜もう少しだけ、遅くしてくれる。遅い復讐は、街を守る。街を守る間に、規範は足の裏で覚えられる。覚えられた規範は、私がいなくても立つ。

 カミラは紙束を抱えて私のもとへ来た。目の下に涙ではなく、薄い汗の光。「——震えました」

「震えるほうが、まっすぐ立てる」

「はい」

「よくやったわ、現場統括」

 彼女は笑い、短く頭を下げ、走り去る。背中は細いが、線は強い。強い線は、街の骨になる。私はその線の先、青い灯の群れの中に、自分の瞳の空洞をそっと映してみる。空洞はまだ空洞だ。だが、縁のどこかに、ごく細い亀裂が入っているのを感じた。ひび割れは、悪いことばかりではない。ひびから水がしみこみ、骨は少し、重くなる。重さは、倒れにくさに変わる。

 夕風が、紙の端を鳴らす。規範の文字が、街の上を静かに渡っていく。渡り終えるまで、私は監視を続ける。刃を磨き、火を冷まし、弁を開け閉めする。答えないまま、しかし聞き続ける。問いに、街が答える日を待つ。私の代わりに。私のいないところで。青い灯がひとつ、またひとつ、脈の合図に合わせて膝を折る。街は眠る準備を始めた。私は空を見上げ、骨の内側で、怒りに薄い布をかけた。明日の朝、その布をきちんと畳むために。
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