虚構の国のアリス達

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<第四話・宝物を探しに>

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 夏騎が学校に来る時間は、いつも早い。昔からそうだった。人より早く来て教室の自分の席で本を読んでいる、そういう子供だ。それは、去年の――あんな出来事があってからも変わらない。有純がそんな彼の姿を見て、ひそかに安心したことを夏騎は知っているのだろうか。
 メールを送った翌日もそうだった。彼は窓際の席で一人、じっとブックカバーのかかった文庫本を読んでいる。元々少女のように綺麗な顔立ちの夏騎だ。日の光を浴びて、真剣な眼差しを一冊の本に向けるその様子は実に絵になっていた。自分に絵心があったなら描かせてくれと頼んだかもしれないな、と有純が思うほどに。

「な、夏騎。おはよう」
「……おはよう」

 避けられてきたのは間違いない。それでも、有純が挨拶をすれば夏騎が返事をしないことは稀だ。しないとすれば大抵、本を読むなどの行為に没頭しすぎて気づかないパターンのみ。なんといっても彼は集中力が高すぎて、視点が一直線になることが少なくないのだ。頭が良い彼の数少ない欠点の一つであり、大きな長所の一つでもあるのだろう。
 そして今日は返事をしたということは。彼がそこまで本の内容に集中していなかった、ということだ。夏騎もきっと昨日のメールのことが気になっていたのだろう、と結論づける有純。

「昨日のことだけど」

 そして、どう切り出そうか迷っているうちに、夏騎の方から口を開いてきた。

「小倉港の遺書が見つかった、っていうのは本当か?」
「え?あ……うん。コピーが手元に、あるけど」
「そう。……なら動くなら早い方がいいと思う」
「え」

 話の展開が早すぎて、思わずきょとんとしてしまう。すると夏騎はパタン、と文庫本を閉じた。

「港が自殺して、学校には警察も来た。どこまでちゃんと調べたかはともかくとして、教育委員会も調査に入ったのはまず間違いないと思う。なら、クラス替えの前に遺書の原文の方は警察あたりに回収されていると見て間違いない。相田の行動はファインプレーだったと思う。多分、港は大人じゃなくて……俺達子供に、あの遺書を読んでもらいたかったんだと思うから。それも小学生に」
「え、え?どうしてそう思うんだ?」
「簡単だ。一枚目が平仮名だっただろ?」

 言われて、慌ててランドセルを置き、遺書のコピーを引っ張り出す有純である。そうだ、一枚目。頭の良い、小学生では知らないような漢字もたくさ知っている子供だったと聞いていたのに――どうして平仮名で書いてあるのだろうと思ったのだ。



『だれもぼくを
     みつけてくれない

 だれかぼくを
     みつけてください』



 あまり丁寧ではない字で、紙いっぱいに大きく書かれている。あまりにシンプルなので、何かの暗号なのでは?と疑ったほどだ。まあ有純の頭では、考えても答えなど分かるはずもなかったわけだが。

「暗号とか、じゃなく?」

 そのまま思ったことを口にすると、多分違う、と夏騎は首を振った。

「暗号っていうのは、“読まれたくない相手”と“読んでほしい相手”が両方いる時に使うものだろう?例えばミステリーのダイイングメッセージがさ、暗号になっているのは何のためだ?犯人には伝わらないようにしつつ、警察やそれ以外の人には犯人の名前を伝えるためだろう?」
「まあ、そういう話は聞いたことあるけど」
「時々ギャグじゃないかと思うのは、やたら複雑怪奇な暗号を死に際に残してる被害者がいたりするってことなんだけども……まあそれはいいとして。今回の暗号は、大人に回収されたらそのままになってしまう可能性が高い。メディアに公開される可能性もゼロじゃないけど、公開されたところで一部だけ。全文公開される可能性は非常に低い。他の学校とかで起きた自殺と遺書に関するニュースを見てもそんなかんじだと思わない?」

 言われてみればその通りだ。悲しいことだが、いじめが原因で生徒が自殺するニュースは世の中に少なくないものである。遺書が残されているケースも少なくない。けれど、そういうものは証拠として当然警察が持っていってしまうし、テレビやネットでも全文が掲載されているケースは非常に少ないだろう。
 なんとなく、夏騎が言いたいことがわかったような気がした。伝えたい“誰か”がいたとしても、その“誰か”の目に触れる機会がないようでは、何の意味もないということである。

「港は俺と思考が似ていたから、想像がつく。自殺すれば、遺書が大人に回収されてしまうことはすぐ予想がついたはず。だから、机の中に、目立つように入れておいたんじゃないか。遺書が置かれてから港が死ぬまで、ある程度タイムラグもあった。生徒の誰かに先んじて見つけて貰える可能性も高かったし、遺書だとすぐわからない内容でもあったから。そして、子供が読めないと意味がないし、子供に向けたメッセージだという意味をこめて、あえて平仮名で一枚目を書いたんだと思う」

 それは一理あるかもしれない。さすが夏騎だ、と感心する有純・同時に、いくつかほかにも疑問が生じてきたわけだが。

「でも、それはつまり、港をいじめていた奴に遺書を見つけられて捨てられてしまう可能性もなくはないんじゃないか?確かに一見して遺書とわからない内容だけど……その、いじめって、遺書とか関係なく相手の持ち物を壊したり汚したりってのが珍しくないんだろ?そうされてしまう可能性ってなかったのかな?」
「多分、それはなかったと思う」

 夏騎は首を振った。

「実は、港が自殺した時、もう“狼”役は別の生徒に移っていたらしい。俺は不登校だったから後で話を聞いただけだけど」
「え?」
「港の性格を聞いたならわかると思う。確かに、いじめの内容は酷いものがあった。でも、潰れる前に対策する方法はゼロじゃない。それこそ、潰れる前に学校を休んだっていい。いじめっ子を無駄に喜ばせてやる必要なんかないからな。そもそも、俺が知っている小倉港は、簡単に潰されるほど脆い奴じゃなかった。あいつの自殺にいじめは無関係じゃないだろうが、でもそれだけではないと俺は思っている。それこそ……他殺の可能性だって、まったく無いわけじゃない」
「!」

 さすがにぎょっとした。他殺――まさか、小倉港が殺された可能性もあるというのか?

「そ、それはさすがにないんじゃないか?こんな紙まで残してるし、そもそも他殺ならいくらなんでも警察が突き止めてると思うけど……」

 いやでも、と心の中でもう一人の有純が言う。いくら警察でも、それこそ川とか高い場所とかから突き落とされたとして――それを“自分で飛び降りた”か“人に突き落とされた”かを完璧に見分けられるものなんだろうか?と。
 見分ける方法はなくはないのかもしれないが、それは完全なものなんだろうか、と。港が自殺した状況について、自分も詳しく知っているわけではないけれど。

「あくまで可能性の話だ。それに、最終的に自分で命を絶ったとしても……それが、誰かに心を殺された結果なら。俺は、“他殺”となんら変わらないものだと思ってる。……そして、その犯人は」

 彼はそこで、不自然に言葉を切った。文庫本を置き、両手を祈るように握りしめ――何かに耐えるように、体を震わせる。
 それはまるで、見えない誰かに懺悔でもしているかのようで。

「港を殺した犯人は、ひょっとしたら俺なのかもしれないから」
「な、何言ってるんだよ夏騎!そんなわけないだろ、夏騎は港が自殺した時、学校に来てなかったじゃんかよ!」
「そういう問題じゃない。……そういうことじゃないんだ、有純」
「そういうことじゃない、って……」

 わからない。何一つ、わけがわからない。ただ、固く目を閉じて低く呻くその姿は、長くそばにいるはずの有純でも初めて見る類のものであったのは間違いないことだ。
 そう、こんなに苦しそうに己を責める夏騎は今までに見たことがない。彼はいつもはっきり自分を持っていて、基本自己主張はしないけれど同時に意地でも信じたものは譲らない頑固さも持ち合わせていて。でも本当はとても気が利いて、言葉は少なくても優しくて、思いやりがあって。
 悔しかった。そんな彼を、こんなにも苦しめている“何か”があるという現実が。

「……はっきり、言ってよ」

 思わず、本音が出てしまう。

「俺、夏騎と違って馬鹿だから……わかんねーよ。はっきり言ってくれないと、何もわかんねえ。夏騎が何に悩んでるのか、苦しんでるのか、ちゃんと言ってほしいし助けたい。頼むから、夏騎の中だけで納得して、貯めこもうとしないでくれよ。だってさ……だって」

 だって、夏騎が好きだから、なんて言えない。言えるはずもない。ただ、できることなら抱きしめてしまいたいこの衝動を、どうにかして耐えることしかできないのだ。

「だって、俺……俺は」

 もう一人の自分が、お前は本当に馬鹿だな、と笑っている。
 その中途半端な態度こそ、一番夏騎を苛立たせる原因になりかねないのに、と。

「……さっきも言ったけど」

 そんな有純に、夏騎は何を思ったのだろうか。呆れるように一つため息をついて、有純の言葉を待たずに先を告げた。

「動くなら、早い方がいい。あの地図が指し示す場所がもし大人に解明されてしまっていたら、“宝箱”は回収されてしまう可能性がある。正直、もう何か月も過ぎてしまったから、既に遅いかもしれないけれど」
「あ、それは確かに……」
「もし、有純に……何を見ても耐えられるっていう覚悟があるなら。今夜裏門の前で待ち合わせしよう。用務員さんの見回りさえ避ければ、校内を探索する時間も手段も十分あるから。でも、有純が怖いなら無理をする必要はない。夜の学校だし、先生に万が一見つかったら大目玉は間違いないし……」
「い、行く!行くよ、俺も!!」

 慌てて叫んだ。ずっと、関係の修復に悩んできた相手が――助けたいと願う相手が、一緒に来てもいいと許可をくれたのだ。
 夜の学校が怖い気持ちは確かにあるが、そんなことよりも大事なことは一つだ。大好きな夏騎の、力になりたい。彼の期待に応えられる自分でいたい。
 そして、彼を苦しめる真実とやらを、この目で見たい。

「行こう、小倉港の“宝物”を探しに……!もしかしたら、子供にしか見つけられないものなのかもしれないし!!」

 夏の始まり、ひと夏の冒険。
 有純にとってけして忘れられない時間が、始まろうとしていた。
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