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19.エヴァイアン領に戻った途端これです。
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一週間に及ぶ公務は、つつがなく終わった。次のロドハルト来訪は丁度一か月後になる。
「次回またお会いできるのを、楽しみにしています」
恭しくお辞儀をするギャムシアに対し、ラチカは乾いた愛想笑いを返すしか出来なかった。いつか、彼の化けの皮が公衆の面前で剥がれる日は来るのだろうか。そもそも、彼の本性はロドハルトの内部の人間は知っているのだろうか。
帰りの馬車に乗り込むと、シャイネが馬を動かした。ガラガラ、と穏やかな回転音を立てて馬車は進みだす。
「どうでした、ロドハルトの滞在は」
シャイネは問うてくる。表情は見えないが、穏やかな声に聞こえる。
「まあ、色々勉強になったよ。これからどんどん見えてくるんだろうけど」
……ギャムシアの事も。今回彼と過ごす時間はそれなりに多かったようには思う。あの漁でも、彼の不器用さと同時に優しい性根もどこか見えた気もした。
前回とは比べものにならないくらい、何度も濃密に抱かれた。強引かに見えてその実、彼はラチカの官能をいい具合に刺激し続けていた。こんな事を考えていては、自分が淫乱な気がしてならなくなる。実際、何度もそう思った。
だから、シャイネのあの行為も受け入れてしまっているのだろうか。
「シャイネは?」
「文化圏としてはそこまで差が無いですし、とくに不自由は無かったですね。良くしてもらいましたよ」
真面目で勤勉、とまさに従者気質なシャイネはどこに行っても好かれるとは思う。実際あちらの執事長もシャイネを気にいっている様子だった。そして、恐らく……ポシャロもまた、シャイネの存在に気付いているだろう。未だ両者顔を合わせてはいないはずだが、同じレヂェマシュトル同士感じるものはあるはずだ。
「ところで、お嬢様。ギャムシア様の事ですが」
どきり、とする。一瞬身をこわばらせてしまったが、どうやらそれはあちらまで伝わってはいないらしい。
「悪くはありませんね、彼は」
「へ」
「公務の手腕がです。あれだけ多忙なのに、指示は的確で何よりまずご自身が動かれる。ある種コーマス様とは正反対ですが、彼もまた良政を執られているとは感じました」
予想外だ。まさか、シャイネがそういう風に彼を評するとは。しかし予想通り「あくまで仕事の話ですが」と吐き捨てるように付け加えられた。
「初めてお会いした時もですが、先日もです。お嬢様を無理やり外に連れ出し、二人きりになろうと画策するとは」
「あ、あう」
「よりにもよって、俺の目の前で」
確かに、あれはどこか当てつけのような空気も感じられた。シャイネがいつもラチカにべったりだから切り離しただけにしては、どこか意地悪なものを感じたのは事実だ。
御者台に近付く。シャイネの背が、揺れている。
「何も無かったよ」
何度も、嘘を重ねる。しかしきっと見透かされている。自分達の間に、壁などは無いのだから。
シャイネは何も応えない。ただ、泣きそうな瞳を横目に流してくるだけだった。どこかその仕草に、胸が痛めつけられる。
……これなら、いっそ。ギャムシアと完全にそういう仲と公表し、シャイネを納得させる方がいいのだろうか。恐らくギャムシアは乗ってくれるだろう、そもそもこの誘い自体が彼のものだ。
しかし、何故ここまで……自分は、躊躇っている?
「お嬢様は、あんな男のものになるべきじゃない」
ぼそり、とシャイネは呟く。
「シャイネ」
「俺の意地に付き合わせる形にしてしまうのは、確かに心苦しいです。でも、貴女は俺の唯一の主君だ。俺の、生き甲斐なんです……出会ったあの日から」
泣きそうな、声。
「出会ったあの日から、俺には貴女しかいなかった」
今でも、思い返せる。
未だベッドから降りる事の出来ないラチカの傍に、父が連れてきたのがシャイネだった。あの時から眼鏡を掛けてはいたが、その色は確かにエヴァイアンの色だった。父はシャイネの背を軽く叩き、恐らく仕込んだであろう自己紹介をさせた。その後ろに、彼は確かに言ったのだ。
『俺が、貴女を護ります」
それがエヴァイアン家との契約であるのは勿論だし、きっと彼自身最初から使命感でラチカに付いていたはずだ。けれど、あの日。世界に絶望し、何度も挫けそうになったラチカを……彼は傍らで、見守り続けた。
エクソシストの修業を再開出来るようになってからも、シャイネはついてきた。そこで女性として克服しきれない対人戦闘を彼が請け負うと言ってくれた。そういった面でも、彼はずっとラチカと居た。
……そんな、十五年間だった。
「だから、貴女の人生は幸せであってほしい。だからこそ、貴女の伴侶はそこに見合う殿方であってほしい」
レヂェマシュトルは、婚姻が推奨されない。レヂェマシュトルとしての戦闘能力は、あくまで訓練によるものだ。その力を世襲で継ぐ……それは即ち、強大な力を持った一族、即ち国家の誕生に結び付く。それを恐れた大陸が、レヂェマシュトルが血を延ばしていくのを禁じた。後継は実子ではなく、捨て子か買い子に限る、と。
つまり……レヂェマシュトルの一員であるシャイネは子を成してはならない。
ラチカ自身はいくら次子とはいえ、国家の令嬢だ。結婚は恋愛で為せたとしても、子どもは作るように必ず圧を掛けられるだろう。万が一コーマスとヴェリアナの間に跡継ぎが生まれなかった際の、保険として。
「……エヴァイアンまではまだ時間がかかります。眠っていてください」
会話を切られた。仕方ないので、奥へと戻る。
もし、ギャムシアと出会っていなかったら。もし、シャイネがレヂェマシュトルじゃなかったら。もし、レヂェマシュトルが子どもを作っていいと掟を変えれば。そんな夢物語は、何も意味を為さない。
そもそも、エヴァイアンでは血縁同士の婚姻は認められない。ギャムシアもその事を知っていたからこそ、あんな風に言ったのだろう。
……もし条件さえ合っていれば、自分はシャイネを選んでいたのだろうか。きっと、それは即答出来ない。
シャイネとは、あんな事になった。けれど、恋をしていたのかと問われれば。
「……難しいなぁ」
心の奥に、重しが重なっていく。
どうして、自分はここまで悩んでいるのだろう。いっそ兄のように、政略結婚だったらすべて楽だったのか。こんな、中途半端な自由さえ無ければ。
ばかばかしい。考えるだけ、きっともう無駄なのに。
「……ん?」
――何故。今、ここに?
身を起こす。外を見た。既に、周囲は夜だ。ああ、いつの間に。それならば、確かにあり得る。
御者台へ身を乗り出す。シャイネは一瞬だけ反応したが、察してくれたらしい。「どちらです」とだけ聞いてくる。
「月があっち……ってことは、西。近い」
「かしこまりました」
嫌な、気配。ロドハルトに居るとは教会に伝えているので、いくら帰宅途中と言えど要請が届く事はまずありえない。しかし、見つけてしまった以上無視は出来ない。突撃とはいえど、援護程度にはなるはずだ。
破魔短刀を取り出す。艶は、曇っていない。
結局、仕事になるときちんと切り替えが出来る。鈍ってはいない。その事に少しだけ、安心した。
「ギャムシア・ロドハルトとの婚姻ねぇ」
ヴェリアナは手渡された文書を読み上げながらほぅ、と息を吐いた。渡した本人であるコーマスは机に突っ伏している。
「いや絶対来ると思った」
「ええ、私もよ」
「そもそも大使に指名してきた時点で察知するべきだったんだよな。あの歳まで嫁の一人も娶っていないから、まさか男色の趣味がと侮っていたが……勿論そんな訳はなかったな」
「私は気付いていたけれど」
ヴェリアナの呟きに、コーマスはばっと顔を起こす。そのまま、悔しそうに唇を噛んだ。
「女の勘か……くそっ、羨ましいっ……」
「ええ、貴方に足りないといえばそこだけだものね」
「だからこそお前が妻で居てくれてありがたいとは思っているさ」
「あら、皮肉なのかしら」
「本心さ」
ヴェリアナは帽子を深く被りながら、未だ机に頬をつけたままのコーマスの唇を指でなぞった。彼はそんな妻を愛おしそうに見上げながら、それでも眉を苛立たし気に寄せる。
実際、気付いていないわけではなかった。うっすらとだが、勘付いてはいた。彼も、彼の国も、まだ若い。野心の為にエヴァイアンの縁者に手を伸ばしてきても何ら不自然ではない。ただ解せないのは、自分が彼の外堀埋めに乗ってしまっていたという……屈辱。
しかし、送られてきた文書にはラチカとの結婚の希望をあくまでも仄めかす程度にしか記載されていない。あちらでのラチカの様子を探るために、先に鳩を送ったのはコーマスだ。返答も、そんなコーマスの心情に同意する……確かに心地いいと思える内容だった。その中に、仕込まれていた。
「何が『あんな愉快なお嬢さんと人生を共に出来たら』だ」
「あら、愉快じゃない。ラチカちゃん」
「それはまあ否定はせんが」
実際彼女は、明るく傍に居るだけで顔が綻ぶような、天真爛漫なところがある。自分が母の胎に置いてきたのではないかと疑った事もあるような、なんせ自分には一切持ち合わせていない、人を惹きつける要素だ。
……その裏では、色々あったが。だかあらこそ、苦労はかけさせたくない。
「ヴェリアナ、どう思う」
「ふふ、反対ね」
優雅に笑みながらばっさりと切り捨てる妻に多少驚きながら、ほっと息を吐く。「何故だ」と問うと、彼女はコーマスを心底愛おしそうに見た。
「一国の主の妻になるのは大変よ。愛せないと、こなせないわ」
とんだ発言だ。顔が熱くなる。冷やそうと再び突っ伏すと、ヴェリアナの手がそっとコーマスの髪をなでた。
「それ以上に、ラチカちゃんが幸せになるには彼女自身が納得しないと」
「納得?」
「やっぱりあの子、何だかんだ貴方の妹よ。素の魂が気高いもの」
意味が分からず、顔を起こして見上げる。ヴェリアナはコーマスを見る事なく、微笑んだ。
「女は結局男の性的な奴隷となる側面があるわ。あの子はきっとまだ、探しあぐねているのよ。自分の主人となる男を」
反論しようにも、コーマスには出来なかった。何故なら、自覚があったからだ。ヴェリアナを、そう扱う側面が自分にもあると。ただ、それでもヴェリアナは傍に居てくれている。精神が安定している今は、無事にそれを信じられる。
……結局、対等になるのは不可能なのだ。それは自分こそ知っている。
「いつもすまない、ヴェリアナ」
懺悔のような、呟き。ヴェリアナはそっと微笑み、またコーマスの髪に触れた。
「心配しないで、私の主は私自身がきちんと見定めたわ。だから私は胸を張って幸せと言える。逆を返せば、私はこうした幸せしか知らないの」
それが、敷かれたレールだったとしても。暗示ゆえの夢の一端だとしても。
「ラチカちゃんは、もっと沢山のチャンスを活用できる立場にいる。ふいにしてほしくはないわね」
……かつて自分自身が、彼女の一つ目のチャンスを手折ったからこその台詞だった。
「次回またお会いできるのを、楽しみにしています」
恭しくお辞儀をするギャムシアに対し、ラチカは乾いた愛想笑いを返すしか出来なかった。いつか、彼の化けの皮が公衆の面前で剥がれる日は来るのだろうか。そもそも、彼の本性はロドハルトの内部の人間は知っているのだろうか。
帰りの馬車に乗り込むと、シャイネが馬を動かした。ガラガラ、と穏やかな回転音を立てて馬車は進みだす。
「どうでした、ロドハルトの滞在は」
シャイネは問うてくる。表情は見えないが、穏やかな声に聞こえる。
「まあ、色々勉強になったよ。これからどんどん見えてくるんだろうけど」
……ギャムシアの事も。今回彼と過ごす時間はそれなりに多かったようには思う。あの漁でも、彼の不器用さと同時に優しい性根もどこか見えた気もした。
前回とは比べものにならないくらい、何度も濃密に抱かれた。強引かに見えてその実、彼はラチカの官能をいい具合に刺激し続けていた。こんな事を考えていては、自分が淫乱な気がしてならなくなる。実際、何度もそう思った。
だから、シャイネのあの行為も受け入れてしまっているのだろうか。
「シャイネは?」
「文化圏としてはそこまで差が無いですし、とくに不自由は無かったですね。良くしてもらいましたよ」
真面目で勤勉、とまさに従者気質なシャイネはどこに行っても好かれるとは思う。実際あちらの執事長もシャイネを気にいっている様子だった。そして、恐らく……ポシャロもまた、シャイネの存在に気付いているだろう。未だ両者顔を合わせてはいないはずだが、同じレヂェマシュトル同士感じるものはあるはずだ。
「ところで、お嬢様。ギャムシア様の事ですが」
どきり、とする。一瞬身をこわばらせてしまったが、どうやらそれはあちらまで伝わってはいないらしい。
「悪くはありませんね、彼は」
「へ」
「公務の手腕がです。あれだけ多忙なのに、指示は的確で何よりまずご自身が動かれる。ある種コーマス様とは正反対ですが、彼もまた良政を執られているとは感じました」
予想外だ。まさか、シャイネがそういう風に彼を評するとは。しかし予想通り「あくまで仕事の話ですが」と吐き捨てるように付け加えられた。
「初めてお会いした時もですが、先日もです。お嬢様を無理やり外に連れ出し、二人きりになろうと画策するとは」
「あ、あう」
「よりにもよって、俺の目の前で」
確かに、あれはどこか当てつけのような空気も感じられた。シャイネがいつもラチカにべったりだから切り離しただけにしては、どこか意地悪なものを感じたのは事実だ。
御者台に近付く。シャイネの背が、揺れている。
「何も無かったよ」
何度も、嘘を重ねる。しかしきっと見透かされている。自分達の間に、壁などは無いのだから。
シャイネは何も応えない。ただ、泣きそうな瞳を横目に流してくるだけだった。どこかその仕草に、胸が痛めつけられる。
……これなら、いっそ。ギャムシアと完全にそういう仲と公表し、シャイネを納得させる方がいいのだろうか。恐らくギャムシアは乗ってくれるだろう、そもそもこの誘い自体が彼のものだ。
しかし、何故ここまで……自分は、躊躇っている?
「お嬢様は、あんな男のものになるべきじゃない」
ぼそり、とシャイネは呟く。
「シャイネ」
「俺の意地に付き合わせる形にしてしまうのは、確かに心苦しいです。でも、貴女は俺の唯一の主君だ。俺の、生き甲斐なんです……出会ったあの日から」
泣きそうな、声。
「出会ったあの日から、俺には貴女しかいなかった」
今でも、思い返せる。
未だベッドから降りる事の出来ないラチカの傍に、父が連れてきたのがシャイネだった。あの時から眼鏡を掛けてはいたが、その色は確かにエヴァイアンの色だった。父はシャイネの背を軽く叩き、恐らく仕込んだであろう自己紹介をさせた。その後ろに、彼は確かに言ったのだ。
『俺が、貴女を護ります」
それがエヴァイアン家との契約であるのは勿論だし、きっと彼自身最初から使命感でラチカに付いていたはずだ。けれど、あの日。世界に絶望し、何度も挫けそうになったラチカを……彼は傍らで、見守り続けた。
エクソシストの修業を再開出来るようになってからも、シャイネはついてきた。そこで女性として克服しきれない対人戦闘を彼が請け負うと言ってくれた。そういった面でも、彼はずっとラチカと居た。
……そんな、十五年間だった。
「だから、貴女の人生は幸せであってほしい。だからこそ、貴女の伴侶はそこに見合う殿方であってほしい」
レヂェマシュトルは、婚姻が推奨されない。レヂェマシュトルとしての戦闘能力は、あくまで訓練によるものだ。その力を世襲で継ぐ……それは即ち、強大な力を持った一族、即ち国家の誕生に結び付く。それを恐れた大陸が、レヂェマシュトルが血を延ばしていくのを禁じた。後継は実子ではなく、捨て子か買い子に限る、と。
つまり……レヂェマシュトルの一員であるシャイネは子を成してはならない。
ラチカ自身はいくら次子とはいえ、国家の令嬢だ。結婚は恋愛で為せたとしても、子どもは作るように必ず圧を掛けられるだろう。万が一コーマスとヴェリアナの間に跡継ぎが生まれなかった際の、保険として。
「……エヴァイアンまではまだ時間がかかります。眠っていてください」
会話を切られた。仕方ないので、奥へと戻る。
もし、ギャムシアと出会っていなかったら。もし、シャイネがレヂェマシュトルじゃなかったら。もし、レヂェマシュトルが子どもを作っていいと掟を変えれば。そんな夢物語は、何も意味を為さない。
そもそも、エヴァイアンでは血縁同士の婚姻は認められない。ギャムシアもその事を知っていたからこそ、あんな風に言ったのだろう。
……もし条件さえ合っていれば、自分はシャイネを選んでいたのだろうか。きっと、それは即答出来ない。
シャイネとは、あんな事になった。けれど、恋をしていたのかと問われれば。
「……難しいなぁ」
心の奥に、重しが重なっていく。
どうして、自分はここまで悩んでいるのだろう。いっそ兄のように、政略結婚だったらすべて楽だったのか。こんな、中途半端な自由さえ無ければ。
ばかばかしい。考えるだけ、きっともう無駄なのに。
「……ん?」
――何故。今、ここに?
身を起こす。外を見た。既に、周囲は夜だ。ああ、いつの間に。それならば、確かにあり得る。
御者台へ身を乗り出す。シャイネは一瞬だけ反応したが、察してくれたらしい。「どちらです」とだけ聞いてくる。
「月があっち……ってことは、西。近い」
「かしこまりました」
嫌な、気配。ロドハルトに居るとは教会に伝えているので、いくら帰宅途中と言えど要請が届く事はまずありえない。しかし、見つけてしまった以上無視は出来ない。突撃とはいえど、援護程度にはなるはずだ。
破魔短刀を取り出す。艶は、曇っていない。
結局、仕事になるときちんと切り替えが出来る。鈍ってはいない。その事に少しだけ、安心した。
「ギャムシア・ロドハルトとの婚姻ねぇ」
ヴェリアナは手渡された文書を読み上げながらほぅ、と息を吐いた。渡した本人であるコーマスは机に突っ伏している。
「いや絶対来ると思った」
「ええ、私もよ」
「そもそも大使に指名してきた時点で察知するべきだったんだよな。あの歳まで嫁の一人も娶っていないから、まさか男色の趣味がと侮っていたが……勿論そんな訳はなかったな」
「私は気付いていたけれど」
ヴェリアナの呟きに、コーマスはばっと顔を起こす。そのまま、悔しそうに唇を噛んだ。
「女の勘か……くそっ、羨ましいっ……」
「ええ、貴方に足りないといえばそこだけだものね」
「だからこそお前が妻で居てくれてありがたいとは思っているさ」
「あら、皮肉なのかしら」
「本心さ」
ヴェリアナは帽子を深く被りながら、未だ机に頬をつけたままのコーマスの唇を指でなぞった。彼はそんな妻を愛おしそうに見上げながら、それでも眉を苛立たし気に寄せる。
実際、気付いていないわけではなかった。うっすらとだが、勘付いてはいた。彼も、彼の国も、まだ若い。野心の為にエヴァイアンの縁者に手を伸ばしてきても何ら不自然ではない。ただ解せないのは、自分が彼の外堀埋めに乗ってしまっていたという……屈辱。
しかし、送られてきた文書にはラチカとの結婚の希望をあくまでも仄めかす程度にしか記載されていない。あちらでのラチカの様子を探るために、先に鳩を送ったのはコーマスだ。返答も、そんなコーマスの心情に同意する……確かに心地いいと思える内容だった。その中に、仕込まれていた。
「何が『あんな愉快なお嬢さんと人生を共に出来たら』だ」
「あら、愉快じゃない。ラチカちゃん」
「それはまあ否定はせんが」
実際彼女は、明るく傍に居るだけで顔が綻ぶような、天真爛漫なところがある。自分が母の胎に置いてきたのではないかと疑った事もあるような、なんせ自分には一切持ち合わせていない、人を惹きつける要素だ。
……その裏では、色々あったが。だかあらこそ、苦労はかけさせたくない。
「ヴェリアナ、どう思う」
「ふふ、反対ね」
優雅に笑みながらばっさりと切り捨てる妻に多少驚きながら、ほっと息を吐く。「何故だ」と問うと、彼女はコーマスを心底愛おしそうに見た。
「一国の主の妻になるのは大変よ。愛せないと、こなせないわ」
とんだ発言だ。顔が熱くなる。冷やそうと再び突っ伏すと、ヴェリアナの手がそっとコーマスの髪をなでた。
「それ以上に、ラチカちゃんが幸せになるには彼女自身が納得しないと」
「納得?」
「やっぱりあの子、何だかんだ貴方の妹よ。素の魂が気高いもの」
意味が分からず、顔を起こして見上げる。ヴェリアナはコーマスを見る事なく、微笑んだ。
「女は結局男の性的な奴隷となる側面があるわ。あの子はきっとまだ、探しあぐねているのよ。自分の主人となる男を」
反論しようにも、コーマスには出来なかった。何故なら、自覚があったからだ。ヴェリアナを、そう扱う側面が自分にもあると。ただ、それでもヴェリアナは傍に居てくれている。精神が安定している今は、無事にそれを信じられる。
……結局、対等になるのは不可能なのだ。それは自分こそ知っている。
「いつもすまない、ヴェリアナ」
懺悔のような、呟き。ヴェリアナはそっと微笑み、またコーマスの髪に触れた。
「心配しないで、私の主は私自身がきちんと見定めたわ。だから私は胸を張って幸せと言える。逆を返せば、私はこうした幸せしか知らないの」
それが、敷かれたレールだったとしても。暗示ゆえの夢の一端だとしても。
「ラチカちゃんは、もっと沢山のチャンスを活用できる立場にいる。ふいにしてほしくはないわね」
……かつて自分自身が、彼女の一つ目のチャンスを手折ったからこその台詞だった。
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