25 / 25
リクエスト 仮の新婚旅行 社員旅行
しおりを挟む
リクエスト 仮の新婚旅行 社員旅行
「どっちがいいかな」
私瑠璃は、デパートにある男性高級ブランド店の中にある、仕事に使うネクタイと小物が置いてあるコーナーで悩んでいた。
肩の長さまでの艶のある黒い髪を白のリボンが付いたバレットで一つにして留めて、白いブラウスと黒いロングスカートとブーツ、通勤用バッグで仕事終わりに来たのはいいが、最近付き合っていた彼から夫となった──健吾に似合う物を選んでいたら、思いの外時間が掛かっていた。
ブブブッと、さっきから数分おきに、バッグの中に入っているスマホが着信を知らせるバイブがしているのに、それに応えたら、彼氏をびっくりさせようとプレゼントを選んでいる事がバレてしまう。
──最初のプレゼントはサプライズしたかったけど…
早く決めたいと思っているのに、普段からオシャレな夫に似合う物なんてたくさんあって、優柔不断な私がアレもコレもいいと目移りしてしまう。
スマホで事前に調べればいいと思っていたが、結婚してからスマホはお互い手に取ったりして見ていたりするから、検索でバレたらサプライズの意味がないと思っていた。
こんなに悩んでも埒が明かないから、また今度来ようと思っていたら、さっきまで舐めるように棚を見ていたのに、たまたま目に入った小物に目を奪われて私は思わずそれを手にしてレジに向かった。
***************
「おかえり、遅かったね」
重低音の声は、私の仕事の疲れなんて一瞬で無くしてしまう魔法だ。
「ただいま、ごめんちょっとスーパーに寄っていたの」
と言って、キッチンのシンク横に、さっきスーパーで急いで買った食材の入ったエコバッグを置いた。
結婚して住み始めた家は、交通の便が良い一等地に立つ地上30階建のデザイナーズマンションだ。
23階の廊下を歩くと、大理石のネームプレートには、ローマ字で"芝田"とあり、私達以外の住人がいない23階は専用のフロアで、専用のカード型のキーとエレベーターじゃないとこの階に止まらない。5帖ほどの広さの玄関、そのまま廊下を歩いて、リビングのドアを開くと、30帖の広いリビングと端から端一面の窓ガラスが外の夜景を映し出すのだ。
ドアを背にして右側には、10人は座れそうな黒の本革のL字のソファーに、ガラスのテーブル、70型の壁掛けTVと向かい合っている。
左側は、両端のどちら側からも出られるアイランド式というタイプで、流しの横にIHコンロが嵌め込まれ1枚の大きな黒大理石のカウンター付きで、目の前に仕切りが一切ないセミフロートの対面キッチンだ。仕切りがないので、コンロの前でも食事が出来る造りになっている。それに料理をしながらリビングで健吾と話すこともできる仕様となっている。
キッチンの前にある2人が使用する椅子も黒で、ガラスのテーブルだ。全体的に黒で統一してる部屋のインテリアは、高級感漂っていて結婚してもうすぐひと月だが、いまだに慣れない。まぁ、付き合った時から住んでいるようなものだけど、あの時はお試しだったから健吾との生活のリズムを重きにして他を見る余裕があんまりなかったのだ。
リビングを出てすぐ右の部屋に入ると、まだ結婚していない時に彼が私の部屋にしていいよとくれた部屋があって、真っ白で大きな化粧台や大きなウォークインクローゼットには服や下着、バッグなど今も並んでいる。結婚してこのマンションに引っ越したから整理をしないといけないくらい、私の荷物はまだ段ボールに入っている。
──ても、結婚前はお試し同棲していたから、ある程度使うものはあるから今更出さなくてもいいけどね
結婚する前はここから会社に通っていたし、最低限は揃えていたから無理に段ボールから出すことはない。
「言ってくれたら迎えに行ったのに」
「そんなの悪いよ、それにスーパーは近いから」
キッチンの作業スペースで買ってきた商品をエコバッグから出している私の背後に回って、健吾は私を抱きしめた。
──あっ、やばいかも
耳元で囁かれ、身体の力が抜けそうになり、己を叱咤する。彼の声は低くて腰にくる。料理をしないといけないのに、彼の身体に体を預けてしまいそうになる。
「健吾さ…料理」
「それは後で、最初は瑠璃から」
我慢しようにも彼は私の耳朶を甘噛みしてくるから、私は諦めて彼に夕飯の準備をしないといけないと素直に伝えたのに、彼はそんなの必要ないと、私の手を取ると私の腰に手を添えて2人の眠る寝室へと歩き始めた。
***************
「健吾さんっ!見て」
「ははっ、そんな急がなくても景色は逃げないよ」
はしゃぐ私に健吾は笑いながら、私のあとからやってきた。
今日私達は新婚旅行の予行練習と称して、2泊3日の温泉旅行にやってきた。社員旅行で深い仲になったのもあって、温泉が好きになったから、海外のリゾート地の候補もあったけど、私は迷わず国内有数の温泉街を選んだ。
いくつか候補は出たけど、移動時間に旅行の時間を割きたくないから、車で片道2時間の近場を選んだ。
健吾はあまりにも近くて新婚旅行の予行練習って感じじゃないから、海外に行こう、とも言ってくれたが、私はその分彼と2人きりになれる時間の長い方を選んだ。
断崖絶壁に沿って建てられたホテルが連なる宿、窓から見える向かいはどこかのホテルで、下は川が流れていた。健吾さんなら小さな温泉付きの部屋をとるかと思っていたが、今回はベランダには出る事が出来ない。和室の部屋には大きな窓のそばにあるソファーとテーブルで、窓は少しだけ開閉出来て外を見る事ができるだけだ。一間だけのこじんまりした部屋には大きな長机があり床に座椅子がある。寝る時には長机は仕舞われ、布団が敷かれるだろう。
「ここは有名な源泉の掛け流しがあるからあとで行こう、貸切にしたから」
「…ん、分かった」
「分かったなら、ほらそろそろ構ってくれ」
私が部屋を見て回っていたから、健吾は降参だと言わんばかりに私を呼び寄せた。座椅子にいる彼のそばに行くと、私は彼の足の間に座った。
「夕飯は部屋で食べるとして、どうする?観光するか?」
「んー」
背後から抱きしめられ、このままここでゆっくりしたい気持ちが出てくる。
──不思議…来る前はあちこち見たいと思っていたのに
この地に来るとわかってから、ネットで観光スポットの情報を探したりしていたのに、一度宿に入るともう出たくないとさえ思ってしまう。
「観光は明日にして今日はゆっくりしようか」
私の心を読んだかのように健吾が私にそう囁くと、私は異論はなかったために、こくんと頷いた。
「貸切の温泉は最上階にあるから行こうか、予約は17時半からとっているから」
しばらく他愛のない話をして、ゆっくり過ごしていたのだが、17時になると健吾に言われて温泉に入る準備を始めた。
シャンプーもボディーソープもきっと貸切浴場にあるだろうと、部屋に備え付けてあるタオルと浴衣だけを、これもホテルの布袋に入れた。
「広いね」
ホテルの最上階にある貸切と書かれた札が掛けてある引戸を健吾が開けると、6畳ほどの小部屋に入った。脱衣所の小部屋は脱いだ洋服を置けるカゴ、ドライヤーとアメニティの袋に入ったくしや綿棒などのお風呂上がりに必要なものが部屋の隅にあるテーブルの上に置いてあった。床にはスノコが置いてあり、出入口とは正反対にあるのは、全面ガラス張りの窓と外に出られる扉があった。窓の外は大人数で入れるくらい大きな楕円形の温泉の湯が湯気を出しながら張り、大きな石が温泉の縁を囲っていた。その横には2人くらいしか入れない、正方形の形をした檜の風呂があった。
「瑠璃」
「ん?…あっ」
温泉から見える外の景色は綺麗だろうと見ていたら、健吾に呼ばれて振り返った。すると健吾は私の腰に腕を回しながら、私の口を塞いだ。舌の絡まるキスに夢中になっていると、健吾の手が私の服を脱がせ始めた。床に落とすかと思っていたが、律儀に脱衣カゴの方に投げる。彼が持っていた浴衣とバスタオルが入っていた布袋は、いつのまにかカゴの中に入っていた。
「待って健吾さん、タオル」
「2人しかいないから誰も見てないよ」
健吾は私の服を脱がすと、自分の服もパッと脱いでしまい、私の手を引いてお風呂へと繋がる扉に向かう。私は全裸が少し恥ずかしくなってタオルと言うが、彼は気にしていないみたいだった。
何度もお互いの身体は見たし、今更恥ずかしがることはないんだけど、やっぱりまだ少しだけ照れちゃうのはしょうがない。
露天風呂に入る前に彼は身体をざっと洗い、私は髪をまとめて結んでお団子にして彼にならった。
「瑠璃、先に入っていて」
「うん」
身体を洗い終わる頃には、恥ずかしい気持ちもだいぶ薄れた。濡れた大理石の敷いてる床を歩いて、外の景色が一望出来る1番大きな露天風呂に向かった。
露天風呂の源泉掛け流しの中は段差になっていて、私はそこに座っていると、最初は熱いと思っていた温泉の温度も心地良い温度となって全身の力が抜けていく。
「気持ちいいか?」
「…うん、すごい気持ちいい」
目を閉じていたら湯が大きく揺れて身体に当たり、右隣から健吾さんの声が聞こえた。目を開けて彼を見ると、私の横に座って肩に源泉を自分の肩に掛けていた。
「気持ちいいな」
彼も目を細めてそう言うと、私は彼の肩に身体を近づけて頭を乗せた。健吾さんは私の肩に腕を回すと、私の頭に口をつけて軽くキスをする。
「久しぶりにゆっくりするな」
「うん…そうだね」
休日はどこかへ出かけたり一日中家にいたりするが、平日は仕事が終われば同棲している家に帰ってきて一緒にいる。でもこうしてゆったりと過ぎる時間の中での大きい露天風呂は社員旅行以来だから、付き合ってから彼とずっといるのにまた違う満たされた感情が溢れてくる。
私の肩に置かれた彼の手が離れて湯を掬うと、私の肩に源泉を掛け始めた。
──夢みたい…本当に
目の前に広がる湯気の立ちながら見る景色は情緒に溢れ、私は感動をしていた。
彼氏と別れた直後は、もう恋はこりごり!一人きりで生きていく、と、そう思っていた時もあったのに今は結婚をしているから人生何があるか本当にわからないとつくづく思う。
「瑠璃」
健吾はまた私の名前を呼ぶと、私は見ていた露天風呂の景色から彼の方へと視線を向けた。
「そろそろ行こうか…瑠璃が俺以外を見ているのは耐えられないみたいだ」
例え景色でもと、嫉妬を滲ませる声色を出した彼の提案で、私たちは露天風呂から出た。
時間にすると1時間くらい露天風呂にいたけど、貸切の時間を考えたらちょっと長めに入れたのかもしれない。
ホテルの浴衣に着替えて部屋に帰ると、食事が用意されていて私達は夕飯を食べた。しばらくするとホテルの人が数人部屋に入ってきて、食べ終わったお皿が下げられた後、お布団を敷き始めた。
全ての準備が終わると、私と健吾だけになり
「瑠璃」
「はい」
彼に呼ばれて私は、彼との熱い一夜が始まるのを感じた。
***************
「こんなところにまで呼び出される俺の身にもなれ」
ホテルのロビーにある待ち合わせや受付を待つ間にゆっくりできるスペースに、幾つかあるソファーとローテーブルの一つに踏ん反り返って座る男が、俺の姿を見るとため息ひとつ吐いてそう言った。日付が変わったばかりのロビーは節電のため薄暗くなっていた。
「悪いな」
「思ってないくせに」
悪いとも思っていなかったが、社会人として口から出た上辺の言葉は、感情がなく淡々とした口調だから、相手も勘づいたのか苦笑した。男の対面にあるソファーに座ると、男は座り直した。
「まぁ、いいや…言われていた調査報告書だ」
リュックから取り出した100ページほどの製本された冊子を渡された。
「…ふむ、最近の言動はプレゼントを買うためだったのか」
2週間前からソワソワしていた妻──瑠璃は、スマホを見る時間が増え、いつもより少しだけ…ほんの数十分だが帰宅時間が遅くなった。それを心配した俺は、目の前にいる男に調査を頼んだ。
「…ったく、妹のやつもアホだな」
俺の妻を馴れ馴れしく下の名で呼ぶのは、誰でも絶対に許せない。だが、男を咎める訳でもなく、男に視線を向けるに留めたのは目の前の男が彼女の兄だからだ。
「……可愛いよ、俺のために」
似合うと思ってと頬を染めて言いながら、瑠璃が俺にプレゼントを渡してきたほんの3時間前の出来事を思い出して、顔が緩むのを止められない。
プレゼントを渡された時に、ここ数日、いや2週間の彼女の謎の行動の答えが分かった。彼女が浮気はしているとは思えなかったが、何かを隠していると感じ取った俺は彼女の行動を知りたかったので、彼女の兄、探偵事務所に勤める男に調査を頼んだ。
調査報告書にあるのは、瑠璃が会社を出てから家に帰るまでの数十分もない10日分の記録だ。
「調査費はあとで会社に送ってくれ」
ぱらぱらと冊子を捲って、あとでじっくり見ようと俺はソファーから立ち上がると、兄に向かってそう告げて、兄の返事を待たずに背中を向けて愛おしい妻の眠る部屋へと向かう。
「わーったよ、個人宛だろ?」
「そうだ、ご苦労だった」
背後から聞こえた兄の問いかけに、簡潔に答えた後、俺はもう瑠璃のことしか考えられなくなった。
もう瑠璃も住んでいる家に、兄の探偵事務所の請求書なんて届いたら、瑠璃はきっと何事かと驚いてしまうだろう。そうすると、俺が彼女にしている事がバレてしまう。
それだけはどうしても避けたかった。
──彼女の前ではまだ、余裕のある大人の男性でいたいからな
少しばかり求めすぎてしまう時の方が多いが、瑠璃はまだ付き合い始めたばかりだからだと思っている。
──そんなわけないのに
彼女と出会ってから変わった俺の人生。今は片思いの期間が長いけど、両思いになった今、彼女に幻滅する事などこの先一生ないと胸を張って言える。
彼女の不審な動きに耐えきれなくて、突然提案した新婚旅行。調査結果を知らせてもらうまでは、24時間彼女と俺だけで過ごしたくて、空いている宿を急遽取ったが、まさかプレゼントをもらえるなんて夢にも思わなかった。
「まったく、瑠璃はいったい」
──俺をどれだけ溺れさせれば気の済むのか
最後の言葉は心の中にしまい込んだ。
やはり新婚旅行はリゾート地に行こう。ここは名湯と呼ばれる旅館だが、出来たら部屋から一歩も出ない部屋で、お風呂も絶景も、料理も堪能出来るところに行きたい。
部屋に着く頃には俺の心は決まり、すでに頭の中で幾つかの候補地をピックアップしていた。
──でも、その前に
まだ新婚旅行は終わっていないから、今を楽しもう。
部屋に入って、すやすやと眠る妻を確認して、満たされた気持ちとなる。
自分の鞄の底に調査報告書をしまい、音を立てずに彼女の寝ているベッドの中に入ると、俺は瑠璃を抱きしめた。
「んっ」
暖かい布団の中で、ロビーまで降りて冷えた身体の俺に抱きしめられて、声を漏らす瑠璃だったが、目は閉じたままだった。
「おやすみ、瑠璃」
俺の声を聞いて安心したのか、俺の身体に腕を回した彼女はそのまま眠り続けた。
──まだ、始まったばかりだ
俺と瑠璃の関係は…そう始まったばかりだと、自分に言い聞かせて、俺もそっと瞼を閉じた。
「どっちがいいかな」
私瑠璃は、デパートにある男性高級ブランド店の中にある、仕事に使うネクタイと小物が置いてあるコーナーで悩んでいた。
肩の長さまでの艶のある黒い髪を白のリボンが付いたバレットで一つにして留めて、白いブラウスと黒いロングスカートとブーツ、通勤用バッグで仕事終わりに来たのはいいが、最近付き合っていた彼から夫となった──健吾に似合う物を選んでいたら、思いの外時間が掛かっていた。
ブブブッと、さっきから数分おきに、バッグの中に入っているスマホが着信を知らせるバイブがしているのに、それに応えたら、彼氏をびっくりさせようとプレゼントを選んでいる事がバレてしまう。
──最初のプレゼントはサプライズしたかったけど…
早く決めたいと思っているのに、普段からオシャレな夫に似合う物なんてたくさんあって、優柔不断な私がアレもコレもいいと目移りしてしまう。
スマホで事前に調べればいいと思っていたが、結婚してからスマホはお互い手に取ったりして見ていたりするから、検索でバレたらサプライズの意味がないと思っていた。
こんなに悩んでも埒が明かないから、また今度来ようと思っていたら、さっきまで舐めるように棚を見ていたのに、たまたま目に入った小物に目を奪われて私は思わずそれを手にしてレジに向かった。
***************
「おかえり、遅かったね」
重低音の声は、私の仕事の疲れなんて一瞬で無くしてしまう魔法だ。
「ただいま、ごめんちょっとスーパーに寄っていたの」
と言って、キッチンのシンク横に、さっきスーパーで急いで買った食材の入ったエコバッグを置いた。
結婚して住み始めた家は、交通の便が良い一等地に立つ地上30階建のデザイナーズマンションだ。
23階の廊下を歩くと、大理石のネームプレートには、ローマ字で"芝田"とあり、私達以外の住人がいない23階は専用のフロアで、専用のカード型のキーとエレベーターじゃないとこの階に止まらない。5帖ほどの広さの玄関、そのまま廊下を歩いて、リビングのドアを開くと、30帖の広いリビングと端から端一面の窓ガラスが外の夜景を映し出すのだ。
ドアを背にして右側には、10人は座れそうな黒の本革のL字のソファーに、ガラスのテーブル、70型の壁掛けTVと向かい合っている。
左側は、両端のどちら側からも出られるアイランド式というタイプで、流しの横にIHコンロが嵌め込まれ1枚の大きな黒大理石のカウンター付きで、目の前に仕切りが一切ないセミフロートの対面キッチンだ。仕切りがないので、コンロの前でも食事が出来る造りになっている。それに料理をしながらリビングで健吾と話すこともできる仕様となっている。
キッチンの前にある2人が使用する椅子も黒で、ガラスのテーブルだ。全体的に黒で統一してる部屋のインテリアは、高級感漂っていて結婚してもうすぐひと月だが、いまだに慣れない。まぁ、付き合った時から住んでいるようなものだけど、あの時はお試しだったから健吾との生活のリズムを重きにして他を見る余裕があんまりなかったのだ。
リビングを出てすぐ右の部屋に入ると、まだ結婚していない時に彼が私の部屋にしていいよとくれた部屋があって、真っ白で大きな化粧台や大きなウォークインクローゼットには服や下着、バッグなど今も並んでいる。結婚してこのマンションに引っ越したから整理をしないといけないくらい、私の荷物はまだ段ボールに入っている。
──ても、結婚前はお試し同棲していたから、ある程度使うものはあるから今更出さなくてもいいけどね
結婚する前はここから会社に通っていたし、最低限は揃えていたから無理に段ボールから出すことはない。
「言ってくれたら迎えに行ったのに」
「そんなの悪いよ、それにスーパーは近いから」
キッチンの作業スペースで買ってきた商品をエコバッグから出している私の背後に回って、健吾は私を抱きしめた。
──あっ、やばいかも
耳元で囁かれ、身体の力が抜けそうになり、己を叱咤する。彼の声は低くて腰にくる。料理をしないといけないのに、彼の身体に体を預けてしまいそうになる。
「健吾さ…料理」
「それは後で、最初は瑠璃から」
我慢しようにも彼は私の耳朶を甘噛みしてくるから、私は諦めて彼に夕飯の準備をしないといけないと素直に伝えたのに、彼はそんなの必要ないと、私の手を取ると私の腰に手を添えて2人の眠る寝室へと歩き始めた。
***************
「健吾さんっ!見て」
「ははっ、そんな急がなくても景色は逃げないよ」
はしゃぐ私に健吾は笑いながら、私のあとからやってきた。
今日私達は新婚旅行の予行練習と称して、2泊3日の温泉旅行にやってきた。社員旅行で深い仲になったのもあって、温泉が好きになったから、海外のリゾート地の候補もあったけど、私は迷わず国内有数の温泉街を選んだ。
いくつか候補は出たけど、移動時間に旅行の時間を割きたくないから、車で片道2時間の近場を選んだ。
健吾はあまりにも近くて新婚旅行の予行練習って感じじゃないから、海外に行こう、とも言ってくれたが、私はその分彼と2人きりになれる時間の長い方を選んだ。
断崖絶壁に沿って建てられたホテルが連なる宿、窓から見える向かいはどこかのホテルで、下は川が流れていた。健吾さんなら小さな温泉付きの部屋をとるかと思っていたが、今回はベランダには出る事が出来ない。和室の部屋には大きな窓のそばにあるソファーとテーブルで、窓は少しだけ開閉出来て外を見る事ができるだけだ。一間だけのこじんまりした部屋には大きな長机があり床に座椅子がある。寝る時には長机は仕舞われ、布団が敷かれるだろう。
「ここは有名な源泉の掛け流しがあるからあとで行こう、貸切にしたから」
「…ん、分かった」
「分かったなら、ほらそろそろ構ってくれ」
私が部屋を見て回っていたから、健吾は降参だと言わんばかりに私を呼び寄せた。座椅子にいる彼のそばに行くと、私は彼の足の間に座った。
「夕飯は部屋で食べるとして、どうする?観光するか?」
「んー」
背後から抱きしめられ、このままここでゆっくりしたい気持ちが出てくる。
──不思議…来る前はあちこち見たいと思っていたのに
この地に来るとわかってから、ネットで観光スポットの情報を探したりしていたのに、一度宿に入るともう出たくないとさえ思ってしまう。
「観光は明日にして今日はゆっくりしようか」
私の心を読んだかのように健吾が私にそう囁くと、私は異論はなかったために、こくんと頷いた。
「貸切の温泉は最上階にあるから行こうか、予約は17時半からとっているから」
しばらく他愛のない話をして、ゆっくり過ごしていたのだが、17時になると健吾に言われて温泉に入る準備を始めた。
シャンプーもボディーソープもきっと貸切浴場にあるだろうと、部屋に備え付けてあるタオルと浴衣だけを、これもホテルの布袋に入れた。
「広いね」
ホテルの最上階にある貸切と書かれた札が掛けてある引戸を健吾が開けると、6畳ほどの小部屋に入った。脱衣所の小部屋は脱いだ洋服を置けるカゴ、ドライヤーとアメニティの袋に入ったくしや綿棒などのお風呂上がりに必要なものが部屋の隅にあるテーブルの上に置いてあった。床にはスノコが置いてあり、出入口とは正反対にあるのは、全面ガラス張りの窓と外に出られる扉があった。窓の外は大人数で入れるくらい大きな楕円形の温泉の湯が湯気を出しながら張り、大きな石が温泉の縁を囲っていた。その横には2人くらいしか入れない、正方形の形をした檜の風呂があった。
「瑠璃」
「ん?…あっ」
温泉から見える外の景色は綺麗だろうと見ていたら、健吾に呼ばれて振り返った。すると健吾は私の腰に腕を回しながら、私の口を塞いだ。舌の絡まるキスに夢中になっていると、健吾の手が私の服を脱がせ始めた。床に落とすかと思っていたが、律儀に脱衣カゴの方に投げる。彼が持っていた浴衣とバスタオルが入っていた布袋は、いつのまにかカゴの中に入っていた。
「待って健吾さん、タオル」
「2人しかいないから誰も見てないよ」
健吾は私の服を脱がすと、自分の服もパッと脱いでしまい、私の手を引いてお風呂へと繋がる扉に向かう。私は全裸が少し恥ずかしくなってタオルと言うが、彼は気にしていないみたいだった。
何度もお互いの身体は見たし、今更恥ずかしがることはないんだけど、やっぱりまだ少しだけ照れちゃうのはしょうがない。
露天風呂に入る前に彼は身体をざっと洗い、私は髪をまとめて結んでお団子にして彼にならった。
「瑠璃、先に入っていて」
「うん」
身体を洗い終わる頃には、恥ずかしい気持ちもだいぶ薄れた。濡れた大理石の敷いてる床を歩いて、外の景色が一望出来る1番大きな露天風呂に向かった。
露天風呂の源泉掛け流しの中は段差になっていて、私はそこに座っていると、最初は熱いと思っていた温泉の温度も心地良い温度となって全身の力が抜けていく。
「気持ちいいか?」
「…うん、すごい気持ちいい」
目を閉じていたら湯が大きく揺れて身体に当たり、右隣から健吾さんの声が聞こえた。目を開けて彼を見ると、私の横に座って肩に源泉を自分の肩に掛けていた。
「気持ちいいな」
彼も目を細めてそう言うと、私は彼の肩に身体を近づけて頭を乗せた。健吾さんは私の肩に腕を回すと、私の頭に口をつけて軽くキスをする。
「久しぶりにゆっくりするな」
「うん…そうだね」
休日はどこかへ出かけたり一日中家にいたりするが、平日は仕事が終われば同棲している家に帰ってきて一緒にいる。でもこうしてゆったりと過ぎる時間の中での大きい露天風呂は社員旅行以来だから、付き合ってから彼とずっといるのにまた違う満たされた感情が溢れてくる。
私の肩に置かれた彼の手が離れて湯を掬うと、私の肩に源泉を掛け始めた。
──夢みたい…本当に
目の前に広がる湯気の立ちながら見る景色は情緒に溢れ、私は感動をしていた。
彼氏と別れた直後は、もう恋はこりごり!一人きりで生きていく、と、そう思っていた時もあったのに今は結婚をしているから人生何があるか本当にわからないとつくづく思う。
「瑠璃」
健吾はまた私の名前を呼ぶと、私は見ていた露天風呂の景色から彼の方へと視線を向けた。
「そろそろ行こうか…瑠璃が俺以外を見ているのは耐えられないみたいだ」
例え景色でもと、嫉妬を滲ませる声色を出した彼の提案で、私たちは露天風呂から出た。
時間にすると1時間くらい露天風呂にいたけど、貸切の時間を考えたらちょっと長めに入れたのかもしれない。
ホテルの浴衣に着替えて部屋に帰ると、食事が用意されていて私達は夕飯を食べた。しばらくするとホテルの人が数人部屋に入ってきて、食べ終わったお皿が下げられた後、お布団を敷き始めた。
全ての準備が終わると、私と健吾だけになり
「瑠璃」
「はい」
彼に呼ばれて私は、彼との熱い一夜が始まるのを感じた。
***************
「こんなところにまで呼び出される俺の身にもなれ」
ホテルのロビーにある待ち合わせや受付を待つ間にゆっくりできるスペースに、幾つかあるソファーとローテーブルの一つに踏ん反り返って座る男が、俺の姿を見るとため息ひとつ吐いてそう言った。日付が変わったばかりのロビーは節電のため薄暗くなっていた。
「悪いな」
「思ってないくせに」
悪いとも思っていなかったが、社会人として口から出た上辺の言葉は、感情がなく淡々とした口調だから、相手も勘づいたのか苦笑した。男の対面にあるソファーに座ると、男は座り直した。
「まぁ、いいや…言われていた調査報告書だ」
リュックから取り出した100ページほどの製本された冊子を渡された。
「…ふむ、最近の言動はプレゼントを買うためだったのか」
2週間前からソワソワしていた妻──瑠璃は、スマホを見る時間が増え、いつもより少しだけ…ほんの数十分だが帰宅時間が遅くなった。それを心配した俺は、目の前にいる男に調査を頼んだ。
「…ったく、妹のやつもアホだな」
俺の妻を馴れ馴れしく下の名で呼ぶのは、誰でも絶対に許せない。だが、男を咎める訳でもなく、男に視線を向けるに留めたのは目の前の男が彼女の兄だからだ。
「……可愛いよ、俺のために」
似合うと思ってと頬を染めて言いながら、瑠璃が俺にプレゼントを渡してきたほんの3時間前の出来事を思い出して、顔が緩むのを止められない。
プレゼントを渡された時に、ここ数日、いや2週間の彼女の謎の行動の答えが分かった。彼女が浮気はしているとは思えなかったが、何かを隠していると感じ取った俺は彼女の行動を知りたかったので、彼女の兄、探偵事務所に勤める男に調査を頼んだ。
調査報告書にあるのは、瑠璃が会社を出てから家に帰るまでの数十分もない10日分の記録だ。
「調査費はあとで会社に送ってくれ」
ぱらぱらと冊子を捲って、あとでじっくり見ようと俺はソファーから立ち上がると、兄に向かってそう告げて、兄の返事を待たずに背中を向けて愛おしい妻の眠る部屋へと向かう。
「わーったよ、個人宛だろ?」
「そうだ、ご苦労だった」
背後から聞こえた兄の問いかけに、簡潔に答えた後、俺はもう瑠璃のことしか考えられなくなった。
もう瑠璃も住んでいる家に、兄の探偵事務所の請求書なんて届いたら、瑠璃はきっと何事かと驚いてしまうだろう。そうすると、俺が彼女にしている事がバレてしまう。
それだけはどうしても避けたかった。
──彼女の前ではまだ、余裕のある大人の男性でいたいからな
少しばかり求めすぎてしまう時の方が多いが、瑠璃はまだ付き合い始めたばかりだからだと思っている。
──そんなわけないのに
彼女と出会ってから変わった俺の人生。今は片思いの期間が長いけど、両思いになった今、彼女に幻滅する事などこの先一生ないと胸を張って言える。
彼女の不審な動きに耐えきれなくて、突然提案した新婚旅行。調査結果を知らせてもらうまでは、24時間彼女と俺だけで過ごしたくて、空いている宿を急遽取ったが、まさかプレゼントをもらえるなんて夢にも思わなかった。
「まったく、瑠璃はいったい」
──俺をどれだけ溺れさせれば気の済むのか
最後の言葉は心の中にしまい込んだ。
やはり新婚旅行はリゾート地に行こう。ここは名湯と呼ばれる旅館だが、出来たら部屋から一歩も出ない部屋で、お風呂も絶景も、料理も堪能出来るところに行きたい。
部屋に着く頃には俺の心は決まり、すでに頭の中で幾つかの候補地をピックアップしていた。
──でも、その前に
まだ新婚旅行は終わっていないから、今を楽しもう。
部屋に入って、すやすやと眠る妻を確認して、満たされた気持ちとなる。
自分の鞄の底に調査報告書をしまい、音を立てずに彼女の寝ているベッドの中に入ると、俺は瑠璃を抱きしめた。
「んっ」
暖かい布団の中で、ロビーまで降りて冷えた身体の俺に抱きしめられて、声を漏らす瑠璃だったが、目は閉じたままだった。
「おやすみ、瑠璃」
俺の声を聞いて安心したのか、俺の身体に腕を回した彼女はそのまま眠り続けた。
──まだ、始まったばかりだ
俺と瑠璃の関係は…そう始まったばかりだと、自分に言い聞かせて、俺もそっと瞼を閉じた。
74
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
禁断溺愛
流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。
体育館倉庫での秘密の恋
狭山雪菜
恋愛
真城香苗は、23歳の新入の国語教諭。
赴任した高校で、生活指導もやっている体育教師の坂下夏樹先生と、恋仲になって…
こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載されてます。
兄の親友が彼氏になって、ただいちゃいちゃするだけの話
狭山雪菜
恋愛
篠田青葉はひょんなきっかけで、1コ上の兄の親友と付き合う事となった。
そんな2人のただただいちゃいちゃしているだけのお話です。
この作品は、「小説家になろう」にも掲載しています。
オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない
若松だんご
恋愛
――俺には、将来を誓った相手がいるんです。
お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。
――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。
ほげええっ!?
ちょっ、ちょっと待ってください、課長!
あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?
課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。
――俺のところに来い。
オオカミ課長に、強引に同居させられた。
――この方が、恋人らしいだろ。
うん。そうなんだけど。そうなんですけど。
気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。
イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。
(仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???
すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。
パーキングエリアに置いていかれたマシュマロボディの彼女は、運ちゃんに拾われた話
狭山雪菜
恋愛
詩央里は彼氏と1泊2日の旅行に行くハズがくだらないケンカをしたために、パーキングエリアに置き去りにされてしまった。
パーキングエリアのフードコートで、どうするか悩んでいたら、運送会社の浩二に途中の出口に下ろすと言われ、連れて行ってもらう事にした。
しかし、2人で話していく内に趣味や彼に惹かれていって…
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる