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1話 記憶喪失
しおりを挟む「非常に申し上げにくいのですがお嬢様は…記憶喪失でいらっしゃいます。幸いにも言語や一般的な知識等は問題御座いませんが、それ以外は…今後問題があるでしょう。」
貴族筆頭であるヴェルガム公爵家が御令嬢、ティアルーナは食事に混入されていた遅延性の毒に侵され、二週間に渡って生死を彷徨い漸く眠りから目覚めた。傍に控えていたお抱えの医師にすぐさま診察を受け、下されたのは身体に異常はないものの言語や以前のティアルーナが習得していた教養にはさほど問題は見られないものの、それ以外の記憶を一切喪失しているとのこと。
泣きじゃくるメイドや気遣わしげにティアルーナを見る使用人たちに囲まれながらもそれが気にならない程ティアルーナ自身は非常に混乱していた。何せ、医師がどの様な役職であるかは分かるのに医師が誰なのか、ここが何処なのか、自分が誰であるのかすら分からないのだ。当然、話を聞く限り近しい存在であったであろう侍女たちを見ても何も感じない、何も分からないのだから混乱は必須…パニックに近い心境であった。
「あ、あの! 先程旦那様と奥様から言伝を預かって参りまして…来月に一度屋敷に帰る故、それまでに記憶をどうにかしておくこと、とのことです…。」
「お嬢様は記憶を無くされてしまわれたのですよ! そんな娘によくもそのようなことを!!」
おろおろとする恐らく新人であろう執事の言葉を聞き、激昂するティアルーナ専属侍女のメアリを見ながら少しばかり混乱が落ち着いてきたティアルーナはその光景に少しばかり安堵する。
(良かった…きっと使用人には、嫌われてない。けれど、以前の私は両親とは仲が良くなかったのね。どんな人たちなのかしら。)
記憶を失ったティアルーナにとって、今のところ一番近しい存在であっただろう使用人たちに嫌われておらず、好かれていたような様子が見て取れる今の状況は不安な心を落ち着かせるものだった。来月会いに来るらしい両親とはあまり仲がよろしくなかったようだが。
「ああ…こんなことがあっていいのでしょうか。お嬢様は王太子殿下との婚約も…!」
未だティアルーナの両親であるヴェルガム公爵夫妻に怒りを燃やすメアリと使用人一同が言うにはティアルーナは王太子殿下と婚約者同士であり、その婚約にティアルーナは心底喜んでいたらしいのだが今回ティアルーナが毒に倒れたことによってまだ秘密裏の出来事ではあるものの婚約は解消されるらしい。
「メアリ、口を慎みなさい。一番取り乱したいのはお嬢様のはずです…ご自身の事もお分かりにならないのですから。」
ティアルーナの身に降りかかった不幸を我が事のように悲しみ怒ってくれているメアリを老年の執事が窘める。未だ不安の拭えないだろうティアルーナを気遣ってのその言葉にメアリはハッとしたように頷き、ベッドで上体を起こして黙って様子を見ていたティアルーナに向き直り力強くティアルーナの両手を握り、その行動を不思議そうに見つめるティアルーナを安心させるように微笑む。
「お嬢様…ご安心を。私どもがついております、何があろうともお傍を離れませんし何時だってお嬢様の味方です!」
そのメアリの言葉に続くように口々に思いを語ってくれる使用人たちにティアルーナは驚くのと同時に胸に暖かなものが込み上げるのを感じる。記憶をなくそうともこれが『安心』という感情なのは分かる、混乱からは脱しても自身のことも分からず見知らぬ者に囲まれていることに不安を感じていたティアルーナにとってその言葉は心から安堵できるものだった。
(分からないことは多いし不安なことも沢山あるけれど…でもこの人達がいてくれるのなら私は大丈夫な気がする。)
「───ありがとう。」
自然と硬くなっていた頬が和らぎ、心からの安堵の笑みが感謝の言葉と共にこぼれる。ティアルーナ自身は記憶を無くす以前も今も自覚はないがその美貌は比喩などではなく、周りの女性が霞んでしまうほどの美貌であった。ただ一つ問題があるとすればピクリとも動かぬ鉄仮面だったこと、そのことから『鉄仮面のうつくし姫』などと言う二つ名がある。
当然、それは家族や使用人の前でも変わることはなくティアルーナの笑みを見た者はただの一人もいなかった。
「「「…ッ!!」」」
その壮絶な美しさの破壊力たるや、あまりの衝撃に言葉を失った使用人一同。尚も嬉しそうに、にこにこと微笑むティアルーナを前に動ける者はその場にはいなかった。
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