転生してきた令嬢、婚約破棄されたけど、冷酷だった世界が私にだけ優しすぎる話

タマ マコト

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第20話 ここが、あなたの世界

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翌朝の光は、冬のくせにやけにまっすぐだった。
窓の外の雪が白く反射して、部屋の中まで淡い金色に染める。
王都の金色は鎖みたいに冷たかったのに、辺境の金色は毛布みたいに静かだ。

セレフィーナはベッドから起き上がり、深く息を吸った。
昨夜の涙の痕跡が、まだ喉の奥に残っている。
でもそれは苦しさじゃなく、呼吸の通り道が広がった感覚だった。

鏡の前で自分の顔を見る。
目の下にうっすら影はある。
けれど目の奥に、ちゃんと火がある。
小さい火。
消えない火。

――私は、私を守る。
――私は、選ぶ。

食堂へ向かうと、暖炉の火がいつも通り揺れていた。
スープの匂い。パンの匂い。
生活の匂いがする。
その匂いが、決意を現実にしてくれる。

ユリウスはすでに席にいた。
相変わらず表情は薄い。
でも、昨夜の森の闇を見た人の目をしている。
“見ていた”目。

リリアも席に着いていて、セレフィーナを見るなり、そっと笑った。
泣き腫らした顔じゃない。
ちゃんと息をした人の笑い方。

エドガーが静かに言う。
「王都の一行は、まだ屋敷近辺に滞在しております。王太子殿下も、出立の準備を」

出立。
クラウスは引いた。
それが、昨夜の結論だった。

セレフィーナは椅子に座り、スプーンを握った。
握る手は震えていない。
震えていないことが、怖いくらい嬉しい。

「……宣言します」

自分の声が、思ったよりはっきりしていた。
言葉にした瞬間、世界が少しだけ整う。
調律の加護が、彼女の決意に寄り添うみたいに。

「私は、王都へ行かない」

リリアが頷く。
ユリウスは短く「うん」とだけ言った。
そのうんが、承認の印だ。
許可ではなく、彼女の選択を受け取る印。

セレフィーナは続けた。
「でも、見捨てもしない」

この一言を言うのが怖かった。
言えば、また“必要”に引きずられる気がしたから。
でも昨夜、ユリウスが言った。
“止まるのも戦いだ”
だから、線を引いたまま手を差し出す。

「辺境からできる支援をする。物資、治療、薬草、必要なら……調律の力も。距離を保ったまま」

距離を保ったまま。
ここが一番大事だ。
王都の泥に足を取られないために。
自分の人生をまた“皆”の下に敷かないために。

ユリウスが、ようやく少しだけ眉を動かした。
「……どうやって」

「使者を通す。王都の権威じゃなく、現場の要請を通す仕組みにする。誰か一人の“正しさ”じゃなく、病んでる人、飢えてる人、必要としてる場所を直接見る」

言いながら、セレフィーナは自分でも驚いていた。
自分がこんなふうに“仕組み”のことを考えられるなんて。
前世では、仕組みはいつも自分の外にあった。
自分は歯車で、歯車は考えない。回されるだけ。
でも今は違う。
歯車でも、止まれる。
回る方向を選べる。

リリアが小さく息を吐いて言う。
「それなら……お嬢さまが壊れない」

「壊れないようにする。……それが最優先」

その言葉を口にした瞬間、胸が少しだけ痛んだ。
でも、痛みは罪じゃない。
生きるための痛みだ。

ユリウスは短く頷く。
「分かった。俺が動かす。……物資の手配も、人の手配も」

「ユリウス様」

「何だ」

「……ありがとう。支えるって、こういうことなんだね」

ユリウスは視線を逸らした。
耳の先がほんの少し赤い気がする。
不器用な男は、優しさを受け取るのが苦手だ。

「礼はいらない。……お前が決めたことを、形にするだけだ」

形にする。
それは、現実にするということ。
現実にするのは怖い。
でも現実にしなければ、選択はただの言葉になる。
セレフィーナはその怖さも含めて、頷いた。

その日、王都へ向けた文書を用意した。
貴族評議会の言葉を借りない。
辺境伯領としての文書。
そしてセレフィーナ自身の署名。

――セレフィーナ・アルヴェインは王都へ帰還しない。
――ただし、国難に対し辺境より支援を行う。
――支援は現場の要請に基づき、距離を保って提供する。
――当該人物への帰還要求・断罪・脅迫が続く場合、支援の経路は即時凍結する。

最後の一文を書いたとき、手が少し震えた。
王都を相手に、条件を出す。
王都は嫌う。
でも、嫌われてもいい。
嫌われることより、自分が壊れることのほうが怖い。

文書は使者に渡された。
王都の護衛たちの前で、クラウスにも渡される。

そして王都では、騒ぎが起きる。

「戻らないのか!」
「国が必要としているのに!」
「やはりあの令嬢は冷たい!」
「悪役だ、呪いだ!」

噂はまた、彼女を悪役にしようとするだろう。
王都は、物語を作らないと息ができない場所だから。
原因がいないと、自分の罪が見えてしまうから。

でも、以前と違う。

セレフィーナはもう、悪役の椅子に座らない。
立ち上がって、自分の場所を選んだ。
王都がどんな椅子を用意しても、座らなければ椅子はただの家具だ。
座った瞬間に、それは牢になる。

クラウスは出立の途中、馬車の中でその文書を読み直していた。
彼の指は、寒さではなく、別の理由で冷たい。
自分の中の“正しい王子”が崩れる音が、まだ止まらない。

「帰還しない」
その一文が、彼の胸を刺す。
刺すのに、妙に納得してしまう自分がいる。
納得してしまうことが、惨めで、でも救いでもある。

彼はようやく理解する。
“世界”はセレフィーナに優しくなったのではない。
優しくなったふりをして、必要なときだけ近づく――いつもの王都だった。
そして、辺境だけが最初から彼女を裁かなかった。

裁かなかった。
それは、彼が舞踏会でできなかったことだ。
彼は裁いた。
裁くことで正しくなった気がした。
裁くことで拍手を手に入れた。
そして今、拍手の代わりに暴動の煙を手に入れた。

クラウスは馬車の小さな窓から、王都へ続く道を見た。
泥が跳ね、車輪が軋む。
現実は身分を選ばない。
その当たり前が、今さら重い。

「……僕は、彼女を必要と言って傷つけた」

誰もいない車内で、彼は小さく呟いた。
必要。
あの言葉が刃だと、彼女は教えた。
遅すぎる授業だった。
でも遅いことを認めなければ、彼はまた誰かを傷つける。

辺境の屋敷では、王都の一行が去ったあと、空が少し明るくなった。
雪が光り、風が軽い。
重いものが通り過ぎた後の空気。

ユリウスは屋敷の門の前に立ち、セレフィーナの隣に並んだ。
護衛も執事も侍女も、少し離れている。
二人の間だけ、静けさが落ちる。

ユリウスが誰にも聞こえない声で言う。
「ここが、あなたの世界だ」

セレフィーナは目を瞬いた。
世界。
王都が“世界”だと思っていた頃があった。
王都の廊下、王都の拍手、王都の噂。
それが世界だと信じさせられていた。

でも違った。
世界は広い。
世界は選べる。
そして、選んだ世界のほうが、ちゃんと息ができる。

セレフィーナは冬の光の中で笑った。
小さく、でも確かに。
それは誰かに見せる笑顔じゃない。
自分の呼吸が作る笑顔。

冷酷だった世界に背を向けても、彼女はもう凍えない。
足元には、彼女が選んだ土地がある。
隣には、言葉少なでも“理解する努力”をやめない人がいる。
それだけで、人生はちゃんと、あたたかい。

遠くで、泉の水音がする気がした。
ちょろちょろと。
静かな音。
でも確かな音。

セレフィーナは胸の奥で、もう一度だけ誓った。

――私は戻らない。
――でも見捨てない。
――距離を保って、私のまま支える。
――悪役の椅子には座らない。
――私の世界を、私が選ぶ。

そしてその誓いは、冬の光みたいに淡いのに、
雪を溶かすほど確かな温度を持っていた。
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感想 1

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みんなの感想(1件)

operahouse
2025.12.19 operahouse

 なんというか、すごく緊迫感のある文体で、ピリッとしていてすごくよかったです。
 スケープゴートとして追いやった、セレフィーナを再度スケープゴートとして王都に呼び戻そうとしようとする王子は、自分はそのつもりはないけど、ひどく邪悪です。王都ではセレフィーナが聖女を呪っていると噂されているのを知った上で呼び戻すなら、セレフィーナが必要とされるのは「聖女を呪った女」という新たなレッテルを貼られて、追放の次は民衆の気を休めるために処刑になりかねない。それを知っていて、王都に呼び戻す。邪悪だよな。
 セレフィーナはある意味万能感(=自分が悪役を引きうければそれによって溜飲がさがる人がいる)を持っているが、ユリウスがセレフィーナを辺境に引き留めることによって自分の手の届く範囲しか救えないことを知って、辺境にとどまった。
 惹きつけられる話でした。

解除

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