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#19:Warrior
Boy gets angry with the absurd. 01 ✤
しおりを挟む鞠子は禮と杏が緋色の集団に連れ去られる場面を偶然に目撃してしまった。集団が能楽堂から出て行くとき、廊下の壁に貼りついて打ち震えているしかできなかった。彼らの話し声や足音が完全に消えてようやく指先の震えが治まってきた。
それからにわかに罪悪感に苛まれ、弾かれたようにその場から駆け出した。
パタパタパタッと、鞠子が慌てた様子で虎徹の隣に戻ってきた。
由仁は瞼を開けてそちらに目線を遣った。出て行くときは物音を立てないように配慮していたくせに、戻ってくる段になって足音を立てるのはおかしいなと思った。
虎徹はアイマスクを装着して完全に熟睡モード。鞠子は「虎徹はん、虎徹はん」と、虎徹の肩を揺さぶった。
「黒崎ィ。虎徹君爆睡しとるトコ起こされたらごっつキゲン悪ゥなんで」
鞠子は由仁からの注意も耳に入らなかった。
「虎徹はん起きはってください。禮がッ……」
「禮が、どうした?」
鞠子の一言に反応したのは幸島だった。座席からムクッと上半身を起こし、隣のシートで完全に眠りに落ちている大鰐の肩を揺さぶった。
「禮と友だちの金髪の子ォが、妙な男はんたちに連れていかれてしもて……っ」
由仁はシートから飛び起きて鞠子に近寄った。
鞠子はまだ微かに震えている指先を自分で握り締め、きゅっと瞼を閉じて首を左右に振った。
「あァッ⁉ 連れて行かれたて、どういうこっちゃ」
「理由は分かりまへんけどっ……禮と金髪の子ォが大勢の男はんと一緒に能楽堂から出て行きましたんや。知り合いいうかんじには見えへんかって、多分無理矢理連れてかれてしもたんやと……」
幸島は「タイラ、タイラ」としきりに大鰐の肩を揺さぶった。大鰐は煩わしそうに肩から手を払い退けて嫌々覚醒に至った。
「ええ加減に起きろ、タイラ。俺らが居眠りこいとる間にえらいなことになってるみたいやで」
「何じゃそら~……」
「禮とアンズが妙な男どもに連れて行かれた」
大鰐は「はあ?」と寝惚け眼で幸島を見た。幸島の表情から冗談ではないことを読み取り、覚醒したばかりの頭から眠気がスッと引き、にわかに緊張が走った。
此処に至ってようやく、大鰐の斜め前のシートで熟睡していた虎徹が身動ぎをした。
「んん~っ……うっさいのォ。人がせっかく気持ちよお寝てんのに何騒いでんねんな~」
「いつまで寝てんねんボケッ」
大鰐は自分も今の今まで居眠りしていたことを棚に上げ、虎徹の後頭部をバシンッと叩いた。
虎徹はアイマスクを額まで押し上げて由仁をキッと睨んだ。
「何すんねん大樹コラァッ!」
「何で俺やねんッ」
寝起きの虎徹は機嫌が悪い。犬のようにウ~ッと唸って由仁を睨みつける。
「寝てる場合ちゃうで虎徹君! 禮ちゃんが攫われてしもたッ」
「…………。ロリコン中年に?」
寝惚けているのかわざとなのか知らないが、巫山戯た思考回路をしている虎徹の相手をするのは馬鹿馬鹿しい。
大鰐と幸島は取り敢えず席から立ち上がった。
「ダァホが。こんなんに付き合ってられへんわ」
「さっさと目ぇ覚ませよ虎徹」
大鰐は虎徹にケッと文句を吐き捨て、幸島は呆れて嘆息を漏らした。
虎徹は「あーッ」と声を上げ、観客席の出入り口のほうへ移動を始めた大鰐を指差した。
「ちゅうかさっき俺シバいたのへーちゃんやろッ」
「おっそいんじゃボケ。いつまで寝惚けとんねん薄らハゲ」
「ハゲてへんわ! それは予知か⁉ 俺が将来ハゲるっちゅー予言か⁉」
大鰐と幸島は虎徹の反論を真面に取り合わず、観客席の出入り口のほうへ歩いて行ってしまった。
「何やねん、ハルちゃんもへーちゃんも。俺が何かしたかァ。寝てただけやん」
虎徹は釈然とせずブツブツと不平を漏らしていると、鞠子から「虎徹はん」とシャツを引っ張っられた。
「禮が赤い服着た男はんらに連れて行かれてしまいましたんやっ」
「赤い服……?」
虎徹は片方の眉を吊り上げた。
大鰐と幸島は観客席から廊下へと出るドアに辿り着いた。ドアの横に担任の四谷が壁に凭りかかって立っていた。
四谷は近づいてきたふたりに対してシッシッと手を振った。カチンときた大鰐はチイッと大きめの舌打ちをした。
「キミたち、今は開演中ですよ~。終わるまでは生徒は出入り禁止」
「うっさい。便所じゃ」
「便所ォ? ふたり揃って? 本当に?」
「教え子疑うな、担任」
四谷は大鰐から幸島へと目線を移動させた。本当かと尋ねると、幸島から「ああ」と短い返答があった。四谷としては日頃から何かと反抗的な大鰐よりも幸島に信頼を置いている。
「便所なら仕方ないけどスグ戻って来なさいよ。お前たちがバックレたら俺が怒られるんだからな。特に生活指導の山田先生から厳しく――」
「ダッサ」
大鰐は四谷の言葉を遮って言い捨てた。
「ヘラヘラして自分より偉いヤツのゴキゲン伺いか。俺は教師にだけはならへんわ」
大鰐の言葉には明確に悪意があった。しかし、四谷はもう数年は荒菱館高校に勤める教師だ。この程度の反抗で腹を立てることはなかった。
「教師だけじゃないよ。どんな仕事でもそう。大人になると色々と大変なのよ」
「ほな大変っちゅうトコ見してみろや、お気楽リーマン教師が」
大鰐は聞く耳を持たなかった。四谷の隣を擦り抜けてドアを押し開いた。大鰐と幸島が観客席から出て行き、ドアが音もなく静かに閉まった。
四谷はまた壁に凭りかかってクスッと笑みを零した。
「ガキだね~。教師が生徒に大変ってカオ見してどーすんの」
観客席から廊下に出て、適当に歩けば直ぐに現場と思しき場所に辿り着いた。
其処が現場であることは直ぐに分かった。硬い物を叩きつけられたらしい罅割れた壁、床の上に飛び散った真紅の水玉。そして足元に転がるふたつの空き缶と、長椅子の上に置かれた中身のない細長い茶色の瓶。
「オイ、タイラ。コレ」
「なんぼかやり合うたらしいな、あの女」
幸島が話しかけると、大鰐はすんなりと同意した。何をどうやったのかは知らないが、壁は割れ、足許には血痕。少なくとも荒菱館高校生が此処にやって来た時点では、このようなものはなかったはずだ。あれば見落とすはずがない。禮が敵と一戦交えたのだろうと想像するのは易かった。
大鰐の目線は長椅子の上にポツンと残された空き瓶に固定されていた。見慣れた茶色の瓶、それは自分が禮に頼んだ商品だった。
「飲み物買いに行かしたらそのまま帰ってこおへんかった、か……」
大鰐は独り言を零し、長椅子の上からヒョイッと茶色の空き瓶を拾い上げた。
中身の入っていないコイツは、何と軽いのだろう。何と些少なのだろう。このようなものを買いに行ってふたりは忽然と姿を消した。このようなものと少女ふたりの存在が引き替えになってしまうなんて莫迦らしすぎる。世の中には筋も道理も通らぬことが多すぎる。人はそれを不条理と呼ぶ。
ふたりを連れ去った正体不明の男たちに対してよりも、先ずは目の前の不条理に腹が立った。
「ッ……クッソがーー‼」
大鰐は怒声を上げて腕を振り上げ、空き瓶を思いっきり床に叩きつけた。
バリィインッ!
腑が煮えくり返る思いを内に秘めることは叶わなかった。粉々になった茶色の欠片を蹴飛ばした。破片を蹴散らしたぐらいでは腹が納まらず、ダンッと壁を足の裏で踏みつけた。
「あ~あ。こんなに散らかして~」
緊張感のない声がして、大鰐と幸島は背後を振り返った。ふたりに遅れて席を立った虎徹と由仁、鞠子が立っていた。
「イライラして物に八つ当たりするなんかガキやな、へーちゃん」
確かに大鰐は苛立っている。幸島もそう思う。だが、苛立っている人間に対してそれを指摘しても火に油を注ぐだけだ。
大鰐はズカズカズカッと虎徹へと近づき、有無を言わさずその胸座を掴んだ。
「女ふたり攫われてんねん! イライラして当たり前やろがッ」
「せやさかい、そやって当たり散らかすのがガキやって言うてんねん。へ・え・ちゃ・ん」
「ほなオドレに八つ当たりしたるァクソボケェッ!」
「俺に当たって何か解決するん? わー、お手軽ー」
「殺すッ」
由仁は額を押さえた。虎徹の生態をよく知っているからこうなる予想はあった。
(あ~。やっぱ無理矢理起こされたさかい虎徹君キゲン悪いな~💧)
虎徹を殴ろうとした大鰐の拳を、すんでの所で幸島が捕まえた。
「オマエら何やっとんねん! 仲間内でこんなことやっとる場合ちゃうやろがッ」
幸島に諫められ、大鰐はバッと投げ捨てるように乱暴に虎徹の胸座から手を放した。
大鰐が虎徹から目を逸らし、幸島はひとまず息を吐いた。それから鞠子のほうへ視線を移動させた。
「禮とアンズ連れてったのはどんなヤツらやった」
鞠子はまだ青白い顔をして「えっと……」とオドオドと視線をあちこちへ移動させる。彼女の性質は禮とも杏とも異なる。このような不測の事態には慣れていないのだ。
「みんな同じ真っ赤な服着てはりました。裾が長くて何や文字が書いてあって……」
それを聞いて全員が特攻服だとピンときた。
「赤い特攻服のゾクかー……。何でこんなとこにゾクが出んねん。最近のゾクは真っ昼間から特攻服でナンパするんかー?」
由仁は難しい顔をして額をトントンと叩いた。勿論、本気でそう考えて口に出したわけではない。それくらいに此処で起こった事象も経緯も彼には皆目見当が付かなかった。
幸島は壁に近づき、亀裂のすぐ横に手を突いた。亀裂からパリッと破片が落ちた。真新しい破損だ。
「ナンパちゃう。武器持って女に声かける男はいてへん」
虎徹は「やな」と幸島に同意して首を竦めた。
「武器チラつかされたり人数で囲まれたからて、禮ちゃんがおとなしくついていくとは思えへん。抵抗はしたけど、付いて行かなあかん情況になったか、意外にも実は知り合いやったか……」
「石楠のお嬢が何でゾクと知り合いやねん」
「何でてなるけどな、実際何でか近江さんと付き合うてるワケやし。禮ちゃんに関しては常識は――」
「理由なんかどうでもええねん」
大鰐は、虎徹と由仁の問答をバッサリと切り捨てた。
虎徹は大鰐の手許をチラッと一瞥した。握り締めた拳が小刻みに震えるほど力が入っていた。
「実際アイツらはおらんようになっとるんや。四の五の言わんと取り返さなあかんやろ」
すべきことは分かっているが、敵がどこのどいつかも定かではない。何処を目指せばよいかすら分からない。いっちもさっちもいかない。ひどくまどろっこしい。
今にも噴出しそうな憤怒と焦燥。腹の底から湧き出て頭に登り詰めた高温の熱が、行き場をなくして眉間の当たりでグルグルと回転していた。
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