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4話 庭園で
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広大な王城を当てもなく走っていたアランはふと開けた場所に出る。頭を真っ白にして走っていたものだから一瞬、そこが何処なのか分からなかったが少し落ち着けば、当然理解出来る。王城第一庭園だ、王城でも一等美しいと言われる赤薔薇の咲き誇る園(その)。
走るのをやめ、少々荒く息を吐きながら庭園の奥地へ向かって歩き出すと、鈴の音のような軽やかで優しげな声が響いた。
「あら…? アル様、そんなに急がれてどちらに?」
幼い頃から聞き慣れた婚約者の声にぱっと顔を上げると、そこにはやはり、エルヴィラの姿があった。アランに会いに来た時のドレスのまま、腕には件の紙束を抱えて。
「は…エル。何故ここ、に」
「まあ、息を切らしているじゃありませんか。わたくしは、少し庭園でも散歩しようかと」
数刻前に冷たく追い返したばかりのエルヴィラがじんわりと汗をかくアランに近寄り、ハンカチーフで優しくそれを拭う。表情はおっとりとした優しげな笑みを浮かべるエルヴィラだが、その内心は少々穏やかではない。何せ、こうしてアランとまともに会話が出来ているのは一年ほど振りだからだ。鼓動がとくとくと速脈を打つのは仕方のないことだった。
(! 久しぶりに、アル様がまともにお返事をしてくださるわ。何時ぶりかしら!)
冷たく追い払われたことなど忘れたかのように優しく返事をし、満足そうな笑みを浮かべるエルヴィラに動揺しながらも、それを悟られないように振る舞うだけでアランの頭はいっぱいだった。自身で決めた、『成婚まではエルを遠ざけ、近付かない』という思いまで忘れるほどに。
アランがどうしたものかと頭を悩ませていると、ふとエルヴィラの白すぎるほどの頬に涙の跡がうっすらと見て取れた。普段から明るく、泣くことなど滅多になく幼少の頃からの仲であるアランでさえ、彼女の泣くところなど片手で数える程しか見たことがない。
(エルが泣いていた。こんな、誰もいない場所で)
「兄上が、婚約するらしい。アウストリア帝国の…第四皇女と」
殆ど意図せずに口から出た言葉だった。どうか、そうであってほしくないという思いから——どうか、ヴェヴェルの婚約が理由で泣いていたのではないという確信が欲しかった。
「まあ! 御相手は帝国の皇女殿下なのですか。先程、何年も交渉し続けたとお伺いしたのですが…かの国の姫君なら納得ですわ」
「先程…? 知っていたのか」
「はい…といいましても、本当に此処に来る前なのですが。アル様もご存知でなかったのですね? とっても驚きましたわ」
アランの耳にはエルヴィラが何を言っているのか理解できなかった。否、理解などしたくなかったのだ。つい先程聞いて、泣いていたということは…やはり、愛しい婚約者が想っているのは自分などではなく、兄の…ヴェヴェルだなんてことは。
「エルは、それで…」
(それで、良いのか…なんて聞いてどうするんだ。兄上を想うエルを開放する気もないくせに、それを聞いてどうする)
アランは一気に頭に血が上ったような感覚を覚えた、悔しかったからではない。ああ、やはりという思いが胸を支配する。一年前、ここで見てしまった光景、聞いてしまった言葉は都合の良い勘違いなどではなかったのだ。
「あっ…!」
再び走り出すアランにエルヴィラが声をあげるが、ドレス姿の令嬢ではとても追いかけられない。ただ遠ざかっていく背中に手を伸ばすことしか出来なかった。
「今なら、お話できると思ったのに」
残されたエルヴィラが涙を零したことをアランが知る由もない。
走るのをやめ、少々荒く息を吐きながら庭園の奥地へ向かって歩き出すと、鈴の音のような軽やかで優しげな声が響いた。
「あら…? アル様、そんなに急がれてどちらに?」
幼い頃から聞き慣れた婚約者の声にぱっと顔を上げると、そこにはやはり、エルヴィラの姿があった。アランに会いに来た時のドレスのまま、腕には件の紙束を抱えて。
「は…エル。何故ここ、に」
「まあ、息を切らしているじゃありませんか。わたくしは、少し庭園でも散歩しようかと」
数刻前に冷たく追い返したばかりのエルヴィラがじんわりと汗をかくアランに近寄り、ハンカチーフで優しくそれを拭う。表情はおっとりとした優しげな笑みを浮かべるエルヴィラだが、その内心は少々穏やかではない。何せ、こうしてアランとまともに会話が出来ているのは一年ほど振りだからだ。鼓動がとくとくと速脈を打つのは仕方のないことだった。
(! 久しぶりに、アル様がまともにお返事をしてくださるわ。何時ぶりかしら!)
冷たく追い払われたことなど忘れたかのように優しく返事をし、満足そうな笑みを浮かべるエルヴィラに動揺しながらも、それを悟られないように振る舞うだけでアランの頭はいっぱいだった。自身で決めた、『成婚まではエルを遠ざけ、近付かない』という思いまで忘れるほどに。
アランがどうしたものかと頭を悩ませていると、ふとエルヴィラの白すぎるほどの頬に涙の跡がうっすらと見て取れた。普段から明るく、泣くことなど滅多になく幼少の頃からの仲であるアランでさえ、彼女の泣くところなど片手で数える程しか見たことがない。
(エルが泣いていた。こんな、誰もいない場所で)
「兄上が、婚約するらしい。アウストリア帝国の…第四皇女と」
殆ど意図せずに口から出た言葉だった。どうか、そうであってほしくないという思いから——どうか、ヴェヴェルの婚約が理由で泣いていたのではないという確信が欲しかった。
「まあ! 御相手は帝国の皇女殿下なのですか。先程、何年も交渉し続けたとお伺いしたのですが…かの国の姫君なら納得ですわ」
「先程…? 知っていたのか」
「はい…といいましても、本当に此処に来る前なのですが。アル様もご存知でなかったのですね? とっても驚きましたわ」
アランの耳にはエルヴィラが何を言っているのか理解できなかった。否、理解などしたくなかったのだ。つい先程聞いて、泣いていたということは…やはり、愛しい婚約者が想っているのは自分などではなく、兄の…ヴェヴェルだなんてことは。
「エルは、それで…」
(それで、良いのか…なんて聞いてどうするんだ。兄上を想うエルを開放する気もないくせに、それを聞いてどうする)
アランは一気に頭に血が上ったような感覚を覚えた、悔しかったからではない。ああ、やはりという思いが胸を支配する。一年前、ここで見てしまった光景、聞いてしまった言葉は都合の良い勘違いなどではなかったのだ。
「あっ…!」
再び走り出すアランにエルヴィラが声をあげるが、ドレス姿の令嬢ではとても追いかけられない。ただ遠ざかっていく背中に手を伸ばすことしか出来なかった。
「今なら、お話できると思ったのに」
残されたエルヴィラが涙を零したことをアランが知る由もない。
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