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7.甘い恋の香りは閉じ込めた方が賢明ですね。
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「では、お世話になりました」
シャイネが恭しくギャムシアに頭を下げる。つい先程までラチカと睦み合っていた男は、穏やかに微笑んだ。
「また是非いらしてください、歓迎しますよ」
「ええ、また機会があれば」
見たところ、二人とも穏やかではある。シャイネは彼に背を向けると、荷物を持ってラチカの方へ向かってきた。
ギャムシアを見る。彼はあくまで二人きりの時の様子はきちんと隠して、ラチカを目だけで見送った。
……彼は、本気なのだろうか。結婚など。しかしここ数日で知った彼の姿と言えば、やはりあの姿は国主としての皮であり……その下には、女にも手を上げられる程度の粗暴さを秘めており、自信もある。そして。
いや、今考えたところで仕方無い。もし本気であれば、今後も何かしらアクションを起こしてくるだろう。
「では、お嬢様」
シャイネについていく形で、馬車に向かう。未だ朝が顔を出したくらいの刻なので、馬達は皆いまいち眠たげだ。しかし仕方ないので、馬車に乗り込む。荷物を積み込み、シャイネも乗った。そして、鞭を振るう。出発だ。
以前来た道をたどるように、なだらかに進んでいく。
「そういえばシャイネ、破魔短刀なんだけど」
「ああ、持ってますよ。ここに」
そう言って、彼はベストをめくった。ベルトに差す形で、ラチカの短刀がある。
「ありがと。結局それ、出番無かったね」
「まあ、ネクロマンサーが出現するとしても恐らくはギャムシア様が表に出てくる式のタイミングだったでしょうしね。しかし式は昼間に行われたし、そんな堂々と暗殺を行う程馬鹿ではないでしょう」
それは、確かにそうだ。
彼は新興国の主として、やはり暗殺対象になりやすいという事をコーマスからは聞いていた。だからの事を踏まえてあの短刀を持ち込んだ。ギャムシアを守るためだとか以前に、自身を守るため……そして、エクソシストとして。
ラチカは荷台から身を乗り出した。
「それ、もう私持っておくよ。ロドハルト出たわけだし」
そのまま、手を伸ばす。シャイネの腰に触れかけた瞬間、彼の腕が伸びてきた。奥へ、突き飛ばされる。
「っきゃあ!」
はずみで奥に転がってしまう。何とか布の壁に当たって止まったが、同時に馬もまた動きを止めた。
シャイネの姿が、荷台に入り込んでくる。その顔は、あまりにも冷たい。ラチカと同じの黄金色の目が、ただ……戸惑うラチカを見据えている。
「シャイ、ネ……?」
何が何だか分からない。彼は一歩ずつしっかりと歩みを進めてくる。腰を打って立ち上がれないラチカの前に屈むと、シャイネはその骨ばった手の平をラチカの頬に向けた。そっと、撫ぜられる。その目はあまりにも、暗い。
「お嬢様。俺は、貴女を守る為に来ました。本来俺は道具であるべきだったレヂェマシュトルなのに、貴女は友人として接してくれた」
急な、語り。けれどそれを止めていい空気ではなかった。
「俺は貴女が将来嫁ぐ先にもついていく気ですし、その相手が貴女に相応しい男であるべきだと考えています。コーマス様が縁談申し込みを確認する際、俺も意見を出させて頂いたりもしました」
そんな気はしていた。しかし、それでもとくに驚く事はないし、憤る事でもない。
「エヴァイアンの令嬢だから、という理由は勿論です。でも貴女は、俺にとって大事な人なんです。だから」
シャイネはラチカの手を取って、立たせた。腰が痛むが、それどころではない。
「……慕う男が現れたら、必ず言ってください。下手な男でないかどうか、確かめますから」
彼はそうとだけ言うと、短刀をラチカに渡した、恐る恐る受け取ると、彼はラチカとさほど変わらぬ目線の位置で穏やかに微笑んだ。そのまま、背を向けて御者台へ上る。馬はまた歩みだした。
移ろい始める景色をぼんやりと眺めながら、再びラチカは腰を下ろす。
……バレたのかと思った。
恐らくギャムシアとの事がバレれば、本当に只では済まない。ギャムシアの言う通り最初から恋仲だったと嘘をついたとしてもきっと無駄だ。シャイネには確実にバレる。第一、ギャムシアと結婚が確定されるのは正直まだ避けたい。
選ぶ権利は、あるはずなのだ。いくらエヴァイアンの娘とはいえ、跡目争いはもう行われないのだ。コーマスは相応な令嬢を娶ったし、自身はあくまで嫁ぐ身だ。
そういえば、兄の妻は。相手を選ぶ間もなく、兄と結婚したはずだ。彼女の話を聞いてみるのもいいかもしれない。
シャイネの背を見る。彼はこちらを見る事なく、馬の尻を眺めていた。彼の表情は、見えない。
コーマスからの伝書鳩に従い、ひとまず教会に直接出向いた。
大きな、エヴァイアンの屋敷に引けを取らない程の建物。端の方に馬車を繋ぐと、教会の中央にある大扉を開いた。
普段はエクソシストの礼装である赤と黒の制服なのだが、今回は旅帰りなので外出用のドレスだ。そんなラチカを見、すでに礼拝に来ている人間達がひそひそと影話をしだす。シャイネがそんな彼らを一瞥すれば、全員が一気に静まり返った。
「やはり、一度着替えてからの方がよかったのでは」
「いや……兄さんいわく急ぎみたいだし、仕方ないよ」
敬遠な教徒が多い中ではさすがにエヴァイアンの家だから優遇される、などはありえない。最上存在である神の下ではどの人間も等しい、という信条だ。国主といった存在はあくまで地上での統率者、の域を出る事はない。
奥まで進み、一つの黒い扉を開く。奥には、一人の強面の男が居た。肌が浅黒く彫りの深い顔立ちをした、四十代くらいの……黒と赤の制服を着た筋骨隆々の男だ。彼はラチカを見ると手を振った。
「おう、早かったな」
「いや早く帰ってこいって言ったのあんたでは!」
男は大きく笑い声を上げながら、鳥の巣のように絡まっている黒髪をぶるんぶるん揺らした。シャイネとラチカに向かいのソファをすすめ、改めて向き直った。
「どうだった、ロドハルトは。向こうの国主はまだ若いんだろ」
「お嬢様は無事公務を果たされましたよ」
「おうおう、ならよかった」
その言葉に、シャイネの頬も緩む。自分よりも年下なのにどこか保護者のような顔をするなぁ、と思いながらラチカはぼんやりとシャイネを見る。そんなラチカに、男は声をかけた。
「寝れてるか、ラチカ。一応決行は夜だし時間はあるが」
「この後仮眠するし大丈夫だよ。ところで師匠、何事なの?」
師匠と呼ばれた男……教会役員であるモシェロイ・ジャナは頷いた。
「ネクロマンサーの目撃情報が出た。北方山岳の中だそうだ。前回お前達に行ってもらった南方山岳とは真逆の方向ゆえ、関連性は恐らく低いと思われる」
「……へえ?」
ばさり、と一枚の紙をテーブルに広げられた。男性の顔が描かれている。
「出くわしたのが偶然瞬間記憶力に長けた画家だったらしく、これを描いてくれた」
「出くわした……って、その画家の人なんでこいつがネクロマンサーだって分かったの」
「そいつがたまたま、アーネロイの友人でな。一緒に鹿狩りをしているところにこいつが現れたらしい。アーネロイは亡霊討伐に成功したが、同時に少し憑かれてな。今は清めのために地下聖泉に居る」
アーネロイの顔を思い出す。人のよさそうな、ラチカよりも年上の男だった。彼はそこそこ実力があり、教会内でも重宝されているイメージだった。鹿狩りをするなどは今初めて聞いたが。
「じゃあこのネクロマンサーは逃げたんですか」
「ああ。アーネロイはそれを恥じ聖泉で何度も溺死を図っている。空きのエクソシスト数人がかりで見張ってはいるが」
「……もしかして人手足りない理由それなの?」
「ともかく。ネクロマンサーが動くとしたら、亡霊を使役出来る夜間だ。目的、名前、素性含めすべて分からない以上この似顔絵だけが頼りになる。必ず生け捕り、最悪殺害指示も出す。抜かるなよ」
モシェロイの言葉に、シャイネは頷く。似顔絵をじっくり眺めながら、ラチカは溜息を吐いた。
シャイネは本来、ただの使用人のはずなのに。自分がエクソシストなせいで、いや、エクソシストになってしまったせいで巻き込んでしまっている。コーマスいわく「その為にシャイネは雇われた」とは言われたが。……つまり、自分がエクソシストでなければシャイネとは出会わなかった可能性はある。そう考えると、どこか複雑な気もした。
教会を出て、改めて馬車に乗り込む。
「作戦開始まではあと五時間程あります。戻ったら一旦眠りましょうか」
「うん……ていうかシャイネごめんね、ずっと馬車させて。眠いよね」
ラチカの言葉に、シャイネは首を振った。
「構いませんよ、そもそも俺はあまり寝なくても大丈夫なように訓練していますから」
……彼がレヂェマシュトルを出て十五年経つが、それはあくまで居住と所属を移したに過ぎないという事は分かっていた。
屋敷に到着した。シャイネと別れ、自室を目指して歩き出す。広大な屋敷では、自室に向かうのですら時間がかかる。
「あら、ラチカちゃん」
ふんわりとした、春の花の香のような声。振り返ると、そこには、深緑色の長い髪を揺らした女性が立っている。コーマスの妻……ヴェリアナが居た。ラチカは彼女を見た瞬間、顔が綻ぶのを感じる。そのまま駆け寄り、抱き着いた。
「義姉さん! 久し振り!」
「ふふふ、久しぶりねえ。最近なかなか会えなかったものね」
ああ、ものすごくいい匂いがする。確か彼女の実家はエヴァイアン一の大農場で、香水工場も手掛けていると聞いた。会う度に違う香水の匂いがするが、それでも彼女の匂いと混ざれば何でも最高の香りとなる。
兄とは学舎からの幼馴染であり、自身も昔から面識はあったが実際まともに話したのは彼女が嫁いできてからだ。
「一か月ぶりくらいじゃないかな、私が前回の任務に出るよりも……。というか、ずっと何してたの? 屋敷の中でもなかなかすれ違わなかったし」
「少し色々あったのよ。でもよかったわ、やっとここに戻ってこられて一番最初にラチカちゃんに会えて」
「……? 兄さんとは、会ってないの?」
彼女はゆたりと微笑むと、「ずっと一緒に居たわ」と答える。その微笑みがラチカの脳を蕩かせるようで、頭がぽーっとする。
そうだ、どうせなら。
「義姉さん、今時間ある? 久し振りだしお茶しない?」
ヴェリアナは嬉しそうに頷く。大きな黒い帽子が揺れた。彼女はいつも、黒い帽子と首もとまで詰まった黒の長袖のロングドレスを着ている。それは常時で、公務の時ですら彼女はそのスタイルを崩さない。理由は、ずっと不明のままだ。
使用人にティーセットを頼み、ラチカの部屋に向かう。その足取りは、どこか軽やかになっていた。もう眠気なんてとんでしまっている。
ラチカの部屋に到着し、二人対面にソファに腰かけた。使用人が紅茶とスコーンを持ってきて、退出する。この茶葉も、恐らくヴェリアナの家のものだ。
「何か相談でもあるのかしら?」
ヴェリアナの言葉に、少しどきりとする。彼女は紅茶を一口すすると、穏やかな目でラチカを見た。
「ふふ、どこかそんな気がしたから。シャイネくんの事?」
「え? 何でシャイネが出てくるの?」
本当に分からない。しかし彼女はくすりと笑うと、「違うならいいの」とだけ答える。そのまま、続けた。
「それとも、ロドハルトで何かあったのかしら。確かその帰りなのよね? 今日は」
「あ、うん……その……」
いざ話そうとしたら、言葉がなかなか浮かばない。勿論彼女は兄の妻なわけだし、下手に勘付かれて兄に話されても困る。口止めをすればいいだけなのだが、どこかそういった事には気が乗らない。
とりあえず。
「あの、兄さんと結婚してよかったと思う?」
唐突な質問になってしまったとは思うが、ひとまず彼女の顔を見る。ヴェリアナはきょとん、と首を傾げていた。自分よりも年上なのにそれがどこかあどけない少女のようで、胸の奥がきゅんとする。ああ、彼女はずっと変わっていない。
やがて、彼女は口を開く。
「結果的には、そうね。良かったと思っているわ。今は愛しているし」
「結果的には?」
どこか含みを感じる。ラチカの視線を受け止めながら、彼女はスコーンを千切った。
「ラチカちゃんに言うのも何だけど、私ね。彼のこと、大嫌いだったのよ」
「え!?」
あっさりと、それも、穏やかな微笑みを浮かべながら。
「ラチカちゃんも知っているでしょう、昔の彼を」
思い返す。確かに、今でこそ忙殺されて落ち着いている気配はあるが彼はもともと暴君気質だ。その悪評は学舎から何度も苦情が来ていたし、父母も苦労していた。実際昔の彼にラチカは虐められた事もあったが、それはどうやらまだ「可愛がり」の域ではあったらしい。
そんな彼が何故エヴァイアンを継げたか、に関しては本当はラチカは知らない。しかし父母は最終的には認めていた。
「私は彼の事を遠巻きに眺めていた。エヴァイアンの主の長子だからあの振る舞いが許されているのね、なんて思っていたけれど。だからこそ、彼との婚約が決まった時はさすがに面食らったわね」
まさか過ぎた。否、政略結婚だから有り得るのかもしれない話ではあるし可能性としては予想していた。しかしそこまで言うとは。
あんなにも、兄と…睦み合っている、というのに。
「じゃ、じゃあ……いつから、兄さんの事を好きになったの?」
そもそも、そこまで悪印象なのに何故愛せるようになったのか。それは、純粋に気になる。しかしどこか聞いてはいけない領域に踏み出しているようで、ぞこかゾクゾクした。
ヴェリアナは苦笑した。
「彼が私を本当に愛している、と感じた……というより知った時から、ね。結婚してから割とすぐだったとは思うけれど。ああそう、新婚旅行ね」
「じゃあ嫌いなまま結婚したの?」
「最初はね」
兄は知っているのだろうか。しかし兄に彼女の話を振ると、どこか照れくさそうに彼はいつも話を逸らしていた。彼がヴェリアナを溺愛しているのは、そんな仕草から読み取れる。
……兄はきっと、ラチカの気持ちも。かつて抱いていた初恋も知らない。知られないように努めていて、やはり正解だったかもしれない。
シャイネが恭しくギャムシアに頭を下げる。つい先程までラチカと睦み合っていた男は、穏やかに微笑んだ。
「また是非いらしてください、歓迎しますよ」
「ええ、また機会があれば」
見たところ、二人とも穏やかではある。シャイネは彼に背を向けると、荷物を持ってラチカの方へ向かってきた。
ギャムシアを見る。彼はあくまで二人きりの時の様子はきちんと隠して、ラチカを目だけで見送った。
……彼は、本気なのだろうか。結婚など。しかしここ数日で知った彼の姿と言えば、やはりあの姿は国主としての皮であり……その下には、女にも手を上げられる程度の粗暴さを秘めており、自信もある。そして。
いや、今考えたところで仕方無い。もし本気であれば、今後も何かしらアクションを起こしてくるだろう。
「では、お嬢様」
シャイネについていく形で、馬車に向かう。未だ朝が顔を出したくらいの刻なので、馬達は皆いまいち眠たげだ。しかし仕方ないので、馬車に乗り込む。荷物を積み込み、シャイネも乗った。そして、鞭を振るう。出発だ。
以前来た道をたどるように、なだらかに進んでいく。
「そういえばシャイネ、破魔短刀なんだけど」
「ああ、持ってますよ。ここに」
そう言って、彼はベストをめくった。ベルトに差す形で、ラチカの短刀がある。
「ありがと。結局それ、出番無かったね」
「まあ、ネクロマンサーが出現するとしても恐らくはギャムシア様が表に出てくる式のタイミングだったでしょうしね。しかし式は昼間に行われたし、そんな堂々と暗殺を行う程馬鹿ではないでしょう」
それは、確かにそうだ。
彼は新興国の主として、やはり暗殺対象になりやすいという事をコーマスからは聞いていた。だからの事を踏まえてあの短刀を持ち込んだ。ギャムシアを守るためだとか以前に、自身を守るため……そして、エクソシストとして。
ラチカは荷台から身を乗り出した。
「それ、もう私持っておくよ。ロドハルト出たわけだし」
そのまま、手を伸ばす。シャイネの腰に触れかけた瞬間、彼の腕が伸びてきた。奥へ、突き飛ばされる。
「っきゃあ!」
はずみで奥に転がってしまう。何とか布の壁に当たって止まったが、同時に馬もまた動きを止めた。
シャイネの姿が、荷台に入り込んでくる。その顔は、あまりにも冷たい。ラチカと同じの黄金色の目が、ただ……戸惑うラチカを見据えている。
「シャイ、ネ……?」
何が何だか分からない。彼は一歩ずつしっかりと歩みを進めてくる。腰を打って立ち上がれないラチカの前に屈むと、シャイネはその骨ばった手の平をラチカの頬に向けた。そっと、撫ぜられる。その目はあまりにも、暗い。
「お嬢様。俺は、貴女を守る為に来ました。本来俺は道具であるべきだったレヂェマシュトルなのに、貴女は友人として接してくれた」
急な、語り。けれどそれを止めていい空気ではなかった。
「俺は貴女が将来嫁ぐ先にもついていく気ですし、その相手が貴女に相応しい男であるべきだと考えています。コーマス様が縁談申し込みを確認する際、俺も意見を出させて頂いたりもしました」
そんな気はしていた。しかし、それでもとくに驚く事はないし、憤る事でもない。
「エヴァイアンの令嬢だから、という理由は勿論です。でも貴女は、俺にとって大事な人なんです。だから」
シャイネはラチカの手を取って、立たせた。腰が痛むが、それどころではない。
「……慕う男が現れたら、必ず言ってください。下手な男でないかどうか、確かめますから」
彼はそうとだけ言うと、短刀をラチカに渡した、恐る恐る受け取ると、彼はラチカとさほど変わらぬ目線の位置で穏やかに微笑んだ。そのまま、背を向けて御者台へ上る。馬はまた歩みだした。
移ろい始める景色をぼんやりと眺めながら、再びラチカは腰を下ろす。
……バレたのかと思った。
恐らくギャムシアとの事がバレれば、本当に只では済まない。ギャムシアの言う通り最初から恋仲だったと嘘をついたとしてもきっと無駄だ。シャイネには確実にバレる。第一、ギャムシアと結婚が確定されるのは正直まだ避けたい。
選ぶ権利は、あるはずなのだ。いくらエヴァイアンの娘とはいえ、跡目争いはもう行われないのだ。コーマスは相応な令嬢を娶ったし、自身はあくまで嫁ぐ身だ。
そういえば、兄の妻は。相手を選ぶ間もなく、兄と結婚したはずだ。彼女の話を聞いてみるのもいいかもしれない。
シャイネの背を見る。彼はこちらを見る事なく、馬の尻を眺めていた。彼の表情は、見えない。
コーマスからの伝書鳩に従い、ひとまず教会に直接出向いた。
大きな、エヴァイアンの屋敷に引けを取らない程の建物。端の方に馬車を繋ぐと、教会の中央にある大扉を開いた。
普段はエクソシストの礼装である赤と黒の制服なのだが、今回は旅帰りなので外出用のドレスだ。そんなラチカを見、すでに礼拝に来ている人間達がひそひそと影話をしだす。シャイネがそんな彼らを一瞥すれば、全員が一気に静まり返った。
「やはり、一度着替えてからの方がよかったのでは」
「いや……兄さんいわく急ぎみたいだし、仕方ないよ」
敬遠な教徒が多い中ではさすがにエヴァイアンの家だから優遇される、などはありえない。最上存在である神の下ではどの人間も等しい、という信条だ。国主といった存在はあくまで地上での統率者、の域を出る事はない。
奥まで進み、一つの黒い扉を開く。奥には、一人の強面の男が居た。肌が浅黒く彫りの深い顔立ちをした、四十代くらいの……黒と赤の制服を着た筋骨隆々の男だ。彼はラチカを見ると手を振った。
「おう、早かったな」
「いや早く帰ってこいって言ったのあんたでは!」
男は大きく笑い声を上げながら、鳥の巣のように絡まっている黒髪をぶるんぶるん揺らした。シャイネとラチカに向かいのソファをすすめ、改めて向き直った。
「どうだった、ロドハルトは。向こうの国主はまだ若いんだろ」
「お嬢様は無事公務を果たされましたよ」
「おうおう、ならよかった」
その言葉に、シャイネの頬も緩む。自分よりも年下なのにどこか保護者のような顔をするなぁ、と思いながらラチカはぼんやりとシャイネを見る。そんなラチカに、男は声をかけた。
「寝れてるか、ラチカ。一応決行は夜だし時間はあるが」
「この後仮眠するし大丈夫だよ。ところで師匠、何事なの?」
師匠と呼ばれた男……教会役員であるモシェロイ・ジャナは頷いた。
「ネクロマンサーの目撃情報が出た。北方山岳の中だそうだ。前回お前達に行ってもらった南方山岳とは真逆の方向ゆえ、関連性は恐らく低いと思われる」
「……へえ?」
ばさり、と一枚の紙をテーブルに広げられた。男性の顔が描かれている。
「出くわしたのが偶然瞬間記憶力に長けた画家だったらしく、これを描いてくれた」
「出くわした……って、その画家の人なんでこいつがネクロマンサーだって分かったの」
「そいつがたまたま、アーネロイの友人でな。一緒に鹿狩りをしているところにこいつが現れたらしい。アーネロイは亡霊討伐に成功したが、同時に少し憑かれてな。今は清めのために地下聖泉に居る」
アーネロイの顔を思い出す。人のよさそうな、ラチカよりも年上の男だった。彼はそこそこ実力があり、教会内でも重宝されているイメージだった。鹿狩りをするなどは今初めて聞いたが。
「じゃあこのネクロマンサーは逃げたんですか」
「ああ。アーネロイはそれを恥じ聖泉で何度も溺死を図っている。空きのエクソシスト数人がかりで見張ってはいるが」
「……もしかして人手足りない理由それなの?」
「ともかく。ネクロマンサーが動くとしたら、亡霊を使役出来る夜間だ。目的、名前、素性含めすべて分からない以上この似顔絵だけが頼りになる。必ず生け捕り、最悪殺害指示も出す。抜かるなよ」
モシェロイの言葉に、シャイネは頷く。似顔絵をじっくり眺めながら、ラチカは溜息を吐いた。
シャイネは本来、ただの使用人のはずなのに。自分がエクソシストなせいで、いや、エクソシストになってしまったせいで巻き込んでしまっている。コーマスいわく「その為にシャイネは雇われた」とは言われたが。……つまり、自分がエクソシストでなければシャイネとは出会わなかった可能性はある。そう考えると、どこか複雑な気もした。
教会を出て、改めて馬車に乗り込む。
「作戦開始まではあと五時間程あります。戻ったら一旦眠りましょうか」
「うん……ていうかシャイネごめんね、ずっと馬車させて。眠いよね」
ラチカの言葉に、シャイネは首を振った。
「構いませんよ、そもそも俺はあまり寝なくても大丈夫なように訓練していますから」
……彼がレヂェマシュトルを出て十五年経つが、それはあくまで居住と所属を移したに過ぎないという事は分かっていた。
屋敷に到着した。シャイネと別れ、自室を目指して歩き出す。広大な屋敷では、自室に向かうのですら時間がかかる。
「あら、ラチカちゃん」
ふんわりとした、春の花の香のような声。振り返ると、そこには、深緑色の長い髪を揺らした女性が立っている。コーマスの妻……ヴェリアナが居た。ラチカは彼女を見た瞬間、顔が綻ぶのを感じる。そのまま駆け寄り、抱き着いた。
「義姉さん! 久し振り!」
「ふふふ、久しぶりねえ。最近なかなか会えなかったものね」
ああ、ものすごくいい匂いがする。確か彼女の実家はエヴァイアン一の大農場で、香水工場も手掛けていると聞いた。会う度に違う香水の匂いがするが、それでも彼女の匂いと混ざれば何でも最高の香りとなる。
兄とは学舎からの幼馴染であり、自身も昔から面識はあったが実際まともに話したのは彼女が嫁いできてからだ。
「一か月ぶりくらいじゃないかな、私が前回の任務に出るよりも……。というか、ずっと何してたの? 屋敷の中でもなかなかすれ違わなかったし」
「少し色々あったのよ。でもよかったわ、やっとここに戻ってこられて一番最初にラチカちゃんに会えて」
「……? 兄さんとは、会ってないの?」
彼女はゆたりと微笑むと、「ずっと一緒に居たわ」と答える。その微笑みがラチカの脳を蕩かせるようで、頭がぽーっとする。
そうだ、どうせなら。
「義姉さん、今時間ある? 久し振りだしお茶しない?」
ヴェリアナは嬉しそうに頷く。大きな黒い帽子が揺れた。彼女はいつも、黒い帽子と首もとまで詰まった黒の長袖のロングドレスを着ている。それは常時で、公務の時ですら彼女はそのスタイルを崩さない。理由は、ずっと不明のままだ。
使用人にティーセットを頼み、ラチカの部屋に向かう。その足取りは、どこか軽やかになっていた。もう眠気なんてとんでしまっている。
ラチカの部屋に到着し、二人対面にソファに腰かけた。使用人が紅茶とスコーンを持ってきて、退出する。この茶葉も、恐らくヴェリアナの家のものだ。
「何か相談でもあるのかしら?」
ヴェリアナの言葉に、少しどきりとする。彼女は紅茶を一口すすると、穏やかな目でラチカを見た。
「ふふ、どこかそんな気がしたから。シャイネくんの事?」
「え? 何でシャイネが出てくるの?」
本当に分からない。しかし彼女はくすりと笑うと、「違うならいいの」とだけ答える。そのまま、続けた。
「それとも、ロドハルトで何かあったのかしら。確かその帰りなのよね? 今日は」
「あ、うん……その……」
いざ話そうとしたら、言葉がなかなか浮かばない。勿論彼女は兄の妻なわけだし、下手に勘付かれて兄に話されても困る。口止めをすればいいだけなのだが、どこかそういった事には気が乗らない。
とりあえず。
「あの、兄さんと結婚してよかったと思う?」
唐突な質問になってしまったとは思うが、ひとまず彼女の顔を見る。ヴェリアナはきょとん、と首を傾げていた。自分よりも年上なのにそれがどこかあどけない少女のようで、胸の奥がきゅんとする。ああ、彼女はずっと変わっていない。
やがて、彼女は口を開く。
「結果的には、そうね。良かったと思っているわ。今は愛しているし」
「結果的には?」
どこか含みを感じる。ラチカの視線を受け止めながら、彼女はスコーンを千切った。
「ラチカちゃんに言うのも何だけど、私ね。彼のこと、大嫌いだったのよ」
「え!?」
あっさりと、それも、穏やかな微笑みを浮かべながら。
「ラチカちゃんも知っているでしょう、昔の彼を」
思い返す。確かに、今でこそ忙殺されて落ち着いている気配はあるが彼はもともと暴君気質だ。その悪評は学舎から何度も苦情が来ていたし、父母も苦労していた。実際昔の彼にラチカは虐められた事もあったが、それはどうやらまだ「可愛がり」の域ではあったらしい。
そんな彼が何故エヴァイアンを継げたか、に関しては本当はラチカは知らない。しかし父母は最終的には認めていた。
「私は彼の事を遠巻きに眺めていた。エヴァイアンの主の長子だからあの振る舞いが許されているのね、なんて思っていたけれど。だからこそ、彼との婚約が決まった時はさすがに面食らったわね」
まさか過ぎた。否、政略結婚だから有り得るのかもしれない話ではあるし可能性としては予想していた。しかしそこまで言うとは。
あんなにも、兄と…睦み合っている、というのに。
「じゃ、じゃあ……いつから、兄さんの事を好きになったの?」
そもそも、そこまで悪印象なのに何故愛せるようになったのか。それは、純粋に気になる。しかしどこか聞いてはいけない領域に踏み出しているようで、ぞこかゾクゾクした。
ヴェリアナは苦笑した。
「彼が私を本当に愛している、と感じた……というより知った時から、ね。結婚してから割とすぐだったとは思うけれど。ああそう、新婚旅行ね」
「じゃあ嫌いなまま結婚したの?」
「最初はね」
兄は知っているのだろうか。しかし兄に彼女の話を振ると、どこか照れくさそうに彼はいつも話を逸らしていた。彼がヴェリアナを溺愛しているのは、そんな仕草から読み取れる。
……兄はきっと、ラチカの気持ちも。かつて抱いていた初恋も知らない。知られないように努めていて、やはり正解だったかもしれない。
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ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
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