黒幕の私が転生したら、なぜか勇者パーティ全員に求婚されてます

タマ マコト

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第3話「“鍵”と呼ばれた村娘」

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 勇者パーティが村に滞在する、という話は、火のついた藁みたいな速度で広がった。

「しばらく、この村を拠点にさせてほしい」

 昼下がりの広場で、アレンがそう宣言したとき、村長は慌てながらも何度も頷いていた。

「も、もちろんですとも勇者様! こんな辺鄙な村でよければ、どうぞどうぞ!」

「辺鄙とか言わなくていいと思いますけどね!」

 後ろで誰かが小声でツッコむのが聞こえる。
 でも、それくらい村中がそわついていた。

 魔物の異常発生。
 王都から勇者パーティが出張ってくるほどの案件。

 ――ヤバいことが起こっているらしい。

 頭でそう理解しても、リュミエの体はまだ現実味を持って受け止めきれていなかった。
 何度見ても、勇者たちの姿は絵本のページから抜け出したキャラクターみたいで、日常と非日常の境目がぐしゃぐしゃになっていく。

「では、まず周囲の地形を確認したい。案内してくれる者が必要だな」

 セイルが冷静にそう言った瞬間。

「リュミエがいい」

 村長の口が、リュミエの人生をあっさり変えた。

「……え?」

 思わず変な声が漏れる。

「こいつは足も速いし、この辺りの地理にも詳しい。それに、ああ見えて度胸もあるんだ」

「いや、ちょっと村長、それ初耳なんですけど」

 慌てて抗議するも、アレンはぱっと顔を輝かせた。

「リュミエ、か。昨日の子だよな? 俺の華麗な転倒を防いでくれた!」

「華麗に転倒したことをそんなドヤ顔で言わないでください」

「ははっ! 冗談冗談。……でも助かったのはほんとだ。よろしく頼めるかな?」

 太陽みたいな笑顔で見上げられて、リュミエは一瞬、返事を忘れた。
 喉が勝手に動く。

「……わたしで良ければ、ですけど」

「助かる。俺たち、土地勘ないからさ」

 アレンが嬉しそうに笑い、セイルも静かに頷く。

「現地の案内人がいるのは大変心強い。お願いします、リュミエさん」

 ロウは短く「頼む」とだけ言い、カグラはフードの下で無言のまま、じっとこちらを見ただけだった。
 言葉は少ないのに、その視線が刺さる。

(え、これ……普通の村娘に振っていいポジション? もっと他にいない? 森のこと詳しいおじさんとか、狩人のお兄さんとか……)

 心の中でバタバタしながらも、もう決定事項はひっくり返らなかった。

 こうして翌日。
 リュミエは勇者パーティの“案内役”として、村の外の森へ向かうことになった。

    ◇

 森へ続く小道は、何度も歩いた馴染みのルートだ。
 踏み固められた土の道、頭上でざわめく木々、時々顔を出す小さな小川。
 いつもの光景のはずなのに、今日は背中に四つ分の“気配”がついてくるせいで、空気の密度がちがって見えた。

「この先、しばらく行くと開けた場所があります。最近魔物が出たっていうのは、その辺りです」

 リュミエは前を歩きながら説明する。
 アレンは隣で、まるで遠足に来た子どもみたいにきょろきょろと周囲を見回していた。

「へぇ、この森、いいなぁ。空気うまい。王都の森と匂いがちがうな」

「匂い、ですか?」

「うん。なんていうか……湿り気少なめ? 土が軽い匂いっていうかさ」

 アレンはわけのわからない表現をしながら、楽しそうに大きく深呼吸した。
 ロウが呆れたように鼻を鳴らす。

「呼吸しすぎて息切れするなよ」

「どんだけ虚弱だと思ってんだよ俺のこと」

「事実を言っただけだ」

「お前なぁ!」

 前でわちゃわちゃ言い合う二人を、少し後ろからセイルとカグラが眺めている。
 セイルは相変わらず本を片手に持ち、時々地面にしゃがみ込んで足跡や折れた枝を確認している。
 カグラは気配を限界まで薄めて、森の音に耳を澄ませているようだった。

(……ほんと、バランスおかしいパーティだな)

 勇者に賢者に聖騎士に暗殺者。
 全員が物語の主役級みたいな存在感で、ただ森を歩いているだけなのに、風景の“解像度”が違って見える。

「ここ、です」

 やがて、視界がぱっと開けた。
 木々の間から陽光が差し込む、小さな平地。
 草が踏み荒らされて、ところどころ土が剥き出しになっている。

「最近、魔物の群れが出たのは、この辺りです。荷馬車が襲われたって話も」

「ふむ……」

 セイルが周囲を見渡し、しゃがみ込む。
 ロウも剣の柄に手を添えたまま、周囲を警戒する。

「足跡が残ってるな。獣のものが多いが、それだけじゃない」

「魔物特有の魔力残滓もある。やはり報告通りだね」

 セイルが指先で空気を撫でるような仕草をする。
 そこにある、目に見えない何かを測っているようだった。

 リュミエも見慣れた景色をぐるりと眺めた。
 森のざわめき、土の色、倒れた枝の向き。

(……ここ、なんか嫌な感じするな)

 前にも数回来たことがある場所なのに、今日はどこか違う。
 空気がよどんでいるような、音が一枚フィルターを通したような――そんな違和感。

 彼女は、何気なく口を開いた。

「このあたり……伏兵を置かれたら、挟み撃ちされやすいですよね」

 しゃり、と草を踏む音が、やけに大きく聞こえた。
 瞬間、時間が止まったように感じる。

「……え?」

 最初に固まったのは、リュミエ自身だった。
 自分の口から出た単語を、理解するのに一拍遅れる。

(今、わたし、なんて言った?)

 伏兵。挟み撃ち。
 戦場で使われる言葉。

 視線を動かす。
 目線の先には、森の奥へと続く獣道。
 右側には、少し高くなっている斜面。
 左側にも、身を隠せる茂みが点在している。

 そこに人影を撫でるイメージが、勝手に頭の中で生成されていく。
 右に弓兵、左に突撃役。正面には囮。
 通りかかる隊列を、見事に“挟む”布陣。

(……いやいやいやいや)

 脳内に浮かぶ図が、あまりにも鮮明で。
 リュミエは自分で自分にドン引きした。

「……ほう」

 静かな声が、思考を引き戻した。
 セイルだ。

 賢者は、珍しく露骨な“驚愕”の色を顔に出していた。
 細い目をほんの少し見開き、リュミエと周囲の地形を何度も見比べる。

「確かに。ここは、そうですね……挟撃に適した地形です」

「だよな!?」

 アレンがなぜか楽しそうに乗ってくる。

「右に敵の主力、左に速いやつ、正面におとり置いたら、通りかかるこっちは結構キツいよな!」

「いや、なんで嬉しそうなんですか」

「いやぁ、わかってるやつと話すの楽しくて!」

「戦場トークで盛り上がらないでください、ここ畑帰りの村娘ゾーンなんで」

 ツッコミながらも、リュミエの指先は冷たくなっていた。

 ロウが、地面に片膝をついて周囲を見渡す。
 その目は、“戦うプロ”のそれに切り替わっていた。

「確かに。伏兵には充分な隠れ場所がある。見通しも悪くない」

「今まで魔物が現れたのも、このラインか……」

 セイルが地図を取り出し、印を付けていく。
 彼の頭の中では、すでに何通りものシミュレーションが走っているのだろう。

 カグラは一本の木にもたれ、腕を組んだまま、ちらりとリュミエを見た。

「お前」

 低く、短い呼びかけ。

「はい?」

「戦ったこと、ないよな」

 心臓が跳ねた。
 その質問が、笑い話ではなく“確認”として口にされたことが、怖かった。

「な、ないですよ。魔物なんて、遠くから見ただけでもう泣きそうになるレベルで」

「兵士でもない。狩人でもない」

 カグラは視線を逸らさないまま、淡々と続ける。

「なら、その発想はどこから出た」

「さぁ……どこからですかね……」

 乾いた声が、自分の喉から出ている。
 笑いにしようとしても、頬が引きつる。

 イリスとしての記憶が、うっすらと浮かび上がってくる。
 地図の上で駒を動かす。
 敵にとって一番嫌な場所に罠を仕掛ける。
 効率よく追い詰め、逃げ場をなくし、確実に仕留める。

 そういう“正解”を、何度も選び続けてきた。
 その癖が、今世の口から漏れ出しただけだ。

(でも、そんなの、言えるわけない)

 喉に手を突っ込んで、発言をなかったことにしたいくらいだった。

「……まぁいい」

 カグラはそれ以上追及せず、視線を森へ戻した。

 セイルが地図を畳みながら、リュミエの方へ向き直る。

「リュミエさんは、この近くで“いつもと違う”と思ったことはありますか?」

「いつもと、違う……」

 言われてみれば。
 胸に引っかかっていた違和感が、静かに輪郭を持ち始める。

「……前は、鳥の声、もっとしてました」

「鳥?」

「はい。森の中って、もっと賑やかなんですよ。小さいのから大きいのまで、いろんな声がしてて。……でも、ここ最近、静かな気がして」

 耳を澄ます。
 木々のざわめきはある。風の音もする。
 でも、確かに“鳴き声”が少ない。

「それに、匂いも」

「匂い?」

「なんか……ちょっと、鉄みたいな匂いがする。血、とまではいかないけど、森の匂いに混じって……嫌な感じ、がするんです」

 言葉にしてから、ぞっとした。
 自分の感覚の細かさが、急に怖くなる。

「……ほぉ」

 セイルがゆっくりと目を細める。
 観察対象を面白がる研究者のそれ――でも、それだけじゃない、何かを見つけたときの光。

「音と匂いで、変化を感じ取っているわけですか。面白いですね」

「お、面白いとかやめてください。自分で言ってて気持ち悪くなってきましたからね?」

 リュミエが思わず顔をしかめると、アレンが豪快に笑った。

「いやいや、めちゃくちゃ頼りになるって! すごいよ、そういうの感じ取れるやつ!」

「そうそう。俺なんか、変わったことと言えば“なんか最近野営地の飯がマンネリだなぁ”くらいしか気づいてなかったのに」

「それ気づく方向が違うだけじゃないですか」

「飯は大事だぞ?」

「否定はしないですけど」

 アレンはどこまでも呑気で、真っ直ぐで。
 だからこそ彼の「すごい!」という言葉が、妙に胸に刺さる。

(そんな、褒められていいものじゃないのに)

 前世の感覚と、今世の価値観が、胸の中でぶつかり合う。

 セイルはなおも興味深そうに続けた。

「重ねて伺いますが……リュミエさんは、誰かにそういう“観察の仕方”を教わった記憶は?」

「ないです。そんな大層なもの」

「兵士の訓練を受けたことも?」

「ないです。剣は握ったことありません」

 ほんの少しの嘘を混ぜる。
 “訓練”なんて生易しいものじゃなかったから。

 セイルはそれ以上突っ込まず、「なるほど」とだけ呟いた。
 その目は、何かを組み立て始めた人間の色をしていた。

    ◇

 日が傾き始めるころ、ひとまず村へ戻ることになった。
 勇者パーティはしばらく村の空き家を借りて寝泊まりするらしい。
 リュミエはその日の案内役としての役目を終え、へとへとになって自分の家へ帰ってきた。

「おかえり。……顔がすごいことになってるぞ」

 バルドおじさんは、ドロドロに疲れた顔を見て、苦笑しながらスープをよそってくれた。

「勇者様たちのお相手、そんなしんどいのか?」

「……いろんな意味で、体力持ってかれた感じ……」

「いい経験だと思え。人生でそう何度もできることじゃねえ」

「ポジティブすぎない?」

 スプーンを口に運びながら、リュミエは今日一日の出来事を頭の中で反芻した。

(伏兵がどうとか言っちゃったし……鳥の声とか匂いとか、調子乗って分析っぽいこと言っちゃったし……あーもう思い出すだけで恥ずかしい!)

 テーブルに突っ伏したい衝動をこらえていると、窓の外が赤く染まっていくのが見えた。
 夕暮れ。
 空が茜から群青へと変わっていく、境目の時間。

「……ちょっと、外の空気吸ってくる」

「ああ。夜更かししすぎんなよ」

 バルドに手を振って、リュミエは家を出た。
 ふらふらと足の向くまま歩く。

 気づけば、村の外れ――昨日、勇者たちが到着した広場の近くまで来ていた。

 そこでは、パチパチと焚き火の音がしていた。
 炎の周りに、四つの影。

(……あ、やば)

 完全に、鉢合わせた。

 そっと踵を返そうとした瞬間。

「リュミエ?」

 名前を呼ばれて、完全に逃げ遅れる。
 アレンが手を振っていた。

「おー、やっぱり。こっち来る?」

「い、いえ、邪魔するつもりは――」

「邪魔とかないから。ほら」

 アレンの笑顔は、夜でも眩しい。
 焚き火の光を映した瞳が、悪気ゼロでこちらを誘ってくる。

 セイルも軽く会釈し、ロウは顎だけで「座れ」と示す。
 カグラだけは、炎の向こう側でじっと黙っていた。

(帰る勇気が、ない……)

 諦めて、リュミエは焚き火の輪に加わった。
 火の温度が、昼間とは違う顔を見せている。
 木がはぜる音、時々燃えた枝が崩れる音。

 夜の匂いに、炙られた肉の香りが混じる。

「少し分けようか?」

 ロウが串に刺した肉を差し出してくる。
 その仕草は妙に慣れていて、野営生活の長さを感じさせた。

「いいんですか?」

「ああ。アレンが余計に焼いた」

「言い方!」

 アレンが抗議するが、実際、皿の上には肉が山になっている。
 リュミエは一口かじって、目を丸くした。

「おいしい……」

「だろ!? ほらロウ、ちゃんと“アレンが焼くと美味い”って言ってもらえよ!」

「味付けを考えたのはセイルだ」

「お前さぁ!!」

 くだらないやり取りに、少し笑いが漏れる。
 昼間の緊張が、じわじわほどけていく。

 ふと、セイルが火を見ながら口を開いた。

「今日、一緒に森を歩いてみて、確信したことがあります」

「確信?」

 アレンが首をかしげる。
 ロウも視線を向け、カグラもほんの少しだけ顔を上げた。

 セイルは眼鏡の縁を指で押し上げる。
 炎の光がガラスに反射して、一瞬だけその目が読めなくなる。

「リュミエさん」

「は、はい」

「あなたは、この世界の“鍵”かもしれません」

 焚き火のぱち、という音が、妙に大きく響いた気がした。

「……は?」

 間抜けな声が出る。
 脳が一瞬で処理を放棄した。

「鍵って……いきなりスケール大きすぎません?」

 世界の鍵。
 そんな物騒なワード、この村の土とパンの生活にはあまりにも似合わない。

 アレンが口笛を鳴らした。

「出たよ、セイルの“意味ありげ単語”」

「ちゃんと説明しますよ」

 セイルは苦笑しつつも、真剣な表情を崩さない。

「今日の森での観察と、あなたの言動、そして――この村を中心に起きている異変。それらを合わせて考えると、どうしても無視できない」

「無視してほしい側からの意見も聞いてください」

「そう言うと思いました」

 リュミエの軽口にも、セイルは静かに続ける。

「まず一点。あなたは、訓練を受けていないと言いながら、戦場における地形認識と危険察知の感度が異常に高い」

「異常って言い方やめません?」

「褒め言葉ですよ」

「嘘つけ」

 セイルは軽く笑ったが、すぐに表情を引き締めた。

「鳥の声の変化、匂いの違和感。視覚だけでなく、聴覚と嗅覚を総合して状況を判断している。兵士でも難しいことです」

「それに、伏兵うんぬん」

 アレンが串を回しながら口を挟む。

「あれ、ぶっちゃけ、俺たちでも“おっ”ってなるレベルだったぞ。あの一言で、ここがどれだけ危ない場所かわかったし」

「確かに。あの一言がなければ、ただの“魔物が出た場所”としてしか見ていなかったかもしれない」

 ロウの言葉が、焚き火の熱よりじんわり重く響く。

「我々は数々の戦場を見てきたが……あそこに初めて来て、あの発想が自然に出てくる村人は、見たことがない」

「……」

 褒め言葉なんだろう。
 でも、リュミエには、誉め殺しに近く聞こえた。

「そしてもう一点」

 セイルは、リュミエをまっすぐ見た。

「魔物の異常発生が起こっている“中心”が、この村であるということ」

「それは……偶然じゃないですか?」

「偶然、かもしれません。ですが王都が情報を集めた結果、“この村の周辺に異常が集中している”という報告が出ている」

 セイルは地面に簡単な円を描き、周囲に点を打っていく。

「ここが村。そして、魔物の出現報告があった地点が、ここ、ここ、ここ……」

 点はすべて、村を中心とした円の周囲に散らばっていた。
 まるで、何かがこの村を囲うように。

「……囲んでる、みたいですね」

 思わず口から漏れた言葉に、セイルが小さく頷く。

「そう。まるで、中心部を侵す前に、外側からじわじわと圧をかけているような」

「魔物がそんな頭のいいこと、するのか?」

 アレンが首を傾げる。

「普通は、しません。だからこそ――誰かの意図を疑わざるを得ない」

 誰かの意図。

 それは、前世のイリスが、何度も世界に仕掛けてきたものだった。
 あの頃の自分なら、こんなパターンを選びそうか?
 そう問えば、答えは「はい」だった。

(やめて……思い出させないで)

 胸の奥が、きゅっと縮む。

 セイルの声が、静かに続いた。

「そして、その“中心”にいるのが――あなたです、リュミエさん」

「わたしはただの村娘ですけど!?」

 反射的に立ち上がりそうになって、膝に力を込めて留まる。

「勇者様たちを案内したり、スリを足払いしたり、伏兵うんぬん言っちゃったりするただの村娘ですけど!?」

「自覚があるのかないのか、よくわからない自己紹介ですね」

「今のでむしろ自覚したわ」

 自虐気味に返すと、アレンが少しだけ真面目な顔になった。

「でもさ、セイルの言う“鍵”ってさ、別に“お前が全部の元凶だ!”って意味じゃないんだぜ?」

「……え?」

「この世界で何かが起きてるとして、それを開けるのにも、閉じるのにも、“鍵”って必要だろ? 鍵ってさ、扉をこじ開ける悪い道具にもなるけど……正しく使えば、ちゃんと閉じるための道具にもなる」

 アレンの声は、焚き火の音に混じって柔らかく響いた。

「俺は正直、まだよくわかんないよ。なんで魔物がこんなに出てんのか。でも、今日一緒に森を歩いて、この村と森のこと、一番ちゃんと見てるの、リュミエだなって思った」

「……そんな大層な」

「大層なんだよ、それが」

 アレンはきっぱりと言い切る。

「だからセイルの“鍵”って言葉、俺は結構、好きだな」

 セイルは肩をすくめながらも、否定はしなかった。

「意図としては、そういう意味も含んでいます。あなたが、“扉の向こう側”へ繋がる何かを持っているのは、ほぼ間違いない」

「……扉の向こう側」

 その言葉を反芻した瞬間、脳裏に浮かんだのは、真っ白な実験室の扉だった。
 鍵のかかった分厚い扉。
 ガラス越しの世界。

(わたし、もうあっち側には戻りたくないのに)

 喉の奥が焼けるように熱くなる。
 吐き気にも似た、強烈な拒否反応。

「……そんな、大事な……わたしじゃなくても」

 かすれた声で、やっと絞り出す。

「もっと、ちゃんとした人がいいですよ。頭よくて、強くて、偉くて、名前がかっこいい感じの」

「名前の条件は重要なんですか?」

「重要ですよ。世界の鍵背負う人の名前、センス大事でしょ」

「そうですね、“リュミエ”って充分綺麗な名前だと思いますが」

 セイルがさらっと言う。
 不意打ちで、心臓に変な音が鳴る。

「……褒めてもなにも出ませんよ」

「褒めたのは事実なので。それに――」

 セイルの目が、ほんの少しだけ真剣さを増した。

「あなたが何者であれ、今この瞬間、村のことを誰よりも“怖がっている”のも、あなただと思う」

 どきん、と胸を打つ音がした。

 魔物の異常発生。
 森の静けさ。
 鉄の匂い。

 全部、“怖い”と思っていた。
 自分がまた、誰かを傷つける方向へ進んでしまうんじゃないか――そんな漠然とした恐怖も含めて。

「怖がることのできる人間は、だいたい、正しい場所に立っているものです」

「……難しいこと言いますね」

「賢者ですので」

 軽口を叩きながらも、その言葉は不思議と心に残った。

 焚き火の炎が、ぱちぱちと音を立てて弾ける。
 火の粉が少しだけ舞い上がり、夜の闇に消えていく。

 カグラが、やっと口を開いた。

「……“鍵”ってのは、狙われるってことでもある」

 その一言に、空気がきゅっと強張る。

「鍵がなければ開かない扉を、開けたいやつは必ずいる。壊すか、盗むか、利用するか」

「お前、もうちょっとオブラートという概念をな?」

 アレンが顔をしかめるが、カグラは表情を変えない。

「事実だ。……だから、鍵を名乗るなら、覚悟しとけ」

 焚き火の影が揺れて、カグラの瞳だけがきらりと光った。
 それは、暗闇の中で獲物を見つめる狩人の目に似ている。
 けれど、その矛先はリュミエではなく、“彼女を狙うかもしれない何か”に向いていた。

 ロウも静かに頷く。

「鍵なら、その身を守る盾が必要だ。……それは、俺たちの役目でもある」

「ちょっとロウ、それ今さらっとかっこいいこと言ったよね?」

「事実を言っただけだ」

「事実がイケメンなのよ」

 アレンとリュミエのツッコミに、焚き火の周りの空気が少しだけ柔らかくなった。

 でも、胸の奥の冷たさは、消えない。

(わたしが“鍵”……?)

 前世、イリス=ノワールは世界を裏から動かす“手”だった。
 誰かが回すハンドルの一部。
 人形劇の操り手。

 今世、リュミエとしての自分は、“鍵”だという。
 扉を開ける存在。
 あるいは、閉じる存在。

 どちらにしても――そこには、責任が伴う。
 誰かの人生を、世界を、また、自分の選択が動かしてしまうかもしれない。

(いやだ……でも)

 怖い。
 でも、同時に少しだけ――ほんの、少しだけ。

 胸の奥の奥で、“誰かに必要とされている”という実感が、ひそかに息をしていた。

 イリスとしての最後の願い。
 「次は、誰かに必要って言われたい」。

 その呪文みたいな言葉が、静かに蘇る。

「……わたし、別に、鍵になんかなりたくないですけど」

 ぽつりと、本音が漏れた。
 アレンが少しだけ驚いたように目を瞬く。

「ただの村娘でいたいし。パン食べて、ミナと喋って、たまに市場でスリを足払いして。そういうのが、いい」

「足払いは日常に含めなくていいと思うけど」

「うるさいです」

 リュミエは膝を抱え、焚き火を見つめる。
 炎が、ゆらゆら揺れる。
 未来も一緒に、揺れているみたいだった。

「でも……この村が、森が、みんなが、なんか変なことに巻き込まれてるなら」

 唇を噛む。
 怖い。
 でも、見なかったふりはできなかった。

「……できることは、やります」

 小さな声だった。
 でも、その言葉は、確かに夜の空気に溶けた。

 セイルが、静かに微笑む。

「それで十分です。ありがとうございます、リュミエさん」

 アレンは大きく頷き、ロウはほんの少しだけ口元を緩めた。
 カグラはフードの陰で、わずかに目を伏せる。

 焚き火が、一瞬だけ強く燃え上がった気がした。
 火の粉が夜空に舞い、星と混ざる。

 世界のどこかで、見えない歯車がカチリと回る音がしたような気がした。

 その夜、リュミエは初めて、自分の中にある“何か”を、はっきりと恐れた。
 同時に、その“何か”が――この世界の未来に、深く関わってしまう予感も。

 まだ名前のない不安だけが、胸の中で静かに形を取り始めていた。
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