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13.番外編 『王太子妃の受難』
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ラルスが王太子妃になってひと月が過ぎた。
まだ日々の生活には慣れないが、なによりも隣にはアルバートがいる。
今も、城の馬小屋の掃除をしてきたあと、王族専用のティールームでアルバートとふたりソファーに腰かけてお茶をするという、なんともチグハグな生活を過ごしている。
「本当にすまない、ラルスひとりを行かせることになるとは」
「構いません。その場にはフィンもいますから、さみしくないですよ」
ラルスはなんとか笑顔を取り繕ってみせるが、本当は不安で仕方がない。
今度、ベルトルト侯爵家で戦いに勝利したことを祝う宴が行われるのだ。
ベルトルト家の今の当主は、マリク・ベルトルトだ。マリクは父親を亡くし、若くして爵位を継ぐことになった。
マリクは穏やかな性格ながら、緻密で大胆な戦略を考え出す軍師として定評がある。その実力を買って、軍務伯であるフィンの父親が遠征の総指揮官としてマリクを任命した。そしてマリクは見事に大勝利を収めて凱帰したのだ。
そのための祝宴がベルトルト家で行われるのだが、招待されたフィンは「ひとりじゃ不安だからついてきて」とラルスに泣きついてきた。
マリクはフィンの意中の人だ。
フィンはマリクから「一度会ってみたい」と手紙で言われて、その後ふたりで会ったらしい。
でも、緊張でうまく話せなくて、何を話したかもわからないまま終わってしまい、その後、ぱったりとマリクとの縁が切れてしまったらしい。
だからフィンは今回の祝宴でなんとかマリクとの縁を繋ぎたいと必死なのだ。
祝宴には軍務伯の父親も他の兄弟も、要所となる要塞の守備に行っているため不参加、そのためフィンはひとりぼっちだ。それでもベルトルト家に行きたい、でもひとりは不安、ラルスに声をかける、という流れでラルスが誘われた。
ラルスは「僕でよければ」と二つ返事をした。フィンの恋路を応援してあげたい、ただその気持ちで了承したのだが、それを聞いたアルバートが「パーティーは夫婦同伴で行くものだ」と一緒に行きたがったのだ。
ただ祝宴の日にちを告げると、その日は先祖を祀るための霊祭の日だという。直系の子孫にあたるアルバートはどうしても出席しなければならない。アルバートは残念そうに「一緒に行くことはできない」とラルスに謝ってきた。
「フィンとふたりでおいしいものを食べに行くと思えば、問題ないですよ」
ラルスはアルバートに笑ってみせる。本当は不安なくせに。
ラルスはパーティーに出席したことなどない。いったい中で何が行われているのか見たこともないのだ。
想像する限りだが、貴族たちが話をしながら、おいしい食事や酒を飲み交わす場所かなと思っている。きっとフィンの隣でにこにこ笑って過ごしていれば大丈夫だ。
「ラルスは祝宴のような場所は初めてだろう? フィンがいるとはいえ不安ではないのか?」
アルバートはラルスの顔を覗き込んでくる。その優しい瞳にクラッときて、思わず「はい、不安です。殿下と一緒がいいです」と本音を言ってしまいそうになるが、なんとかこらえた。
「殿下には大切な役割があります。僕はフィンの付き添いですし特別何をするということもないでしょう」
「そうだろうか……」
「殿下は少し心配性なのでは? この前も僕が城の外に買い物に出かけたとき、市場まで追いかけてきたではありませんか。殿下の言うことを聞いて護衛兵を連れて出かけたのに、『心配で他のことが手につかなかった』などとというから、皆が驚いていましたよ」
アルバートは過保護だと思う。王太子がいきなり城の外に飛び出してくるなんて聞いたことがない。
「あれは、ラルスを狙う輩がいると聞いて……ラルスは王太子妃になって日が浅いから無防備なのかもしれないが、世の中には自分の思いどおりにするために、人の命を奪ったり、誘拐して身代金を要求する奴もいるのだ。王太子妃になったせいでラルスが傷ついたらと思うと居ても立っても居られない」
アルバートは本気でそう思っているようだ。
でも、アルバートは大前提を忘れている。
「殿下。僕よりも殿下の身のほうが大切なのです。王太子妃の代わりはききますが、王家の血を引く殿下は他におりません。心配するあまりに王太子殿下が護衛もつけずに迎えにくるなど前代未聞ではありませんか?」
大切なのはアルバートの身だ。自分のことを差し置いて、ラルスを思い遣って何かあったらどうする気なのだろう。
「ラルスの代わりなどいるものか。この世のどこを探してもお前の代わりはいない。ラルスを失ったら私はひとりになる。それが怖くてたまらない」
アルバートはラルスを急に抱きしめてきた。
ここ王室専用ティールームには、周りにお世話係が何人も控えている。お茶が冷めていないか、菓子は足りているか、その他トラブルが起きたときのために、こちらの様子をさながら壁のようになって静かに伺っているのだ。
だから、アルバートに抱きつかれている様子を大勢に見られている。
「でっ、殿下っ、恥ずか……皆が見ていますっ……!」
「構わぬ。ラルスは正真正銘の王太子妃だ。このくらいは当然だ」
「えっ……!」
アルバートは幼いころから人に囲まれて過ごしてきたのだろうから、視線に慣れているのかもしれない。
でもラルスは違う。アルバートとふたりお茶を飲んでいるところを見られていることすら落ち着かないのに、抱きしめられるなんて!
「ラルス。愛している」
「…………っ!」
アルバートはラルスを抱きしめながら、さらりと言ってのける。それにラルスは耐えられない。
恥ずかしさのあまりに耳まで真っ赤になり、そんな顔を見られたくなくてアルバートの胸板に顔をうずめて隠れる。
その行動を、誤解されてしまった。
「ラルスに寄りかかられると、こんなに嬉しいものなのか」
ラルスは恥ずかしくて隠れただけなのに、アルバートはラルスがくっついてきたと盛大に勘違いしている。
しかもそれを喜んでしまっているから、今さら「違います!」とも言いにくい。
それに、アルバートの腕の中はすごくいい。
真っ赤になった顔も誰にも見られなくて済むし、あったかくていい匂いがする。
アルバートの優しい手つきが、ラルスのことをどれだけ大切にしてくれているかを伝えてくれる。「可愛い」と囁く溜め息まじりの声が、ここにいてもいいと実感させてくれる。
「殿下、あと少しだけこのままで……」
ラルスはそばにいるアルバート以外には聞こえないほどの声で囁く。するとアルバートはそれに応えて強く抱きしめてきた。
本当に、あと少しだけ。この火照った顔がまともになるまでのあいだ、アルバートに寄りかかることを許してもらいたい、そう思った。
まだ日々の生活には慣れないが、なによりも隣にはアルバートがいる。
今も、城の馬小屋の掃除をしてきたあと、王族専用のティールームでアルバートとふたりソファーに腰かけてお茶をするという、なんともチグハグな生活を過ごしている。
「本当にすまない、ラルスひとりを行かせることになるとは」
「構いません。その場にはフィンもいますから、さみしくないですよ」
ラルスはなんとか笑顔を取り繕ってみせるが、本当は不安で仕方がない。
今度、ベルトルト侯爵家で戦いに勝利したことを祝う宴が行われるのだ。
ベルトルト家の今の当主は、マリク・ベルトルトだ。マリクは父親を亡くし、若くして爵位を継ぐことになった。
マリクは穏やかな性格ながら、緻密で大胆な戦略を考え出す軍師として定評がある。その実力を買って、軍務伯であるフィンの父親が遠征の総指揮官としてマリクを任命した。そしてマリクは見事に大勝利を収めて凱帰したのだ。
そのための祝宴がベルトルト家で行われるのだが、招待されたフィンは「ひとりじゃ不安だからついてきて」とラルスに泣きついてきた。
マリクはフィンの意中の人だ。
フィンはマリクから「一度会ってみたい」と手紙で言われて、その後ふたりで会ったらしい。
でも、緊張でうまく話せなくて、何を話したかもわからないまま終わってしまい、その後、ぱったりとマリクとの縁が切れてしまったらしい。
だからフィンは今回の祝宴でなんとかマリクとの縁を繋ぎたいと必死なのだ。
祝宴には軍務伯の父親も他の兄弟も、要所となる要塞の守備に行っているため不参加、そのためフィンはひとりぼっちだ。それでもベルトルト家に行きたい、でもひとりは不安、ラルスに声をかける、という流れでラルスが誘われた。
ラルスは「僕でよければ」と二つ返事をした。フィンの恋路を応援してあげたい、ただその気持ちで了承したのだが、それを聞いたアルバートが「パーティーは夫婦同伴で行くものだ」と一緒に行きたがったのだ。
ただ祝宴の日にちを告げると、その日は先祖を祀るための霊祭の日だという。直系の子孫にあたるアルバートはどうしても出席しなければならない。アルバートは残念そうに「一緒に行くことはできない」とラルスに謝ってきた。
「フィンとふたりでおいしいものを食べに行くと思えば、問題ないですよ」
ラルスはアルバートに笑ってみせる。本当は不安なくせに。
ラルスはパーティーに出席したことなどない。いったい中で何が行われているのか見たこともないのだ。
想像する限りだが、貴族たちが話をしながら、おいしい食事や酒を飲み交わす場所かなと思っている。きっとフィンの隣でにこにこ笑って過ごしていれば大丈夫だ。
「ラルスは祝宴のような場所は初めてだろう? フィンがいるとはいえ不安ではないのか?」
アルバートはラルスの顔を覗き込んでくる。その優しい瞳にクラッときて、思わず「はい、不安です。殿下と一緒がいいです」と本音を言ってしまいそうになるが、なんとかこらえた。
「殿下には大切な役割があります。僕はフィンの付き添いですし特別何をするということもないでしょう」
「そうだろうか……」
「殿下は少し心配性なのでは? この前も僕が城の外に買い物に出かけたとき、市場まで追いかけてきたではありませんか。殿下の言うことを聞いて護衛兵を連れて出かけたのに、『心配で他のことが手につかなかった』などとというから、皆が驚いていましたよ」
アルバートは過保護だと思う。王太子がいきなり城の外に飛び出してくるなんて聞いたことがない。
「あれは、ラルスを狙う輩がいると聞いて……ラルスは王太子妃になって日が浅いから無防備なのかもしれないが、世の中には自分の思いどおりにするために、人の命を奪ったり、誘拐して身代金を要求する奴もいるのだ。王太子妃になったせいでラルスが傷ついたらと思うと居ても立っても居られない」
アルバートは本気でそう思っているようだ。
でも、アルバートは大前提を忘れている。
「殿下。僕よりも殿下の身のほうが大切なのです。王太子妃の代わりはききますが、王家の血を引く殿下は他におりません。心配するあまりに王太子殿下が護衛もつけずに迎えにくるなど前代未聞ではありませんか?」
大切なのはアルバートの身だ。自分のことを差し置いて、ラルスを思い遣って何かあったらどうする気なのだろう。
「ラルスの代わりなどいるものか。この世のどこを探してもお前の代わりはいない。ラルスを失ったら私はひとりになる。それが怖くてたまらない」
アルバートはラルスを急に抱きしめてきた。
ここ王室専用ティールームには、周りにお世話係が何人も控えている。お茶が冷めていないか、菓子は足りているか、その他トラブルが起きたときのために、こちらの様子をさながら壁のようになって静かに伺っているのだ。
だから、アルバートに抱きつかれている様子を大勢に見られている。
「でっ、殿下っ、恥ずか……皆が見ていますっ……!」
「構わぬ。ラルスは正真正銘の王太子妃だ。このくらいは当然だ」
「えっ……!」
アルバートは幼いころから人に囲まれて過ごしてきたのだろうから、視線に慣れているのかもしれない。
でもラルスは違う。アルバートとふたりお茶を飲んでいるところを見られていることすら落ち着かないのに、抱きしめられるなんて!
「ラルス。愛している」
「…………っ!」
アルバートはラルスを抱きしめながら、さらりと言ってのける。それにラルスは耐えられない。
恥ずかしさのあまりに耳まで真っ赤になり、そんな顔を見られたくなくてアルバートの胸板に顔をうずめて隠れる。
その行動を、誤解されてしまった。
「ラルスに寄りかかられると、こんなに嬉しいものなのか」
ラルスは恥ずかしくて隠れただけなのに、アルバートはラルスがくっついてきたと盛大に勘違いしている。
しかもそれを喜んでしまっているから、今さら「違います!」とも言いにくい。
それに、アルバートの腕の中はすごくいい。
真っ赤になった顔も誰にも見られなくて済むし、あったかくていい匂いがする。
アルバートの優しい手つきが、ラルスのことをどれだけ大切にしてくれているかを伝えてくれる。「可愛い」と囁く溜め息まじりの声が、ここにいてもいいと実感させてくれる。
「殿下、あと少しだけこのままで……」
ラルスはそばにいるアルバート以外には聞こえないほどの声で囁く。するとアルバートはそれに応えて強く抱きしめてきた。
本当に、あと少しだけ。この火照った顔がまともになるまでのあいだ、アルバートに寄りかかることを許してもらいたい、そう思った。
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