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【3‐7】乗り越える者たち
未来への約束
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晩を迎えようとしていた。
フィラノスのお決まり宿、お決まりの大部屋。
買い出しに行っていた竜次が戻って来た。ところが、買い出しに行くと言って外出したのに手ぶらだ。まともに動けるはずもなく、お腹を空かせた仲間もいると言うのに表情は暗い。何人か部屋に残っていたが、外出した者もいた。竜次はそのうちの一人に過ぎない。
「ただ、いま……」
身だしなみはきちんとしているが、ひどくやつれた様子だ。手ぶらというのも気になる。比較的元気なローズが気遣った。
「先生サン、どしたデス?」
「…………」
すぐには答えない。疲弊した皆を気遣っている。特に、何も口にせず、塞ぎ込んだままのジェフリーと深い眠りについたままのミティアには申し訳ない気持ちが強い。
骨折をしているというのに、コーディは元気だ。
「お兄ちゃん先生、どったの? ご飯どうする? 手ぶらってことは、今からどこかに食べに行くの?」
湿っぽくなりがちな空気の中、竜次はやっと口を開いた。
「言いづらいのですが、もう明日にはこの街を出ないと行けません……」
意味がわからない。ここにいる者が驚いた。理由は次々と明らかになった。
部屋のドアが開かれ、ハーターとサキも戻って来た。
戻って早々、ハーターはご立腹の様子だ。
「船の部品がほしかったのに、身分を証明したらお前たちに売る物はないだとさ! 頭に来ちゃうね!!」
ハーターの話にサキも眉をひそめた。
「え? ハーター先生もですか?」
サキは紙袋を手にしている。だが、満足はしていない模様だ。
「僕も繁華街で魔石とか道具を補充したくて、行きつけの店に行きましたが買い物を断られました。理由は話してくれませんでしたが、何か様子がおかしいですよね。今までこんなことはなかったのに」
サキはテーブルの上に紙袋を置いて、痛めた右手を引き摺りながら中のものを出した。コッペパンのいい匂いがする。
「ちょっと割高ですが、メルのお店で多少は買えました。変わり種のコッペパンは買えましたので、ついでですが……」
サキの言うメルとは、彼を慕っている後輩のことだ。馴染み深いわけではないが、多少は融通を利かせてくれる。とりあえず完全な空腹は回避できそうだ。
仲間に気を回すだけでも疲労が増す。だが、かけがえのない仲間。替えの利かない、絆を紡いだ仲間だ。
中でも竜次は重症だ。体に無理が回る。キッドが竜次を気遣う。
「竜次さん、大丈夫? 早めに休んだら?」
「いえ……」
竜次は深呼吸をした。皆にも向けて言う。
「おそらく、私たちは行き場を失います。外をマトモに歩くことも、ご飯を食べることも、今は許されない状況です」
一番近くで聞いていたキッドは何を言っているのかと動揺した。
「えっ!? 竜次さん、冗談でしょ?」
「冗談ではありません。ギルドに行ったら、こんなものが広まっていました」
竜次は胸ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。ギルドの記事だ。この場の誰もが目を疑うことがズラズラと書かれてある。
真っ先に怒ったのはコーディだった。
「な、何よ! こんなデタラメ!!」
怒りをあらわにする。だが、ギルドで広められたならもう遅い。この街だけに限らず、これから先も付き纏うだろう。
やっと文字が読めるまでになったキッドも、記事に目を通してカンカンだ。
「勇者一行は黒い龍を操る悪党だった? 誰がこんなことをまき散らしたのよ!?」
キッドやコーディが憤慨するのも無理はない。ギルドで出回っている情報によると、自分たち一行は一方的に悪者にされているのだ。
竜次は、ずっと飲まず食わずで塞ぎ込んだままのジェフリーの肩を叩いた。酷なことだが彼にも意見を聞きたい。
「ジェフ、あなたはどう思いますか?」
「…………」
ジェフリーは憔悴しているが、一応の反応はする。悲しみに暮れてばかりではいられない。本当は感傷に浸ってしまいたいくらいで、仲間に気が回らないのが正直なところだ。ジェフリーは竜次をじっと見て、小さく唸った。徐々に気持ちを持ち直す。
「どうと言われても、俺にも正しい判断はできないぞ」
「状況、おわかりですよね? 宿の方にも明日の朝、出て行けと言われました。薬も食料もまともに買うことがでない状況です。時間が解決してくれるかもしれませんが、しばらくは付き纏うでしょう。あなたは耐えられますか? 何か手は思いつきますか?」
信頼していた兄にこんな言葉を掛けられるとは思わなかった。そんな表情で傍らの椅子から起立する。皆の顔色をうかがいながらジェフリーは俯いた。
「このままこの人数で休むところを探すのは難しい。だけど、誰かを見捨てるなんてできない。最悪、船の上、野宿もするかもしれない。サキの魔法で移動する体力はないだろうし、博士の転送装置を使うにも金がない。先生、船はどれくらい動かせそうなんだ?」
ジェフリーにしては冴えた質問だ。冷静になれば、どんなに混乱した状況でも考えることはできる。
突然の質問にハーターは動揺した。だが、船の部品を買うつもりでいたため、何となくの計算は可能だった。
「ここから拠点に戻る燃料はないね。ざっと計算して、沙蘭くらいまでだよ」
操縦に携わっていたのだから、勝手は把握している。ハーターは悩ましげに言ったが、希望は薄い。
ジェフリーはこの情報を把握していったん置いた。今度は竜次に質問をする。
「兄貴?」
「は、はい?」
「今の手持ちの金と残っている食料を確認してほしい」
「え、えぇ、いいですよ? ただ、携帯食料は皆さんが個々で持っているものも出していただきませんと」
竜次は自身のカバンを持って来て、皆の食料を回収した。回収と言っても、多く持っていたのはローズのおつまみ類で、あとは数本のシリアルバーが追加された程度だった。これでは野宿も危うい。
ジェフリーはこれも状況を確認し、いったん置いた。次に確認したいのは、サキの体調だ。ジェフリーはサキに目を向ける。
「サキの体調はどうだ?」
「どうと言われましても、そう簡単に怪我は治りませんし。治ったとしてもこの人数を拠点のあるフィリップスに転送するのは、距離的にも無理があるのですが」
サキの魔法もしばらくは頼れない。死闘を繰り広げたのだから、怪我人が多いのも納得がいく。幸いにも誰も命を落としていなかった。
ただ、ジェフリーは胸の痛みを感じていた。痛みというよりはか、熱を帯びているという表現の方が正しいかもしれない。意識しなければ平気なのだが、どうも違和感がある。服の上からさすっても傷口はない。血が滲んでいる様子もない。
ジェフリーが判断もせずに、自身の胸を気にしていたので皆は心配になった。竜次が顔を覗き込む。
「ジェフ? どこか具合でも悪いのですか?」
ジェフリーは我に返る。自分が何をしていたのかを思い出した。今は、仲間のことを考えなくてはならない。
ジェフリーは首を振って平気だと主張する。
「いや、大丈夫だ。それよりも、身の振りを考えないと、な……」
考えなくてはいけないのは他にもある。目を覚まさないミティアが気がかりだ。ジェフリーは嫌な予感を抱きつつ、深いため息をついた。
「とにかく、しばらくは情報に敏感にならないといけないな。何かあれば随時報告。情報の共有も意識して、行動会議もしばらく欠かさないようにしよう」
ジェフリーは当然ではありながら、仲間に周知を施した。まだ状況が読めないと言うのが正直なところだ。
サキが控えめに挙手をする。
「ちょっといいですか?」
サキなりの推測が述べられた。
「記事を見るところ、世間一般には僕たち一行は、邪神龍の手先、もしくは手中に邪神龍がある悪党と思われている。破壊工作をした魔女が一行にいる。おじさんが大金を叩いて海域を開けてくださったのに、世間の期待にも応えられず、結局、天空都市は落ちてしまった。悪者に仕立て上げるにはこれらの要素が強そうですね」
あくまで冷静な発言だが、どうも腑に落ちない。ローズもこの意見に付け加えた。
「今までいい行いをして来たのに、少しのしくじりと、ちょっとの勘違いで一気に悪の秘密結社デス」
ローズは人道を踏み外した経緯から、言うことが人一倍重い。ローズが言った件も気掛かりだ。
コーディは怒りを撒き散らしていた。
「つーか、サキも私も頑張って邪神龍の浄化をしたんですけどっ!! あの瀕死の状況でこんだけ頑張ったのに悪党なの!? 人間ってどうかしてる!! 目ぇ腐ってるんじゃない!?」
髪の毛が逆立っている。怒り散らすだけではなく、竜に変身でもしてしまいそうな勢いだ。口も悪く、暴言に近い。まったくもってその通りなのが憎い所なのだが、言っていることには品性がない。気持ちはわからなくもないのだが。
サキはさらに気になることを指摘した。
「もう一つ気になったのが、記事は小さいのですけれど、天を突く光……奇跡の光を見たとここに記されていますよね」
サキの視線は眠ったままのミティアに向けられた。もう使えないはずだったのに、どうしてだろうか。傷付いたはずのジェフリーに怪我はない。ミティアだってそうだ。あの惨事が見間違いだとは思えない。
思い出したように圭馬がカバンから飛び出した。
「あ、そうだ、ミティアお姉ちゃんの荷物は?」
言いながらちゃっかりとご飯をもらおうとしている。圭馬が飛び出したことで、サキも気にしていた。
「ミティアさんの身に付けていた物はどちらに?」
「あぁ、それでしたら……」
竜次が荷物をまとめていた籠を差し出した。診察や治療をするつもりで身軽にさせたのだが、ミティアは武器も持っていたので部屋の隅も指さした。サキは籠の中を見て首を傾げる。何かを探しているようだ。ポーチを摘み、中を見ている。
「うーん……」
サキはテーブルの上にポーチの中身を広げた。かなり細々した物が入っているというのがミティアらしい。
ジェフリーもこれは気になった。ミティアに何が起きたのかを調べる余裕がなかった。
サキはミティアに歩み寄って掛け布団の中で手を取った。気になって持ち上げる。
その様子を見て驚いたのはサキではなく圭馬だった。
「うっわぁ!!」
サキの行動に対しての驚きではない。一同も息を飲んだ。
ミティアの左腕に着いていた腕輪が亀裂を生じていた。もともと丈夫ではなかった。だが、ミティアの衰退と魔力の制御という役割を持った腕輪だ。バングル式の腕輪。人間性を取り戻した今はもうあってもなくても関係はない。それを踏まえても傷が入ることが解せない。サキは眉間にシワを寄せた。
静かな情報整理の中、ジェフリーがぽつりと呟く。
「ない、な……」
一足早く、『異変』に気付いたようだ。手にはミティアのポーチを持っているが、並べた中身を見て手を震わせている。
ローズはピンと来たらしく、状況を把握して深くため息をついた。
「ムムム、これはもしや、やっぱり、デスネ?」
親友は心配だが、入り乱れる情報に整理が追いつかないというキッド。
「ご、ごめん。どゆこと? ミティアはどうなるの?」
ハーターもよくわかっていない表情だ。竜次とコーディは何となくという様子。
答えは鯖トラの猫が教えてくれた。
「おそらく、ドラゴンブラッドの媒体を使って、禁忌の魔法を使った……というところじゃろうなぁん?」
おっとりとした話し方だが、もしそれが本当なら大変だ。いや、大変という一言で片付けていいものではない。
圭馬も嫌な予感を付け足すように言う。
「可能か不可能かって言ったら、限りなく可能だと思うね。もし、本当に禁忌の魔法が試行されたなら、このあとのことも覚悟した方がいいかもしれないけど」
魔法に長けたサキも圭馬の言葉には失望した。もちろん、嫌な予感がする意味で。
「禁忌の魔法だとしたら、ミティアさんの身に何かがあるかもしれない。そうでしたよね?」
知っている。見てしまったこともある。自分のせいで傷ついてしまった経緯がある竜次は人一倍落ち込んでいた。
「ではやはりジェフを……だったのですね」
誰かを責めることはできない。悲しんでもどうしようもないのは理解していても、この感情は複雑なものだった。
負の連鎖が始まりそうだ。今度はキッドが顔を覆った。
「ね、ねぇ、ミティアはどうなるの? このまま目を覚まさないかもしれないの?」
これ以上正確なことは誰にも答えられない。その中でもサキは何か手段はないかと模索する。
「大図書館に行くこともできないしなぁ」
困ったら大図書館という発想がサキらしい。だが、街中を歩いても疑いの目で見られてしまうのだから利用は難しいだろう。
コーディはそのことを気にして、地団駄を踏んでいる。
「散々いいことをしたのに、何でなの。すごく腹立つね」
腹が立つ気持ちはわかるが、こんなにわかりやすく表しているのはコーディだけだ。
がっくりと肩を落とす竜次。手段は限られている。ゆえにため息ばかりだ。
「どこか落ち着いて、皆さんの傷を癒すことも考えないといけませんね。少なくとも、フィラノスの滞在は難しいみたいですし」
宿を追い出されるのは想定していなかったので、本当に困っている。
頼れる人は少ないがいないわけではない。だが、迷惑をかける。それ以前に、あまりいい顔はされないかもしれない。
ジェフリーは物事に優先順位をつけるのがどうしても嫌だった。だが、何事も落ち着いてからではないと動けない。本当は何よりもミティアを優先したかった。冷静になって考えると安心もできない状況で皆に協力をお願いするのはおかしい。ジェフリーはその考えに行き着いた。私的な感情を今は抑え込む。
「なぁ兄貴、姫姉は頼れないのか?」
フィラノスの滞在が難しいのならば、考えは当然のようにここに行き着く。ジェフリーと竜次の肉親がいる沙蘭だ。いいことではないかもしれないが、今はなりふりをかまっていられない。
この提案を聞き、竜次はさらに肩を落とした。
「そうですよね。恥を忍んでお願いしてみるしかないです。本当は真っ先にフィリップスに戻ってあげないといけない気もしますけど」
「城の手伝いや裏の仕事もするから……」
「それは私じゃなくて、姫子やマナカに言いなさい」
今のところはまだ疑惑で済んでいる。指名手配とまではいかない。ことの進展によっては、その可能性も視野に入れて行動した方がいいだろう。
ここはフィラノスだ。何となくだが、アイラに迷惑が掛からないうちにここを出た方がいいだろう。
沙蘭と聞いてサキが表情を変えた。何かいいことを思い付いたらしい。
「沙蘭でしたら、ドラグニーの宝物図鑑がありましたよね」
その場所それぞれの大図書館で得る情報には特徴がある。フィラノスの大図書館はまだ修復が終わっていない。こういったトラブルや危険のリスクがあるので、分散はいいのかもしれない。
該当種族であるコーディの顔色が変わる。
「あ、それなら私も興味がある。それこそ、別のヒントが出て来そうだね? あ、もちろん、お許しが出るなら、だよね?」
世間の目を気にしたことはない。これからは慎重な行動を心掛けたい。
何となくだが予備のプランも練っておきたい。
ジェフリーは冷静な自分にいらついた。顔に出てしまっているが、提案を持ちかける。
「もし、沙蘭で落ち着くのがダメだった場合の保険を用意しておきたい。誰か、いい提案はないか?」
急にジェフリーがリーダーシップを発揮している。今までは方針だけを考えて行動に移していた。だが、これからはより慎重になる。皆はこの考えを意外に思いながら、誰も反論しなかった。
竜次はハーターに視線を向けて言う。
「よくある話ですと、船上で生活なんてのもありますけれど、どうなのでしょう? 簡単なパーティは開けましたが」
結婚式なら船の上でやった。食事も可能だった。生活ができるスペースや設備はなかった記憶だが、どうだろうか。ハーターは小難しく考え込み、記憶を掘り出している。
「突貫工事だったから、生活できるけど快適ではないね。燃料がないと、電気も水道も使えないし。現状では寝袋を持ち込めば大丈夫かもしれないよ。でも、温かくはないだろうね。もう空を飛ばないなら、今度はそういう快適な改造をしてもいいと思うよ」
竜次の確認からハーターの夢語りになって来た。この状況でも明るい話題があるだけいい。とはいえ、あまり余裕がない。もちろん経済的な意味でもだ。
体力も回復しきっていない。傷も癒えていない。世間の目を気に足ながら歩かないといけない。旅の資金だって無限ではない。
ジェフリーは納得がいかないが、納得はした。この人数で路頭に迷う可能性は考えたくない。最悪、お金持ちのローズや印税で収入のあるコーディに頼るしかない。それでなかったら、またギルドで多少の汚い仕事をするか。財源の確保が最大の課題だ。
考えておかないといけないことはいくらでもある。だが、誰もが疲弊している。
小難しく考えるのもいいが、休もうと圭馬は提案した。
「ま、とりあえず休んだら? 元気がないと、いい答えも出ないよ」
この意見には誰もが賛成だ。休めるときに休んでおこうと話がまとまる。
質素だが食事を楽しむ者もいた。コーディだ。
「あれ、キッドお姉ちゃんもういいの? それ、カルボナーラのパンだよね」
「えっ、あぁ……そうなんだけど」
キッドは好物であるはずのパスタの挟まったパンを残している。再び包み紙に包もうとしていたところを、コーディがほしいと手を出した。
「食べないならちょうだい?」
「もちろんいいわ。はい」
キッドはコッペパンを半分しか食べていない。その様子に竜次が心配した。
「食欲がないのですか?」
「ビタミン剤を飲もうとしている竜次さんが言ってもなぁ」
「こ、これはですねぇ、今はあまり固形物を食べると体に障るからでして」
心配を心配で返された。竜次は肋骨の何本かにヒビが入ったらしく、過度に体を動かせないらしい。体を動かすことに支障があるのはサキもコーディも、そしてキッドもそうだった。どこか怪我をしている。
カラカラとビタミン剤の瓶が音を立てる。竜次がドリンク剤ではなく、錠剤を取り出すのは珍しいかもしれない。何も口にしないよりはいいのかもしれないが、本当に休まないといけないのは竜次かもしれない。おそらく、竜次が一番の重傷だ。
竜次とのやりとりを黙って見ていたローズがキッドの肩を叩いた。
「一応背中の件もありましたし、軽く診察などいかがデス?」
「あぁ、そうね。竜次さん怪我があるし、ローズさんに検診してもらおうかな」
キッドは軽く竜次に笑い、ローズの誘いを受けた。
部屋を出て行く二人を、竜次は恨めしく見ている。こういった話になると、決まって圭馬が口を出してくる。
「お兄ちゃん先生が診たら、欲情しない? って、むぎぃ!!」
「こぉら、ウサギさんっ!! それじゃあ私が変態みたいじゃないですか!!」
派手に動ける元気もないので、竜次は圭馬の鼻先をつついて注意する。口喧嘩ができるだけまだ元気というものだ。
圭馬は竜次が元気な様子で安心したようだ。くだらない話までしていた。
「変態はあのサディストだけでいいよね。悪いけど、あんなのいなくなって清々したよ」
二人が離籍しているが丁度いい話題かもしれない。圭馬の話題振りに、水を飲む竜次の手が止まった。視線はジェフリーに向けられた。
ジェフリーは見ていないと首を振った。見ていたのは鯖トラ猫のショコラだ。
「むぅ、エリーシャとともに魔界へ葬っておったぞよ。多分……」
尻尾をパタパタとさせながら答えるショコラ。
簡略に言っているが、執行したのはジェフリーでもミティアでもない。ケーシスがやったのだ。ケーシスの実力は疑いしかないサキは表情を渋めた。
「魔界への歪みを意図的に発生させるなんて、そんな魔法を使う人は知りません。普通の魔法だって難なく熟せるのに、広範囲の重力魔法や計算し尽くされた制御も何もかもが大魔導士なんて超越しています。それに、身体能力だって言ってしまえば、反則的と言うか……」
小さく首を振ってため息をついた。実力に差があり過ぎて自分の存在が霞む。
ジェフリーは嫌な予感を胸に抱きつつ、その件は黙っていた。神様も『あの男』については触れていない。その前に話したところで『神様』を信じてはくれないだろう。圭馬が知っているかは怪しい。ショコラは黙っていそうだし、話の地雷を踏まないようにして皆と話しているのは汲み取れる。
ゆえに、ジェフリーも無難なことを言うだけだった。
「親父が何をしたのか知らないが、もう女神もあの狂った奴もいない。それだけでじゅうぶんだろう?」
うまく言えないが、ジェフリーは話を完結させようとする。深く考えたところで何も変わらない。ましてや、ミティアの意識が戻るわけでもないのだ。
「あーあっ、私たちせーっかく頑張ったのになぁ」
せっかくいいようにまとめたというのに、コーディが蒸し返した。しばらく続きそうだ。ゆっくりとした時間を過ごす。
規則的に寝息を立てるミティアに思いを募らせながら。
抜け出したに等しいローズとキッド。だが、キッドが宿の休憩スペースに招いた。検診と言い出したのはローズだが、逆にキッドが招いている。その表情はどこか険しく、念入りに人目を避けているようにも思えた。
キッドは誰もいないと何度も確認し、少し奥まった休憩スペースに座った。
ローズは首を傾げながら言う。
「どしたのデス?」
ローズの反応を見て、キッドは口元に人差し指を当て静かにするように促した。
「あ、あの、ごめんなさい。どうしてもローズさんに相談があって……」
キッドから相談など受けた記憶がない。ローズは何かの間違いではないかと周囲を気にしだした。挙動不審に思われるかもしれないほど、落ち着きがない。
「あ、あー……わ、ワタシ?」
「ローズさんでないと相談できないの!」
キッドの様子がおかしい。ローズは医者でなくてもお決まりの行動を取る。彼女のおでこに手を当てた。異変を感じ取った。
「んン? 何か体温高くないデス? 風邪? どこか炎症が残っているか、それとも」
ぺたぺたとキッドの顔を触って小難しい表情を浮かべるローズ。てっきり竜次が怪我をしているに加え、ローズの方が、技量が上だからなのかと勘違いしていた。
キッドの表情がやけに険しい。話の風向きが変わった。
ローズは白衣のポケットから聴診器を引っ張り出した。
「どこか、悪いのデス?」
その頃合いでキッドは声を震わせながら答える。
「あたし、その、できちゃってるのかも……」
「んんんんン!?」
ローズは慌てて聴診器を落としそうになって取り乱す。キッドは真剣な表情だ。完全に不意打ちを受けた。
ローズは情報の整理を優先した。まずは冷静になりたい。
「ごめんなさいデス。あの、そういうコト、記憶にあるのデス?」
キッドは質問に対して深めに頷いた。ローズにしか話せない。ローズに相談がある。納得がいく相談内容だ。
ローズは医者として、友人として、話を聞いてあげようと辺りを気にしながら親身になった。
「えと、お式のときにはすでに自覚があったのデス?」
質問の意図がわからないのか、キッドは俯いてしまった。
ローズは質問を変える。
「えっと、いつから食欲はなかったのデス?」
「式のあとかな。緊張のせいかと思っていました。ただ、もう三か月近く来てないし」
「うーむ……」
ローズの表情が険しい。サキではないが、考え込んでしまう。話を聞く限り計算が合わない。嫌な予感がする。ゆえに、もう少し判断材料がほしい。
「気分悪くなったり、吐き気があったりはしないのデス?」
「それはわかんないです。みんなで、わーっとしてると、ホントに時間とかあっという間で。この旅自体、生活が不規則だったり、夜通しで頑張ったりしたじゃないですか」
普通の人間でも生活の不順は体調が乱れる。普通の人間だってそうなのだ。今のところは判断が難しい。こればかりは体質にも左右される。
ローズはもっとも重要な指摘をした。
「先生サンには言ったのデス?」
キッドは首を横に振っている。
ローズはロクに診察もしないまま腕を組んだ。
「仮におめでただとして、それは先生サンとの……」
「違います……」
「ルー……なのデスネ?」
「だって他に心当たりが……」
言えるはずがない。ただ、一人で抱えるにはあまりに大きい問題だ。ローズが懸念しているのは、じゃあ検査しようとはなれないこと。デリケートな問題だ。世間体も含めて皆が神経質になっている今、できるだけ水面下で済ませておきたい。
ただ、時間がないのもローズの中ではわかっていた。仲間の崩壊も招くかもしれない。そうなったら、誰がキッドを守ってあげられるだろうか。
ローズにとって他人事には思えなかった。自分だって妊娠してしまったときに誰も傍にいなかった。ともに歩めないと自分から身を引いたはずなのに、孤独と戦っていたのだ。そして学者としての不規則な生活と精神的に病んだ自分は流産した。
ローズはキッドを黙って抱き締める。頭も背中もたくさん撫でた。
「ローズさん?」
涙声のキッドが顔を上げようとするが、ぎゅっと胸に埋めた。医者として、仲間として、とある提案をした。
「ゆっくり休んで体調が整ったら、近いうちに検査するデス。検査キットは取り寄せておきますのでネ?」
次の行き先は沙蘭と言っていた。どれだけの隙が生まれるかわからないが、早めがいいだろう。
もちろんいつか竜次にも話さないといけない。これからのキッドのためにも。
課題は多そうだ。ローズから仲間に歩み寄り、気持ちにまで寄り添うのは、これが初めてかもしれない。
ローズはキッドが泣き止むまで抱き締めていた。
キッドが落ち着いた頃、戻ろうと部屋の前に来た。そこで血相を変えたコーディが飛び出して来た。ローズを見るなり、騒いでいる。
「ろ、ろ、ろろろ、ローズ!! 今呼びに行こうとしてたところなんだけど!!」
左手を吊っているのに元気だ。屋内だというのに、翼までばたつかせている。
ローズは眉間にしわを寄せる。
「どしたデス? あまり騒ぐと今スグ宿を追い出されマスヨ」
ローズはコーディに白衣を引っ張られ、部屋の中に引き摺り込まれていた。
キッドは部屋の中を見て、コーディが騒ぐ原因を把握した。息を飲む。
赤い髪の毛に緑の澄んだ瞳、ミティアが目覚めたのだ。上半身だけ起こし、ぼんやりと自分の手を眺めている。男性諸君、特にジェフリーはもっとよろこんでもいいものだが、揃って表情を曇らせている。その中から竜次がハッとして振り向いた。
「あ、あぁ、クレア、どうでしたか?」
「う、うぅん、別に何ともなかったわよ?」
キッドは苦笑いでとりあえずの嘘をついた。この偽りがいつまで続くのかはわからないが、確証はまだない。ゆえにいったん伏せた。まだ焦って言わなくてもいいとキッドは思っていた。
それよりもミティアが気になる。
「えっと、どうしたの? ミティア、目が覚めたのよね?」
少し遅れてキッドもミティアのベッド脇に立った。ミティアはキッドを見上げるが、困惑した表情だ。この反応は嫌な予感がする。
さっそくローズが対応した。
「ンー……ココ、どこかわかりますカ?」
ローズは何を質問しているのだろうか。キッドが不思議に思っていると、ミティアの無邪気な返事が返って来た。
「わからないです。お姉さんは誰ですか?」
やっと笑ったと思ったら、妙な反応だ。キッドも想定外な言葉に目が点になった。
悩みの種が増えてしまった。皆の表情が暗かった理由を把握した。
サキも竜次も思考を働かせる元気がない。
ジェフリーなんて、あまりのショックに呆然としてしまっている。
誰もが腫れ物に触るような反応だ。
「しょーがないなぁ?! よっと!」
誰もミティアに積極的な対応をしようとしないので、圭馬がコンタクトを試みた。話し掛けようと彼女の膝の上に乗った途端、ぬいぐるみを愛でるように抱き着いた。
「わっ、かわいい!! ウサギさん?」
「あー、おっけーおっけー。そういうカンジね。貿易都市のときみたいだね」
「喋るなんて賢いね」
ニコニコとしているミティア。そこにいるのは間違いなく彼女なのに、違う人を見ている気がしてならない。圭馬は探りを入れた。
「ボクの名前は圭馬・ノーヴァス・ティアマラント。聞いたことは?」
「ないです。圭馬さんって、変わった名前ですね」
「まーねぇ? お姉ちゃんこそ何て名前なの?」
「な、まえ……?」
自分の名前が思い出せないようだ。ミティアはひどく困惑した様子で皆にも視線を向ける。表情の暗さを察したのか、今度は怯えている。
「わ、わたし……」
何かまずい反応をしてしまったのだろうか。ミティアの表情は、みるみると不安に染まる。圭馬は何とかしようとフォローを試みた。
「あぁー大丈夫だよ、大丈夫。ここにいるみんな、悪い人じゃないから」
「……本当?」
「ボクを含めて悪党に見えるぅ!?」
圭馬とは早速打ち解けている。ミティアは彼の質問に首を振った。不安は拭えないが、ゼロからではないらしい。
『ぐーーっ』
ミティアのお腹の虫が鳴った。これは健在らしい。
総菜パンは食べてしまったし、食べていない者がいてもコーディが食べてしまった。怪我の反動と本人は主張している。
そして食べるものがほとんどない。非常食のシリアルバーか缶詰か、ケトルにお茶でも沸かして誤魔化すか。いや、眠り姫はお腹を空かせている。
竜次が荷物を漁って食べ物がないか確認しているが、非常食ばかりだ。
「な、何かありましたっけ……」
多少のお茶や飴玉はあるが、こんなものでは気の毒だ。
皆も何かないかと探している。ローズも出せてクッキーだが、こんなにも何も持っていないのかと変に気が落ちてしまう。
ふと、サキがミティアのポーチに目を向けた。細々したものが入っていたような気がする。サキは適当な籠にポーチの中身を広げ、差し出した。
「これ、佃煮ですよね。あと、ミティアさんの持ち物、何か思い出すきっかけにならないかな」
ミティアはまじまじと自分のポーチと中身を見ている。真っ先に佃煮を手にした。他の物は今のところ興味がないらしい。
「これ、追い詰められたときに食べるといいって……誰かが言っていたような?」
ミティアが意外な反応を示す。完全な記憶喪失ではないようだ。これだけで希望が持てた。
竜次がジェフリーの肩を叩く。力ないが、少し安心した笑みを交わした。
「ジェフ、今回はちょっと長引きそうですね」
「…………」
問題が山積みになった気分だ。ジェフリーはため息をつき、肩を落とす。
ハーターがフォローをした。
「まぁさ、まずは彼女が生きていてくれてよかったじゃないか。全喪失、幼児化とかや廃人化はしていないみたいだし。思ったより悪くないから、あんまりマイナスに考えない方がいいかよ?」
「先生……そうだな、ありがとう」
命があってよかった、気が付いてよかったと考えるしかない。それに、ミティアの存在が消えてなくなってしまうかもしれない覚悟までしていたのに、生きているのだ。
どこまで忘れてしまっているのか、きちんと把握しなくてはならない。これもいったんは置いておこう。本当は献身的に世話してやりたいが、皆も疲弊している。そして自分にも余裕がない。ジェフリーはこのまま思い詰めそうになった。だが、一応まとめておこうと提案する。
「休めるうちに休もう。沙蘭に行ったところで寝床があるとは限らない」
司令塔、リーダー、あとは何だと言われていたか。ジェフリーはこれ以上の散らかりを未然に防ごうとしていた。
「行けそうな人は風呂に行って、端っこでおとなしくしていれば、何も言ってこないだろう」
部屋を空にしない状態で自由時間。少しずつ入れ替わりで体を流しに行こうと提案した。皆は賛成し、入れ替わりで汗を洗い流した。
大怪我をしている竜次は室内で洗面器に湯を溜めてタオルを絞った。ミティアの話し相手は圭馬がしている。せっかくなのでパーテーションで仕切ってゆっくりさせることにした。
多くを刺激しても、かえってミティアの不安を招く。一気に女性三人がいなくなってしまった。ところがミティアは寂しくないようだ。
ミティアは記憶がないなりに圭馬から情報をもらっていた。こんな所で圭馬のコミュニケーション能力が生かせるとは誰が思っただろう。幸いなことに、ミティアは負担に思っていない。話しやすいからだ。勢いで変なことを吹き込まれなければいいのだが。
「のぉん、ちょっといいかのぉ?」
ショコラがジェフリーとサキを呼んだ。何か大切な話があるらしい。だが室外に出るわけではなく、主にこの二人に聞いてほしいという意向だった。
ジェフリーは何かあると先手を打つように言う。すると、ショコラは首を下げて猫背になった。この老猫をいじめるような気がして少し気が引ける。
「ばあさんから話があるのは珍しいな。いつも俺たちに、断片的なことしか言わないくせに」
ショコラはサキを見上げている。
「わしとの契約を解除してはくださらんかのぉ?」
「ショコラさん!?」
サキも驚いたが、ジェフリーの方が驚いている。
「ばあさん、何を!?」
思わず二人して大声を出してしまった。当然、残っている者の耳にも入る。ショコラは二人の動揺にかまわず、続けた。
「天空都市が落ちたことによって、治安が乱れるのを防ぎたいと思ってのぉ」
ショコラは主にジェフリーに向かって言っている。
「ギルドの連中に限らんが、あまり外部からの踏み込みをしないでもらいたいのでなぁん。文明も自然も、それにあそこには魔界への門もあるのであまりいい環境とは言えまい? 幻獣の森とはわけが違うのじゃよぉ」
「ばあさん、あの都市のことを考える余力があったのか」
「むぅ、そう言わんといてほしいのぉ……」
ショコラは耳も尻尾も落としてしょんぼりしている。ジェフリーは皮肉まで込めた。この状況で抜けたいと申し出るのはかなりの勇気がいる。
サキはジェフリーが本心からそう思って言うわけではないことを悟った。
「ジェフリーさん……」
「ばあさんの言うこともわからなくはない。天空都市の秘密を握っていたことや、俺について知っていた口振りとか……正直、自分で歩くヒントをくれていたばあさんが抜けるのは心細い」
ジェフリーは気落ちしている。背負うものが多く、考えなくてはならないことも多いこの状況で、仲間が欠けるのは痛手だと思っていた。だが、事情が事情な気もしている。理解がないわけではない。
サキもその気持ちを汲み取ろうと努力した。
「ショコラさんが天空都市を守りたいのはわかりました。でも契約の持続って無理なのですか?」
惜しい存在と言えばそうだが、これまで一行にとってためになることをたくさん助言してくれていたのだ。いなくなるのは寂しい。それでもサキは契約まではと思い止まってもらいたいと提案した。それでもショコラの反応は渋い。
意外にも圭馬は理解を示していた。パーテーション越しに言う。
「契約解除をしない限り、必要に応じて呼び出される。呼び出された場合、その場所を留守にしてしまうのさ。留守ってことは手薄になってしまう。それこそ、落ちた天空都市は荒らされてしまうかもしれない。そうでしょ? それってババァにとって不本意だよねって話だよね?」
まるでヤジでも飛ばすような口調は相変わらずだが、圭馬も同行している身で召喚幻獣だ。目的は違うが、立場は近い。聖域である幻獣の森を守っていたが、ルッシェナによって荒らされてしまった。ゆえに今は兄弟全員が不在だ。それもこれから考えなくてはならない。もしかしたら、圭馬も幻獣の森に帰らなくてはならくなるかもしれない。『今』は大丈夫なだけで。
圭馬はパーテーション越しに質問をしていた。
「ま、別にもう会えなくなるわけじゃないでしょ?」
「まぁ、そうじゃのぉん」
「寂しいとまではいかないけど、それも一つの道なんじゃない? しょーがないなぁ、ボクがまた大活躍しちゃうじゃーん?」
あえて明るく振る舞っている。不安を煽るようなことは言わない。なぜならもっと不安を抱えたミティアがいるからだ。
「あの……」
おどおどとしながらミティアがパーテーションから顔を覗かせた。圭馬を抱えたまま上目遣いでこちらを見ている。
「猫さんが帰っちゃうの、わたしのせいですか?」
ミティアにとって、今の皆は他人だ。もう少し話し込む必要がある。
サキは慌てながら否定した。少々大袈裟のような気もするが、説明を試みる。
「あ、いえ、えーと、ミティアさんのせいではないです。この猫さんはもともと別の目的があって一緒に行動していたのですよ。話の流れから、完全にお別れではないですから。そこは安心してください」
色々言っても今のミティアには難しい。サキは言葉を選んでいた。その説明は少し客観的だ。この距離感で話すとミティアは歩み寄りを見せた。
少し離れて暖かいタオルで顔を拭く竜次とお茶を淹れているハーターも見守っている。
「えっと……」
ミティアはきょろきょろといる人を確認している。たくさんの人数に囲まれていたのだから、落ち着かなかったのだろう。女性がいないという状況に、パニックにならない彼女も少し感覚がずれているような気もする。よくわかっていないのかもしれないが、圭馬がここに悪い人はいないと言ったことから、安心しているのかもしれない。
ミティアの腕の中にいるまま、圭馬は見上げながら順々に紹介をしていった。
「あー……ソコの薄汚いオッサンはキミが行っていた学校の先生。ハーター先生だよ」
「うっわ、ひどい紹介だねぇ」
「ハーちゃん、笑顔で笑顔でっ!!」
圭馬の紹介に悪意がある。
ハーターは苦笑いでミティアに手を振った。ミティアはじっと見ているが、首を傾げている。
圭馬の紹介は続いた。
「隣のかっこいいのはお医者さんの先生。りゅーじ先生。顔はかっこいいけど、中身はポンコツで融通が利かない人だから注意してね」
「あ、あのですね……ウサギさん?」
「あと、むっつりスケベだから変なことされないようにしてね!」
竜次は言及を諦め、ガックリと肩を落とす。大声で否定する元気もないし体に響く。独断と偏見にまみれた紹介は続いた。
「ソコのやたらおしゃれな青年は大魔導士のサキ・ローレンシア。頭はキレる若者だけど、頭の回転が速いわけじゃなくてじっくりタイプ。考え過ぎて簡単なことを見落とすけど、困ったら彼に相談するといいよ」
「あれ、僕の紹介はちゃんとして、る?」
「ただし、体力がないから出歩くときは彼に頼らない方がいいと思うよ」
「気にしてるのに……」
「あと、お姉ちゃんに下心を持っているから注意した方がいいよ」
「余計なことを言わないでくださいよ、もぉっ!!」
持ち上げて落され、サキは機嫌を損ねた。ショコラを抱っこしながら口を尖らせている。ショコラは尻尾を振り子のようにぶらんとさせ、サキを見上げた。
「だいたい圭馬チャンの紹介であっておるのぉん」
「ショコラさんまで!!」
いい流れかと思ったのに、ひどい言われようだ。この場で紹介が残ったのはジェフリーだが、彼は自分から自己紹介をするわけでもなくスッと身を引いた。記憶を失ったミティアと向き合うのが今はつらい。
身を引いたのに、圭馬はしつこかった。
「あの人相の悪いお兄ちゃんは……」
「俺の紹介はしなくていい!!」
「ちょっ、ちょっとぉ!?」
圭馬が言い掛けたが、ジェフリーはこれを塞いだ。軽く身支度を整え、ジェフリーは何も言わずに部屋を出て行った。扉が閉まったあとの静けさが虚しい。
「えっ、ボク、まだ何も言っていないよ、ね?」
圭馬は耳を下げ、しゅんとしている。ウサギの長い耳のせいで、感情がわかりやすい。
サキは落ち込んでしまった圭馬のフォローをした。
「おそらく、圭馬さんが原因ではないと思います」
記憶を失ったミティアにどう接していいのかわからない。ジェフリーの気持ちを理解しているからこそ、サキにはその心情を感じ取れたものだ。
だが、勝手な行動はいかがなものだろうか。ジェフリーをなだめる、注意する意味で竜次が重い腰を上げた。
「はぁ、外に出て人目に付くと厄介ですから、ちょっと注意をして来ます」
せっかく顔を拭き上げたというのに、竜次が率先して追い駆けて行った。その目はまるでひと昔前のジェフリーを見ているようだ。あまり走れないようで、速足程度だが、無理はしないでもらいたい。
室内での静けさが増し、ミティアは気を落とす。泣き出してしまった。
「……っく、うっ……」
ミティアは圭馬を抱えたまま膝を着いて座り込んだ。
すかさずサキは駆け寄って気遣った。
「ミティアさん大丈夫ですか? どこか痛むなんてことは……」
怪我のせいでぎこちないが手を伸ばすサキ。ちらりとハーターに視線をおくると、秒で温かいタオルを絞った。
「ど、どした? それとも彼が怖かったのかい?」
ハーターもミティアに駆け寄り、タオルで泣き顔を覆わせる。持ち前の気さくな口調でフォローを入れる。
ミティアはタオルを顔から離した。小刻みに震えながら泣いているが、パニックを引き起こしたわけではなさそうだ。様子がおかしい。
「わ、わたし、あの人、知っています……」
ハーターもサキも顔を見合わせた。他人を見るような反応だったのに、ジェフリーは違うのだろうか。ハーターは少し掘り下げてみようと試みる。
「知っているって、どういう意味かな? 早速何か、思い出せたのかい?」
「違います。あの男の人は、わたしと大切な約束した人だと思います。だけど、思い出せなくて……」
「大切って……いや、あのさぁ」
むず痒い状況だ、ハーターは思わず口走ってしまった。
「キミの大切な人だったんだよ?」
「ハーター先生!!」
さすがに踏み込み過ぎだと、サキが注意したがすでに遅かった。
思い出そうとするミティアに大きな負担が圧し掛かる。新しい記憶と古い記憶、同時を頭に入れようとすると、普通の人間でも混乱が起きる。読めた展開だったが、ミティアは頭を抱え、咽び泣いてしまった。これ以上は無茶だ。
「わからな……わからない……」
「ミティアさん、落ち着きましょう。えっと、深呼吸? ど、どうしよう……」
落ち着きましょうと言いながら、サキも落ち着いていられない。一大事と言うとそうなのだが、困ったことに医者の二人が不在だ。
取り乱すハーターもお調子者の圭馬もパニックには弱い。
だが、意外な解決方法があった。
「にゃあ!」
ショコラが猫らしく鳴いている。ゴロゴロと喉を鳴らしながら泣くミティアに擦り寄った。驚くことにミティアはぱたりと泣き止んだのだ。鼻をすすっているが、擦り寄ったショコラに手を伸ばした。
「猫さん……」
「のぉん、これから先、これ以上の悪いことは起きないと思うのぉ。泣いてばかりでいると、幸せは寄って来ないのよぉ?」
ショコラの助言……なのだろうか、重々しくも励ましている。本当にいなくなってしまうのだろうか。
サキは悲壮感を胸に皆の帰りを待った。
フィラノスのお決まり宿、お決まりの大部屋。
買い出しに行っていた竜次が戻って来た。ところが、買い出しに行くと言って外出したのに手ぶらだ。まともに動けるはずもなく、お腹を空かせた仲間もいると言うのに表情は暗い。何人か部屋に残っていたが、外出した者もいた。竜次はそのうちの一人に過ぎない。
「ただ、いま……」
身だしなみはきちんとしているが、ひどくやつれた様子だ。手ぶらというのも気になる。比較的元気なローズが気遣った。
「先生サン、どしたデス?」
「…………」
すぐには答えない。疲弊した皆を気遣っている。特に、何も口にせず、塞ぎ込んだままのジェフリーと深い眠りについたままのミティアには申し訳ない気持ちが強い。
骨折をしているというのに、コーディは元気だ。
「お兄ちゃん先生、どったの? ご飯どうする? 手ぶらってことは、今からどこかに食べに行くの?」
湿っぽくなりがちな空気の中、竜次はやっと口を開いた。
「言いづらいのですが、もう明日にはこの街を出ないと行けません……」
意味がわからない。ここにいる者が驚いた。理由は次々と明らかになった。
部屋のドアが開かれ、ハーターとサキも戻って来た。
戻って早々、ハーターはご立腹の様子だ。
「船の部品がほしかったのに、身分を証明したらお前たちに売る物はないだとさ! 頭に来ちゃうね!!」
ハーターの話にサキも眉をひそめた。
「え? ハーター先生もですか?」
サキは紙袋を手にしている。だが、満足はしていない模様だ。
「僕も繁華街で魔石とか道具を補充したくて、行きつけの店に行きましたが買い物を断られました。理由は話してくれませんでしたが、何か様子がおかしいですよね。今までこんなことはなかったのに」
サキはテーブルの上に紙袋を置いて、痛めた右手を引き摺りながら中のものを出した。コッペパンのいい匂いがする。
「ちょっと割高ですが、メルのお店で多少は買えました。変わり種のコッペパンは買えましたので、ついでですが……」
サキの言うメルとは、彼を慕っている後輩のことだ。馴染み深いわけではないが、多少は融通を利かせてくれる。とりあえず完全な空腹は回避できそうだ。
仲間に気を回すだけでも疲労が増す。だが、かけがえのない仲間。替えの利かない、絆を紡いだ仲間だ。
中でも竜次は重症だ。体に無理が回る。キッドが竜次を気遣う。
「竜次さん、大丈夫? 早めに休んだら?」
「いえ……」
竜次は深呼吸をした。皆にも向けて言う。
「おそらく、私たちは行き場を失います。外をマトモに歩くことも、ご飯を食べることも、今は許されない状況です」
一番近くで聞いていたキッドは何を言っているのかと動揺した。
「えっ!? 竜次さん、冗談でしょ?」
「冗談ではありません。ギルドに行ったら、こんなものが広まっていました」
竜次は胸ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。ギルドの記事だ。この場の誰もが目を疑うことがズラズラと書かれてある。
真っ先に怒ったのはコーディだった。
「な、何よ! こんなデタラメ!!」
怒りをあらわにする。だが、ギルドで広められたならもう遅い。この街だけに限らず、これから先も付き纏うだろう。
やっと文字が読めるまでになったキッドも、記事に目を通してカンカンだ。
「勇者一行は黒い龍を操る悪党だった? 誰がこんなことをまき散らしたのよ!?」
キッドやコーディが憤慨するのも無理はない。ギルドで出回っている情報によると、自分たち一行は一方的に悪者にされているのだ。
竜次は、ずっと飲まず食わずで塞ぎ込んだままのジェフリーの肩を叩いた。酷なことだが彼にも意見を聞きたい。
「ジェフ、あなたはどう思いますか?」
「…………」
ジェフリーは憔悴しているが、一応の反応はする。悲しみに暮れてばかりではいられない。本当は感傷に浸ってしまいたいくらいで、仲間に気が回らないのが正直なところだ。ジェフリーは竜次をじっと見て、小さく唸った。徐々に気持ちを持ち直す。
「どうと言われても、俺にも正しい判断はできないぞ」
「状況、おわかりですよね? 宿の方にも明日の朝、出て行けと言われました。薬も食料もまともに買うことがでない状況です。時間が解決してくれるかもしれませんが、しばらくは付き纏うでしょう。あなたは耐えられますか? 何か手は思いつきますか?」
信頼していた兄にこんな言葉を掛けられるとは思わなかった。そんな表情で傍らの椅子から起立する。皆の顔色をうかがいながらジェフリーは俯いた。
「このままこの人数で休むところを探すのは難しい。だけど、誰かを見捨てるなんてできない。最悪、船の上、野宿もするかもしれない。サキの魔法で移動する体力はないだろうし、博士の転送装置を使うにも金がない。先生、船はどれくらい動かせそうなんだ?」
ジェフリーにしては冴えた質問だ。冷静になれば、どんなに混乱した状況でも考えることはできる。
突然の質問にハーターは動揺した。だが、船の部品を買うつもりでいたため、何となくの計算は可能だった。
「ここから拠点に戻る燃料はないね。ざっと計算して、沙蘭くらいまでだよ」
操縦に携わっていたのだから、勝手は把握している。ハーターは悩ましげに言ったが、希望は薄い。
ジェフリーはこの情報を把握していったん置いた。今度は竜次に質問をする。
「兄貴?」
「は、はい?」
「今の手持ちの金と残っている食料を確認してほしい」
「え、えぇ、いいですよ? ただ、携帯食料は皆さんが個々で持っているものも出していただきませんと」
竜次は自身のカバンを持って来て、皆の食料を回収した。回収と言っても、多く持っていたのはローズのおつまみ類で、あとは数本のシリアルバーが追加された程度だった。これでは野宿も危うい。
ジェフリーはこれも状況を確認し、いったん置いた。次に確認したいのは、サキの体調だ。ジェフリーはサキに目を向ける。
「サキの体調はどうだ?」
「どうと言われましても、そう簡単に怪我は治りませんし。治ったとしてもこの人数を拠点のあるフィリップスに転送するのは、距離的にも無理があるのですが」
サキの魔法もしばらくは頼れない。死闘を繰り広げたのだから、怪我人が多いのも納得がいく。幸いにも誰も命を落としていなかった。
ただ、ジェフリーは胸の痛みを感じていた。痛みというよりはか、熱を帯びているという表現の方が正しいかもしれない。意識しなければ平気なのだが、どうも違和感がある。服の上からさすっても傷口はない。血が滲んでいる様子もない。
ジェフリーが判断もせずに、自身の胸を気にしていたので皆は心配になった。竜次が顔を覗き込む。
「ジェフ? どこか具合でも悪いのですか?」
ジェフリーは我に返る。自分が何をしていたのかを思い出した。今は、仲間のことを考えなくてはならない。
ジェフリーは首を振って平気だと主張する。
「いや、大丈夫だ。それよりも、身の振りを考えないと、な……」
考えなくてはいけないのは他にもある。目を覚まさないミティアが気がかりだ。ジェフリーは嫌な予感を抱きつつ、深いため息をついた。
「とにかく、しばらくは情報に敏感にならないといけないな。何かあれば随時報告。情報の共有も意識して、行動会議もしばらく欠かさないようにしよう」
ジェフリーは当然ではありながら、仲間に周知を施した。まだ状況が読めないと言うのが正直なところだ。
サキが控えめに挙手をする。
「ちょっといいですか?」
サキなりの推測が述べられた。
「記事を見るところ、世間一般には僕たち一行は、邪神龍の手先、もしくは手中に邪神龍がある悪党と思われている。破壊工作をした魔女が一行にいる。おじさんが大金を叩いて海域を開けてくださったのに、世間の期待にも応えられず、結局、天空都市は落ちてしまった。悪者に仕立て上げるにはこれらの要素が強そうですね」
あくまで冷静な発言だが、どうも腑に落ちない。ローズもこの意見に付け加えた。
「今までいい行いをして来たのに、少しのしくじりと、ちょっとの勘違いで一気に悪の秘密結社デス」
ローズは人道を踏み外した経緯から、言うことが人一倍重い。ローズが言った件も気掛かりだ。
コーディは怒りを撒き散らしていた。
「つーか、サキも私も頑張って邪神龍の浄化をしたんですけどっ!! あの瀕死の状況でこんだけ頑張ったのに悪党なの!? 人間ってどうかしてる!! 目ぇ腐ってるんじゃない!?」
髪の毛が逆立っている。怒り散らすだけではなく、竜に変身でもしてしまいそうな勢いだ。口も悪く、暴言に近い。まったくもってその通りなのが憎い所なのだが、言っていることには品性がない。気持ちはわからなくもないのだが。
サキはさらに気になることを指摘した。
「もう一つ気になったのが、記事は小さいのですけれど、天を突く光……奇跡の光を見たとここに記されていますよね」
サキの視線は眠ったままのミティアに向けられた。もう使えないはずだったのに、どうしてだろうか。傷付いたはずのジェフリーに怪我はない。ミティアだってそうだ。あの惨事が見間違いだとは思えない。
思い出したように圭馬がカバンから飛び出した。
「あ、そうだ、ミティアお姉ちゃんの荷物は?」
言いながらちゃっかりとご飯をもらおうとしている。圭馬が飛び出したことで、サキも気にしていた。
「ミティアさんの身に付けていた物はどちらに?」
「あぁ、それでしたら……」
竜次が荷物をまとめていた籠を差し出した。診察や治療をするつもりで身軽にさせたのだが、ミティアは武器も持っていたので部屋の隅も指さした。サキは籠の中を見て首を傾げる。何かを探しているようだ。ポーチを摘み、中を見ている。
「うーん……」
サキはテーブルの上にポーチの中身を広げた。かなり細々した物が入っているというのがミティアらしい。
ジェフリーもこれは気になった。ミティアに何が起きたのかを調べる余裕がなかった。
サキはミティアに歩み寄って掛け布団の中で手を取った。気になって持ち上げる。
その様子を見て驚いたのはサキではなく圭馬だった。
「うっわぁ!!」
サキの行動に対しての驚きではない。一同も息を飲んだ。
ミティアの左腕に着いていた腕輪が亀裂を生じていた。もともと丈夫ではなかった。だが、ミティアの衰退と魔力の制御という役割を持った腕輪だ。バングル式の腕輪。人間性を取り戻した今はもうあってもなくても関係はない。それを踏まえても傷が入ることが解せない。サキは眉間にシワを寄せた。
静かな情報整理の中、ジェフリーがぽつりと呟く。
「ない、な……」
一足早く、『異変』に気付いたようだ。手にはミティアのポーチを持っているが、並べた中身を見て手を震わせている。
ローズはピンと来たらしく、状況を把握して深くため息をついた。
「ムムム、これはもしや、やっぱり、デスネ?」
親友は心配だが、入り乱れる情報に整理が追いつかないというキッド。
「ご、ごめん。どゆこと? ミティアはどうなるの?」
ハーターもよくわかっていない表情だ。竜次とコーディは何となくという様子。
答えは鯖トラの猫が教えてくれた。
「おそらく、ドラゴンブラッドの媒体を使って、禁忌の魔法を使った……というところじゃろうなぁん?」
おっとりとした話し方だが、もしそれが本当なら大変だ。いや、大変という一言で片付けていいものではない。
圭馬も嫌な予感を付け足すように言う。
「可能か不可能かって言ったら、限りなく可能だと思うね。もし、本当に禁忌の魔法が試行されたなら、このあとのことも覚悟した方がいいかもしれないけど」
魔法に長けたサキも圭馬の言葉には失望した。もちろん、嫌な予感がする意味で。
「禁忌の魔法だとしたら、ミティアさんの身に何かがあるかもしれない。そうでしたよね?」
知っている。見てしまったこともある。自分のせいで傷ついてしまった経緯がある竜次は人一倍落ち込んでいた。
「ではやはりジェフを……だったのですね」
誰かを責めることはできない。悲しんでもどうしようもないのは理解していても、この感情は複雑なものだった。
負の連鎖が始まりそうだ。今度はキッドが顔を覆った。
「ね、ねぇ、ミティアはどうなるの? このまま目を覚まさないかもしれないの?」
これ以上正確なことは誰にも答えられない。その中でもサキは何か手段はないかと模索する。
「大図書館に行くこともできないしなぁ」
困ったら大図書館という発想がサキらしい。だが、街中を歩いても疑いの目で見られてしまうのだから利用は難しいだろう。
コーディはそのことを気にして、地団駄を踏んでいる。
「散々いいことをしたのに、何でなの。すごく腹立つね」
腹が立つ気持ちはわかるが、こんなにわかりやすく表しているのはコーディだけだ。
がっくりと肩を落とす竜次。手段は限られている。ゆえにため息ばかりだ。
「どこか落ち着いて、皆さんの傷を癒すことも考えないといけませんね。少なくとも、フィラノスの滞在は難しいみたいですし」
宿を追い出されるのは想定していなかったので、本当に困っている。
頼れる人は少ないがいないわけではない。だが、迷惑をかける。それ以前に、あまりいい顔はされないかもしれない。
ジェフリーは物事に優先順位をつけるのがどうしても嫌だった。だが、何事も落ち着いてからではないと動けない。本当は何よりもミティアを優先したかった。冷静になって考えると安心もできない状況で皆に協力をお願いするのはおかしい。ジェフリーはその考えに行き着いた。私的な感情を今は抑え込む。
「なぁ兄貴、姫姉は頼れないのか?」
フィラノスの滞在が難しいのならば、考えは当然のようにここに行き着く。ジェフリーと竜次の肉親がいる沙蘭だ。いいことではないかもしれないが、今はなりふりをかまっていられない。
この提案を聞き、竜次はさらに肩を落とした。
「そうですよね。恥を忍んでお願いしてみるしかないです。本当は真っ先にフィリップスに戻ってあげないといけない気もしますけど」
「城の手伝いや裏の仕事もするから……」
「それは私じゃなくて、姫子やマナカに言いなさい」
今のところはまだ疑惑で済んでいる。指名手配とまではいかない。ことの進展によっては、その可能性も視野に入れて行動した方がいいだろう。
ここはフィラノスだ。何となくだが、アイラに迷惑が掛からないうちにここを出た方がいいだろう。
沙蘭と聞いてサキが表情を変えた。何かいいことを思い付いたらしい。
「沙蘭でしたら、ドラグニーの宝物図鑑がありましたよね」
その場所それぞれの大図書館で得る情報には特徴がある。フィラノスの大図書館はまだ修復が終わっていない。こういったトラブルや危険のリスクがあるので、分散はいいのかもしれない。
該当種族であるコーディの顔色が変わる。
「あ、それなら私も興味がある。それこそ、別のヒントが出て来そうだね? あ、もちろん、お許しが出るなら、だよね?」
世間の目を気にしたことはない。これからは慎重な行動を心掛けたい。
何となくだが予備のプランも練っておきたい。
ジェフリーは冷静な自分にいらついた。顔に出てしまっているが、提案を持ちかける。
「もし、沙蘭で落ち着くのがダメだった場合の保険を用意しておきたい。誰か、いい提案はないか?」
急にジェフリーがリーダーシップを発揮している。今までは方針だけを考えて行動に移していた。だが、これからはより慎重になる。皆はこの考えを意外に思いながら、誰も反論しなかった。
竜次はハーターに視線を向けて言う。
「よくある話ですと、船上で生活なんてのもありますけれど、どうなのでしょう? 簡単なパーティは開けましたが」
結婚式なら船の上でやった。食事も可能だった。生活ができるスペースや設備はなかった記憶だが、どうだろうか。ハーターは小難しく考え込み、記憶を掘り出している。
「突貫工事だったから、生活できるけど快適ではないね。燃料がないと、電気も水道も使えないし。現状では寝袋を持ち込めば大丈夫かもしれないよ。でも、温かくはないだろうね。もう空を飛ばないなら、今度はそういう快適な改造をしてもいいと思うよ」
竜次の確認からハーターの夢語りになって来た。この状況でも明るい話題があるだけいい。とはいえ、あまり余裕がない。もちろん経済的な意味でもだ。
体力も回復しきっていない。傷も癒えていない。世間の目を気に足ながら歩かないといけない。旅の資金だって無限ではない。
ジェフリーは納得がいかないが、納得はした。この人数で路頭に迷う可能性は考えたくない。最悪、お金持ちのローズや印税で収入のあるコーディに頼るしかない。それでなかったら、またギルドで多少の汚い仕事をするか。財源の確保が最大の課題だ。
考えておかないといけないことはいくらでもある。だが、誰もが疲弊している。
小難しく考えるのもいいが、休もうと圭馬は提案した。
「ま、とりあえず休んだら? 元気がないと、いい答えも出ないよ」
この意見には誰もが賛成だ。休めるときに休んでおこうと話がまとまる。
質素だが食事を楽しむ者もいた。コーディだ。
「あれ、キッドお姉ちゃんもういいの? それ、カルボナーラのパンだよね」
「えっ、あぁ……そうなんだけど」
キッドは好物であるはずのパスタの挟まったパンを残している。再び包み紙に包もうとしていたところを、コーディがほしいと手を出した。
「食べないならちょうだい?」
「もちろんいいわ。はい」
キッドはコッペパンを半分しか食べていない。その様子に竜次が心配した。
「食欲がないのですか?」
「ビタミン剤を飲もうとしている竜次さんが言ってもなぁ」
「こ、これはですねぇ、今はあまり固形物を食べると体に障るからでして」
心配を心配で返された。竜次は肋骨の何本かにヒビが入ったらしく、過度に体を動かせないらしい。体を動かすことに支障があるのはサキもコーディも、そしてキッドもそうだった。どこか怪我をしている。
カラカラとビタミン剤の瓶が音を立てる。竜次がドリンク剤ではなく、錠剤を取り出すのは珍しいかもしれない。何も口にしないよりはいいのかもしれないが、本当に休まないといけないのは竜次かもしれない。おそらく、竜次が一番の重傷だ。
竜次とのやりとりを黙って見ていたローズがキッドの肩を叩いた。
「一応背中の件もありましたし、軽く診察などいかがデス?」
「あぁ、そうね。竜次さん怪我があるし、ローズさんに検診してもらおうかな」
キッドは軽く竜次に笑い、ローズの誘いを受けた。
部屋を出て行く二人を、竜次は恨めしく見ている。こういった話になると、決まって圭馬が口を出してくる。
「お兄ちゃん先生が診たら、欲情しない? って、むぎぃ!!」
「こぉら、ウサギさんっ!! それじゃあ私が変態みたいじゃないですか!!」
派手に動ける元気もないので、竜次は圭馬の鼻先をつついて注意する。口喧嘩ができるだけまだ元気というものだ。
圭馬は竜次が元気な様子で安心したようだ。くだらない話までしていた。
「変態はあのサディストだけでいいよね。悪いけど、あんなのいなくなって清々したよ」
二人が離籍しているが丁度いい話題かもしれない。圭馬の話題振りに、水を飲む竜次の手が止まった。視線はジェフリーに向けられた。
ジェフリーは見ていないと首を振った。見ていたのは鯖トラ猫のショコラだ。
「むぅ、エリーシャとともに魔界へ葬っておったぞよ。多分……」
尻尾をパタパタとさせながら答えるショコラ。
簡略に言っているが、執行したのはジェフリーでもミティアでもない。ケーシスがやったのだ。ケーシスの実力は疑いしかないサキは表情を渋めた。
「魔界への歪みを意図的に発生させるなんて、そんな魔法を使う人は知りません。普通の魔法だって難なく熟せるのに、広範囲の重力魔法や計算し尽くされた制御も何もかもが大魔導士なんて超越しています。それに、身体能力だって言ってしまえば、反則的と言うか……」
小さく首を振ってため息をついた。実力に差があり過ぎて自分の存在が霞む。
ジェフリーは嫌な予感を胸に抱きつつ、その件は黙っていた。神様も『あの男』については触れていない。その前に話したところで『神様』を信じてはくれないだろう。圭馬が知っているかは怪しい。ショコラは黙っていそうだし、話の地雷を踏まないようにして皆と話しているのは汲み取れる。
ゆえに、ジェフリーも無難なことを言うだけだった。
「親父が何をしたのか知らないが、もう女神もあの狂った奴もいない。それだけでじゅうぶんだろう?」
うまく言えないが、ジェフリーは話を完結させようとする。深く考えたところで何も変わらない。ましてや、ミティアの意識が戻るわけでもないのだ。
「あーあっ、私たちせーっかく頑張ったのになぁ」
せっかくいいようにまとめたというのに、コーディが蒸し返した。しばらく続きそうだ。ゆっくりとした時間を過ごす。
規則的に寝息を立てるミティアに思いを募らせながら。
抜け出したに等しいローズとキッド。だが、キッドが宿の休憩スペースに招いた。検診と言い出したのはローズだが、逆にキッドが招いている。その表情はどこか険しく、念入りに人目を避けているようにも思えた。
キッドは誰もいないと何度も確認し、少し奥まった休憩スペースに座った。
ローズは首を傾げながら言う。
「どしたのデス?」
ローズの反応を見て、キッドは口元に人差し指を当て静かにするように促した。
「あ、あの、ごめんなさい。どうしてもローズさんに相談があって……」
キッドから相談など受けた記憶がない。ローズは何かの間違いではないかと周囲を気にしだした。挙動不審に思われるかもしれないほど、落ち着きがない。
「あ、あー……わ、ワタシ?」
「ローズさんでないと相談できないの!」
キッドの様子がおかしい。ローズは医者でなくてもお決まりの行動を取る。彼女のおでこに手を当てた。異変を感じ取った。
「んン? 何か体温高くないデス? 風邪? どこか炎症が残っているか、それとも」
ぺたぺたとキッドの顔を触って小難しい表情を浮かべるローズ。てっきり竜次が怪我をしているに加え、ローズの方が、技量が上だからなのかと勘違いしていた。
キッドの表情がやけに険しい。話の風向きが変わった。
ローズは白衣のポケットから聴診器を引っ張り出した。
「どこか、悪いのデス?」
その頃合いでキッドは声を震わせながら答える。
「あたし、その、できちゃってるのかも……」
「んんんんン!?」
ローズは慌てて聴診器を落としそうになって取り乱す。キッドは真剣な表情だ。完全に不意打ちを受けた。
ローズは情報の整理を優先した。まずは冷静になりたい。
「ごめんなさいデス。あの、そういうコト、記憶にあるのデス?」
キッドは質問に対して深めに頷いた。ローズにしか話せない。ローズに相談がある。納得がいく相談内容だ。
ローズは医者として、友人として、話を聞いてあげようと辺りを気にしながら親身になった。
「えと、お式のときにはすでに自覚があったのデス?」
質問の意図がわからないのか、キッドは俯いてしまった。
ローズは質問を変える。
「えっと、いつから食欲はなかったのデス?」
「式のあとかな。緊張のせいかと思っていました。ただ、もう三か月近く来てないし」
「うーむ……」
ローズの表情が険しい。サキではないが、考え込んでしまう。話を聞く限り計算が合わない。嫌な予感がする。ゆえに、もう少し判断材料がほしい。
「気分悪くなったり、吐き気があったりはしないのデス?」
「それはわかんないです。みんなで、わーっとしてると、ホントに時間とかあっという間で。この旅自体、生活が不規則だったり、夜通しで頑張ったりしたじゃないですか」
普通の人間でも生活の不順は体調が乱れる。普通の人間だってそうなのだ。今のところは判断が難しい。こればかりは体質にも左右される。
ローズはもっとも重要な指摘をした。
「先生サンには言ったのデス?」
キッドは首を横に振っている。
ローズはロクに診察もしないまま腕を組んだ。
「仮におめでただとして、それは先生サンとの……」
「違います……」
「ルー……なのデスネ?」
「だって他に心当たりが……」
言えるはずがない。ただ、一人で抱えるにはあまりに大きい問題だ。ローズが懸念しているのは、じゃあ検査しようとはなれないこと。デリケートな問題だ。世間体も含めて皆が神経質になっている今、できるだけ水面下で済ませておきたい。
ただ、時間がないのもローズの中ではわかっていた。仲間の崩壊も招くかもしれない。そうなったら、誰がキッドを守ってあげられるだろうか。
ローズにとって他人事には思えなかった。自分だって妊娠してしまったときに誰も傍にいなかった。ともに歩めないと自分から身を引いたはずなのに、孤独と戦っていたのだ。そして学者としての不規則な生活と精神的に病んだ自分は流産した。
ローズはキッドを黙って抱き締める。頭も背中もたくさん撫でた。
「ローズさん?」
涙声のキッドが顔を上げようとするが、ぎゅっと胸に埋めた。医者として、仲間として、とある提案をした。
「ゆっくり休んで体調が整ったら、近いうちに検査するデス。検査キットは取り寄せておきますのでネ?」
次の行き先は沙蘭と言っていた。どれだけの隙が生まれるかわからないが、早めがいいだろう。
もちろんいつか竜次にも話さないといけない。これからのキッドのためにも。
課題は多そうだ。ローズから仲間に歩み寄り、気持ちにまで寄り添うのは、これが初めてかもしれない。
ローズはキッドが泣き止むまで抱き締めていた。
キッドが落ち着いた頃、戻ろうと部屋の前に来た。そこで血相を変えたコーディが飛び出して来た。ローズを見るなり、騒いでいる。
「ろ、ろ、ろろろ、ローズ!! 今呼びに行こうとしてたところなんだけど!!」
左手を吊っているのに元気だ。屋内だというのに、翼までばたつかせている。
ローズは眉間にしわを寄せる。
「どしたデス? あまり騒ぐと今スグ宿を追い出されマスヨ」
ローズはコーディに白衣を引っ張られ、部屋の中に引き摺り込まれていた。
キッドは部屋の中を見て、コーディが騒ぐ原因を把握した。息を飲む。
赤い髪の毛に緑の澄んだ瞳、ミティアが目覚めたのだ。上半身だけ起こし、ぼんやりと自分の手を眺めている。男性諸君、特にジェフリーはもっとよろこんでもいいものだが、揃って表情を曇らせている。その中から竜次がハッとして振り向いた。
「あ、あぁ、クレア、どうでしたか?」
「う、うぅん、別に何ともなかったわよ?」
キッドは苦笑いでとりあえずの嘘をついた。この偽りがいつまで続くのかはわからないが、確証はまだない。ゆえにいったん伏せた。まだ焦って言わなくてもいいとキッドは思っていた。
それよりもミティアが気になる。
「えっと、どうしたの? ミティア、目が覚めたのよね?」
少し遅れてキッドもミティアのベッド脇に立った。ミティアはキッドを見上げるが、困惑した表情だ。この反応は嫌な予感がする。
さっそくローズが対応した。
「ンー……ココ、どこかわかりますカ?」
ローズは何を質問しているのだろうか。キッドが不思議に思っていると、ミティアの無邪気な返事が返って来た。
「わからないです。お姉さんは誰ですか?」
やっと笑ったと思ったら、妙な反応だ。キッドも想定外な言葉に目が点になった。
悩みの種が増えてしまった。皆の表情が暗かった理由を把握した。
サキも竜次も思考を働かせる元気がない。
ジェフリーなんて、あまりのショックに呆然としてしまっている。
誰もが腫れ物に触るような反応だ。
「しょーがないなぁ?! よっと!」
誰もミティアに積極的な対応をしようとしないので、圭馬がコンタクトを試みた。話し掛けようと彼女の膝の上に乗った途端、ぬいぐるみを愛でるように抱き着いた。
「わっ、かわいい!! ウサギさん?」
「あー、おっけーおっけー。そういうカンジね。貿易都市のときみたいだね」
「喋るなんて賢いね」
ニコニコとしているミティア。そこにいるのは間違いなく彼女なのに、違う人を見ている気がしてならない。圭馬は探りを入れた。
「ボクの名前は圭馬・ノーヴァス・ティアマラント。聞いたことは?」
「ないです。圭馬さんって、変わった名前ですね」
「まーねぇ? お姉ちゃんこそ何て名前なの?」
「な、まえ……?」
自分の名前が思い出せないようだ。ミティアはひどく困惑した様子で皆にも視線を向ける。表情の暗さを察したのか、今度は怯えている。
「わ、わたし……」
何かまずい反応をしてしまったのだろうか。ミティアの表情は、みるみると不安に染まる。圭馬は何とかしようとフォローを試みた。
「あぁー大丈夫だよ、大丈夫。ここにいるみんな、悪い人じゃないから」
「……本当?」
「ボクを含めて悪党に見えるぅ!?」
圭馬とは早速打ち解けている。ミティアは彼の質問に首を振った。不安は拭えないが、ゼロからではないらしい。
『ぐーーっ』
ミティアのお腹の虫が鳴った。これは健在らしい。
総菜パンは食べてしまったし、食べていない者がいてもコーディが食べてしまった。怪我の反動と本人は主張している。
そして食べるものがほとんどない。非常食のシリアルバーか缶詰か、ケトルにお茶でも沸かして誤魔化すか。いや、眠り姫はお腹を空かせている。
竜次が荷物を漁って食べ物がないか確認しているが、非常食ばかりだ。
「な、何かありましたっけ……」
多少のお茶や飴玉はあるが、こんなものでは気の毒だ。
皆も何かないかと探している。ローズも出せてクッキーだが、こんなにも何も持っていないのかと変に気が落ちてしまう。
ふと、サキがミティアのポーチに目を向けた。細々したものが入っていたような気がする。サキは適当な籠にポーチの中身を広げ、差し出した。
「これ、佃煮ですよね。あと、ミティアさんの持ち物、何か思い出すきっかけにならないかな」
ミティアはまじまじと自分のポーチと中身を見ている。真っ先に佃煮を手にした。他の物は今のところ興味がないらしい。
「これ、追い詰められたときに食べるといいって……誰かが言っていたような?」
ミティアが意外な反応を示す。完全な記憶喪失ではないようだ。これだけで希望が持てた。
竜次がジェフリーの肩を叩く。力ないが、少し安心した笑みを交わした。
「ジェフ、今回はちょっと長引きそうですね」
「…………」
問題が山積みになった気分だ。ジェフリーはため息をつき、肩を落とす。
ハーターがフォローをした。
「まぁさ、まずは彼女が生きていてくれてよかったじゃないか。全喪失、幼児化とかや廃人化はしていないみたいだし。思ったより悪くないから、あんまりマイナスに考えない方がいいかよ?」
「先生……そうだな、ありがとう」
命があってよかった、気が付いてよかったと考えるしかない。それに、ミティアの存在が消えてなくなってしまうかもしれない覚悟までしていたのに、生きているのだ。
どこまで忘れてしまっているのか、きちんと把握しなくてはならない。これもいったんは置いておこう。本当は献身的に世話してやりたいが、皆も疲弊している。そして自分にも余裕がない。ジェフリーはこのまま思い詰めそうになった。だが、一応まとめておこうと提案する。
「休めるうちに休もう。沙蘭に行ったところで寝床があるとは限らない」
司令塔、リーダー、あとは何だと言われていたか。ジェフリーはこれ以上の散らかりを未然に防ごうとしていた。
「行けそうな人は風呂に行って、端っこでおとなしくしていれば、何も言ってこないだろう」
部屋を空にしない状態で自由時間。少しずつ入れ替わりで体を流しに行こうと提案した。皆は賛成し、入れ替わりで汗を洗い流した。
大怪我をしている竜次は室内で洗面器に湯を溜めてタオルを絞った。ミティアの話し相手は圭馬がしている。せっかくなのでパーテーションで仕切ってゆっくりさせることにした。
多くを刺激しても、かえってミティアの不安を招く。一気に女性三人がいなくなってしまった。ところがミティアは寂しくないようだ。
ミティアは記憶がないなりに圭馬から情報をもらっていた。こんな所で圭馬のコミュニケーション能力が生かせるとは誰が思っただろう。幸いなことに、ミティアは負担に思っていない。話しやすいからだ。勢いで変なことを吹き込まれなければいいのだが。
「のぉん、ちょっといいかのぉ?」
ショコラがジェフリーとサキを呼んだ。何か大切な話があるらしい。だが室外に出るわけではなく、主にこの二人に聞いてほしいという意向だった。
ジェフリーは何かあると先手を打つように言う。すると、ショコラは首を下げて猫背になった。この老猫をいじめるような気がして少し気が引ける。
「ばあさんから話があるのは珍しいな。いつも俺たちに、断片的なことしか言わないくせに」
ショコラはサキを見上げている。
「わしとの契約を解除してはくださらんかのぉ?」
「ショコラさん!?」
サキも驚いたが、ジェフリーの方が驚いている。
「ばあさん、何を!?」
思わず二人して大声を出してしまった。当然、残っている者の耳にも入る。ショコラは二人の動揺にかまわず、続けた。
「天空都市が落ちたことによって、治安が乱れるのを防ぎたいと思ってのぉ」
ショコラは主にジェフリーに向かって言っている。
「ギルドの連中に限らんが、あまり外部からの踏み込みをしないでもらいたいのでなぁん。文明も自然も、それにあそこには魔界への門もあるのであまりいい環境とは言えまい? 幻獣の森とはわけが違うのじゃよぉ」
「ばあさん、あの都市のことを考える余力があったのか」
「むぅ、そう言わんといてほしいのぉ……」
ショコラは耳も尻尾も落としてしょんぼりしている。ジェフリーは皮肉まで込めた。この状況で抜けたいと申し出るのはかなりの勇気がいる。
サキはジェフリーが本心からそう思って言うわけではないことを悟った。
「ジェフリーさん……」
「ばあさんの言うこともわからなくはない。天空都市の秘密を握っていたことや、俺について知っていた口振りとか……正直、自分で歩くヒントをくれていたばあさんが抜けるのは心細い」
ジェフリーは気落ちしている。背負うものが多く、考えなくてはならないことも多いこの状況で、仲間が欠けるのは痛手だと思っていた。だが、事情が事情な気もしている。理解がないわけではない。
サキもその気持ちを汲み取ろうと努力した。
「ショコラさんが天空都市を守りたいのはわかりました。でも契約の持続って無理なのですか?」
惜しい存在と言えばそうだが、これまで一行にとってためになることをたくさん助言してくれていたのだ。いなくなるのは寂しい。それでもサキは契約まではと思い止まってもらいたいと提案した。それでもショコラの反応は渋い。
意外にも圭馬は理解を示していた。パーテーション越しに言う。
「契約解除をしない限り、必要に応じて呼び出される。呼び出された場合、その場所を留守にしてしまうのさ。留守ってことは手薄になってしまう。それこそ、落ちた天空都市は荒らされてしまうかもしれない。そうでしょ? それってババァにとって不本意だよねって話だよね?」
まるでヤジでも飛ばすような口調は相変わらずだが、圭馬も同行している身で召喚幻獣だ。目的は違うが、立場は近い。聖域である幻獣の森を守っていたが、ルッシェナによって荒らされてしまった。ゆえに今は兄弟全員が不在だ。それもこれから考えなくてはならない。もしかしたら、圭馬も幻獣の森に帰らなくてはならくなるかもしれない。『今』は大丈夫なだけで。
圭馬はパーテーション越しに質問をしていた。
「ま、別にもう会えなくなるわけじゃないでしょ?」
「まぁ、そうじゃのぉん」
「寂しいとまではいかないけど、それも一つの道なんじゃない? しょーがないなぁ、ボクがまた大活躍しちゃうじゃーん?」
あえて明るく振る舞っている。不安を煽るようなことは言わない。なぜならもっと不安を抱えたミティアがいるからだ。
「あの……」
おどおどとしながらミティアがパーテーションから顔を覗かせた。圭馬を抱えたまま上目遣いでこちらを見ている。
「猫さんが帰っちゃうの、わたしのせいですか?」
ミティアにとって、今の皆は他人だ。もう少し話し込む必要がある。
サキは慌てながら否定した。少々大袈裟のような気もするが、説明を試みる。
「あ、いえ、えーと、ミティアさんのせいではないです。この猫さんはもともと別の目的があって一緒に行動していたのですよ。話の流れから、完全にお別れではないですから。そこは安心してください」
色々言っても今のミティアには難しい。サキは言葉を選んでいた。その説明は少し客観的だ。この距離感で話すとミティアは歩み寄りを見せた。
少し離れて暖かいタオルで顔を拭く竜次とお茶を淹れているハーターも見守っている。
「えっと……」
ミティアはきょろきょろといる人を確認している。たくさんの人数に囲まれていたのだから、落ち着かなかったのだろう。女性がいないという状況に、パニックにならない彼女も少し感覚がずれているような気もする。よくわかっていないのかもしれないが、圭馬がここに悪い人はいないと言ったことから、安心しているのかもしれない。
ミティアの腕の中にいるまま、圭馬は見上げながら順々に紹介をしていった。
「あー……ソコの薄汚いオッサンはキミが行っていた学校の先生。ハーター先生だよ」
「うっわ、ひどい紹介だねぇ」
「ハーちゃん、笑顔で笑顔でっ!!」
圭馬の紹介に悪意がある。
ハーターは苦笑いでミティアに手を振った。ミティアはじっと見ているが、首を傾げている。
圭馬の紹介は続いた。
「隣のかっこいいのはお医者さんの先生。りゅーじ先生。顔はかっこいいけど、中身はポンコツで融通が利かない人だから注意してね」
「あ、あのですね……ウサギさん?」
「あと、むっつりスケベだから変なことされないようにしてね!」
竜次は言及を諦め、ガックリと肩を落とす。大声で否定する元気もないし体に響く。独断と偏見にまみれた紹介は続いた。
「ソコのやたらおしゃれな青年は大魔導士のサキ・ローレンシア。頭はキレる若者だけど、頭の回転が速いわけじゃなくてじっくりタイプ。考え過ぎて簡単なことを見落とすけど、困ったら彼に相談するといいよ」
「あれ、僕の紹介はちゃんとして、る?」
「ただし、体力がないから出歩くときは彼に頼らない方がいいと思うよ」
「気にしてるのに……」
「あと、お姉ちゃんに下心を持っているから注意した方がいいよ」
「余計なことを言わないでくださいよ、もぉっ!!」
持ち上げて落され、サキは機嫌を損ねた。ショコラを抱っこしながら口を尖らせている。ショコラは尻尾を振り子のようにぶらんとさせ、サキを見上げた。
「だいたい圭馬チャンの紹介であっておるのぉん」
「ショコラさんまで!!」
いい流れかと思ったのに、ひどい言われようだ。この場で紹介が残ったのはジェフリーだが、彼は自分から自己紹介をするわけでもなくスッと身を引いた。記憶を失ったミティアと向き合うのが今はつらい。
身を引いたのに、圭馬はしつこかった。
「あの人相の悪いお兄ちゃんは……」
「俺の紹介はしなくていい!!」
「ちょっ、ちょっとぉ!?」
圭馬が言い掛けたが、ジェフリーはこれを塞いだ。軽く身支度を整え、ジェフリーは何も言わずに部屋を出て行った。扉が閉まったあとの静けさが虚しい。
「えっ、ボク、まだ何も言っていないよ、ね?」
圭馬は耳を下げ、しゅんとしている。ウサギの長い耳のせいで、感情がわかりやすい。
サキは落ち込んでしまった圭馬のフォローをした。
「おそらく、圭馬さんが原因ではないと思います」
記憶を失ったミティアにどう接していいのかわからない。ジェフリーの気持ちを理解しているからこそ、サキにはその心情を感じ取れたものだ。
だが、勝手な行動はいかがなものだろうか。ジェフリーをなだめる、注意する意味で竜次が重い腰を上げた。
「はぁ、外に出て人目に付くと厄介ですから、ちょっと注意をして来ます」
せっかく顔を拭き上げたというのに、竜次が率先して追い駆けて行った。その目はまるでひと昔前のジェフリーを見ているようだ。あまり走れないようで、速足程度だが、無理はしないでもらいたい。
室内での静けさが増し、ミティアは気を落とす。泣き出してしまった。
「……っく、うっ……」
ミティアは圭馬を抱えたまま膝を着いて座り込んだ。
すかさずサキは駆け寄って気遣った。
「ミティアさん大丈夫ですか? どこか痛むなんてことは……」
怪我のせいでぎこちないが手を伸ばすサキ。ちらりとハーターに視線をおくると、秒で温かいタオルを絞った。
「ど、どした? それとも彼が怖かったのかい?」
ハーターもミティアに駆け寄り、タオルで泣き顔を覆わせる。持ち前の気さくな口調でフォローを入れる。
ミティアはタオルを顔から離した。小刻みに震えながら泣いているが、パニックを引き起こしたわけではなさそうだ。様子がおかしい。
「わ、わたし、あの人、知っています……」
ハーターもサキも顔を見合わせた。他人を見るような反応だったのに、ジェフリーは違うのだろうか。ハーターは少し掘り下げてみようと試みる。
「知っているって、どういう意味かな? 早速何か、思い出せたのかい?」
「違います。あの男の人は、わたしと大切な約束した人だと思います。だけど、思い出せなくて……」
「大切って……いや、あのさぁ」
むず痒い状況だ、ハーターは思わず口走ってしまった。
「キミの大切な人だったんだよ?」
「ハーター先生!!」
さすがに踏み込み過ぎだと、サキが注意したがすでに遅かった。
思い出そうとするミティアに大きな負担が圧し掛かる。新しい記憶と古い記憶、同時を頭に入れようとすると、普通の人間でも混乱が起きる。読めた展開だったが、ミティアは頭を抱え、咽び泣いてしまった。これ以上は無茶だ。
「わからな……わからない……」
「ミティアさん、落ち着きましょう。えっと、深呼吸? ど、どうしよう……」
落ち着きましょうと言いながら、サキも落ち着いていられない。一大事と言うとそうなのだが、困ったことに医者の二人が不在だ。
取り乱すハーターもお調子者の圭馬もパニックには弱い。
だが、意外な解決方法があった。
「にゃあ!」
ショコラが猫らしく鳴いている。ゴロゴロと喉を鳴らしながら泣くミティアに擦り寄った。驚くことにミティアはぱたりと泣き止んだのだ。鼻をすすっているが、擦り寄ったショコラに手を伸ばした。
「猫さん……」
「のぉん、これから先、これ以上の悪いことは起きないと思うのぉ。泣いてばかりでいると、幸せは寄って来ないのよぉ?」
ショコラの助言……なのだろうか、重々しくも励ましている。本当にいなくなってしまうのだろうか。
サキは悲壮感を胸に皆の帰りを待った。
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