追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?

タマ マコト

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第19話「青の祝祭、ふたたび」

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 朝と夕の境目をなだめる風が、街路の粉塵をやさしく撫でていく。広場の白布は縁を縫い直され、角は丸く落とされ、“座る石”が一定間隔で点在していた。青いランタンは低い脚に乗り、芯は細くも均一に息をする。煮沸の井戸は鏡に戻り、配管の第五はやわらかい旋律で街の骨を揺らす。屋台からは蜂蜜湯の湯気、焼きたてパンの甘い焦げ、鉄と油の薄い金属臭。音も匂いも温度も、今日は祝うために整っている。

 布の陰で、アシェルが私を見る。粉を含んだ指、温度を測り続けた手のひら、短く笑う口元。 「壇、出るか?」 「出る」 「短く、具体的に」 「もちろん」

 私は一段だけ深く息を吸い、登壇した。板は新しく、音の跳ね返りは抑えられている。これなら“壇は音が悪い”の言い訳は要らない。広場の視線が、波紋のように中央へ寄ってくる。誰かが私の名を呼ぶ。呼び方は、憧れよりも合図に近い。いい傾向だ。

「——話は、短いし、具体的です」

 それだけで、広場の肩が少し下がる。私は手摺に触れず、言葉を置く場所を見極めた。

「ひとつ。“耳と目”の当番、今日から増やします。井戸は三日目ごと、配圧は朝昼夜。耳は誰にでも貸せる臓器です。掲示板の欄に名前を。——“聞く人を分散”」

「ふたつ。“座る石”を十増やしました。灯は二つ、間に紙。眠れない人は石に座って、呼吸の列に入ってください。——“眠りの優先”」

「みっつ。“無償枠”は手伝い三回で一枠。歌も手伝い。笑いも手伝い。返すときは“次の先頭へ”。——“返せる単位を増やす”」

「よっつ。“危険魔法教範”を配ります。“止め方”“抜き方”“退き方”“報告”“補償”。拍手は白紙。——“拍手は自分で決める”」

 私は最後に、ただ一行を置いた。

「誰かの上に立つより、隣に立つ街を。」

 拍手が起きかけ、私は掌を下ろして制した。代わりに、足音が揃う。立っていた人が“座る石”へ腰を下ろし、隣の肩と呼吸の高さを合わせる。音が低く広がり、“まあよし”の拍に落ちる。壇上で短く頭を下げ、私は降壇した。

 名が呼ばれる。私はそのたびに顔で応えず、手で応える。一人ひとりの掌を握る。紙を数え過ぎた硬い手、油で滑る手、火傷の薄皮が戻りかけの手、震えの残る手。皮膚の下に今日の暮らしが流れているのがわかる。握手は契約じゃない。——“今ここにいる”の確認だ。

「セレス様、“座る石”の高さが膝にちょうど良かったよ」 「次は子ども用の低いやつ、増やすね」

「義手、すごい。スプーンを落とさない」 「落としてもいい。拾えるから」

「“最初に置く”を覚えました」 「覚えたら、次は“分ける”へ」

 連呼される名は、すぐ役割の言葉へ溶ける。「耳を貸して」「影を置いて」「列を見て」。名で街は立たない。役割で立つ。私はなるべく短い言葉で、役目を返した。

 壇の前、黒布の上に一冊の厚い冊子が置かれる。ミレイユだ。短く結んだ髪に灰の名残、指の腹には細かい傷。彼女は息を整え、本を掲げた。

「新設、“危険魔法教範”。初版。鉛筆で書いてあります。失敗は墨で、成功は鉛筆で」

 ページがめくられる音が、灯の呼吸と重なる。

「第一章“止め方”。光を弱める時、褒める言葉は禁。代わりに“休む”の合図。灯を一つ足して、間に紙」

「第二章“抜き方”。縄を使い、人だけを抜く練習。青い矢印。弓とナイフは禁止」

「第三章“退き方”。拍手が迫ったら一歩下がる。壇は音が悪い。裏で息を合わせる」

「第四章“報告”。成功は鉛筆。失敗は墨。墨は消さない。見える所に貼る」

「第五章“補償”。壊したものは数える。返せない時は時間を、時間も無理なら歌を返す」

 笑いが起き、笑いはすぐ足拍に変わる。舞台ではアシェルが義肢講習の合間に合図を出し、子どもたちが足の裏で床を柔らかく鳴らす。手拍子ではない。足拍。床は怒りを増幅せず、息を運ぶだけにする。

 ヨエルは腕章を緩め、影の置き方を子どもに教える。影は座布団。殴らず、眠らせず、座らせる。カミラは「恥のない助け方、こちら」と板を掲げ、蜂蜜湯と薄いスープの列を交互に流す。バスクは耳の塾を広げ、「今日の言葉の温度は“ぬるめ”」と砂時計を置いた。ぬるめは、街が歌える温度。

 午後、“教範”のお披露目の締めとして、子どもたちの“撤収の練習”が始まる。青いランタンを紙の袋に入れ、紐を短く結ぶ。ミレイユが膝を折って目線を合わせる。 「上げて、見て、やめる。——いい?」 「いい!」

「三、二、一」

 青い灯が、ゆっくりと空へ昇る。紙の薄い膜の中で炎が細く揺れ、夜の手前で点になる。点が線になり、線が消える“前”。ミレイユが息を落とし、胸の前で両手を静かに下ろした。「やめる」——子どもたちは紐を離さない。離さないで、まぶたを閉じる。見ない、という“やめ方”。拍手は起きない。呼吸が揃い、広場の温度がひとつ下がる。落ちた温度が、長く持つ。

 私の肩を、そっと拳で小突く気配。「やっと、怒り以外の君を見た」  アシェルだ。炭火の芯みたいな目、粉の匂い、火に長く当たって柔らかくなった声。 「怒りも私。けど、今はそれでいい」 「“今は”な」 「明日また怒るなら、また布で包む」

「布、俺も縫っとく。針目は荒いけど強い」 「強すぎて、肌に跡がつく」 「跡は生きてる証拠」

 笑い合う音が、板の裏に柔らかく吸われる。私の内側では、冷凍庫の中で長く鳴っていた氷砂糖の擦れ合う音が完全に止み、代わりに、浅い水面のさざ波が骨の縁をぬらしている。怒りは水になり、布の上から刃を洗える。洗い方を私は忘れない。けれど、今日は刃を使わない。

 列の端から、年配の男が帽子を胸に当てて近づく。 「——握手を」  掌は固く、節は太い。彼は短く言う。「“上”ではなく“隣”に立ってくれて、助かった」 「“隣”は互いの仕事が見えるから」 「見えるのが、怖くなくなった」

 彼は去り、入れ替わりに少女が、義足をつけた足で一歩を刻む。 「ねえ見て、音が同じ! 右と左」 「いい音だ。明日は“座る石”で足拍の練習、しよう」

 掲示板の下では、バスクが帳簿に鉛筆で書き足す。 「“赦し帳——古城、無血。撤収成功。足拍、良好。笑い、適量”」 「“影、正確”も」ヨエルが指で示す。 「“恥、薄め”」カミラが笑う。 「“教範、配布。鉛筆、柔らかめ”」ミレイユが続ける。  私はその下に小さく書き添える。“——名は分配。役割は共有。拍手は各自判断”。それで十分だ。

 日が傾き、青いランタンが空の色に近づいていく。工房の舞台では、義肢の調整がひとまず終わり、長椅子に歌の譜面が並ぶ。「昼の歌」。参加費は笑い一回。椅子の下の鉄板が、足拍を拾って床へ返す。歌は上手くなくていい。呼吸が揃えば、それでいい。

 私は布の陰にいったん退き、水をひと口含む。金属の味はない。代わりに蜂蜜と火の、丸い甘み。弁を確認する。怒りの流量は低く、赦しの温度は手のひらで測れる程度に温い。設計者の骨格は、街の骨格に、あきらかに噛み合っている。今日の“まあよし”は、安易じゃない。丹念だ。

「セレス」 「うん」 「パン、半分こ」  アシェルが籠から半分に割ったパンを差し出す。私は受け取り、香りを吸い、今度は噛む。噛んで、飲み下す。苦味は薄く、芯に小麦と窯の記憶。食べる——これは“続ける”の合図だ。

 その時、子どもの声が飛んだ。 「おれ、“最後の先頭”やった!」  別の子が胸を張る。 「じゃあ、あしたは“最初の最後”やる!」  意味は半分だけ伝わる。けれど、順番を遊びに変える技術は、街の床を厚くする。革命より難しい、たぶん。

 やがて、青いランタンの最後のひとつが、ふっと背伸びして、細い息を吐いて消えた。拍手は起きない。静かに合わされた呼吸が夜の脈と重なり、配管の歌が“おやすみ”の旋律へ移る。私は壇の下で軽く片手を上げ、短く、ほんの短くだけ、祈らない。代わりに段取りをひとつ思い描く——“明朝、座る石を水拭き。昼、教範の二版。宵、義肢の貸し出し簿を整える”。祈りは道具じゃない。段取りは、道具だ。

 「やっと、怒り以外の君を見た」  アシェルがもう一度、同じ言葉を言う。さっきより近い声。私は頷き、視線だけで合図を返す。 「怒りも私。けど、今はそれでいい」 「今は、な」 「うん。いずれまた、怒りに頼る夜が来るなら……その夜も、隣にいて」 「いる。座る石を二つ、並べとく」

 広場の端で、バスクが砂時計を伏せる。「今日の温度、ぬるめで閉幕」。カミラが「“最初に置く”閉めの点呼」と声を飛ばし、ヨエルは腕章を外して子どもと座り、ミレイユは“白紙”のページをもう一枚、ゆっくり開く。

 空は深く、青い。祝祭の青とは違う、夜の青。けれど、重なり合うところがある。私はそこの細い線を撫で、胸の弁をひとつだけ開け閉めした。怒りは水になり、刃は布に包まれ、網は街の骨に絡みつき、灯は息をする。——十分だ。今日は、十分だ。

 帰り際、掲示板の隅に鉛筆の薄い字が増えている。“顔は列にならない”。誰かが書いたその下に、私はさらに細く添えた。“だから、隣に立つ練習を続ける”。消せる字。消してもまた書けばいい。そういう余白が、祝祭のあとにも残るように。そう思って、私は青い灯の最後の呼吸に合わせ、自分の息を静かに重ねた。
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