トレジャーキッズ ~救いしもの~

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【3‐6】一致団結

ともに歩めない道

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 サキは暗がりで目を覚ます。両足に蔦が絡み、転んで両手を擦り剝いて。軽く捻った左手は一段と痛さを増した。冷たい石床かと思ったが、近くを小川が流れ、空気は温かい。すべてを投げ出して、眠ってしまいそうになる。まどろみの中で声を聞いた。
「サキ、気が付いたか?」
 明るい光とともに声がした。うつ伏せからむくりと起き上がると、声の主はショコラを持ったジェフリーだった。ショコラに蔦が絡まっているのを取り除いている。そして気にすべきはジェフリーがフェアリーライトを傍らに持っていたこと。
 サキは現実に引き戻された。
「ジェフリーさん、ダメです。魔法なら僕が!!」
「ん、あぁ、そうだったな?」
 入れ替わりにサキが明かりを弾いた。膝とコートを叩きながら立ち上がり、周りが植物で囲まれていることに気が付いた。皆がいるわけではなさそうだ。この場にいるのはジェフリーとショコラ、そして自分だけだとサキは焦りを感じた。だが、まずは落ち着かないといけない。
「死んではいないみたいですね」
「まだ死ぬわけにはいかない。でも、死んでいてもおかしくはない、と思う」
「完全にはぐれちゃってますね」
「あぁ。俺たちだけってことは、目的が違うんだろうな。俺たちもそうだけど、博士の叫び声がした。もしかしたら近くにいるのかもしれないけど」
「いやに冷静ではないですか?」
「そう見えるか?」
 サキから見たジェフリーは、落ち着いているように見えた。だが、実際は取り乱す余裕がないことをすぐに察知した。
「ジェフリーさん、少しだけでも座った方がいいんじゃ」
「いや……」
 頭痛を訴えるような表情だ。
 サキにはジェフリーが応じるはずがないのはわかっていた。
 ジェフリーは今、意識を保とうと必死なのだ。蔦を解き、立ちながら首を振っている。
「ジェフリーさぁん……」
 ショコラも心配そうに見上げている。ジェフリーには、あまり時間が残されていないのかもしれない。頭を下げて数回深呼吸し、次に顔を上げたときはいつものジェフリーだった。
「とりあえず今は大丈夫だ。こうすれば少し楽になるって、ミティアに教えてもらったから。でも、こんなにしんどい思いを一人で抱えていたのは信じられないな」
 サキはミティアが衰退に苦しむ姿を見ている。仲間に話さないと秘密を持ったことも。
「僕は嫌でした。でも、ミティアさんの気持ちは尊重したかったです」
 ジェフリーは感傷に浸りそうだった。ミティアも心配だが、はぐれた皆も心配だ。その心配には自身の残された時間も含まれている。その中から今もっとも優先すべきものは、皆と合流することだ。
 話を切り替えた。
「そんなに時間は経っていないはずだ。頑張って追いつこう」
「あれ、でも、進行方向わからないですよ? あ、でも物探しの魔法で探せば!」
「そんな無駄遣いをしなくても、親父が道を残してくれている」
 サキはまだ状況が理解できていなかった。だが、それもわずかの間だけ。ジェフリーが靴で床を擦って気が付いた。ケーシスの強力な魔法が石床を抉っていたからだ。
 進む方向がある程度絞れる。
「あ、そうか……」
「また簡単なことに気付けなかったな?」
「うーん、小さいことでも魔法に頼ってはいけませんね」
 いつまで経っても謝る癖と、簡単なことを見落とすのは直らないらしい。それでも、サキはすぐに切り替えた。
 状況を整理してみる。この場にいるのはジェフリーとサキ、そしてショコラだ。敵に襲われたというよりは、意図的にこの二人を排除したいようにも思えるし、後衛にいたせいかもしれない。ただ、敵の姿がないのは気になった。植物に覆われた周囲。手薄な今のうちに追い打ちが来るのかと思ったが、その様子はない。隔離をしたいのかもしれない。
「僕を引っ張ったってことは、僕がいては都合が悪いのかな?」
「案外、俺もそうかもしれない」
「ジェフリーさんは僕と違う点に気が付きます。一緒で助かりました」
 てっきり世間話をして、もう進むものだと思っていた。サキはジェフリーの背中に激突する。まだ具合が悪いのだろうかと思ったが、少し違うようだ。
「どうかしました?」
 ジェフリーは突然向き直った。ショコラを抱っこしたまま。
 サキはショコラを抱っこしたままなのがいけないのかと受け取ってカバンに避難させたが、それは違っていた。ジェフリーは思い詰めた表情をしている。サキも顔をしかめた。思わず身構えてしまう。
 静かな空間。二人だけの会話。
「俺、本当は嫌だけど、サキには言っておこうと思う」
「突然どうしたんですか?」
 ジェフリーは後頭部を掻きながら項垂れる。切り出しておきながら、話しづらそうだ。
「その、なんだ……」
「はい?」
「もし、俺が死んだら、お前にミティアを頼みたい」
「…………」
 サキは眉間に深いシワを刻んだ。軽蔑の眼差しもジェフリーに向ける。
「何だ、その顔……」
「呆れてものが言えませんね」
「俺は真剣に言っているんだが!?」
「それが気に食わないんです!! 本当に馬鹿みたい! 僕はそんな友だちを持った覚えはないです!」
 いつの間にか睨み合っていた。。
 サキが言いたいことはこれだけではない。
「僕がどう動いても、誰がどんなことを言っても、ミティアさんが好きなのはジェフリーさんです!! 僕だってわざわざこんなこと、言いたくありません。保険を掛ける逃げ道なんてやめて、ミティアさんを幸せにすることを考えてください!!」
「お前だって、ミティアのことが好きだったんじゃないのか?」
「僕じゃなくて、ジェフリーさんの気持ちで考えてください!! 自分が本当はどうしたいのかなんてわかってるくせに!!」
 生意気なところがサキらしい。そう言えばこんな奴だったと、ジェフリーは思い出した。弱気だったのに、目が覚める。
「そうだな。俺の友だちはそういうヤツだった。わかったよ。ホント、お前っていい性格だな?」
「へへっ、もっと褒めてもいいんですよ?」
 この年で数少ない心の通じ合える友だちだ。キッドに似て、信頼している人ほど、突き放す傾向に安心感を抱く。
 認め合った仲。簡単に切れない関係。仲間以前に友だち。いや、今はそれ以上の親友かもしれない。
 
「おーい、この向こうかな? 大魔導士クン、切り込み包丁クン」
 ハーターの声だ。ガサガサと音がして、ジェフリーの横を懐中電灯の明かりがバッと抜ける。短い剣を持ったハーターがあらわれた。全身泥だらけだ。ハーターは元教師だ。そして探索に関しては経験がある。ゆえに、皆とはぐれても経験と勘が生きた。
「よ、よかった!! 手を貸してくれ」
 ハーターに実践慣れはやはり場数が違う。幸いなことにジェフリーもサキも大きな怪我をしていない。手を貸してくれとは、どういうことだろうか。
 ジェフリーはハーターに訊ねる。
「博士は? 先生は誰かと一緒じゃないのか?」
 合流したのはハーターだけだ。ジェフリーはローズと一緒ではないかとあえて言った。一緒にいいたのを確認していたからだ。
「ぼくより引きずり込まれた。場所はわかるんだが。先にキミたちの声が聞こえたから、切り崩してみたんだ。そうしたら、ね」
 聞いてジェフリーとサキは顔を合わせ、頷いた。ハーターの剣は植物の汁で切れ味が落ち、簡単な蔦も切りづらくなっていた。それを見たジェフリーは代わりに先陣に立つ。
「なるほど。こっちを切り進めばいいのか」
「再生して伸びる植物だったなんて、そこまでは読めませんでしたね」
 フェアリーライトで切ったばかりの植物の再生を確認したサキ。警戒を強めている。
 進みながら、ジェフリーは一度終わった話を蒸し返す。どうしても話題が限られる。
「ミティアは事故だったかもしれない。けれど、俺とサキと博士、特定の『誰か』、ターゲットでもあるのか?」
 答えたのはサキだった。心当たりがある様子だ。
「まぁ、僕は厄介に思うかもしれませんね。攻め込まれたとき、潰しに掛かられたことが何度もありましたし」
「ん? 潰しに……って、主に誰にだ?」
 ジェフリーは道を切り開きながら、サキの言葉に疑問を持った。疑問返しがそのまま答えにもなった。
「はっ!! まさか……」
 歩きながらだが、サキの顔色がどんどん悪くなっていく。当然、ハーターに心配された。彼はなまくらに成り下がった剣をぼろきれで拭って悪あがきを試みている。
「ど、どうした、大魔導士クン!? 具合でも悪いのかい?」
 汗が滲むハーターの顔はさらに泥だらけに見えた。あまり身形にかまっているような人ではなさそうだが、汚れくらいは払わないのだろうか。ハーターの振る舞いに気になりながらだが、サキは小難しい表情を幾分か和らげた。
 何となくだがこの必死さが、サキの緊張で疲れた心を幾分か解してくれた。だが、それとは裏腹に、重い話をする。
「対人になると、僕は厄介に思うでしょうね。シフって刺客も、ルッシェナって人も、僕を潰しに掛かって来ましたし」
 ジェフリーは手も足もピタリと止めた。嫌な予感がする。同時に、剣を握る手に力が入った。
「先生、博士はどこだ? もし俺たちを阻もうとしているのが奴だとしたら!」
「あぁ、そうか。『彼』だったら、ローズの技術をほしがるだろうね」
 ハーターの声質が変わった。緊張と焦りの色が見える。誰がこんなことをしたのか、行く手を阻もうとしたのか、だいたいの目星がついた。
「小川の位置からコッチだったはずだ」
 ハーターが進行方向の蔦を切り進む。幾分か切れ味も回復したかもしれないが、小さい剣では打数が必要だ。腕を痛めないか心配なほど躍起になっていた。ジェフリーもサキも、ハーターについて行く。
 そのお陰か開けた場所に抜けた。大樹がそびえている。太くて立派な木の根が何本もある。明かりで白いものが反射した。白衣だ。
 ハーターは叫んだ。
「ローズ!」
 ローズがうつ伏せで倒れている。呼び掛けに応えない。ハーターが駆け寄ろうとすると、ジェフリーが止めに入った。
「どうしてだい!?」 
「待ってくれ。何かおかしい」
 はやる気持ちを抑えようとする。距離こそあるが、何も反応がないのは変だ。
 ジェフリーはサキに目を向ける。すると、サキはすでにこの場に魔力がないか、サーチを済ませていた。仕事が早い。
「特に魔力反応はありません。ただ、気になるのは、鼻がむず痒いと言うか……」
 特に香りは感じないのだが、鼻を刺激される。ついでに思考が鈍る。
 ショコラは敏感に反応する。
「のぉん!! ご主人!?」
 真っ先に刺激を受けたのはサキだった。立っているのがつらそうだが、その顔は眠そうだ。眠いと言えば、サキは日頃から睡眠時間が短く、読書や魔法で頭を使いがちだ。いけないとわかっていても、睡魔には勝てない。
「だめ、ねむ。すぅっ……」
「サキ!!」
「ん……」
 ジェフリーに支えられながら、サキは首をカクンと折って目を瞑っている。
 ハーターもサキを支えようと手を貸す。
「ど、どうしたんだい!? これは?」
「先生は大丈夫なのか?」
「大丈夫って何が?」
 ジェフリーも実は意識を失いそうだ。だがここで深い眠りに落ちてしまったらいけないと、根性だけでつなぎ止めている。眠ってしまったせいでサキのフェアリーライトが消えた。頼れる明かりはハーターの懐中電灯だけになってしまった。
「早く眠ってしまいなさい」
 耳あたりがよく、心地のいい声がする。まるで、木陰から指す日差しと木々のざわめきのような安らぎを感じた。今すぐにでも意識が飛びそうだ。ジェフリーは瞼が落ちそうになっていた。
「だめぇ!!」
 途切れそうな意識をつなぎ止めたのは一瞬の痛覚だ。手の甲に引っかき傷が三本、ショコラのものだ。ジェフリーは目を見開き、かぶりを振った。
「くっ、何だ、この声は誰なんだ!?」
 ジェフリーの中で、ハーターはなぜ大丈夫なのだろうかと疑問が生まれた。ローズもサキも眠っているのは間違いない。ジェフリーも睡魔に呑まれそうになった。
 ショコラは毛を逆立てる。
「どうしてお主が邪魔をするのかのぉん!!」
 ショコラの視線の先に気配を感じる。大樹の陰に鶯色の毛並みをした獣人が立っていた。白地に水色のような淡い色をしたゆったりとした服を着ている。猫のような耳が特徴的だ。
「キミは敵、なのかい?」
 警戒をするハーターに、獣人は艶めかしく誘惑するような色目を使う。
「なぜあなたには効かないのかしら?」
「と言うか、何を仕掛けて来たのか、ぼくにはよくわからないんだけど」
「そっかぁ、そういう人もいるって聞いたことあるけど、そうなのね?」
 猫だったらきっと毛並みも良く、美しいタイプの者だろう。艶めかしさで言ったら、名残がショコラにもある。そう言えば、知っている口振りだった。
「わしの名前はベル。そこの裏切り者と……そうだなぁ、アリューンの混血のお兄さんには死んでいただきましょうかな?」
「うへぇ、やっぱりそういうパターンなのね」
 睡魔に陥らず、普通にやり取りをしているハーター。
 ジェフリーは不思議に思ってショコラに聞いていた。
「ばあさん、何で先生は眠くならないんだ? 俺は油断すると今にも寝そうなんだが」
「ハーさんは多分アレルギーではないのじゃろうなぁん」
「……言ってることがよくわからないんだが?」
 鼻が刺激されることが関係しているのだろうか。考えてもいいのだが、ジェフリーはつらそうにしている。
「ベルはわしと同じでここの守護獣なのじゃよぉ。もう肉体は朽ちているはずなのに、どうして生きていいて、こんなことをするのかはわからんのぉ」
 ショコラは天空都市の門番と聞いた記憶がある。だとしたら、かつての仲間、いや、同じ都市で過ごす存在だった。千年ほど前に種族戦争が起きたのなら、その際に世界を分離させた。この都市は今、悪用されているのかもしれない。考えると眠たい。ジェフリーはまずはこの状況を何とかしたいと小声で持ち掛ける。
「ばあさん、どうすればいい? こいつは起きるか?」
「魔法ではないので起こすのは難しいのぉ。ジェフリーさんやハーさんが陥らないようにするくらい」
「じゅうぶんだ。さっさと片付ける!!」
「…………」
 ジェフリーはサキを下ろし、楽にさせる。すうすうと寝息を立てているのでこれが憎らしい。ジェフリーは自分がそうならないようにもう一度かぶりを振った。
 ハーターは今一度、確認をする。敵はこの獣人。
「キミを倒せばいいんだよね!?」
「わし倒しても、他の人は手遅れだとは思いますけれどねぇ?」
 ベルは艶っぽい声とともにフワッと飛んで後退した。獣人の力などわからない。実体を持っているのかも怪しいくらいだ。ハーターが剣を手に間合いを詰める。
「にゃ? いいですね、わかりやすい方は。でもあなたはわしに障れないじゃろうなぁん」
 ハーターが振り上げた剣が下ろされることはなかった。両手が蔦で束縛されている。今まで足止めを喰らっていたのはベルの仕業だったことが証明された。
「こういうのって、時間稼ぎに使うよね? キミは捨て駒か!! ぼくたちを足止めするための!!」
「……邪魔な人は死んでもらうといいわねぇ」
 反抗も否定もしない。ただ、ハーターを仕留めようとする働き掛けは確かなものだ。
 ショコラは毛を逆立て、ハーターの足元で叫ぶ。
「ベル!! お主、あの男に魅了されたのぉ!?」
 ハーターの首に蔦が迫る。そこへ銀の刃が走った。
 額に汗をかきながら、ジェフリーも戦線に加わった。息遣いが荒い。それだけ彼は無理をしているというのがわかった。
 鶯色の毛に血が滲む。ジェフリーの一撃はベルにもかすめていた。
「先生!!」
 ハーターを束縛していた植物が切り払われた。ジェフリーはふらつく足を何とか踏みとどまらせる。彼はフェアリーライトを手繰り寄せていた。束縛が解かれ、ハーターが入れ替わりに前に出た。
 時間を稼がれているのはわかっている。仕留めたい対象がハーターだけなら、ジェフリーに手は出せない。
「眠りの花粉が効かないのでしたら、全身の自由が効かなくなる強いものの方がよろしいでしょうか? 神経に何か残るかもしれませんので、できたら使いたくはないのですがねぇ?」
 人を魅了するようなしなやかさと言葉遣い。だがその内容は、かけ離れているものだった。ベルはまたも後退する。振り上げられた両手で何をしたのだろうか。大樹の葉がざわざわと音を立てる。花粉と言っていたが、このカラクリもようやく理解できた。
「ジェフリーさぁん!!」
「わかってはいるけど、体が持ってくれるかわからないぞ」
 ショコラがジェフリーの空いている手に黄色い魔石を放った。サキのカバンからくすねて来たのだろう。こういうときには気の利く使い魔だ。


 ミティアとクディフは行く手を阻むガーゴイルと戦っていた。
 何も合図をしなかったが、ミティアが詠唱し、何かを試みていることはクディフには通じた。圭馬が合図を出す。
「今が一直線だよ!!」
「はいっ!! フォトンブレイズ!!」
 クディフが退いたタイミングで放たれたのは、難しめの中級魔法、フォトンブレイズだ。ガーゴイル二体を巻き込んだ。光の炎が石の床を走ったものの、特に効果は見られない。
 ミティアは悲鳴を上げる。
「えぇっ、そんなぁッ!! 効いてないじゃないですか!?」
 魔法の補助を担当したのは圭馬だ。ミティアに無理のない範囲での魔法は、すなわち強力ではないことも指す。
「やっぱりお姉ちゃんの守護属性じゃ限界なのかな」
「ど、どうしよう。圭馬さん?」
 クディフが退いたことで、ガーゴイルの攻撃対象がミティアに集中した。さすがに二体の相手にはできない。剣を構えるもかなり引け腰だった。
 飛び掛かって来る勢いだったが、クディフは手を出す様子もない。ミティア一人で戦わないといけないのかと思った。だが、襲い掛かる二体とも翼から身が崩れた。ボロボロと砂場で子どもが遊んで作ったトンネルや山が崩れるような感じで散った。
 圭馬はクディフに言う。
「助けないからおかしいと思ったよ」
「石と言っても硬度に限界はあろう。水分がなくなれば脆くなる。銅像でもなければ細かな亀裂に響くであろうな」
「解説はいいから、ちょっとはお姉ちゃんの心配もしてよ」
 圭馬の小言がクディフを動かす。心配していないわけではないが、少し手放し過ぎだったかもしれない。クディフはミティアに歩み寄った。
 ミティアは剣を持ったまま、石床に膝を着いて座り込んでいた。
「こ、怖かった。わたしが自分で何とかできたの、初めてかもしれない」
 深呼吸をしながら剣を鞘に収めた。
 クディフは手を差し伸べ、言う。
「怖かったと言いながら見事なものだった。やはり貴女は見込みがある」
 ミティアは素直に手を取って立ち上がろうとする。だが、本当に恐怖していたのか、クディフにもたれ掛かってしまった。手も足も震えている。
「ご、ごめんなさい」
「あまり感心せんな?」
 震える手でクディフの服を掴んでいる。抱き着いているような状態だ。
 当然、圭馬が黙っていない。
「うわぁ!? これはジェフリーお兄ちゃんに言っちゃうぞ!!」
「それは面白いかもしれんな」
「えっ、ストーカーなだけじゃなくて確信犯なの!? コイツやばい人じゃん!!」
 圭馬は散々な言い方をしている。クディフはこれを流し、ミティアをフォローした。今はこれが正しい選択だ。
「戯れはほどほどにした方がいい。これからもっと底知れぬ恐怖があるかもしれない」
「そ、そうだ! こんなことしていられない。みんなを探さないと!!」
 ミティアはぶんぶんと大袈裟なほど首を振って、もう一度、深呼吸をする。クディフから距離を置き、圭馬を抱き上げた。
「もう大丈夫です!」
「いや、大丈夫じゃないとボクまで困るよ」
 不思議なやりとりだ。目的はもっと別にあったはずなのに、この非日常も楽しくなって来たと言えば正直なところだ。はぐれてしまわなければこんなことは経験できなかった。
 ミティアの物悲しい表情に何かを察したのか、クディフは漆黒のマントを翻す。
「忘れるな。貴女には俺よりも信頼に値する仲間がいるだろう?」
 後味が悪い言い方だ。ともに歩んでいたら違っていただろう。もし、この人と歩んでいたらどんな自分になっていただろうか。くだらないと一蹴されそうな一つの選択肢である『もしかしたら』がミティアの思考を駆け巡った。だが、これだけはきちんと言わないといけない。
「まるで自分には誰も理解者がいない。仲間はいない。そんないい方、しないでほしいです」
「……?」
「わたし、こんなに頼りないけど、力を合わせて戦えてよかったです!」
 クディフは涼しげな表情に笑みを浮かべた。見せることの少ない、優しい笑みだ。本当はこんな表情があることに、ミティアは驚いた。
 先へ進むこと僅か、見えていたはずの橋が消えている。戦って時間を食ってしまったようだ。これには大きく肩を落とした。
「ホント、ココってよくわかんないよね」
「ごめんなさい。わたしのせいで」
「お姉ちゃん、それはナシねっ!!」
 ミティアが気落ちするのは困る。主に圭馬が。
 クディフは無くなった橋の他に何かないかと目を凝らしていた。
「落ち込むのは早いかもしれない。また違う道ができているようだ」
「えっ?」
「しかも皆が渡った方角だな」
 クディフの言葉にミティアは希望を持った。彼の視線を追うと、今度は下に橋が伸びている。
 圭馬がけだるそうな声を上げた。
「えぇー、今度は下の階? 何かよくわからない影みたいな魔獣がいっぱいいたじゃん。危ないよ。また少し待ったら、安全そうな道があらわれるんじゃないのぉ? あんまりこの地形に振り回られたくないよね、ミティアお姉ちゃん?」
 圭馬は待った方がいいと提案するが、ミティアは頷かない。これ以上時間が経つことに嫌な予感がしたからだ。思わず答えを考えてしまう。
 悩んでいるミティアとは違い、クディフは考えがあるのだろうか。観察し、状況判断だけはしているようだ。
「どうしたいのかは任せよう。待って、不気味に光る向こうに行きたいのなら、それでもかまわない」
「わたしに『選べ』ってことですか?」
 ここでも選択を迫られた。これまでも、正しかったのかわからない。もしかしたら、自分が歩むべき道は初めから間違っていたのかもしれない。根本的なことから考え出すと気が遠くなりそうだ。時間は限られている。
 うっすらと光る湖と神殿らしき影、向こう側はクディフと挑むには危険な気がした。ただの勘である。ミティアはごくりと生唾を飲んだ。
「わたし、みんなが行った方に頑張って追い付いた方がいい気がします」
「えええ、お姉ちゃん正気⁉」
「ここで待っていたら、いつまでも先に進めないと思います。また同じ道が現れるかはわからない。だから、あえてみんなを追い駆ける選択をしたいです!」
 ミティアは言ってから、圭馬に「ごめんね」と小声で付け加える。彼女が強い意志を持って発言するのは珍しい。圭馬は耳を下げ、おとなしく見上げている。
「だ、大丈夫かなぁ?」
 圭馬は悩ましいようだ。なかなか「うん」とは頷かない。
 クディフは振り返り、ミティアの意見を尊重した。
「貴女はいい選択をする。それもまた運命かもしれない。例えその選択が間違っていたとしても、貴女にはいい方へ導く力があるのだろうからな」
 クディフの発言には圭馬も諦めざるを得ない。
「はぁーあ、もぉ、しょーがないなぁ」
 正しい選択をしたのかはわからない。ただ、クディフに助けられてからともに歩んだこの短い時間を無駄だとは思わなかった。ほんのわずかだが、自分の足で立って立ち向かう勇気を奮った。そうだ、これは間違っていない。ミティアは自分に言い聞かせた。
「ありがとう。頑張って切り抜けます!!」
 クディフはここで違う反応を見せる。何も考えていなかったわけではなかった。
「いや。貴女の勇気に感銘を受けた。少し思い切ったことをしてみようと思うが、その心構えはあるだろうか?」
「わたしの、勇気?」
 ミティアはお得意の首傾げで応えた。意識していないかったわけではないのだが、どちらかと言うと、早くみんなに追い付きたい気持ちの方が強かった。ただそのために、勇気を奮ったとは思う。自分から何かするという変化は求めていなくても難しいものだ。これからもっと難しくなるかもしれない。
 奥深い発言に、圭馬は勘ぐりをする。
「思い切ったことって何なのさ? お姉ちゃんにえっちなこと、しないよね!?」
 圭馬独特のネタ振りができる程度には心を許しているらしい。これも流すのかと思ったが、クディフは鼻で笑った。
「そういう道もあったかもしれんな」
「ちょっと!! そういう事は否定してよ!? 言いふらすよ!!」
「それくらいの忠誠は誓えるという意味だ」
「ストーカー!! 変態!! どすけべ!!」
「主と違って、ずいぶんと品のない幻獣だな」
「くぁーっ!! スカした顔してむかつくなぁ!!」
 茶番が盛り上がってしまい、時間も経ってミティアも焦った。彼女も覚悟を決める。
「あ、あの、わたし、思い切ったこと、します!! それでみんなに追いつけるなら頑張ります!!」
 時間が惜しい。ミティアは行動するなら早くがいいという思いから意見を押そうとする。腹を括るのは容易ではない。だが、仲間や想い人のためならば自分の身すら投げ出せる。
 クディフはそんなミティアを気に入っていた。早速『思い切ったこと』に行動に移す。クディフは圭馬を抱えたままのミティアを腕に抱え上げる。
 ミティアは再びクディフの腕の中だ。どうもむず痒い。『思い切ったこと』の疑問も晴れていない。
「へっ? わわっ、クディフさん!?」
 クディフに抱きかかえられるのはどうも慣れない。だが、まるで姫君でも扱うような丁重さだ。闇夜に溶け込みそうなマントが風に翻る。
「捕まれ!!」
「は、はいっ!!」
 何をするのかと思う前に髪が突風に舞った。飛ぶような軽さを感じたが、半分は正解だ。なぜならクディフは消えた道から都市の壁に沿って疾走している。
 信じられない光景に声を上げたのは圭馬だ。
「ウッソでしょ!? こういうこと、誰もしないよ!! 落ちる! 落ちちゃう!!」
「このまま橋を渡る。舌を噛むぞ、歯を食いしばれ!!」
「ぎゃああああああ、こんな滅茶苦茶な人は初めてだよぉぉぉ!!」
 騒いでいるのは圭馬だけだ。ミティアは縮こまっていた。
 夜空を疾走する光景に見惚れてしまう。こんな体験はしたことがない。見惚れていたのは景色だけではない。ただひたすらに前を向いて走るクディフの横顔が勇ましく見えたのだ。人間関係を複雑にしたくはない。したくはないが、この燻ぶる思いは何だろうか。ミティアは燻ぶる思いを抑え込もうとしていた。
 クディフはミティアを抱えたまま疾走し、風のように橋を駆け抜けた。

 落ち着いたところで圭馬は地面に落ち、ゼーゼーと息をしながらぐったりしている。
「し、死ぬかと思った」
 ミティアも自分の足で立った。橋を渡ったことは確かだが、その橋は崩れてしまい、すでにない。どれだけ頻繁に地形が変わる場所なのだろうか。
「こ、怖かったけど、ありがとうごましました」
「皆が渡ったのはこの上の階だろう。ここは下の階層だろうな」
「この上にみんなはいるのかな?」
 ミティアたちが居る場所は一階だ。本来、影の猛獣が蔓延る場所を通過するものが、クディフの人間離れした脚力で回避できた。辿り着いた場所は森の都『ヴィーゼ』と言う名らしい。石板がある。ミティアは筆記具を持っていないので圭馬と軽く見る程度になってしまった。見た限りでは複雑な地形をしていない。
「このまま外から上がってもいいのだが……」
 クディフは外壁を見上げる。一見、石壁だが、上は蔦と葉で茂っているように見える。今ミティアたちがいる下の階はそういった障害物がなさそうだ。だが、入り口と思わしきぽっかりと空いた穴が不気味だ。だが、もしかしたらこのまま行った方がいいかもしれない。
 ミティアはこれを見て考え込んだ。
「圭馬さんはどう思う?」
「うーん、上がったり下がったりしないと進めないなら、どっちからでもいいような気はするけど?」
 求めていた答えとは違い、どうもパッとしない。ここでも選択を迫られている気がして、ミティアは顔をしかめた。
「確かに視界は悪いが、上の階層は茂っているようだ。その道よりは、このままがいいかもしれないな」
 珍しくクディフが意見を述べる。そこまで推進しているわけではなさそうだ。彼は平気な顔をしているが、もしかしたら疲れを感じているかもしれない。
 ミティアは顔色をうかがいながら判断を出した。
「このまま進みたいです!!」
 ミティアの力強い意志を誰も反対しない。
 ぽっかりと空いた道を行くことになったが、明かりが必要だ。ミティアは再び魔法で光を泳がせる。
 足を踏み入れると、足元には水が広がっていた。植物の蔦が壁伝いに伸びているが天井を這っているものや、隙間から上に抜けているものも見える。暗い以外は神秘的な造りをしていた。
 足元に水が広がっていることにより、圭馬がミティアの肩に乗っかっている。お風呂は好きだが、あまり水濡れは得意ではないとのこと。この情報で思い出すのは、別の行動をしている仲間だ。サキはいい顔をしなさそうだ。竜次はもしかしたら、情けない声をしながら歩いてくれないかもしれない。
 靴が浸るまでではないが、大雨でも降った道のように、歩けば気になるくらいにはバシャバシャと水が跳ねる。
 石板を見た二人が会話をする。
「さっき見た石板によると、真ん中にでっかい樹があって、他は単純な構造だったよね?」
「ここも変化していなければ、ですよね」
 地形も気になるが、警戒をしながらもクディフが涼しい顔をしている。彼がこの顔のときは危険がないようだ。水の跳ねる音と、どこからかこの水が注しているのだろうかという小さなせせらぎが聞こえる。危険がないのなら、そろそろ聞いてみてもいいかもしれない。ミティアはクディフに質問をした。
「あの、クディフさん」
「ここへ来た理由か?」
「ひぅっ!? さ、先に言われちゃった!」
 ミティアはびくりと大袈裟に反応してしまった。察しのいいクディフのことだ。そろそろ聞かれると思っていたのかもしれない。
「俺は誓った者を守るために来た」
「へっ?」
「と言うのは建前だ」
「ええーっと……」
 もったいぶる言い方にミティアだけではなく、圭馬まで調子が狂いそうだ。規則的に立てていた水の音が乱れ、ずっこけそうになっている。こんな派手なリアクションまでしてもクディフの表情は涼しい。案外、顔に出さないだけで楽しんでいたりするのではなかろうか。ミティアは歩きながら、変な期待をしてしまう。
「俺は神など信じないし、主君以外に信仰を寄せるつもりもない。この都市には女神とやらがいるのだろう? 女であれ、神が存在するのなら愚行を問いたい。本当に神ならば、種族戦争も起きなかったはずだからだ」
「わー……すっごくマトモなこと、言ってる!」
 圭馬は目を丸くして驚いていた。それもそうだ。クディフの目的は、主君であったセティにもう一度会いたいというのが強かった。その目的は叶い、今はそのセティが生かしたミティアと、セティに認められたサキ、そしてなぜかジェフリーに恩を着せて掛かっている。一緒に行動する理由がそれを指さないのは少し残念だった。
「だが正直、その愚行がなければ俺がこうしていることもなかっただろう。運命に踊らされなくとも、人はいくらでも変われる。では神は何を企んでいるのか、誰に魅了されたのか、今は世界をつなぐなど、これこそがあらためるべきものではないのだろうか。なぜ間違ったものを正さなかったのかを問わねばならない。醜い争いは負の感情しかもたらさない。確かにそれを乗り越えればなかったものを築き、強くなれるかもしれないがな……」
 確立した理由だ。これがクディフの中の正義。想像よりもずっと重いものだった。
 いつの間にかミティアの足が止まっていた。歩きながらする話の程度ではない。圭馬も少しは見る目が変わったようだ。
「意図して人を減らす行為って、人殺しだよね。許せないよね。邪神龍も、世界中でグルだった生贄システムも馬鹿だね。憎むべき対象なのに、それがなかったらお姉ちゃんは存在しなかった。誰かを想うことも、こうして胸を傷めることもなかった」
 圭馬が指摘をするように、ミティアは自身の胸の前で手を組み、心を痛めていた。気持ちの整理もつかない。そして迷いが生じた。
「誰か、教えてほしい。本当は何が正しいの? わたしは……私たちがやろうとしていることは、正しいの?」
 心優しいミティアには重く苦しい問題だ。さすがの圭馬もこれは簡単には答えられない。
 意外にも困惑しているミティアをフォローしたのはクディフだ。温かい手がミティアの頭をそっと撫でた。こんなに大きく温かい手は安心感を抱く。
「貴女は優しすぎる。その心、誰もが持てたらどんなにいい世の中になるだろうか。案外、長年生きて忘れてしまっている者や、荒んだ生い立ちの者に希望を与える光になるかもしれない。正せる、正せないのではなく、これからどうして行くのかを世界に説く役割を生贄ながら担っているのかもしれない。悲観するのも、疑問を持つことも悪くはないだろうがな?」
 言葉の中にクディフ本人の思いが含まれていた。長年生きていたがゆえに忘れてしまった思い。もし本当に人がいくらでも変われるなら、ミティアは強くなりたいと思っていた。
「イーグルサントや沙蘭の者、仲間は名の知れた者たちなのだろう? 場はいくらでも整うのではないだろうか? 小さな行いでも、積み重ねれば誰かの耳に届くかもしれない」
「そう、ですね」
 温かい気持ちだ。新しいことに挑む勇気があったのだから、自分はこれから変わって行けるかもしれない。何かを変えられるかもしれない。これから起きようとしている悲しいことを止められるかもしれない。肩の圭馬に笑み掛けた。ミティアはもう、こんなことで涙する弱き者ではない。
「まず貴女は、あの男とともに自分を取り戻すことを考えていればいい。強欲を悪くは思わぬが、欲張っては必ず己が溺れる。行動を起こそうとするのなら、まずは自分の足元を固めることだ。整ったら、世界の秩序を乱す混沌から希望を失った者を救えばいい」
「そうですね。頑張らなきゃ!」
 迷いは消えた。クディフが言っていることは正しい。気持ちの整理ができたところで肩の圭馬がため息を零す。
「はぁーあ……なーんかいいトコ、ぜーんぶ持ってかれちゃったなぁ」
 確かにいいところがクディフに取られまくっている。これでは圭馬の立場がない。関心がないように見えたが、クディフは圭馬を言葉で持ち上げた。
「主に劣らぬ賢人なのだろう。きっとこれからもいい導きをするだろうな」
「な、何だよぉ!! そんなの当然じゃないか。ボクを高く評価しても、一度はお姉ちゃんを殺そうとしたお前なんて助けてやらないんだから!!」
 などと言いながら圭馬は、むきになって耳も手もバタバタさせている。こんなおもちゃがあったら面白いかもしれない。ほどよく場が和んだ。
 気持ちの整理もついて、目的も見定めて、再び足を歩ませた。本当に何もないし、何も襲い掛かって来ないのが不気味なくらいだ。単調な造りに助けられたが、大樹の根が立ち塞がった。道、いや、この都市そのものの象徴なのかもしれない。
「あちゃー、風が抜けないまま吹き溜まりだから本当に行き止まりみたいだね」
 頑張れば圭馬だけ通り抜けられそうな隙間がある。だが、基本的には通せんぼだ。大きな根が壁も天井も突き破っている。影の猛獣や何かが出て来る気配はないが、このまま通れないのも困ったものだ。
「どうしよう。わたし、やっぱり間違っていたのかな?」
 不安に思うのも仕方ない。ミティアが大樹の探索をしている間、クディフがずっと天井を見上げている。何かに気が付いたようだ。
「賢人よ、知恵を借りたい」
「は、はぁっ? ボクぅ?!」
 突然圭馬に声がかかった。クディフは頭脳派ではないとは思っていたが、まさか頼りにされるとは思わず驚いたようだ。危うくミティアの肩から落ちそうになった。
 ミティアもクディフの方へ向き直った。同じく天井を見上げている。明かりで見えたのは、蔦がびっしりと這っていた。その隙間から石の天井も見えている。
 要するに、このまま真っすぐには進めないのだから、ここで上の階層へ移動する。だが、どこを壊せばいいか、知恵を貸してほしいというところだ。
 圭馬は首を傾げながら考え込んだ。
「あー……なるほどね。でも、壊すところを間違えたら、ペチャンコだよ?」
「そこはいい導きをするであろうな」
「うわー、責任重大じゃん。ちょっと待ってね!」
 圭馬はミティアの頭によじ登った。天井の観察が始まった。ところがミティアの身長では天井まで高さが足りない。
 ミティアもそれに気が付き、足掻こうとする。
「も、持とうか?」
「うーん……」
 ミティアの身長は百六十センチほど、天井はさらに高い。頭に登って背伸びをしてもたかが知れている。ミティアは手を挙げて圭馬を掲げる、さらに背伸びまでして首を傾げる始末だ。
 見かねたクディフは圭馬を持ち上げる。
「みぎぃ! 何するんだよぉって……んんっ!?」
 クディフの方が長身だ。クディフは圭馬を摘まんで頭に乗せた。圭馬は天井よりも気になることがあって質問をする。
「お前、どうして恵ちゃんのニオイがするの?」
「何の話だ?」
 探索に関係のない話にクディフは眉間にシワを寄せる。
「や、手? 袖かな? ボクに似た子、撫でたこと、ある?」
 頭の上にフサフサの毛並みをしたウサギを乗せたクディフ。ミティアは少しおかしな気分になっていた。笑っしまっている唇を覆って隠している。これだけで緊張が解けて和んでしまいそうだ。いや、すでに遅い。
「イーグルサントがトランクから下げていた、小ぶりのウサギか?」
「うああ、マジでぇ!? いつ、どこで!? あああ、フィラノスか沙蘭か、どっちにしても気分悪いよ!!」
 圭馬は心当たりを話す。だが、クディフは別の趣向の話をした。
「死してなお、親族とともに歩めるなど、悪くないな」
「何だよ、調子狂うなぁ」
「噂を聞いたことがあるのでな。いい行いをした者は、死しても魔界で人を見守り、王女やそなたらのように誰かの力になれると」
「英雄の魂ってヤツだよ。お前は無理かもしれないね。だって、お姉ちゃんを傷付けたんだし、過去にたくさんの人を殺したんでしょ? そんな奴、情状酌量の余地なんてないよ。ノータイムで転生の選別をされるだろーね!」
 クディフはこれを耳にして初めて物悲しい表情を見せた。黙って目を瞑り、自らの行いを振り返る。

 自分がして来たことは到底褒められたものではない。神族と人間の勝手な都合で生を受け、それでも同族と認められた神族を裏切った。敵国に寝返った。
 思えば種族戦争に加わって加担していたことが間違いだった。結果、何も残らなかった。彷徨いながら、野良犬のように生きていた。人間の優しさに触れるまで、生きていることすら疑った。知ってしまった愛の形に立ち塞がったのも種族の壁だった。一緒に老いて寄り添って、天寿を全うできぬつらさを抱えていた。
 次第に己を見失っていた。

 あの男に出会うまでは。

「あの、クディフさん?」
 ミティアの声でクディフは目を見開く。不本意ながら考え込んでしまった。自分の歩んだ道はやはり間違っていたのかと。らしくない。冷静を欠いていた。
 ミティアはクディフを気遣う。疲れではなく、圭馬の言葉を気にしているのだと察する。
「あの、圭馬さんの言ったことが気になりましたか? あんまり本気にしないでください。ちょっとからかったりしますが、いい子なんです」
 クディフは眉を吊り上げた。それから圭馬に目だけを向けている。頭上の重さがそろそろ気になるのだろうか。
 圭馬は大声で訴える。
「お姉ちゃん、お人好しすぎだよ!! こいつ、許せるの?」
「わたしは、本当は許せないよ」
 クディフは黙ったまま目を合わせない。少し気まずそうだ。
 ミティアはそんなクディフの手を取った。大きくて、逞しくて、そして温かい手だ。
「ずっと自分を押し殺しているクディフさんが、許せない!!」
 クディフはミティアの放った言葉に、思うところがあるようだ。じっと手を見つめる。だが、この手を素直に取ることはもう遅い。遅すぎた選択、自分はどこで彼女の手を取るべきだったのだろうか。クディフは今握られているこの手を払った。
「もっと早く貴女に会いたかった」
「あっ……」
「だが、これでよかったのだろう。今までがなければ、貴女は俺の手を取ろうとは思わなかったかもしれない。変に長生きなどするものではないな。人間は限られた時間で何かを築こうとする。遠い昔に忘れてしまったことだが、それがどんなに尊いものなのか」
 これがクディフの真意なのだろう。ミティアは解かれた手を名残惜しく握った。
「意識などしていないものだ。人間は悠久ではないがゆえに羨ましい」
「それにはボクも同じだよ。別にお前と同族とも思ってないけどさ」
 意外でも何でもない。圭馬も長く生きている者だ。そう言えば圭馬は、一行に期待をしていると言っていた。今まで何人もの人間と契約を交わし、出会いも別れも人間の勝手も知っている。
「でもさ、今からでも遅くはないんじゃない?」
「そうかもしれぬな……」
 和解までには遠い。それでも今だけは、ともに歩む。
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