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28.我らがレヂェマシュトルの島へようこそ、お嬢様。
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ラチカにとって三度目の大使訪問となる今。冬はますます厳しくなり、地方には雪もちらつき始めた。エヴァイアンやロドハルトは比較的温暖な地方ではあるが、それでもロドハルトの北部に当たる沿岸沿いなどは雪でそれなりに被害が出ているという。
シャイネは来国こそラチカに随伴してきたが、すぐにポシャロや付き添いの使用人と共に集会場へと向かった。一日だけとは言えど主君をロドハルト……ギャムシアのひざ元に置いていくのは相当気にしていたが、「兄さんはいいって言ってたから」と必死に説得すると何とか落ち着いてくれた。
最初コーマスにレヂェマシュトルの集会に行く旨を伝えた時は反対されるかと思ったが、案外すんなりと許可を貰えた。彼いわく、「社会勉強にもなる」との事だ。ようやく子ども扱いがとけたようで、内心浮足立っていた。
「ラチカ、こっちだ。乗れ」
ギャムシアの声に頷き、彼の馬車に足を運ぶ。馬車はそのまま、緩やかに動き出した。ここからレヂェマシュトルの集会場である無国籍の島までは海を渡って半日程らしい。案外近いのか、と思ったが彼いわく「冬の海は渡りづらいから確実に酔う」との事だった。
レヂェマシュトルは、国籍を最初は持っていない。捨て子だったり売りに出された身元不明の子どもが、レヂェマシュトルに来ては傭兵としての訓練を受ける。そしてそんな子どもを品定めし、購入する……一種の人身売買だ。
買い手も適当に選ぶのではなく、きちんと子ども達の適正をその目で見て考えている。そのために、集会二日目に行われる……全レヂェマシュトル対抗試合は一般来場が許されている。
「でも、もう買われたレヂェマシュトルが出ても意味が無いんじゃないの?」
よろめきながら、船を下りたラチカが呟く。ギャムシアも胃のあたりを押さえながら、もう片手でラチカの手を取った。こういう所作は本当に、紳士だとは思う。そういえば、今回の来訪では時間が無かったせいでまだ一度も抱かれていない。
「あくまで盛り上げ役だ。チビ同士が戦うだけじゃどうしても飽きがくるからな、見世物として」
「……本当に、商品扱いなんだね」
シャイネはレヂェマシュトルの中でも比較的早期に買い取られたらしい。それはあくまで父の探している条件に唯一当てはまった、というところは勿論大きい。しかしいくらエヴァイアンの血を引いていても、レヂェマシュトルとして役立たずであればきっと選びはしなかったとかつて聞いていた。つまり、あらゆる意味でシャイネは理想だったと言えるのだろう。
「ご両親は来られているのか」
ギャムシアの言葉に、ラチカは首を振った。
「こういう公務から完全に切り離されたいって言ってたから、来てないはずだよ」
「そうか」
何となく何かを企んでいるような素振りに見えて、自分の勘が正しい事を心から祈るしかなかった。
門番にギャムシアが身分証を見せ、中へと通される。無国籍の島のためか、警備は厳重だ。そもそも警備員は皆レヂェマシュトルの為、容易にこの島を突破する事すら出来ないのではあるが。ギャムシアはついでに、何か紙を受け取っていた。
「何、それ」
「今日の試合のだな」
手渡され、目を通す。二つのトーナメント表が描かれていた。一つには人名が載っているが、もう片方は五桁程の番号だった。
「選手名じゃなく番号が振られているのが、まだ買い手がついていないレヂェマシュトルだな」
レヂェマシュトルが初めて人間扱いされるのは、買い手がついた瞬間からである。勿論扱いは買い手の采配によるところが多く、名前を付けてもらえるかどうかもそれ次第によってくるそうだ。
「あ、ポシャロあった。これ相手も犬なの?」
「じゃねぇかな。というか、俺が言うのも何だがあのクソガキよりポシャロを先に見るのかお前……」
シャイネの名前もあった。他の人名に倣い、簡易紹介も入っている。
「席はもう取れてるが、どうする。もう行くか? 第一試合まであと一時間くらいあるな」
「挨拶とかいいの? 他の国の人と」
「出会いすがらでいいだろ」
そんな適当でいいのだろうか。ひとまず席会場へと向かう事にした。
島自体はそこまで大きくなく、人の出入りも多い。レヂェマシュトルには様々な人種がいるため現地民なのかどうかは見分け辛いが、大概の人間がトーナメント表を持っているあたり恐らく外部の人間ばかりなのだろう。
会場は天井の空いた円形のコロシアムであり、すでに客席は半分程埋まっていた。ギャムシアはロドハルトの国主という事で、席を優先で予約出来ていたらしい。という事は。
「おお、来たか」
「まさかのお隣」
コーマスはすでに席に座り、ラチカ達を見つけ次第声を上げた。隣にはいつもの黒い装束に加えフェイスベールで目から下を隠したヴェリアナがいる。彼女は外出する際、いつもこの装いだ。目元しか顔は見えないが、彼女もまたにこやかに手を振っている。彼女を見つけた瞬間、ラチカの心の中がぱっと晴れていった。
「義姉さん久し振りー!」
「ふふふそうね、エヴァイアンでも会えなかったものね」
ラチカがヴェリアナと話している隣で、ギャムシアとコーマスは何かを話している。表面上はにこやかだが、二人とも外面が厚いせいかその内心が一切見えないのがどこか不気味だった。
左端からコーマス、ヴェリアナ、ラチカ、ギャムシアの順で座った。もしかすると、こうなるように予約をしたのだろうか。席から見下ろすような形で、試合場が円形に展開されている。何人か整備員が出ているが、それなりによく見える位置だ。
「シャイネは結構後だろう。こんな早くに来る事無かったんじゃないのか」
「それがね、私のポシャロが第二試合なのよ兄さん」
「俺のな?」
それを考えると、何故逆に兄夫婦はこんなに早くに来ているのだろう。こっそりヴェリアナに問うと、彼女はくすくす笑いながら「この時間なら書類業務しなくて済むからよ」と答えた。冗談なのか本音なのかもはや分からない。
隣のヴェリアナを見る。その顔の大部分が隠されているにしても、やはり彼女は美人だ。そして相変わらずいい匂いがする。この姿の彼女に何も言及しないあたり、ギャムシアも慣れているのだろうか。
第一試合が始まり、大盛況の中終わった。奇数試合は未だ買い手のついていないレヂェマシュトル、偶数試合はすでに買い手のいるレヂェマシュトルの試合で進んでいくそうだ。
そして興奮さめやらぬ間に、第二試合が始まる。
「ポシャロォォー!! ポシャロ頑張ってーーー!!」
入場してくるポシャロに対し大熱狂するラチカを引き気味に見、コーマスはポシャロの相手に視線を移した。大きな、白い犬だ。大の男はあろうかというポシャロをゆうに上回る。もはや狼の域だった。
「へえ、大陸外のレヂェマシュトルか……強そうですね、ギャムシア殿?」
「確かに図体は大きいですね。昨年にも確かいました、五分足らずで圧勝だった記憶が」
「何でそんなやつをポシャロと当てたの!?」
「いやこれ完全に抽選だからな?」
まあ、とギャムシアは呟く。
「俺ん家のあいつが、負けるなんざ有り得ないが」
第二試合が始まった。金属が激しく叩き合う音を合図に、敵の狼が駆けだした。飛びかかろうと、跳躍する。しかし、それ自体が……恐らく、ポシャロにとっての罠だ。
ポシャロは体制を低くし走り込み、狼の脇腹に向けて鋭く跳ぶ。ポシャロの頭が狼の脇腹に綺麗に決まり、狼は口から体液と飛ばしながら浮きあがった。そのまま、着地する。
「やった!」
ラチカの弾んだ声に、「まだね」とヴェリアナが呟く。その言葉通り、狼は一瞬のラグしか経過させずに立ち上がった。それも、犬歯を全力で剥きださせながら。
狼は跳ぶ事なく駆けだす。正面から襲い掛かる気だ。手に汗を握りながら見つめるが、ポシャロは再び体勢を低くする。狼よりかは動きが俊敏なポシャロの方が、先に狼に……狼の前足に、噛みついた。
鋭く声を上げながら、狼は倒れた。そのまま、狼の口は苦し紛れにポシャロの腹に食らいついた。
「ああっ!?」
会場からどよめきが起こる。立ち上がりそうになるラチカの腕を掴みながら、ギャムシアは「見てろ」と言った。その手には、汗ひとつかいていない。ここまで冷静なのは……もしかして、自信からか。
ポシャロは腹部から血を流しながら、その力強い後ろ足で狼の顔面を蹴った。それにひるみ、僅かながら狼の口が開く。その隙に、ポシャロは身をよじった。浅くなったとはいえわずかに刺さった牙がポシャロの腹部の皮膚を裂くが、気にせずポシャロはその口を引き剥がした。狼は反射で身を起こそうとするが、遅かった。ポシャロの口が、狼の首元に食らいついた。
「決まったな」
ギャムシアの自信ありげな声。
実際、狼は手足をばたつかせるもぎりぎりのところでポシャロには届かない。じわりと、狼の白い首に赤い染みが広がっていく。やがて、狼の動きが鈍くなりはじめた。
審判の制止が入り、ポシャロは口を離した。同時に沸き立つ、歓声。
「すごいわね、あの子。ねえラチカちゃ……ラチカちゃん?」
ヴェリアナはふとラチカを見る。そのラチカ自身は、腰を前の方に曲げて背を震わせていた。
「うっ……うっ……ポシャロぉ……すごいよぉ……頑張ったねぇ……」
「ヴェリアナ放っておけ、そいつ感極まっているだけだぞ」
コーマスは呆れ返ったように呟く。ヴェリアナは微笑みながら「あの子の事大好きなのねぇ」と呑気にラチカの背をさすっている。ギャムシアはその様子を見ながら、どこか穏やかな顔で医療部へ運ばれていくポシャロを見送った。
そこから数試合行われ、どれも熱狂の内に進んでいった。ある観客は目ぼしいレヂェマシュトルをメモしたり、自身が買っているレヂェマシュトルを迎えにいったり……それなりに動きも出始めている。
すっかり落ち着いたラチカは、心臓の脈打ちを感じながら試合場を見下ろしていた。
「次はシャイネだな」
コーマスの言葉に、ラチカは頷く。
「兄さんは、シャイネの試合見た事ある?」
「いや。俺も来るの初めてだからな。父上は毎年見ていたらしいが」
もしかすると、それもあって早めに来ていたのだろうか。
「ギャムシア殿は、うちのシャイネの試合をご覧になられた事は?」
「いや、ありませんね。毎回彼は遅めに出番だそうなので……大概都合上居残れなかったのですが」
ギャムシアはそのまま、付け加えた。
「ただ、遅くに出番があるという事は花形に等しい」
シャイネの姿が、試合場に現れた。普段の使用人服ではなく、黒のタンクトップと白いズボンに重そうなブーツだった。腕にはしっかりと包帯を巻いている。完全に戦闘用の装いだ。初めて見る姿に、内心戸惑う。
やはり案外、自分はシャイネを知らないのかもしれない。
「兄さん、相手は」
「大陸端にある、オービョという国のレヂェマシュトルだな。国主側近だそうだ」
「境遇的にはシャイネくんに似てるわね」
相手の男は、華奢なシャイネと比べものにならない程体格がいい。背も恐らく頭ひとつは相手が上だ。彼もまた、シャイネと同じような服装をしている。
始まった。
シャイネは来国こそラチカに随伴してきたが、すぐにポシャロや付き添いの使用人と共に集会場へと向かった。一日だけとは言えど主君をロドハルト……ギャムシアのひざ元に置いていくのは相当気にしていたが、「兄さんはいいって言ってたから」と必死に説得すると何とか落ち着いてくれた。
最初コーマスにレヂェマシュトルの集会に行く旨を伝えた時は反対されるかと思ったが、案外すんなりと許可を貰えた。彼いわく、「社会勉強にもなる」との事だ。ようやく子ども扱いがとけたようで、内心浮足立っていた。
「ラチカ、こっちだ。乗れ」
ギャムシアの声に頷き、彼の馬車に足を運ぶ。馬車はそのまま、緩やかに動き出した。ここからレヂェマシュトルの集会場である無国籍の島までは海を渡って半日程らしい。案外近いのか、と思ったが彼いわく「冬の海は渡りづらいから確実に酔う」との事だった。
レヂェマシュトルは、国籍を最初は持っていない。捨て子だったり売りに出された身元不明の子どもが、レヂェマシュトルに来ては傭兵としての訓練を受ける。そしてそんな子どもを品定めし、購入する……一種の人身売買だ。
買い手も適当に選ぶのではなく、きちんと子ども達の適正をその目で見て考えている。そのために、集会二日目に行われる……全レヂェマシュトル対抗試合は一般来場が許されている。
「でも、もう買われたレヂェマシュトルが出ても意味が無いんじゃないの?」
よろめきながら、船を下りたラチカが呟く。ギャムシアも胃のあたりを押さえながら、もう片手でラチカの手を取った。こういう所作は本当に、紳士だとは思う。そういえば、今回の来訪では時間が無かったせいでまだ一度も抱かれていない。
「あくまで盛り上げ役だ。チビ同士が戦うだけじゃどうしても飽きがくるからな、見世物として」
「……本当に、商品扱いなんだね」
シャイネはレヂェマシュトルの中でも比較的早期に買い取られたらしい。それはあくまで父の探している条件に唯一当てはまった、というところは勿論大きい。しかしいくらエヴァイアンの血を引いていても、レヂェマシュトルとして役立たずであればきっと選びはしなかったとかつて聞いていた。つまり、あらゆる意味でシャイネは理想だったと言えるのだろう。
「ご両親は来られているのか」
ギャムシアの言葉に、ラチカは首を振った。
「こういう公務から完全に切り離されたいって言ってたから、来てないはずだよ」
「そうか」
何となく何かを企んでいるような素振りに見えて、自分の勘が正しい事を心から祈るしかなかった。
門番にギャムシアが身分証を見せ、中へと通される。無国籍の島のためか、警備は厳重だ。そもそも警備員は皆レヂェマシュトルの為、容易にこの島を突破する事すら出来ないのではあるが。ギャムシアはついでに、何か紙を受け取っていた。
「何、それ」
「今日の試合のだな」
手渡され、目を通す。二つのトーナメント表が描かれていた。一つには人名が載っているが、もう片方は五桁程の番号だった。
「選手名じゃなく番号が振られているのが、まだ買い手がついていないレヂェマシュトルだな」
レヂェマシュトルが初めて人間扱いされるのは、買い手がついた瞬間からである。勿論扱いは買い手の采配によるところが多く、名前を付けてもらえるかどうかもそれ次第によってくるそうだ。
「あ、ポシャロあった。これ相手も犬なの?」
「じゃねぇかな。というか、俺が言うのも何だがあのクソガキよりポシャロを先に見るのかお前……」
シャイネの名前もあった。他の人名に倣い、簡易紹介も入っている。
「席はもう取れてるが、どうする。もう行くか? 第一試合まであと一時間くらいあるな」
「挨拶とかいいの? 他の国の人と」
「出会いすがらでいいだろ」
そんな適当でいいのだろうか。ひとまず席会場へと向かう事にした。
島自体はそこまで大きくなく、人の出入りも多い。レヂェマシュトルには様々な人種がいるため現地民なのかどうかは見分け辛いが、大概の人間がトーナメント表を持っているあたり恐らく外部の人間ばかりなのだろう。
会場は天井の空いた円形のコロシアムであり、すでに客席は半分程埋まっていた。ギャムシアはロドハルトの国主という事で、席を優先で予約出来ていたらしい。という事は。
「おお、来たか」
「まさかのお隣」
コーマスはすでに席に座り、ラチカ達を見つけ次第声を上げた。隣にはいつもの黒い装束に加えフェイスベールで目から下を隠したヴェリアナがいる。彼女は外出する際、いつもこの装いだ。目元しか顔は見えないが、彼女もまたにこやかに手を振っている。彼女を見つけた瞬間、ラチカの心の中がぱっと晴れていった。
「義姉さん久し振りー!」
「ふふふそうね、エヴァイアンでも会えなかったものね」
ラチカがヴェリアナと話している隣で、ギャムシアとコーマスは何かを話している。表面上はにこやかだが、二人とも外面が厚いせいかその内心が一切見えないのがどこか不気味だった。
左端からコーマス、ヴェリアナ、ラチカ、ギャムシアの順で座った。もしかすると、こうなるように予約をしたのだろうか。席から見下ろすような形で、試合場が円形に展開されている。何人か整備員が出ているが、それなりによく見える位置だ。
「シャイネは結構後だろう。こんな早くに来る事無かったんじゃないのか」
「それがね、私のポシャロが第二試合なのよ兄さん」
「俺のな?」
それを考えると、何故逆に兄夫婦はこんなに早くに来ているのだろう。こっそりヴェリアナに問うと、彼女はくすくす笑いながら「この時間なら書類業務しなくて済むからよ」と答えた。冗談なのか本音なのかもはや分からない。
隣のヴェリアナを見る。その顔の大部分が隠されているにしても、やはり彼女は美人だ。そして相変わらずいい匂いがする。この姿の彼女に何も言及しないあたり、ギャムシアも慣れているのだろうか。
第一試合が始まり、大盛況の中終わった。奇数試合は未だ買い手のついていないレヂェマシュトル、偶数試合はすでに買い手のいるレヂェマシュトルの試合で進んでいくそうだ。
そして興奮さめやらぬ間に、第二試合が始まる。
「ポシャロォォー!! ポシャロ頑張ってーーー!!」
入場してくるポシャロに対し大熱狂するラチカを引き気味に見、コーマスはポシャロの相手に視線を移した。大きな、白い犬だ。大の男はあろうかというポシャロをゆうに上回る。もはや狼の域だった。
「へえ、大陸外のレヂェマシュトルか……強そうですね、ギャムシア殿?」
「確かに図体は大きいですね。昨年にも確かいました、五分足らずで圧勝だった記憶が」
「何でそんなやつをポシャロと当てたの!?」
「いやこれ完全に抽選だからな?」
まあ、とギャムシアは呟く。
「俺ん家のあいつが、負けるなんざ有り得ないが」
第二試合が始まった。金属が激しく叩き合う音を合図に、敵の狼が駆けだした。飛びかかろうと、跳躍する。しかし、それ自体が……恐らく、ポシャロにとっての罠だ。
ポシャロは体制を低くし走り込み、狼の脇腹に向けて鋭く跳ぶ。ポシャロの頭が狼の脇腹に綺麗に決まり、狼は口から体液と飛ばしながら浮きあがった。そのまま、着地する。
「やった!」
ラチカの弾んだ声に、「まだね」とヴェリアナが呟く。その言葉通り、狼は一瞬のラグしか経過させずに立ち上がった。それも、犬歯を全力で剥きださせながら。
狼は跳ぶ事なく駆けだす。正面から襲い掛かる気だ。手に汗を握りながら見つめるが、ポシャロは再び体勢を低くする。狼よりかは動きが俊敏なポシャロの方が、先に狼に……狼の前足に、噛みついた。
鋭く声を上げながら、狼は倒れた。そのまま、狼の口は苦し紛れにポシャロの腹に食らいついた。
「ああっ!?」
会場からどよめきが起こる。立ち上がりそうになるラチカの腕を掴みながら、ギャムシアは「見てろ」と言った。その手には、汗ひとつかいていない。ここまで冷静なのは……もしかして、自信からか。
ポシャロは腹部から血を流しながら、その力強い後ろ足で狼の顔面を蹴った。それにひるみ、僅かながら狼の口が開く。その隙に、ポシャロは身をよじった。浅くなったとはいえわずかに刺さった牙がポシャロの腹部の皮膚を裂くが、気にせずポシャロはその口を引き剥がした。狼は反射で身を起こそうとするが、遅かった。ポシャロの口が、狼の首元に食らいついた。
「決まったな」
ギャムシアの自信ありげな声。
実際、狼は手足をばたつかせるもぎりぎりのところでポシャロには届かない。じわりと、狼の白い首に赤い染みが広がっていく。やがて、狼の動きが鈍くなりはじめた。
審判の制止が入り、ポシャロは口を離した。同時に沸き立つ、歓声。
「すごいわね、あの子。ねえラチカちゃ……ラチカちゃん?」
ヴェリアナはふとラチカを見る。そのラチカ自身は、腰を前の方に曲げて背を震わせていた。
「うっ……うっ……ポシャロぉ……すごいよぉ……頑張ったねぇ……」
「ヴェリアナ放っておけ、そいつ感極まっているだけだぞ」
コーマスは呆れ返ったように呟く。ヴェリアナは微笑みながら「あの子の事大好きなのねぇ」と呑気にラチカの背をさすっている。ギャムシアはその様子を見ながら、どこか穏やかな顔で医療部へ運ばれていくポシャロを見送った。
そこから数試合行われ、どれも熱狂の内に進んでいった。ある観客は目ぼしいレヂェマシュトルをメモしたり、自身が買っているレヂェマシュトルを迎えにいったり……それなりに動きも出始めている。
すっかり落ち着いたラチカは、心臓の脈打ちを感じながら試合場を見下ろしていた。
「次はシャイネだな」
コーマスの言葉に、ラチカは頷く。
「兄さんは、シャイネの試合見た事ある?」
「いや。俺も来るの初めてだからな。父上は毎年見ていたらしいが」
もしかすると、それもあって早めに来ていたのだろうか。
「ギャムシア殿は、うちのシャイネの試合をご覧になられた事は?」
「いや、ありませんね。毎回彼は遅めに出番だそうなので……大概都合上居残れなかったのですが」
ギャムシアはそのまま、付け加えた。
「ただ、遅くに出番があるという事は花形に等しい」
シャイネの姿が、試合場に現れた。普段の使用人服ではなく、黒のタンクトップと白いズボンに重そうなブーツだった。腕にはしっかりと包帯を巻いている。完全に戦闘用の装いだ。初めて見る姿に、内心戸惑う。
やはり案外、自分はシャイネを知らないのかもしれない。
「兄さん、相手は」
「大陸端にある、オービョという国のレヂェマシュトルだな。国主側近だそうだ」
「境遇的にはシャイネくんに似てるわね」
相手の男は、華奢なシャイネと比べものにならない程体格がいい。背も恐らく頭ひとつは相手が上だ。彼もまた、シャイネと同じような服装をしている。
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