私を追放した王子が滅びるまで、優雅にお茶を楽しみますわ

タマ マコト

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第3話 静寂の館

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 玄関の鍵が、低い音で回った。古い家の息がひとつ、吐き出される。埃の匂いは不思議と少ない。長く空いていたはずなのに、ここは「待っていた」側の顔をしている。 「まずは風を通そう。窓は南から順番に」 「はいはい。ギル、戸口は押さえておくれ。レーネ、埃を起こしすぎないようにね」 「了解です! あ、でもこの蔓、花がつきそう……切らなくていいですか?」 「花は残して。棘は容赦なく」 「……」  ギルバートはいつもの返事代わりの沈黙で頷き、戸口に楔を噛ませた。マリアベルはひと目で家の骨を見抜いて、桶と布と刷毛をそれぞれ必要な場所へ配る。レーネは籠を抱え、玄関脇の鉢から柔らかい葉を摘み取っていく。

 大階段の手すりに掌を置くと、木が体温を覚えるみたいにじんわり温かい。私は指で二段分ほどさする。艶が戻る。掃除をする前から、ここは侮れない。 「書斎は奥庭に面した部屋だったわね?」 「そうです。光がよく回ります。ただ、窓の鍵が少し甘い」 「あとで直す。セドリック、道具は?」 「一通り。細工と補修は私が」 「助かる」

 廊下を進み、扉を押すと、薄い埃がふわりと舞った。奥庭が一枚の絵みたいに広がる。湖風が葉を撫でて、光の粒が床に落ちる。窓辺に古い譜面台。前の持ち主は音の人だったらしい。鍵を確かめると、確かに甘い。私が触れた瞬間に、文句を言うみたいにカタンと鳴った。 「“静寂の館”の心臓はここにする」 「命名、確定ですね」 「看板、要る?」 「門柱に小さく。誇張は不要です」 「マリアベル、板と釘、ある?」 「あるとも。昼のスープの間に乾くやつで良けりゃ」

 窓を大きく開けると、空気が入れ替わる音がした。帳がひと枚めくれて、部屋が現れる。長い机と椅子。壁面に細い棚。空っぽの瓶がいくつか転がっている。私は棚を指で叩き、響きを確かめる。湿りは軽い、すぐ直る。 「ここに茶器を半分。もう半分はサロン。書斎は思考の温度、サロンは人の温度」 「配分、承知しました」 「レーネ、乾いた葉を避けて、香りの強いものを小瓶へ。家の記憶に匂いを混ぜたい」 「わかった。タイム、ローズマリー、あとレモンバーム少々」  レーネは籠を抱えなおし、裸足で奥庭へ飛び出していく。地面に触れる足取りが軽い。若い音だ。

 廊下の突き当たりに小さな物置があり、古い木箱が積まれていた。ひとつ開ける。中から薄い布と、割れかけの皿。別の箱からは帳簿が出てきて、端に丸いインクの跡。買い手と売り手がぎりぎりで折り合った文字だ。 「この家、笑ってる?」 「はい?」 「音がね。崩れてない音。崩れた家は、板を叩くと音が沈む」 「……観測結果として、健全」 「そう」

 サロンに戻ると、マリアベルがカーテンを外し終えて、窓枠を拭いていた。ギルバートは火を起こし、小鍋に湯をかける。セドリックは梯子に上って、シャンデリアの鎖を手早く点検している。各々がそれぞれの持ち場で音を立て、音が互いに干渉しない。これが家の基礎になる。私はテーブルに茶器を並べ、ひと息ついた。 「最初の一杯、どれにしよう」 「今日は、家に挨拶でしょう。ダージリンを軽く」 「賛成」

 湯の鳴りに合わせて、呼吸を落とす。茶葉が開く。香りが新しい壁紙みたいに空間に貼りつく。私はカップを配って、最初に自分の分をひと口だけ。喉が、ここを自分の場所だと認める。 「――ここは、いい」 「でしょうとも」  マリアベルが満足げに腰に手を当てる。「ほら、埃なんかもう逃げたよ」

 扉が軽く叩かれた。まだ早い。村の人だろうか。セドリックが視線だけで私に問う。私は頷き、彼が扉へ向かう。ほどなくして、レーネが先に顔を出し、その背に日焼けした少年が隠れた。両手に大きな籠。籠の上には卵と、まだ土がついた野菜。 「お、お邪魔します……レーネ姉ちゃんが、持ってけって」 「ルカだっけ?」 「はい。村のパン屋の、ルカです。うちの母ちゃんが、これ、よかったらって」 「ようこそ、静寂の館へ」  私は籠を受け取り、卵の重みを指先で確かめた。殻が厚い。鶏がよく歩いている証拠。 「ありがとう。代金は?」 「母ちゃんが、最初はご挨拶だって」 「では、お返しに」  私は小瓶をひとつ手渡す。タイムとレモンの薄い砂糖漬け。湯に落とすと、咳が軽くなる。 「これ、うちの小さいのが喜ぶ……あ、あの、お嬢様って、ほんとに王都から?」 「王都で人気のない女、で通して」  ルカは困ったように笑い、レーネの背中に隠れてから、もう一度だけ部屋を見回して走っていった。彼の足音が砂利道に変わる。走り方がまっすぐで、強い。村は、まだ大丈夫だ。

「お嬢様、昼の支度ができます」  ギルバートの短い声。テーブルにスープと焼きたてのパン、オイルをまとった野菜が並ぶ。マリアベルが塩入れを置き、レーネが小さな花を湯呑みに挿す。皆が席につき、目が一瞬だけ揃う。「いただきます」の合図。

 スープは、骨の出汁がよく出ていた。口の中で、今日という日の端と端が結ばれる。 「午後は書斎の棚を拭いて、茶器を分ける。門柱の看板と、窓の鍵の調整。玄関のマットは厚いものに」 「掃除は私が。鍵はセドリック。マットはルカんとこで聞いてみる」 「お願いします」 「庭は、南側の土が少し締まってます。掘り返して、ミントを少しだけ抜いたほうが」 「タイムを植え替えて。ミントは暴れる」 「はい!」

 食後、私は門柱の前に立った。陽が少し傾き、蔦の影が文字の場所を教えてくれる。マリアベルが板を持ち、釘を渡してくる。私は気に入っている万年筆を出し、木目を撫でるみたいに字を書く。 「静寂の館」  ――書いた瞬間、風が軽く変わった。名前を得た場所は、名前に似合う音を選ぶようになる。セドリックが釘を打ち、ぎゅっと押さえ、板はぴたりと収まった。 「いい顔だ」 「家が落ち着きました」

 サロンに戻ろうとしたとき、道の先で馬の嘶き。人影がひとつ、手綱を引いて歩いてくる。王都の紋章はないが、装束はそれに近い。セドリックが一歩前へ出て、私は半歩横へ。距離を作る。 「ご挨拶に上がりました」  現れたのは灰色の外套の中年男。姿勢はまっすぐだが、目の下の皮膚が薄くなっている。王都の役所の匂い。 「王都の下役、ハロルドと申します。こちらにお移りになったと聞き、礼を」 「礼?」 「王都の市場で、彼女――」ハロルドはレーネを顎で示した。「が売る薬草が、何人かを救いました。礼を言え、とみな」  レーネが目を丸くする。「え、私?」 「レーネが良い葉を育てるから」 「違う、マリアンヌ様のブレンドで――」 「功績の分配は後で。今は、お礼を受け取って」  ハロルドは胸元から、小さな布包みを出した。開くと、銀の薄い板。御堂の刻印。古い型だ。 「これを、最近井戸から拾った者がいました。水脈が動いたのかと。御堂の管理台帳は…まあ…古く、読める者が減りました。あなたなら、音で読めると聞いて」  老宰相と同じ言い方。私は銀板を指で撫でる。冷たい金属が、指先で少しだけ温度を変える。 「預かります」 「助かります」  ハロルドは静かに頭を下げ、馬の鼻面を撫でて帰っていった。背中が、王都に向かう者の背中だ。戻る場所の重さがある。

「音で、読めますか」 「今夜は風が逆。湖に戻る。――明日の朝なら」 「護衛を」 「いつも通り」  セドリックが頷く。彼の頷きは、短いが、いつも余白を残してくれる。私がやり方を変える余地。

 夕方、書斎に灯りを点けた。小さな炎がガラス越しに揺れて、机に柔らかな輪を作る。私は銀板を机の上に置き、耳を澄ませた。まだ、うるさい。空気が昼の名残でざわついている。だから、やめる。タイミングを外さないのが、いちばんの近道だ。 「お嬢様、喉に」  マリアベルが蜂蜜を持ってくる。私は匙でひと口舐め、胸の針の角度が真っ直ぐになるのを確かめた。 「セドリック」 「はい」 「あなた、影をやめた、と言ったけど、本当は?」 「場所を変えただけです。光が変われば、影も伸び方を変える」 「いい答え」 「夜の影は、少しだけ詩人に」 「それ、好き」

 裏庭から、レーネの鼻歌。畝に腰を下ろして、葉に話しかける声。「大丈夫だよ」「ここが好きでしょ」。ギルバートの鍋は低く唸り、マリアベルの足音は規則正しい。家の音ができていく。私の呼吸が、その上にそっと乗る。

 夜。窓を少しだけ開ける。湖の匂いが金属に変わり、空は薄い墨色。銀板に指先を置く。耳を澄ます。息を長く伸ばす。言葉は使わない。母音だけで、形を描く。銀が、低く共鳴する。御堂の刻印の周りに、古い音が寄ってくる。古い音は、正直だ。取り繕わない。 「……沈んでたもの、浮いてきてる」 「封印、でしょうか」 「うん。石で押さえてあった小部屋。水の道が曲がって、鍵が甘くなった」 「明日、御堂跡へ」 「行く」

 窓の外で小さく枝が擦れる。遠くで梟が一度だけ鳴く。私は銀板の共鳴が静かになるのを待って、布に包み直した。焦らない。順番。

 寝る前に、門柱の看板をもう一度見に行った。夜気は冷たいのに、板からは薄い温もりが返ってくる。名前を持ったばかりの家は、嬉しがりだ。撫でられるのが好き。 「明日は、村へ。井戸と、御堂跡。それから、子どもたちに文字を」 「書き物は私が」 「教えるのはシモンに頼む。王都で検査官をやめた人」 「紹介状を用意します」 「ありがとう」

 自室に戻り、灯りを落とす。暗闇が一度だけ深くなって、それから、すぐ馴染む。胸元のペンダントに触れる。今日は静か。いい子。

「――王子が滅びるまで、私は紅茶を楽しむ」

 天井に向けて唇だけで言う。呪いじゃない。祈りでもない。境界線。今日の線はまっすぐで、白い。線のこちら側に、人の声と、葉の匂いと、温かいスープと、名前を得た家がある。私は、ここからはじめる。静寂の館の音で、明日を整えるために。

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