ベスティエンⅢ

熒閂

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#19:Warrior

The hooligans return to their Alma Mater. 02 ✤

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 ガキャアンッ!
 教え子たちが四谷のほうへと視線を戻したとき、丁度緋色の男が宙を舞っていた。四谷の跳び蹴りを真面に喰らって吹っ飛んだ身体が、地面に落下して動かなくなった。
 緋色の男たちは人数では勝っていたはずなのにあっという間に劣勢に転じた。

「な、何なんだコイツら……ッ! マジでただの教師かッ」

 追い詰められた男はバイクのアクセルグリップを握った。
 男の視線の先には四谷。四谷目がけてバイクを発進させた。

「死ねコラーーッ!」

 ギュインギュインッ、とタイヤが空転してバイクは前進しなかった。
 男が振り返ると、もうひとりの教師が片手で車体を持ち上げていた。

「なッ⁉」

「あざーす、瀧センパイ」

 男がハッとして正面に顔を引き戻すと、四谷のパンチが眼前に迫っているところだった。
 四谷が男の顔面を殴ると同時に、瀧はバイクから手を離した。男はバイクごと地面に転倒した。
 四谷は両膝の上に手を突き、転倒した男の顔を覗きこんだ。「キミたちまだやるの?」と上から尋ねるとギリッと睨みつけられた。

「俺たちは教師であってチンピラじゃないの。キミたちとウチの生徒とのしがらみとか知らんワケ。イイ大人が子どものケンカに首突っこみたくないのよ。今ならこの騒ぎは無かったことにしてあげるから、この辺にしてさっさと帰りなさい」

 四谷は男の顔の前でシッシッと手を振った。
 騒ぎを収めたいのか挑発してとことんやりたいのかどっちだ、と瀧は黙って見守った。

「ッ……テメーらなんかにハナっから用はねェんだよボケ!」

「俺たちが用あんのはアイツだけだ!」

 男はある方向を指差した。
 彼の指先の延長線上に、その場にいる全員の視線が集中した。其処にいるのは、荒菱館高校を統治する唯一絶対の暴君。喧しかった歓声がピタリと已み、風の音が聞こえるほど静まり返った。
 近江オーミ渋撥シブハツは不遜に寡黙だった。男が自分を指していることは分かったが、表情筋ひとつ動かさなかった。取るに足らない存在に指を指された程度で、何か感じ入るわけがなかった。
 暴君の眼下に置かれ、指を指した男のほうがゴクリと生唾を飲んだ。要求を突きつけることが目的であったはずなのに、咄嗟に言葉が出てこなかった。沈黙した暴君の威厳に呑まれていた。

「そう言えばキミたちそんなこと言ってたな。忘れてた」

 四谷は独り言を零した。
 男は意を決して口を開いた。

大塔ダイトーさんからの伝言だ近江ィッ! オマエのオンナァ預かってんぞ!」

 曜至は「あぁンッ?」と片眉を引き上げた。
 美作は禮のクラスメイトたちのほうへ顔を向けた。

「オイ、禮ちゃんはどうした。キミらいっつも禮ちゃんに引っ付いとるやろ」

 彼らは誰ひとりとして口を開かず、美作と目を合わせようともしなかった。禮の姿が見えない事実、いつも禮の周囲を固めている彼らが口を噤んだ事実、それらが男たちの発言に信憑性を持たせた。
 マジかよ、と曜至はチッと舌打ちをした。

「女ァ返してほしかったら埠頭に来い! 埠頭のB52倉庫で大塔さんが待ってンぞォッ! 近江ィッ‼」

(……埠頭の、B52!)

 それを聞いた途端、大鰐はダッと飛び出した。それに続いて、幸島、虎徹、由仁も駆け出した。鞠子が「虎徹はん!」と声を上げたが停まるわけがなかった。だって彼らはゆくべき目的地を知ってしまったのだから。




「アイツら――……」

 渋撥シブハツは小さくなってゆく新入生たちの後ろ姿を見送り、眉間の皺を深くして低い声を絞り出した。
 まずは疑ってかからなければならないはずの赤菟馬セキトバの男たちの言に、レイの取り巻きである彼らが迷いなく反応したということは、それは虚言ではなく真実であるということだ。取りも直さず、渋撥と敵対する大塔ダイトー轍弥テツヤの手許に禮は置かれていることを意味する。

「ハッタリじゃねェみてーだな、クソ」

 曜至ヨージは赤菟馬の男たちを忌々しげに睨みつけて吐き捨てるように言った。

赤菟馬セキトバかー……ちょっと大人しくしとる思うたら突然とんでもないことやらかしてくれるわ」

「今日はサボってるヤツが多いな」

 美作ミマサカは心底煩わしそうな表情でスマートフォンを取り出した。耳に当てて誰かと通話を始めた。
 曜至は周囲をぐるりと見回して見知っている顔をザッと数え上げた。本日は芸術的校外行事の為、比較的頭数が少ない。
 曜至が「まーしゃーねーか」と納得し、美作がスマートフォンを構えている傍から、渋撥がスッと動き出した。
 曜至と美作は、てっきり渋撥の怒りの矛先は赤菟馬の男たちに向くと思っていた。しかし、渋撥は赤菟馬の男たちに目もくれなかった。彼らは重大な事実を告げたが、取るに足らない存在であることは違いなかった。
 渋撥はすべてを置き去りにするように肩で風を切って進んだ。王を担ぐ群衆さえも、忠臣たる曜至と美作ですらも置き去りにされそうだった。潔く気高く、静かに猛々しく、渋撥の背中からは蒼白い焔が立ち上っているようだった。
 近江オーミ、と渋撥を呼び止めたのはタキだった。

「何処へ行く」

 渋撥はゆっくりと瀧のほうを振り返った。
 瀧の目にも青白い焔が見えた。手を伸ばしたらその指先から、声をかけたらその舌の根から、見詰めていたらその視線から、燃え移って静かに静かに焼き尽くしてありとあらゆるものを無に帰す。終には自身すらも焼いてしまう破滅の焔。

「今ここで騒動を起こしている連中に名指しされたお前が、ソレに応じてここからいなくなるということが、どういうことか分かっているか。これからもしも事件が起きたとしてだ、そのときは事件へのお前の関与は否定できなくなる」

「それが何や」

「お前の立場で事件を起こすことがどういうことに繋がるか、お前も分からないわけじゃないだろう。入学してからこっち、度重なる暴力事件、補導歴、警察沙汰、停学処分……。次に大きな事件に関わったら退学も免れんぞ」

「せやさかい、それが何や」

「卒業を棒に振るつもりか」

 瀧は渋撥へ大きく一歩近づいた。
 渋撥の放つ破滅的な雰囲気――自分の持てる何もかも、例えば未来や希望というものを無価値だと投げ捨てようとしていることが分かる。教師としてそのようなことをさせたくはなかった。

「卒業するつもりがあるから留年しても学校に残ったのだろう。お前に何があって別人のように温和しくしているのかは知らん。問い詰める気も無い。どんな理由にせよ、俺にはお前が少し変わったように見える。卒業の為にお前なりに忍耐や努力もしているだろう。それをこんなことですべて無駄にしてしまっていいのか」

 今現在、卒業するつもりがあるのか、と問われれば、あると言ってよい。
 思えば、高校に進学した理由は、鶴榮ツルエが行くと言うし母に行けと懇願されたという主体性のないものだった。渋撥自身は数年間の高校生活に意義を感じてはいなかった。毎朝決まった時間に起きて登校することがまず億劫だった。授業を理解する意欲は乏しかった。大半の教師は口喧しいか忌避するかだった。周囲からの畏敬や崇拝も鬱陶しかった。
 どうでもよいと思っていた学校での生活や卒業に意味を持たせたのは禮の存在だ。禮がいるから学校にいなければいけないと思った。卒業くらいしなくてはいけないと思った。禮がいれば、当たり前の人間らしくなれると思った。
 故に、禮がいなければ卒業証書の意義も、自分が此処にこうして存在している意味も、塵埃なのだ。この世が如何に広大無辺でも、未来や将来が不確定でも、禮と引き替えにできるものなど他にない。禮を取り戻せるのであれば、持てるものは何であれ捨ててやる。

「それが何や。自分のオンナ守れへんくらいやったら死んだほうがマシや」

 渋撥は瀧に背を向けて歩き出した。
 その双肩から蒼白の火焔が立ち上り揺れている。死神の闇色の衣を焼く、夢幻の火焔。

 美作がスマートフォンをポケットに仕舞い、曜至が「話がついたなら行くぞ」と声をかけた。美作と曜至はやや早足で渋撥のあとを追って足を踏み出した。ふたりのあとをさらにゾロゾロと生徒たちが続いた。
 美作は瀧と四谷ヨツヤに倒された赤菟馬の男たちを指差し、連行するように指示した。荒菱館コーリョーカン高校の生徒数人で彼らを捕獲した。人数で勝っているので然程難しくはなかった。

「何すんだコラ! 離せクソガキどもッ」

「こんなことしてタダで済むと思ってんのか! 俺たちゃ赤菟馬だぞ!」

 曜至はハンッと鼻先で笑った。赤菟馬のひとりの頭部をパンッと叩いた。

「伝書鳩のコッパが。誰に向かってイキってんだボケ」

 往生際悪くまだ何やらギャアギャアと喚いているが、気にも留めずズルズルと引き摺ってゆく。
 曜至は薄ら笑みを浮かべて「瀧センセー」と声をかけた。

「俺、腹痛いんで早退」

「曜至君下痢かいな。俺ごっつ頭痛いねん。ちゅうわけで俺も早退な」

「下痢とは言ってねェよ。あ。でも言われてみれば今朝は確かに水っぽかった気も……」

「イヤそんな正確に聞きたないで」

 あからさまに信憑性のない理由を言い並べて通過しようとしたふたりを、瀧は「澤木サワキ、美作」と呼び止めた。

大事おおごとになれば近江だけじゃなくお前たちも徒では済まん。お前たち全員、無期停くらいは覚悟しているんだろうな」

 瀧の表情は厳めしかった。公言はしないとはいえ、教え子たちが挙って事件に関与しようとしているのだから、晴れやかな表情にはなれまい。
 無期停学と聞いて一団の数人は微かに動揺した。だが、それも些細なものであり、全体には伝わらなかった。集団というのは厄介だ。バラバラの意志を持った個の集まりであるのに、何を契機にか、まるで意思を共有した一体であるかのように振る舞う。
 この場合は、おそらく《荒菱館の近江》の求心力。

「特に澤木。お前は例年出席日数がギリギリだ。最も注意が必要だ」

 曜至が「グッ!」と反応し、美作はプッと吹き出した。忠告どおりの有様でざまあみろだ。

「二度も留年するほどお前も馬鹿じゃないだろう」

「確かにそりゃ勘弁だわ」

 そうなったら二十歳で卒業式やからな、と美作が肩を震わせて笑いを堪えている。
 曜至はそれを忌々しそうに睨んだあと、顎をやや仰角にして瀧に目線を向けた。

「けどよ、こうなったらソレもしゃーねーんじゃねェの。つーかソレ言われて芋引くほうが死ぬ程ダセーだろ。心配すんなよ、そうなったらガッコなんか辞めてやるよ」

「澤木――」

「それとアンタ、買い被りすぎだ。俺ァ心底バカだよ」

 曜至の目には決意があった。己の愚行を潔く認め、何の未練もなく先へ進んでゆく。彼にとって王に追走することこそが何よりも意味のあるものだった。
 渋撥も曜至も、評価でも羨望でも他者から与えられるものに執着はなく、自身が価値を見出したものにのみ偏執する性質の持ち主だった。これは生まれ持った性質だ。終生、如何ともしがたい。彼らはそれを悔やむことすらなかった。



 荒菱館高校の生徒が赤菟馬を連れ去ったあと、瀧は沈黙して立ち尽くしていた。四谷が瀧に後方から「センパーイ」と話しかけた。

「アイツら行かしちゃってよかったんですかー」

 何とも他人事である言い方と口調だった。四谷は他の教諭たちに瀧に従ったまでと弁明するだろうが、瀧にはどうでもよかった。
 彼らを、渋撥を、引き留めることができなかったことだけが重要だった。瀧が渋撥を説得する為に述べたことは事実だ。おそらく、渋撥以上にその将来を考えた。力尽くで引き留めるという手段もあった。それでも、最後の最後で引き留めてはいけないと思ってしまった。何物にも替えがたいものを見つけ、それを不意に奪われ、取り返しに行くという男の足を停めさせることなどできなかった。

「世間じゃあ赤菟馬と荒菱館は犬猿の仲ってことになってるらしいっスよ。潰し合いの戦争になんかなったらマジで新聞沙汰。そうなったら本当にガッコ辞めんのかなあ、近江も澤木も」

 四谷が想定したことは無論、瀧も想定した。にも拘わらず行かせてしまった。
 瀧は己の無力を、ググッと拳を握って噛み締めた。
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