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Kapitel 01
暉曄宮 01
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「さ。そろそろアキラの服を選ぼうか」
耀龍は侍女たちのほうを振り返ってそう言った。
侍女たちは小さく頭を垂れて部屋から出て行った。程なくして戻ってきたらと思ったら、次から次へと衣服や靴を運びこんでアキラの前に並べた。それはアキラの自宅にあるクローゼットの内容量をゆうに超えており、圧巻の風景だった。
色彩豊かな布地が並ぶ。どれも細かな刺繍や色のついた石で装飾され、耀龍の衣服と意匠は似ているが一段と煌びやかだ。キラキラと輝く簪のようなものを手にした侍女もいるが、まさか宝石ではあるまいな。
「立てる?」と耀龍はアキラに声をかけた。
アキラはベッドから降りて自分の足で立った。
「何でこんなに」
「女性の服を選ぶのって楽しいよね」
「楽しいけど限度があるよ。必要最低限でいいの」
「遠慮しないでよ。可愛らしい姑娘を一年間も放っておいた不肖の兄の代わりに弟のオレが償うのは当然のことだから」
「いい、いい、いい。要らないッ」
アキラはぶんぶんっと首を激しく左右に振った。
耀龍にはアキラの遠慮をやや邪魔臭く感じた。彼の身分では、女性ひとりの面倒を見て身支度一式を揃えるくらいは負担の内に入らない。むしろ、それをしないのは彼の沽券に関わる。
「アキラには大層なものに見えるかもしれないけど、ここじゃこれがフツーだよ。オレや麗を見てみてよ。女性物だからオレたちより多少華美になるだけ」
アキラは縁花へと目線を移した。
「本当ですか?」
「僭越ながら、他家の令嬢と比較いたしますと、落ち着いたものばかりかと」
「オレより縁花の言うことを信じるの? ショックだなー」
着の身着のまま連れてこられたアキラには、着替えが必要であることは事実だ。せっかく用意してもらってどれも気に入らないというのも我が儘になる。とにかくどれか選んでしまおう。
並んでいる衣服は見慣れないものであるから、アキラの感性ではどれが自分にそぐうのか判断が付かなかった。色彩や装飾がなるべく控えめなものを選んだ。
「じゃあ、これとこれ……あと、これ」
耀龍はアキラに対してうんうんと頷き、侍女たちのほうへ振り返った。
「似たような雰囲気のものを、必要なだけ見繕って。他にも女性に必要なものはすべて用意してよ。キミたちのセンスに任せるから」
「ロン! 最低限でいいんだってばッ」
アキラはイヤイヤと首を横に振ったが、耀龍は上機嫌に笑うばかりで聞き入れてはくれなかった。
§ § §
アキラが目を覚ました部屋には、ベッド以外に調度品も一通り揃っていた。テーブルセットや書類机、木製のキャビネット、クローゼット、それに本棚。
着替えが完了したアキラは手持ち無沙汰だった。身体に倦怠感は残るものの、起き上がって室内を歩き回る程度なら疲労はない。本棚の前に立ち、そこに整列した書籍の背表紙を眺めた。一冊手に取ってパラパラとページをめくってみた。
「麗祥様のおいででございます」
耀龍がやって来たときと同じように、侍女のひとりがそう告げた。
麗祥は部屋に入ってきてすぐのところで立ち止まった。
「龍から着替えが済んだ頃だと聞いたので伺った。お邪魔ではないだろうか」
全然、とアキラから返ってきてから本棚に近づいた。
麗祥がアキラの真ん前で足を停め、アキラは少しだけ不安げな顔を見せた。
「変じゃないですか? 普段着てる服と全然違うから、ちゃんとできているか分からなくて」
「いいや。変ではない。ちゃんとできているか、などは君が気にしなくてよい。主人の身支度は侍女の務めだ」
「主人?」
麗祥は部屋の出入り口にいる侍女を見るよう手で促した。
「龍が君の為に侍女を何名かつけただろう。君がこの館に滞在する間、彼女たちの主人は君だ。何かあれば命じるとよい」
「そんな、命令するなんて。わたしは何もしてないのに」
「閨閣千金とはそういうものだ」
「?」
麗祥は自分の顎に手を添え、釈然としない表情をするアキラをじっと見詰めた。
彼は紛れもなく有力貴族の令息として生を受け、それ以外の生活をしたことはない。耀龍ほど人間にも詳しくない上に、所謂庶民の暮らしにも疎い。アキラが途惑っているのは、自分との境遇の違いだろうと心得た。
ふむふむと頷いて口を開いた。
「貴人に仕えて満足させることが彼女たちの務めであり生き甲斐だ。そういったものを奪ってはいけない。そして、君を庇護している以上、君の世話の一切に責任を持つのは龍の義務だ。未熟な弟だが、赫の名に恥じぬよう責務を果たさせてやってほしい」
「そういうものですか?」
「そういうものだ」
麗祥は本棚のほうへ目線を移した。
「君は本が好きか?」
いえ、とアキラは咄嗟に応えた。すぐに「そうじゃなくて」と言い直した。
「読書がキライって意味じゃなくて、文字が読めなくて……。こっちの人たちの言ってる言葉は分かるんですけど」
「《ビヴロスト》システムの限界だな。君は人間だから、システムの機能に制限があるのだろう」
「システム……?」
首を捻ったアキラに対し、麗祥はアキラが持っている本に手を差し出した。
「それを見ても?」
「これ、挿絵が多くてキレイだったから」
麗祥はアキラから受け取った本の表紙に目を落とした。
「ああ、昔話の物語だ。よければ私が朗読しよう」
「忙しいんじゃないんですか。ロンがリーさんはお仕事してるって」
「今は休暇中だ。暇を持て余して読書ばかりしている。だから一冊くらい増えても構わないのだよ」
アキラと麗祥はテーブルセットに移動した。
麗祥は侍女たちにお茶を用意するように命じ、テーブルの上に本を広げた。それから、ふたりで本のページに目を落とした。
麗祥は書き連ねられた文字の羅列を指で追いながら読み上げた。麗祥は昔話と言ったが、アキラには何処までが真実で、何処からが創作なのか判断できなかった。大きな牛やたくさんの神さまやドラゴンの話、九つもあるという世界の話、すべてがお伽話のようであり、また、この世界の住人たちがアキラにとっては魔法のような力を揮うことを思えばすべてが起こり得るような気もした。
麗祥の声は、天尊とも耀龍とも異なった。天尊ほど低くなく、耀龍ほど明るい調子でもなく、落ち着いて澄んでいる。聞き心地のよい音声で淀みなく展開される物語に、アキラは自然と聞き入った。ベッドで横になって読み聞かせられたならすぐにでも眠りに落ちたかもしれない。或いは、物語の続きが気になってもっともっととせがんだかもしれない。
初対面のときは、天尊の実弟らしく苛烈な人物だと思ったが、今はとても穏和に見える。そういう一面も持っているのは事実だが、こうして自分の時間を使ってわざわざ本を読み聞かせてくれる親切な姿が本来なのだろうなと思った。
「これ、何て書いてあるんですか? 今までの文字とはなんとなくカタチが違うような」
アキラは古びて茶がかった表面に指先で触れて尋ねた。それは、とある挿絵のページ。挿絵の上に文字の羅列が模様のように走っている。
「大昔の文字だ。神々がかける呪いの言葉」
「呪い……」
戦場でも荒野でも、神々の怒りがお前について回るだろう。
海の上ではいつ果てるともしれぬ風がお前を追いかけるだろう。
どこを彷徨ってもお前は呪いに取り憑かれよう。
身を切るような寒さがお前を追って家のなかに入りこみ、灼熱の暑さがお前を苦しめるだろう。
お前の飼っている家畜は死んでしまい、人々はお前を避けるようになろう。
お前は疫病にかかったように汚らしく、嫌われ者として世の中を渡っていくことになる。
(『北欧のロマン ゲルマン神話』ドナルド・A・マッケンジー)
麗祥は読み上げたあと、蓋碗に口を付けた。侍女たちが用意した茶は、朗読している間にぬるくなっており、喉を湿らすのに丁度よかった。
「今となってはあまり意味の無いものだ。プログラムが確立された時代に〝まじない〟など非効率だ」
「昔はあったんですか、おまじない」
「ああ。今でも残っているものもある。先人の知恵と言ったところかな」
アキラは麗祥が茶を啜るのを眺めた。蓋碗を置くのを待って口を開いた。
「あの……ティエンに会えないのって、お仕事が忙しいからですか? それとも他に何か理由があるんですか?」
「龍からは何か?」
アキラは首を左右に振った。
「わたしには言えないことですか」
「いや、天哥々は現在、消息不明だ」
「えッ⁉」
「驚かせてしまったか。すまない」
「リーさんは落ち着いてますね」
ふむ、と麗祥は一思案してみた。言われてみれば、敬愛する実の兄が行方知れずだというのに、自分でも動揺が少ないように思える。何かがおかしいと思いついていながら、耀龍が言い出すまで行動しようとは思わなかった。天尊がいないという情況に慣れすぎていた。
「天哥々は昔からそういうことが珍しくない方だ。私が物心をつく頃にはすでに軍人だった。軍人にとって命令は絶対だ。どのような危険な前線にでも命じられれば赴く。いつ命を落としてもおかしくはない」
麗祥はアキラのほうへ顔を向けてフッと笑みを見せた。
「しかし、天哥々はどのような死地からも帰っていらした。今回も必ず」
そうですね、とアキラは小さく頷いた。
麗祥は侍女にお茶のおかわりを持ってくるように命じた。
侍女が部屋から出て行き、戻ってくる間、アキラは麗祥の横顔を見詰めた。
「ティエンが前に、家族仲がよくないみたいなことを言ってたんですけど、リーさんもロンも全然そんなことないですね。むしろ、ティエンのこと大好きですよね」
大好き……、と麗祥は復唱し、肩を揺すってフフフッと笑った。彼の日常ではあまり聞かない、直接的で可愛らしい表現だった。
「私たちはそうだな。だが、一族では私たちのような存在のほうが稀なのだよ。赫の血脈は古くから続き、多くの眷属を抱える。その一族・眷属のなかにあって、誰もが天哥々を厚く遇したとは言い難い」
アキラの視線は麗祥に固定されていた。麗祥はそれに説明を促されていると受け取った。
「我が一族で白髪は忌避される」
「髪の色だけで?」
「それは分かりやすい特徴だったからだ。本当に忌避されているのは《邪視》――――。白髪は決まって《邪視》が持つ遺伝形質だ」
「どうしてそれは嫌われるんですか?」
「君も見ただろう、《邪視》の力の片鱗を」
麗祥は素早く答えた。
それから《邪視》の恐ろしさについて語り始めた。
その圧倒的なネェベルと破壊力には、現代プログラムを駆使しても対抗できる術は少ない。《邪視》を持って生まれた者は封殺され、その力は封印されるのが常。ひとたび《邪視》が覚醒すれば、その巨大かつ無尽蔵なネェベルは、持ち主さえ制御できるものではない。理性や自我を失い、本能の儘に破壊の限りを尽くす。誰しもが力に憧れ、求めるものだが、過ぎたる力は自身も周囲をも滅ぼす。《邪視》はまさにそういうものだ。
《邪視》は赫=ニーズヘクルメギルの血族に数代を経て必ず出現する。この世界で随一、光輝と栄華に充ち満ちた一族に、その歴史が続く限り、滅びを迎えるその日まで、ついて回る最大最悪の厄災だ。
それ故に、一族・眷属中が《邪視》を畏怖し、天尊を忌避した。天尊は当代族長の血を受けた実子ではあるが、継承権もなく強力な後ろ盾もない。本来、貴人として尊重される身分であるはずなのに、味方をする者はいなかった。
ただひとり、父親を除いては。
「《邪視》は生涯幽閉かその場で殺される。これはもう掟のようなものだ。しかし、父様はそれをなさらなかった。自由を得る代償として、天哥々は継承権の剥奪、赫の要職に就くことを禁じられ、全身に邪竜封じの法紋を施し、その他にもいくつもいくつも封を重ねがけすることにはなったが」
「《邪視》っていうのは、殺されるほどの……? そんなの……ティエンはただそう生まれついただけでしょ」
「それほどまでに恐るべきものなのだ、《邪視》とは」
麗祥の言葉の端々には諦念があった。恐怖は人の心も頭も鈍らせる。自身のことも世の道理も、まだよく分からない幼子に、誰ひとり慈しみの言葉も救いの手も差し伸べられないくらいに。それを批難することは容易いが、人の心に根づいたものを解消するのは困難だ。結論、どうしようもないことだ。
「天哥々が任務にすべてを懸けておられたのは、それ故にではないかと思う。自身の実力で戦果を上げ、生き延びる道を選ばれた。――――あるいは存在証明」
麗祥は腕組みをして伏し目がちになった。
「《邪視》として生を受けたばかりに、人生を閉ざされ、生命さえ危ぶまれた。そのような環境で、自身の生存を確乎たるものとする手段として戦士として生きるご決断をされた」
――華々しい戦果を。有用で有益な戦果を。誰も無視できない決定的な戦果を。それが、あの人には必要だった。
麗祥はジッとアキラに視線を注いだ。
「何ですか?」
「天哥々のいらっしゃらないところで君にこのような話をしたので、あとから天哥々からお叱りを受けるのではないかと案じている」
「リーさんから聞いたって言わないから安心してください」
アキラは麗祥に笑顔を作って見せた。
「聞けてよかったです。ティエン、つらいことたくさんあっただろうけど……。でも、リーさんやロンは本当にティエンのことが好きなんだって知れたから」
「君もだろう」
「え?」
「君も、天哥々を愛している。心臓を捧げられるほど」
アキラはカーッと赤面した。麗祥から顔を背けて一心不乱にお茶を啜った。
麗祥はその素直な反応を愛らしく感じたが、同時に憐憫を禁じ得なかった。
心臓を捧げるほど愛しているなんて、ロマンティックな台詞だ。しかし、天尊とアキラに限っては悲運だ。比喩ではなく文字どおりの意味なのだから。
愛する人を本当に救おうとしたら、自分の心臓を引き換えにする日も来るのかもしれない。
「あ。麗、来てたんだ」
耀龍はアキラの部屋に入ってくるなり、アキラと同じテーブルを囲む麗祥を見つけてそう言った。
麗祥はアキラと会話をする内に、振る舞いは堅苦しいが、次第に柔らかい表情を見せるようになっていた。その表情を、途端にスンとリセットして耀龍のほうへ顔を向けた。兄の恋人には軟化した態度をとろうとも、同い年の弟には見せたくないらしい。
「姑娘がこちらへ来て日が経っていないというのに目を離すとは無責任だぞ、龍」
「ちょっと用事があったんだもん」
耀龍はアキラと麗祥のテーブルに近づいた。その中央に置かれた皿から、サブレのような焼き菓子をひとつ摘まみ上げて囓った。
その子どものような行動も言い訳も、やや麗祥の癇に障った。
「お前の手に余るなら姑娘を私の館へ滞在させてもよいのだぞ。私はいまだ学生身分のお前よりは常識を持ち合わせているつもりだ。天哥々の恋人に最大級の礼節を持って接し、最高のもてなしを約束する」
「あ~~。麗はそうやってスグ兄貴風吹かせる~~」
「兄貴風とは?」
麗祥は素直に耀龍に尋ねた。
それを見た耀龍は、アハハと笑ってアキラの口に自分の食べかけのサブレを突っこんだ。
「どこが常識を持ち合わせてるって? 一昔前のオッサンと同じくらいお堅い頭じゃん」
「お前が俗っぽすぎるのだ。赫の男兒たる自覚が欠落している。そのようなことでは一大哥からまたお叱りを受けるぞ」
アキラは口のなかのサブレをもぐもぐと食べ尽くし、耀龍の後ろに控える縁花を見上げた。
「いーだーがって何ですか?」
「耀龍様・麗祥様ご兄弟の長兄で在らせられます」
「あ。前に言ってた、ティエンたちの一番上のお兄さん」
然様です、と縁花はアキラに答えた。
「一大哥はオレと母様が同じなんだ」
「じゃあロンと似てる?」
「まったく」と耀龍と麗祥。
「そこ揃うんだ」
耀龍は自分を指差した。
「だってホントに顔も性格も似てないんだもん」
「当たり前だ。お前と一大哥が似ているなど烏滸がましい。一大哥は次期族長となられる身。我ら兄弟のなかでも別格」
「兄弟でも格とかあるんですか?」
アキラからの問いかけに対し、麗祥は「うむ」としっかりと頷いた。
「一大哥の母様のご実家は、赫に劣らぬほど家格が高い。一大哥はこの世で最も高貴な血統と言っても過言ではないのだ」
「オレも同じなんだけど」
「お前には自覚も気品も矜持も足りない。一大哥を見習ってもっと精進すべきだ」
麗祥はキリッとした顔付きで苦言を呈した。
耀龍は首を縮めて不服そうな声を出した。
「え~~。オレ一大哥苦手だし~」
「そうなの?」とアキラ。
「だってスグ怒るし、しかもすっごく恐いんだよ。天哥々も怒ったら恐いけどさ、一大哥は種類が違うの。しつこいっていうか、ネチネチしてるっていうか、ゴメンって言っても全然許してくれないしさー。あ。そういうところ麗に似てる」
「貴様ッ」と麗祥は目くじらを立てた。
「一大哥に対してネチネチとは何だ。お叱りを受けて、まったく反省しておらんな。一大哥がお前をお叱りになるのは、同じ母様を持つ兄弟として特に気にかけていらっしゃるからだ。お前の貴族としての将来を想われているというのに、赫の男兒たる自覚もなく軽率に振る舞って。お前がそのようにしているから――」
(わたしから見るとロンは充分貴族のお坊ちゃまってカンジだけど。これでもまだ貴族らしくないんだー)
アキラは、麗祥が〝ネチネチと〟責め立てるのを聞きながら、耀龍を観察した。
一方的に向けられる諫言も何処吹く風。涼しい表情をして聞き流す様は、まさに勝手気儘なお坊ちゃま。それは自分の知っているお坊ちゃまの姿と重なる。
「貴族って大変そうだね」
アキラからそう言葉をかけられた耀龍は、宙を眺めて一思案した。
「んー……。確かにアキラとギンタたちとは違うよね。だから、オレはキミたちが少し羨ましいよ」
「ウチ、庶民だけど」
「あはっ。だからいいんじゃない」
麗祥がアキラの部屋から去ったあと、耀龍はアキラを遊戯室に誘った。
部屋にじっとしているのも退屈だろうからと、彼なりの配慮だった。アキラはそのようなことはなかったが、せっかくの気遣いからの申し出だから受けることにした。
必要以上に豊富なラインナップから洋服選びをさせられたのも、何の予兆も説明もなしにこの世界へ連れてこられたアキラへ対する気遣いのひとつだったのかもしれない。もしくは、寂しさや不安を誤魔化す為の逸楽。
アキラと耀龍はふたりで部屋から出て、廊下を並んで歩いた。
「オレの遊戯室には、ちょっとだけだけどミズガルズのゲームもあるよ」
「まさかギンタと遊んでたテレビゲーム?」
「ううん。ボードゲーム。アキラはそういうの得意?」
耀龍から尋ねられ、アキラは記憶を思い返してみた。
幼い頃はオセロなり将棋なり友人と楽しんだ記憶はある。その相手は大抵、虎子か以祇であり、彼らはそういった戦略性の高いゲームについて大人顔負けの腕前だった。アキラは彼らに勝利した記憶はあまりない。三人で同じように遊んでいても、最終的には虎子と以祇の勝負の張り合いになってしまう。しかし、アキラにとってそれは、負けてばかりで面白くないという感想ではなく、親友との他愛もない幸福な思い出だ。
「特に得意なものはないかなー。ゲーム自体、最近はあんまりやってないし。ロンが得意なゲームは?」
「チェス」
「やったことない。ルール教えてくれる?」
「いいよー」
「……て、言ってたのに」
アキラはひとりで中庭のガゼボの椅子に腰かけていた。
耀龍と遊戯室へ向かう途中、中庭沿いの廊下に差しかかったあたり、つまりは現在アキラから見える地点で、使用人から声をかけられた。話の内容はアキラには分からなかったが、その場で手短に済むものではなかったらしい。耀龍は中庭のガゼボを指差し、ちょっとそこで待ってて、とアキラに言って使用人と何処かへ行ってしまった。
アキラは言われたとおり、ガゼボにひとり佇んで時間を過ごした。見渡せる範囲内には時計はなく、あったとしても自分に読み取れる表記であるとは限らないから、どのくらい時間が経過したかは分からない。体感によると一時間も二時間も待機したわけではない。しかし、此処に腰かけてしばらくは涼しいと感じていた風も、段々と肌寒くなってきた。
「ま。忙しいなら仕方ない」
並のお嬢様であったなら、誘っておきながら放っておくなんて耀龍様ひどい、と批難するところであろうが、アキラはそうではなかった。ひとりで部屋に戻ろうと腰を持ち上げた。
アキラは耀龍と歩いてきたであろうルートを逆順に辿った。……つもりだった。
しかしながら、部屋から中庭まで来たときの体感距離を遙かに通り過ぎても、見知った場所に至らなかった。
「家がッ、広すぎる……!」
耀龍の館は庶民の家と異なり生活感がなく、統一感がありすぎて目印となるものが少ない。まるで洗練された高級ホテルのようだ。アキラは方向音痴ではないが、宛がわれた部屋の外に出ることがほとんどなく、館の間取りも知らないから迷ってしまうのも致し方なかった。
耀龍がマンションの一室である疋堂家の隣人として越してきたとき、ついでに同じフロアの部屋をすべて買い占めてしまった。これだけ大きな館で育ったのだから、本気でそれぐらいの部屋数を当然だと思っていたのも頷ける。
「どこで間違えたのかな。途中までは合ってるハズなんだけどなー。もうちょっと探してみるか、今の道をお庭まで戻るか……」
アキラは廊下の先へ首を伸ばしてみたり、歩いてきた道筋を振り向いたりして、考えこんだ。
赫暁と赫一瑪――――耀龍の父と兄は、公務の合間にプライベートなエリアに戻った際にひとりの娘を見つけた。
娘は廊下に立ち尽くし、或いは辺りをキョロキョロと見渡し、明らかに館の内部に詳しくない様子だった。
赫暁は足を停めてその娘を遠目から観察した。赫一瑪も同様に足を停めたが赫暁ほどの関心はなく、よくよく観察することはしなかった。
「一瑪。見慣れん娘だ。随分若い」
「新しい侍女では」
「イヤ、侍女にしては衣が上等すぎる」
(相変わらず女性には目敏い)
赫一瑪は父親の観察眼に感心すると同時に惘れた。そもそも、見慣れないと断言するということは、宮殿に給仕する数多くの侍女ひとりひとりの人相をインプットしているということだ。その関心の高さと記憶力を、すべて公務に傾けていただけないだろうか。
赫暁は若い娘に近づいて声をかけた。
「姑娘。どうされた、迷子かな」
(ウッ。迷子‼)
高校生にもなって迷子と言われるのは不甲斐なかったが、右も左も分からない有様では認めないわけにはいかなかった。
「迷子……デス」
「それはお困りだろう。案内しよう」
紳士は、項垂れたアキラに素早く手を差し伸べた。
アキラは顔を上げて彼らを見た。榛摺色の髪色をした壮年の紳士と、黒鳶の長髪の若い男性。ふたりの年齢は親子ほど離れている。アキラはこの世界の常識や一般というものがまだ分からないが、身形に清潔感があり振る舞いは堂々としていると感じた。おそらく、所謂ちゃんとした大人なのだろう。
「なりません。ご公務が」
「残りはお前だけでどうとでもなるだろう。俺を扱き使うな。俺の宮で迷っているのだから助けてやるのは当然だ」
(俺の? ここはロンの家じゃないの? ……この人、誰なんだろう。どこまで話していいのかな。そんなに悪い人には見えないけど……)
「さて、どこへ行きたい? それとも誰かをお訪ねかな、姑娘」
榛摺色の髪の紳士は柔やかだが、黒鳶の紳士がその後頭部を無言で睨んでおり、アキラは黙ってしまった。親切は有り難いが、自分の道案内に榛摺の紳士が時間を割いたら、黒鳶の紳士には都合が悪いのは明白だ。
榛摺の紳士はニコニコしながらアキラの回答を待っていたが、何かに気づいた様子で「ん?」と零した。
「もしや人間か?」
「何故エンブラがこのようなところに」
黒鳶の紳士は、針摺の紳士の発言を聞いた途端、アキラに関心を示した。
アキラはそれが自分を指す言葉だとすでに知っていた。
「分かるんですか?」
「見る者が見れば分かるものだ」
アキラからの質問を、榛摺の紳士はハッハッハッと笑い飛ばした。
「さて、何故俺の宮にエンブラがいるのか。自ら迷いこんだわけではあるまい。誰かに連れてこられたか」
アキラは黒鳶の紳士からの視線が鋭くなったように感じた。榛摺の紳士は変わらず笑顔だが、黒鳶の紳士の態度は無関心から疑念に一変した。
「あの、ロンに……」
「ああ。龍か」
榛摺の紳士は変わらぬ調子で頷いてくれ、アキラは少しホッとした。
「龍の客人ということは、ミズガルズにいた間の知り合いかな」
「はい。ロンとは同じ学校で」
榛摺の紳士は目の前の少女を頭頂から足の爪先まで改めてマジマジと観察した。
それから黒鳶の紳士を振り返った。
「アレを龍と呼ぶんだ、親しい間柄に違いない。ただの学友を宮に招くとも思えん。お前は何も聞いていないか」
「そのようなことは存じません」
「アイツは年上女が好みだったと思うが。しばらく見ん内に趣旨替えしたか」
「はて」
榛摺の紳士と黒鳶の紳士が話している間、今度はアキラが榛摺の紳士をジーッと観察した。
(この人、ちょっとだけティエンに似てる気がする。顔だけじゃなくて声とか雰囲気とか……)
「アキラ!」
名前を呼ばれて振り向くと、声の主は耀龍だった。
耀龍はアキラの傍まで一目散に駆け寄った。
「どうして父様と一緒に」
(父様⁉ ってことはこの人がティエンの!)
アキラは榛摺の紳士――耀龍と天尊の父――赫暁を見上げて目を瞠った。
そうだと知ってからは、やはりよく似ているとしか思えない。眉間に皺を寄せがちな癖も、目付きの鋭さも、顎の稜線の角度も、威風堂々とした立ち居振る舞いも、低音の声も、天尊のものと何ひとつ変わらない。
「こちらの姑娘が難渋しておったのでな、この宮の主として保護したまでよ。慎ましやかで無垢そのもの。実に愛らしい姑娘だ」
赫暁はアキラにニッと笑いかけた。その笑顔や台詞に、耀龍も赫一瑪も単なる親切心ではない他意を感じ取った。
耀龍は赫暁から庇うようにアキラを両腕で囲った。
「父様。息子と女性の取り合いをなさるつもり?」
「やはりお前のか。ミズガルズ修学中なんて短い間にやるじゃないか。血は争えんな」
「オレじゃない」
「ん?」
「天哥々の!」
赫暁は眉根を寄せ、赫一瑪はアキラを無言で凝視した。
恋人の父兄から容赦ない視線に晒され、アキラは気まずそうに俯いた。
「アキラは天哥々の恋人だよ」
「莫迦を言うな。アレの趣味でもない」
「父様~~」
アハハハハッ、と赫暁は豪快に笑った。
「龍のでも天のでも構わん。エンブラを直接目にするなど滅多にない。これは僥倖。宴を催せ、一瑪」
赫一瑪は、楽しそうに破顔する赫暁にジーッと冷ややかな視線を注いだ。
(何かに託けてご酒を嗜まれたいだけだな)
残りの公務は俺が片づけておいてやるからお前は宴の準備に励めよ、と赫暁は赫一瑪に言い置いて上機嫌に去って行った。
赫一瑪は特に文句も言わず、頭を垂れて父からの言いつけを承った。
父が去ったあとの兄弟ふたりの間には沈黙が訪れた。赫一瑪は母を同じくする弟である耀龍に声をかけず、耀龍も同じ男兄弟なのに麗祥と対する態度とは明らかに異なった。緊張や遠慮のようなものがアキラにも伝わってきた。
耀龍は赫一瑪のほうを見ずに気まずそうに口を開いた。
「……ゴメン、一大哥。急にパーティ開くことになっちゃって」
「よい。それは父上のお心次第だ」
「オレも何か手伝う?」
「父上から命じられたのは私だ。お前が気遣うことではない」
それきり、耀龍は口を噤んだ。赫一瑪も弟とのお喋りを望んでいないように見えた。
再び沈黙の空間になり、アキラは耀龍の腕のなかで、赫一瑪を不躾ではない程度にチラチラと観察した。
(確かに、お兄ちゃんっていうより恐いお父さんってカンジ)
耀龍と麗祥が言ったとおり、長兄・赫一瑪と末弟・耀龍とはまったく似ていない。耀龍はかつて、自分は天尊とは異母兄弟だから似ていないと言っていたが、同じ父母である赫一瑪とはそれ以上だ。赤の他人のアキラから見るに、赫一瑪とは母親が異なる麗祥のほうが類似点があるくらいだ。それにしても顔立ちそのものは似ていない。この兄弟は、毛色も性情もそれぞれに粒立っている。
バサリッ、と赫一瑪が長い衣を翻して歩き出した。
「エンブラを隠匿していた件については、追って話を聞く」
そう言い置かれた耀龍は、離れてゆく赫一瑪の背中に口を尖らせた。
「隠してないよーだ」
「声小さいね」
熒閂の最新話はクロスフォリオにて先行公開( https://xfolio.jp/portfolio/ke1sen/series/1023833 )
耀龍は侍女たちのほうを振り返ってそう言った。
侍女たちは小さく頭を垂れて部屋から出て行った。程なくして戻ってきたらと思ったら、次から次へと衣服や靴を運びこんでアキラの前に並べた。それはアキラの自宅にあるクローゼットの内容量をゆうに超えており、圧巻の風景だった。
色彩豊かな布地が並ぶ。どれも細かな刺繍や色のついた石で装飾され、耀龍の衣服と意匠は似ているが一段と煌びやかだ。キラキラと輝く簪のようなものを手にした侍女もいるが、まさか宝石ではあるまいな。
「立てる?」と耀龍はアキラに声をかけた。
アキラはベッドから降りて自分の足で立った。
「何でこんなに」
「女性の服を選ぶのって楽しいよね」
「楽しいけど限度があるよ。必要最低限でいいの」
「遠慮しないでよ。可愛らしい姑娘を一年間も放っておいた不肖の兄の代わりに弟のオレが償うのは当然のことだから」
「いい、いい、いい。要らないッ」
アキラはぶんぶんっと首を激しく左右に振った。
耀龍にはアキラの遠慮をやや邪魔臭く感じた。彼の身分では、女性ひとりの面倒を見て身支度一式を揃えるくらいは負担の内に入らない。むしろ、それをしないのは彼の沽券に関わる。
「アキラには大層なものに見えるかもしれないけど、ここじゃこれがフツーだよ。オレや麗を見てみてよ。女性物だからオレたちより多少華美になるだけ」
アキラは縁花へと目線を移した。
「本当ですか?」
「僭越ながら、他家の令嬢と比較いたしますと、落ち着いたものばかりかと」
「オレより縁花の言うことを信じるの? ショックだなー」
着の身着のまま連れてこられたアキラには、着替えが必要であることは事実だ。せっかく用意してもらってどれも気に入らないというのも我が儘になる。とにかくどれか選んでしまおう。
並んでいる衣服は見慣れないものであるから、アキラの感性ではどれが自分にそぐうのか判断が付かなかった。色彩や装飾がなるべく控えめなものを選んだ。
「じゃあ、これとこれ……あと、これ」
耀龍はアキラに対してうんうんと頷き、侍女たちのほうへ振り返った。
「似たような雰囲気のものを、必要なだけ見繕って。他にも女性に必要なものはすべて用意してよ。キミたちのセンスに任せるから」
「ロン! 最低限でいいんだってばッ」
アキラはイヤイヤと首を横に振ったが、耀龍は上機嫌に笑うばかりで聞き入れてはくれなかった。
§ § §
アキラが目を覚ました部屋には、ベッド以外に調度品も一通り揃っていた。テーブルセットや書類机、木製のキャビネット、クローゼット、それに本棚。
着替えが完了したアキラは手持ち無沙汰だった。身体に倦怠感は残るものの、起き上がって室内を歩き回る程度なら疲労はない。本棚の前に立ち、そこに整列した書籍の背表紙を眺めた。一冊手に取ってパラパラとページをめくってみた。
「麗祥様のおいででございます」
耀龍がやって来たときと同じように、侍女のひとりがそう告げた。
麗祥は部屋に入ってきてすぐのところで立ち止まった。
「龍から着替えが済んだ頃だと聞いたので伺った。お邪魔ではないだろうか」
全然、とアキラから返ってきてから本棚に近づいた。
麗祥がアキラの真ん前で足を停め、アキラは少しだけ不安げな顔を見せた。
「変じゃないですか? 普段着てる服と全然違うから、ちゃんとできているか分からなくて」
「いいや。変ではない。ちゃんとできているか、などは君が気にしなくてよい。主人の身支度は侍女の務めだ」
「主人?」
麗祥は部屋の出入り口にいる侍女を見るよう手で促した。
「龍が君の為に侍女を何名かつけただろう。君がこの館に滞在する間、彼女たちの主人は君だ。何かあれば命じるとよい」
「そんな、命令するなんて。わたしは何もしてないのに」
「閨閣千金とはそういうものだ」
「?」
麗祥は自分の顎に手を添え、釈然としない表情をするアキラをじっと見詰めた。
彼は紛れもなく有力貴族の令息として生を受け、それ以外の生活をしたことはない。耀龍ほど人間にも詳しくない上に、所謂庶民の暮らしにも疎い。アキラが途惑っているのは、自分との境遇の違いだろうと心得た。
ふむふむと頷いて口を開いた。
「貴人に仕えて満足させることが彼女たちの務めであり生き甲斐だ。そういったものを奪ってはいけない。そして、君を庇護している以上、君の世話の一切に責任を持つのは龍の義務だ。未熟な弟だが、赫の名に恥じぬよう責務を果たさせてやってほしい」
「そういうものですか?」
「そういうものだ」
麗祥は本棚のほうへ目線を移した。
「君は本が好きか?」
いえ、とアキラは咄嗟に応えた。すぐに「そうじゃなくて」と言い直した。
「読書がキライって意味じゃなくて、文字が読めなくて……。こっちの人たちの言ってる言葉は分かるんですけど」
「《ビヴロスト》システムの限界だな。君は人間だから、システムの機能に制限があるのだろう」
「システム……?」
首を捻ったアキラに対し、麗祥はアキラが持っている本に手を差し出した。
「それを見ても?」
「これ、挿絵が多くてキレイだったから」
麗祥はアキラから受け取った本の表紙に目を落とした。
「ああ、昔話の物語だ。よければ私が朗読しよう」
「忙しいんじゃないんですか。ロンがリーさんはお仕事してるって」
「今は休暇中だ。暇を持て余して読書ばかりしている。だから一冊くらい増えても構わないのだよ」
アキラと麗祥はテーブルセットに移動した。
麗祥は侍女たちにお茶を用意するように命じ、テーブルの上に本を広げた。それから、ふたりで本のページに目を落とした。
麗祥は書き連ねられた文字の羅列を指で追いながら読み上げた。麗祥は昔話と言ったが、アキラには何処までが真実で、何処からが創作なのか判断できなかった。大きな牛やたくさんの神さまやドラゴンの話、九つもあるという世界の話、すべてがお伽話のようであり、また、この世界の住人たちがアキラにとっては魔法のような力を揮うことを思えばすべてが起こり得るような気もした。
麗祥の声は、天尊とも耀龍とも異なった。天尊ほど低くなく、耀龍ほど明るい調子でもなく、落ち着いて澄んでいる。聞き心地のよい音声で淀みなく展開される物語に、アキラは自然と聞き入った。ベッドで横になって読み聞かせられたならすぐにでも眠りに落ちたかもしれない。或いは、物語の続きが気になってもっともっととせがんだかもしれない。
初対面のときは、天尊の実弟らしく苛烈な人物だと思ったが、今はとても穏和に見える。そういう一面も持っているのは事実だが、こうして自分の時間を使ってわざわざ本を読み聞かせてくれる親切な姿が本来なのだろうなと思った。
「これ、何て書いてあるんですか? 今までの文字とはなんとなくカタチが違うような」
アキラは古びて茶がかった表面に指先で触れて尋ねた。それは、とある挿絵のページ。挿絵の上に文字の羅列が模様のように走っている。
「大昔の文字だ。神々がかける呪いの言葉」
「呪い……」
戦場でも荒野でも、神々の怒りがお前について回るだろう。
海の上ではいつ果てるともしれぬ風がお前を追いかけるだろう。
どこを彷徨ってもお前は呪いに取り憑かれよう。
身を切るような寒さがお前を追って家のなかに入りこみ、灼熱の暑さがお前を苦しめるだろう。
お前の飼っている家畜は死んでしまい、人々はお前を避けるようになろう。
お前は疫病にかかったように汚らしく、嫌われ者として世の中を渡っていくことになる。
(『北欧のロマン ゲルマン神話』ドナルド・A・マッケンジー)
麗祥は読み上げたあと、蓋碗に口を付けた。侍女たちが用意した茶は、朗読している間にぬるくなっており、喉を湿らすのに丁度よかった。
「今となってはあまり意味の無いものだ。プログラムが確立された時代に〝まじない〟など非効率だ」
「昔はあったんですか、おまじない」
「ああ。今でも残っているものもある。先人の知恵と言ったところかな」
アキラは麗祥が茶を啜るのを眺めた。蓋碗を置くのを待って口を開いた。
「あの……ティエンに会えないのって、お仕事が忙しいからですか? それとも他に何か理由があるんですか?」
「龍からは何か?」
アキラは首を左右に振った。
「わたしには言えないことですか」
「いや、天哥々は現在、消息不明だ」
「えッ⁉」
「驚かせてしまったか。すまない」
「リーさんは落ち着いてますね」
ふむ、と麗祥は一思案してみた。言われてみれば、敬愛する実の兄が行方知れずだというのに、自分でも動揺が少ないように思える。何かがおかしいと思いついていながら、耀龍が言い出すまで行動しようとは思わなかった。天尊がいないという情況に慣れすぎていた。
「天哥々は昔からそういうことが珍しくない方だ。私が物心をつく頃にはすでに軍人だった。軍人にとって命令は絶対だ。どのような危険な前線にでも命じられれば赴く。いつ命を落としてもおかしくはない」
麗祥はアキラのほうへ顔を向けてフッと笑みを見せた。
「しかし、天哥々はどのような死地からも帰っていらした。今回も必ず」
そうですね、とアキラは小さく頷いた。
麗祥は侍女にお茶のおかわりを持ってくるように命じた。
侍女が部屋から出て行き、戻ってくる間、アキラは麗祥の横顔を見詰めた。
「ティエンが前に、家族仲がよくないみたいなことを言ってたんですけど、リーさんもロンも全然そんなことないですね。むしろ、ティエンのこと大好きですよね」
大好き……、と麗祥は復唱し、肩を揺すってフフフッと笑った。彼の日常ではあまり聞かない、直接的で可愛らしい表現だった。
「私たちはそうだな。だが、一族では私たちのような存在のほうが稀なのだよ。赫の血脈は古くから続き、多くの眷属を抱える。その一族・眷属のなかにあって、誰もが天哥々を厚く遇したとは言い難い」
アキラの視線は麗祥に固定されていた。麗祥はそれに説明を促されていると受け取った。
「我が一族で白髪は忌避される」
「髪の色だけで?」
「それは分かりやすい特徴だったからだ。本当に忌避されているのは《邪視》――――。白髪は決まって《邪視》が持つ遺伝形質だ」
「どうしてそれは嫌われるんですか?」
「君も見ただろう、《邪視》の力の片鱗を」
麗祥は素早く答えた。
それから《邪視》の恐ろしさについて語り始めた。
その圧倒的なネェベルと破壊力には、現代プログラムを駆使しても対抗できる術は少ない。《邪視》を持って生まれた者は封殺され、その力は封印されるのが常。ひとたび《邪視》が覚醒すれば、その巨大かつ無尽蔵なネェベルは、持ち主さえ制御できるものではない。理性や自我を失い、本能の儘に破壊の限りを尽くす。誰しもが力に憧れ、求めるものだが、過ぎたる力は自身も周囲をも滅ぼす。《邪視》はまさにそういうものだ。
《邪視》は赫=ニーズヘクルメギルの血族に数代を経て必ず出現する。この世界で随一、光輝と栄華に充ち満ちた一族に、その歴史が続く限り、滅びを迎えるその日まで、ついて回る最大最悪の厄災だ。
それ故に、一族・眷属中が《邪視》を畏怖し、天尊を忌避した。天尊は当代族長の血を受けた実子ではあるが、継承権もなく強力な後ろ盾もない。本来、貴人として尊重される身分であるはずなのに、味方をする者はいなかった。
ただひとり、父親を除いては。
「《邪視》は生涯幽閉かその場で殺される。これはもう掟のようなものだ。しかし、父様はそれをなさらなかった。自由を得る代償として、天哥々は継承権の剥奪、赫の要職に就くことを禁じられ、全身に邪竜封じの法紋を施し、その他にもいくつもいくつも封を重ねがけすることにはなったが」
「《邪視》っていうのは、殺されるほどの……? そんなの……ティエンはただそう生まれついただけでしょ」
「それほどまでに恐るべきものなのだ、《邪視》とは」
麗祥の言葉の端々には諦念があった。恐怖は人の心も頭も鈍らせる。自身のことも世の道理も、まだよく分からない幼子に、誰ひとり慈しみの言葉も救いの手も差し伸べられないくらいに。それを批難することは容易いが、人の心に根づいたものを解消するのは困難だ。結論、どうしようもないことだ。
「天哥々が任務にすべてを懸けておられたのは、それ故にではないかと思う。自身の実力で戦果を上げ、生き延びる道を選ばれた。――――あるいは存在証明」
麗祥は腕組みをして伏し目がちになった。
「《邪視》として生を受けたばかりに、人生を閉ざされ、生命さえ危ぶまれた。そのような環境で、自身の生存を確乎たるものとする手段として戦士として生きるご決断をされた」
――華々しい戦果を。有用で有益な戦果を。誰も無視できない決定的な戦果を。それが、あの人には必要だった。
麗祥はジッとアキラに視線を注いだ。
「何ですか?」
「天哥々のいらっしゃらないところで君にこのような話をしたので、あとから天哥々からお叱りを受けるのではないかと案じている」
「リーさんから聞いたって言わないから安心してください」
アキラは麗祥に笑顔を作って見せた。
「聞けてよかったです。ティエン、つらいことたくさんあっただろうけど……。でも、リーさんやロンは本当にティエンのことが好きなんだって知れたから」
「君もだろう」
「え?」
「君も、天哥々を愛している。心臓を捧げられるほど」
アキラはカーッと赤面した。麗祥から顔を背けて一心不乱にお茶を啜った。
麗祥はその素直な反応を愛らしく感じたが、同時に憐憫を禁じ得なかった。
心臓を捧げるほど愛しているなんて、ロマンティックな台詞だ。しかし、天尊とアキラに限っては悲運だ。比喩ではなく文字どおりの意味なのだから。
愛する人を本当に救おうとしたら、自分の心臓を引き換えにする日も来るのかもしれない。
「あ。麗、来てたんだ」
耀龍はアキラの部屋に入ってくるなり、アキラと同じテーブルを囲む麗祥を見つけてそう言った。
麗祥はアキラと会話をする内に、振る舞いは堅苦しいが、次第に柔らかい表情を見せるようになっていた。その表情を、途端にスンとリセットして耀龍のほうへ顔を向けた。兄の恋人には軟化した態度をとろうとも、同い年の弟には見せたくないらしい。
「姑娘がこちらへ来て日が経っていないというのに目を離すとは無責任だぞ、龍」
「ちょっと用事があったんだもん」
耀龍はアキラと麗祥のテーブルに近づいた。その中央に置かれた皿から、サブレのような焼き菓子をひとつ摘まみ上げて囓った。
その子どものような行動も言い訳も、やや麗祥の癇に障った。
「お前の手に余るなら姑娘を私の館へ滞在させてもよいのだぞ。私はいまだ学生身分のお前よりは常識を持ち合わせているつもりだ。天哥々の恋人に最大級の礼節を持って接し、最高のもてなしを約束する」
「あ~~。麗はそうやってスグ兄貴風吹かせる~~」
「兄貴風とは?」
麗祥は素直に耀龍に尋ねた。
それを見た耀龍は、アハハと笑ってアキラの口に自分の食べかけのサブレを突っこんだ。
「どこが常識を持ち合わせてるって? 一昔前のオッサンと同じくらいお堅い頭じゃん」
「お前が俗っぽすぎるのだ。赫の男兒たる自覚が欠落している。そのようなことでは一大哥からまたお叱りを受けるぞ」
アキラは口のなかのサブレをもぐもぐと食べ尽くし、耀龍の後ろに控える縁花を見上げた。
「いーだーがって何ですか?」
「耀龍様・麗祥様ご兄弟の長兄で在らせられます」
「あ。前に言ってた、ティエンたちの一番上のお兄さん」
然様です、と縁花はアキラに答えた。
「一大哥はオレと母様が同じなんだ」
「じゃあロンと似てる?」
「まったく」と耀龍と麗祥。
「そこ揃うんだ」
耀龍は自分を指差した。
「だってホントに顔も性格も似てないんだもん」
「当たり前だ。お前と一大哥が似ているなど烏滸がましい。一大哥は次期族長となられる身。我ら兄弟のなかでも別格」
「兄弟でも格とかあるんですか?」
アキラからの問いかけに対し、麗祥は「うむ」としっかりと頷いた。
「一大哥の母様のご実家は、赫に劣らぬほど家格が高い。一大哥はこの世で最も高貴な血統と言っても過言ではないのだ」
「オレも同じなんだけど」
「お前には自覚も気品も矜持も足りない。一大哥を見習ってもっと精進すべきだ」
麗祥はキリッとした顔付きで苦言を呈した。
耀龍は首を縮めて不服そうな声を出した。
「え~~。オレ一大哥苦手だし~」
「そうなの?」とアキラ。
「だってスグ怒るし、しかもすっごく恐いんだよ。天哥々も怒ったら恐いけどさ、一大哥は種類が違うの。しつこいっていうか、ネチネチしてるっていうか、ゴメンって言っても全然許してくれないしさー。あ。そういうところ麗に似てる」
「貴様ッ」と麗祥は目くじらを立てた。
「一大哥に対してネチネチとは何だ。お叱りを受けて、まったく反省しておらんな。一大哥がお前をお叱りになるのは、同じ母様を持つ兄弟として特に気にかけていらっしゃるからだ。お前の貴族としての将来を想われているというのに、赫の男兒たる自覚もなく軽率に振る舞って。お前がそのようにしているから――」
(わたしから見るとロンは充分貴族のお坊ちゃまってカンジだけど。これでもまだ貴族らしくないんだー)
アキラは、麗祥が〝ネチネチと〟責め立てるのを聞きながら、耀龍を観察した。
一方的に向けられる諫言も何処吹く風。涼しい表情をして聞き流す様は、まさに勝手気儘なお坊ちゃま。それは自分の知っているお坊ちゃまの姿と重なる。
「貴族って大変そうだね」
アキラからそう言葉をかけられた耀龍は、宙を眺めて一思案した。
「んー……。確かにアキラとギンタたちとは違うよね。だから、オレはキミたちが少し羨ましいよ」
「ウチ、庶民だけど」
「あはっ。だからいいんじゃない」
麗祥がアキラの部屋から去ったあと、耀龍はアキラを遊戯室に誘った。
部屋にじっとしているのも退屈だろうからと、彼なりの配慮だった。アキラはそのようなことはなかったが、せっかくの気遣いからの申し出だから受けることにした。
必要以上に豊富なラインナップから洋服選びをさせられたのも、何の予兆も説明もなしにこの世界へ連れてこられたアキラへ対する気遣いのひとつだったのかもしれない。もしくは、寂しさや不安を誤魔化す為の逸楽。
アキラと耀龍はふたりで部屋から出て、廊下を並んで歩いた。
「オレの遊戯室には、ちょっとだけだけどミズガルズのゲームもあるよ」
「まさかギンタと遊んでたテレビゲーム?」
「ううん。ボードゲーム。アキラはそういうの得意?」
耀龍から尋ねられ、アキラは記憶を思い返してみた。
幼い頃はオセロなり将棋なり友人と楽しんだ記憶はある。その相手は大抵、虎子か以祇であり、彼らはそういった戦略性の高いゲームについて大人顔負けの腕前だった。アキラは彼らに勝利した記憶はあまりない。三人で同じように遊んでいても、最終的には虎子と以祇の勝負の張り合いになってしまう。しかし、アキラにとってそれは、負けてばかりで面白くないという感想ではなく、親友との他愛もない幸福な思い出だ。
「特に得意なものはないかなー。ゲーム自体、最近はあんまりやってないし。ロンが得意なゲームは?」
「チェス」
「やったことない。ルール教えてくれる?」
「いいよー」
「……て、言ってたのに」
アキラはひとりで中庭のガゼボの椅子に腰かけていた。
耀龍と遊戯室へ向かう途中、中庭沿いの廊下に差しかかったあたり、つまりは現在アキラから見える地点で、使用人から声をかけられた。話の内容はアキラには分からなかったが、その場で手短に済むものではなかったらしい。耀龍は中庭のガゼボを指差し、ちょっとそこで待ってて、とアキラに言って使用人と何処かへ行ってしまった。
アキラは言われたとおり、ガゼボにひとり佇んで時間を過ごした。見渡せる範囲内には時計はなく、あったとしても自分に読み取れる表記であるとは限らないから、どのくらい時間が経過したかは分からない。体感によると一時間も二時間も待機したわけではない。しかし、此処に腰かけてしばらくは涼しいと感じていた風も、段々と肌寒くなってきた。
「ま。忙しいなら仕方ない」
並のお嬢様であったなら、誘っておきながら放っておくなんて耀龍様ひどい、と批難するところであろうが、アキラはそうではなかった。ひとりで部屋に戻ろうと腰を持ち上げた。
アキラは耀龍と歩いてきたであろうルートを逆順に辿った。……つもりだった。
しかしながら、部屋から中庭まで来たときの体感距離を遙かに通り過ぎても、見知った場所に至らなかった。
「家がッ、広すぎる……!」
耀龍の館は庶民の家と異なり生活感がなく、統一感がありすぎて目印となるものが少ない。まるで洗練された高級ホテルのようだ。アキラは方向音痴ではないが、宛がわれた部屋の外に出ることがほとんどなく、館の間取りも知らないから迷ってしまうのも致し方なかった。
耀龍がマンションの一室である疋堂家の隣人として越してきたとき、ついでに同じフロアの部屋をすべて買い占めてしまった。これだけ大きな館で育ったのだから、本気でそれぐらいの部屋数を当然だと思っていたのも頷ける。
「どこで間違えたのかな。途中までは合ってるハズなんだけどなー。もうちょっと探してみるか、今の道をお庭まで戻るか……」
アキラは廊下の先へ首を伸ばしてみたり、歩いてきた道筋を振り向いたりして、考えこんだ。
赫暁と赫一瑪――――耀龍の父と兄は、公務の合間にプライベートなエリアに戻った際にひとりの娘を見つけた。
娘は廊下に立ち尽くし、或いは辺りをキョロキョロと見渡し、明らかに館の内部に詳しくない様子だった。
赫暁は足を停めてその娘を遠目から観察した。赫一瑪も同様に足を停めたが赫暁ほどの関心はなく、よくよく観察することはしなかった。
「一瑪。見慣れん娘だ。随分若い」
「新しい侍女では」
「イヤ、侍女にしては衣が上等すぎる」
(相変わらず女性には目敏い)
赫一瑪は父親の観察眼に感心すると同時に惘れた。そもそも、見慣れないと断言するということは、宮殿に給仕する数多くの侍女ひとりひとりの人相をインプットしているということだ。その関心の高さと記憶力を、すべて公務に傾けていただけないだろうか。
赫暁は若い娘に近づいて声をかけた。
「姑娘。どうされた、迷子かな」
(ウッ。迷子‼)
高校生にもなって迷子と言われるのは不甲斐なかったが、右も左も分からない有様では認めないわけにはいかなかった。
「迷子……デス」
「それはお困りだろう。案内しよう」
紳士は、項垂れたアキラに素早く手を差し伸べた。
アキラは顔を上げて彼らを見た。榛摺色の髪色をした壮年の紳士と、黒鳶の長髪の若い男性。ふたりの年齢は親子ほど離れている。アキラはこの世界の常識や一般というものがまだ分からないが、身形に清潔感があり振る舞いは堂々としていると感じた。おそらく、所謂ちゃんとした大人なのだろう。
「なりません。ご公務が」
「残りはお前だけでどうとでもなるだろう。俺を扱き使うな。俺の宮で迷っているのだから助けてやるのは当然だ」
(俺の? ここはロンの家じゃないの? ……この人、誰なんだろう。どこまで話していいのかな。そんなに悪い人には見えないけど……)
「さて、どこへ行きたい? それとも誰かをお訪ねかな、姑娘」
榛摺色の髪の紳士は柔やかだが、黒鳶の紳士がその後頭部を無言で睨んでおり、アキラは黙ってしまった。親切は有り難いが、自分の道案内に榛摺の紳士が時間を割いたら、黒鳶の紳士には都合が悪いのは明白だ。
榛摺の紳士はニコニコしながらアキラの回答を待っていたが、何かに気づいた様子で「ん?」と零した。
「もしや人間か?」
「何故エンブラがこのようなところに」
黒鳶の紳士は、針摺の紳士の発言を聞いた途端、アキラに関心を示した。
アキラはそれが自分を指す言葉だとすでに知っていた。
「分かるんですか?」
「見る者が見れば分かるものだ」
アキラからの質問を、榛摺の紳士はハッハッハッと笑い飛ばした。
「さて、何故俺の宮にエンブラがいるのか。自ら迷いこんだわけではあるまい。誰かに連れてこられたか」
アキラは黒鳶の紳士からの視線が鋭くなったように感じた。榛摺の紳士は変わらず笑顔だが、黒鳶の紳士の態度は無関心から疑念に一変した。
「あの、ロンに……」
「ああ。龍か」
榛摺の紳士は変わらぬ調子で頷いてくれ、アキラは少しホッとした。
「龍の客人ということは、ミズガルズにいた間の知り合いかな」
「はい。ロンとは同じ学校で」
榛摺の紳士は目の前の少女を頭頂から足の爪先まで改めてマジマジと観察した。
それから黒鳶の紳士を振り返った。
「アレを龍と呼ぶんだ、親しい間柄に違いない。ただの学友を宮に招くとも思えん。お前は何も聞いていないか」
「そのようなことは存じません」
「アイツは年上女が好みだったと思うが。しばらく見ん内に趣旨替えしたか」
「はて」
榛摺の紳士と黒鳶の紳士が話している間、今度はアキラが榛摺の紳士をジーッと観察した。
(この人、ちょっとだけティエンに似てる気がする。顔だけじゃなくて声とか雰囲気とか……)
「アキラ!」
名前を呼ばれて振り向くと、声の主は耀龍だった。
耀龍はアキラの傍まで一目散に駆け寄った。
「どうして父様と一緒に」
(父様⁉ ってことはこの人がティエンの!)
アキラは榛摺の紳士――耀龍と天尊の父――赫暁を見上げて目を瞠った。
そうだと知ってからは、やはりよく似ているとしか思えない。眉間に皺を寄せがちな癖も、目付きの鋭さも、顎の稜線の角度も、威風堂々とした立ち居振る舞いも、低音の声も、天尊のものと何ひとつ変わらない。
「こちらの姑娘が難渋しておったのでな、この宮の主として保護したまでよ。慎ましやかで無垢そのもの。実に愛らしい姑娘だ」
赫暁はアキラにニッと笑いかけた。その笑顔や台詞に、耀龍も赫一瑪も単なる親切心ではない他意を感じ取った。
耀龍は赫暁から庇うようにアキラを両腕で囲った。
「父様。息子と女性の取り合いをなさるつもり?」
「やはりお前のか。ミズガルズ修学中なんて短い間にやるじゃないか。血は争えんな」
「オレじゃない」
「ん?」
「天哥々の!」
赫暁は眉根を寄せ、赫一瑪はアキラを無言で凝視した。
恋人の父兄から容赦ない視線に晒され、アキラは気まずそうに俯いた。
「アキラは天哥々の恋人だよ」
「莫迦を言うな。アレの趣味でもない」
「父様~~」
アハハハハッ、と赫暁は豪快に笑った。
「龍のでも天のでも構わん。エンブラを直接目にするなど滅多にない。これは僥倖。宴を催せ、一瑪」
赫一瑪は、楽しそうに破顔する赫暁にジーッと冷ややかな視線を注いだ。
(何かに託けてご酒を嗜まれたいだけだな)
残りの公務は俺が片づけておいてやるからお前は宴の準備に励めよ、と赫暁は赫一瑪に言い置いて上機嫌に去って行った。
赫一瑪は特に文句も言わず、頭を垂れて父からの言いつけを承った。
父が去ったあとの兄弟ふたりの間には沈黙が訪れた。赫一瑪は母を同じくする弟である耀龍に声をかけず、耀龍も同じ男兄弟なのに麗祥と対する態度とは明らかに異なった。緊張や遠慮のようなものがアキラにも伝わってきた。
耀龍は赫一瑪のほうを見ずに気まずそうに口を開いた。
「……ゴメン、一大哥。急にパーティ開くことになっちゃって」
「よい。それは父上のお心次第だ」
「オレも何か手伝う?」
「父上から命じられたのは私だ。お前が気遣うことではない」
それきり、耀龍は口を噤んだ。赫一瑪も弟とのお喋りを望んでいないように見えた。
再び沈黙の空間になり、アキラは耀龍の腕のなかで、赫一瑪を不躾ではない程度にチラチラと観察した。
(確かに、お兄ちゃんっていうより恐いお父さんってカンジ)
耀龍と麗祥が言ったとおり、長兄・赫一瑪と末弟・耀龍とはまったく似ていない。耀龍はかつて、自分は天尊とは異母兄弟だから似ていないと言っていたが、同じ父母である赫一瑪とはそれ以上だ。赤の他人のアキラから見るに、赫一瑪とは母親が異なる麗祥のほうが類似点があるくらいだ。それにしても顔立ちそのものは似ていない。この兄弟は、毛色も性情もそれぞれに粒立っている。
バサリッ、と赫一瑪が長い衣を翻して歩き出した。
「エンブラを隠匿していた件については、追って話を聞く」
そう言い置かれた耀龍は、離れてゆく赫一瑪の背中に口を尖らせた。
「隠してないよーだ」
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※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
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