虚構の国のアリス達

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<第十五話・悪夢は続く>

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 あの少女は、一体何を言ってるのだろう。有純は無償に腹が立って仕方なかった。市川美亜は完全に、あの北見とかいう少女に言いがかりをつけているだけである。消ゴムを貸してもらえなかったからといってそれがどうした。どうしても気にくわないなら、何故一対一で文句を言わない?みんなを巻き込んで、一人を晒し上げるような真似をする?

――そんなの、卑怯だろうが。

 ギリ、と有純は拳を握りしめる。

――しかもああやって泣いたりしたら、完全に北見ってあの女の子の方が加害者扱いになるだろ……!

 自分は、トラブルの現場を直接見ていたわけではない。あの市川美亜が、一人の少女を取り巻きと場の空気を使って糾弾し、追い詰めた場面を見ただけだ。
 けして美亜は、乱暴な言葉で相手を詰ったわけではなかった。
 暴力を振るったわけでもなければ、物を隠したり壊したりしたわけでもなかった。
 それでも、有純には――いや、周囲で見ていた多くの子供たちには理解できていたはずだ。むしろわかっていたからこそ、あの北見とかいう少女も怯えていたのである。本当に恐ろしいものは、目に見えるわかりやすい暴力などではない。空気を自在に操ることだ。自分が正しいと強引に思い込ませ、間違ってなどいないはずの相手に強引なレッテル貼りをすることである。
 あの場でどうして、北見が“私は間違っていない”“こんなことはやめて”などと口にすることができただろうか。騒いでいたのは取り巻き達数名で、きっかけを作ったのも美亜一人である。けれど彼らの言葉が周囲の空気を誘導し、さも北見が間違っているかのような印象を皆に思い込ませてしまうのだ。
 既に、彼女の反論は一切通らない空気が出来上がっていた――作られていた。
 間違っていると感じた子供がいてもどうして止めることができるだろう。それを勇気を出して言い出したら最後、矛先が誰に向くかなど明白なのである。少しでも安全地帯にいたい気持ちがあるならば出来ることはひとつ、沈黙しかないのだ。

「……頭おかしいんじゃねぇのか」

 有純は思わず、声に出していた。

「周囲の空気を操る?自分が正しいように見せつける?……そんなもん、自分の力だけで相手に立ち向かう勇気もねぇ臆病者がやることじゃねえか!お前、取り巻きに助けられて、くっだんねぇ正義振りかざして……恥ずかしいと思わねえかよ!」

 しかし、これは明らかに過去の記憶。既に終わってしまった出来事を有純が見ているだけに過ぎない。わかっていたことだが、有純がいくら叫んでも美亜達に届くことはなく、周囲の子供達も北見も一切反応する様子はなかった。
 当然、掴みかかってやろうとしても、一切有純の手が触れることはない。

――くそっ……なんつー胸糞悪い光景だ……!

 真っ青な顔の少女は、ひたすら美亜に許して許してと繰り返している。狼ではないことを証明しろ、なんて。そんなこと一体どすればいいというのだ。有純が疑問に思うと同時に、目の前の景色は派手な音とともに砕け散った。

「うわっ……!?」

 だが、現実に帰ってきたわけではない。砕けた先の景色も、先程と同じセピア色の教室だった。この光景を有純に見せている“誰か”は、よほど事態を理解してほしくてたまらないらしい。
 机に座って、俯いているのは先程吊し上げられていた北見という少女だ。

舞花まいかちゃーん』

 どうやら、少女北見の下の名前は“舞花”であったらしい。馴れ馴れしく彼女の側に寄っていくのは、あの吊し上げで真っ先に美亜を庇う発言を喚いた、取り巻きの少女のうちの一人だ。

『お疲れさまー舞花ちゃん。ねえ、今日は宿題いっぱいでほんと大変だったよねえ。特に国語!なんであんなにたくさん出るのか意味わかんないと思わない?』
『…………』
『ええ?無視?無視するの?おかしいなぁ、“狼じゃない”優しい優しい舞花ちゃんが、なんでそんなことするのかなぁ?』
『えっ……!?』

 どうやら考え込んでいて、呼ばれる声が聞こえていなかったパターンらしい。はっとして顔を上げる舞花。己の失策を悟った少女の顔から、みるみる血の気が引いていく。

『ご、ご、ごめんなさ、いっ!ぼ、ぼ、ぼんやりしててっ!』

 すると取り巻きの少女とその後ろに控えていた美亜と数名が、わざとらしく派手な笑い声をあげた。

『やっだー!舞花ちゃってば面白ーい。ご、ご、ごめんなさ、いっ!だって!ほんと人を笑わせてくれるのが上手いよねっ!ねえどうしたらそんな面白い声が出せるのー?ねえねえ教えてよぉー?』
『そ、そんな、つもりじゃ……』
『そんなつもりってなにー?ジョークも通じないの?そんなんだからいっつも独りなのよ、“狼さん”みたいよねぇ?』
『――――!』

 狼になる、ということ。
 それは徹底的な虐めな標的として、クラスから排除されても仕方のない存在になるということ。
 有純は現場をきちんと知らないが、彼女達の物言いからしてそんな意味と受け取ってほぼ間違いはないのだろう。既に虐めでしかないだろ、とこっちとしては忌々しい気持ちでならないのだけれど。

『“ご、ご、ごめんなさ、いっ!ぼ、ぼ、ぼんやりしててっ!” 』
『似すぎ似すぎ!マジやっばー!』

 ギャハハハハ!と悪意のある笑い声が上がる。怯えて吃り、ひきってしまった舞花の声を物真似してからかう少女達。その中心で、どんどん涙目になっていく舞花。
 もし。この光景を見て大人が“子供同士のふざけあいであって虐めではない”なんて本気で思うのなら――そんな奴に教師になる資格はない、と有純は本気で思う。虐めというのが昔からの漫画にあるような、暴力や物を壊されるといった目に見える形だけで発生すると考えているのなら、それはとんだ時代錯誤というものだ。そうやってはっきりしない形であっても、虐めは現実に存在するのだから。
 嫌ならやめてと言えばいいのに、なんていう意見も論外でしかない。やめて、と言えない空気を作ることも、加害者にとってさほど難しくもなく。そもそもやめて、なんて言っただけで虐めが終わるのなら、誰も最初から苦労なんてしていないのだ。
 人の悪意は、特に子供達の悪意は、時として大人が想像もつかないほど陰湿で残酷なものである。

『狼さんじゃないなら、舞花ちゃんは優しい優しいヤギさんよね?誰かを手助けすることが大好きで、人を助けるためなら進んで大変なこともやってくれるのよね?』

 そして、美亜は当然のように舞花に無理難題を突きつける。自分と、取り巻き四人を指し示して、そして。

『あたし達すっごく困ってるの。あんなに宿題出されちゃったらほんとたまんないわ。やらなきゃいけないことたくさんあるのに、そんな手間暇なんてかけてられないのよね。だからさ、舞花ちゃん。優しい優しい、舞花ちゃんは助けてくれるよね?』
『え、え……?』
『みんなの宿題、助けてくれるんじゃないの?おかしいなぁ、優しい優しいヤギさんなら助けてくれるはずなんだけどな。それとも本当は舞花ちゃん、“狼さん”なのに嘘ついてたのかなぁ?』
『ち、ち、違う!わ、私は狼じゃない!狼なんかじゃないから!!』

 絶叫する舞花。それを見て、美亜はにんまりと満足げに笑って見せるのだ。そして自分のランドセルから漢字ドリルなどを取り出すと、バサバサと舞花の机の上に乗せていく。

『さすっすが優しい優しいヤギの舞花ちゃんじゃーん!私達友達だもんねー、友達を助けるのは当たり前だもんねー』

 そして、美亜と、取り巻き達のドリルが大量に舞花の机の上に積み上がった。途方に暮れる舞花を残し、美亜達はランドセルを背負い直してスタスタと歩き出す。

『じゃあ後はお願いねー。みんな、帰ったらあたしの家に集合ー』
『わっかりましたー!』

 教室を出ていく少女達。後に残されたのは、机の上に大量の押し付けられた宿題を積み上げた――北見舞花、ただ一人だった。

『締め切り……明後日なのに……。塾、あるのに。どうしよう……』

 舞花は呟き、ついに嗚咽を漏らして泣き出した。あまりにも痛ましい光景に、有純は悔しくてたまらなくなる。自分がこの場にいたら、絶対にあの市川美亜を追いかけていって殴り飛ばしてやったというのに。

――くそっ、全部あいつがいるからいけないんじゃねーか!あいつをなんとかすれば、このクラスから虐めはなくなる、明白だろ……!?なのに、教師は一体何をしてたっていうんだ!

 そして、再び砕け散る空間。どれだけ続くのだろうか、このビジョンは。砕けた先もやはり同じ、教室の風景である。違うのは登場人物だろうか。教員机に座る女性教諭と、男子生徒が一人。向かい合って座り、話をしているらしい。

『クラスの空気が良くないって聞いてるけど、それは本当なの?』
『……本当なのも、何も……』

 ああ、その質問の仕方はアウトだ。有純でもそれはわかった。教師はなるべく物事を決めつけない、中立の立場で質問をしようとしたのかもしれないが――聞いている側からすればそれは“見ていればわかるはずのことを先生がわかっていないのだ”と受け取っても仕方ないだろう。

『誰が悪いのか、先生は本当にわからないんですか』

 その男子生徒には見覚えがあった。確か、二年生の時に同じクラスだった。種田悠里たねだゆうりである。つい少し前に、四年三組について聞き込みをしようとして声をかけた少年の一人だった。例のごとく、何も話してはくれなかったけれど。

『狼って呼ばれるんです。市川さんに虐められるやつは』

 痩せた長身を丸めて、悠里は苦々しく語る。

『市川さんの機嫌を少しでも損ねた奴は狼にされてしまう。そうなったらもう、毎日が地獄にしかならない』
『地獄って……市川さんは女の子でしょう?』
『女の子だからなんだっていうんですか。暴力がないから怖くないとでも言うんですか。逆だってなんでわかんないんですか』

 悠里は、理解の遅い教師に必死で訴えた。何もわかってない、そう言うように。

『むしろ男子の方が……あいつ相手に苦労してるし、苦しんでるってなんでわかんないんですか。俺達、簡単に“悪者”にされるのに』

――悪者……?

 有純はその話を聞きながら、理解していくことになるのである。何故夏騎をして、この苛めを“極めて厄介だった”と評したのかということを。
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