ベスティエンⅢ

熒閂

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#15:Unexpire ties

Unexpire ties 02

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 晴天の下、レイ虎宗タケムネは映画館へ向かって歩いていた。
 虎宗は表面上無表情を貫いていたが、久し振りに禮と並んで歩く時間が内心嬉しかった。まるで恋人同士のようにふたりだけで映画鑑賞。禮と渋撥シブハツが付き合っていると知ってから、このような時間が来るとは思っていなかった。
 顔面の筋肉が緩んで鉄面皮が崩れてしまいそうだから、禮が持ってきた映画のチケットに意識を集中させた。

レイちゃんでもこんなん観るんやな」

「何で? 意外?」

「昔はレイちゃんはアクションかアニメばっか観てたからな。こーゆー恋愛映画観るイメージあれへんかった」

「今もアクションとかアニメとかのがスキやよ」

 禮は虎宗を見上げて「実はソレ、友だちのオススメ」と悪戯っぽくにししと笑った。
 虎宗は、自分に向けられる無邪気な笑顔が愛らしく、顔面の筋肉にグッと力を入れてにやけそうな口許を抑えこんだ。

「カレシと行くならソレやよって。なんかめっちゃ感動するんやって」

(要らんこと言う友だちがおるな)

 虎宗の脳裏には、カレシと聞くと瞬時に眉なしの三白眼男の顔がチラついた。

 能登ノトくん――。と、不意に後方から女性の声で呼び止められた。
 レイ虎宗タケムネは足を止めて声のほうを振り返った。
 声をかけてきたのは虎宗と同年代の女性。目が大きく鼻筋が通り、スラリと長身、身形はきちんとして清潔感がある美人だ。
 名前を呼ぶからには虎宗の知人なのだろうと、禮は虎宗の顔を見上げた。虎宗は変わらず無表情で「小嶺コミネ」と女性の名前を呼んだ。
 虎宗の学友・小嶺コミネ仁南ニナは、虎宗と二、三言葉を交わしたあと、禮へと目線を向けた。仁南と目が合い、禮は小さくペコッと会釈した。

「……デート?」

 仁南がそう言うと、禮はふるふるっと首を左右に振った。

「親っさんの娘。俺の再従妹や」

「あら、あのおじ様の」

 若干人見知りの嫌いがある禮に代わって、虎宗が簡潔に答えた。
 仁南は禮の顔をじーっと観察した。虎宗の隣にぴったりとくっついている少女は、小声で「ども」と言った。大きな黒い瞳を縁取る長い睫毛が、バサリと音を立てそうな瞬きした。

「失礼だけど、おじ様とあまり似てないわね。随分可愛らしい……」

「ああ。せやろ」

 虎宗の口の端から微かに笑みが溢れ出た。禮がどれだけ自分に懐いていても決して自分のものでないことくらい弁えているが、禮が褒められるのは鼻が高かった。
 仁南は、微かとは言え虎宗が笑ったことが物珍しかった。虎宗が賛辞をヤケに素直に認めたことも少々意外だった。

「あー……小嶺。俺ら今から映画やから」

 虎宗は腕時計に目を落としてそう言った。
 それから仁南に「ほなな」と簡潔に別れを切り出した。仁南は禮と虎宗の後ろ姿に手を振った。

 仁南と別れて再びふたりで映画館に向かっている道中、禮は虎宗に向かって「美人さんやったね」と言った。

「トラちゃんのカノジョ?」

「ちゃう。大学の知り合いや。ゼミが同じやねん」

「ほんまにそれだけ? お父はんのことまで知ってんのに? 家に来たことあるいうことちゃうの」

 禮にしては詮索がましい。虎宗は歩きながら禮へ目線を向けた。

「小嶺が酔っ払って歩けへんようなったときがあってな、俺もアイツの家なんか知らんし、しゃーなしうちに泊めたんや。そん時親っさんに会うてるで」

 虎宗としてはやむを得ない事態であり自分の判断は人道的であったと認識していたが、禮は「えー」と批判的な声を漏らした。

「うちに泊まったん?」

「あかんかったか? レイちゃんがあかん言うならもう誰も泊めへんで」

「あかんことあれへんけど……。あの人のほうはトラちゃんのこと好きなんちゃう?」

「好かれてはない思うで。俺は〝天然記念物〟やし」

 虎宗の否定は早かった。そして無論、禮には虎宗の言う意味が分からなかった。

「トラちゃんが天然記念物? ……イリオモテヤマネコ? どゆ意味?」

「俺にもよう分からん」

 禮と虎宗が街路を並んで進んでいると、大きなトラックが歩道の上に車体を半分乗り上げて駐車されていた。
 ふたりはそれを避けようとトラックの側面とビル壁の間の狭い間隔に入りこんだ。其処で長躯の巨体と遭遇し、ピタリと足を停めた。三人は互いに存在を認識し、それきり沈黙した。
 目深に被った帽子の下から覗いた顔は、渋撥だった。見慣れない作業服を着て、長袖を肘の上まで捲り上げ、光る汗が顎まで滴っていた。見るからに仕事中。
 かたや仲よく並んで映画館への道すがら、かたや額に汗してアルバイト中、広い街中で出会すなんてまさか思ってもみなかった。

「……ワレェ、無断で俺の禮と何してんねん」

 渋撥が声を発し、フリーズしていた禮はハッと我に返った。

「俺が何してようとお前に関係あれへん」

「オドレのことなんざ知るかボケ」

 渋撥は虎宗に対して忌々しげに舌打ちをした。目線を禮へと移した。

「禮。何でコイツと一緒におる」

「映画……」

 禮はボソッと答え、渋撥は苛立ちを隠さず「あァ?」と聞き返した。
 禮が、渋撥が毛嫌いしている虎宗を映画に誘ったのは、少なからず渋撥への当てつけの意味があった。彼は自分との約束を軽々しく反故にするのに、何故配慮してやらなければいけないのかと自分を正当化した。しかし、渋撥から面と向かって追及されると罪悪感が反発心を押し退けた。

「お前、レイちゃんとの約束破ったやろ。せやさかい俺がレイちゃんと映画に行くんや。別に羨ましくも何ともないやろ。自分で蹴ったんやからな」

 虎宗は、言葉に詰まってしまった禮の代わりに、お前の所為だとハッキリと言葉にした。
 虎宗の言葉を聞けば禮が昨夜の経緯を語ったのは明らかだった。禮は虎宗に無防備だ。心を許し、何もかも曝け出す。虎宗は渋撥が知らない出来事も感情も、禮のすべてを知っている。その事実が渋撥を腹立たせる。

「オマエからコイツ誘ったんか、レイ

レイちゃん責めんなや。そもそも自分の所為やろ」

「じゃかしぃんじゃクソ坊主」

「じゃかしいのはお前じゃボケ。自分がおもろないからてレイちゃんに八つ当たりして、情けなくないかァ? そんなんでよう堂々とカレシ面でけるわ。みっともない」

 ガシィッ、と渋撥は虎宗の胸座むなぐらを掴んだ。額同士がぶつかりそうに顔を接近させ、互いに至近距離で睨みつけた。

「ハッちゃんあかんよ! 今バイト中やろっ」

 禮は慌てて制止しようとしたが、渋撥も虎宗も睨み合いをやめなかった。仇敵を前にしたかのような一触即発の緊張感。どちらが先に手を出してもおかしくはない。
 トラックが横付けしている建物内から中年男性の声で「近江オーミィー」と飛んできた。続けて、ちょっとこっちを手伝ってくれ、と指示が出た。
 渋撥は突き飛ばすように虎宗の胸座から手を離した。

「しっかり仕事せえや。レイちゃんのことは俺に任してな」

 渋撥は拳を握って虎宗に殴りかかった。無論そうなってもよい心構えをしていた虎宗は素早く身構えた。
 が、虎宗の予想外に禮が割って入った。虎宗の立ち位置を背中で押し退け、渋撥の拳の正面に立った。
 禮では渋撥のトルクを受け止めきれないことは分かり切っている。高速で突き出された拳に手の甲を添えるようにして〝力〟の軌道を逸らした。
 禮は渋撥へキッと強い視線を向けた。

「あかん!」

 お前手は大丈夫かと渋撥が言葉をかける前に、虎宗が禮の手を捕まえた。
 禮と虎宗が並んでいる姿を見せつけられ、渋撥の脳内から禮への心配は一瞬で消え失せた。代わりに虎宗への怒りが再燃した。

「男なら自分で言うたことはちゃんと守れや、デク」

 虎宗は、禮か渋撥かどちらかが何か声を発する前に歩き出した。禮の手を引いてスタスタとその場から離れていった。

 ふたりの姿がトラックの裏に消えたとき、渋撥の真上に太陽が差しかかった。頭の天辺から突き刺す陽光により、影は短くなり、アスファルトにしっかりと輪郭を形作った。真夏でもないのにアスファルトの表面の空気が沸き立って見えた。
 それは嫉妬の炎が燃えているようだった。




 禮と虎宗は映画館のシートに座っていた。
 仁南や渋撥と遭遇するという想定外の出来事もあったが、上映時間に余裕を持って到着することができた。ふたりは売店で飲み物とポップコーンを購入してシートに着き、上映が始まるまでの時間を過ごしていた。
 禮はスクリーンのほうを向き、ポップコーンをひとつずつ小さな口に運んで食していた。虎宗はもぐもぐと咀嚼している禮の横顔をしばらく観察していたが、禮はそのことにまったく気づいていなかった。

レイちゃん、えらいボーッとしてんな。もうすぐ映画始まるで」

「え? そんなことないよ。映画めっちゃ楽しみ」

「さっきから塩味のほうばっかり食べてるで」

 虎宗はポップコーンを指差した。
 禮が購入したポップコーンはキャラメル&ソルト。容器の真ん中が仕切られ、ふたつの味を楽しめるもの。甘い・しょっぱいを反復できるから好きだと言っていたのに、虎宗が観察している間中、禮はソルトのほうばかりを口に運んでいた。
 禮は手に持っていたポップコーンをスススと容器に戻し、キャラメルのほうからひとつ摘まみ上げた。

「アイツのことが気になるか?」

 禮がキャラメル味のポップコーンを口に放りこむと同時に、虎宗がそのようなことを尋ねた。アイツとは勿論渋撥のことだ。

「ハッちゃん怒ってたし、悪いことしてしもたかなーって」

「まあ、キレてたな。せやけどレイちゃんは何も悪ない。気にすることあれへんで」

「気にするよ~……。ほんまに嫌われてしもたらイヤやし」

レイちゃんを嫌うよな男とは別れたらええだけや」

「も~。お父はんもトラちゃんも極端やよ。たまにケンカはするけど、ハッちゃんと別れるとか考えたことあれへんの」

「ケンカしてまで無理に付き合うより、ケンカせえへん男と付き合うたほうがええで」

 虎宗の言うことは身も蓋もない。禮はシートに座った体勢で前屈みになり両手で頬杖を突いた。眉尻を下げて困った表情。

「ケンカするよりせえへんほうがええけど、ケンカはしよ思てなくてもしてしまうもんやん。ケンカになりたないなて思うけど、気づいたらハッちゃんが怒るような言い方してる自分がイヤ。ウチ性格悪いな~て思う」

「イヤ、アイツの性格のほうが問題や」

 最強のイエスマンの虎宗が禮を否定するわけがなかった。一般的に考えても、基本的に善良な禮の性格で問題があるとするならば、渋撥のそれは悪魔だ。

「もし、アイツのほうから別れる言われたらどうする?」

 禮は頬杖から顔を浮かせて虎宗を見た。完全に虚を突かれたという表情だった。考えてもみなかった。無意識に脳が考えないようにしているといっても過言ではないのかも。
 虎宗はドリンクホルダーから紙コップを持ち上げた。
 禮は、飲み物を嚥下する虎宗の喉仏の動きを見るともなしに見ていた。どうすると問われても、的確な回答は出てこなかった。やはり脳が考えることを拒否しているのかも。

「アイツの女との付き合い方なんか知らんけど、あの性格からして、ケンカしてゴチャゴチャするくらいなら別れそうや。片っぽだけが別れへんよに努力しても、片っぽにその気があれへんなら付き合うてくのは無理や。レイちゃんだけががんばる羽目になるくらいやったら……」

 虎宗は禮へと目を遣り、言葉を呑みこんだ。
 禮は目頭を押さえて虎宗からフイッと顔を背けた。

「あ、ごめん。泣きそう」

「すまん」

 スルリと虎宗の口から謝罪の言葉がいとも容易く出た。考えるよりも先に言葉が出ていた。理知的なタイプではあるが禮の涙の前には思考など吹き飛ぶ。兎にも角にも泣かせたくない、助けてやらなくては、という発想に脳内が占められた。

「なんでトラちゃんが謝るん」

「イヤ、何か俺が悪かったわ。レイちゃんに泣かれるのはかなん」

 泣いてへんよ、と禮は顔を上げた。確かにその頬は濡れてはいなかった。
 虎宗は「すまん、すまん」と繰り返した。最早、実際に禮が涙を流したかどうかは問題ではない。自分の所為で一時でも落ちこませたことに罪悪感を覚えた。

「俺が何とかしたるさかい、そんな顔せんといて」

 ブーーー、と上映開始の合図が館内に鳴った。
 禮も虎宗もそれぞれにシートのヘッドレストに後頭部を置いた。
 何とかすると言った以上、何とかせねばならない。男は一度結んだ約束は必ず守らなくてはならないのだから。禮と渋撥の仲を取り持つことなど本心ではしたくないが、禮からの信頼を損ねることだけは避けたかった。
 虎宗は気乗りしないなと深い溜息を吐いた。
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