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第11話「過去の亡霊と、崩れ始める日常」
しおりを挟む――あの白い指は、誰のものだろう。
夢の中で、リュミエはいつも“第三者の視点”だった。
燃える街。
黒い糸。
倒れていく勇者の背中。
その全部を、少し離れた場所から眺めているだけだった。
だからまだ、「これは夢だ」と言い訳できた。
――今までは。
最近の悪夢は、そこから一歩、踏み込んでくる。
視界の端に、“自分の手”が映るようになった。
白い指。
細い手首。
傷のない掌。
それが、黒い糸を撫でている。
『西側の門を先に壊して。人の流れが偏ったところで、南から火をつける』
口が、そう喋る。
聞き覚えのある声。
毎日、自分の喉から出している声。
『北の貴族街は……最後でいいわ。あそこは、生き残った誰かが“復讐”を誓うための舞台として残しておく』
壁の地図の上で、白い指がすべる。
『復讐者は、次の戦争の火種になる。使えるものは、残しておかないと』
自分の唇が、そんなふうに笑う。
――ねぇ、それ、誰の口?
そう問いかけても、夢は止まらない。
『勇者は、必ず西に向かう。助けやすい方を、選ぶから』
勇者の顔は映らない。
でも、その背中や動き方が、どこかアレンに似ていて、胸が痛くなる。
『その間に、東側の砦を落として。
王都への連絡を遅らせて……混乱させて……』
計算だけが、冷静に積み上がっていく。
リュミエは、その“頭の中”が、自分のものだと理解してしまった。
だから――
「……やめて」
寝言みたいに呟いた声で、夢の中の“わたし”は、
何もやめなかった。
◇
がば、と体を起こす。
胸が苦しい。
喉が焼けるみたいに痛い。
シーツは汗で貼りついて、枕は涙で濡れていた。
「……っは、はぁ……」
息を整えながら、リュミエは震える手を見下ろす。
さっきまで夢の中で見ていた、“あの白い指”と同じ手。
細くて、傷が少なくて、“村娘の手”としては少し綺麗すぎる手。
パンをこねるときも、森で枝をよけるときも、
ふいに別の動き方をしようとすることがある。
地図の上に指を滑らせるみたいに。
人の動きを線でなぞるみたいに。
「……わたし、何やってたの、前」
誰に向けたのかわからない問いが、薄暗い部屋に溶ける。
イリス=ノワールとしての記憶は、まだ全部戻ってきてはいない。
でも、断片はどんどん鮮明になっていく。
白い部屋。
冷たい視線。
「感情はいらない」と言い聞かせる声。
その先にあったのが、あの“指示を飛ばす自分”だったのだとしたら――
(最低じゃん)
自分で自分にツッコミを入れる余裕は、もうほとんどなかった。
コンコン、と軽いノック音。
「リュミエ、起きてるか?」
アレンの声。
この時間に来るのは、用事があるときか、
ただ単にパンと朝ごはんを一緒に食べたいときだ。
「……起きてる」
なんとか声を出す。
「入っていい?」
「待って。顔、洗ってくる」
「お、おう。じゃ、外で待ってる」
足音が遠ざかる。
リュミエはベッドから転げ落ちるように立ち上がり、
洗面器に水を汲んで、顔を突っ込んだ。
冷たい水が、涙と汗と悪夢の残りカスをまとめて洗い流す。
(大丈夫、大丈夫。わたしは今、村のリュミエ。パン作って、文句言って、たまに戦場で叫んじゃうけど、それだけ)
そう自分に言い聞かせながら、
鏡代わりの水面をちらりと覗く。
そこには、泣き腫らした目と、青ざめた頬と、
「大丈夫」の字面から一番遠い顔が映っていた。
◇
朝の広場には、珍しく兵士が増えていた。
鎧の音。
槍の先の光。
王都から派遣された“追加戦力”だ。
村の周囲で見つかった魔法陣――
あの焦げ跡の続きが、いくつも発見された。
岩の裏。
木の根元。
畑の角。
セイルとカグラの検証の結果、
それは“偶然似ている”どころではなく、
かつて黒幕が使っていた術式とほぼ同じものだと判明した。
「模倣犯か、残党か」
セイルが、眉間に皺を寄せる。
焚き火を囲んだ夜の会議で、彼は何度も地図をなぞった。
「どちらにせよ、こちらに“知識”がないと描けない類の陣です。
王立図書院でも、術式の詳細は封印されていますから……漏れているとすれば、現場の誰かからでしょうね」
「黒幕の手下だった連中か」
ロウが唸る。
カグラは黙って地図を見つめていた。
その目は、昔を見ているようで、今を見ているようで、そのどちらでもある。
「……“本人”って可能性は」
ぽつりとアレンが言いかけて、
全員の視線が一瞬だけリュミエに流れる。
場の空気が、きゅっと冷えた。
リュミエは、笑うしかなかった。
「いやいやいや、そこ見ないでください。本人だったら、もっと優雅に悪さしてると思いますよ?」
「優雅に悪さって何」
「知らないですけど!」
冗談めかして返すと、アレンは慌てて手を振った。
「いや、違う違う! 俺はその……お前を疑ってるわけじゃなくてな?」
「わかってますよ」
本当に、わかっている。
疑われること自体は、前世で散々経験してきた。
それより今は、“自分自身が自分を疑っている”ことの方がよほど厄介だ。
「……いずれにせよ、リュミエさんを中心に警備を固めるべきです」
セイルの提案は、合理的だった。
「彼女が狙われている可能性は高い。
陣の中心は村であり、“鍵”の存在位置もここ。
黒幕の残党が、彼女を“利用価値のある何か”として見ていると考えるのが自然です」
「利用価値って言い方やめません?」
「賢者の口は時々毒ですから」
「自覚があるなら直して」
軽口を叩いても、張り詰めた空気はそれほど緩まない。
結局――
「市場に行くときはアレン」
「図書室や調査のときはセイル」
「家の周りと村全体の巡回はロウ」
「屋根と森の影からの監視はカグラ」
という“過保護を通り越して監禁に近い”護衛体制が本格始動することになった。
(……いやほんと、過保護すぎない?)
内心ツッコみつつも、外では笑って「よろしくお願いします」と言う。
守られるのは嫌いじゃない。
でも、“守られなきゃいけない存在”にされるのは、少し痛い。
(だって、結局“中心”じゃん。
わたしが巻き込んだみたいに見えるじゃん)
それが事実かどうかは、まだ誰にもわからないのに。
◇
それでも村は、祭りの準備を始めていた。
魔物が出るからといって、
毎日怯えて暮らしてばかりでは、心が先に死んでしまう。
収穫祭を小さくして、村の広場でだけ、
簡単な屋台と飾り付けをすることになったのだ。
「……祭り、やるんだ」
準備を手伝いながら、リュミエはぽつりと呟く。
「やるさ」
バルドおじさんが、パンを焼きながら笑う。
「疲れたときこそ騒げ。そうじゃなきゃ、心が持たねぇ」
「名言ぽい」
「パン屋の人生論だ」
村の子どもたちが、色とりどりの布を吊るし、
女たちが花飾りを編み、
男たちが樽を転がして酒を準備する。
勇者パーティも、当然のように巻き込まれていた。
「アレン、そこ押さえてろ!」
「了解、村長!」
広場の中央に立てるための大きな柱を、
アレンがわいわい言いながら支えている。
「セイルは花輪作れる?」
「理論上は可能ですが、実技は保証しません」
「理論の話、今いらない」
セイルは器用な指で、意外と綺麗に花を編んでいた。
ロウは手早く簡易のステージを組み立て、
カグラは……いつも通り、屋根の上から全部を見ていた。
(変なの)
ほんの少し前まで、“黒幕に翻弄された世界の英雄たち”だった人たちが、
今は村の祭りの裏方をやっている。
そんな違和感が、逆に心地いい。
リュミエは、屋台の手伝いをしながら、
胸の奥に小さな違和感が残っていることにも気づいていた。
(夢の続き、見たくないな)
眠るのが怖い。
でも、起きている間にまで記憶の断片が押し寄せてくるのは、もっと怖い。
最近は、昼間でもふいに、“地図の上から世界を見る視点”が顔を出すようになっていた。
人の流れ。
露店の位置。
屋台の配置。
柵の場所。
それらが、ひとつの“盤面”として立ち上がってくる。
あまりにも鮮明すぎて、無視できない。
「大丈夫?」
気づけば、セイルが隣に立っていた。
花輪を片手に持ちながら、さりげなく様子を伺っている。
「はい。ちょっと、考え事してただけ」
「考え事の内容を聞いても?」
「祭りの屋台の順番のことです」
「嘘ですね」
「バレた」
軽口を交わしても、胸の重さは消えない。
セイルはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……夢、ひどくなってますか」
真正面から刺してくるあたり、
さすが観察魔というか、賢者というか、空気読めないというか。
「ひどい、というか……鮮明?」
リュミエは笑いながら、肩をすくめた。
「わたしが指示飛ばしてる夢、見てます。
すっごい冷静に、“ここ壊して”“ここ燃やして”って言ってて。
……それが、どう考えても“黒幕の仕事”なんですよね」
「……」
「でも、夢なんで。夢ですから。はい。夢夢」
自分で言っていて、だいぶ苦しい。
セイルは眼鏡の奥で目を閉じ、しばらく考えてから口を開いた。
「……夢は、記憶の整理でもありますから」
「やめてください、その職務的正論」
「ただの一般論です」
「一般が一般じゃないんですよ、こっちは」
笑ってみせるけれど、内心はもう限界に近い。
セイルはそれ以上深く追及せず、
花輪をひとつ差し出した。
「これは?」
「頭にでも。似合うと思います」
「唐突な口説き、やめてもらっていいです?」
「事実を述べただけです」
そう言いながら、彼は花輪をリュミエの髪にそっと乗せた。
指先が、ほんの一瞬だけ震えていることに、リュミエは気づく。
(あ、この人も怖いんだ)
自分の見ている悪夢と、
セイルが追い続けてきた黒幕の記録が、
どこかで交差しそうになっているのを、
彼もまた敏感に察しているのだろう。
「……似合ってますよ」
「はいはい、ありがとです」
ぶっきらぼうに返して、リュミエは屋台の方へ戻った。
◇
祭りの夜。
広場には灯りがともり、
簡易の提灯が風に揺れている。
焼いた肉の匂い。
甘いお菓子の匂い。
酒の匂い。
子どもたちの笑い声と、大人たちのはしゃぎ声。
勇者パーティも、それぞれの形で祭りに馴染んでいた。
アレンは子どもたちにせがまれて腕相撲大会を開き、
セイルは村のおばあちゃんに“昔話”をねだられ、
ロウは隅で酔っぱらいを見張り、
カグラは屋根の上でいつものように影の一部になっている。
リュミエは、バルドの屋台を手伝っていた。
「はい、焼きたてパンとスープセット、そこの幸せそうなカップルにー」
「だれがカップルだ!」
「否定の反応が若いですね村長」
笑いながらパンを渡し、
スープの鍋をかき混ぜる。
――楽しい。
心からそう思える瞬間が、確かにあった。
でも、その“楽しい”の裏で、
視界の端にもうひとつの世界が立ち上がっていく。
屋台の配置。
人の密度。
出入り口の位置。
灯りの数。
(この人の流れ、もし乱したら……)
悪夢と同じ“視点”が、
勝手にそこから先を描き始めた。
(広場のこの真ん中に何か落とせば、一番混乱する。
逃げ道はこことここ。
行き止まりはあの路地。
あそこに火をつければ、こっちに流れる――)
やめろ。
頭のどこかで、誰かが叫ぶ。
でも、もうひとつの声は、容赦なく続けた。
『この配置、利用できる』
耳の奥で、前世の声が響く。
『村の広場で混乱を起こせば、その報せは王都に向かう。
兵力の一部が“田舎の一村”の救済に割かれる。
その隙に、別ルートで王都に揺さぶりをかけることができる』
視界がぐらりと揺れた。
(やめろやめろやめろやめろ)
スープの鍋を掴む手に力が入りすぎて、
柄がきしむ。
『出口を塞ぐのは簡単。
ここに小さな爆発を二つ。
人の波は、いちばん狭い場所に殺到する。
そこで――』
「やめて!!!」
叫んでいた。
自分でも驚くくらいの大声で。
スープの柄杓が、鍋に落ちて、熱い汁が跳ねる。
周囲の会話が一瞬止まる。
「リュミエ!?」
アレンの声。
視界がちゃんと焦点を結ぶ前に、
肩を掴まれた。
「大丈夫か!? 今なに――」
「……っ、あ……」
人の顔が、にじんで見えた。
アレン。
セイル。
ロウ。
バルド。
村の人たち。
全部が、“駒”として並び替えられそうになって、
リュミエは自分で自分に悲鳴を上げた。
「いや、いや、いや……やだ……」
頭を抱える。
膝が抜けそうになる。
ロウが素早く背中を支え、
セイルが人垣を広げさせる。
「みんな、一旦離れて! 大丈夫、ただの立ち眩みか何かだから!」
アレンが必死に場を誤魔化している声が聞こえた。
でも、リュミエには、
“この人の配置なら、どう混乱するか”のシミュレーションが消えなかった。
出口は二つ。
狭い路地は三つ。
子どもが多いのは右側。
老人が多いのは左側。
(全部、頭から出てって……!!)
涙がにじむ。
「リュミエ」
セイルの声が、耳元で静かに落ちた。
「今、どこにいますか」
「……広場、で」
「今、何を見ていますか」
「ひと……ひと……いっぱい……」
「誰の顔が、見えますか」
問われて、必死に視界を探る。
アレンの顔。
驚いた目。
心配そうな眉。
ロウの顔。
真剣で、でも焦っていて。
セイルの顔。
冷静に見せかけて、目の奥が震えている。
その全部が、“駒”じゃなくて“人”だと、
必死に言い聞かせる。
「……アレン、さん」
名前を口にした瞬間、
少しだけ、頭の中の“戦場モード”が引いた。
「ロウ、さん。セイル、さん。……おじさん」
バルドが「おう」と返す声がして、
リュミエは泣き笑いみたいな顔になった。
「……よかった」
まだここは、夢じゃない。
悪夢の世界じゃない。
でも、“前世の声”は確かにここにも忍び込んできている。
その事実が、恐ろしくてたまらなかった。
◇
少し離れた場所。
人混みから外れた屋台の裏で、
リュミエは桶の水で顔を洗っていた。
アレンとセイルとロウが、少し離れて輪を作る。
「……さっきの、見たか」
最初に口を開いたのはアレンだった。
「ああ」
ロウの返事は短い。
セイルは眼鏡を外し、こめかみを押さえていた。
「配置、という言葉が、彼女の口から出る前に――
頭の中で“戦場の線引き”をしていた可能性が高いですね」
「やめろ、分析やめろ」
アレンが顔をしかめる。
「俺、ああいう顔、もう見たくねぇんだよ」
ソラが倒れたあの戦場で、
黒幕の“手”に翻弄されていたとき、
仲間たちも同じような顔をしていた。
恐怖と、混乱と、自分への嫌悪。
その全部が、リュミエの表情に重なって見えてしまった。
「……過去の亡霊が、動き始めている」
セイルがぽつりと呟く。
「黒幕〈影蜘蛛〉そのものか、“そいつを真似た何か”かはまだわからない。
でも、術式といい、魔物の誘導といい――
“イリス=ノワールと同じレベルで戦場を見ている誰か”が、この村を狙っているのは確かです」
「リュミエ本人、ではなく?」
ロウの問い。
セイルは少しだけ考え、首を横に振った。
「彼女はまだ、“迷っている”。
もし完全に黒幕の思考を取り戻しているのなら、
自分で自分にあそこまで悲鳴は上げないでしょう」
「じゃあ、なんであんな鮮明に……」
「前世の記憶が、断片的に戻ってきていると考えるのが妥当です。
――悪夢の形で」
アレンの拳が、ぎゅっと握られた。
「それ、マジでやだな」
「ええ。私もです」
セイルは静かに同意する。
「彼女が“鍵”であると同時に、“扉の向こう側”に繋がった存在でもあるのなら……
過去の亡霊が、彼女を通して現実に顔を出そうとしているのかもしれません」
「させねぇよ」
アレンの声には、迷いがなかった。
「黒幕だろうが、残党だろうが、
リュミエの頭の中を勝手な通路にするやつは、全部ぶっ飛ばす」
「理論的ではないですが、賛成です」
「お前もそう言うんだな」
セイルの言葉に、ロウも頷いた。
「過去に守れなかったものがどうであれ――今守るべきものは、ここにある」
その視線の先には、
顔を洗い終え、必死に笑顔を作ろうとしているリュミエの背中があった。
◇
水で顔を冷やしながら、
リュミエは内側からこみ上げてくる声を、必死に押し戻していた。
(今のは夢じゃない。
起きてるのに、“あっちの頭”が割り込んできた)
祭りの楽しい音と、
前世の冷酷な計算が、
同じ頭の中で同居している。
その違和感は、
崩れ始めた日常のきしみの音にも似ていた。
「……はぁ」
ため息をついたところで、
カグラが影からふっと現れた。
「……派手にやったな」
「見てたんですか」
「屋根の上から全部見える」
「そりゃそうですね」
リュミエは乾いた笑いを漏らした。
「怒ってます?」
「なぜ俺が怒る」
「ほら、また“隙を晒した”とか、“狙われたらどうする”とか言われるかなって」
「それは、別の場面で言う」
「言うんだ」
ほんの少しだけ笑い合う。
カグラはしばらく黙っていたが、
やがてぽつりと落とした。
「……さっき、お前の声が、一瞬だけ“あいつ”に似ていた」
リュミエの心臓が、跳ねた。
カグラの言う“あいつ”が誰かを、
もう彼女は知っている。
黒幕〈影蜘蛛〉。
世界を裏から操っていた影。
そして、きっと――イリス=ノワールそのもの。
「でも、そのあとすぐ……“違う”と思った」
続く言葉が、少しだけ救いになる。
「“利用する”ための声じゃなかった。
“やめてくれ”って、自分に向かって叫んでる声だった」
リュミエは唇を噛む。
「……聞こえてたんですね」
「ああ。全部」
「最低ですね、あたし」
「最低なら、とっくに俺は斬ってる」
カグラの返事は、あまりにもあっさりしていた。
「俺は、“黒幕に利用されていた被害者”だ。
あいつと同じ匂いがしたら、一番に首を狙う立場にいる」
「物騒」
「だが、お前はまだ……“戦ってる”」
カグラは、空を見上げる。
祭りの灯りが、夜空に小さな輪を作っている。
その下で、リュミエは必死に“黒幕モード”と戦っている。
「戦っているやつに、いきなり刃を向けるのは、俺の流儀じゃない」
「……ありがと、ございます」
小さな声。
それでも、その言葉は、
崩れかけた足元に一本の杭を打ってくれる。
過去の亡霊は、確実に近づいてきている。
魔法陣。
魔物の誘導。
そして、前世の声。
日常は、少しずつ、静かに崩れ始めている。
でも――
リュミエの隣には、
勇者と、賢者と、聖騎士と、暗殺者がいる。
それぞれの過去と傷と恋心を抱えながら、
彼女を“鍵”としてではなく、“ひとりの少女”として守ろうとしている。
その事実だけが、
まだ、世界の色を保っていた。
祭りの喧騒が、再び広場から届いてくる。
リュミエは深呼吸をひとつして、
崩れかけた日常の中へ、もう一度足を踏み入れた。
まだ、終わらせたくないから。
このぬるい幸せを、もう少しだけ抱きしめていたいから。
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