風魔法を誤解していませんか? 〜混ぜるな危険!見向きもされない風魔法は、無限の可能性を秘めていました〜

大沢ピヨ氏

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第8話 薄い味噌汁

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 一日で2万円以上の儲けを得たので、帰宅後も上機嫌だった。

 あまり普段はしない自宅学習にも妙に集中できたほどだ。参考書をめくる手も軽やかで、理解の速度もいつも以上。


 これはきっと、別れ際に長良さんから言われた「勉学をおろそかにするな」という言葉が効いているのだろう。

 「ちゃんと応えられている」という実感が胸に広がるたび、顔には自然と笑みが浮かんでいた。


◻︎◻︎◻︎


 明けて日曜の朝。


 溜まっていた洗濯物に手をかけ、掃除機をかけ、ついでに窓を開けて換気まで済ませるという勤勉ぶりを発揮する。


「ダンジョンのおかげで、体力がついてきたのかもな……」

 拳を握ったり開いたりしながら、自分の身体に芽生えた変化を確かめていた、その時だった。

 スマホが震える。

 メッセージの主は長良茜。今日の集合場所についての連絡だった。


 画面を開いた瞬間、思わず吹き出してしまいそうになる。


 メッセージはやたらと長文で、内容は「いつか食べてみたいと思っていた、牛丼の魅力」についての熱いプレゼンだった。


──なぜあんなにも美味しそうなのですか?

──手軽かつ栄養が豊富で、しかも安価。素晴らしい文化だと思います。

──今日こそ挑戦してみたいと思いまして、いかがでしょう伊吹くん?


 などといった具合に、十行を超える熱量だった。


「いや……牛丼くらい、いくらでも付き合うから……」

 思わず笑みをこぼし、スマホをそっと机に置いた。


 脱水が終わったことを告げる洗濯機のアラーム音に呼び戻され、再び家事へと向かう。


◻︎◻︎◻︎


 正午。

 動きやすいようにと、ジャージ姿で集合場所の牛丼屋へ向かった。


 だが、店の前に立っていたのは──


「……あれ? マジか……?」

 楚々そそとした白いブラウスに、淡い水色のロングスカート。

 サマーカーディガンを羽織ったその姿は、まるでピアノの発表会にでも出る直前のような、凛とした清楚な令嬢そのものだった。


 「お待たせしました」と駆け寄ると、長良さんは微笑んで「お気になさらず」と返した。


 その柔らかな微笑みもまた、牛丼屋の前には到底似つかわしくない。


 対して、ジャージの自分はというと──「近所のコンビニに行く途中の男子高校生」そのものだ。

 内心で軽く頭を抱えたが、口には出さない。


 「では参りましょうか」と長良さんが店内を指さす。

 その指先には、妙な気迫が宿っていた。


 牛丼屋のカウンター席に並んで座った二人。注文したのは並盛と味噌汁のセット。


 初めて食べた牛丼の味に、長良さんは満面の笑みを浮かべる。


「伊吹くん、牛丼って……本当にこんなに美味しいものだったのですね!」

 一口ごとに感嘆の声を漏らす長良さんに、どこか安心するような、こそばゆいような気持ちになる。

 清楚な服装のまま、紅しょうがを乗せすぎて少し咳き込む彼女の姿は、どこか人間味があって親しみ深かった。


「それで、今日の予定なんですが……」

 ようやく主題に入った長良さんのトーンが切り替わる。牛丼はひとまず脇へ置かれ、彼女は真剣な眼差しで言った。


「地下二階へ行ってみたいと考えています」

「……うん、同じ考えでした」


 こちらもすぐに頷く。魔石の単価が跳ね上がると聞いていた地下二階。

 地下一階であれだけの成果があったのだから、次なるステップとしては妥当だ。

「ただし、相手の力量を見極めて、無理のない範囲で進めましょう。油断は禁物ですわ」

 と、忠告を添える長良さん。

 だが──その口元には、すでに牛丼の二口目が運ばれている。


 真剣な言葉と、おいしそうにご飯を頬張るそのギャップに、奇妙な面白さを感じた。


◻︎◻︎◻︎



 ダンジョンの地下二階は、湖沼が点在する湿地エリアだ。


「ここ、足元がぬかるんでるから、裸足だとちょっと気持ち悪いね」

 そう言ってユーヤは顔をしかめた。


 一方で、その足裏から伝わる新感覚に、長良さんは何やら楽しそうにテンションを上げていた。


 地下二階には、この環境に適応したモンスターたちが出現する。体長1mほどのトンボ型モンスターに、アメンボ型の水上を滑る魔物。大型犬ほどの巨大なカエル型モンスターや、ぬめるように這うサンショウウオ型の個体も確認されている。


(地上一階にいた恒温動物系のモンスターは、倒すのに少し抵抗があったし、実はこっちの方が気が楽かもな)


 だが、忘れてはならない存在がいる。この階層には、あの「ゴブリン」も出現するのだ。


 脅威度は“小学三年生くらいの男児が本気で農具を振りかざしてくる”程度。だが、それをロールプレイングゲームの「雑魚」だと甘く見ていると、あっさり痛い目を見る。


 二人で注意点を話し合っている間に、早速一体のカエル型モンスターが姿を現した。

(さて、行くか──)


 手を身体の前に伸ばし、魔法の準備に取りかかろうとして、すぐに一つの問題点に気づく。


 地上一階では、乾いた土埃のおかげで、風魔法の軌道が可視化できた。その「風の玉」に向かって長良さんが火を放ち、爆発を起こすという連携が可能だった。

 だが、ここ地下二階の足元は常に湿っており、土埃はまったく舞わない。つまり、あの方法が使えない。


「視認できないなら仕方ありません。狙う場所を、あらかじめ決めておきましょう。発射のタイミングは、伊吹くんの掛け声の、少し後に合わせます」

「了解」


 のそのそと地面を這うように迫ってくるカエル型モンスター。その動きを見据えながら、距離を測る。


(この距離感……たぶん、もうすぐ飛びかかってくるな)


「狙いは顔面。三、二、一、──撃ちます!」

 その直後、長良さんの声が上がる。

「はいっ!」

 ──だが。

 爆発は、カエルの手前で起こった。


「ごめんなさい。早すぎました」

「まだ距離はある。もう一度。三、二、一、──はい」

 今度は先ほどよりもタイミングを遅らせ、長良さんが声を上げた。


 爆発は、ちょうどカエルの顔面に命中。顔の半分が吹き飛び、もんどりうって倒れる。

 二人は自然に手を上げ、ハイタッチ。


「よしよし、地下二階のモンスターも問題なく倒せるぞ!」

 思わず声を弾ませた。


「あと数回で、タイミングがつかめそうです」

 カエルから得られた魔石は、ウサギやネズミ型のそれよりも一回り大きかった。確か2000円ほどで売れるはずだ。

(これなら……)


「ようやく、ダンジョン素材でできた下着が買えそうです」

 長良さんがぽつりと呟く。

 その言葉に、ハッとする。

(……やめろ、思い出すな……!)


 昨日、なぜかカバンに紛れ込んでいた「使い捨てブラジャー」。あれを勝手に入れられていたことを思い出してしまい、頬がじわりと赤くなった。


◻︎◻︎◻︎


 あれから何匹ものモンスターを倒すうちに、息がぴったりと合ってきたことに、二人は手応えを感じ始めていた。


「トンボ型のモンスターは倒しづらかったですね」

「素早く飛び回るモンスターは鬼門だったね」

 先ほど戦ったトンボは、ホバリングと移動を絶え間なく繰り返しており、爆発魔法をうまく当てることができなかった。


 たまたま爆風に巻き込まれて気絶し、地面に落下したところを棍棒でトドメを刺すことができたが、そんな偶然をあてにするのは危うい。


 何か対策を考えなくては……。



「次はあれを倒しませんか?」

 指差した先には、直径2mほどの甲羅を持つ巨大なカメ型モンスター。

 あれは人の気配を感じると、頭も手足もすぐさま引っ込めてしまい、どんな攻撃も受けつけなくなるため、進んで狩る者はいない。


「爆発魔法で倒せるかな?」

「もしあれが倒せるなら、狩り放題じゃありませんこと?」


 試してみるしかない。

 視界に入った瞬間、カメはお決まりのように甲羅の中へ引っ込んだ。

 側面にも隙間は見当たらない。ならばやはり力技でいくしかない。


「頭が引っ込んだあたりを狙います。はいっ!」

 すこし遅れて「はいっ」と返事が返ってくる。


 いつもより大きめに作ったメタン玉が、轟音とともに炸裂した。

 ぬかるんだ地面が大きく抉れ、亀の前部が激しく割れているのが見えた。どうやら威力は足りていたらしい。


「やった! 倒せるじゃん!」

「動かない的ならば、我々の得意とするところですね」


 軽く手を合わせてハイタッチ。


 死骸から取り出した魔石はとても大きく、かなりの高値がつきそうだ。


 そのまま、狩りは続く。

 誰も狙わなかった相手を、ひたすら倒す。

 この狩場は、今や完全に二人のものだった。


◻︎◻︎◻︎


 ──午後7時、ダンジョンの入り口付近。


「まさかMPが切れるまで狩りに夢中になってしまっていたとは……」

「私もすっかり頭から抜け落ちていました」


 MPに余裕を残して五時間で引き返すはずだったのに、大幅に予定をオーバーしてしまったことを反省する。


「だがその甲斐あって……」


 ひと呼吸おいてから、声を張る。


「今日の稼ぎは62万円となりました!」

「まぁ! 素晴らしい!」

 目を輝かせる彼女に、こちらも笑みがこぼれる。

「ここから、装備レンタル代を差し引くと……」

「一人頭309,475円ですね」

 即答された金額に、思わず目を見開く。


「ついに使い捨てパンツを卒業できる……!」

「では、今日はもう暗くなってしまいましたし、明日の放課後にでも、ダンジョン装備屋さんへ買い物に出かけましょうか?」

「是非そうしよう」

 本当は靴も欲しいが、それはまたの機会とする。

 ダンジョン用のパンツ一枚で20万はするので、いくら今日稼げたといっても靴まで買ってしまうのは無理がある。

 なによりも優先すべきはパンツなのだ、と強く思う。



「本日の夕食はどうなされますか?」

「適当に何か買って帰るつもりだったけど……」

「ならば夕食も一緒に行きませんか? 祝宴ですよ」

「喜んでお付き合いします。……で、どこのお店に?」

 長良さんはわざとらしく視線を宙に泳がせながら、ふっと笑った。

「もちろん──」

 数秒の沈黙を経て、まるで口上のように言い放つ。


「牛丼です!」



◻︎◻︎◻︎◻︎◻︎
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