黒幕の私が転生したら、なぜか勇者パーティ全員に求婚されてます

タマ マコト

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第15話「暴走する仕掛けと、黒幕の本能」

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 世界が、鳴った。

 それは音というより、
 空気そのものに走った“ひび”の感覚だった。

 村の空が、びり、と揺れる。

 同時に――足元の土の奥から、
 低くうなるような魔力の振動が走った。

「……今の、なに」

 パン屋の裏口で、空のカゴを抱えたまま固まる。
 リュミエの肌に、ざわざわと鳥肌が立つ。

 次の瞬間。

 村の北側から、誰かの叫び声が上がった。

「魔物だ――!!」

 ただの魔物じゃない。

 リュミエの目には、
 村の外れ、畑と森の境目あたりで、
 “空間そのものが裂けている”のが見えていた。

 空が、ぐにゃりと歪み、
 紫がかった穴がぽっかりと開く。

 その穴の向こうから、
 獣の唸りと、粘ついた呼吸音が溢れてくる。

「……ゲート」

 口が、勝手に言葉を選んだ。

 魔物ゲート。
 自然発生することもあるけれど、
 こんなに短い時間で、あちこち一斉に開くものじゃない。

 空気を切り裂く音。

 店の前の通りを、
 アレンが駆け抜けていった。

「リュミエ! 中にいろ!」

「ちょっと――」

 引き止める暇もない。

 セイルはすでに広場に向かって走り出している気配がする。
 ロウは鎧を着る時間も惜しんで剣だけ掴んで飛び出していく。
 カグラは――もう、どこかの屋根の上だ。

(最低なタイミング)

 昨夜、「処罰してほしい」と頭を下げたばかりだ。
 答えはまだ出ていない。

 彼らと自分の間に落ちた沈黙は、
 まだ、冷たいまま残っている。

 そこに――

 世界規模の嫌がらせみたいなトラップが、
 容赦なく発動した。

    ◇

 外に出る。

 パン屋の前からでも、
 北と西と東、三方向で空間が歪んでいるのが見えた。

 距離は微妙にバラバラ。
 けれど、中心には必ず“村”がある。

 空気の中に、
 薄い線がいくつも重なっているのが見えた。

 魔法陣。

 地面に刻まれた焦げ跡が、
 今、同時に“繋がった”のだと直感する。

「……やらかしてくれたな、前世のあたし」

 自嘲が漏れた。

 頭の奥が、きゅうっと締めつけられる感覚。

 視界の端から、
 世界の“盤面”が立ち上がる。

 村の地図。
 魔物ゲートの位置。
 人の分布。
 逃げ道。
 詰みルート。

 ぜんぶ、勝手に見えてくる。

(やめて。そういう見え方、今いらない)

 心のどこかが、叫ぶ。

 でも、“イリスとしての脳”は、止まらない。

 魔力の流れ。
 陣の構造。

 数秒のうちに、
 ゲートが開く順番まで予測してしまう。

『“万が一”自分が倒されたときの保険として、
 世界中に小さな陣をばらまいておくといいわ』

 耳の奥で、前世の声が響いた。

 それは、他人の声じゃない。
 自分の、“昔の声”だ。

『自分がいなくなったあとも、
 世界が勝手に混乱し続けるような仕掛け。
 そうしておけば、どこかの誰かが“次の黒幕”にならざるをえなくなる』

 最低の保険。

 その一部が、今、ここで暴走している。

「リュミエ!!」

 アレンの声に、意識が引き戻された。

 広場の方から駆けてきた彼は、
 肩で息をしながら、リュミエの腕を掴む。

「なんで外に――って、今それどころじゃない! 北と西でゲート開いた! 東側もやばそうだ!」

「見えてます」

「は?」

 アレンが目を瞬く。

 リュミエの瞳は、
 いつもの柔らかさを欠きかけていた。

 視線が、戦場を斜め上から見るように動く。
 どこに誰がいるか。
 敵が何匹か。
 どの方向から流れてくるか。

 ――全部、ひと目で掴んでしまう。

 怖い。

 でも、それ以上に。

(止めなきゃ)

 自分が仕込んだ“保険”だ。

 イリス=ノワールが、
 自分が死んでも世界を混乱させるために設計した罠。

 それが今、
 リュミエの“大事な場所”を狙っている。

 吐き気がするほど皮肉だ。

「アレンさん」

 リュミエは、彼の腕を握り返した。

「わたしが……これ、止めます」

「お前が?」

「わたしの、仕掛けだから」

 言葉を吐きながら、
 胃のあたりがひっくり返りそうだった。

 でも、逃げたくなかった。

「これを放っておいたら、この村だけじゃ済まない。
 このゲートは……世界中にばらまいた魔法陣の“起動信号”の一部です。
 ここが崩れたら、他の場所も連鎖的に開く可能性が高い」

「世界中……?」

 アレンが青ざめる。

 セイルが駆けてきた。

「リュミエさん! 魔力の波形が異常です……これは、単独のゲート発生では――」

「連鎖起動型のトラップです」

 口が勝手に答えた。

 セイルが息を飲む。

「――前世のあなたが仕込んだ?」

「はい。……最悪です」

「理解が早くて助かります」

 そう言いながら、セイルも唇を噛む。

「発動条件は?」

「たぶん、“黒幕〈影蜘蛛〉が完全に戦線離脱したとき”。
 死んだ時か、長期間行動不能になった時」

「このタイミングで起動したということは……
 イリス=ノワールの“死”が、今になって世界規模で認識されたということでしょうね」

 十年なのか、数年なのか。

 タイムラグの理由はわからない。
 けれど、トラップが“今”動いたことだけは事実だ。

 村の外から、
 魔物の咆哮が近づいてくる。

 悲鳴。
 剣戟。
 魔法の光。

 戦場が、迫っていた。

 ロウが剣を握りしめて駆け寄る。
 カグラの影が屋根からすべり降りてくる。

「もう始まっている」

 ロウの声は低い。

「北側の防衛線が薄い。
 西からのゲートは森を抜けてすぐ村の柵に届く。
 東は……数は少ないが、子どもたちが逃げる道に近い」

 彼の観察も正確だ。

 でも――

「ロウさん」

 リュミエは、全員の顔を見渡した。

 アレン。
 セイル。
 ロウ。
 カグラ。

 昨夜、「わたしを処罰して」と頭を下げた彼ら。

 彼らの目にはまだ迷いがある。
 怒りも、悲しみも、全部消えていない。

 その上で――

「……指揮を、わたしにください」

 四人の表情が、揃って変わった。

「は?」

「リュミエさん……?」

「冗談を言っている場合ではないぞ」

「お前、自分が何を――」

 矢継ぎ早の声。

 リュミエは、全部まとめて飲み込むように、
 息を大きく吸い込んだ。

 そして――声のトーンを変えた。

 自分でも、嫌になるほど、
 “聞き覚えのある声色”に。

「アレンさんは北ゲートへ。
 正面防衛、村の入り口を絶対に突破させないこと。
 ロウさんは西側――森の出口で“壁”になってください。
 セイルさんは中央の高台から全体をカバー。
 カグラさんは東、西、北のゲート周囲を巡回して、
 “ゲートそのもの”を潰せる位置に陣取って」

 空気が、びし、と固まった。

 その口調は――

 冷静。
 淡々。
 感情の揺れがない。

 まるで、机の上で戦場を組んでいた頃の〈影蜘蛛〉そのものだった。

 アレンの眉が、ぴくりと動く。

 耳の奥で、ソラが倒れた戦場の残響が蘇る。

 “あの声の指示が聞こえた”と報告していた兵士たちの言葉。

 セイルの胸にも、禁書の記録と重なる響きが突き刺さる。

 ロウは奥歯を噛み締め、
 カグラの指先がわずかに震えた。

「……お前、今、自分がどんな声で喋ってるかわかってるか」

 アレンが、かすれた声で言う。

「わかってます」

 リュミエは目を逸らさない。

「でも、今は、それを使わなきゃいけない」

 その瞬間――

 リュミエの中で、“何か”がカチリと噛み合った。

 視界が変わる。

 世界が、一枚の盤面になった。

 北ゲートから溢れ出す魔物の種類。
 西ゲートに集まりつつある影。
 東ゲートから覗く爬虫類系の魔物の姿。

 それらが、“駒”として並び替えられる。

 数十手先の展開が、一気に流れ込んでくる。

 北が崩れれば、村は終わる。
 西が突破されれば、避難路が断たれる。
 東を放置すれば、子どもたちのいる地区に直撃する。

 どこを切り捨てれば、
 どこを守れるか。

 ――どこも、切り捨てたくない。

 その感情だけは、
 イリスだった頃には持っていなかった“ノイズ”だ。

「リュミエ」

 ロウが、短く呼ぶ。

「本気でやるつもりか」

「やるしかないです」

 リュミエは、ぎゅっと拳を握った。

「これは、わたしが仕込んだ最悪です。
 なら、今のわたしが責任取るしかない。
 ――指揮させてください」

 数秒の沈黙。

 風が、草を揺らす。

 アレンが、ゆっくりと息を吐いた。

「……クソ」

 頭をぐしゃぐしゃとかき回し、
 リュミエを睨む。

「あとで絶対に“その声”のこと文句言うからな」

「聞きます」

「聞くだけじゃねえ、ちゃんと受け止めろよ」

「努力します」

「努力じゃなくて――もういい!」

 叫んでから、アレンは剣を抜いた。

「勇者アレン、北に行く! 指揮、任せた!!」

 走り出しながら、
 振り返らずにそう言った。

 それは、“信頼”とも“ヤケクソ”ともつかない合図だった。

 ロウも続く。

「西は任せろ。
 落としきれなかったら、そのとき斬る」

「了解です」

「軽く言うな」

 セイルは、杖を握りしめた。

「全体の魔力制御、やります。
 あなたの指示に、理論を追いつかせてみせましょう」

「お願いします」

「あとでちゃんと、“もう二度と黒幕モードで喋らない訓練”も一緒に考えますからね」

「そんな訓練あるんですか」

「作ります」

 カグラは、影の中で目を細めた。

「……指揮が間違ってたら、その場で刺す」

「はい」

「それでもいいなら、従う」

「それでもいいです」

 四人が、バラバラの方向へ走り出す。

 リュミエは、丘の中腹――
 村全体を見渡せる位置に立った。

 深呼吸。

 胸の奥で、イリスとしての本能がざわつく。

 世界を操りたくなる衝動。
 誰かを駒として置きたくなる感覚。

 でも――

(違う。今回は、違う)

 同じ“見え方”を、別の方向に使う。

「――アレンさん、聞こえますか!」

 風に乗せて叫ぶ。

 北側で剣を構えたアレンが、
 ちらりと振り返り、手を上げた。

「そこから先、五十メートル以内に近づかないでください!
 ゲートの縁、魔力の流れが不安定です!
 爆発するかもしれない!」

「了解!」

「右側、岩陰に三体! 一体は飛びかかるタイミング合わせてます!」

「――っと、マジかよ! ナイス!」

 アレンの動きが変わる。

 ゲートから溢れる狼型の魔物の群れ。
 彼はその中へ飛び込みつつも、
 リュミエの指示した“距離”を守っている。

 西側。

「ロウさん! 森の中の二列目、地面がぬかるんでます!
 そこに誘導して、足止めしてください!」

「了解!」

 ロウが盾を構え、
 魔物の群れをわざとぬかるみに誘い込む。

 泥に足を取られた魔物たちが、
 一瞬、動きを鈍らせる。

 そこへ――

「セイルさん、今!」

「はい!」

 高台から降り注ぐ広域魔法。

 光の槍。
 雷の帯。

 ぬかるみに閉じ込められた魔物たちを、
 一気に焼き払う。

 東側。

 子どもたちの避難路近くに開いた小さなゲートから、
 蛇型の魔物が這い出してくる。

 その背後に、影が落ちた。

「カグラさん、背後の二匹は“囮”です!
 ゲートの縁を切ってください!」

「……了解」

 カグラの体が、
 音もなくゲートの縁に滑り込む。

 短剣が、空間の歪みに沿って走る。

 ぎち、と嫌な音。

 蛇型の魔物が、途中で引きちぎられるみたいに消えた。

 ゲートの口が、わずかに縮む。

 リュミエの脳は、熱を持った機械みたいに回転していた。

 情報が流れ込む。
 判断が出力される。

 数十手先の最悪も、
 数手先の最善も、
 同時に見えている。

 それを、“切り捨てない形”で組み直す作業。

 イリスだった頃なら、
 まず“どこを捨てるか”から考えていた。

 今は――

(誰も死なせたくない)

 その一行が、
 作戦の最初の条件に据えられている。

 それが、何よりの違いだった。

    ◇

 戦いは、苛烈だった。

 村の柵は何度もきしみ、
 何本も折れかけた。

 アレンは何度も傷を負い、
 ロウの盾は何度もへこんだ。

 セイルの魔力は底をつきかけ、
 カグラの呼吸は荒くなっていた。

 それでも――

 誰も、倒れなかった。

 魔物ゲートは、
 ひとつ、またひとつと縮み、
 最後には“ひび”を残して消えていく。

 リュミエの指示は、
 冷徹で、正確で、効率的だった。

 村人たちは、
 「勇者様が」「賢者様が」「聖騎士様が」「暗殺者様が」
 と、口々に英雄たちの名を叫び、
 その裏で――

「リュミエちゃんのおかげだよ!」

 と、彼女の名前も何度も呼んでいた。

 でも。

 勇者パーティの四人にとって、
 戦場で響いていたのは、
 リュミエの「黒幕の声」だった。

『ここを囮にして落とす』

 昔、記録の中で読んだ文字列。

 今は――

「ここ、囮にしてもいいです。でも絶対に死なせないでください」

 という形で、
 同じ“切り札の切り方”が、
 違う方向に使われている。

 なのに、それでも。

 耳が、心が、
 古い傷を思い出してしまう。

    ◇

 すべてのゲートが閉じたとき。

 村には、焦げた匂いと、
 少しの血の匂いだけが残っていた。

 死者は――出なかった。
 重傷者は何人か。
 でも、全員生きている。

 その事実は、
 リュミエの胸を、少しだけ軽くした。

「……よかった」

 膝が笑う。

 丘から降りようとして、
 その場にへたり込む。

 頭がぐらぐらする。

(やりきった……?)

 そう思った瞬間。

「――リュミエ!」

 アレンが駆け寄ってきた。

 顔や腕に傷だらけで、
 鎧はところどころ血と泥まみれ。

 それでも彼は、いつものように笑おうとして――
 うまく笑えなかった。

 口元が、引きつっている。

「助かった。……マジで、あの指示なかったらヤバかった」

「アレンさんたちが強かったからです」

「そういうの、今いいから」

 アレンは、苦笑とも困り笑いともつかない顔で、
 リュミエを見つめた。

 その目には、感謝もある。
 信頼もある。

 でも、同時に。

 どうしようもない“怖さ”も、混じっている。

 セイルもやってきた。

「魔力の流れ、完全に止まりました。
 ……世界規模のトラップの一部も、
 ここで少しは鈍ったはずです」

「ありがとうございます」

「いえ。
 指揮は、見事でした」

 賛辞。

 でも、その声の奥でも、
 何かがきしんでいる。

 ロウとカグラも合流する。

 四人に囲まれて、
 リュミエは息を整えた。

「……みんな、無事でよかったです」

 本心だった。

 その一言に、
 アレンたちの目が少しだけ柔らかくなる。

 けれど――

 戦場で響いていた「黒幕の声」が、
 まだ耳の奥に残っている。

 そのギャップが、
 妙な距離を生んでいた。

「リュミエ」

 ロウが、低く言った。

「お前の指示がなければ、
 村は持たなかっただろう」

「……はい」

「だからと言って、
 “あの声”を、簡単に受け入れることはできない」

 正直な言葉。

 拒絶でも、断罪でもない。
 でも、「全部は受け止めきれない」という宣言。

 カグラも、壁にもたれかかるように立った。

「戦場でのお前は……
 昔、俺が従ってた“主”と同じだった」

 リュミエの胸が、きゅっと締めつけられる。

「違うのは、
 “誰も死なせる気がなかった”ってことだけだ」

 カグラは、わずかに目を伏せた。

「それが救いだとわかっていても、
 体が勝手に怖がる」

「……うん」

 リュミエは俯いた。

 戦場での自分と、
 今ここで震えている自分。

 そのどちらも“わたし”だ。

 それを認めてほしいと言うには、
 あまりにもタイミングが悪すぎる。

 アレンが、ぽつりと言った。

「村を救ってくれたのは、間違いなくお前だ」

「……ありがとうございます」

「でも、その言葉だけで、
 俺たちの中の黒幕への怒りとか、恐怖とか、
 全部なくなるわけじゃねぇ」

「……ですよね」

 当たり前だ。

 自分で仕込んだ罠を、
 自分で必死に止めて、
 それで「はいチャラ」は、
 あまりにも図々しい。

 セイルが、静かに息を吐いた。

「あなたが“黒幕としての本能”を使って戦場を救ったことは、
 否定しません。
 むしろ、賛辞を送りたい」

 それでも、と続ける。

「戦場のあなたと、
 普段のあなたのギャップが、
 私たちの心に新しい溝を作っているのも、事実です」

 リュミエは、唇を噛んだ。

 自分が、怖い。

 彼らの目に映っている“二人の自分”が、
 うまく繋がらない。

「……やっぱり、わたし」

 声が震える。

「このまま、ここにいていいのか、わからなくなりますね」

 本音が、ぽろりとこぼれた。

 世界を救うために、
 戦場では“黒幕の本能”を使わなきゃいけない。

 でも、そのたびに、
 彼らの古傷を抉ってしまう。

 それでも一緒にいることが、
 本当に正しいのか。

 答えは――まだ、どこにもなかった。
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