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Kapitel 01
暉曄宮 02
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パーティの当日。
耀龍の館・客間。
耀龍と麗祥は、応接セットのソファに対面して座していた。
ふたりともそれぞれの侍女たちによって正装に整えられ、いつにも増して名家の子息らしく気品を纏っていた。急なパーティとはいえ、着飾るのは慣れたものだった。
アキラは別室にてドレスは勿論、髪や爪、メイクまで念入りに仕上げられていることだろう。本人は突然パーティと言われても何も勝手は分からないだろうが、侍女たちが完璧にこなす。
耀龍と麗祥がソファに腰を下ろして程なくして、縁花が入室した。
「お待たせして申し訳ございません」
ガジャン、ガジャン。――縁花の身動きに合わせて金属音。
今宵の縁花の出で立ちは特別だった。耀龍の侍従として恥ずかしくないよう日頃から身形には配慮を欠かないが、今宵は格別。磨き上げられた甲冑を身につけ腰には長刀を佩き、今すぐにでも戦場に馳せようかという物々しい英姿だった。
縁花のあとに続いてふたりの男女が入室した。縁花とは意匠が異なるものの、こちらも戦装束だった。
麗祥は彼らの人相に見覚えがあった。
「この者たちは……」
「丁度いいからアキラの護衛として呼んだ」
耀龍はソファから立ち上がって縁花に近づいた。腕組みをして全身をまじまじと観察した。
縁花は両手を腰の後ろで組んで背筋を伸ばして仁王立ちになり、主人からの視線を受け容れた。
「父様が急に言い出すから、今回は新たに装具を誂える時間がなくてごめんね」
「いいえ。もう充分すぎるほど立派なものを頂戴しております」
それから、耀龍は男女のほうへ目線を向け、首を左右に傾けてジロジロと眺めた。
彼らの装束は縁花のものとは異なり、男女ともに背中を守るものは何も無く素肌を晒していた。背中から攻撃を受けてはひとたまりもない。しかし、これこそが彼らの特性だ。
彼らは、縁花ほど従順にその視線を受け容れはしなかった。特に女性のほうはその顔に不快感を在り在りと表出させた。
「へえー。様になるじゃない。せっかくキミたち用の装具を大急ぎで用意してあげたんだから、めいいっぱい役に立ってよ」
「勘違いするな。我らがアキラ殿をお守りするのはアキラ殿への恩義故。貴様の命令に従っているのではないわ」
「別に何でもいいよー。結果が同じなら」
耀龍は、反抗的な女性に対して小首を傾げて見せた。
「ああ、でも、キミたちも勘違いしないでね。アキラの役に立ちたいって言ったのはキミたちのほう。オレはキミたちを許してないし、頼みこんだわけでもない。キミたちを信用してるのはアキラであってオレじゃない。オレたちの間にあるのは信頼関係じゃない。現状での利害の一致だけだよ」
麗祥が見覚えがあった彼らは、少数であるが故の悲運の末路――滅びかけの一族の生き残り――有翼人種フォーゲルフェダル族の遺民の姉弟。すなわち、姉のルフトと弟のヴィントだった。
耀龍はアキラを庇護下に置くと、すぐにミズガルズで彼らの居所を探した。天尊がアスガルトに帰還後も、彼らがミズガルズに留まったことはかなり妥当な想定だ。そして、見つけ出した彼らに提案した。アキラに恩を感じているのなら、その身を守ることで返せばよいと。
「まあ、オレはキミたちじゃなくても全然構わないけど、キミたちはできるならアキラへの恩を返したいでしょ」
「利害の一致か。それもそうだな。しかし、信用できない者を居城に招き入れるのは不用心ではないか」
「だからだよ。ここは暉曄宮。赫の族長の居城。エインヘリヤルに並ぶ武力を誇る牙城。完全なる赫のテリトリー内で、キミたち如きが何かできるわけがない」
「ッ……」
ルフトは耀龍を睨んだ。口惜しいが、このいけ好かない貴族の若者の言を否定する材料を持ち合わせなかった。
「あ。オレに何かするのもやめたほうがいい。今夜の縁花は武装してる。ミズガルズのときの比じゃないよ」
「小姐のお支度整いましてございます……」
主人と気性の荒い有翼人種との対峙に怯えた侍女が、震える声で伝えた。
ルフトはチッと舌打ちして耀龍から目線を外した。
程なくして、侍女に先導されたアキラが部屋に入ってきた。
赤と橙の中間色の衣で仕立てたドレス。足元がすっぽり隠れるほど長いその裾をひきずって現れた。黒髪には、ドレスの色に合わせて黄金色の髪留め。その細工は精緻な小花。侍女たちによって薄い化粧を施された顔は、いつもより少しだけ大人びた。
アキラはフォーゲルフェダル族の姉弟を見た瞬間、驚いて表情を変えた。
「え⁉ ルフトさんとヴィントさんが何で?」
「姑娘。上品でとても愛らしい装いだ」
「ホントよく似合ってる。アキラは黒髪だから何色の衣でも合うね」
麗祥も耀龍もアキラの反応を無視して口々に褒め称えた。由緒正しい貴族の子息として教育された彼らにとって、それはこの場で何よりも優先すべき事柄だ。
麗祥は何も言わず突っ立っているヴィントを横目で見た。
「君は姑娘を褒めないのか? せっかく見事に着飾っているというのに」
ヴィントはギクッとして固まった。一瞬遅れて口を開いた。
「あ……。キ、キレイ、です……」
「これ、ヴィント。貴族のようにとは言わんが、もっと気の利いたことが言えんのか」
ヴィントは姉から叱られて困った表情で俯いた。
貴族の男のような華美な賛美の台詞までは求められないにしても、咄嗟に上手い台詞は出てこなかった。不慣れなことをそつなくこなせるほど器用な男ではなかった。
「無理しないでください、ヴィントさん」
「無理などございません。今宵は格別に麗しゅうございます、アキラ殿」
ルフトはヴィントの耳を捻り上げ、アキラに向かって微笑みかけた。彼女のほうがヴィントよりもずっと流暢に堂々としていた。
じゃなくて、とアキラは耀龍のほうへ顔を向けた。
「コラ、ロン。何でルフトさんたちを巻きこむの」
「だって必要なんだもん」
アキラに「めっ」と叱りつけるような表情をされ、耀龍はチロッと舌を出して見せた。
ハハハハッ、とルフトは破顔した。
「ニーズヘクルメギルの子息を叱りつけるとは、流石はアキラ殿。アキラ殿は何もお気になさらず。これは我ら姉弟が望んだことです」
「驚いたよ。まさか、アキラがこの姉弟とつながってるなんて」
耀龍の表情に言葉ほどの驚きはなかった。
復讐を果たす為だけに、天尊の抹殺だけを目的として、ミズガルズに降臨した彼らがアスガルトに戻らないであろうことは、耀龍には容易に想定できた。
アスガルトとミズガルズ、異界の往来は管理されており自由にはできない。しかし、何事にも裏道や便宜は存在する。〝管理者〟に特別なコネクションがあったり、無視しがたい強力な権力があったり、手段はさまざまだが、正当な理由がなくとも彼岸へ渡ることは決して不可能ではない。
フォーゲルフェダルの彼らが取りうる手段は、金銭の授受によって便宜を図らせるもの、所謂〝密入国〟。ミズガルズへ行きたがる者は多くはない。関心のない者にとっては無価値だ。しかし、便宜を図ることは管理者にしかできないのだから、決して安価なものではない。往復の料金を工面するのが難しくとも、目的が復讐であれば片道切符で充分だ。
アキラは天尊と耀龍が去ったあと、天尊と別れた山へ行ってみた。そこにはフォーゲルフェダルの三人がいた。彼らからアキラに対しても、アキラから彼らに対しても、敵意や悪意はなかった。彼らの原動力は、天尊への怨恨にして大昔の悲劇なのだから、それは当然だった。
彼らは元の世界へ戻れないという。自ずとこの世界で余生を過ごすしかない。しかし、彼らはこの世界では異端者であり、寄る辺もない。耀龍のように関心や知識があるわけでもない。事情を知ったアキラは、彼らを見捨てられなかった。できる限りの助力をし、救いの手を惜しみなく差し伸べた。それこそが、彼らがアキラに感じている恩義だ。
「アキラ殿は行く当てのない我らに衣食住の世話をしてくださいました。我ら姉弟が今日健やかに過ごせているのは、すべてアキラ殿のお力添えあってこそ。その恩義に少しでも報いたいのです」
「そんな大層なことは……。わたしはお仕事を紹介しただけで、そしたら運良く衣食住がついてきたっていうか」
アキラはルフトたちを知り合いの異邦人ということにして、常連の商店街のツテを頼って求人中の店を探し、雇ってくれと口を利いた。雇用先の店長が大層人柄のよい人物で、ルフトたちに住むところを世話してくれた。
いくら店長が善人でも、アキラが一所懸命に頼まなければ、縁も所縁もない、知識も常識も心許ない異邦人を信用することは難しい。アキラがいくら否定しても、その尽力の甲斐であることを、フォーゲルフェダルの三人は重々理解していた。
ルフトはアキラに向かって目尻を下げて微笑んだ。
「ええ。アキラ殿は大層なことはなさっていないとお思いください。我ら姉弟が勝手にしていることです」
これは何と遠慮しても引き下がってくれそうにない、と察したアキラはヴィントのほうへ目線を移した。
「ヒンメルさんは一緒じゃないんですか?」
「三人揃って仕事を抜けるわけにはいかなかったもので……」
異界の住人であるヴィントから普通の社会人のような台詞が出てきて、アキラはアハッと笑った。随分とあちらでの生活に慣れたようでよかった。幸か不幸かは分からないが、これから先の生涯をそこで過ごすと決めたのなら、過ごしやすいほうがよいに決まっている。
アキラは麗祥と耀龍のほうへ目線を移した。
「ユェンさんたちはパーティーなのに鎧? こっちのパーティーってこういうもの?」
「いいや、少々変わった趣向と言える。父様主催だとこうなることが多い」
「武具や装具の誂えの出来とか、どれだけ腕の立つ従者がいるかとか、要は自慢大会。だからアキラの従者として彼らに来てもらったってワケ」
「わたしにもユェンさんみたいな人が必要ってこと?」
アキラは小首を傾げた。
耀龍と麗祥はコクンと頷いた。
「アキラは天哥々の恋人だ。貴族や名家の令嬢じゃないとしても、決して誰にもアキラを侮らせない」
耀龍はアキラの両肩に手を置き、額にチュッと軽く口づけた。
「だから、そういうのしないでってばっ」
「えー。額もダメなの?」
彼らの言う庇護するとはそういうことだ。生命の危機を遠ざけ、衣食住を与え、日々の身の回りの瑣事から解放することのみならず、悪意や不利益からも守ることを意味する。
耀龍はルフトのほうへと顔を向けてウインクして見せた。
「勿論、護衛も兼ねてるよ。役に立ってね」
「無論」と姉弟はコクンと頷いた。
アキラは耀龍から説明されても釈然としない表情だった。
「それって、そんなに大事なことかなあ」
「貴族とは何より面子が重要な生き物なのです。《雷鎚》の弟は、実に貴族らしい男です」
「そ・う・だ・よ。だからキミたちもちゃんと貴人の従者として振る舞うんだよ。それがアキラの為になる」
耀龍はルフトをビシッと指差した。
「……畏まった。〝ヤオロン殿〟」
ルフトはフンッとそっぽを向いた。
アキラは申し訳なさそうに眉を八の字にした。天尊への怨恨が晴れたとはいえ、ルフトは貴族を快く思っていない様子。礼節を強要されるのは不本意に違いない。
「無理させてごめんなさい、ルフトさん」
「ご心配には及びません」
ルフトとヴィントは慌てて取り繕った。
アキラは、耀龍と麗祥によってパーティが開かれる広間へと導かれた。すでに多くの招待客で埋め尽くされていた。赫暁がパーティを開催すると決めてからそれほど時が経っていないというのに、よくもまあこのように豪華な場を設けられ、客人も急な招待に応じられるものだ。
大広間の天井はとても高く、そこにはいくつものシャンデリアが煌びやかに輝く。広間は全体的に赤で統一されていた。天井から垂れ下がるカーテンはシックで深い紅色、広間に敷かれた絨毯、テーブルやチェアを彩るクロス、随所に生けられた花も真っ赤な大輪。鮮やかな装束を纏った老若男女たちが華やかさを添える。精悍な顔付きの男たちが身に着けた鎧がシャンデリアの灯りを照り返し、広間はますます眩さを増した。
耀龍たちが武具や従者の自慢大会と言ったのは真実らしい。着飾った主人らしい人物は、誰も彼も武具を装備した従者を付き随えている。この鎧は此処が素晴らしいだとか、この刀剣はどの鍛冶が鍛えただとか、其処彼処から話題が聞こえてくる。
「ほう。耀龍様と麗祥様が揃ってエスコートなさるとは。あちらは一体どちらの愛嬢で在られるか」
「はて。お二方ともいまだご婚約者を迎えられておられないはずだが」
「噂では耀龍様の可愛い方らしく。近頃お手許に囲っていらっしゃるそうですわ」
「それはそれは。しかし、一体如何ほどのご令嬢方が噎び泣くことか」
この世界きっての大貴族の令息たちは、パーティの参加者たちの衆目を集めた。彼らと並び立つ見知らぬ少女は注目の的だった。素性を知られていないが故に、殊更に興味を掻き立てた。パーティの参加者たちは好き勝手に噂し、中には特段耳の早い者もいた。大貴族令息の恋人の座を密かに狙う令嬢たちは、歯軋りしたかもしれない。
大貴族の令息がふたりも揃って甲斐甲斐しく世話を焼く光景がまた、彼らの好奇心や嫉妬心を煽った。
耀龍はアキラの手を引き、麗祥は飲み物のグラスを差し出した。
「アキラはダンスは好き? 何が得意?」
「姑娘。飲み物は何を?」
「あ。ダメダメ。アキラはアルコールは飲めないよ」
「では何か別の飲み物を持ってこさせよう」
「ふたりとも慣れてるし違和感ない。ホント貴族のお坊ちゃまってカンジ」
「だって貴族のお坊ちゃまだもん」
アハハハ、と耀龍は笑った。
アキラは此処にいるだけで何か粗相はないか、借り物のドレスを汚してしまわないか、と心配事ばかりで緊張したが、耀龍と麗祥は自然体だった。ふたりともきちんと正装を纏い、普段とはまったく異なる装いなのに完璧に着こなしており、まるで当たり前のような態度だ。
「お前たち」
耀龍と麗祥は、自分たちが呼びかけられていると気づいて振り向いた。この場でトップクラスの身分である彼らに対し、お前たち、と呼びかけられる人物は限られる。
「一大哥」
耀龍と麗祥は赫一瑪と短い挨拶を交わした。
赫一瑪はすぐに弟たちからアキラへと目線を移した。
「姑娘と話がしたい、と族長の仰せだ」
「何で」
「族長の仰せだ」
耀龍は黙った。兄の口調からは理由など問うなという意思を感じた。
耀龍が麗祥へチラリと視線を遣り、麗祥は抗うなと目を伏せた。父の命令に逆らえないのは、兄も弟も同様だ。
耀龍はアキラの肩に手を置き、耳許に口を近づけて囁いた。
「心配しないで、アキラ。オレたち近くにいるから」
「う、うん」
安心させようとした耀龍の声がやや緊張しており、その緊張がアキラにもうつった。
赫一瑪はアキラに自分についてくるように促し、アキラは足を進めた。
アキラに追従しようとしたルフトとヴィントを、赫一瑪は視線で制した。
「従者は不要」
「しかし――」
「従者。もう一度言う。我が族長は姑娘のみをお召しだ。貴様らは要らぬ」
「ッ……!」
ルフトとヴィントはそれ以上食い下がれず、赫一瑪はアキラを伴って行ってしまった。
ふたりとも赫一瑪の刺すような視線に気づいた瞬間、喉が締まったように言葉が出てこなかった。耀龍や麗祥と同じ貴族令息でありながら決定的に異なる威圧感。あれと比較したら耀龍も麗祥も確かに貴族のお坊ちゃまに過ぎず、赫一瑪には支配者の風格があった。
口惜しいルフトは、耀龍と麗祥へと矛先を向けた。
「アキラ殿を守れと言っておきながらおひとりにさせるなど、どういう了見だ」
「今のは我らの長兄。呼んだのは赫の族長。この場で逆らえる相手ではない」
弟たちは、長兄が自分たちとは別格の存在であると、誰よりも弁えていた。
アキラはパーティ会場の端まで連れてこられた。壁際は薄いカーテンがいくつか張られており、その前に使用人が立っている。目を凝らしてみると、カーテン越しに人間大の黒い影が見えた。
赫一瑪が短く言葉を交わし、使用人が手でカーテンを掻き分けた。
カーテンの向こうは個室になっており、8人程度が座れるソファが壁沿いにコの字型に配置されている。そこに赫暁がひとりで座していた。この部屋は、大勢が参加する社交場において、限定された者のみで談話ができるちょっとした密室というわけだ。
耀龍たちとそれほど離れたわけではなかった。アキラが個室の前でチラリと振り向くと、ルフトのやきもきした表情を目視できた。
入りなさい、と赫一瑪から促され、アキラは怖ず怖ずと足を踏み出した。
赫暁とは偶然言葉を交わした程度だが、悪い人物という印象はない。しかし、気は進まなかった。好き勝手に振る舞うあの耀龍が逆らえない人物など、なんとなく構えてしまう。
アキラは、最奥に座っている赫暁の斜め前あたりに座った。
カーテンが閉められて個室にふたりきりになった。そうなると余計に緊張してしまって自然と顔を伏せた。
「呼び立ててすまんな、姑娘」
(あ。やっぱり似てる……)
赫暁の声質は記憶のなかの天尊のそれによく似ていた。
アキラは声に惹かれてわずかに顔を上げた。
「先ほどは名乗り遅れた。俺は赫暁。天尊と耀龍の父だ。姑娘は名は何という?」
「アキラです」
「よい名だ」
「そうですか? 昔は男の子みたいってよく言われて」
「耳に心地良い清澄な響きだ」
アキラは天尊と似たような会話をしたことを思い出した。懐かしくなり、途端にキュッと胸が苦しくなった。これもおそらくは、赫暁の落ち着いた低音が天尊と似ているからだ。
「姑娘が天と恋仲とは驚きだった」
「あのッ……ロンと同じ学校って言ったのは、ウソじゃないです」
アキラが慌てて言い訳のように口走り、赫暁はハハハと笑った。
「安心してくれ。嘘吐きと責めるつもりは毛頭ない。天にしても龍にしても、本当に意外だっただけだ」
「わたしはふたりの好みじゃないから?」
赫暁はアキラから切り返されて肩を揺すって笑った。
「フハハハハ。あれは礼を欠いた発言だった。許してほしい。いや、なに、父から見るに、てっきりあの倅たちは艶冶な美女を好むと思っていたものだからな。ところが姑娘は清純可憐な花の精のようだ」
(んんんんッ。とても恥ずかしい……! ロンたちって何でこう、何でこう……褒め方が過剰かなあ~)
アキラは頬を染めて口を一文字に閉じて羞恥を噛み殺した。
耀龍も麗祥も女性に対する美辞麗句が立て板に水。赫暁はそれを上回る。この家庭はこれが当たり前なのだろうか。長兄の赫一瑪は寡黙な人物のようだが。
赫暁はソファの上を横にずれてアキラに近寄った。
「何故天と恋仲に? アレのどこに惹かれた? 見た目なら俺も劣らんと思うのだが」
「そうですね。お父さんもカッコイイです」
アキラは自然と笑みを零した。赫暁が気さくに話してくれるから、緊張はかなりほぐれた。
「ロンやお兄さんよりもお父さんのほうがティエンと似てます。顔もそうですけど、声とか立ち方とか」
――近くで見てもやはり似ている。
アキラは赫暁の顔をジッと見た。
もう一年も見ていない姿を思い出す。此処最近で最も克明に思い出す。赫暁の顔立ちや声質、ふとした表情や仕草、無意識に零れ落ちる癖、醸し出す雰囲気、すべてが天尊に似ている。年齢は兄弟たちのほうが近いのに、何故だか赫暁に強く惹きつけられた。目を奪われる。声を聞いていたいと思う。
そして、自分は寂しいのだと実感した。天尊がいなくなって、自分は何かが欠けてしまった。天尊はいなくなるときに何かを持って行ってしまった。アキラ自身では取り戻せない何かを。
「そうか。では俺を好ましく思ってくれるか。それは重畳」
アキラは、好ましいかと問われて素直に「はい」と答えた。嫌っていない相手にそう答えるのは当然のことだった。
「その黒髪も夜空のような瞳も実に美しい。世界広しといえど、その誂えたように見事な髪と瞳はそうはいまい。姑娘ほど麗しい娘を見たことがない。天には勿体ない美しさだ」
赫暁はアキラに躙り寄った。アキラの目を見詰めながら髪の毛先に指先で触れた。
「天が長の不在で寂しい思いをしているだろう。その寂しさを今夜は少しでも紛らわせられたらよいのだが……。俺に何かできることはないか」
「あなたに?」
「何か望みがあるなら言ってみるといい。大抵は叶えてやれるだろう」
「わたしはティエンが今どこにいるか――」
「今夜はアレのことは忘れろ」
赫暁はアキラの言葉を遮った。
「それこそが姑娘を煩わせている原因だ。アレの所為でこの愛らしい顔が曇るのは残念だ。これまでもう随分とアレのことを想い、寂しく過ごしてきたことだろう。今夜一晩だけ忘れたとて何も悪いことはない」
「無理です。ティエンを忘れるなんて絶対無理」
無自覚に寂しく苦しい思いを積み重ねた。もう限界だと気づいて、なかったことにしようと思った。自分にはどうにもできない事柄にいつまでも苦しめられる自分自身を解放してあげようと思った。周囲にもそれを勧められた。
しかしながら、できなかった。忘れようとしてもできなかった。運命の所為か、己の意思か、忘れることを許してはくれなかった。天尊に愛を乞われ、好きだと返した、あのたった一度の事実をなかったことにできなかった。
もう二度と逢えないと、ともに過ごした時間は夢幻だったのだと、すべてをなかったことにしようとしたけれど、今はいつか必ず逢えると信じている。
「俺が忘れさせてやると言っても? 望みを叶えてやると言ったろう。姑娘が望むなら、一晩アレの代わりとなろう」
赫暁はアキラの頬に手の甲で触れた。
精悍な顔立ちをした切れ長の目から注がれる秋波。アキラはそれをきっぱりと拒否した。
どれほど聞き心地のよい声質でも、懐かしい雰囲気を纏っても、よく似た紛い物。赫暁のなかに天尊を見つけることは、寂しくて虚しい。喪失感が増すだけだ。手の届く範囲にはいないのだと思い知らされるだけだ。
「あなたはティエンじゃない」
「アキラ――……」
赫暁はアキラの顔の輪郭に手を添え、唇を近づけた。
シャッ。――突然、カーテンが開かれた。
「父様!」
耀龍と麗祥が個室へと踏みこんだ。
唇と唇が触れ合うまであと数センチ、すんでのところだった。個室に男女がふたりきり、この好色な父に何をしていたのかなど問う必要はなかった。
「アキラはダメだってば。本当に天哥々とケンカなさるつもりッ? アキラに手を付けたら、たとえ父様だって天哥々は絶対に許さないよ」
「何だ。アレはまだ手をつけておらんのか」
「うん。両想いになった矢先に麗が連れてっちゃったから」
「あ、あれは任務で仕方なくッ……」
耀龍が素直にコクンと頷き、麗祥は慌てて言い繕おうとした。
赫暁はジョークのように、あっはっはっと声を上げた。
「じゃあ俺にもまだ分があるな」
「と・う・さ・ま⁉💢」
耀龍は赫暁に詰め寄った。耀龍にしてはかなり真面目な態度だったが、赫暁には笑って遇われた。
麗祥はアキラの手を取って席を立たせ、個室の外へと連れ出した。
薄布のカーテンを潜って個室から出てくると、ルフトとヴィントがすぐにアキラを取り囲んだ。特にルフトはアキラの両手を掬い上げて握り、心配そうに顔を覗きこんだ。
「アキラ殿。ご無事ですか。何もされませなんだか」
「何もって?」
アキラは皆の懸念の理由が分からずキョトンとした。赫暁の言動に対して距離感がやや近いとは感じたものの、特段危機感を抱かなかった。大人びていても、そういった経験や勘はまだまだ不足していた。
ルフトとヴィントはアキラの両脇に立って赫暁の個室から足早に離れた。
程なくして、耀龍と麗祥も追いついてきた。ルフトはふたりに向かって噛みつきそうな勢いで批難した。
「あれがニーズヘクルメギルの族長だと! 年甲斐もなくアキラ殿のような若い娘を口説こうなどッ」
「恥ずかしながら、父様はかなり女性がお好きだ。美女と見たら手当たり次第。これまで何人の侍女に手を付けたか数え切れない」
「痴れ者め!」
ルフトはアキラを両手で抱き締めた。たとえこの場でアキラが守るべき対象でなかったとしても、赫暁の言動は充分に女性の敵たりえる。
麗祥は天井を仰いで苦笑いを浮かべた。父親の所業を思えば、女性からの非難の目を甘んじて受けるしかなかった。
「父様の女好きは今に始まったことじゃないけど、天哥々のにまで手を出そうとするなんて。天哥々と父様のガチゲンカなんて暉曄宮が壊れる~~!」
麗祥は、嘆きながら頭を抱える耀龍に冷静な目線を向けた。
「お前とて過去に天哥々の恋人と交際したことがあるくせに」
「オ、オレはちゃんと別れたあとだもん。横からちょっかいかけるなんてしてないもん。オレと天哥々は好みが似てるんだから仕方ないじゃんッ」
(そういえばロンも学校でモテまくってたなー)
――この親にしてこの子あり。
アキラは必死に弁明しようとする耀龍を見て苦笑した。
麗祥は腕組みをしてハーッと長い溜息を吐いた。
「父様が無礼を働いた。すまない、姑娘」
麗祥は申し訳なさそうな顔をした。しかし、アキラはキョトンとした。
「無礼って? ティエンの話をしただけですけど」
(言い寄られたと気づいていないか。なかなか手強いな、姑娘)
「アキラ殿ッ」とルフトがやや声を荒らげた。
それから、アキラの正面に立ってガミガミと小言を述べた。
ルフトはアキラを生活力が高くしっかりした人物だと認めている。恩人でもある。しかし、個室でふたりきりの情況で至近距離に寄られてのほほんとしている危機感の低さには、同じ女性として注意せざるを得なかった。
ねえ、アキラ、と耀龍が声をかけた。
「父様は天哥々のこと何か言ってなかった?」
「ティエンのどこが好きかってことと、俺も見た目は負けてないと思うって話しかしなかったよ」
「父様……」
耀龍と麗祥は脱力した。
息子から見ても赫暁は男性的矜持にこだわる尊大な男だ。息子と張り合う姿は容易に想像できた。
「確かに父様と天哥々は似てるし歳の割に男前だと思うけどさー。息子と張り合うのやめてほしい」
「お父さん、カッコイイもんね」
「――――……」
アキラはフフッと笑みを零してやや頬を染めた。
少女らしい羞じらいの表情。耀龍と麗祥の目にはそのように見え、ふたりして顔を見合わせた。
ルフトがアキラに何か飲み物を選びましょうと提案し、ふたりで場を離れた。
耀龍と麗祥はアキラの後ろ姿を眺めた。
「まさか姑娘のほうが父様に心変わりするなど、ないだろうな」
麗祥から問われた耀龍は、はあーっと嘆息を漏らした。
「ないとは思うけど……。でも父様は手が早いし、何より天哥々にいろいろ似てるからな~。アキラと天哥々の間に恋人らしい何かでもあれば、そんなことは有り得ないってもうちょっと自信持てるけど。一年も顔も見てないのに想い続けるって、もう奇跡じゃん?」
「何を他人事のように暢気な。我らがついていながら父様に奪われることになどなってみろ。天哥々に合わせる顔がないぞ」
「それは分かってる。分かってるけどさ~」
惹かれ始めた人の気持ちを方向転換させるなど難儀だ。本人ですら制御できるものではない。もしそうなってしまったとして、自分たちにできることなど無いに等しいと、耀龍も麗祥も理解しているが故、悩ましい深い吐息しか漏れなかった。
アキラたちが去ったあと、赫一瑪は赫暁がいる個室のカーテンをめくって入室した。
赫暁は頬杖を突いて上機嫌にニヤニヤしていた。
「天のヤツ、趣味は悪くねェな。まだ若いがイイ女になりそうだ。この俺が口説いて靡かなかった」
「自信家でいらっしゃる」
「まだまだアレに負けるつもりはない✨」
赫暁が好色家であることは隠してもおらず周知の事実。赫一瑪は最早諫める気も起きなかった。
継嗣が必要不可欠な貴族の家において、好色であることは必ずしも悪とは考えられない。胤が無いよりは散蒔くほうがまだよい。血が絶えるリスクが低くなる。事実、息子たちも認めるほどの好色家である赫暁は、五人もの頑健な男児を成した。
「あの娘がお気に召したのは本心ですか?」
「愛らしいと言ったのは本心だ。清純で愛らしく……不憫な娘だ」
赫暁は小さく嘆息を漏らした。
「あの娘は天が戻ろうと戻るまいと幸せにはなれん。天の《オプファル》なのだからな。愛する者の手にかけられるなど、若い身空で浮かばれまい。真実、天を愛しているというなら俺に心変わりしたほうが、いくらか幸せかと思ってな」
赫暁は眉間に皺を寄せ、皮肉っぽく笑った。
愛情は人を愚かにする。愛するという行為は、ただひとりを何物にも替えがたく、掛け値のない存在とすることだ。愛情という毒物によって思考は麻痺し、合理性は棄却され、導きうる予測は無視される。然らぬ運命を覆そうとまでする。
合理的で冷徹と評判だった天尊でさえそうなってしまった。やるかたないことだ。
「まったく、アレは莫迦なことをしたモンだ。《オプファル》に惚れこむなんざ――……」
§ § §
ニーズヘクルメギル領・暉曄宮で開かれたパーティにて、とある男がふたりの若い従者を随えた令嬢に目を留めた。今夜のパーティに参加する貴族のなかでも、かなり上等な樺桜色のドレスや宝飾の髪飾りを身につけた令嬢。
彼もまた貴族の家の娘を護衛する従者だった。これまでに主人に付き随ったどのパーティでも、その令嬢を見た覚えはなかった。
すぐに樺桜の令嬢から従者へと目線が移った。男女ともに背中が大きく開いた戦装束。武器を携行しており護衛であることは間違いないが、背面の防御を捨てたその姿は珍しいものだった。
あまりに注視してしまい、女性のほうとバチリと目が合った。咄嗟に思ったことが口から出た。
「その背中が大きく開いた装束。もしや有翼人種か」
如何にも、と答えは直ぐさま返ってきた。
従者の主人である令嬢は、それを聞いて背中が開いた装束の女性へ目線を向けた。
「まあ、これが有翼人種。翼がなければヒトと見分けがつかないわ」
「最近では有翼人種は珍しく、戦士はさらに稀少と聞きます。このような好機はまたとありません。手合わせの許可をいただけますでしょうか」
「わたくしは構いません」
令嬢の従者は、有翼人種の女に身体の正面を向けた。
「我が主人の許しは得た。そちらは如何か」
(人をまるで見世物か何かのように。これだから貴族とは……)
令嬢とその従者に向けるルフトの視線は、自然と冷ややかになった。
彼らの視線や態度には好奇心があからさまだった。自身と同等の生物を相手にしているとは思っていない態度だ。有翼人種を珍しく感じるのは生活圏や文化が異なるからだ。何故そうなのかも考えない、独善的で無責任だと思った。
かつて天尊が語ったように、彼ら個人の決定でそうなったのではない。世界の総意がそう在り、ルフトたち一族は総力を挙げてもそれに反抗し覆す力が無かった。頭ではそう理解しても、彼らの態度は胸が悪くなった。
「応じてよろしいですか。アキラ殿」
「え。どういうことですか?」
アキラとルフトが何やら話しかけられていることに気づいた耀龍たちは、ふたりに近づいた。相手の令嬢は耀龍と麗祥を見るや、これはこれは、と淑やかにドレスを抓んで挨拶をした。
縁花は、ルフトと相手の従者の雰囲気と漏れ聞こえてきた話の内容から、情況をすぐに理解した。そして、情況を呑みこめていないアキラに簡単に説明をした。
「従者同士の手合わせを望んでいます。赫暁族長が催される宴ではよくあることです」
アキラは主人の許しが必要だと説明され、渋い表情を見せた。
鎧や武器をつけた者同士の手合わせと聞き、当然手荒なものを想像する。知人に怪我をするようなことをさせたくなかった。
「この手合わせには私の誇りが懸かっています。できればお許し願いたい」
ルフトの目にはすでに闘志が燃えていた。
「いいんじゃない? 彼女たちは戦士。戦士には戦士のプライドがある。よき主人は従者のプライドも守ってあげないとね」
耀龍はアキラの耳許でそう囁き、片目を瞑ってウインクして見せた。
アキラがチラリと麗祥を見遣ると、彼も小さく頷いた。
「じゃあ……はい」
ルフトから乞われ、耀龍と麗祥から説かれ、アキラはかなり渋々という表情で小さく頷いた。
おそらく生まれたときから従者や使用人に囲まれ、ごく当たり前に主人として振る舞ってきた彼らの言い分は、妥当なのだろう。ルフトは尊大ではないがプライドの高い人物だ。成り行き上の主人に過ぎない自分が命令して引き下がらせるのは、ルフトに対して失礼だ。
「姉様が相手をされずとも。ここは私が」
「応じたのは私だ。私が出る」
手合わせを行うため、彼らは別棟の部屋へと移動した。
そこは、パーティが開かれている広間よりも床面積はやや小さいが、邪魔になるテーブルや調度品などは無く、動き回れる範囲は広かった。本来は鍛練や手合わせ用の部屋ではない。内装は客人を招き入れても恥ずかしくない丁寧な仕上がり。当たり前の貴族の邸宅ならば応接に使用されるレベルの空間だ。
手合わせをする従者同士は部屋の中央に立ち、物見高い客人たちが部屋の壁際で談笑しつつ見守る。
やはり見世物小屋のようだな、とルフトは内心嘲笑した。今さら不快だなどと不満を漏らすつもりはない。むしろ望むところだ。彼らが退屈凌ぎに見世物を望むなら、お望みどおり稀少な有翼人種の女戦士のショーを見せてやろう。ただし、愚昧で高慢ちきな彼らの鼻を明かす為に舞うショーだ。
相手の従者が剣を構え、ルフトも腰元から得物を抜いた。特徴的な半月型の幅広の大刀。それを両手で頭上に掲げ、赤い唇で不敵にニヤリと笑んだ。
アキラはギョッと表情を変えた。
「え! あれってホンモノ⁉」
うん、と耀龍は平然と答えた。
耀龍だけではなく、麗祥も弟のヴィントも動揺していなかった。アキラだけが平静でなかった。手合わせというからには本気の殺し合いではないのだろう。しかし、刃物で切りつけ合うなど無傷では済まないことは想像に難くない。アキラには目の前で知人が血を流すなど耐えがたい。それも、無知な自分が危険性を理解しなかった所為で。
武装した従者を随えて自慢し合うということがどういうことなのか、もっと深刻に考えればよかった。
「ダメ! とめてロンッ」
「でももうお互いに抜いちゃったしー」
「こんなことだって知ってたら許しなんて出さなかった! ルフトさんが危ないことするなんて絶対ダメッ」
アキラは隣に立つ耀龍の服を引っ張って必死に訴えた。
アキラ殿……、とヴィントが少々困った表情で宥めようとするが、アキラには届かなかった。アキラがこうまで取り乱すなど想像していなかった彼は、途惑った。彼が知るアキラは、慈しみ深く、穏和で沈着な人物だった。
耀龍はアキラの唇をピトッと人差し指で押さえた。
「レディが大声を出すなんてはしたないよ、アキラ」
「ロンッ!」
「姑娘を別室へ。気を落ち着けていただくように」
麗祥は自分の従者へそう命じた。
アキラは自分よりも一回り以上大柄な男たちにふたりがかり、それにヴィントも加わり、手合わせの場から連れ出された。ヴィントは何度も、申し訳ない、申し訳ない、とアキラに詫びた。彼らは決して乱暴ではなかったがアキラの力では抗いようがなかった。
「よろしいのですか、耀龍様」と縁花。
「うん。従者が勝てば名誉ではあるけど、負けてもアキラの不名誉ってわけじゃない。それにフォーゲルフェダルの実力を見ておきたい。手合わせを申し入れられたのはいい機会だ」
ルフトの手合わせが終わったあと。
耀龍と麗祥は、アキラが待つ部屋を訪れた。
部屋の前には麗祥の従者たちが待機していた。麗祥はアキラの様子を窺うことなく彼らと去って行った。アキラの取り乱した様子やあの場から無理に連れ出した非礼からして、顔を合わせれば責められるだろうと予想し、それを避けた。麗祥にはアキラを宥める方法が思いつかなかった。
耀龍は縁花を伴って入室した。
アキラはテーブルセットのチェアにひとり佇んでいた。ヴィントはそのすぐ傍に控えていたが、ふたりの間に和やかな会話は無さそうだった。
耀龍はそのテーブルセットのすぐ近くに立ってアキラの頭頂を見下ろした。
「……ルフトさんは?」
「勝ったよ。大怪我もしてない」
アキラは麗祥の予想のように激しく責め立てなどはしなかったが、耀龍と目を合わせようとはしなかった。勝利を報告しても喜びもしない。顔も見たくないという意思表示だろうか。
「アキラ。怒ってる?」
「怒ってるよ」
怒っていると言ってもアキラはすでに冷静だった。さめざめと涙して同情心を誘うわけでも、ヒステリックに金切り声を上げるわけでもない。ただ、ひしひしと怒気は伝わってくる。
耀龍は、普段とは異なるアキラの雰囲気に少々居心地の悪さを感じた。怒鳴られるわけでも罵倒されるわけでもないのに、なんとなく居づらい。並外れた権力と大抵の我が儘を許されている耀龍に、このような思いをさせられる人物はそうはいない。
「真剣を使うってロンは知ってたんでしょ。知っててわざと黙ってた」
「うん。でもあれはお互いに了承してた。手合わせを望んだのはルフトだ。結果、ルフトは矜持を守った。アキラは何に怒ってるの?」
「知らなかったから怒ってる。いくらルフトさんたちがわたしの護衛をしてくれるって言ったからって、たとえルフトさんたちが望んだとしても、わたしの知らないところで危ないことをさせないで。ルフトさんたちを、わたしを守る為の道具みたいに扱わないで、絶対に!」
「護衛ってそういうものだよ」
耀龍は平然と切り返した。
アキラは耀龍を黙って見詰め、耀龍は小首を傾げた。本当に、何が悪いのという顔をして。
耀龍はアキラの憤りを察知して居づらさも感じているが、そうなった理由までは理解しなかった。他者の気持ちや考え方、価値観を、上手に推量できない。生まれながらに尊ばれ、他者から一方的に尽くされることが常。世界は自分が主体。まるで子ども。
――まるで銀太に言い聞かせているみたいだ。
「…………。じゃあロンはユェンさんも自分の道具だと思うの」
「――――……」
耀龍は虚を突かれて押し黙った。
アキラは耀龍の瞳が微動したのを確認してフイッと顔を逸らした。
「わたしの言ってる意味を分かってくれたら、謝らなくていいから、もうルフトさんたちに危ないことさせないって約束して。そして絶対に守って」
そう言い残してアキラはチェアから立ち上がった。耀龍と縁花の横を通過してこの部屋の出入り口へと向かった。ヴィントもアキラのあとを追った。そこにはまだ麗祥が残した従者たちが立っており、アキラを自室まで送ってくれることだろう。
耀龍はアキラが部屋から出て行った気配を察知してから、ふう、と息を漏らした。
「……お見事。ぐうの音も出ないよ」
「耀龍様?」
耀龍はハハハと笑って縁花を振り返った。
「縁花がただの道具かって問われたら〝否〟としか答えられないもの」
「恭悦至極にございます」
アキラは自室に戻るとすぐに、侍女にルフトを呼ぶように頼んだ。
侍女はそれを聞き入れた。アキラがそわそわして待っていると、程なくしてルフトがガチャガチャッと鎧を鳴らしながらやって来た。
「このような姿のままで申し訳ございません。速やかにとの仰せでしたので」
ルフトの語り口は手合わせ前と何ら変わらなかったが、全身の至るところに包帯など治療のあとが見てとれた。
ルフトの姿を目にしたアキラの顔面は青くなった。弾かれたようにチェアから立ち上がってルフトに駆け寄った。
「ルフトさん。ごめんなさい。そんなケガさせて! あんなに危ないことだって知ってたら……ッ」
「そのようなお顔をなさらないでください。アキラ殿には何の責もございません。これは私が望んだこと。私がしがない誇りを懸けただけのこと。このようなことでアキラ殿がお心を痛めることはないのです。私の望みを聞き入れてくださり誠にありがとうございます」
ルフトの感謝は本物だった。一時とはいえ、アキラは主人、自分は従者だ。主人は手合わせを申し入れられた従者に、そのような面倒なことには関わるなと命令をしてもよかった。しかし、アキラはルフトの意思を尊重してくれた。従者であると自身を位置づけたルフトにはそれが嬉しかった。
ルフトは謝辞を述べて微笑んだが、アキラの顔色は一向に良くならなかった。自分の強情によって幼気な少女が自身を責める様に申し訳ない気持ちにさせられた。
「我が儘を申して主人のお心を痛めさせてしまうとは、私は悪い従者ですね」
「違います……ルフトさんは悪くない。わたしがよく考えなかったから」
――ここは〝向こう〟とは違うんだって本気で理解しようとしてなかったから。
天尊も耀龍も、ルフトとヴィントも、一見して外見は人間と変わらないから、アキラはついつい勘違いしてしまう。自分とそう変わらない考え方をして、自分が常識だと信じているものが通用するのではないかと。実際は、外見以外は何もかもが異なる。知らない世界で生きてきて、価値観は一致せず、想像もできない生き方をして、時として善悪の判断すらも相違する。だから、耀龍もアキラも、互いに何故何故どうしてと擦れ違う羽目になる。
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耀龍の館・客間。
耀龍と麗祥は、応接セットのソファに対面して座していた。
ふたりともそれぞれの侍女たちによって正装に整えられ、いつにも増して名家の子息らしく気品を纏っていた。急なパーティとはいえ、着飾るのは慣れたものだった。
アキラは別室にてドレスは勿論、髪や爪、メイクまで念入りに仕上げられていることだろう。本人は突然パーティと言われても何も勝手は分からないだろうが、侍女たちが完璧にこなす。
耀龍と麗祥がソファに腰を下ろして程なくして、縁花が入室した。
「お待たせして申し訳ございません」
ガジャン、ガジャン。――縁花の身動きに合わせて金属音。
今宵の縁花の出で立ちは特別だった。耀龍の侍従として恥ずかしくないよう日頃から身形には配慮を欠かないが、今宵は格別。磨き上げられた甲冑を身につけ腰には長刀を佩き、今すぐにでも戦場に馳せようかという物々しい英姿だった。
縁花のあとに続いてふたりの男女が入室した。縁花とは意匠が異なるものの、こちらも戦装束だった。
麗祥は彼らの人相に見覚えがあった。
「この者たちは……」
「丁度いいからアキラの護衛として呼んだ」
耀龍はソファから立ち上がって縁花に近づいた。腕組みをして全身をまじまじと観察した。
縁花は両手を腰の後ろで組んで背筋を伸ばして仁王立ちになり、主人からの視線を受け容れた。
「父様が急に言い出すから、今回は新たに装具を誂える時間がなくてごめんね」
「いいえ。もう充分すぎるほど立派なものを頂戴しております」
それから、耀龍は男女のほうへ目線を向け、首を左右に傾けてジロジロと眺めた。
彼らの装束は縁花のものとは異なり、男女ともに背中を守るものは何も無く素肌を晒していた。背中から攻撃を受けてはひとたまりもない。しかし、これこそが彼らの特性だ。
彼らは、縁花ほど従順にその視線を受け容れはしなかった。特に女性のほうはその顔に不快感を在り在りと表出させた。
「へえー。様になるじゃない。せっかくキミたち用の装具を大急ぎで用意してあげたんだから、めいいっぱい役に立ってよ」
「勘違いするな。我らがアキラ殿をお守りするのはアキラ殿への恩義故。貴様の命令に従っているのではないわ」
「別に何でもいいよー。結果が同じなら」
耀龍は、反抗的な女性に対して小首を傾げて見せた。
「ああ、でも、キミたちも勘違いしないでね。アキラの役に立ちたいって言ったのはキミたちのほう。オレはキミたちを許してないし、頼みこんだわけでもない。キミたちを信用してるのはアキラであってオレじゃない。オレたちの間にあるのは信頼関係じゃない。現状での利害の一致だけだよ」
麗祥が見覚えがあった彼らは、少数であるが故の悲運の末路――滅びかけの一族の生き残り――有翼人種フォーゲルフェダル族の遺民の姉弟。すなわち、姉のルフトと弟のヴィントだった。
耀龍はアキラを庇護下に置くと、すぐにミズガルズで彼らの居所を探した。天尊がアスガルトに帰還後も、彼らがミズガルズに留まったことはかなり妥当な想定だ。そして、見つけ出した彼らに提案した。アキラに恩を感じているのなら、その身を守ることで返せばよいと。
「まあ、オレはキミたちじゃなくても全然構わないけど、キミたちはできるならアキラへの恩を返したいでしょ」
「利害の一致か。それもそうだな。しかし、信用できない者を居城に招き入れるのは不用心ではないか」
「だからだよ。ここは暉曄宮。赫の族長の居城。エインヘリヤルに並ぶ武力を誇る牙城。完全なる赫のテリトリー内で、キミたち如きが何かできるわけがない」
「ッ……」
ルフトは耀龍を睨んだ。口惜しいが、このいけ好かない貴族の若者の言を否定する材料を持ち合わせなかった。
「あ。オレに何かするのもやめたほうがいい。今夜の縁花は武装してる。ミズガルズのときの比じゃないよ」
「小姐のお支度整いましてございます……」
主人と気性の荒い有翼人種との対峙に怯えた侍女が、震える声で伝えた。
ルフトはチッと舌打ちして耀龍から目線を外した。
程なくして、侍女に先導されたアキラが部屋に入ってきた。
赤と橙の中間色の衣で仕立てたドレス。足元がすっぽり隠れるほど長いその裾をひきずって現れた。黒髪には、ドレスの色に合わせて黄金色の髪留め。その細工は精緻な小花。侍女たちによって薄い化粧を施された顔は、いつもより少しだけ大人びた。
アキラはフォーゲルフェダル族の姉弟を見た瞬間、驚いて表情を変えた。
「え⁉ ルフトさんとヴィントさんが何で?」
「姑娘。上品でとても愛らしい装いだ」
「ホントよく似合ってる。アキラは黒髪だから何色の衣でも合うね」
麗祥も耀龍もアキラの反応を無視して口々に褒め称えた。由緒正しい貴族の子息として教育された彼らにとって、それはこの場で何よりも優先すべき事柄だ。
麗祥は何も言わず突っ立っているヴィントを横目で見た。
「君は姑娘を褒めないのか? せっかく見事に着飾っているというのに」
ヴィントはギクッとして固まった。一瞬遅れて口を開いた。
「あ……。キ、キレイ、です……」
「これ、ヴィント。貴族のようにとは言わんが、もっと気の利いたことが言えんのか」
ヴィントは姉から叱られて困った表情で俯いた。
貴族の男のような華美な賛美の台詞までは求められないにしても、咄嗟に上手い台詞は出てこなかった。不慣れなことをそつなくこなせるほど器用な男ではなかった。
「無理しないでください、ヴィントさん」
「無理などございません。今宵は格別に麗しゅうございます、アキラ殿」
ルフトはヴィントの耳を捻り上げ、アキラに向かって微笑みかけた。彼女のほうがヴィントよりもずっと流暢に堂々としていた。
じゃなくて、とアキラは耀龍のほうへ顔を向けた。
「コラ、ロン。何でルフトさんたちを巻きこむの」
「だって必要なんだもん」
アキラに「めっ」と叱りつけるような表情をされ、耀龍はチロッと舌を出して見せた。
ハハハハッ、とルフトは破顔した。
「ニーズヘクルメギルの子息を叱りつけるとは、流石はアキラ殿。アキラ殿は何もお気になさらず。これは我ら姉弟が望んだことです」
「驚いたよ。まさか、アキラがこの姉弟とつながってるなんて」
耀龍の表情に言葉ほどの驚きはなかった。
復讐を果たす為だけに、天尊の抹殺だけを目的として、ミズガルズに降臨した彼らがアスガルトに戻らないであろうことは、耀龍には容易に想定できた。
アスガルトとミズガルズ、異界の往来は管理されており自由にはできない。しかし、何事にも裏道や便宜は存在する。〝管理者〟に特別なコネクションがあったり、無視しがたい強力な権力があったり、手段はさまざまだが、正当な理由がなくとも彼岸へ渡ることは決して不可能ではない。
フォーゲルフェダルの彼らが取りうる手段は、金銭の授受によって便宜を図らせるもの、所謂〝密入国〟。ミズガルズへ行きたがる者は多くはない。関心のない者にとっては無価値だ。しかし、便宜を図ることは管理者にしかできないのだから、決して安価なものではない。往復の料金を工面するのが難しくとも、目的が復讐であれば片道切符で充分だ。
アキラは天尊と耀龍が去ったあと、天尊と別れた山へ行ってみた。そこにはフォーゲルフェダルの三人がいた。彼らからアキラに対しても、アキラから彼らに対しても、敵意や悪意はなかった。彼らの原動力は、天尊への怨恨にして大昔の悲劇なのだから、それは当然だった。
彼らは元の世界へ戻れないという。自ずとこの世界で余生を過ごすしかない。しかし、彼らはこの世界では異端者であり、寄る辺もない。耀龍のように関心や知識があるわけでもない。事情を知ったアキラは、彼らを見捨てられなかった。できる限りの助力をし、救いの手を惜しみなく差し伸べた。それこそが、彼らがアキラに感じている恩義だ。
「アキラ殿は行く当てのない我らに衣食住の世話をしてくださいました。我ら姉弟が今日健やかに過ごせているのは、すべてアキラ殿のお力添えあってこそ。その恩義に少しでも報いたいのです」
「そんな大層なことは……。わたしはお仕事を紹介しただけで、そしたら運良く衣食住がついてきたっていうか」
アキラはルフトたちを知り合いの異邦人ということにして、常連の商店街のツテを頼って求人中の店を探し、雇ってくれと口を利いた。雇用先の店長が大層人柄のよい人物で、ルフトたちに住むところを世話してくれた。
いくら店長が善人でも、アキラが一所懸命に頼まなければ、縁も所縁もない、知識も常識も心許ない異邦人を信用することは難しい。アキラがいくら否定しても、その尽力の甲斐であることを、フォーゲルフェダルの三人は重々理解していた。
ルフトはアキラに向かって目尻を下げて微笑んだ。
「ええ。アキラ殿は大層なことはなさっていないとお思いください。我ら姉弟が勝手にしていることです」
これは何と遠慮しても引き下がってくれそうにない、と察したアキラはヴィントのほうへ目線を移した。
「ヒンメルさんは一緒じゃないんですか?」
「三人揃って仕事を抜けるわけにはいかなかったもので……」
異界の住人であるヴィントから普通の社会人のような台詞が出てきて、アキラはアハッと笑った。随分とあちらでの生活に慣れたようでよかった。幸か不幸かは分からないが、これから先の生涯をそこで過ごすと決めたのなら、過ごしやすいほうがよいに決まっている。
アキラは麗祥と耀龍のほうへ目線を移した。
「ユェンさんたちはパーティーなのに鎧? こっちのパーティーってこういうもの?」
「いいや、少々変わった趣向と言える。父様主催だとこうなることが多い」
「武具や装具の誂えの出来とか、どれだけ腕の立つ従者がいるかとか、要は自慢大会。だからアキラの従者として彼らに来てもらったってワケ」
「わたしにもユェンさんみたいな人が必要ってこと?」
アキラは小首を傾げた。
耀龍と麗祥はコクンと頷いた。
「アキラは天哥々の恋人だ。貴族や名家の令嬢じゃないとしても、決して誰にもアキラを侮らせない」
耀龍はアキラの両肩に手を置き、額にチュッと軽く口づけた。
「だから、そういうのしないでってばっ」
「えー。額もダメなの?」
彼らの言う庇護するとはそういうことだ。生命の危機を遠ざけ、衣食住を与え、日々の身の回りの瑣事から解放することのみならず、悪意や不利益からも守ることを意味する。
耀龍はルフトのほうへと顔を向けてウインクして見せた。
「勿論、護衛も兼ねてるよ。役に立ってね」
「無論」と姉弟はコクンと頷いた。
アキラは耀龍から説明されても釈然としない表情だった。
「それって、そんなに大事なことかなあ」
「貴族とは何より面子が重要な生き物なのです。《雷鎚》の弟は、実に貴族らしい男です」
「そ・う・だ・よ。だからキミたちもちゃんと貴人の従者として振る舞うんだよ。それがアキラの為になる」
耀龍はルフトをビシッと指差した。
「……畏まった。〝ヤオロン殿〟」
ルフトはフンッとそっぽを向いた。
アキラは申し訳なさそうに眉を八の字にした。天尊への怨恨が晴れたとはいえ、ルフトは貴族を快く思っていない様子。礼節を強要されるのは不本意に違いない。
「無理させてごめんなさい、ルフトさん」
「ご心配には及びません」
ルフトとヴィントは慌てて取り繕った。
アキラは、耀龍と麗祥によってパーティが開かれる広間へと導かれた。すでに多くの招待客で埋め尽くされていた。赫暁がパーティを開催すると決めてからそれほど時が経っていないというのに、よくもまあこのように豪華な場を設けられ、客人も急な招待に応じられるものだ。
大広間の天井はとても高く、そこにはいくつものシャンデリアが煌びやかに輝く。広間は全体的に赤で統一されていた。天井から垂れ下がるカーテンはシックで深い紅色、広間に敷かれた絨毯、テーブルやチェアを彩るクロス、随所に生けられた花も真っ赤な大輪。鮮やかな装束を纏った老若男女たちが華やかさを添える。精悍な顔付きの男たちが身に着けた鎧がシャンデリアの灯りを照り返し、広間はますます眩さを増した。
耀龍たちが武具や従者の自慢大会と言ったのは真実らしい。着飾った主人らしい人物は、誰も彼も武具を装備した従者を付き随えている。この鎧は此処が素晴らしいだとか、この刀剣はどの鍛冶が鍛えただとか、其処彼処から話題が聞こえてくる。
「ほう。耀龍様と麗祥様が揃ってエスコートなさるとは。あちらは一体どちらの愛嬢で在られるか」
「はて。お二方ともいまだご婚約者を迎えられておられないはずだが」
「噂では耀龍様の可愛い方らしく。近頃お手許に囲っていらっしゃるそうですわ」
「それはそれは。しかし、一体如何ほどのご令嬢方が噎び泣くことか」
この世界きっての大貴族の令息たちは、パーティの参加者たちの衆目を集めた。彼らと並び立つ見知らぬ少女は注目の的だった。素性を知られていないが故に、殊更に興味を掻き立てた。パーティの参加者たちは好き勝手に噂し、中には特段耳の早い者もいた。大貴族令息の恋人の座を密かに狙う令嬢たちは、歯軋りしたかもしれない。
大貴族の令息がふたりも揃って甲斐甲斐しく世話を焼く光景がまた、彼らの好奇心や嫉妬心を煽った。
耀龍はアキラの手を引き、麗祥は飲み物のグラスを差し出した。
「アキラはダンスは好き? 何が得意?」
「姑娘。飲み物は何を?」
「あ。ダメダメ。アキラはアルコールは飲めないよ」
「では何か別の飲み物を持ってこさせよう」
「ふたりとも慣れてるし違和感ない。ホント貴族のお坊ちゃまってカンジ」
「だって貴族のお坊ちゃまだもん」
アハハハ、と耀龍は笑った。
アキラは此処にいるだけで何か粗相はないか、借り物のドレスを汚してしまわないか、と心配事ばかりで緊張したが、耀龍と麗祥は自然体だった。ふたりともきちんと正装を纏い、普段とはまったく異なる装いなのに完璧に着こなしており、まるで当たり前のような態度だ。
「お前たち」
耀龍と麗祥は、自分たちが呼びかけられていると気づいて振り向いた。この場でトップクラスの身分である彼らに対し、お前たち、と呼びかけられる人物は限られる。
「一大哥」
耀龍と麗祥は赫一瑪と短い挨拶を交わした。
赫一瑪はすぐに弟たちからアキラへと目線を移した。
「姑娘と話がしたい、と族長の仰せだ」
「何で」
「族長の仰せだ」
耀龍は黙った。兄の口調からは理由など問うなという意思を感じた。
耀龍が麗祥へチラリと視線を遣り、麗祥は抗うなと目を伏せた。父の命令に逆らえないのは、兄も弟も同様だ。
耀龍はアキラの肩に手を置き、耳許に口を近づけて囁いた。
「心配しないで、アキラ。オレたち近くにいるから」
「う、うん」
安心させようとした耀龍の声がやや緊張しており、その緊張がアキラにもうつった。
赫一瑪はアキラに自分についてくるように促し、アキラは足を進めた。
アキラに追従しようとしたルフトとヴィントを、赫一瑪は視線で制した。
「従者は不要」
「しかし――」
「従者。もう一度言う。我が族長は姑娘のみをお召しだ。貴様らは要らぬ」
「ッ……!」
ルフトとヴィントはそれ以上食い下がれず、赫一瑪はアキラを伴って行ってしまった。
ふたりとも赫一瑪の刺すような視線に気づいた瞬間、喉が締まったように言葉が出てこなかった。耀龍や麗祥と同じ貴族令息でありながら決定的に異なる威圧感。あれと比較したら耀龍も麗祥も確かに貴族のお坊ちゃまに過ぎず、赫一瑪には支配者の風格があった。
口惜しいルフトは、耀龍と麗祥へと矛先を向けた。
「アキラ殿を守れと言っておきながらおひとりにさせるなど、どういう了見だ」
「今のは我らの長兄。呼んだのは赫の族長。この場で逆らえる相手ではない」
弟たちは、長兄が自分たちとは別格の存在であると、誰よりも弁えていた。
アキラはパーティ会場の端まで連れてこられた。壁際は薄いカーテンがいくつか張られており、その前に使用人が立っている。目を凝らしてみると、カーテン越しに人間大の黒い影が見えた。
赫一瑪が短く言葉を交わし、使用人が手でカーテンを掻き分けた。
カーテンの向こうは個室になっており、8人程度が座れるソファが壁沿いにコの字型に配置されている。そこに赫暁がひとりで座していた。この部屋は、大勢が参加する社交場において、限定された者のみで談話ができるちょっとした密室というわけだ。
耀龍たちとそれほど離れたわけではなかった。アキラが個室の前でチラリと振り向くと、ルフトのやきもきした表情を目視できた。
入りなさい、と赫一瑪から促され、アキラは怖ず怖ずと足を踏み出した。
赫暁とは偶然言葉を交わした程度だが、悪い人物という印象はない。しかし、気は進まなかった。好き勝手に振る舞うあの耀龍が逆らえない人物など、なんとなく構えてしまう。
アキラは、最奥に座っている赫暁の斜め前あたりに座った。
カーテンが閉められて個室にふたりきりになった。そうなると余計に緊張してしまって自然と顔を伏せた。
「呼び立ててすまんな、姑娘」
(あ。やっぱり似てる……)
赫暁の声質は記憶のなかの天尊のそれによく似ていた。
アキラは声に惹かれてわずかに顔を上げた。
「先ほどは名乗り遅れた。俺は赫暁。天尊と耀龍の父だ。姑娘は名は何という?」
「アキラです」
「よい名だ」
「そうですか? 昔は男の子みたいってよく言われて」
「耳に心地良い清澄な響きだ」
アキラは天尊と似たような会話をしたことを思い出した。懐かしくなり、途端にキュッと胸が苦しくなった。これもおそらくは、赫暁の落ち着いた低音が天尊と似ているからだ。
「姑娘が天と恋仲とは驚きだった」
「あのッ……ロンと同じ学校って言ったのは、ウソじゃないです」
アキラが慌てて言い訳のように口走り、赫暁はハハハと笑った。
「安心してくれ。嘘吐きと責めるつもりは毛頭ない。天にしても龍にしても、本当に意外だっただけだ」
「わたしはふたりの好みじゃないから?」
赫暁はアキラから切り返されて肩を揺すって笑った。
「フハハハハ。あれは礼を欠いた発言だった。許してほしい。いや、なに、父から見るに、てっきりあの倅たちは艶冶な美女を好むと思っていたものだからな。ところが姑娘は清純可憐な花の精のようだ」
(んんんんッ。とても恥ずかしい……! ロンたちって何でこう、何でこう……褒め方が過剰かなあ~)
アキラは頬を染めて口を一文字に閉じて羞恥を噛み殺した。
耀龍も麗祥も女性に対する美辞麗句が立て板に水。赫暁はそれを上回る。この家庭はこれが当たり前なのだろうか。長兄の赫一瑪は寡黙な人物のようだが。
赫暁はソファの上を横にずれてアキラに近寄った。
「何故天と恋仲に? アレのどこに惹かれた? 見た目なら俺も劣らんと思うのだが」
「そうですね。お父さんもカッコイイです」
アキラは自然と笑みを零した。赫暁が気さくに話してくれるから、緊張はかなりほぐれた。
「ロンやお兄さんよりもお父さんのほうがティエンと似てます。顔もそうですけど、声とか立ち方とか」
――近くで見てもやはり似ている。
アキラは赫暁の顔をジッと見た。
もう一年も見ていない姿を思い出す。此処最近で最も克明に思い出す。赫暁の顔立ちや声質、ふとした表情や仕草、無意識に零れ落ちる癖、醸し出す雰囲気、すべてが天尊に似ている。年齢は兄弟たちのほうが近いのに、何故だか赫暁に強く惹きつけられた。目を奪われる。声を聞いていたいと思う。
そして、自分は寂しいのだと実感した。天尊がいなくなって、自分は何かが欠けてしまった。天尊はいなくなるときに何かを持って行ってしまった。アキラ自身では取り戻せない何かを。
「そうか。では俺を好ましく思ってくれるか。それは重畳」
アキラは、好ましいかと問われて素直に「はい」と答えた。嫌っていない相手にそう答えるのは当然のことだった。
「その黒髪も夜空のような瞳も実に美しい。世界広しといえど、その誂えたように見事な髪と瞳はそうはいまい。姑娘ほど麗しい娘を見たことがない。天には勿体ない美しさだ」
赫暁はアキラに躙り寄った。アキラの目を見詰めながら髪の毛先に指先で触れた。
「天が長の不在で寂しい思いをしているだろう。その寂しさを今夜は少しでも紛らわせられたらよいのだが……。俺に何かできることはないか」
「あなたに?」
「何か望みがあるなら言ってみるといい。大抵は叶えてやれるだろう」
「わたしはティエンが今どこにいるか――」
「今夜はアレのことは忘れろ」
赫暁はアキラの言葉を遮った。
「それこそが姑娘を煩わせている原因だ。アレの所為でこの愛らしい顔が曇るのは残念だ。これまでもう随分とアレのことを想い、寂しく過ごしてきたことだろう。今夜一晩だけ忘れたとて何も悪いことはない」
「無理です。ティエンを忘れるなんて絶対無理」
無自覚に寂しく苦しい思いを積み重ねた。もう限界だと気づいて、なかったことにしようと思った。自分にはどうにもできない事柄にいつまでも苦しめられる自分自身を解放してあげようと思った。周囲にもそれを勧められた。
しかしながら、できなかった。忘れようとしてもできなかった。運命の所為か、己の意思か、忘れることを許してはくれなかった。天尊に愛を乞われ、好きだと返した、あのたった一度の事実をなかったことにできなかった。
もう二度と逢えないと、ともに過ごした時間は夢幻だったのだと、すべてをなかったことにしようとしたけれど、今はいつか必ず逢えると信じている。
「俺が忘れさせてやると言っても? 望みを叶えてやると言ったろう。姑娘が望むなら、一晩アレの代わりとなろう」
赫暁はアキラの頬に手の甲で触れた。
精悍な顔立ちをした切れ長の目から注がれる秋波。アキラはそれをきっぱりと拒否した。
どれほど聞き心地のよい声質でも、懐かしい雰囲気を纏っても、よく似た紛い物。赫暁のなかに天尊を見つけることは、寂しくて虚しい。喪失感が増すだけだ。手の届く範囲にはいないのだと思い知らされるだけだ。
「あなたはティエンじゃない」
「アキラ――……」
赫暁はアキラの顔の輪郭に手を添え、唇を近づけた。
シャッ。――突然、カーテンが開かれた。
「父様!」
耀龍と麗祥が個室へと踏みこんだ。
唇と唇が触れ合うまであと数センチ、すんでのところだった。個室に男女がふたりきり、この好色な父に何をしていたのかなど問う必要はなかった。
「アキラはダメだってば。本当に天哥々とケンカなさるつもりッ? アキラに手を付けたら、たとえ父様だって天哥々は絶対に許さないよ」
「何だ。アレはまだ手をつけておらんのか」
「うん。両想いになった矢先に麗が連れてっちゃったから」
「あ、あれは任務で仕方なくッ……」
耀龍が素直にコクンと頷き、麗祥は慌てて言い繕おうとした。
赫暁はジョークのように、あっはっはっと声を上げた。
「じゃあ俺にもまだ分があるな」
「と・う・さ・ま⁉💢」
耀龍は赫暁に詰め寄った。耀龍にしてはかなり真面目な態度だったが、赫暁には笑って遇われた。
麗祥はアキラの手を取って席を立たせ、個室の外へと連れ出した。
薄布のカーテンを潜って個室から出てくると、ルフトとヴィントがすぐにアキラを取り囲んだ。特にルフトはアキラの両手を掬い上げて握り、心配そうに顔を覗きこんだ。
「アキラ殿。ご無事ですか。何もされませなんだか」
「何もって?」
アキラは皆の懸念の理由が分からずキョトンとした。赫暁の言動に対して距離感がやや近いとは感じたものの、特段危機感を抱かなかった。大人びていても、そういった経験や勘はまだまだ不足していた。
ルフトとヴィントはアキラの両脇に立って赫暁の個室から足早に離れた。
程なくして、耀龍と麗祥も追いついてきた。ルフトはふたりに向かって噛みつきそうな勢いで批難した。
「あれがニーズヘクルメギルの族長だと! 年甲斐もなくアキラ殿のような若い娘を口説こうなどッ」
「恥ずかしながら、父様はかなり女性がお好きだ。美女と見たら手当たり次第。これまで何人の侍女に手を付けたか数え切れない」
「痴れ者め!」
ルフトはアキラを両手で抱き締めた。たとえこの場でアキラが守るべき対象でなかったとしても、赫暁の言動は充分に女性の敵たりえる。
麗祥は天井を仰いで苦笑いを浮かべた。父親の所業を思えば、女性からの非難の目を甘んじて受けるしかなかった。
「父様の女好きは今に始まったことじゃないけど、天哥々のにまで手を出そうとするなんて。天哥々と父様のガチゲンカなんて暉曄宮が壊れる~~!」
麗祥は、嘆きながら頭を抱える耀龍に冷静な目線を向けた。
「お前とて過去に天哥々の恋人と交際したことがあるくせに」
「オ、オレはちゃんと別れたあとだもん。横からちょっかいかけるなんてしてないもん。オレと天哥々は好みが似てるんだから仕方ないじゃんッ」
(そういえばロンも学校でモテまくってたなー)
――この親にしてこの子あり。
アキラは必死に弁明しようとする耀龍を見て苦笑した。
麗祥は腕組みをしてハーッと長い溜息を吐いた。
「父様が無礼を働いた。すまない、姑娘」
麗祥は申し訳なさそうな顔をした。しかし、アキラはキョトンとした。
「無礼って? ティエンの話をしただけですけど」
(言い寄られたと気づいていないか。なかなか手強いな、姑娘)
「アキラ殿ッ」とルフトがやや声を荒らげた。
それから、アキラの正面に立ってガミガミと小言を述べた。
ルフトはアキラを生活力が高くしっかりした人物だと認めている。恩人でもある。しかし、個室でふたりきりの情況で至近距離に寄られてのほほんとしている危機感の低さには、同じ女性として注意せざるを得なかった。
ねえ、アキラ、と耀龍が声をかけた。
「父様は天哥々のこと何か言ってなかった?」
「ティエンのどこが好きかってことと、俺も見た目は負けてないと思うって話しかしなかったよ」
「父様……」
耀龍と麗祥は脱力した。
息子から見ても赫暁は男性的矜持にこだわる尊大な男だ。息子と張り合う姿は容易に想像できた。
「確かに父様と天哥々は似てるし歳の割に男前だと思うけどさー。息子と張り合うのやめてほしい」
「お父さん、カッコイイもんね」
「――――……」
アキラはフフッと笑みを零してやや頬を染めた。
少女らしい羞じらいの表情。耀龍と麗祥の目にはそのように見え、ふたりして顔を見合わせた。
ルフトがアキラに何か飲み物を選びましょうと提案し、ふたりで場を離れた。
耀龍と麗祥はアキラの後ろ姿を眺めた。
「まさか姑娘のほうが父様に心変わりするなど、ないだろうな」
麗祥から問われた耀龍は、はあーっと嘆息を漏らした。
「ないとは思うけど……。でも父様は手が早いし、何より天哥々にいろいろ似てるからな~。アキラと天哥々の間に恋人らしい何かでもあれば、そんなことは有り得ないってもうちょっと自信持てるけど。一年も顔も見てないのに想い続けるって、もう奇跡じゃん?」
「何を他人事のように暢気な。我らがついていながら父様に奪われることになどなってみろ。天哥々に合わせる顔がないぞ」
「それは分かってる。分かってるけどさ~」
惹かれ始めた人の気持ちを方向転換させるなど難儀だ。本人ですら制御できるものではない。もしそうなってしまったとして、自分たちにできることなど無いに等しいと、耀龍も麗祥も理解しているが故、悩ましい深い吐息しか漏れなかった。
アキラたちが去ったあと、赫一瑪は赫暁がいる個室のカーテンをめくって入室した。
赫暁は頬杖を突いて上機嫌にニヤニヤしていた。
「天のヤツ、趣味は悪くねェな。まだ若いがイイ女になりそうだ。この俺が口説いて靡かなかった」
「自信家でいらっしゃる」
「まだまだアレに負けるつもりはない✨」
赫暁が好色家であることは隠してもおらず周知の事実。赫一瑪は最早諫める気も起きなかった。
継嗣が必要不可欠な貴族の家において、好色であることは必ずしも悪とは考えられない。胤が無いよりは散蒔くほうがまだよい。血が絶えるリスクが低くなる。事実、息子たちも認めるほどの好色家である赫暁は、五人もの頑健な男児を成した。
「あの娘がお気に召したのは本心ですか?」
「愛らしいと言ったのは本心だ。清純で愛らしく……不憫な娘だ」
赫暁は小さく嘆息を漏らした。
「あの娘は天が戻ろうと戻るまいと幸せにはなれん。天の《オプファル》なのだからな。愛する者の手にかけられるなど、若い身空で浮かばれまい。真実、天を愛しているというなら俺に心変わりしたほうが、いくらか幸せかと思ってな」
赫暁は眉間に皺を寄せ、皮肉っぽく笑った。
愛情は人を愚かにする。愛するという行為は、ただひとりを何物にも替えがたく、掛け値のない存在とすることだ。愛情という毒物によって思考は麻痺し、合理性は棄却され、導きうる予測は無視される。然らぬ運命を覆そうとまでする。
合理的で冷徹と評判だった天尊でさえそうなってしまった。やるかたないことだ。
「まったく、アレは莫迦なことをしたモンだ。《オプファル》に惚れこむなんざ――……」
§ § §
ニーズヘクルメギル領・暉曄宮で開かれたパーティにて、とある男がふたりの若い従者を随えた令嬢に目を留めた。今夜のパーティに参加する貴族のなかでも、かなり上等な樺桜色のドレスや宝飾の髪飾りを身につけた令嬢。
彼もまた貴族の家の娘を護衛する従者だった。これまでに主人に付き随ったどのパーティでも、その令嬢を見た覚えはなかった。
すぐに樺桜の令嬢から従者へと目線が移った。男女ともに背中が大きく開いた戦装束。武器を携行しており護衛であることは間違いないが、背面の防御を捨てたその姿は珍しいものだった。
あまりに注視してしまい、女性のほうとバチリと目が合った。咄嗟に思ったことが口から出た。
「その背中が大きく開いた装束。もしや有翼人種か」
如何にも、と答えは直ぐさま返ってきた。
従者の主人である令嬢は、それを聞いて背中が開いた装束の女性へ目線を向けた。
「まあ、これが有翼人種。翼がなければヒトと見分けがつかないわ」
「最近では有翼人種は珍しく、戦士はさらに稀少と聞きます。このような好機はまたとありません。手合わせの許可をいただけますでしょうか」
「わたくしは構いません」
令嬢の従者は、有翼人種の女に身体の正面を向けた。
「我が主人の許しは得た。そちらは如何か」
(人をまるで見世物か何かのように。これだから貴族とは……)
令嬢とその従者に向けるルフトの視線は、自然と冷ややかになった。
彼らの視線や態度には好奇心があからさまだった。自身と同等の生物を相手にしているとは思っていない態度だ。有翼人種を珍しく感じるのは生活圏や文化が異なるからだ。何故そうなのかも考えない、独善的で無責任だと思った。
かつて天尊が語ったように、彼ら個人の決定でそうなったのではない。世界の総意がそう在り、ルフトたち一族は総力を挙げてもそれに反抗し覆す力が無かった。頭ではそう理解しても、彼らの態度は胸が悪くなった。
「応じてよろしいですか。アキラ殿」
「え。どういうことですか?」
アキラとルフトが何やら話しかけられていることに気づいた耀龍たちは、ふたりに近づいた。相手の令嬢は耀龍と麗祥を見るや、これはこれは、と淑やかにドレスを抓んで挨拶をした。
縁花は、ルフトと相手の従者の雰囲気と漏れ聞こえてきた話の内容から、情況をすぐに理解した。そして、情況を呑みこめていないアキラに簡単に説明をした。
「従者同士の手合わせを望んでいます。赫暁族長が催される宴ではよくあることです」
アキラは主人の許しが必要だと説明され、渋い表情を見せた。
鎧や武器をつけた者同士の手合わせと聞き、当然手荒なものを想像する。知人に怪我をするようなことをさせたくなかった。
「この手合わせには私の誇りが懸かっています。できればお許し願いたい」
ルフトの目にはすでに闘志が燃えていた。
「いいんじゃない? 彼女たちは戦士。戦士には戦士のプライドがある。よき主人は従者のプライドも守ってあげないとね」
耀龍はアキラの耳許でそう囁き、片目を瞑ってウインクして見せた。
アキラがチラリと麗祥を見遣ると、彼も小さく頷いた。
「じゃあ……はい」
ルフトから乞われ、耀龍と麗祥から説かれ、アキラはかなり渋々という表情で小さく頷いた。
おそらく生まれたときから従者や使用人に囲まれ、ごく当たり前に主人として振る舞ってきた彼らの言い分は、妥当なのだろう。ルフトは尊大ではないがプライドの高い人物だ。成り行き上の主人に過ぎない自分が命令して引き下がらせるのは、ルフトに対して失礼だ。
「姉様が相手をされずとも。ここは私が」
「応じたのは私だ。私が出る」
手合わせを行うため、彼らは別棟の部屋へと移動した。
そこは、パーティが開かれている広間よりも床面積はやや小さいが、邪魔になるテーブルや調度品などは無く、動き回れる範囲は広かった。本来は鍛練や手合わせ用の部屋ではない。内装は客人を招き入れても恥ずかしくない丁寧な仕上がり。当たり前の貴族の邸宅ならば応接に使用されるレベルの空間だ。
手合わせをする従者同士は部屋の中央に立ち、物見高い客人たちが部屋の壁際で談笑しつつ見守る。
やはり見世物小屋のようだな、とルフトは内心嘲笑した。今さら不快だなどと不満を漏らすつもりはない。むしろ望むところだ。彼らが退屈凌ぎに見世物を望むなら、お望みどおり稀少な有翼人種の女戦士のショーを見せてやろう。ただし、愚昧で高慢ちきな彼らの鼻を明かす為に舞うショーだ。
相手の従者が剣を構え、ルフトも腰元から得物を抜いた。特徴的な半月型の幅広の大刀。それを両手で頭上に掲げ、赤い唇で不敵にニヤリと笑んだ。
アキラはギョッと表情を変えた。
「え! あれってホンモノ⁉」
うん、と耀龍は平然と答えた。
耀龍だけではなく、麗祥も弟のヴィントも動揺していなかった。アキラだけが平静でなかった。手合わせというからには本気の殺し合いではないのだろう。しかし、刃物で切りつけ合うなど無傷では済まないことは想像に難くない。アキラには目の前で知人が血を流すなど耐えがたい。それも、無知な自分が危険性を理解しなかった所為で。
武装した従者を随えて自慢し合うということがどういうことなのか、もっと深刻に考えればよかった。
「ダメ! とめてロンッ」
「でももうお互いに抜いちゃったしー」
「こんなことだって知ってたら許しなんて出さなかった! ルフトさんが危ないことするなんて絶対ダメッ」
アキラは隣に立つ耀龍の服を引っ張って必死に訴えた。
アキラ殿……、とヴィントが少々困った表情で宥めようとするが、アキラには届かなかった。アキラがこうまで取り乱すなど想像していなかった彼は、途惑った。彼が知るアキラは、慈しみ深く、穏和で沈着な人物だった。
耀龍はアキラの唇をピトッと人差し指で押さえた。
「レディが大声を出すなんてはしたないよ、アキラ」
「ロンッ!」
「姑娘を別室へ。気を落ち着けていただくように」
麗祥は自分の従者へそう命じた。
アキラは自分よりも一回り以上大柄な男たちにふたりがかり、それにヴィントも加わり、手合わせの場から連れ出された。ヴィントは何度も、申し訳ない、申し訳ない、とアキラに詫びた。彼らは決して乱暴ではなかったがアキラの力では抗いようがなかった。
「よろしいのですか、耀龍様」と縁花。
「うん。従者が勝てば名誉ではあるけど、負けてもアキラの不名誉ってわけじゃない。それにフォーゲルフェダルの実力を見ておきたい。手合わせを申し入れられたのはいい機会だ」
ルフトの手合わせが終わったあと。
耀龍と麗祥は、アキラが待つ部屋を訪れた。
部屋の前には麗祥の従者たちが待機していた。麗祥はアキラの様子を窺うことなく彼らと去って行った。アキラの取り乱した様子やあの場から無理に連れ出した非礼からして、顔を合わせれば責められるだろうと予想し、それを避けた。麗祥にはアキラを宥める方法が思いつかなかった。
耀龍は縁花を伴って入室した。
アキラはテーブルセットのチェアにひとり佇んでいた。ヴィントはそのすぐ傍に控えていたが、ふたりの間に和やかな会話は無さそうだった。
耀龍はそのテーブルセットのすぐ近くに立ってアキラの頭頂を見下ろした。
「……ルフトさんは?」
「勝ったよ。大怪我もしてない」
アキラは麗祥の予想のように激しく責め立てなどはしなかったが、耀龍と目を合わせようとはしなかった。勝利を報告しても喜びもしない。顔も見たくないという意思表示だろうか。
「アキラ。怒ってる?」
「怒ってるよ」
怒っていると言ってもアキラはすでに冷静だった。さめざめと涙して同情心を誘うわけでも、ヒステリックに金切り声を上げるわけでもない。ただ、ひしひしと怒気は伝わってくる。
耀龍は、普段とは異なるアキラの雰囲気に少々居心地の悪さを感じた。怒鳴られるわけでも罵倒されるわけでもないのに、なんとなく居づらい。並外れた権力と大抵の我が儘を許されている耀龍に、このような思いをさせられる人物はそうはいない。
「真剣を使うってロンは知ってたんでしょ。知っててわざと黙ってた」
「うん。でもあれはお互いに了承してた。手合わせを望んだのはルフトだ。結果、ルフトは矜持を守った。アキラは何に怒ってるの?」
「知らなかったから怒ってる。いくらルフトさんたちがわたしの護衛をしてくれるって言ったからって、たとえルフトさんたちが望んだとしても、わたしの知らないところで危ないことをさせないで。ルフトさんたちを、わたしを守る為の道具みたいに扱わないで、絶対に!」
「護衛ってそういうものだよ」
耀龍は平然と切り返した。
アキラは耀龍を黙って見詰め、耀龍は小首を傾げた。本当に、何が悪いのという顔をして。
耀龍はアキラの憤りを察知して居づらさも感じているが、そうなった理由までは理解しなかった。他者の気持ちや考え方、価値観を、上手に推量できない。生まれながらに尊ばれ、他者から一方的に尽くされることが常。世界は自分が主体。まるで子ども。
――まるで銀太に言い聞かせているみたいだ。
「…………。じゃあロンはユェンさんも自分の道具だと思うの」
「――――……」
耀龍は虚を突かれて押し黙った。
アキラは耀龍の瞳が微動したのを確認してフイッと顔を逸らした。
「わたしの言ってる意味を分かってくれたら、謝らなくていいから、もうルフトさんたちに危ないことさせないって約束して。そして絶対に守って」
そう言い残してアキラはチェアから立ち上がった。耀龍と縁花の横を通過してこの部屋の出入り口へと向かった。ヴィントもアキラのあとを追った。そこにはまだ麗祥が残した従者たちが立っており、アキラを自室まで送ってくれることだろう。
耀龍はアキラが部屋から出て行った気配を察知してから、ふう、と息を漏らした。
「……お見事。ぐうの音も出ないよ」
「耀龍様?」
耀龍はハハハと笑って縁花を振り返った。
「縁花がただの道具かって問われたら〝否〟としか答えられないもの」
「恭悦至極にございます」
アキラは自室に戻るとすぐに、侍女にルフトを呼ぶように頼んだ。
侍女はそれを聞き入れた。アキラがそわそわして待っていると、程なくしてルフトがガチャガチャッと鎧を鳴らしながらやって来た。
「このような姿のままで申し訳ございません。速やかにとの仰せでしたので」
ルフトの語り口は手合わせ前と何ら変わらなかったが、全身の至るところに包帯など治療のあとが見てとれた。
ルフトの姿を目にしたアキラの顔面は青くなった。弾かれたようにチェアから立ち上がってルフトに駆け寄った。
「ルフトさん。ごめんなさい。そんなケガさせて! あんなに危ないことだって知ってたら……ッ」
「そのようなお顔をなさらないでください。アキラ殿には何の責もございません。これは私が望んだこと。私がしがない誇りを懸けただけのこと。このようなことでアキラ殿がお心を痛めることはないのです。私の望みを聞き入れてくださり誠にありがとうございます」
ルフトの感謝は本物だった。一時とはいえ、アキラは主人、自分は従者だ。主人は手合わせを申し入れられた従者に、そのような面倒なことには関わるなと命令をしてもよかった。しかし、アキラはルフトの意思を尊重してくれた。従者であると自身を位置づけたルフトにはそれが嬉しかった。
ルフトは謝辞を述べて微笑んだが、アキラの顔色は一向に良くならなかった。自分の強情によって幼気な少女が自身を責める様に申し訳ない気持ちにさせられた。
「我が儘を申して主人のお心を痛めさせてしまうとは、私は悪い従者ですね」
「違います……ルフトさんは悪くない。わたしがよく考えなかったから」
――ここは〝向こう〟とは違うんだって本気で理解しようとしてなかったから。
天尊も耀龍も、ルフトとヴィントも、一見して外見は人間と変わらないから、アキラはついつい勘違いしてしまう。自分とそう変わらない考え方をして、自分が常識だと信じているものが通用するのではないかと。実際は、外見以外は何もかもが異なる。知らない世界で生きてきて、価値観は一致せず、想像もできない生き方をして、時として善悪の判断すらも相違する。だから、耀龍もアキラも、互いに何故何故どうしてと擦れ違う羽目になる。
熒閂の最新話はクロスフォリオにて先行公開( https://xfolio.jp/portfolio/ke1sen/series/1023833 )
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