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29.これでもその道のプロですよ、俺。
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まずはシャイネが走り出した。いつも間近で見ているため実感がそこまで沸かなかったが、こうやっていざ遠目から見ると……彼は、迅い。体格としては小柄な方で、尚且つあの細身だ。確かに重さは見る限りでは感じ取れない。
相手はシャイネが懐に潜るのをカウンターで決めるつもりなのか、一向に動こうとしない。ただ、注意深くシャイネを見ている。しかしそれは、シャイネにも分かっているらしい。
「っ!」
シャイネの姿が、一瞬消えた。しかしすぐに……相手の背後に現れる。
シャイネの拳が、振り向きざまの相手の右頬に入った。相手はそのまま地に倒れ込む。同時に歓声が沸いた。
「なに、今の」
呆然とするラチカの呟きが聞こえていないのか、ギャムシアは何も応えずに試合場を見ていた。かなり熱中して見ているらしい。反対側に座るヴェリアナも、興味深そうに見下ろしている。
「速いわねえ。あれは多分、あの相手の子にも見えていなかったのかもしれないわ」
「私と仕事する時、さすがにあそこまでじゃなかったのに」
抑え込んでいたのだろうか。今回の相手はレヂェマシュトルだ。逆に言えば、今までのネクロマンサー相手だとそこまでの力を出せば……そうか、生け捕りが優先だったからか。
相手は立ち上がった。そのまま、シャイネの左腕を掴みあげる。そして自らの方向へと捻り寄せた。シャイネの顔が、一瞬歪む。やはり力では見るからに相手が勝るようだ。シャイネはそのまま相手の足の上を走るようにして、体を瞬時に折り曲げると相手の顎を蹴り上げた。弾みで、腕は開放される。しかしその様子を見ていたギャムシアはぼそり、と呟いた。
「あれは折れたな。良くてヒビか」
その言葉が合っているのかは分からないが、シャイネは左腕をだらりと下に垂らした状態で足場を持ち直した。相手は自らの顎を押さえながら、顔をしかめている。
「……いまいち決定打が出ないな」
コーマスの言葉に、ギャムシアは頷く。
「クソガ……いや、シャイネくんは見える程の筋力は少なくとも無い。つまり、大きな一撃必殺は望めないでしょう」
案外悲観的な事を言うギャムシアに少しムッとなったが、それでも彼は続けた。
「しかし、それは今に始まった事ではないはず。なら、きちんと彼は彼なりの戦い方を分かっているでしょうね」
シャイネは再び走る。その顔は、どこか薄らと笑っているように見えた。それは、相手も同じだった。
シャイネの膝が、相手の腹に入る。相手は体液を口から漏らしたが、そのままシャイネの脇腹に直で蹴りを入れた。さっきから一進一退の、ラリーのような蹴り合いだ。観客席も声を上げる事なく、固唾を呑んで見守っている。それは、ラチカ自身も同じだった。
相手の足の裏が、シャイネの腹にめり込んだ。シャイネは口元を押さえながらよろめくが、駆けだす。相手は真正面に来ると予測したのか、腰を入れて構える……しかし、シャイネは彼の脇を走り去った。
ハッとした相手の肩を右手で掴み、左の肩を相手の頭に押し付けた。そのまま、肩の力だけで勢い任せに彼の首を圧し曲げる。相手は目を見開きながら、口から体液をこぼし地に伏せた。ぴくぴくとするだけで、立ち上がりそうにない。
5のカウントを終え、審判がシャイネの勝利を声高らかに告げる。同時に、会場全体が歓声に包まれた。
「え、何、何なの今の」
訳が分からず、ギャムシアの腕を引く。彼は感心したかのような顔で、シャイネを見下ろしている。そのまま、ラチカに耳打ちしてくる。
「首をヤッたんだよ。奴はきっと、今までどんな寝起きでも経験した事のないような首の激痛を感じているはずだ。首ってのは、重要器官が揃ってるからな。あそこがダメージ受けりゃ案外一たまりもない」
「じゃあ、最初からやればよかったんじゃ」
「それが無理だったからああやってちまちま体力削ってたんだろ。最初からこれが狙いだったな、あのクソガキ」
口ではそう言いながら、心から感心しているかのような声だった。そういえば忘れていたが、ギャムシアも確か剣術を会得している。こういった武道には、それなりに馴染みがあるのだろう。
コーマスやヴェリアナは、素直に拍手を送っている。先程まで出ていた誰に対して以上の拍手だ。やはり自身の家の使用人の勝利は、どこか来るものがあるのだろう。そしてそれは、ラチカも同じだ。
シャイネは、やはり強い。自分の……付き人なだけある。
「やっぱりすごいなあ」
ぼそり、と漏れる。
シャイネは観客席に対し右手を振っている。どこか慣れた所作だ。そういえば本人から聞いた事が無かったが、もしかすると毎年それなりに勝利していたのかもしれない。彼自身あまり自ら自慢する人間ではないので、あまり気にも留めていなかった。ただ、毎年やけに怪我をして帰ってくるなぁとは思っていたが。彼は、恐らくラチカ達には気付いていないようだった。
シャイネが退場していく。それを拍手で見送るラチカの隣で、ギャムシアは誰かと話していた。ギャムシアは頷くと、立ち上がる。そのまま、三人に告げた。
「申し訳ありません、治療の手伝いに呼ばれました」
「こんな時でもか。忙しいな、本職が医者だと」
コーマスの言葉に、ギャムシアは苦笑する。そのままラチカに向き直った。
「妹君、申し訳ありませんがそういう事で。帰りは私と同伴でなければ出られないので、もし私の戻りが遅ければ飽きた頃合いにでもお呼びください」
「あ、大丈夫です。せっかくなので最後まで見ますね」
ラチカの言葉に頷くと、ギャムシアは話しかけに来ていた人間と出ていった。彼の背を見送りながら、コーマスは口を開く。
「シャイネのところ行くか?」
「えっ!?」
いきなり出た名前に驚くも、今度は逆にコーマスがその声に驚いていた。そして、首を傾げながら答える。
「気になっているんだろう。先程他国の方に聞いたが、退場口の真上に扉があってな。あそこがそのまま退場口に繋がっているらしい。試合終了のレヂェマシュトルを労いに皆行ってるぞ」
「そうね、行ってきてあげるといいわラチカちゃん。ギャムシア殿が戻られたら、上手く伝えておいてあげるから」
ヴェリアナの微笑みに一瞬ぽっとなるが、頷く。一言礼を告げて、立ち上がった。
先程シャイネが去った退場口の……その上の、扉。観客席の中を歩きながら向かう。扉の前に立っている番に自らの名前を告げると、案外あっさり通してくれた。きっと既にシャイネの主人であると通っているのだろう。
扉の向こうには、先程まで試合に出ていたレヂェマシュトル達が数人その場で治療を受けていた。シャイネもいる。
「シャイネ!」
ラチカの声に、シャイネはびくりとしてきょろきょろと辺りを見渡した。ラチカの姿を見つけると、驚いたように眼鏡の奥の目を見開く。
「お嬢様、来ていたんですか」
今回来るという事は、シャイネには伝えていなかった。コーマスからの許可がぎりぎりまで降りるかどうかが分からなかったというのもあるが、ギャムシアと二人で来るというのを何となく言いづらかったのもある。結果としては一緒なわけだが。
「兄さんや義姉さんも来てるよ。すごいじゃん、勝ってたじゃん」
シャイネはどこか照れくさそうに、「何とか、はい」とだけ呟いた。毎年何も言ってこなかったのはこういった恥じらいからなのだろうか。
シャイネの左腕は、完全に三角巾でつられていた。それを眺めながら、ラチカは「折れたんだ、やっぱり」と呟く。首を傾げるシャイネに、恐る恐る告げる。
「……ギャムシアが言ってたの。多分折れたなあれって」
「ああ、先程すれ違いました」
はっとして辺りを見渡す。別にやましい事はないのだが、どこか気にしてしまう。いや、彼ならやましくなくても何かしら言いがかりをつけてきそうだ。しかしシャイネは複雑そうな顔をしながら続けた。
「もう一つ重傷者用の控室があって、そちらへ向かわれました。ただ、その」
「ん?」
「……一応、ご挨拶はしたのですが。その時に、『よくやったな』と。その、何だか拍子抜けしてしまって」
やはり、それなりにシャイネの事は認めてくれているのか。そう考えると、どこか心の奥が温かくなる気がした。
シャイネは立ち上がると、伸びをする。
「この後の試合は見られますか?」
「うーん、どうしようかなって。ギャムシアが戻るまで出られないし、さすがに行ったばかりなのを呼び戻すのもなあって感じだし」
「なら、俺の部屋に来ますか。お茶くらいなら」
「部屋あるの?」
「ええ、生まれた頃から使っている部屋です。今では年に三日程しか滞在はしませんが」
興味はある。頷くと、シャイネは医者たちに頭を下げてから更に奥の扉を開けた。彼について、出ていく。
会場のすぐ傍に、集合住宅のような建物がいくつか建っていた。そこに島のレヂェマシュトルは住んでいるらしい。毎年戻ってくるのが前提なため部屋は死ぬまで置いておいてもらえるそうだ。
シャイネの部屋は、簡易なものだった。それでも綺麗に整頓されている。
「お酒はこっちでは飲んでないの?」
以前エヴァイアンの部屋で見た酒瓶が見当たらず、ふと尋ねる。すると彼は決まりが悪そうに目を逸らした。
「その、ここでは基本的に娯楽は許されないんですよ。でもそうか……お嬢様はあの部屋で……見たんですね、何だか恥ずかしい」
「いやいや、むしろ今まで気づかなかったのも変な話なんだけど」
シャイネに勧められ、ソファに腰かける。シャイネは紅茶を淹れて、ラチカに差し出した。
「え、ごめん片手なのに」
「いいえ。いかなる状況でもこれくらいは出来ます」
「本当よく出来た子……」
シャイネもまた、ソファに腰かけた。そのまま、ラチカに頭を擦り寄せてくる。どうもうまい具合に胸に顔を当ててきていて内心ぞくりとするが、彼を見ると心から幸せそうな目をしていた。
「久し振りですね、こうするの」
「そ、そうだね……地味にね」
どきどきしながら、シャイネを見る。そうだ、以前彼が言っていた事が本当なら。今彼は、極度の興奮状態にあるはずなのだ。
つまり、だ。
「シャイネ、ちょっと……」
「お嬢様、こちらを」
言われた通りにシャイネの顔を見ると、彼はそっと口づけてきた。何度も唇を舌でなぞられる。彼は、これが好きなのだろうか。何度もリップノイズを立てながら、シャイネはラチカの唇を堪能する。やっと離れたかと思えば、彼は再びラチカの胸元へと倒れ込んできた。
「すごく癒されます、これ」
ラチカの谷間の空気を深呼吸するように吸い込みながら、シャイネは呟く。急に羞恥心がこみ上げてくるも、シャイネはひたすらラチカの胸元から顔を離しはしなかった。それがどうももどかしく、ついシャイネの頭に腕を回してしまう。
「っは……いい匂い、です……すご……」
それを良しとしたのか、シャイネは唇を胸元にひたすら押し当ててくる。しかし服の布がしっかりと阻んでいて、それがまたもどかしく。しかし、ここで脱いでしまえば……いつもと同じだ。せっかく、ギャムシアと向き合う気になったばかりだというのに。
しかし、シャイネの温かい吐息と……眼鏡の奥にある蕩けた目が、ラチカの理性を強烈に揺さぶった。
相手はシャイネが懐に潜るのをカウンターで決めるつもりなのか、一向に動こうとしない。ただ、注意深くシャイネを見ている。しかしそれは、シャイネにも分かっているらしい。
「っ!」
シャイネの姿が、一瞬消えた。しかしすぐに……相手の背後に現れる。
シャイネの拳が、振り向きざまの相手の右頬に入った。相手はそのまま地に倒れ込む。同時に歓声が沸いた。
「なに、今の」
呆然とするラチカの呟きが聞こえていないのか、ギャムシアは何も応えずに試合場を見ていた。かなり熱中して見ているらしい。反対側に座るヴェリアナも、興味深そうに見下ろしている。
「速いわねえ。あれは多分、あの相手の子にも見えていなかったのかもしれないわ」
「私と仕事する時、さすがにあそこまでじゃなかったのに」
抑え込んでいたのだろうか。今回の相手はレヂェマシュトルだ。逆に言えば、今までのネクロマンサー相手だとそこまでの力を出せば……そうか、生け捕りが優先だったからか。
相手は立ち上がった。そのまま、シャイネの左腕を掴みあげる。そして自らの方向へと捻り寄せた。シャイネの顔が、一瞬歪む。やはり力では見るからに相手が勝るようだ。シャイネはそのまま相手の足の上を走るようにして、体を瞬時に折り曲げると相手の顎を蹴り上げた。弾みで、腕は開放される。しかしその様子を見ていたギャムシアはぼそり、と呟いた。
「あれは折れたな。良くてヒビか」
その言葉が合っているのかは分からないが、シャイネは左腕をだらりと下に垂らした状態で足場を持ち直した。相手は自らの顎を押さえながら、顔をしかめている。
「……いまいち決定打が出ないな」
コーマスの言葉に、ギャムシアは頷く。
「クソガ……いや、シャイネくんは見える程の筋力は少なくとも無い。つまり、大きな一撃必殺は望めないでしょう」
案外悲観的な事を言うギャムシアに少しムッとなったが、それでも彼は続けた。
「しかし、それは今に始まった事ではないはず。なら、きちんと彼は彼なりの戦い方を分かっているでしょうね」
シャイネは再び走る。その顔は、どこか薄らと笑っているように見えた。それは、相手も同じだった。
シャイネの膝が、相手の腹に入る。相手は体液を口から漏らしたが、そのままシャイネの脇腹に直で蹴りを入れた。さっきから一進一退の、ラリーのような蹴り合いだ。観客席も声を上げる事なく、固唾を呑んで見守っている。それは、ラチカ自身も同じだった。
相手の足の裏が、シャイネの腹にめり込んだ。シャイネは口元を押さえながらよろめくが、駆けだす。相手は真正面に来ると予測したのか、腰を入れて構える……しかし、シャイネは彼の脇を走り去った。
ハッとした相手の肩を右手で掴み、左の肩を相手の頭に押し付けた。そのまま、肩の力だけで勢い任せに彼の首を圧し曲げる。相手は目を見開きながら、口から体液をこぼし地に伏せた。ぴくぴくとするだけで、立ち上がりそうにない。
5のカウントを終え、審判がシャイネの勝利を声高らかに告げる。同時に、会場全体が歓声に包まれた。
「え、何、何なの今の」
訳が分からず、ギャムシアの腕を引く。彼は感心したかのような顔で、シャイネを見下ろしている。そのまま、ラチカに耳打ちしてくる。
「首をヤッたんだよ。奴はきっと、今までどんな寝起きでも経験した事のないような首の激痛を感じているはずだ。首ってのは、重要器官が揃ってるからな。あそこがダメージ受けりゃ案外一たまりもない」
「じゃあ、最初からやればよかったんじゃ」
「それが無理だったからああやってちまちま体力削ってたんだろ。最初からこれが狙いだったな、あのクソガキ」
口ではそう言いながら、心から感心しているかのような声だった。そういえば忘れていたが、ギャムシアも確か剣術を会得している。こういった武道には、それなりに馴染みがあるのだろう。
コーマスやヴェリアナは、素直に拍手を送っている。先程まで出ていた誰に対して以上の拍手だ。やはり自身の家の使用人の勝利は、どこか来るものがあるのだろう。そしてそれは、ラチカも同じだ。
シャイネは、やはり強い。自分の……付き人なだけある。
「やっぱりすごいなあ」
ぼそり、と漏れる。
シャイネは観客席に対し右手を振っている。どこか慣れた所作だ。そういえば本人から聞いた事が無かったが、もしかすると毎年それなりに勝利していたのかもしれない。彼自身あまり自ら自慢する人間ではないので、あまり気にも留めていなかった。ただ、毎年やけに怪我をして帰ってくるなぁとは思っていたが。彼は、恐らくラチカ達には気付いていないようだった。
シャイネが退場していく。それを拍手で見送るラチカの隣で、ギャムシアは誰かと話していた。ギャムシアは頷くと、立ち上がる。そのまま、三人に告げた。
「申し訳ありません、治療の手伝いに呼ばれました」
「こんな時でもか。忙しいな、本職が医者だと」
コーマスの言葉に、ギャムシアは苦笑する。そのままラチカに向き直った。
「妹君、申し訳ありませんがそういう事で。帰りは私と同伴でなければ出られないので、もし私の戻りが遅ければ飽きた頃合いにでもお呼びください」
「あ、大丈夫です。せっかくなので最後まで見ますね」
ラチカの言葉に頷くと、ギャムシアは話しかけに来ていた人間と出ていった。彼の背を見送りながら、コーマスは口を開く。
「シャイネのところ行くか?」
「えっ!?」
いきなり出た名前に驚くも、今度は逆にコーマスがその声に驚いていた。そして、首を傾げながら答える。
「気になっているんだろう。先程他国の方に聞いたが、退場口の真上に扉があってな。あそこがそのまま退場口に繋がっているらしい。試合終了のレヂェマシュトルを労いに皆行ってるぞ」
「そうね、行ってきてあげるといいわラチカちゃん。ギャムシア殿が戻られたら、上手く伝えておいてあげるから」
ヴェリアナの微笑みに一瞬ぽっとなるが、頷く。一言礼を告げて、立ち上がった。
先程シャイネが去った退場口の……その上の、扉。観客席の中を歩きながら向かう。扉の前に立っている番に自らの名前を告げると、案外あっさり通してくれた。きっと既にシャイネの主人であると通っているのだろう。
扉の向こうには、先程まで試合に出ていたレヂェマシュトル達が数人その場で治療を受けていた。シャイネもいる。
「シャイネ!」
ラチカの声に、シャイネはびくりとしてきょろきょろと辺りを見渡した。ラチカの姿を見つけると、驚いたように眼鏡の奥の目を見開く。
「お嬢様、来ていたんですか」
今回来るという事は、シャイネには伝えていなかった。コーマスからの許可がぎりぎりまで降りるかどうかが分からなかったというのもあるが、ギャムシアと二人で来るというのを何となく言いづらかったのもある。結果としては一緒なわけだが。
「兄さんや義姉さんも来てるよ。すごいじゃん、勝ってたじゃん」
シャイネはどこか照れくさそうに、「何とか、はい」とだけ呟いた。毎年何も言ってこなかったのはこういった恥じらいからなのだろうか。
シャイネの左腕は、完全に三角巾でつられていた。それを眺めながら、ラチカは「折れたんだ、やっぱり」と呟く。首を傾げるシャイネに、恐る恐る告げる。
「……ギャムシアが言ってたの。多分折れたなあれって」
「ああ、先程すれ違いました」
はっとして辺りを見渡す。別にやましい事はないのだが、どこか気にしてしまう。いや、彼ならやましくなくても何かしら言いがかりをつけてきそうだ。しかしシャイネは複雑そうな顔をしながら続けた。
「もう一つ重傷者用の控室があって、そちらへ向かわれました。ただ、その」
「ん?」
「……一応、ご挨拶はしたのですが。その時に、『よくやったな』と。その、何だか拍子抜けしてしまって」
やはり、それなりにシャイネの事は認めてくれているのか。そう考えると、どこか心の奥が温かくなる気がした。
シャイネは立ち上がると、伸びをする。
「この後の試合は見られますか?」
「うーん、どうしようかなって。ギャムシアが戻るまで出られないし、さすがに行ったばかりなのを呼び戻すのもなあって感じだし」
「なら、俺の部屋に来ますか。お茶くらいなら」
「部屋あるの?」
「ええ、生まれた頃から使っている部屋です。今では年に三日程しか滞在はしませんが」
興味はある。頷くと、シャイネは医者たちに頭を下げてから更に奥の扉を開けた。彼について、出ていく。
会場のすぐ傍に、集合住宅のような建物がいくつか建っていた。そこに島のレヂェマシュトルは住んでいるらしい。毎年戻ってくるのが前提なため部屋は死ぬまで置いておいてもらえるそうだ。
シャイネの部屋は、簡易なものだった。それでも綺麗に整頓されている。
「お酒はこっちでは飲んでないの?」
以前エヴァイアンの部屋で見た酒瓶が見当たらず、ふと尋ねる。すると彼は決まりが悪そうに目を逸らした。
「その、ここでは基本的に娯楽は許されないんですよ。でもそうか……お嬢様はあの部屋で……見たんですね、何だか恥ずかしい」
「いやいや、むしろ今まで気づかなかったのも変な話なんだけど」
シャイネに勧められ、ソファに腰かける。シャイネは紅茶を淹れて、ラチカに差し出した。
「え、ごめん片手なのに」
「いいえ。いかなる状況でもこれくらいは出来ます」
「本当よく出来た子……」
シャイネもまた、ソファに腰かけた。そのまま、ラチカに頭を擦り寄せてくる。どうもうまい具合に胸に顔を当ててきていて内心ぞくりとするが、彼を見ると心から幸せそうな目をしていた。
「久し振りですね、こうするの」
「そ、そうだね……地味にね」
どきどきしながら、シャイネを見る。そうだ、以前彼が言っていた事が本当なら。今彼は、極度の興奮状態にあるはずなのだ。
つまり、だ。
「シャイネ、ちょっと……」
「お嬢様、こちらを」
言われた通りにシャイネの顔を見ると、彼はそっと口づけてきた。何度も唇を舌でなぞられる。彼は、これが好きなのだろうか。何度もリップノイズを立てながら、シャイネはラチカの唇を堪能する。やっと離れたかと思えば、彼は再びラチカの胸元へと倒れ込んできた。
「すごく癒されます、これ」
ラチカの谷間の空気を深呼吸するように吸い込みながら、シャイネは呟く。急に羞恥心がこみ上げてくるも、シャイネはひたすらラチカの胸元から顔を離しはしなかった。それがどうももどかしく、ついシャイネの頭に腕を回してしまう。
「っは……いい匂い、です……すご……」
それを良しとしたのか、シャイネは唇を胸元にひたすら押し当ててくる。しかし服の布がしっかりと阻んでいて、それがまたもどかしく。しかし、ここで脱いでしまえば……いつもと同じだ。せっかく、ギャムシアと向き合う気になったばかりだというのに。
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