悪役令嬢と呼ばれた私に裁きを望むならご自由に。ただし、その甘露の罠に沈むのはあなたですわ。

タマ マコト

文字の大きさ
9 / 20

第9話:断罪の舞台、形が変わる

しおりを挟む


 舞台っていうのは、整っているうちは美しい。
 赤絨毯の線。照明の角度。観客の配置。役者の位置。
 すべてが“予定通り”に見えるうちは、嘘でも本物みたいに光る。

 でも一度、糸が絡まると――
 舞台は勝手に“本性”を始める。

 王宮大広間。
 闇商人の印章が押された手紙の存在、床に浮かんだ導線、証人の買収発言。
 それらが一つの渦になり、会場の空気はもはや“祝賀”でも“公正な審問”でもなくなっていた。

 断罪の舞台は、形を変えていた。
 裁かれるはずだったのはリシェル。
 なのに今、視線は王太子派閥へ向いている。

 ――これ、ほんとに正義?
 ――誰が誰を裁くの?
 ――一番汚れてるの、どっち?

 声にならない疑問が、貴族の扇子の陰で、民衆の肩の震えで、衛兵の固まった指先で増殖していく。

 アデリオス・ヴァルステインは、目に見えて苛立っていた。
 苛立ちは、王太子の笑顔を削る。
 削れた笑顔は、ただの“焦り”になる。

「……秩序を保て!」
 アデリオスは怒鳴り、場を押さえ込もうとする。
「余計な話はいい! 主題はリシェル・ノワゼルの罪だ!」

 声が大きい。
 声が大きい人ほど、聞いてもらえないときに叫ぶ。
 叫ぶほど、焦りが露わになる。

 貴族席の一角で、誰かが小さく咳払いをした。
 それは“距離を置く合図”みたいな咳払いだ。

「……殿下」
 年嵩の侯爵が、慎重な声で口を開く。
「本当に公正を謳うのであれば、まずは先ほどの帳簿の不備、そして……その手紙の出所を」

 言い方は丁寧。
 でも内容は刃。
 そしてこの刃が刺さるのは、リシェルではない。

 別の伯爵が、扇子の陰から続ける。

「我々も王宮に忠誠を誓う身です。だからこそ、国家の管理不備は見過ごせません」
 忠誠、という言葉で自分を守っている。
 “私は敵じゃありません”と言いながら距離を取る。
 貴族の距離の取り方は、毒と同じくらい上手い。

 アデリオスの頬が引きつる。

「……貴様ら」
 低く漏れた声。
 怒りが滲む。
 怒りが滲むと、人はさらに離れる。

 フィオナ・ルミエールは、壇上の影で涙を滲ませていた。
 でもその涙は、さっきほど効かない。
 奇跡の綻びが見えた後の涙は、甘すぎる。甘すぎて、胸焼けする。

 彼女は助け舟を出そうと、柔らかい声を作った。

「皆さま……どうか……殿下を責めないでください。殿下は国のために――」
「国のため?」
 民衆の中の誰かが、ぽつりと呟いた。
「闇商人の手紙も国のためか?」

 その一言が刺さる。
 刺さった瞬間、フィオナの瞳の奥が冷たくなる。
 ガラスの冷たさ。

 彼女はすぐにまた涙を作る。
 でも、作った涙は“遅い”。
 遅い涙は、演技に見える。

 リシェル・ノワゼルは、舞台の端にいた。
 中心ではない。
 中心にいないことで、より中心に見える位置。
 そして彼女は、ただ微笑んでいる。

 甘い微笑み。
 でもその甘さは、人を慰める甘さじゃない。
 人が勝手に沈むのを見届ける甘さ。

 カイエンが背後で小声で言う。

「……風向きが変わりました」
「ええ」
 リシェルは扇子を閉じる。ぱち、と音。
「彼らが作った風よ。自分で吸い込む風」

 ヴァルトが“表”の顔で会場を見渡し、状況を整理する。
 騎士団の副団長として、秩序を保つ。
 でも秩序を保つほど、混乱の原因が浮き彫りになる。
 今の混乱の原因は――王太子派閥だ。

 アデリオスは場を取り戻すため、強引に次の証言を進めようとした。

「……証人を続けろ! リシェルの罪を示せ!」
 その声は怒鳴りに近い。
 怒鳴りは、正義ではなく焦りの音。

 衛兵がミレーヌ・サラフィアを、再び前へ押し出した。
 ミレーヌはさっきの失言の後で、顔がぐしゃぐしゃだった。
 化粧も、涙も鼻水で崩れている。
 彼女は“舞台の人形”として使われたのに、舞台が崩れたせいで一番傷つく位置に立たされている。

「ミレーヌ、もう一度言え」
 アデリオスが命じる。
「何を見た。何をされた。具体的に!」

 ミレーヌは震えながら頷こうとした。
 でも、言葉が出ない。
 出ないのは、怖いから。
 “これ以上喋ったら本当に終わる”と本能が叫んでいる。

 ミレーヌの視線が、フィオナへ飛ぶ。
 助けを求める目。
 子どもが親を見る目。
 救って、という目。

「フィオナ様……!」
 ミレーヌは声を絞り出す。
「私……私、ちゃんと言ったよね……? 私、役に立ったよね……?」

 その瞬間、会場の空気が止まった。
 役に立った。
 役。
 舞台。
 証言が“役”だったと自白したみたいな響き。

 フィオナの肩が、ほんのわずかに跳ねた。
 そして――視線を逸らした。

 逸らした瞬間、ミレーヌの世界が崩れる音がした。
 耳では聞こえない。
 でも心には聞こえる。
 大事にしていたものが、手から滑り落ちて割れる音。

 フィオナは、慈悲深い聖女の顔を保とうとした。
 でもその顔は、今の“見捨て”でひび割れてしまう。

 彼女の冷たさが露わになる。
 聖女の皮を被った“上に立つ者”の冷たさ。
 自分の評判を守るためなら、取り巻き一人平気で切り捨てる冷たさ。

 ミレーヌの唇が震える。

「……え」
 小さな声。
「……なんで、見ないの」

 見ないの。
 その一言が、痛い。
 痛いから、会場の何人かが目を逸らした。
 見たくない痛みだ。
 でも目を逸らすと、余計に“本物”になる。

 アデリオスが苛立ちで叫ぶ。

「黙れ! 余計な感情を持ち込むな! これは裁きだ!」
 裁き。
 その言葉がもう、空気に馴染まない。
 裁きの舞台は、いつの間にか“自白の舞台”になっているから。

 リシェルは、その場でほんの一歩引いた。
 ただ一歩。
 それだけで、彼女がいた場所に空間ができる。

 そして空間に、彼らの醜さが浮かぶ。
 自分の罪を隠すために叫ぶ王太子。
 自分の評判を守るために見捨てる聖女。
 自分が主役になれない苛立ちで自爆した取り巻き。
 それらが、スポットライトの下で露骨になる。

 誰も気づかない。
 でも確実に、舞台の中心がずれている。
 ずれているから、役者たちは立ち位置を見失う。
 見失うほど、余計に動く。
 余計に動くほど、転ぶ。

 ルフランが、リシェルの横にそっと寄った。
 彼の瞳は静かで、けれどどこか青白い。

「……破滅の星が、動きました」
 声は小さい。
 でもその声は、天井の高さより深く響く。

 リシェルは、微笑んだ。
 甘い微笑み。
 でもその甘さは、無慈悲だ。

「動いたのね」
「はい。……加速します」
「なら、見届けるだけ」
 リシェルは淡々と言う。
「止めない。助けない。……私は嘘の責任を取らない」

 ミレーヌは、とうとう泣き崩れた。
 床に膝をつき、声を上げる。

「私、ただ……褒められたかっただけなのに……!」
 その叫びが、会場に刺さる。
 可哀想。
 でも、可哀想の裏に、醜さも見える。
 褒められたい。
 その欲が、嘘を生んだ。

 フィオナは小さく顔をしかめ、また涙を作ろうとする。
 でももう遅い。
 彼女の涙は、誰かを救う涙ではなく、誰かを切る涙だと見え始めている。

 貴族たちは、さらに距離を置き始める。
 扇子で口元を隠し、隣に囁く。
「……これは危ない」
「……殿下、沈むかもしれない」
「巻き込まれる前に下がるぞ」

 距離を置く動きは、雪崩の前兆だ。
 一人が動けば、二人が動く。
 二人が動けば、十人が動く。
 十人が動けば、群れが崩れる。

 アデリオスはその流れを止められない。
 止めようとするほど、自分の足場が崩れていく。
 彼の声はもう、正義ではない。
 ただの悲鳴に近い。

「お前たち……私を見捨てるのか!」
 叫ぶ。
 叫ぶほど、弱い。
 弱いほど、周囲は離れる。

 リシェルは、一歩引いたまま、微笑んでいた。
 この一歩が、彼女の戦い方。
 押さない。
 引く。
 引くことで、相手が勝手に転ぶ。

 甘露の罠は、彼らの内側に最初からあった。
 嘘。欲。見栄。嫉妬。
 それらが甘露みたいに甘くて、飲みやすくて、やめられなくて。
 そして飲み続けた結果、胃の底で毒になる。

 ルフランがもう一度、囁く。

「……破滅は、止まりません」
「止めないわ」
 リシェルは言う。
「止めたら、彼らはまた嘘を続ける。……私は長生きする嘘が嫌い」

 その瞬間、会場のどこかで、誰かが決定的な一言を漏らした。

「……聖女さまって、ほんとは優しくないのかも」

 その言葉は小さい。
 でも小さい言葉は、耳の奥に残る。
 残った言葉は、夜が明けても消えない。

 舞台は変わった。
 断罪の舞台は、暴露の舞台になった。
 裁くはずだった者たちが、勝手に裁かれる舞台になった。

 リシェルはただ、微笑む。
 蜜のように甘く、氷のように冷たい微笑みで。

 破滅は加速する。
 その加速の中心に、彼女は静かに立っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

修道女エンドの悪役令嬢が実は聖女だったわけですが今更助けてなんて言わないですよね

星井ゆの花(星里有乃)
恋愛
『お久しぶりですわ、バッカス王太子。ルイーゼの名は捨てて今は洗礼名のセシリアで暮らしております。そちらには聖女ミカエラさんがいるのだから、私がいなくても安心ね。ご機嫌よう……』 悪役令嬢ルイーゼは聖女ミカエラへの嫌がらせという濡れ衣を着せられて、辺境の修道院へ追放されてしまう。2年後、魔族の襲撃により王都はピンチに陥り、真の聖女はミカエラではなくルイーゼだったことが判明する。 地母神との誓いにより祖国の土地だけは踏めないルイーゼに、今更助けを求めることは不可能。さらに、ルイーゼには別の国の王子から求婚話が来ていて……? * この作品は、アルファポリスさんと小説家になろうさんに投稿しています。 * 2025年12月06日、番外編の投稿開始しました。

聖女を追放した国が滅びかけ、今さら戻ってこいは遅い

タマ マコト
ファンタジー
聖女リディアは国と民のために全てを捧げてきたのに、王太子ユリウスと伯爵令嬢エリシアの陰謀によって“無能”と断じられ、婚約も地位も奪われる。 さらに追放の夜、護衛に偽装した兵たちに命まで狙われ、雨の森で倒れ込む。 絶望の淵で彼女を救ったのは、隣国ノルディアの騎士団。 暖かな場所に運ばれたリディアは、初めて“聖女ではなく、一人の人間として扱われる優しさ”に触れ、自分がどれほど疲れ、傷ついていたかを思い知る。 そして彼女と祖国の運命は、この瞬間から静かにすれ違い始める。

婚約破棄された聖女様たちは、それぞれ自由と幸せを掴む

青の雀
ファンタジー
捨て子だったキャサリンは、孤児院に育てられたが、5歳の頃洗礼を受けた際に聖女認定されてしまう。 12歳の時、公爵家に養女に出され、王太子殿下の婚約者に治まるが、平民で孤児であったため毛嫌いされ、王太子は禁忌の聖女召喚を行ってしまう。 邪魔になったキャサリンは、偽聖女の汚名を着せられ、処刑される寸前、転移魔法と浮遊魔法を使い、逃げ出してしまう。 、

【完結】全てを後悔しても、もう遅いですのよ。

アノマロカリス
恋愛
私の名前はレイラ・カストゥール侯爵令嬢で16歳。 この国である、レントグレマール王国の聖女を務めております。 生まれつき膨大な魔力を持って生まれた私は、侯爵家では異端の存在として扱われて来ました。 そんな私は少しでも両親の役に立って振り向いて欲しかったのですが… 両親は私に関心が無く、翌年に生まれたライラに全ての関心が行き…私はいない者として扱われました。 そして時が過ぎて… 私は聖女として王国で役に立っている頃、両親から見放された私ですが… レントグレマール王国の第一王子のカリオス王子との婚姻が決まりました。 これで少しは両親も…と考えておりましたが、両親の取った行動は…私の代わりに溺愛する妹を王子と婚姻させる為に動き、私に捏造した濡れ衣を着せて婚約破棄をさせました。 私は…別にカリオス王子との婚姻を望んでいた訳ではありませんので別に怒ってはいないのですが、怒っているのは捏造された内容でした。 私が6歳の時のレントグレマール王国は、色々と厄災が付き纏っていたので快適な暮らしをさせる為に結界を張ったのですが… そんな物は存在しないと言われました。 そうですか…それが答えなんですね? なら、後悔なさって下さいね。

悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。

潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。

婚約者を奪われるのは運命ですか?

ぽんぽこ狸
恋愛
 転生者であるエリアナは、婚約者のカイルと聖女ベルティーナが仲睦まじげに横並びで座っている様子に表情を硬くしていた。  そしてカイルは、エリアナが今までカイルに指一本触れさせなかったことを引き合いに婚約破棄を申し出てきた。  終始イチャイチャしている彼らを腹立たしく思いながらも、了承できないと伝えると「ヤれない女には意味がない」ときっぱり言われ、エリアナは産まれて十五年寄り添ってきた婚約者を失うことになった。  自身の屋敷に帰ると、転生者であるエリアナをよく思っていない兄に絡まれ、感情のままに荷物を纏めて従者たちと屋敷を出た。  頭の中には「こうなる運命だったのよ」というベルティーナの言葉が反芻される。  そう言われてしまうと、エリアナには”やはり”そうなのかと思ってしまう理由があったのだった。  こちらの作品は第18回恋愛小説大賞にエントリーさせていただいております。よろしければ投票ボタンをぽちっと押していただけますと、大変うれしいです。

偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて

奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】 ※ヒロインがアンハッピーエンドです。  痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。  爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。  執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。  だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。  ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。  広場を埋め尽くす、人。  ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。  この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。  そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。  わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。  国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。  今日は、二人の婚姻の日だったはず。  婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。  王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。 『ごめんなさい』  歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。  無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。

【完結】聖女と結婚ですか? どうぞご自由に 〜婚約破棄後の私は魔王の溺愛を受ける〜

綾雅(りょうが)今年は7冊!
恋愛
【表紙イラスト】しょうが様(https://www.pixiv.net/users/291264) 「アゼリア・フォン・ホーヘーマイヤー、俺はお前との婚約を破棄する!」 「王太子殿下、我が家名はヘーファーマイアーですわ」  公爵令嬢アゼリアは、婚約者である王太子ヨーゼフに婚約破棄を突きつけられた。それも家名の間違い付きで。  理由は聖女エルザと結婚するためだという。人々の視線が集まる夜会でやらかした王太子に、彼女は満面の笑みで婚約関係を解消した。  王太子殿下――あなたが選んだ聖女様の意味をご存知なの? 美しいアゼリアを手放したことで、国は傾いていくが、王太子はいつ己の失態に気づけるのか。自由に羽ばたくアゼリアは、魔王の溺愛の中で幸せを掴む!  頭のゆるい王太子をぎゃふんと言わせる「ざまぁ」展開ありの、ハッピーエンド。 ※2022/05/10  「HJ小説大賞2021後期『ノベルアップ+部門』」一次選考通過 ※2021/08/16  「HJ小説大賞2021前期『小説家になろう』部門」一次選考通過 ※2021/01/30  完結 【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう

処理中です...