ベスティエンⅢ

熒閂

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#19:Warrior

Red Hare 03

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 レイは青ざめてアンズに声をかけ続けた。自分が攻撃されても声ひとつ上げなかったが、杏が傷つくのは平静ではいられなかった。

「アンちゃん大丈夫っ? アンちゃん!」

「禮……こんなことに巻きこんでしもて、ほんまごめん。ウチがショーを見つけたりせんどけば……ショーを助けたりせんどけば……禮と一緒におらんどけば……禮が痛い思いすることなんかあれへんかったのに」

 杏は零れ落ちそうな涙を必死に堪えた。禮とは異なるものだが杏にも強がりやプライドはある。敵のど真ん中で泣きたくないと思うのに、心からの懺悔は容赦なく涙腺を刺激した。

「ウチの所為で禮をダメになんか……絶対させへんから」

 杏は瞳に溜まった涙をグイッと拭った。長い金髪を振って大塔ダイトーを振り返り、ギロッと睨んだ。

「誰に向かってメンチ切ってんだ、このクソアマッ」

「じゃかしんじゃクソボケどもがァッ! 禮にこれ以上何かしたら、アンタら全員地の果てでも追い詰めて絶対ぶっ殺したるからな!」

 大塔の取り巻きに威嚇されても杏は怯まなかった。形勢は絶対的不利なのに、その双眸には気魄があった。まるで追い詰められた手負いの野獣。獰猛な女豹のような鋭い眼光だった。
 大塔はしばし杏の顔を見詰めたあと、ニヤッと笑った。

「威勢がええもんや。オマエ、自分の潰れかけのチームは見限りよったクセに、その女はヤケに庇うなァ」

(コイツ、ウチのこと知ってる……?)

「オマエ、前に將麻ショーマが付き合っとった女やろ。將麻がケツに長い金髪の女乗せとるトコ、俺も見たことあるで。あンときはまだ……〝胡蝶コチョー〟の紫の特攻服着とったな」

 大塔は肩の上に金属バットを乗せて杏の前にしゃがみこんだ。

「將麻の前のオンナが族抜けしたっちゅう話はウチでもそこそこ話題になったで。時期が時期やったからな。オマエが抜けたあとスグ、胡蝶は潰されてしもたもんなァ。見切り付けるタイミングとしては最高やったな」

「ウチは、見切り付けたわけじゃ……」

 杏は大塔から顔を背けた。大塔の目は蔑んでいた、裏切り者と。
 忘れようとした、封じようとした罪悪感がギリギリと胸を刺激した。
 裏切り者と罵られれば甘受するしかない。仲間の窮地を知りながら、助けようとは、盾になろうとは、しなかった。自分だけ欲しいものを得に、自分だけ行きたい所へ行ってしまった。仲間たちは暗闇のなかにぽつねんと取り残されて喘いでいたかもしれないのに。

(イヤ、何も変わらへんか。ウチは、みんなを放り出してったんやから)

「オマエは上手いことしたのォ。沈みかけのドロ舟は早いトコ見切り付けて、今度は近江オーミのオンナに尻尾振って。女っちゅう生き物はほんま薄情でかなんで」

「黙って‼」

 反撃の声を上げたのは禮だった。
 禮は男たちに押さえつけられて自由もないくせに、気を緩めたら悶絶しそうな痛みを押し殺して、大塔を睨んだ。

「アンちゃんは何も悪いことなんかしてへん! 自分がしたいことするんやって決めて、そうしただけやん。おりたい場所見つけて、そこに行っただけやん。それは絶対に悪いことなんかとちゃう」

 禮を押さえこんでいる男ふたりは、大塔に反論するその口を塞ごうとしたが、禮は頭をぶんっぶんっと振ってそれをさせなかった。

「アンタなんか、仲間や言うても他人で周り固めて自分守ろうとしてるだけちゃうの。他人を楯にしてるだけちゃうの。自分ひとりやったら闘えへんだけちゃうの。仲間の足引っ張ってるだけのアンタに、アンちゃんのこと悪く言う資格あれへん!」

 ――禮、ほんまおおきに。
 もうなんぼ感謝の言葉を言うたらええのか分かれへん。どんだけ感謝しても感謝しても足りひん。ウチが何遍間違えても、何遍けつまずいても、何遍後ろを振り返っても、禮はウチの味方でいててくれる。
 せやからウチも、何があっても禮の味方や。もしも自分の命があかんでも、絶対に禮を裏切ったりせえへん。

 杏はきゅうっと拳を握り締め、溢れそうな涙を目頭で堪えた。此処が敵地でなければ、涙を拭いもせず禮に抱きついていたに違いない。
 惜しみなく周囲に放つその光輝に、暗闇のなかを浮遊していた自分が救われたことなんて、今もどれほど救われているかなんて、禮自身は知りもしない。禮が友だちと呼んでくれるだけで、其処にいてくれるだけで、恐怖にも苦痛にも立ち向かっていける勇気をくれる。

「ゴッチャゴッチャゴッチャゴッチャ綺麗事ばっかしぬかしよって。じゃかしぃんじゃクソジャリが」

 大塔は忌々しげに吐き捨てた。

「女やさかい顔だけは勘弁したろ思てたけどな、そのカワイイ顔グチャグチャにしたったら、あの近江がどんなツラさらすんか見てみたなったわ」

 大塔の発言は冗談や挑発ではない。彼もまた多くの男たちの上に立つ者なのだから、やると言ったらやる。口にしたからにはやらねば示しが付かない。

「やれるもんならやってみたらええよ」

 禮は挑発的に断言した。
 禮には高潔な武人としてのプライドがあった。地に伏せさせられようとも決して気概は折れなかった。
 大塔は「上等や」と金属バットをぶら下げて一歩近づいた。
 禮の足に覆い被さっていた杏は、弾かれるように上半身を起こしてバッと両手を拡げた。

「この子にはこれ以上手出しさせへん!」

 大塔は不愉快そうに眉間に皺を刻んで「あっそう」と冷たく放言した。
 癇に障る《荒菱館コーリョーカンの近江》の寵姫を、高潔な少女を、絶体絶命とも言える情況に追いこんでやったのに、尚も味方がいることに苛立つ。
 かつて胡蝶を名乗り、捨てた金髪の女――――お前はかつて仲間の窮地に見切りを付けて去って行った裏切り者なのだから、再びご主人様を見捨てて逃げ出せばよいものを。お前のようなものは何度でもやり直して、何度でも同じことを繰り返す。命乞いと裏切りを繰り返してただただ生き延びる、それがお前にはお似合いだ。
 昔とは変わってしまった、と將麻はまるで俺を卑怯者に成り下がったかのように罵ったが、お前たちは自分の為に仲間を見捨てる裏切り者ではないか。目障りだ。裏切り者どもも、高潔な少女の責めるような眼光も。

「ほなオマエも一緒に潰れ顔になれや」

 大塔は金属バットを振りかぶった。
 杏は全身に力を入れ、キュッと力いっぱい瞼を閉じた。「アンちゃん退いて!」と禮の声が聞こえたが、この場から一歩も動かないと心を決めていた。

「ぐあーーッ‼」

 突如、倉庫内に野太い叫び声が響いた。

「何だテメーらッ!」

「ここがどこか分かってんのかテメエーッ!」

 倉庫の入り口のほうがにわかに騒がしい。緋色の特攻服を着た男たちが声を上げながら此方に向かって走って来た。
 大塔は金属バットを下ろしてそちらへ振り返った。

「大塔さん来ました! 荒菱館のヤツらです!」

 大塔はじんわりと大きくニヤリと口の端を吊り上げた。それは彼にとっては待ちかねた報せ。首を長くして待っていた。憎い憎いあの男に再会するときを。

(早よ来いや、近江。俺がぶち殺したる。オドレもこのクソ女も、みんなメチャメチャにぶっ壊したる)

「おぉーい。禮ちゃんアンちゃんいてるかー?」

 その緊張感のない声には聞き覚えがあった。よもや、このようなところで聞くことになるとは思ってもみなかったけれど。
 倉庫の入り口のほうから、黒いシャツに白いズボンの男たちが入ってきた。それは紛れもなく荒菱館高校の夏服。しかし、王様が引き連れてくる軍勢としては頭数が少なすぎた。

「あ! 禮ちゃんと桜時オージや」

 由仁ユニが逸早く禮と杏を発見し、そちらを指差した。
 由仁が指差す方向に禮を見つけた途端、虎徹コテツが「あああああッ!」と絶叫を上げた。

「禮ちゃんを押し倒しとるやとォッ! ムッカ~💢 そんなこと俺抜きでやってええと思てんのかーッ!」

「虎徹君おってもあかんわそんなもん」

 幸島コージマは取りあえず虎徹のことは放っておいて、倉庫内を見回して敵の人数を目算した。

「ざっと20……。30まではいてへんケド意外に数おるな」

「数なんか関係あれへん。全員死なす」

 大鰐オーワニは幸島より一歩前に出て力強く宣言した。
 ガキャーンッ!
 金属バットが飛んできて大鰐のすぐ近くの地面に叩きつけられた。
 禮と杏の救出にやって来た四人は、金属バットを投げた張本人、大塔に目線を向けた。

「何すんねんコラ。こんなモン当たったら腫れてまうやろ」

「暢気やな、虎徹君」

 虎徹はさも正当な主張という真面目な顔。
 由仁は呆れて「はぁ」と溜息を吐いた。

「近江はどうした」

 大塔は鼻の頭に皺を寄せて不快感を露わにした。彼が期待したのは、このような顔も名前も知らない荒菱館高校の下っ端ではない。
 虎徹は腰に手を当てて首を傾げた。

「さあ?」

 禮と杏は自由の身となった。禮を押さえていた男たちも大塔の傍へ行った。片足を負傷した少女と威勢のよい少女のたったふたりよりも、明らかに荒菱館高校の者である闖入者のほうが余程脅威だ。
 杏は禮の顔を覗きこんで大丈夫かと心配そうに何度も尋ねた。
 禮は弱々しく上半身を起こし、大塔の金属バットによって撲たれた自分の足にそっと触れてみた。自分なりに加減して触れたのにズキンッと激痛が走った。

(折れてる……? いや、折れてはないみたいやけどヒビくらいは……)

 痛みを噛み殺している禮の耳に「ごめん、ほんまごめん」と唱える声が届いた。

「ウチがこんなことに巻きこんでしもたからっ……禮の、禮の足が、ウチの所為で……っ」

 杏は俯いて何度も禮に対して謝罪を述べた。
 胸が潰れるほど悪いことをしたと思うのは初めてのことだった。懺悔しようにもどういう言葉にしたらよいのか、どうやって形にしたらよいのか分からない。ひたすらにごめんと繰り返すことしかできない自分は愚かで拙いと思った。
 ポンポン、と禮は杏の肩に手を置いた。

「アンちゃんの所為ちゃうよ。アンちゃんが悪いことなんか一個もあれへん」

 杏は恐る恐る顔を上げて禮を見た。目が合うと禮はニコッと微笑んでくれた。脂汗を浮かべるほど足が痛むはずなのに、それは自分を安心させる為だと分かった。追い詰められていても他人の為に強がることができる、そういう強さが眩しかった。

「巻きこんだのはウチのほうやよ」

 禮はそのような予想外の言葉を口にして、杏の肩から手を離した。
 深く息を吸って両膝をゆっくりと引き寄せた。地面に両手を突いて腹部に力を入れ、じわりと臀を浮かせた。よろよろと左右にふらつきながら立ち上がった。
 杏がいつ手を差しだそうかとオロオロとする前で、禮は大塔の後ろ姿を見据えていた。その目には単なる強がりではなく、確乎たる闘争心があった。

「アイツはハッちゃんの敵やから。ハッちゃんの敵は、ウチにとっても敵やよ」

 禮はしっかりと二本の足で地面に垂直に立った。顎を引いて真っ直ぐに大塔を見詰める。大塔の背中に宿った死神が、此方を振り向いて嗤った。
 死神に魅入られた男――――大塔は禮のほうを振り返った。

「何や、その目」

 大塔は禮を睨みつけた。
 闘争の焔のなかにあってチカチカと目を刺す宝石のような清廉、それは大塔が忌み嫌うものだ。

「アンタを、倒そうか思て」

 戦士が、起つ。
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