虚構の国のアリス達

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<第二十一話・悪意は連鎖する>

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 再び、有純の目の前にはセピア色の教室がある。弁当を広げている生徒が散見されるあたり、昼休みであることはまず間違いないだろう。

「あ……」

 教室の奥、一番後ろの隅の席。小倉港が、何やら難しそうな本を読んでいる。文庫本ではない、ハードカバーだ。栞らしき赤い紐を垂らし、表紙には何やら難しそうな漢字がずらずらと並んでいる。四文字熟語のタイトルであるようなのだが、残念ながら有純には読めなかった。ただ作者名には覚えがある。確かニュースで見た――芥川賞を取った作家が、そんな名前であったのではないだろうか。
 芥川賞と直木賞だと、純文学っぽいのが芥川賞に選ばれる傾向にある――とかなんとか、父が語っていた記憶がある。本当かどうかは知らない。ただ、子供向けの児童書が選ばれたことがあるなどとは聞いたことがないし、きっと大人向けの難しい本であることに違いはないのだろう。そんな本を平然と読めているあたり、やはり港は頭の良い生徒であるに違いない。

「よく見ておいてね」

 す、と有純のすぐ隣に、色を持った“現在の”港が立つ。

「見ていれば分かるはずだよ。僕が何を言いたくて、君たちに何を求めているのか」

 彼がそう言うのと同時に、教室に変化が起きた。一人の少年が、しょんぼりと肩を下げながら教室に入ってきたのである。地味な顔立ちの小柄な彼だが、あるところがはっきりと目立っていた。その足が、裸足であったのである。

――この子、上履き隠されちゃった……のか?それとも……。

 少年が入ってくると、一瞬教室の喧騒が静かになった。彼に対して、ほとんどの人物の視線が集まる。彼は泣き出しそうな顔で、居心地悪そうに自分のランドセルをしまうロッカーに向かっていった。すると。

『もう、みんなやめようよ、急に静かになっちゃうの!楽しいご飯の時間なのに!』

 やがて、わざとらしいほど大きな声がした。見れば一人の少女が、皆をまとめるようにパンパンと手を叩いている。
 誰であるか、など言うまでもない。あの市川美亜だ。

『何を見てるか知らないけどー!お昼ご飯が美味しくなくなっちゃうようなこと、やめようよー。ねえ?』
『そ、そうよね美亜ちゃん』
『うんうん』
『え、えっと。何の話してたんだっけ?』

 美亜の周囲には、かなりの数の子供達がぐるりと取り囲んでいる。見覚えのあるメンツだったが、やや数が増えていた。前に“吊るし上げ”の光景を見た時は少女ばかりだったのが、今は数名少年も混じっている。美亜の取り巻きと呼ばれる面子であることはまず間違いなかった。

『もう、聡子さとこちゃん忘れっぽいんだから。このクラスをもっと良いクラスにしていくにはどうしたらいいのか?そういう話してたんでしょ?あたし、これでも学級委員だもん。みんなのために、一番にできることをちゃんと考えないといけないなって思ってたのよね』

 そして、彼女はいけしゃあしゃあと、クラス中に聞こるような声で話を始める。

『大事なのはやっぱり、クラスみんなで仲良くすることだと思うわけ。どうすれば仲良くなれるのかって言ったら……みんながみんなのことを、ちゃんと思いやって、協調性っていうのを持つのが大事だと思うのよ。日本は和を尊ぶ文化だって先生も授業で言ってたでしょう?それって大切なことだと思うわけ。みんなで一つの方向を向いて、足並みを揃えることで、結束力っていうのも生まれてくると思うんだよね。というわけでみんなは、そのためにはどうすればいいと思う?』

 ご飯が美味しくなるような会話なのだろうか、これは。有純が思うのも当然だった。美亜は非常に楽しげだが、他の取り巻き達は明らかに疲れた顔や、あるいは作り笑顔を浮かべているのが見え見えだったからである。
 同時に、こんなにあからさまに大きな声で話すのは何故だろう、と思って――有純は気づいた。あとから教室に入ってきた裸足の少年が、ロッカーの前で蹲って震えているのだ。まるで、教室を満たす“女王”の声から逃げたいように。

『それはやっぱり……足並みを乱す人が、いなくなればいいんじゃないの?』

 やがて、取り巻きの中でも古参であろう少女の一人が発言する。ぴしり、と。教室の空気がやや凍る気配があった。

『うんうん、彩加あやかちゃんはそこよくわかってるわ!』

 その空気にさらに罅を入れるような、美亜の言葉。

『あたしは学級委員としてこんなに頑張ってるのに、なんでみんながクラスとして一つにまとまらないんだろうってすっごく不思議に思ってたの。先生もとっても疲れてるみたいだし、だったら尚更あたし達生徒でもっと努力をしないとダメよね?そのためには、みんなと同じことができない“悪い子”に、それじゃダメだよって教えてあげないといけないと思うの。悲しいけど、このクラスにはまだまだ“悪い狼さん”や“悪い狼さんになりそうな子”がいるなあって感じてるんだよね……』
『ほんとそれだよね!美亜ちゃん一生懸命戦ってるのにね!』
『みんなが美亜ちゃんの言う通りにすれば、クラスは一つにまとまる!それは間違いない!』
『美亜ちゃんは当たり前のことしか言ってないのにね。どうして言うこときけないんだろーね!』
『ありがとうみんな。……じゃあその悪い狼さんってどんな子なんだとみんなは思う?』

 この流れはもしや、と有純は胸糞悪さを覚えた。みんなが美亜を持ち上げ、美亜はそれに機嫌を良くして取り巻き達の待遇を良くし、そして別の標的が存在することを彼ら自らアピールさせる。今いじめられているであろう生徒は明白。矛先を、全てあの少年に向けようとしているのだ。
 なんとなく想像がついた。そうすることで取り巻き達は自分が“狼”ではないことに安堵し、“狼”が他にいることで己から矛先を逸らすことに成功し。同じだけ、別の人間に“狼”を押し付けてしまった罪悪感を背負うことになるのである。
 その意識がより、彼らに歪んだ結束感とやらを生ませるのではないだろうか。既に罪を犯した者同士、けして裏切ることなどできないように、と。

『……とりあえずあたしは、平気で遅刻してくるような子はだめだと思うなあ』

 そして美亜が、当たり前のように矢を放つと。

『そ、その通り!遅刻してきたのに、みんなにちゃんと挨拶しないなんてそんなの論外ってやつだし!』
『裸足で教室入ってくるのとかもアリエナイよね。不潔ー』
『下向いてぼそぼそと喋ってるとか、仲良くする気のある子の行動とは思えないわ』
『というか、美亜ちゃんにちゃんと“指導”してもらったのにありがとうの一言もないのがまずダメダメだと思う』
『男の子なのに髪の毛ちょっと長いのもなんだかねー』
『あんまり目良くないのに眼鏡かけないで、しかも一番前の席に行きたがらないのも変だしー』
『ドッジボールでいつもすぐ当たってチームに迷惑かけるのやめてほしいよな』
『ドッジボールもそうだけどサッカーもできない奴、いない?』
『いるいる、そういう奴いる。まさに昨日見たー』
『男の子なのにキティちゃん好きなのもマジきもいよね』
『そういうの全部含めてクラスから浮いてるし、浮いてるのに直そうとしないのがいかにも“みんなと仲良くする気なんかありません”って狼ってかんじ!』

――め、滅茶苦茶だろ……!これ明らかに、集中攻撃じゃねーか。明らかに協調性関係ないことばっかり言ってやがるし……!

 愕然とする。有純は間近で何もかも見ていたわけではないが、それでも彼ら彼女らが攻撃している相手が誰であるかなど明白だった。なんといっても彼女らは、悪口を好き勝手にブチ撒けながら、ちらちらと遅刻してきた少年の方を見てはくすくすと笑っているのだ。
 ここまで露骨な悪意も珍しいだろう。案の定少年は真っ青になり、ランドセルをしまうのも諦め、教室を出ていこうと出口に向かった。ところが。

『うわ、遅刻してきたのに席にも座ろうとしないで帰るんだー……?』

 タイミング良く、美亜の声が飛んだ。瞬間、少年は完全に退路を絶たれることになる。おずおずと己の席らしき場所に戻る姿は、見ていて本当に居た堪れないものだった。

――何で誰も、助けないんだよ……!いや、わかるけど。自分が助けたらこっちがいじめられるようになるってのは、想像がつくけど、でも……!

 これは本当に、美亜をブン殴ってもいい案件ではないのか。ムカムカする感情をぶつけるように、有純は傍の黒板を思い切り殴った。

「ちくしょう!ざけんな!!」

 他の生徒達は気の毒そうな視線を向けるか、それさえもせず無関係を装って黙々と弁当を食べている始末である。誰も、“狼”にされた少年を助けに行こうとはしない、行けない。弓を向けられぬよう、ひっそりと過ごすしかないと言わんばかりの状況だ。しかも昼休みだというのに、教師は教室にいないのだからどうしようもない。もしかしたらこの状況がわかっているからこそ、理由をつけて職員室に避難してしまっているのかもしれなかった。あるいは、既に病気で倒れた後なのだろうか。

「まだ、ココからだよ、大事なのは」
「!」

 すると、隣の“現在の港”が告げる。

「とりあえず見てて。本読んでる“僕”に注目してて」

 どういうことだろう。有純が見ている前で、状況に変化が現れた。別の少年――取り巻きでも狼でもない、傍観者であった一人が、港の方に近づいていったのである。何か話があるらしい。耳をすませようと、有純はそろそろと彼らの方に近づいていく。幸い、この過去の世界の中で自分の姿が他の者達に見えたり影響を与えるということはない。

『あの、小倉君……』

 やがて気弱そうな少年は、港に小声で話しかけた。

『去年小倉君と同じクラスだった斎藤君達に聞いたんだけど。小倉君ってすごく頭いいし、みんなの相談役になってたんだよね?』
『そんなに大層なものじゃないけどね。どうしたの町田君、相談したいことがあるのかな?』
『うん、まあ……』

 町田、と呼ばれた彼はちらりといじめられていた少年の方を見て。

『ここだと、その……あれだから。男子トイレの方に来てもらってもいい?』

 なるほど、美亜やその仲間に絶対に聞かれたくないような相談であるらしい。と、彼らが移動し始めたのを見て有純は気づいた。

「なあ港」
「ん?」
「あいつら教室出てトイレ行こうとしてんだけど」
「そうだね」
「追いかけろってことでおけ?」
「うん、おっけー」
「…………男子トイレなのに?」
「いいじゃない、ここ過去の世界だし。誰も見てないから気にしない気にしない」

 いや気にするから言っているのだけども。有純は引きつった顔で、マジか、と呟いた。
 いくら有純であっても、異性が使うトイレを平然と覗くほど図々しい趣味はしていないのだ。大体、男子トイレは女子トイレとは違って、オール個室ではないという話ではないか。誰か使っていたら気まずいどころではないというのに。

「あーもう……行けばいんだろ行けば!」

 迷っている時間はなかった。有純は渋々、教室を出て行く港と町田少年を追いかけることにする。
 ここから先が、恐らく港が本当に見せたかった景色の一つであるのだろうから。
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