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ベルトルト家の祝宴の日、馬車に乗って城までフィンがラルスを迎えにきた。
「フィンさま! わざわざ来てくださったんですかっ?」
部屋で身支度をしていたら、フィンが現れたから、ラルスは慌ててフィンのもとに駆け寄る。
「ラルス……妃殿下、今はもう身分が違いますよ」
「えっ、あっ……!」
すっかり忘れていた。フィンの顔をみると今でも厩係のラルスに戻ってしまう。
でも、フィンに敬語を使われるのはとてもさみしい。
「それに、ラルスのことを誘ったのは僕だ。今日はありがとう、僕の我が儘に付き合ってくれて。……敬語はよそよそしいから普通にしゃべってもいい?」
フィンはラルスに目配せする。
「うんっ、そうしてほしい。僕もフィンって呼んでもいいかな……?」
「もちろんっ」
フィンと二人で笑い合う。
よかった。フィンに敬語を使われ、距離を取られたらどうしようと思っていたところだ。
フィンはアルバートとラルスの結婚の際、かけ橋になってくれた。途中、アルバートの策略が悟られないよう苦労した場面も多くあるだろうに、疲れた様子はまったくみせなかった。そしてラルスとアルバートの結婚を誰よりも祝福してくれた。
「フィン。今日こそ侯爵さまとゆっくりお話できたらいいね」
ラルスはフィンに微笑みかける。
人の恋路の手伝いをしただけではいけない。今度はフィンの恋を叶えてあげたい。
「はぁ……今から気が重いよ」
フィンはあからさまに溜め息をつく。一度会ったあと、マリクからの連絡が途絶えたことが精神的に堪えているらしい。今日直接会って、マリクがどんな反応をするのか今から不安な様子だ。
ふたりのあいだに何があったのかはわからない。でも、どうしてマリクは何も反応をくれなくなってしまったのだろうか。
「やっぱりマリクさまに嫌われたのかな……」
「とにかく会いに行こう。会えばきっと何かわかるんじゃないかな」
それからラルスは、あの手この手でなんとかフィンを励まし、城の外へと向かう。城門の前には、フィンの乗ってきた伯爵家の見慣れた馬車と懐かしい馬たちが待機していた。
「お前たち、元気だったかっ?」
ずっと世話をしてきた馬たちに久しぶりに会えた。あまりに嬉しくてラルスは馬に駆け寄り、その首筋を撫でてやる。
「ラルスの代わりにうちに来た厩係の子もオメガなんだよ。まだ慣れない様子だけど一生懸命にやってくれてるよ」
「そうなんですね。毛並みを見ればわかります」
馬に触れればきちんと手入れされているかどうかわかる。どの馬も体調は良さそうだ。
「フィンさま、どうぞお乗りください」
ごく手慣れた手つきで馬車の扉を開けてから、周りの視線で気がつく。
そうだった。今は王太子妃という立場だった。扉を開けるためにラルスのうしろに御者が控えていたし、城門を守る門番たちまで唖然とした表情をしている。
「ラルスさまはご冗談が過ぎますね、さぁ、馬車にお乗りください」
フィンは機転を利かせてラルスの行動を笑い飛ばしてくれた。そのままフィンに背中を押されて馬車に乗り込む。
この伯爵家の馬車の中に入るのは掃除のときだけだった。それが、まさか自分がここに座る立場になるなんて。
やがて扉が閉められ、馬車が動き出した。
馬車に揺られながら窓の外を見る。とても不思議な感覚だ。
今までは御者の隣に乗っていた。夏は暑い日差し、冬は寒い風に耐えながら、振り落とされないよう馬車に掴まっていた。
それが今は雨風しのげる馬車の中にいる。ふかふかの椅子に座ってのんびり景色を見る余裕すらある。
この身に不相応だと思ってしまうが、そんなときに思い浮かぶのはいつだってアルバートの顔だ。
そばにいてくれ。
ラルスと一緒にいたい。
そんなことを言って抱きしめてくれるアルバートのことを想うと、ここで頑張ろうと思える。
「アルバートさま……」
小さな声で呟いたのに、それをフィンに聞かれてしまい、「離れていても殿下のことを想ってるんだね。そんなに好きなの?」と笑われてしまった。
でも、フィンになら本音を伝えられる。
「うん。大好き。殿下は僕にはもったいないほどの旦那さまだよ。いまでも僕なんかが隣にいていいのかって思うくらい。平民の僕を選んでくださるなんて申し訳なくて……」
アルバートの気持ちはとても嬉しい。ラルスを愛してくれていることも伝わってくる。でも時々、こんな自分がアルバートの隣にいていいのかと不安に思う。
「あれ? ラルスはどんな噂が流れてるのか知らないの……?」
「噂……?」
知らない。ラルスの耳にはあまり噂話は入ってこない。
「あの冷静沈着な殿下が結婚したら豹変したって」
「豹変っ?」
「うん。あんなに無表情だと有名だった殿下が、ニヤニヤとだらしない顔をするし、心が安定しているせいか妙に優しくなった。治世に対しては厳しかったのに……」
「えっ?」
「殿下が疲れたり、機嫌が悪くなったりしたら、王太子妃さまを呼べって言われてる。ラルスを見た途端に殿下は笑顔になるから」
「そ、そうなの……?」
ラルスにしてみれば、アルバートはいつも穏やかで笑顔だ。でもそれはラルスの前だからだったのだろうか。
「みんなラルスのおかげだって言ってる。完璧で隙のない殿下に、あんな人間っぽさがあるなんて知らなかったって」
フィンから聞いて驚いた。
そういえばラルスは結婚するまで、城でのアルバートの姿をあまり見たことがない。ラルスと結婚する前のアルバートは、近寄りがたいくらいに完璧だったのかもしれない。
「だからラルスは堂々と殿下の隣にいればいいんだよ」
ラルスを励ますようなことを言ってフィンは笑っている。
立場が変わっても優しいままのフィンには、感謝の気持ちしか芽生えてこない。
フィンをどうにかして幸せにしてあげたい。
フィンはずっと前からマリクのことを慕っている。その恋路をなんとか応援したい。そのためには、慣れない祝宴も乗り越えてマリクとフィンの仲をうまく取り持たなければならない。
「フィンさま! わざわざ来てくださったんですかっ?」
部屋で身支度をしていたら、フィンが現れたから、ラルスは慌ててフィンのもとに駆け寄る。
「ラルス……妃殿下、今はもう身分が違いますよ」
「えっ、あっ……!」
すっかり忘れていた。フィンの顔をみると今でも厩係のラルスに戻ってしまう。
でも、フィンに敬語を使われるのはとてもさみしい。
「それに、ラルスのことを誘ったのは僕だ。今日はありがとう、僕の我が儘に付き合ってくれて。……敬語はよそよそしいから普通にしゃべってもいい?」
フィンはラルスに目配せする。
「うんっ、そうしてほしい。僕もフィンって呼んでもいいかな……?」
「もちろんっ」
フィンと二人で笑い合う。
よかった。フィンに敬語を使われ、距離を取られたらどうしようと思っていたところだ。
フィンはアルバートとラルスの結婚の際、かけ橋になってくれた。途中、アルバートの策略が悟られないよう苦労した場面も多くあるだろうに、疲れた様子はまったくみせなかった。そしてラルスとアルバートの結婚を誰よりも祝福してくれた。
「フィン。今日こそ侯爵さまとゆっくりお話できたらいいね」
ラルスはフィンに微笑みかける。
人の恋路の手伝いをしただけではいけない。今度はフィンの恋を叶えてあげたい。
「はぁ……今から気が重いよ」
フィンはあからさまに溜め息をつく。一度会ったあと、マリクからの連絡が途絶えたことが精神的に堪えているらしい。今日直接会って、マリクがどんな反応をするのか今から不安な様子だ。
ふたりのあいだに何があったのかはわからない。でも、どうしてマリクは何も反応をくれなくなってしまったのだろうか。
「やっぱりマリクさまに嫌われたのかな……」
「とにかく会いに行こう。会えばきっと何かわかるんじゃないかな」
それからラルスは、あの手この手でなんとかフィンを励まし、城の外へと向かう。城門の前には、フィンの乗ってきた伯爵家の見慣れた馬車と懐かしい馬たちが待機していた。
「お前たち、元気だったかっ?」
ずっと世話をしてきた馬たちに久しぶりに会えた。あまりに嬉しくてラルスは馬に駆け寄り、その首筋を撫でてやる。
「ラルスの代わりにうちに来た厩係の子もオメガなんだよ。まだ慣れない様子だけど一生懸命にやってくれてるよ」
「そうなんですね。毛並みを見ればわかります」
馬に触れればきちんと手入れされているかどうかわかる。どの馬も体調は良さそうだ。
「フィンさま、どうぞお乗りください」
ごく手慣れた手つきで馬車の扉を開けてから、周りの視線で気がつく。
そうだった。今は王太子妃という立場だった。扉を開けるためにラルスのうしろに御者が控えていたし、城門を守る門番たちまで唖然とした表情をしている。
「ラルスさまはご冗談が過ぎますね、さぁ、馬車にお乗りください」
フィンは機転を利かせてラルスの行動を笑い飛ばしてくれた。そのままフィンに背中を押されて馬車に乗り込む。
この伯爵家の馬車の中に入るのは掃除のときだけだった。それが、まさか自分がここに座る立場になるなんて。
やがて扉が閉められ、馬車が動き出した。
馬車に揺られながら窓の外を見る。とても不思議な感覚だ。
今までは御者の隣に乗っていた。夏は暑い日差し、冬は寒い風に耐えながら、振り落とされないよう馬車に掴まっていた。
それが今は雨風しのげる馬車の中にいる。ふかふかの椅子に座ってのんびり景色を見る余裕すらある。
この身に不相応だと思ってしまうが、そんなときに思い浮かぶのはいつだってアルバートの顔だ。
そばにいてくれ。
ラルスと一緒にいたい。
そんなことを言って抱きしめてくれるアルバートのことを想うと、ここで頑張ろうと思える。
「アルバートさま……」
小さな声で呟いたのに、それをフィンに聞かれてしまい、「離れていても殿下のことを想ってるんだね。そんなに好きなの?」と笑われてしまった。
でも、フィンになら本音を伝えられる。
「うん。大好き。殿下は僕にはもったいないほどの旦那さまだよ。いまでも僕なんかが隣にいていいのかって思うくらい。平民の僕を選んでくださるなんて申し訳なくて……」
アルバートの気持ちはとても嬉しい。ラルスを愛してくれていることも伝わってくる。でも時々、こんな自分がアルバートの隣にいていいのかと不安に思う。
「あれ? ラルスはどんな噂が流れてるのか知らないの……?」
「噂……?」
知らない。ラルスの耳にはあまり噂話は入ってこない。
「あの冷静沈着な殿下が結婚したら豹変したって」
「豹変っ?」
「うん。あんなに無表情だと有名だった殿下が、ニヤニヤとだらしない顔をするし、心が安定しているせいか妙に優しくなった。治世に対しては厳しかったのに……」
「えっ?」
「殿下が疲れたり、機嫌が悪くなったりしたら、王太子妃さまを呼べって言われてる。ラルスを見た途端に殿下は笑顔になるから」
「そ、そうなの……?」
ラルスにしてみれば、アルバートはいつも穏やかで笑顔だ。でもそれはラルスの前だからだったのだろうか。
「みんなラルスのおかげだって言ってる。完璧で隙のない殿下に、あんな人間っぽさがあるなんて知らなかったって」
フィンから聞いて驚いた。
そういえばラルスは結婚するまで、城でのアルバートの姿をあまり見たことがない。ラルスと結婚する前のアルバートは、近寄りがたいくらいに完璧だったのかもしれない。
「だからラルスは堂々と殿下の隣にいればいいんだよ」
ラルスを励ますようなことを言ってフィンは笑っている。
立場が変わっても優しいままのフィンには、感謝の気持ちしか芽生えてこない。
フィンをどうにかして幸せにしてあげたい。
フィンはずっと前からマリクのことを慕っている。その恋路をなんとか応援したい。そのためには、慣れない祝宴も乗り越えてマリクとフィンの仲をうまく取り持たなければならない。
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