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#13:The identification
赤点キング 01 ✤
しおりを挟む市立深淵高等学校、学生食堂。
深淵高校のキング下総蔚留の、名実ともに恋人である川澄真珠。彼女はスマートフォンを片手にニコニコしながら、目の前に座っている青年に一方的に話題を投げかけていた。彼は今年入学したばかりの新入生であり天然パーマネントの青年、薩摩棗。
「でねー、コレがそのとき蔚留くんが買ってくれたストラップ♪ だから真珠もタオルハンカチ買ってあげたんだ、おそろいで。蔚留くんは携帯灰皿が欲しいって言ったんだけどね、それだと真珠はタバコ吸わないからおそろいにできないし。ていうかそもそも高校生だから吸っちゃいけないんだけどー」
「……そっスね」
薩摩の口からは嘆息、まではいかないけれど小さく息を吐いた。
食堂で偶然出会して挨拶を交わしたまでは先輩後輩の関係性としてよかったが、真珠は持ち前の気さくさで薩摩を誘導し、テーブルのひとつに座らされてしまった。多少の話し相手になるくらいならこれもまた先輩後輩の付き合いの範疇。少しだけお付き合いしようと思ったが、真珠は立て板に水のようにサラサラと話した。その小柄な身体から薩摩が予期できないほど大量の言葉が出てくるのには驚いた。
先輩の彼女ということで遠慮していることもあり、薩摩は「それじゃあ」と話を切って席を立つタイミングをなかなか見つけることができず、もうかれこれ30分ほど真珠のお喋りに付き合っている。
「タバコね、真珠が何回言ってもやめてくれないからもう諦めてるんだけど、学校で吸うのはやめてほしいの。停学ばっかりなってると出席日数足りなくなっちゃう。蔚留くんはただでさえ成績悪いのに」
真珠は「あ、そうだ」と手を打って薩摩へと首を伸ばした。
「ナツメくんは吸わないの?」
「イヤ、吸います。スンマセン」
「停学になるからだけじゃなくてね、タバコは本当に体に悪いからやめたほうがいーよ」
「そうっスよね……ハハ」
そのようなことは彼らにとっても当たり前すぎる常識。真珠はそれを純粋に真顔で言ったりするから、薩摩は何と返せばよいのか分からず慣れぬ作り笑いをする羽目になる。
「蔚留くん、どうやったら学校にいる間だけでも我慢してくれるのかなー」
(無理だと思う)
下総蔚留がヘビースモーカーなのは周知の事実。入学してこちら一ヶ月の付き合いしかない薩摩すら認知しているほどだ。下総に次ぐスモーカーがあの女性の如き小綺麗な顔立ちをしている備前勇炫だと知ったときには正直驚いたが。
「蔚留くんってねー」
「ハイハイ、蔚留くんトークはそこまで」
パンパンッ、と突然背後から手を叩く音。真珠はそちらを振り返った。
「いつまでも後輩相手にカレシのノロケ話しない。聞いてるほうは面白くないっつの」
「千恵ちゃん」
真珠の友人・千恵は、真珠の腕に自分の腕を回し、さあ立ちなさいと引っ張る。そして後輩へのフォローも忘れず、薩摩にペコッと小さく頭を下げた。
「ノロケじゃないよ、相談してるの。どうやったら蔚留くんのタバコの量が減るか」
「アンタね、校内で堂々とそんな話するなっての。どこで先生が聞いてるか分かんないでしょ」
「あっ💦」
真珠は慌てて口に手を当ててキョロキョロと食堂内を見回した。幸いながら近くに教師の姿は無かった。
「カノジョなんだからもっとしっかりしなさいよ。カノジョの所為でうっかり停学とか笑えないよ。ただでさえ蔚留くんは目付けられてるんだからさー」
真珠は千恵に「ゴメ~ン」と言って食堂の椅子から立ち上がった。
薩摩も椅子から立ち上がり、腰を押さえながら伸ばした。真珠が此処を去るのなら今まで半強制的に話を聞かされていた薩摩もようやくお役御免だ。
深淵高校は校舎全体が古びており、食堂も長テーブルや椅子ひとつに至るまで年季が入っている。長時間座っていると腰や臀部が痛くなる。
「ナツメくん今までアリガトね。千恵ちゃん来たから行くねー」
真珠は棗を見上げて愛想好くニッコリと微笑んだ。
真珠は女生徒のなかでも小柄のほうであり、薩摩とでも身長差は頭ひとつ分はある。高校生ともなれば年齢と身長が比例しないことなど当たり前だけれど。薩摩は内心「ちっせー女だな」と思いつつ真珠を見下ろした。
「俺ハナシ聞いてただけっスから」
「聞いてくれるのありがたいよ。タバコの話、蔚留くん本人に言ってもぜんぜん聞いてくれないし、千恵ちゃんはあんなだしー」
千恵は真珠を振り返って「あんなって何よ」と言い返した。
「千恵ちゃん男前すぎて真珠の話なんて聞いてくれない」
「男前ってホメ言葉じゃないからね」
真珠と千恵は薩摩に手を振って学生食堂から去って行った。
実年齢では三つも年下の薩摩を突然捕まえて散々一方通行なお喋りに付き合わせた割りには申し訳なさもなく気軽なものだ。しかし、かつて武蔵たちに敵対してしまった薩摩としては、真珠が気さくに接してくれるのは正直助かる。
薩摩は何気なしに真珠の背中を見送った。小柄な真珠は直ぐに障害物や人並みに隠れ、現れ、消え、視界を掠める。真珠は小さな体で跳ねるように動くから、その陽気なステップに合わせてサラサラの髪の毛が軽やかに揺れていた。
(ホントにアレで下総さんのカノジョなんだよな。とてもそうだとは思えねー性格)
§ § §
私立と市立の違いはあれど、荒菱館高等学校でも深淵高等学校でも五月に一学期中間考査があることは同じこと。そして、席次表が貼り出されるのも同じこと。
千恵と職員室を通りかかった真珠は、職員室横に設置されている掲示板の前で口をあんぐりと開けて愕然としていた。
「何コレ~! 何で蔚留くんの名前貼り出されてるの~?」
「二年の期末から数えて四連続で主要科目オール赤点だからでしょ」
千恵は当然のような顔でスパッと言い切った。
深淵高等学校では期末考査終了後、慣例として席次表の隣に或る一枚の紙が貼り出される。その紙には成績上の〝要注意人物〟の名前が列記される。それは、夏休みに実施される補講に参加する危険度の高い人物だ。
「まだ中間なのに貼り出すなんてヒドイよ! 追試や期末で挽回するかもしれないじゃん。プライバシーの侵害だよ~~!」
「学生が成績貼り出されるのがプライバシー侵害かどうかは知らんけど。蔚留くんは目ぇ付けられてるって言ってんじゃん。コレって見せしめだよ所謂。補習最有力候補の赤点キングなのも事実だけど」
千恵は半ば諦めたように放言した。真珠は肩をふるふると震わせていた。
ガララッ。
真珠と千恵が席次表の前でああだこうだと文句を言っていると職員室の扉が開いた。
室内からふたりの生徒が出てきた。その内のひとりは噂の人物、下総蔚留だった。
「下総‼」
真珠が「蔚留くん」と声をかける直前、職員室の中から怒声混じりの大声が飛んできた。この声は下総のクラスの担任教師だ。
その大声にビックリして真珠がビクッと身体を跳ねさせた瞬間、下総と目が合った。彼は怒鳴られている本人であるはずなのに、何食わぬ声で真珠に「よう」と声をかけた。
「本気で卒業する気はあるんだろうな⁉ 試験の度に赤点の山を築いてッ! 通算何個目だ!」
「そんなん数えてへん」
教師が声を荒げても暖簾に腕押し。下総はシレッと言い返した。
「卒業したいなら勉強しろ‼ 試験前はサボるな! 遊ぶな! 寝るなッ!」
「しても解れへんっちゅうねん。俺みたいなアホでも解るよーに、もっと解りやすい授業してくれやセンセエ」
下総は悪びれず「あっはっはっ」と大口を開けて笑った。
誰のことを思って言っていると思っているのだ。教師の肩がワナワナと震えているが、下総はそのようなことにはまったく気づくはずもなかった。
「とにかくッ! 期末でまた大量の赤点を取ったらただの補習じゃ済まんからな! それまで死に物狂いで勉強しろ赤点キング!」
教師は最後に大声で叱責し、ビシャンッと勢いよく職員室の扉を閉めた。
「教師のクセにそういうこと言うなーッ!」
下総は締め切られた職員室の扉に向かって力いっぱい声を張り上げた。
真珠は「はあ」と溜息を吐いて額を押さえた。
「蔚留くん、先生にまで赤点キングって認識されてるんだね。今回は赤点いくつ取ったの」
「8……? イヤ、9やったか」
「ほぼ全滅⁉ 今度の中間はちゃんと勉強教えたげたのに何でー⁉」
「さあ何でやろ? 俺も不思議や」
真珠はガーンとショックを受けて青ざめたが、下総は他人事のように平然としている。この緊張感と当事者意識の無さが担任教師の神経を逆撫でするのだろうか。
「サッスガ赤点キング」
千恵はハッと鼻先で笑った。単なる後輩である彼女は、恋人である真珠のように親身になって下総を心配してやる義理はない。何度赤点を取っても懲りない反省の無さにただただ呆れるばかりだ。
「試験前だけ急に頭に詰めこんでも、やっぱりバカはバカなんだよねー」
フフッと笑み混じりにそのような台詞が聞こえてきて、真珠は職員室から下総と一緒に女生徒が出てきたことを思い出した。
彼女は亜麻色のロングヘアをしており、サラリと肩から滑り落ちた。元々派手な顔立ちをしている上に、やや吊り目がちな大きな目はマスカラをバッチリ、ぷるぷるの唇をピンクに彩り、学校と雖もメイクに抜かりはなかった。
「アタシちょっと難しい問題出るとすぐテンパっちゃって、覚えてたのまで忘れちゃうんだー」
「あの瞬間が一番勉強すんのがアホらしくなる瞬間やねん」
下総はその発言に「そうそう」と頷いて同意した。
「そんなこと言ったって勉強しなかったらいつまで経っても赤点キングのままだよ」
真珠に痛いところを突かれ、下総は「うっ!」と零した。
「コラ。オマエまでキング言うな、タマ」
「だって蔚留くんが試験で赤点しか取れないのは本当だもん」
「俺かて赤点ちゃう教科あるで。体育やろ、家庭科やろー」
「ソレ全部実技じゃん」
「何で全教科、試験が実技ちゃうんやろなー。俺絶対実技のほうが向いてんのにな」
(数学や社会で実技ってどうするつもりだろ。キングの発想は分からん)
下総は腕組みをして真剣に考えこんだ。千恵が彼に向ける目は、最早呆れを通り越して哀れみに満ちていた。
下総の隣から亜麻色の髪の女生徒がひょこっと顔を出し、真珠とパチッと目が合った。長い睫毛がばっさりとまばたきをした。
「カノジョなんだから励ましてあげないとダメだよ。こー見えて蔚留くん凹んでるよー。アタシだったらカレシが凹んでたら何でもしてあげるな」
「凹んでへん」
女生徒は、ツンと拗ねたような下総の肩を笑いながら親しげにパンパンッと叩いた。真珠へと視線を移し、発色のよい唇を左右に引いてニッコリと微笑んだ。
「あ~、いきなりゴメンね。アタシ、三組の篠崎紗英。蔚留くんの今カノちゃんでしょ」
真珠は亜麻色の彼女のことを知っていた。同じ学年であるし、彼女は目立つタイプだから。少し派手で教師に目を付けられやすく、しかしながらオシャレで、ノリがよくて明るくて話しやすく、男子生徒からの人気は良好。下総と此処まで親しい知り合いとは知らなかったけれど。
紗英はブレザーのポケットに手を突っこんだ。タオルハンカチを取り出して下総に差し出した。紗英の白い掌の上に乗った濃紺色のタオルハンカチには、真珠にも見覚えがあった。
「はいコレ、蔚留くん。ありがと」
「おー。そやったな、貸しとったわ」
「蔚留くんがそーいうのちゃんと持ってるの意外」
「俺の趣味ちゃうけどタマがな」
「もしかしてカノジョからのプレゼント?」
「そやで。タマも同じモン持ってる、イロチで」
「あーおそろいなんだ。いいなあ♪」
真珠は、下総が紗英の手からタオルハンカチを受け取り、ズボンのポケットに突っこむまでの動作を黙って見詰めた。ふたりが仲よく会話をしていると、自分の話題をされているのに蚊帳の外のように感じた。
不意に紗英と目が合ってドキッとした。白くて可愛らしい顔が勝ち誇ったみたいに嫣然と微笑んでいた。
「おそろいなのにアタシが借りちゃってゴメンね?」
クスリ、と紗英の笑い声がヤケに大きく真珠の鼓膜に届いた。
紗英は真珠にそれだけ言い残して軽やかな足取りで職員室前から去って行った。
「何で紗英ちゃんに貸したの?」
紗英が姿を消して第一声、真珠の口からは独りでにそのような言葉が零れた。
自分でもしまったと思ったし、下総からは「はあ?」と盛大に聞き返された。
下総は不思議そうな表情で真珠を見た。質問の意図が分からないという表情だ。おそらくは、下総が紗英に持ち物を貸したのは、彼の純粋な親切心からだ。何か悪事を働いたわけでも他意があったわけでもない。そうせざるを得ない事情があったからそうしたまでだろう。
そのようなことは真珠にも容易に想像できる。ポロリと口にしてしまったのは想定外だった。
「や、ごめん。やっぱりいい」
真珠は下総への申し訳なさから顔を背けた。
下総は「タマー?」と声をかけながら背伸びしてみたり腰を折ってみたりして様々な角度から真珠の顔色を窺おうとした。真珠は深く俯いており、まったく分からなかった。
今の彼には真珠に対する負い目がある。一学期の中間考査では、試験期間前からつきっきりで勉強を見てもらったにも拘わらず、赤点を量産してしまった。それを真珠に呆れられているのでは、怒っているのではないかと案じているのだ。担任教師相手には強気に出られても、流石に恋人相手にはそうはいかない。
「そ、そんな怒らんでもええやろ。期末は中間よりガチで勉強するさかい大丈夫や……多分」
「ソコ声ちっさ」
千恵がすかさず突っこんだ。
下総はどうしたものかと後頭部をガリガリ描きながら嘆息を漏らした。千恵に目で助けを求めたが、スッと目を逸らして無視された。
きっと下総が困っている。自分でも訳の分からない悋気の所為で困らせるのは可哀想だ。真珠は意識的に表情を切り替えてパッと顔を上げた。
「蔚留くん。アイス、食べに行こっか」
真珠からの突然のお誘いに下総は「アイスぅ?」と聞き返した。しかし、真珠の表情が明るくて内心ホッとした。
「この前千恵ちゃんと買い物に行ったときに新しいアイスクリーム屋さんができてるの見つけたんだー」
「オマエらはよう太った太った言うクセに、食いモンの情報はごっつ早いな」
下総の厭味に対し、千恵は聞こえるように「チィッ!」と激しく舌を鳴らして応戦。
「立ってるだけでもカロリーを消費できる筋肉バカとは脂肪燃焼率が違うんでー。カロリー摂取には敏感なんですぅ~」
「誰が筋肉バカや。オマエ後輩のクセに、千恵ェエ」
真珠は、いつもどおりの下総と千恵との小競り合いを見ると、なんとなく安堵した。自然と「あはは」と笑みが零れた。
「千恵ちゃんも行く?」
「私はこれから部活。下校デートは帰宅部カップルで楽しんで。どーせアンタは蔚留くんと同じ味のダブルにして、おそろいだねーとか言うんでしょ」
「千恵ちゃん、なっ、何でそこまで読めるのっ?」
「アンタは大体わたしなら恥ずかしくて実行できないことを素でやってのけるからね。悪いけどわたしはそんなバカップルに平常心では付き合いきれない」
「急に恥ずかしくなるからそんな顔しないで千恵ちゃん~~っ」
真珠は両頬を手で押さえて「きゃーっ」と声を上げた。口では恥ずかしいと言いつつも、きっとそのときになったらその恥ずかしい行為を実行するのだ。
「蔚留くんはさァ、こんなバカップルな発想の真珠に付き合わされてハズくないワケ?」
「ん? ああー……ハズイっちゃあハズイけど」
千恵が下総の顔を見上げると、意外にも彼は平然としていた。千恵は自分に置き換えて想像するだけでも身悶えそうに恥ずかしいというのに。
「そんなんでタマが喜ぶんなら、ソレでええ」
下総の言葉は、千恵には意外だった。
千恵は、下総と同じ中学校出身の後輩である。実は真珠よりも昔から下総を知っている。中学生時代から知る記憶のなかの彼と照らし合わせて、そのような反応をするのは予想外だった。けれどもそれは、彼にしてはよい回答だと思ったから「そっか」と返した。
(あの蔚留くんがカレシっぽいことできるようになるとはねー)
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