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38.猛省致しました。
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「ふむ、上出来だな」
「ええ」
コーマスの好物はミルクだという事は重々承知だったが、まさかこれ程まで使うとは。厨房がかなり乳臭いが、仕方あるまい。
肉のミルク煮、生野菜のミルクソース掛け。飲み物にも混ぜだす始末だ。本当はもう少し手軽なものでもいいので早く戻りたかったが、まさかここで彼に捕まるとは。
『使用人が怪我をして看病中? ならば滋養のあるものがいいだろう、俺も手伝う』
最初はかなり遠慮したのだが、彼は一切聞く耳を持たなかった。そもそも国主である彼が何故、という話である。しかし気付いた。彼は恐らく、気付いている。
「シャイネ、味見しろ」
「かしこまりました」
ミルク煮の肉を少し崩す。火の通りはいい、肉も硬くなっていない。口に含むと、優しい甘味が広がった。コーマスの願望通りの味ではあるだろう。食べさせる相手はラチカだが。
シャイネは頷くと、急いで皿に盛りつける。早く戻らねば、あのままラチカを一人で放置しておきたくはない。しかしコーマスはシャイネから皿を取り上げた。
「俺が持っていこう」
「な!?」
「うちの使用人の面倒なら俺が看るのは道理だろう」
さすがに暴論過ぎる。否、きっとギャムシアであればそう言ったかもしれない。彼の事を思い出すだけで、胸の奥がぐらりとイラつきに揺れた。そんなシャイネを見て、コーマスは得意げに笑う。
「お前、表情が出るようになったな」
意味が分からず、彼を見る。コーマスは真剣な顔で、シャイネを見た。
「……ラチカに惚れているんだろう」
唐突な爆弾だった。戸惑うあまり言葉を失っていると、コーマスはやれやれとばかりに更を食堂の卓に置いた。そのまま椅子に腰かける。「座れ」と目で指示され、仕方なく従った。無視を出来ない。
「いつからだ」
「……自覚、は……お嬢様から、名前を賜った時です」
ああ、もはや一目ぼれだったのかもしれない。ずっと生きた屍のようだった彼女が、ようやく見せたあの笑顔にすべてを奪われた。
コーマスは額に手を当て深い溜息を吐く。
「レヂェマシュトルの掟、エヴァイアンの掟。その重みを知らないお前ではないだろうに」
俯く。その上で、声を絞り出した。
「いつから、気付いていたんですか」
「最近だ。お前にギャムシア殿の事を相談した時だな。何となくの勘だよ、ヴェリアナには劣るが」
……国主としての器量。それは案外、そういった観察眼によるところも大きいのかもしれない。
作った料理が、どんどん冷めていく。それでもシャイネは、この席から立てなかった。コーマスの一言一言が、今シャイネを完全に縛り上げている。
「レヂェマシュトルの掟に関しては、俺の管轄外だ。どうしようもない。何だった、子を作ってはならない。だっけか」
「はい」
「婚姻は」
「……そこは、大丈夫なはずです。去勢した上でなら認められます」
一体、何の確認なのだ。心臓が、小刻みに音を鳴らす。
「となるとエヴァイアンか。……まあ、血が濃くなるのを防ぐための法だからなあれは。子孫継続の分さえ真っ当であれば構わんとは思うが」
ぞくり、ぞくり。何かが、のぼってくる。まさか。
「……エヴァイアン家同士の子ではあるが、継承権は絶対に与えられない。そういう例なら、過去に何度か存在していた」
「それ、は」
「これはまだ絶対に誰にも言うな、ラチカにもだ。ヴェリアナが懐妊した」
衝撃だった。コーマスは淡々と続ける。
「妊娠初期で流産の可能性が高い内は、公表をしないようにしていたんだ。知っているのは俺と本人、あとは専属医だけでな。他言無用だ」
「それは……はい、必ずや。となると、その子が」
「無事に生まれれば跡継ぎだな」
つまり、ラチカが保険として子を産む必要はなくなる。ラチカが子を産む意志さえなければ、ただの……夫婦としてならば、許される。
しかしそんなシャイネに、コーマスは鋭い目を向けた。
「あの地下室にラチカはいるんだな」
ここまで来れば、もう隠せない。仕方ないので、頷く。コーマスの目が、忌々し気に料理を見た。
「まったく……どうするつもりだったかは、聞かないようにする。しかしもし今の法の状態であいつを妊娠させて駆け落ちでもしてみろ、重罪だぞ」
それは重々承知していた。そのために、何も言えない。ただ「申し訳ありません」と告げるしか出来ない。
しかしそれだけ、ラチカが欲しかった。罪人として追われる事になっても、自分が彼女を護って……。ああ、駄目だ。結局彼女に苦労を強いる事になる。自分の満足のためだけに、彼女を追いこむ事になる。いくら自分を愛してくれたとしても、だ。
……すべて今更だった。最低な、発想だった。いくらギャムシアに……勝てる自信がなかったとはいえ、薬漬けにまでしてしまった。
「今ヴェリアナをあの部屋に向かわせている」
ハッとして顔をあげる。コーマスは相変わらず、淡々としていた。
「この事をすべて踏まえたうえで、あいつにきちんと向き合ってやれ。乱暴に手籠めにして上すべて手くいくなんて奇跡は、そうそう起こり得ないという事だけ心得ろ」
きちんと、向き合う。
そうだ、それをしていなかった。ただ自分の想いをぶつけて、少しこちらへよろめいたところを堕ちてきたと勘違いしていただけだ。
……ならば。
「はい」
ラチカは自分を受け入れてくれた。ならば、自分が今度は受け入れるべきだ。
コーマスはそっと笑むと、眉をひそめた。そのまま席を立ちあがる。何事かと思い彼を見上げ、すぐに気づいた。というより、聞こえた。コーマスよりも早く、食堂の外に飛び出す。すると、ラチカが倒れていた。
「っお嬢様!?」
「……シャ、イネ……?」
声が震えている。いや、そもそも何故ここまで来れたのか。あの薬を打てば、欲情で身動きが取れなくなるはずなのに。そうか、もう効果が切れたのか。
急いで抱き起こす。腹の音が、さっきの比ではない程に鳴り響いていた。
「っ遅くなり申し訳ありません、もう出来上がってます! すぐにお召し上がりください!」
「うぅ……」
抱え上げながら食堂に連れ込むと、コーマスは半ば呆れたように二人を見る。
「これはまた随分と……まあいい、シャイネ」
「はい」
コーマスは歩き出す。シャイネとすれ違い様に、口を開いた。
「……しっかり向き合え。いいな」
そのまま、出て行った。彼の背を泣きそうな目で見ながら、頷く。
急いでラチカを座らせ、肉を細かく切って口へ運んでやる。ラチカの咀嚼が進み、笑顔がこぼれているのを見て心の底から安堵する。何口も食べさせ、ようやくラチカの顔に元気が戻り始めた。
「すごくおいしい……」
「よかったです。コーマス様と作らせて頂きました」
「あー……納得のメニューだわ」
ここまでするのも、出会った当初以来だ。あれから十五年。それなのに、よく考えればきちんと向き合った事が無い。
ラチカはあくまで主人で、自分は彼女の従者で。本来従者はレヂェマシュトルの『道具たれ』の教義の通りであるべきだと、ずっと考えてきた。そう考えると、最初からすべて間違っていた気がする。
歳も近く話しやすい、爛漫な主人。そんなラチカ相手に、道具でいるよりも一歩下がった幼馴染でいるようになってしまった。恋心を押さえつける事すら、そもそも出来ていなかった。
「……なんかさっぱりしたものが飲みたい」
ミルクと果汁を合わせた飲み物をげんなりと見つめながら、ラチカは呟く。シャイネは立ち上がると、ティーポットを用意し始めた。茶葉と湯を入れ、ラチカの前に差し出す。
「五分程お待ちください」
「ありがとう」
穏やかに微笑むラチカを見て、胸の奥が痛む。
彼女がもし自分を選んで、愛してくれたら。駆け落ちした後に無茶をさせても笑ってはくれるだろう。ラチカはそういう女だ。きっと色々押し殺したうえで。……ああ、そんな彼女はきっと美しくない。
自分が愛したラチカは、こんな……無理して押し殺した笑いをするラチカではない。
「お嬢様」
改めて、対面に座る。ラチカはふとこちらを見た。数日汚れを落とせずにいた体、ほんの少しとはいえこけ出した頬。
「……この度は、申し訳ありませんでした。あんな事をして」
頭を下げる。重い、空気。最初に沈黙を破ったのはラチカだった。
「大丈夫だよ」
顔を上げた。ラチカは、あくまで微笑んでいる。
「でも、一つだけ」
「はい」
「……私ね、やっぱりギャムシアの元へ行こうと思う」
予想はしていた。こうなるのをそもそも恐れたゆえの行動だったのだ、すべて。しかしあくまで穏やかに、緩やかに、シャイネの心へと猛毒になって染みていく。
「シャイネの事も、すごく大切だよ。誰よりも、下手をすれば兄さんよりも。こんな事されても、それでもシャイネの事は……大切だよ」
「お嬢様」
彼女は、泣いていた。その理由は、分からない。ただ、自分も泣いていた。
「……シャイネ」
がたり、と彼女は音を立てて立ち上がる。長い卓を迂回し、シャイネの前に立つ。ぼたぼた、と涙を落とし続けたまま。ラチカはシャイネの手を取った。
「私、最低なの」
「何故ですか、それは俺の方なのに」
「……選びきれないの」
絞り出すような、声。
「ギャムシアの事も好きだけど、シャイネを捨てたくない」
ああ、とんでもない欲張りだ。けれどどこか、それはシャイネにとって……救いになり得る気すらしてしまって。
シャイネは、ラチカの背にそっと手を回した。何の反応もない。やはり薬は完全に切れているようだ。
「……俺は、あなたの傍に居られればいい。それが本来の本懐なんです」
そうだ。それが。
「俺は、あなたのシャイネです」
ラチカは声を上げて泣き出した。抱きしめる力も強まる。離したくはない。きっとそれは、ラチカにとっても同じであってくれているのだろう。ただ、それよりも……慕う存在が出来てしまっただけで。
「お嬢様、好きです」
ラチカは何度も頷き、「私も」と何度も繰り返した。
……あんな事までしたのに。こんなにも、傷つけたのに。分不相応な想いを、ぶつけたのに。それでもラチカはただ受け入れてくれていた。
ラチカの肩に顔を埋めるようにして、シャイネも泣いた。
「ええ」
コーマスの好物はミルクだという事は重々承知だったが、まさかこれ程まで使うとは。厨房がかなり乳臭いが、仕方あるまい。
肉のミルク煮、生野菜のミルクソース掛け。飲み物にも混ぜだす始末だ。本当はもう少し手軽なものでもいいので早く戻りたかったが、まさかここで彼に捕まるとは。
『使用人が怪我をして看病中? ならば滋養のあるものがいいだろう、俺も手伝う』
最初はかなり遠慮したのだが、彼は一切聞く耳を持たなかった。そもそも国主である彼が何故、という話である。しかし気付いた。彼は恐らく、気付いている。
「シャイネ、味見しろ」
「かしこまりました」
ミルク煮の肉を少し崩す。火の通りはいい、肉も硬くなっていない。口に含むと、優しい甘味が広がった。コーマスの願望通りの味ではあるだろう。食べさせる相手はラチカだが。
シャイネは頷くと、急いで皿に盛りつける。早く戻らねば、あのままラチカを一人で放置しておきたくはない。しかしコーマスはシャイネから皿を取り上げた。
「俺が持っていこう」
「な!?」
「うちの使用人の面倒なら俺が看るのは道理だろう」
さすがに暴論過ぎる。否、きっとギャムシアであればそう言ったかもしれない。彼の事を思い出すだけで、胸の奥がぐらりとイラつきに揺れた。そんなシャイネを見て、コーマスは得意げに笑う。
「お前、表情が出るようになったな」
意味が分からず、彼を見る。コーマスは真剣な顔で、シャイネを見た。
「……ラチカに惚れているんだろう」
唐突な爆弾だった。戸惑うあまり言葉を失っていると、コーマスはやれやれとばかりに更を食堂の卓に置いた。そのまま椅子に腰かける。「座れ」と目で指示され、仕方なく従った。無視を出来ない。
「いつからだ」
「……自覚、は……お嬢様から、名前を賜った時です」
ああ、もはや一目ぼれだったのかもしれない。ずっと生きた屍のようだった彼女が、ようやく見せたあの笑顔にすべてを奪われた。
コーマスは額に手を当て深い溜息を吐く。
「レヂェマシュトルの掟、エヴァイアンの掟。その重みを知らないお前ではないだろうに」
俯く。その上で、声を絞り出した。
「いつから、気付いていたんですか」
「最近だ。お前にギャムシア殿の事を相談した時だな。何となくの勘だよ、ヴェリアナには劣るが」
……国主としての器量。それは案外、そういった観察眼によるところも大きいのかもしれない。
作った料理が、どんどん冷めていく。それでもシャイネは、この席から立てなかった。コーマスの一言一言が、今シャイネを完全に縛り上げている。
「レヂェマシュトルの掟に関しては、俺の管轄外だ。どうしようもない。何だった、子を作ってはならない。だっけか」
「はい」
「婚姻は」
「……そこは、大丈夫なはずです。去勢した上でなら認められます」
一体、何の確認なのだ。心臓が、小刻みに音を鳴らす。
「となるとエヴァイアンか。……まあ、血が濃くなるのを防ぐための法だからなあれは。子孫継続の分さえ真っ当であれば構わんとは思うが」
ぞくり、ぞくり。何かが、のぼってくる。まさか。
「……エヴァイアン家同士の子ではあるが、継承権は絶対に与えられない。そういう例なら、過去に何度か存在していた」
「それ、は」
「これはまだ絶対に誰にも言うな、ラチカにもだ。ヴェリアナが懐妊した」
衝撃だった。コーマスは淡々と続ける。
「妊娠初期で流産の可能性が高い内は、公表をしないようにしていたんだ。知っているのは俺と本人、あとは専属医だけでな。他言無用だ」
「それは……はい、必ずや。となると、その子が」
「無事に生まれれば跡継ぎだな」
つまり、ラチカが保険として子を産む必要はなくなる。ラチカが子を産む意志さえなければ、ただの……夫婦としてならば、許される。
しかしそんなシャイネに、コーマスは鋭い目を向けた。
「あの地下室にラチカはいるんだな」
ここまで来れば、もう隠せない。仕方ないので、頷く。コーマスの目が、忌々し気に料理を見た。
「まったく……どうするつもりだったかは、聞かないようにする。しかしもし今の法の状態であいつを妊娠させて駆け落ちでもしてみろ、重罪だぞ」
それは重々承知していた。そのために、何も言えない。ただ「申し訳ありません」と告げるしか出来ない。
しかしそれだけ、ラチカが欲しかった。罪人として追われる事になっても、自分が彼女を護って……。ああ、駄目だ。結局彼女に苦労を強いる事になる。自分の満足のためだけに、彼女を追いこむ事になる。いくら自分を愛してくれたとしても、だ。
……すべて今更だった。最低な、発想だった。いくらギャムシアに……勝てる自信がなかったとはいえ、薬漬けにまでしてしまった。
「今ヴェリアナをあの部屋に向かわせている」
ハッとして顔をあげる。コーマスは相変わらず、淡々としていた。
「この事をすべて踏まえたうえで、あいつにきちんと向き合ってやれ。乱暴に手籠めにして上すべて手くいくなんて奇跡は、そうそう起こり得ないという事だけ心得ろ」
きちんと、向き合う。
そうだ、それをしていなかった。ただ自分の想いをぶつけて、少しこちらへよろめいたところを堕ちてきたと勘違いしていただけだ。
……ならば。
「はい」
ラチカは自分を受け入れてくれた。ならば、自分が今度は受け入れるべきだ。
コーマスはそっと笑むと、眉をひそめた。そのまま席を立ちあがる。何事かと思い彼を見上げ、すぐに気づいた。というより、聞こえた。コーマスよりも早く、食堂の外に飛び出す。すると、ラチカが倒れていた。
「っお嬢様!?」
「……シャ、イネ……?」
声が震えている。いや、そもそも何故ここまで来れたのか。あの薬を打てば、欲情で身動きが取れなくなるはずなのに。そうか、もう効果が切れたのか。
急いで抱き起こす。腹の音が、さっきの比ではない程に鳴り響いていた。
「っ遅くなり申し訳ありません、もう出来上がってます! すぐにお召し上がりください!」
「うぅ……」
抱え上げながら食堂に連れ込むと、コーマスは半ば呆れたように二人を見る。
「これはまた随分と……まあいい、シャイネ」
「はい」
コーマスは歩き出す。シャイネとすれ違い様に、口を開いた。
「……しっかり向き合え。いいな」
そのまま、出て行った。彼の背を泣きそうな目で見ながら、頷く。
急いでラチカを座らせ、肉を細かく切って口へ運んでやる。ラチカの咀嚼が進み、笑顔がこぼれているのを見て心の底から安堵する。何口も食べさせ、ようやくラチカの顔に元気が戻り始めた。
「すごくおいしい……」
「よかったです。コーマス様と作らせて頂きました」
「あー……納得のメニューだわ」
ここまでするのも、出会った当初以来だ。あれから十五年。それなのに、よく考えればきちんと向き合った事が無い。
ラチカはあくまで主人で、自分は彼女の従者で。本来従者はレヂェマシュトルの『道具たれ』の教義の通りであるべきだと、ずっと考えてきた。そう考えると、最初からすべて間違っていた気がする。
歳も近く話しやすい、爛漫な主人。そんなラチカ相手に、道具でいるよりも一歩下がった幼馴染でいるようになってしまった。恋心を押さえつける事すら、そもそも出来ていなかった。
「……なんかさっぱりしたものが飲みたい」
ミルクと果汁を合わせた飲み物をげんなりと見つめながら、ラチカは呟く。シャイネは立ち上がると、ティーポットを用意し始めた。茶葉と湯を入れ、ラチカの前に差し出す。
「五分程お待ちください」
「ありがとう」
穏やかに微笑むラチカを見て、胸の奥が痛む。
彼女がもし自分を選んで、愛してくれたら。駆け落ちした後に無茶をさせても笑ってはくれるだろう。ラチカはそういう女だ。きっと色々押し殺したうえで。……ああ、そんな彼女はきっと美しくない。
自分が愛したラチカは、こんな……無理して押し殺した笑いをするラチカではない。
「お嬢様」
改めて、対面に座る。ラチカはふとこちらを見た。数日汚れを落とせずにいた体、ほんの少しとはいえこけ出した頬。
「……この度は、申し訳ありませんでした。あんな事をして」
頭を下げる。重い、空気。最初に沈黙を破ったのはラチカだった。
「大丈夫だよ」
顔を上げた。ラチカは、あくまで微笑んでいる。
「でも、一つだけ」
「はい」
「……私ね、やっぱりギャムシアの元へ行こうと思う」
予想はしていた。こうなるのをそもそも恐れたゆえの行動だったのだ、すべて。しかしあくまで穏やかに、緩やかに、シャイネの心へと猛毒になって染みていく。
「シャイネの事も、すごく大切だよ。誰よりも、下手をすれば兄さんよりも。こんな事されても、それでもシャイネの事は……大切だよ」
「お嬢様」
彼女は、泣いていた。その理由は、分からない。ただ、自分も泣いていた。
「……シャイネ」
がたり、と彼女は音を立てて立ち上がる。長い卓を迂回し、シャイネの前に立つ。ぼたぼた、と涙を落とし続けたまま。ラチカはシャイネの手を取った。
「私、最低なの」
「何故ですか、それは俺の方なのに」
「……選びきれないの」
絞り出すような、声。
「ギャムシアの事も好きだけど、シャイネを捨てたくない」
ああ、とんでもない欲張りだ。けれどどこか、それはシャイネにとって……救いになり得る気すらしてしまって。
シャイネは、ラチカの背にそっと手を回した。何の反応もない。やはり薬は完全に切れているようだ。
「……俺は、あなたの傍に居られればいい。それが本来の本懐なんです」
そうだ。それが。
「俺は、あなたのシャイネです」
ラチカは声を上げて泣き出した。抱きしめる力も強まる。離したくはない。きっとそれは、ラチカにとっても同じであってくれているのだろう。ただ、それよりも……慕う存在が出来てしまっただけで。
「お嬢様、好きです」
ラチカは何度も頷き、「私も」と何度も繰り返した。
……あんな事までしたのに。こんなにも、傷つけたのに。分不相応な想いを、ぶつけたのに。それでもラチカはただ受け入れてくれていた。
ラチカの肩に顔を埋めるようにして、シャイネも泣いた。
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