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第16話:王家再建案――国家を担保にしない改革
しおりを挟む議会の天井は高すぎて、声が薄くなる。
石の壁は冷たく、重たい柱は沈黙を抱え込み、議席に座る貴族たちの呼吸さえ規則に見える。
ここは感情の場ではない。
感情を削って、制度にする場所だ。
私は書類箱を抱え、壇の前に立った。
背後でカイが一歩引き、私の影を支える。
影は私の形を大きくする。
大きくなりすぎた影は、また恐怖を呼ぶ。
だから今日は、影ではなく光を使う。
「最終再建案を提出いたします」
声を張りすぎない。
けれど逃がさない。
議場の空気が、じわりと固くなる。
紙が配られる。
羽ペンで書かれた文字が並ぶ。
数字の列。条項。期限。
だが今回は、担保欄が違った。
王家資産の名前がない。
宝物庫、王領、領地、装飾品——そういう“もの”の担保がない。
代わりにあるのは、制度の項目。
税制改革。
軍需の透明化。
教育投資。
地方産業育成。
監査制度。公開入札。備蓄と物流の常設化。
“続く仕組み”が担保として並んでいる。
誰かが小声で漏らした。
「……王家資産を担保にしないのか」
その囁きは波になりかけ、すぐに沈む。
沈むのは、皆が紙面の異様さを理解しているからだ。
国の未来を、宝石ではなく、制度で担保する。
それは貴族にとって、慣れない賭け。
議長が咳払いをし、私に目を向けた。
「説明を」
私は頷いた。
「王家資産を担保にすると、短期的には信用は戻ります。ですが、資産は尽きます。尽きた瞬間、国は再び割れます」
誰かが鼻を鳴らす。
反発の気配。
でも私は止めない。止めたらまた曖昧になる。
「担保にすべきは、制度です。制度が回れば税が入り、税が入れば利払いが減り、利払いが減れば信用が戻る。信用が戻れば投資が増え、投資が増えれば雇用が生まれます」
私は指を立てて項目を示す。
「第一に税制改革。徴税の抜け穴を潰します。免税特権の整理、税の平準化、徴税記録の統一。取り立てを強めるのではなく、漏れを塞ぐ」
ざわめき。
特権という言葉は、貴族の喉を締める。
「第二に軍需の透明化。公開入札を原則とし、監査を常設します。軍の機密は守りつつ、支出の正当性は公開する」
その瞬間、何人かの顔色が変わった。
旧貴族の匂い。
甘い汁を吸っていた者ほど、透明を嫌う。
「第三に教育投資。職能学校の設立、識字教育の拡大。文字が読める民は、税の仕組みも契約も理解する。理解が増えれば、詐欺が減り、暴動が減ります」
“民に文字を”という発想に、議場の古い空気が軋んだ。
だが私は続ける。
「第四に地方産業育成。農具の改良、加工業への融資、流通路の整備。王都に富が集中しないよう、地方で回る金を増やす」
そして、最後に。
「そしてこの全てを担保にするための、監査制度と月次公開。誰が何に使ったかを、一定範囲で可視化します」
紙の上の文字が、空気を変えていく。
反発はある。
しかし反発だけでは押し返せない。
なぜなら、これは“戻る道”ではなく“続く道”だからだ。
議席の一角から声が上がった。
「公爵令嬢。制度など、絵空事だ。担保は目に見えるものでなければ信用は——」
私はその声を遮らず、真正面から受けた。
「目に見える担保は、恐怖で信用を買います。制度は、理解で信用を積み上げます。遅いですが、崩れません」
議場が静まる。
“崩れない”という言葉が、今の国には麻薬みたいに効く。
王族席。
レオポルトが立ち上がった。
彼の背筋はまっすぐだが、目が揺れている。
揺れは迷い。
迷いは、彼が数字を見始めた証拠。
「アーデルハイト」
刃の角度が変わった。
殺す刃ではなく、切り分ける刃。
「税の特権整理……軍需の公開入札……教育……君は、貴族社会を根本から変えるつもりか」
「変えないと死ぬから」
私は即答した。
即答できるのは、数字が背中にあるから。
「反発が出る。混乱も出る。……王家の威信も揺れる」
「威信は、空腹に勝てません」
レオポルトの喉が動く。
反論が出ない。
出ないのは、彼も“飢え”を見たからだ。
「……君は、王家を担保にしないと言う。だが制度を担保にするとは、どういう意味だ」
私は一呼吸置いた。
噛み砕く必要がある。
「制度を壊せないようにする、という意味です」
「壊せない?」
「権力者でも、勝手に予算を動かせない。監査がある。公開がある。入札がある。教育で民が賢くなる。賢くなった民は、搾取に気づく。気づけば燃える。だから権力者は、制度に従うしかない」
議場が凍る。
“燃える”という単語は、この場にふさわしくないのに、現実だから刺さる。
レオポルトは拳を握った。
怒りではない。痛みだ。
王太子として、王家が“縛られる”痛み。
「……王家の自由が奪われる」
「自由じゃない。甘えです」
言い切った瞬間、胸がちくりと痛む。
甘え、と言うのは、前世で自分が言われた言葉に似ている。
でもここで言わなければ、制度はまた曖昧になる。
議長が声を挟む。
「採決は後日。各家は精査の上、意見を提出せよ」
会議は一旦閉じられた。
しかし空気は閉じない。
紙が配られた以上、思惑はもう走り始めている。
その夜、王城の書庫は静かだった。
昼の議会の熱が嘘みたいに、石の壁が冷たい。
蝋燭の火が一本、ゆらゆら揺れる。
本棚の影が伸び、文字たちが眠っている。
私は書庫の机で、採決に備えた追加資料を整理していた。
紙を揃える。項目を整える。
整えるほど、自分の心が少しずつ削れるのが分かる。
削れても、やめない。
やめた瞬間に国が割れるから。
扉が軋み、足音が入ってきた。
軽い足音ではない。
鎧を着ていないのに、重い足音。
レオポルトだった。
彼は一人で来た。
侍従も護衛もいない。
王太子が一人で書庫に来るのは、弱さを見せる行為だ。
だからこそ、目が真剣だった。
「……ここにいたのか」
「ここが落ち着くから」
「落ち着く?」
彼は苦笑に近い表情を浮かべた。
けれどすぐ消える。
今夜、彼は笑いに逃げない。
「君の出す紙は、どれも冷たい。けれど……あれは、国の皮膚を剥ぐような冷たさだ」
「皮膚の下が腐ってるなら、剥がすしかない」
レオポルトは机の端に手を置き、指先で木目をなぞった。
その動作が幼い。
不安な時の癖みたいに見える。
「君は……国を救う気なのか」
その問いは、剣を差し出すみたいに重い。
王太子の矜持が、その一言に詰まっている。
私は手元の紙から目を上げ、彼を見た。
彼の瞳は揺れている。
怒りではない。恐れでもない。
“理解しよう”とする揺れ。
私は答えた。
「救う気」
短く言い、そして少しだけ笑った。
笑いは乾いている。
でも誤魔化しではない。
「私が潰れたくないから」
レオポルトが、目を見開いた。
「……それが理由か」
「それが理由」
彼はしばらく黙った。
蝋燭の火が揺れ、影が二人分伸びる。
その影が、床で交わりそうで交わらない。
距離の影。
「君は、もっと立派な言葉を言うと思っていた」
「立派な言葉は、いつも誰かを死なせる」
レオポルトの眉が寄る。
「どういう意味だ」
私は息を吸い、前世の痛みを一度だけ舌の上に乗せた。
苦い。
でも話す。
「『会社のため』って言われて、夜を越えた。『みんなのため』って言われて、無理をした。結果、潰れたのは現場。評価されるのは上」
レオポルトは理解できない顔をする。
当然だ。
彼は“上”の側に生まれた。
私は前世の話もしている。
私は続けた。
「だから私は、自分のために動く。潰れたくない。生きたい。……その欲が、結果として国を救うなら、それでいい」
レオポルトの喉が動く。
彼の目が少しだけ濡れたように見えた。
泣くのではなく、痛みを飲み込む目。
「自己防衛が、国を救う……」
「現代的で、残酷で、効率的」
私は言った。
残酷、と口にした瞬間、胸が少し痛む。
でも痛むのは、正直だからだ。
レオポルトは机に置かれた再建案を手に取った。
紙を持つ指が、わずかに震える。
彼は初めて、数字を直視しようとしている。
数字は痛い。
痛いから、人は目を逸らす。
でも彼は逸らさない。
「君は、王家の誇りを削る」
「誇りは残す。誇りの形を変える」
「形?」
「守ることで誇る。奪うことで誇るんじゃなくて」
レオポルトは小さく息を吐いた。
「……君は恐ろしい。だが、君の恐ろしさは、剣ではない。数字と仕組みだ」
「剣より血が出ない。でも、もっと効く」
「効きすぎる」
その言葉が、また胸を刺す。
効きすぎる。
私は、強くなりすぎたのかもしれない。
前世の無力さが、反動で刃になっている。
それでも、私は手を止めない。
止めたら、燃える。
レオポルトが静かに言った。
「君が潰れたくないというその欲が……この国の命綱になるのかもしれないな」
「なるでしょう」
私は頷いた。
「命綱は、誰かの善意より強い。善意は揺れるけど、恐怖は続く。……私は恐怖を、仕組みに変える」
レオポルトは、ゆっくり頷いた。
頷きは降伏ではない。
理解の始まりだ。
「……明日、もう一度数字を見せてくれ」
「見せる。逃げない」
「逃げたい」
彼が小さく言い、苦く笑った。
「でも逃げたら、王太子じゃない」
「そう。だから見る」
蝋燭の火が、二人の影を揺らした。
影はまだ交わらない。
でも、少しだけ近づいた気がした。
“自己防衛”が、結果として国を救う。
その残酷さを抱えたまま、私たちは同じ紙の上に立っている。
国を担保にしない改革。
制度そのものを担保にする改革。
明日も数字は冷たい。
でも冷たい数字の上でしか、国は生き残れない。
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