トレジャーキッズ ~救いしもの~

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【3‐5】大切なもの

日常の日常

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 拠点へ帰って早々、ミティアはジェフリーを地下書庫に連れ出した。
 皆は不審に思いながら、それでも少ない『二人の時間』を黙認していた。

 呼び出したのはミティアなのだから、当然迫るようになる。
「やりたいことをやっとけってケーシスさんは言っていたよ。しなくていいの?」
 虜にさせる小悪魔のようなことを言い、甘えるような仕草を交える。いつ覚えたのだろうか。段々と節操がなくなって来た。
 ところが、ジェフリーにも免疫ができて来た。いちいち翻弄されっぱなしでは身が持たない。
「何も特別なことなんてしなくてもいいじゃないか。何をするつもりだ? デートなら散歩の名義で行ってもいいけど」
 腕を組んで呆れたため息を一つ。ジェフリーも疲れで、本当はミティアの相手をするのがしんどい。
 ミティアはジェフリーの顔を覗き込むようにして言う。
「うーん、特別なこと。えっちなこと?」
 まさかの発言に、ジェフリーは腕を組んだまま本棚に頭をぶつけた。徹夜で膨大な量の情報を耳にして今度はこれだ。悩んでいる暇がない。もしくは、ミティアからそういう戦略を食らっているのだろうか。いや、それはありえないと信じたい。
「あのなぁ?」
「わたしはしてもいいよ? えっと、決戦前に男女が関係を持つ話みたいに」
「そんな話、どこで聞いたんだ?!」
「えっと、圭馬さんが教えてくれた」
「(あのエロウサギ……)」
 組んでいた手を解き、腰に手を当ててまた溜め息を一つ。それでもミティアは一生懸命に訴えて来る。
 ミティアもこれはだめな戦略だと判断し、普通に接した。
「元気出して。わたしが一緒だよ」
「俺は平気だって」
「絶対に嘘! わたし、やり場のない不安を抱え込んで、押し潰されそうになった! ジェフリーだって絶対にそうだよ? 怖くないの?」
 心配してくれるのはありがたい。だが、ジェフリーの思考は徹夜のせいで鈍っていた。いや、徹夜だけではないかもしれない。
 ミティアはジェフリーに目でも訴える。
「わたしは何も力になれない?」
「気持ちはありがたい。だけど、うーん、そうだなぁ」
 しつこいといって塞いでしまうのは簡単だが、不思議なもので段々このやりとりが面白くも楽しく感じられて来た。ジェフリーはミティアからどうしても聞きたいことがあったのを思い出した。
「この一瞬だけ『ウッ』ってなったとき、どうやったら楽になったか覚えているか?」
 ジェフリーは突然襲って来る立ち眩みの対処は予習したいと思った。これは真面目に訊ねている。だが、ミティアは口を窄めながらがっかりしている。『そんなこと?』とでも言いたそうだ。
 質問が悪かったと思ったが、ジェフリーも大真面目。ミティアもジェフリーの気持ちを汲み取ることにした。
 ミティアは思い返しながらだが、ゆっくりと話す。
「立ち眩みがしたら少し頭を下げて、ゆっくり深呼吸して、そうするとすぐよくなるかな。貧血に近いよね。突然、フッと来るもの」
「貧血か。まぁ、そうか。これって一時的に生命活動が低下しているって意味なんだろうし、まぁ簡単に言うと危険信号みたいなものだよな」
「何かに意識を集中していると、あんまり気にならないかも? だって、火山でそうだったの。緊張感を持っていたからかもしれないけど」
 ジェフリーは聞いて深々と頷いた。対策になるかわからないが、参考にしてもいいかもしれない。確かにふらついたときは思考が乱れ、突然昔のことを思い返したり、気持ちがマイナスに傾いたり、意味がわからなかった。ジェフリーはとりあえず納得した。できるだけ、変なことは考えないようにしようと心がける。
 予習もほどほどに、ジェフリーはこのタイミングでもう一つ、重大なことを思い出した。
「なぁ、さっきの変な薬、まだ持っているのか?」
 これだけは絶対に確認しておきたい。ミティアは小さく頷いて嫌そうな顔をしながらポーチに視線を向けた。
「本当は持っていたくないけど、捨てちゃうにも怖いから」
「俺はそんな物、絶対に飲まない。何かのタイミングで親父に返してくれ」
「そのつもりでいるよ。わたしだって嫌だもの。ただ、その辺に放置したり捨てちゃったりするのは怖いから、持ってるだけ」
 劇薬だろう。人間の生命を無理に引き伸ばすのだから。確かにミティアが言うように、適当に処理して物や動物に変な作用があっては困る。
 ジェフリーは安堵の息を漏らす。
「安心した。ありがとう」
 ミティア本人も嫌がっているくらいなのだから大丈夫だろう。
 話が一区切りして、ミティアは個人的に不安に思っていることに触れる。
「天空都市ってどんな所なんだろうね」
「歓迎するフリをして、案外殺しに掛かって来るんじゃないか?」
 何が待っているかなんてわからない。対策なんてしょうがない。ただ、身構えておいていいだろう。
「俺だけじゃなくて、みんなにも気を回してやってくれないか?」
「ん、どうして?」
 お得意の小動物のような首の傾げ方。ミティアはなかなか自分の役割に気が付けない。
 ジェフリーは旅の道中のことを思い出しながら言う。
「ミティアが元気でいることは、みんなの士気も上がる。だから、元気がない奴にはガンガン声を掛けてやれ。きっと、みんながひとつになるいいきっかけになると、俺は思うんだ」
「わたしが?」
「ミティアだって、落ち込んでいるときに気遣ってもらえるのはありがたいだろう?」
「そ、そうだね」
 ジェフリーによる説明はとてもわかりやすかった。ミティアは深く頷き、納得しているようだ。
「気落ちしたら負け戦になるケースもある。って、天空都市にそんな危険があるかはわからないけどな」
 気持ちの持ちようで勝敗が左右する。学校の野外授業で学んだ厳しい環境で生き残るためのひとつの戦略でもある。ミティアにはその力があるとジェフリーは絶賛した。
 ミティアは皆にとって、太陽にも等しい存在だ。
「わ、わかった。意識してみるね?」
 ミティアを独り占めするのもいいが、皆にもなくてはならない存在である。誰かの心を照らす、それも彼女の魅力なのだ。
 心構えが整ったところで、今度は上が騒がしい。離脱していた者たちが帰って来たようだ。
 ジェフリーは戻ろうと流れを作る。
「戻って軽く飯にして、いつも通りでいい。変なフラグを立てることはないさ」
 ジェフリーから階段を上がろうとする。だが、ミティアは足を止めたまま、不安そうに俯いた。
「ジェフリー、天空都市に私たちがいなかったらどうしよう?」
 日常に戻ろうというところでミティアが変な意識を持った。考えないようにしていたのに、彼女は不安なのだろう。
「死ぬ前提で話すのはよくない。マイナスに考える予見は対策としていいけど、負け戦はどうもな。逆境を打ち払おう。それだけのことをしないと」
「わかった。考えないようにする」
 ミティアの相手をしていると、どんなに深刻な悩みを抱えていようと、どうでもよくなって来る。和まされているのか、彼女の魅力に引き込まれていつもこんな感じだった。
 案外何も悩むことがなくなったら、こんな風に感じるのは少なくなるかもしれない。ジェフリーは階段に足をかけたまま、ミティアへ手を伸ばした。
「いつもありがとう」
「ふぁ? へぅ?!」
 ジェフリーは感謝の意を込めてミティアの頭を撫でた。細い髪の毛が指にいっさい絡み付かず、シルクでも撫でているかのようだ。見上げる澄んだ眼に吸い込まれてしまいそうだ。いくらでも触れていたい。愛しくてたまらない。
 そして、もっと一緒に生きたいとジェフリーは思った。


 会話に混ざるわけではなかったが、ミエーナがお皿を洗っている。その隣でコーディが布巾で拭いて整えている。なぜか仲良くなったはずのこの二人の間に会話がない。
 新郎新婦とサキが帰ったことは把握していたが、ミエーナもコーディも黙々と作業をしている。
 意外にも声を掛けたのは竜次だった。
「ただいま戻りました。片付けをさせてしまってすみません。手伝いますよ?」
 台所に入って来て手を洗い、作業に参加した。気が付かなかったが、竜次から潮の匂いがする。髪の毛にはワックスで整えた痕跡が見えた。
 コーディが手を止め、竜次を見上げる。
「けっこう潮っぽい匂いがするね」
「そうですか? うーん、ハッピーラフレシアの件でもそうでしたけど、意外と自分では気が付きませんねぇ」
 気の抜けた優しい笑い方。竜次らしい気遣いだ。何となく会話のない二人を気にしているらしい。
「ミエーナちゃんもありがとうございました」
「あぁ、えっと、結婚式、よかったですね! アタシ、結婚式の立ち合いは初めてでした。こういうのに参加できてよかったです!! あ、でも、自分には無縁だろうなぁ」
 ミエーナはお礼を言ったのに、勝手に凹んで気を落としている。これには竜次も苦笑いだ。
 これだけを話しに来たわけではない。竜次は手を動かしながら話を切り出した。
「一応念のためにお聞きしますけど、明日、お二人は天空都市に挑みますか?」
 確認はしておかないといけない。即答したのはコーディだった。
「行くに決まってるじゃん。私、みんなのこと、世界のこと、本にしたいもの。それに、私がいないと、お兄ちゃん先生もジェフリーお兄ちゃんも惚気ちゃうでしょ? ブレーキ役もいないとね!」
 即答な上、きちんとした理由、そして偉そうにお年頃の発言。ある意味安心した竜次は小さく含んだ笑いで返し、大きく頷いた。
 ミエーナは浮かない表情でゆっくりと首を横に振っている。仕草は小さいが、ポニーテールがわかりやすい。
「アタシ、現段階で自分の潜在能力を役に立てるのは難しいです。だから、行っても足を引っ張る要素しかありません。特にサキさんに大きく迷惑を掛けてしまいます」
 コーディはこの返事を予想していたようだ。
「やっぱり。なーんか浮かないと思っていたのよ」
 大きくがっかりはしなかったが、その顔はとても残念そうだ。
 ミエーナも残念そうに眉を下げ、背を丸める。
「今のところ視界を制限するしか手がないから、今度はコントロールができるようになりたいかなって。大図書館で何かそういう手がないか、圭馬さんとも調べたんだけど資料がほとんどないから手がなくて。結局武術を少し見た程度だったし」
 ミエーナは洗い物を終えて、コーディと竜次の二人に向き直った。
「アタシ、地上に残って変なことが起きないか、ばっちり見ています。あの執事さんとこの街に残って待っていようと思うんです。どうでしょうか?」
 ミエーナが手を組んで軽く頭を下げた。竜次とコーディは顔を見合わせる。
 これがミエーナの意思なら、尊重すべきだ。竜次は壱子を呼ぶ。
「壱子様」
 壱子は鋏の手入れをしていた。剣や刀と一緒で、手入れをしないといざというときに振れない。鋏をしまいながら壱子は一礼する。
「いかがされましたか? わたくしに何か命令でも?」
「いえ、そんなに大袈裟ではありませんけれど」
 落ち込んでいるのかと思ったが、壱子だっていい大人なのだ。いつまでも落ち込んで現実から逃げたりはしない。竜次は少し身を引き、ミエーナを前に出させる。
「壱子様、明日から、彼女をお願いしてもよろしいですか?」
 多くは語らずとも、壱子には通じたようだ。一瞬は戸惑ったが、切り替えが早い。
「かしこまりました。ご一緒に防衛を心掛けていればよろしいのですね?」
「簡単に言うとそうなります。教育係をしていましたし、面倒見がいいのはよく知っています。その点は壱子様を信用していますから」
 竜次の言葉に、壱子は目を輝かせて頷いた。落ち込むどころか頼ってもらえたことがうれしかったようだ。
 ミエーナは『よろしくお願いします』と頭を下げる。その勢いで、振り下がったポニーテールが容赦なく竜次に直撃した。食らうのは二度目である。
「ぶっ……」
 雰囲気が一気に明るくなり、コーディが噴き出し笑いをする。何も悲しむことも惜しむこともない。この日常はまた訪れる。

 ジェフリーは帰宅して荷物を下ろしていたサキが気になった。
「帰ったか。何だ、その本?」
 サキが手にしている本に目を向ける。食卓テーブルにどさどさと本を置いて、肩を鳴らしている。
「ショコラさんの本です。ちゃんと読んで予習しないと」
「前夜まで勉強か。本当に変わらないな」
「特別なことをすると、死亡フラグになると聞いたことがあります」
 鼻に掛かる喋り方が懐かしい。疲れの色も汗のべたつきもうかがえるが、サキはいつもこんな感じで己を高めようとする。
 特別なことをしない。これには、ジェフリーも賛成だ。
「で、そのばあさんがいないな」
 ジェフリーがテーブルの下を覗く。だが、荷物しかないようだ。
 ジェフリーの背後からミティアも覗く。
「あれ、本当だ。船から帰って来るときは一緒だったのにね?」
 ミティアも気になってテーブルの下を探した。
 帰宅したのはキッドもそうだ。二階を見ると、ローズとハーターが話し込んでいる。いれば顔くらい覗かせるようなものだが、鯖トラ猫は見当たらない。だが、キッドは窓が開いていることに気が付き、視線を向ける。三人も気が付いたようだ。
「今度はどんな悪知恵を働かせているんだろうね!! ババアだけ裏切り者みたいじゃん」
 食卓テーブルの周辺にはキッドとサキ、ジェフリーとミティア。そして、圭馬もいた。
 圭馬の言葉に煽られることはなく、サキは持論を述べた。
「すべてが悪いことではないと思います。僕はお師匠様がヒントだけを出して、自分で考えさせる方針でしたのでそんなに苦には感じていません」
 サキが思いのほか落ち着いているのに対し、キッドは驚いていた。
「へ、へぇ。あんたってそういうところ、タフね」
 キッドが驚くのも無理はない。
 生き別れの弟だが、アイラの見事な教育に人間性の違いを感じていた。旅の道中でサキの根強さを見ている。
 将来、サキが弟子でも取ったら弟子が長続きしなさそうな気がする。今時珍しいタイプだとは誰もが思っていた。改めてサキの根性が際立って見えた。
 ジェフリーが晩飯の話を切り出した。
「メシにしようか」
「ご飯っ!!」
 ミティアの表情が明るくなった。いつもの日常。これが落ち着く。
 ご飯にしようというのに、サキは本から情報を得てメモを書いている。カバーをめくったり、指で文字を追ったりと夢中になっている。キッドは本を取り上げた。
「ほぉら、あんたも本にかじりついてないで食べる支度をしなさい! 食事は参加しないとダメよ!」
「こ、これだけ解読してしまわないと、明日飛べませんよぉ」
 キッドに怒られながら、裏表紙にも目を通していた。サキはここからショコラの暗号を解読する。

 温かい食卓を囲む。このときに暗い話をするのはタブーになっていた。
 ジェフリーはおいしそうに頬張っているミティアを見て、大きく頷いた。
「おいしそうに食う人がいると、やっぱり違うな」
 トマトの煮込まれた甘い匂いのするハヤシライスがおいしい。ミティアだけではなく、皆おいしそうに食べているので、ジェフリーも作った甲斐があるというもの。
 リクエストした本人のコーディが、スプーンを咥えながらお皿を凝視している。
「ん? キノコ多くない?」
 今日は壱子もしっかりと食卓に加わっている。コーディの隣で観察をしていた。
「確かに。こちらは採取したものでしょうか? そしてよーく味わってみると、シロップの味がしますね」
 トマトで甘みと深みが出ているが、臭いは誤魔化しにくいようだ。これにはジェフリーも表情を渋めた。
「スパイスとミルクで工夫したんだけど、まだまだだなぁ」
 改良の余地がある。小難しく考え込むジェフリーに、竜次が声をかける。
「火が点いたようで何より。ジェフはやっぱりコックさんになった方がいいですね」
「兄貴はあんまり味にうるさくなかったよな? どうしたんだ?」
「自分のしたことで誰かを笑顔にできる意味を考えたら、もっと極めたくなるんじゃないかと思って、ね?」
 珍しく竜次はジェフリーを褒めている。『ごちそうさま』と言って笑い、空いた食器を持って台所の奥へ消えた。このままお風呂を溜めてくつろぐつもりのようだ。
 
 ジェフリーは先ほど話し合いをしていたローズとハーターが気になった。隣に座っているのに、何やら気まずそうだ。
「博士と先生は何を話し込んでたんだ?」
 帰って来てから二人は話し込んでいた。込んだ話かと思ったが、どうも違う。答えたのはハーターが先だった。
「操縦の話だよ。まだ動かしたことがないけどね」
 隣のローズはやけに機嫌が悪い。
「失敗するような手の加え方はしてないハズ! ひどいデス!!」
 軽い話し方だが、内容は極めて重要な気がする。兄妹は揃って手を止める。
 一同は目をぱちぱちさせながらことの重大さをジワジワと感じ始める。
 キッドがバウトな指摘をする。
「一発本番って、まずいんじゃない?」
 その『まずい』に込められたのは、あらゆる意味を示す。一発本番という言葉に反応したのはサキだった。
「あれ、僕も一発本番のような」
 サキも飛ばす技術を駆使するのに一発本番だ。なぜかサキの一発本番は不安要素がない。失敗しないことは皆が知っているからだ。
 誰も言わないので、圭馬が言う。
「キミって失敗するの?」
 サキは首を傾げ、一同の視線を気にしている。
「えっ、何このプレッシャー。僕やローズさんたちが失敗したら、天空都市に行く前にみんなして海の底なのでは?」
 サキの言葉に、お決まりであるが竜次が変な声を上げる。
「う、海の底っ!!」
 風呂場からの響く声でこれがこそばゆい笑いを誘う。緊張から一転し、揃ってクスクスと和やかになるが、便乗する話があった。
 キッドも嫌な表情だ。
「あっ、忘れてたけど、あたし高い所苦手なんだよね。竜次さんのこと、笑いごとじゃないかもしれないわ。大丈夫かしら」
 キッドも恐怖症を抱えていた。それを思い出させる瞬間である。竜次もそうだがキッドも強いくせにこんな欠点がある。人間らしいと言うか、完璧な人などそうそういないのを実感させられる。
「崩壊でもしない限りは大丈夫なのぉん」
 今までこの場にいなかったショコラの声だ。帰りづらく感じるかもしれないが、二階の窓から中に入って来てカリカリと窓枠をパンチして動かしている。
 ジェフリーは不振に思い、迎え入れる。何をしていたのか聞いたところで、どうせまともな答えなど返っては来ない。
「すまないのぉん。ただいまなぁん」
「散歩ってことにしておくけぞ」
 気を遣ってジェフリーが入りやすい雰囲気を作った。一応心配はしていたのだから、帰って来ただけいいだろう。
「寒くなって来たんだから風邪ひくぞ? 猫も風邪ひくのか知らないけど」
「不死身ではないからのぉん?」
 頭ごなしに怒っても仕方がない。ジェフリーは席を立って台所で手早く小皿に食べられそうな物を盛った。誰かと話すわけでもなく、ショコラはジェフリーに寄り添った。
 だが、盛大なブーイングをかますのは決まって圭馬だ。
「なーにぃ!? ババアってば、図々しいなぁ」
 不満がないわけではないが、契約者であるサキもジェフリーと同様、涼しい顔をしている。
「帰って来ただけいいと思いますよ。きっと、ショコラさんがいないと、天空都市の構造や勝手がわからないので」
 深く座り直し、このまま眠ってしまいそうな程大きく息をついている。サキも疲れることをたくさん担っているのに、もうひと頑張りするつもりらしい。
「ジェフリーさん、スッゴク濃いコーヒーをいただけませんか? もう一冊だけ、どうしても読んでおきたい本があるので」
「どう考えても頑張り過ぎじゃないか?」
 片付けも始まって休む空気になって来たと言うのに、サキはまだ本を読むと言い出した。革の眼鏡ケースを取り出し、中から眼鏡を取り出している。
「明日動けなかったら、先生にまた例のドリンク剤でもいただきます」
 サキの開き直りに隣に座ってお茶を飲んでいたキッドが苦笑いをする。
「呆れた」
「姉さんだって一生懸命に勉強をしてたでしょう?」
「まぁ、それがあんたなんだから仕方ないわね」
 ぐいっとお茶を飲み干してキッドも片付けに入った。入れ違いになる形でジェフリーがマグカップに真っ黒なコーヒーを持って来た。無言でサキの前に置くが、やはり彼も少し呆れている。
「ありがとうございます。ジェフリーさん」
 ここで飲むのかと思ったら、持って立ち上がった。膝の上の圭馬を椅子に移動させ、サキが顔を上げた。
「ごめんなさい、少し一人にさせてください」
 思い詰めたわけではないが、一人の世界に浸りたいことだってあるだろう。サキは階段を上がって三階へ行ってしまった。誰も追い駆けないが、サキが何を考えているのかなど誰にもわからない。

「あっ!!」
 この流れでミティアが背筋を伸ばす。この仕草は久しぶりに見るかもしれない。何を発するのか楽しみになって、変に期待している者が多い。
 ミティアは立ち上がってテーブルの下に置いてあった自分の剣を拾い上げた。おもむろに鞘から引き抜く。すると、ミティアの剣は激しく刃こぼれしてしまっていた。
「わぁぁ! やっぱりゲジゲジだ。研がないと」
 大切な作業を思い出してよかったと、本人は思っているのかもしれないが一同ずっこけそうになる。不意にケーシスの言葉でも思い出したのだろう。
 ジェフリーはどれくらい手入れをしていないかわからない。悩まし気に首を傾げた。
「手入れ、かぁ。そう言えば俺のもあんまりしていないような気がするなぁ」
 刃物を扱う者たちがいっせいに気にし始めた。
 キッドも錆びていないか心配に思いながら小太刀を抜いた。
「そ、そうだ。お手入れキットを買ってもらったような」
 案の定少し曇っている。カビでも生えたのかとびくびくしていると、壱子が布に包まれた石を差し出して来た。灰色で使い込まれている砥石だ。
「よろしければお手伝いいたしますよ」
 壱子が武器の手入れを手伝うとキッドに申し出た。
 その行動に大きく興味を示したのはミエーナだった。
「おぉ、かっこいい! 見ててもいいですか!?」
 砥石と言っても色々な種類はあるのだが、お店で見るだけで実際はどのようにして使うのかなどはわからない様子。
 いっせいにお手入れが始まり、これはこれで和やかな空気だ。
 どさくさに紛れてローズが試験管をバラバラと取り出す。
「さて、ワタシは媒体でも煮ますかネ」
 こうやって見ると、ハンドメイドにでも使われそうな可愛らしさがあって興味をそそる。
 この作業にはミティアが興味を示した。
「へぇ、金具付けたらキーホルダーとかになったりして?」
 キッドもローズの手元を覗いた。
「あはっ、あたしも思った。着ける場所なんてないけど、可愛らしいわね」
 こう可愛らしいものだと手に取ってしまいたくなる。もちろん、ローズの作業を邪魔するつもりはないのだが。
「……ほい」
 ローズがミティアとキッドに三割ほど媒体の入った試験管を渡した。ちょうど、手元に二つしかなかったようだ。
「えっ、いいなー。私にもちょうだい!」
「作ったらネ。これ、揮発性が高いので、いくらたくさん作っても長持ちしないデス」
 貰えるなら私もほしいと、コーディがローズにせがんだ。だが、手持ちはない。頻繁に作っているわけではなさそうだが、確かに定期的に作っては放ってを繰り返している。これも無限ではなく有限と知った一面だった。

 苦みのあるコーヒーに一瞬顔を歪ませる。これで一時的に目が覚めた。チェストに置いてわざと床に腰を下ろした。ベッドに落ち着いたら眠ってしまいそうだからだ。
 サキは天井を仰いだ。三階から見る天井は思い出の天井だ。空を飛ばす術を思い出している。自信はないが不思議と失敗する気もない。責任は重大なのだが、変にプレッシャーは感じていない。まぁ、この辺りは行きながら思い出した方がそのまま生かせるかもしれない。
 眼鏡を掛けてサキはカバンの中から紫色の魔導書を取り出した。表紙にはすずらんの花、魔法都市フィラノスのシンボルフラワーだ。大魔導士になったときに授けられた大魔法の一つ、光の魔導書は先に読んでしまった。光の魔導書の中身はリザレクション、人が生きたいと思う力を最大限に強める再起を補助する魔法だった。そして今手にしているのは闇の大魔法だ。どんな魔法なのだろうか。読めば消えてしまう魔法が掛かっている。ずっと読まずに取っておいた。いや、正確に言うと、これに気が回らなかったが正しいのかもしれない。
 闇の力は、強大にして絶対的な破壊力を持つ。同時に術者を滅ぼすものも多い。長けているものではあるし、相性もいいのだがこれまでも乱用はしていない。手にするのが怖かったが、そんな綺麗ごとは言っていられない。
「よし……」
 サキは深めに息を吸って本を開く。手にしていい魔法なのか、疑問に思いながら。


 夜も深くなり、それぞれが就寝して行く中、ハーターは地下書庫でゴソゴソと探し物をしていた。地下なので多少の物音も気にならないだろうが、どうしても書庫なので物音は立ってしまう。埃も立つし空気も悪い。
 明かりが行き届かず、本棚の裏側も探している。
「んー、やっぱりないかねぇ。絶対に個々のどこかにあったはずなんだよなぁ」
 本を何冊か掴んでは奥を見ている。限られた明かりの範囲ではなかなか見えない。
「ハーさんや?」
 てっきり皆に混ざって寝ていると思っていたショコラだ。この訪問は意外だったのか、ハーターも探し物の顔から何食わぬ顔になった。
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「実はね、ぼくはアリューン神族の世界に行ったことがある数少ない経験者さ。あまり口にするなと言われている。その子に招かれてその世界の学者さんに、世界が別れる前の地図をもらったんだ。厳重にしまっておいたから、どこにあるかなぁ? 何かの本に挟んだ記憶もあるんだけど」
 地図と聞いて、ショコラがぴくりと耳を立てた。尻尾も床に落ち着いている。
「それは、あった方がいいかもなのぉん」
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「今どうなっているのかはさておき、あの都市は三つの街と湖から成り立つ構造じゃよぉ。しかし、細かい構造は覚えておらんのぉん」
 嘘は言っていないのはわかった。猫らしくしょんぼりしている。ただ、相手にしてもらえないと嘆くような老猫の姿だ。
「手伝ってもらえたりはするかい? 本に挟まっている可能性が高いんだ。多分だけど」
「のぉん!」
 しょげていたショコラが顔を上げる。尻尾もピシッと立った。
「手伝うのぉん!」
「よし、見付かるまで寝ないぞ」
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