風魔法を誤解していませんか? 〜混ぜるな危険!見向きもされない風魔法は、無限の可能性を秘めていました〜

大沢ピヨ氏

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第62話 元気のG

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 真新しい匂いの漂う事務室で、顔に死相を浮かべた男が契約書の文字をじっと見つめていた。

「はい、こちらが雇用契約書の写しです。日報の書き方については、小野さんが後ほど説明しますので、分からなかった場合には、そのとき尋ねてください」

「…………はい」



 一晩経ったが、柏原さんは無事に生きていた。



 いまの彼は、以前勤めていた会社から最後の給料が振り込まれるまではほぼ無一文らしいので、一旦、異界薬理機構で雇い入れ、当面の生活費を稼いでもらうことにした。


 取り敢えず、彼の持つ『地図作成』のスキルで、地下一階の詳細な地図を書いてもらい、新人冒険者たちへの案内板を作ろうと考えているのだが……。


「朝ごはんって食べましたよね?」

「……はい。頂きました」


 ……とにかく覇気がない。

 昨日の今日で元気いっぱいとまでは言わないが、この状態のままだと、自らワニの口へと飛び込んで行きかねない。


 なるべく早く、元気になってもらいたいものだ。



◻︎◻︎◻︎


 ダンジョンにやってくると、中村さんとチカチカさんが待ってましたと言わんばかりの勢いで、柏原さんを連行していった。

 どうやら二人には、新人冒険者に採取してもらいたい素材がいくつもあるらしく、その群生地を示す案内板をいち早く作ってもらいたいとのこと。

 柏原さんの表情を見るに、多少緊張はしているものの、人から期待されることが満更でも無い様子だったので、ここからゆっくりと調子を取り戻してほしい。


 ところで……。


「なんか……今日は冒険者が少ない?」

 窓口業務を手伝っていた長良さんに声をかけた。


「昨日の騒ぎを目撃した冒険者たちが、ダンジョンに来なくなったようです……」

「あー…………そういう」


 なるほど……。柏原さんの姿を見て、他の冒険者の夢も覚めてしまったのか……。

 ライ様レベルの美男子なら、問題なく美少女になれるんだが、それを求めるのは酷だよな……。

 大体、たった10分程度の効果時間で、彼らは一体、何をするつもりだったのだろうか。


「んじゃ、俺が柏原さんは案内しなくても良さそうだし、またクランハウスに戻るね。……みんなが領収書を適当に詰め込んでてさ……」

「でしたら私も、昼食から戻った時に手伝いますね」

「よろしく頼むよ」


 今後は、交通費と消耗品。備品代とその他くらいに分けてもらえればいいか。んー、分別しやすいよう、何か適当な箱を用意しないと。



◻︎◻︎◻︎


「え? こんなところにも生えてんの?」

「はい。途中に切り立った場所があるので、迂回する必要があるんですが、それでも入り口から近いですよ」


 クランハウスで事務仕事をしていると、夕方になって皆んなが帰ってきた。

 今は柏原さんが書いた地図をテーブルに広げ、案内板に記載すべき情報の精査を行っている。


「ねぇ、ここに書いてある『G』ってマークは何? ……ゴキブリ群生地?」

 柏原さんにそう尋ねた。


「あっそれは、ゴブリン集落の場所ですね」

「へー、地下一階にも集落があるんだね」


 基本的に、ここのダンジョンでは、スタート地点から次の階層への最短ルート周辺で活動する冒険者が多い。

 もしも何らかのトラブルに見舞われた場合、人気ひとけの少ない場所だと助けを呼べないからだ。

 いま教えてもらったゴブリン集落は、地下二階へ向かう方向と真反対にあるようなので、あまり知られていないように思える。


「やったじゃん浅井。なんかほら、ゴブリンのお赤飯みたいなの食べたがってたでしょ」

「食べたがったわけじゃねえけど、多少興味があるかなって……。ただそれだけだよ」

 深谷さんは、浅井に色々と食べさせるのを楽しんでいる。……まぁ実際、少し面白いのだが。


「なら、明日にでもその集落を見に行ってみる? あの芋虫の漬物が手に入れば面白そうだし、シマシマさんもゴブリンの姿絵を描きたいって言ってよね」

「ついに俺も、虫を口にする時が来たのか……」

「早く地図・挿絵付きの攻略本を完成させたいからね!」

 浅井とシマシマさんの二人とも、非常にモチベーションが高い。


「浅井はお腹空かせておいてね」

「芋虫だけで腹を満たすつもりはねーよ!」

 地下一階の集落でも、あの郷土料理が見つかるといいな……。



◻︎◻︎◻︎



「さっきは何をしたの?」

 深谷さんがそう尋ねてきた。

「あー、あれ? ええっとね……風魔法で空気を少なくした? そんな感じ」

「へー、風魔法も意外に便利ね」


 ゴブリンの集落入口にいた見張りを、低圧玉で昏倒させ、マキマキさんの投げ縄でこちらへと引き寄せてもらった。


「……オスですね」

 長良さんが、捕縛したゴブリンの腰蓑をめくっている。


「薄い本でよくある、『他種族を苗床にする』なんてこと、実際にあるんですかね?」

 シマシマさんは薄い本にも詳しいのか……?


「魔物が交尾で増えるようなことは、今のところ確認されていませんよ」

 長良さんがそう答える。


「ああ、そうなんですね。だとするとあの珍味は……」

 彼女には、何かしらの仮説が浮かんでいたのだろうか?

 
 すると、深谷さんが別の疑問を投げかけてきた。

「これって、このまま入り口の近くまで持っていって、ダンジョンの外側からスマホとかで撮影しちゃだめなの?」

「一応できるけど、あらかじめ冒険者ギルドに申請しないといけないんだよ。安全対策基準を満たしているかとかの書類を揃えないといけないし、ギルド側の準備も必要みたいでさ」

 もっとも、ゴブリンくらいなら、すぐに許可は下りるが。


「……そっか。新人さんも多い場所だから、そういった決まりがあるのね」


 しばらく、シマシマさんによるスケッチが続けられ、ちょうど書き終えたタイミングで、ゴブリンが目を覚ました。


「おい、起きちゃったぞ。……って後は倒しちゃえばいいか?」

 浅井がそう言った。


「踊り食いをするつもりがないなら、このまま倒しちゃおう」

「いくら何でも、そのままは食えねえよ! ……あそうだ。コイツにも色々食わせて、どうなるか確かめてもいい?」

「ゴブリン対して、ゴブリン焼肉を食わせるの? それは……あまりに鬼畜すぎないか……?」

「…………なるほど」

 マキマキさんが、浅井の提案を一考している。まさか精神攻撃に使うつもりなのか!?


「いやいや、オーチンで試してみるよ。見た目で変化してくれないと、効果が発動したかどうか分かんないし」

「あー、確かに」


 その言葉を聞いたマキマキさんは、自身のリュックから『強制口開け拷問器具』を取り出し、それをゴブリンに咥えさせた。


「それ……。今後は俺に使わないでね……」

 先日、自分も咥えさせられた器具だ。


「あっ、大丈夫です。衛生的に問題がないよう、人間用のモノと分けてありますから。

 対象に、意図せぬダメージを与えないための施策か。…………さすがはプロだ。


 続けて、浅井はオークの珍味を取り出し、それをゴブリンの口に突っ込んだ。


 初めゴブリンは、口に入れられた異物を吐き出そうと、身体をよじって抵抗していたが、マキマキさんが鞭を数回振るうと、観念したようにそれを飲み込んだ。



 すると──



 ゴブリンの身体が一瞬、ビクリと跳ねた。


 筋肉の収縮とは違う。神経そのものが痙攣したかのような、不自然な動きだった。



 まるで、ゴブリンの内部で何かがしたかのように。




 ──そして次の瞬間。



 腹部が内側から押し上げられるように、ボコっと膨らんだ。


 皮膚の下を何かが這うように、全身が蠢く。



「ちょ、待っ……!」



 バキリと鋭い音を響かせ、手足の拘束具が弾け飛ぶ。



「やっば!!」


 深谷さんと小野さんが咄嗟に反応し、構えていた槍を同時に突き込む。

 肉が裂ける感触とともに、槍が深々と沈み込む──はずだった。


 槍を押し出す異様な弾力が走る。

 二人はすぐさま槍を手放し、跳ねるように後方へ飛び退いた。




 「もっと下がってください!!」



 長良さんの叫びと共に、次の行動が始まる。



 彼女の指先から、真っ赤な火球が撃ち出された。

 炎の弾丸がまっすぐにゴブリンの顔面に炸裂し、表皮を一気に焼く。


 だが、膨張を続ける肉は、ぐじゅぐじゅと音を立てて炎を飲み込もうとした。


 急ぎ渾身のガス玉を、炎めがけて叩き込むと、圧縮された可燃ガスが一気に爆ぜ、周囲を焼き尽くす爆炎と、大地を震わせるほどの衝撃波が巻き起こる。






 ──視界が土煙によって遮られた。




 誰もが息を飲み、しばしその場に沈黙が広がる。



 風魔法で一息に煙を吹き飛ばす。



 ……そして、そこにいたものを見て、誰もが息を呑んだ。




 爆風があった中心に、巨大な影がそびえ立っていた。



 それは、人の背丈の三倍はあろうかという、膨れ上がった肉塊。


 皮膚はドス黒く変色し、表面には奇怪な模様のような腫瘍が広がっている。

 口は裂け、牙がむき出しに。

 その目には、濁った知性と、狂気の光を宿していた。






 ──これはもう、“ただのゴブリン”ではない。



◻︎◻︎◻︎◻︎◻︎
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