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5.二度目のお役目
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ラルスは再びフィンの服を借り、伯爵令息を装って、アルバートの待つ城へと向かった。この前と同じ流れで湯浴みをして、シルクのローブを身にまとい、侍女のミンシアの案内でアルバートの部屋へ向かう。
部屋に入ると、今回はすでにアルバートが待っていた。
アルバートは、「そこに座っていろ」とラルスをソファーに座るよう促してから、ミンシアへと近づいていく。
「ミンシア。このことはくれぐれも内密に」
アルバートがキラリと光る宝石をいくつかミンシアに手渡している。きっとあれは口止め料なのだろう。
「殿下、私にはこのような気遣いは無用です」
「いいから受け取れ。お前は欲がなさすぎる。いざというときのために少しくらい持っていろ」
「いいえ。私は殿下のためならなんでもいたします」
「その気持ちはとても嬉しいが、自分の幸せも考えなさい。さぁ、受け取れ。これは口止め料だよ」
ミンシアは一考したあと、「ありがとうございます」とアルバートから宝石を受け取った。
ミンシアを部屋から返したあと、アルバートはゆっくりとラルスのもとに近づいてくる。
「今宵は少し話をしようか」
アルバートはソファーにかけてあった羊毛の毛布をラルスの肩にかける。そのあと目の前に甘いお菓子を並べ、自らの手でお茶を淹れてくれた。
ラルスはすっかり困惑している。だってラルスは閨の練習相手だ。ただ顔も見ず、抱くだけでもいいのになぜアルバートはこんなことをするのだろう。
「フィン。少しだけ昔話をしてもよいか?」
「えっ? あ、はいっ……」
昔話とはなんのことだろう。ただ、これは困ったことになった。
アルバートとフィンのあいだに思い出があったとしても、それをラルスが知るはずもない。そんな話もフィンからまったく聞いていない。
最悪の場合、ラルスがフィンではないとアルバートに気づかれてしまう。そんなことになったら罰せられるのはラルスだけじゃない。フィンまで罪を問われてしまう。
そんな状況だけは避けなければならない。フィンになりきらなければ。
「湯上がりで喉が乾いているだろう? お茶は要らぬか?」
「あっ、はいっ! いっ、いただきますっ!」
アルバートが淹れてくれたお茶を飲まないなんてそんなことはできない。ラルスは慌てて目の前に置かれたティーカップに手をつけた。
「あちっ!」
ティーカップの周りが熱くて耐えきれず、思わずガチャン!とカップをテーブルに激しく戻してしまった。
ラルスはティーカップを使ってお茶を飲んだことがない。作法がわからない。
「下にソーサーがついているだろう? テーブルが低く、自分と距離があるときは長い時間カップを持つことになるから、ソーサーとともに持ち上げるのがよい。カップは基本取っ手を持つ。そうすれば熱くない」
「す、すみません、そうですよね。緊張で作法を間違えてしまいました」
まさか知らなかったとは言えないので、ラルスは咄嗟に緊張のため間違えたことにする。
「そうだな。知らぬわけがなかったな。余計なことを言った」
アルバートは特段気にしている様子はない。楽しそうに笑っている。
よかった。目の前にいるのはただの平民だと気がついていない様子だ。
それからアルバートはお菓子とお茶をラルスに勧めながら、いろんな話をしてくれた。イタズラをして怒られた話、ひとりで城を抜け出し庶民に扮した話。アルバートは意外にも気さくな性格なのだと知った。
「私は昔、馬に乗れなかったのだ」
「殿下がですかっ?」
信じられない。アルバートのバース性はアルファだ。アルファは他のどのバース性よりも優れていて、なんでもできると言われている。そんなアルバートが、馬に乗れない……?
「ああ。その昔、馬に振り落とされたことがあり、それ以来馬の背中に乗ることが怖くなってしまってな」
「そのようなことがあったのですね……」
アルバートだけじゃない。幼い頃から馬とともに生活してきたラルスは、馬と合わなくてそのような心の傷を抱える者を何人も知っている。
暴走した馬から振り落とされると命に関わる怪我をすることもあるのだ。ラルスは以前、そのような目に遭った男の子を馬の暴走を止めることで救ったことがある。あのときは周囲の大人たちに大いに感謝された。
「フィンは軍務伯の三男だから馬の扱いに長けているだろう? 人を見て、その人と相性が合う馬を選ぶことができると聞いた。そのような稀有な能力をどうして人にひけらかさないのだ?」
「それは……」
それをやっているのは、実はフィンではなくラルスだ。フィンの命令で、ラルスは相性の良さそうな馬を選んでいるのだが、周囲からそれはフィンの能力だと思われているらしい。
フィンは誠実な男だ。ラルスのおかげで褒められてもそれを我がもののように振る舞ったりしない。
だからフィンはそのことを人に自慢げに話したりしないのだろう。
「人も馬も、気性というものがあります。人は言葉が話せますし、会ってみれば自分に合う合わないを見極めることもできます。馬は人の言葉を話せませんが、毎日接していると感じるのです。言葉がなくとも馬の機嫌や気性を感じて、それを汲みとってあげることができるようになるのです。僕はその気持ちを代弁してお伝えしているだけで、特別なことは何もしておりません」
本当にそう思っている。厩係なら皆、馬の気持ちをある程度理解できるようになると思う。ラルスはそれが人よりほんの少し長けているだけだ。
「それが案外一筋縄ではいかないものなのだがな。だからフィンのもとに騎士たちが相談に来る。フィンに特別な褒美を与えたいくらいなのだが」
フィンが、王太子殿下であるアルバートから褒美をもらう。
それはラルスにとっても願ったりだ。
「それはとてもいいお考えです。フィンさま……ぼ、僕はオメガで、努力をしてもなかなか出世話が出てきません。殿下のお墨付きがもらえれば、周囲の見方も変わってくるかと思います」
危なかった。言い誤ってしまった。でもフィンさまと言ったのは小声だったしアルバートはそこに対して特段気にしている様子はないから大丈夫そうだ。
「そうだな。フィンはオメガだったな。だからさっきからこんなに芳しい匂いがするのだな」
「あっ……」
アルバートが毛布の上からラルスを抱きしめてきた。
アルバートに触れられると身体が熱くなる。顔も、耳まで真っ赤になってしまうので、それを悟られるのが恥ずかしくて、ラルスは毛布で耳を隠した。
部屋に入ると、今回はすでにアルバートが待っていた。
アルバートは、「そこに座っていろ」とラルスをソファーに座るよう促してから、ミンシアへと近づいていく。
「ミンシア。このことはくれぐれも内密に」
アルバートがキラリと光る宝石をいくつかミンシアに手渡している。きっとあれは口止め料なのだろう。
「殿下、私にはこのような気遣いは無用です」
「いいから受け取れ。お前は欲がなさすぎる。いざというときのために少しくらい持っていろ」
「いいえ。私は殿下のためならなんでもいたします」
「その気持ちはとても嬉しいが、自分の幸せも考えなさい。さぁ、受け取れ。これは口止め料だよ」
ミンシアは一考したあと、「ありがとうございます」とアルバートから宝石を受け取った。
ミンシアを部屋から返したあと、アルバートはゆっくりとラルスのもとに近づいてくる。
「今宵は少し話をしようか」
アルバートはソファーにかけてあった羊毛の毛布をラルスの肩にかける。そのあと目の前に甘いお菓子を並べ、自らの手でお茶を淹れてくれた。
ラルスはすっかり困惑している。だってラルスは閨の練習相手だ。ただ顔も見ず、抱くだけでもいいのになぜアルバートはこんなことをするのだろう。
「フィン。少しだけ昔話をしてもよいか?」
「えっ? あ、はいっ……」
昔話とはなんのことだろう。ただ、これは困ったことになった。
アルバートとフィンのあいだに思い出があったとしても、それをラルスが知るはずもない。そんな話もフィンからまったく聞いていない。
最悪の場合、ラルスがフィンではないとアルバートに気づかれてしまう。そんなことになったら罰せられるのはラルスだけじゃない。フィンまで罪を問われてしまう。
そんな状況だけは避けなければならない。フィンになりきらなければ。
「湯上がりで喉が乾いているだろう? お茶は要らぬか?」
「あっ、はいっ! いっ、いただきますっ!」
アルバートが淹れてくれたお茶を飲まないなんてそんなことはできない。ラルスは慌てて目の前に置かれたティーカップに手をつけた。
「あちっ!」
ティーカップの周りが熱くて耐えきれず、思わずガチャン!とカップをテーブルに激しく戻してしまった。
ラルスはティーカップを使ってお茶を飲んだことがない。作法がわからない。
「下にソーサーがついているだろう? テーブルが低く、自分と距離があるときは長い時間カップを持つことになるから、ソーサーとともに持ち上げるのがよい。カップは基本取っ手を持つ。そうすれば熱くない」
「す、すみません、そうですよね。緊張で作法を間違えてしまいました」
まさか知らなかったとは言えないので、ラルスは咄嗟に緊張のため間違えたことにする。
「そうだな。知らぬわけがなかったな。余計なことを言った」
アルバートは特段気にしている様子はない。楽しそうに笑っている。
よかった。目の前にいるのはただの平民だと気がついていない様子だ。
それからアルバートはお菓子とお茶をラルスに勧めながら、いろんな話をしてくれた。イタズラをして怒られた話、ひとりで城を抜け出し庶民に扮した話。アルバートは意外にも気さくな性格なのだと知った。
「私は昔、馬に乗れなかったのだ」
「殿下がですかっ?」
信じられない。アルバートのバース性はアルファだ。アルファは他のどのバース性よりも優れていて、なんでもできると言われている。そんなアルバートが、馬に乗れない……?
「ああ。その昔、馬に振り落とされたことがあり、それ以来馬の背中に乗ることが怖くなってしまってな」
「そのようなことがあったのですね……」
アルバートだけじゃない。幼い頃から馬とともに生活してきたラルスは、馬と合わなくてそのような心の傷を抱える者を何人も知っている。
暴走した馬から振り落とされると命に関わる怪我をすることもあるのだ。ラルスは以前、そのような目に遭った男の子を馬の暴走を止めることで救ったことがある。あのときは周囲の大人たちに大いに感謝された。
「フィンは軍務伯の三男だから馬の扱いに長けているだろう? 人を見て、その人と相性が合う馬を選ぶことができると聞いた。そのような稀有な能力をどうして人にひけらかさないのだ?」
「それは……」
それをやっているのは、実はフィンではなくラルスだ。フィンの命令で、ラルスは相性の良さそうな馬を選んでいるのだが、周囲からそれはフィンの能力だと思われているらしい。
フィンは誠実な男だ。ラルスのおかげで褒められてもそれを我がもののように振る舞ったりしない。
だからフィンはそのことを人に自慢げに話したりしないのだろう。
「人も馬も、気性というものがあります。人は言葉が話せますし、会ってみれば自分に合う合わないを見極めることもできます。馬は人の言葉を話せませんが、毎日接していると感じるのです。言葉がなくとも馬の機嫌や気性を感じて、それを汲みとってあげることができるようになるのです。僕はその気持ちを代弁してお伝えしているだけで、特別なことは何もしておりません」
本当にそう思っている。厩係なら皆、馬の気持ちをある程度理解できるようになると思う。ラルスはそれが人よりほんの少し長けているだけだ。
「それが案外一筋縄ではいかないものなのだがな。だからフィンのもとに騎士たちが相談に来る。フィンに特別な褒美を与えたいくらいなのだが」
フィンが、王太子殿下であるアルバートから褒美をもらう。
それはラルスにとっても願ったりだ。
「それはとてもいいお考えです。フィンさま……ぼ、僕はオメガで、努力をしてもなかなか出世話が出てきません。殿下のお墨付きがもらえれば、周囲の見方も変わってくるかと思います」
危なかった。言い誤ってしまった。でもフィンさまと言ったのは小声だったしアルバートはそこに対して特段気にしている様子はないから大丈夫そうだ。
「そうだな。フィンはオメガだったな。だからさっきからこんなに芳しい匂いがするのだな」
「あっ……」
アルバートが毛布の上からラルスを抱きしめてきた。
アルバートに触れられると身体が熱くなる。顔も、耳まで真っ赤になってしまうので、それを悟られるのが恥ずかしくて、ラルスは毛布で耳を隠した。
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