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39.滾りだす劫火。
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「お嬢様、お加減は」
「とっても最悪」
ベッドの中にこもるラチカのうめき声に、シャイネは深い溜息を吐く。
ラチカの寝室に本来シャイネは立ち入りを許されなかったが、コーマスにより今後の立ち入りの許可を得た。ある意味、部屋付きになったにも等しい。その真意は見えないが、自分の想いをある種認めてもらえた気もしていた。
シーツの中からも漏れ出す、血の匂い。シャイネはとくに、戦闘員としての経験からその匂いに敏感だ。慣れてはいても、決して得意ではない。
「毎月こうなるんですか? ここまで匂いを感じた事は無かったのに」
「いや……本当はもう少し大人しいし私軽い方なんだけど……」
「副作用、ですか」
ヴェリアナから無事堕胎薬を受け取り、服用したのが約三時間前。すぐに体の異変に気付いた。まず、かなりの眩暈。体力消耗の事もあってか立っていられなくなり、部屋に運び込まれた。そして、大量の……下腹部からの出血。
そもそも堕胎薬を急に要した原因はシャイネである。そのせいもあってか、彼は目に見えてしょんぼりとしていた。
「申し訳ありません」
「大丈夫だよ、義姉さんも一日安静にしたらいいって言ってたし」
「ですが……」
そもそも子を成したところで、レヂェマシュトルに見つかれば暗殺対象になる。その辺りのごろつき程度であれば自分でどうにかなるが、同練度……もしくはそれ以上のレヂェマシュトル達の手にかかってしまえば正直危うい。結局色々考え無しだった、と痛感する。
ラチカは額の汗を手の甲で拭いながら、顔を青く染めている。ヴェリアナいわく命の危険は無いらしいが、相当体に負荷がかかるとの事だった。
「何か食べたいものなどは」
「ミルク煮以外……」
「……かしこまりました」
そばに用意しておいた果物を向いてやる。細かく切ってやり、口へと運んでやる。ラチカの唇はそっと受け取り、もみもみと咀嚼した。
「美味しい……」
「教会には俺名義で鳩を飛ばしておきました。ご安心ください」
恐らくラチカがいくら必死に謝ったとしても、モシェロイはきっと怒髪天確定だろう。きっと罰としてまた山籠もり1か月など強いられるかもしれない。それならシャイネが事情をしっかり説明する方が、納得もしてくれるだろう。
「ありがとう……」
「次のロドハルト訪問まで、あと二週間はあります。それまでゆっくりお休みください」
……ふと、胸をさす痛み。
シャイネとあんな事があった上で、ギャムシアにどんな顔をして会えばいいのだろう。勿論彼はこの事を知らないし、何よりラチカとの結婚が確定しつつある事で多少浮かれているはずだ。自分がヘマさえしなければ、うまくいくのだろうが。
いや、それよりも。
「シャイネは、許してくれるの?」
シャイネは深い溜息を吐く。その顔は、いつものような……狂気の様子は失せ切った困り顔だった。
「もうこうなったら、お嬢様の気の済むようにして頂ければ。勿論俺の気持ちは変わりません。なので」
唇が近付く。そっと、重ねられた。
「……いずれ俺のもとへ来たくなるようには頑張らせて頂きますよ。法もどうにかなりそうですし」
レヂェマシュトルの掟とエヴァイアンの掟の抜け道に関しては、コーマスから聞いた。そして、その上で……見定めろとも。
結局元通りな気がする。それでも、失わずには済んだ。あまりにもずるい決着ではあったが、これでいいとするしかない。あとはギャムシアだ。
その姿はエヴァイアンにおいては珍しい顔立ちだった。つりあがった凛々しい眉、垂れ気味とはいえ知性を感じさせる切れ長の青い瞳。漆黒の髪を緩やかに揺らしながら、男は馬車を降りた。
出迎えの使用人達がその美しさにざわめくのをうんざりと見回しながら、コーマスは彼に近付く。
「よぉ」
ギャムシアはけろっと笑った。そんな彼の肩に、コーマスの手が置かれる。
「何故急に来た……」
「烏飛ばしたろうが」
「いやおかしいだろ、何故伝書烏が来て1時間で来るんだ。普通来ていいかどうかの返礼を待つだろう」
ギャムシアは特に気にした風もなく、周囲を見渡す。
どうやら、馬車をひく御者と彼しか来ていないらしい。さすがに不用心過ぎやしないか、と思ったがギャムシア自身が剣の心得がある武人だ。そこまで厳戒でもないのか。
「前国主と挨拶に来て以来だな、エヴァイアンは。何も変わってねぇ」
「ああ、そういえばそうか。あの時俺もラチカもいなかったんだよな」
「お前とは去年の……お前の就任の時が初対面だったな。早えな、もう1年か」
まるで気の置けない友人かのように語り合う二人を置いて、使用人達はそそくさと消えていった。気でもつかったのだろうか。
……急に来るのはいい。言ってはいるものの、元々ギャムシアはこういう奴である。今になって驚きはしない。しかし問題は、目的の方だ。
「で、だ」
ギャムシアが話し始めようとするのを手で制する。「ひとまず来い、立ちながらする話でもなかろう」と告げ、歩き出す。ギャムシアは大人しくついてきた。
大陸の中でも存在感のある二国の国主が、とくに大きな政治の取り決めでもないのに会うというのはなかなか異例である。なにか大事ではないか、と噂する使用人達を無視しながらコーマスは公務室の扉を開いた。
来賓用の椅子をすすめ、対面に座る。すでに控えていたヴェリアナが、すでに淹れていたであろう紅茶をさしだした。
「ありがとう、奥方殿」
「いいえ」
彼女は蕩けるような笑顔で応えた。しかし何となく察している。彼女はきっと、自分が嫌いだ。恐らく嫉妬からくるものだろう。自分も似たような人間だからこそ、分かる。そして更にコーマスもだ。
コーマスは紅茶に大量のミルクを注ぐと、ばっさり切り出した。
「先の手紙は読んだし、ラチカの意志も聞いた」
ギャムシアはにやりと笑う。
「妹君は何て? 早く俺に会いたいと?」
「お前の脳内はお花畑か。俺と妻で、あいつの意志も揺さぶり確認した」
その意味が一切分からない訳ではない。しかしここは黙っておくのが利口だろう。コーマスの続きを待つ。
「実際あいつは国主の妻になる覚悟はあるし、それなら相手がお前がいいとは言っていた。気に食わんが。実に気に食わんが」
「……お前そんなに俺が嫌いかよ」
「妹の差し出し先にするには荷が重すぎる」
そう言いながらも、反対というわけではなさそうだった。その事に、表情には決して出す事は無いが安堵する。
……何だかんだいってラチカは前国主の娘、現国主の妹である。十分な箱入りだ。そんな女の家と争っては、不都合しかないだろう。実際それを理由に拒まれても困る。別にラチカの意志を挫くのが趣味なわけではない。
あの苦しんでいる顔、表情が消えた瞬間。あれには相当そそられはするが。きっと彼女はエクソシストとして苦労はしながらも基本は蝶よ花よと育てられ、爛漫が常であったのだろう。だからこそ、その過去を抜き切ったかのような……自分が「はじめて」だと、錯覚出来る。彼女の過去は敢えて聞かない。
「だからこそ、お前の覚悟も兄として聞いておきたい」
コーマスは結局ラチカの兄だ。エヴァイアンの国主としていかに冷静に振る舞おうとしても、結局残された唯一の妹に対し情は消せないのだろう。それを踏まえれば、ギャムシアにはそういった情を持つべき相手は……肉親という意味では、はなから居なかった。
義父母は優しかった。大切だった。しかし、心から……欲しい、と感じたのはこの男の妹だけだ。
「俺の覚悟、か」
紅茶に口をつけようとしたが、何となくやめた。その真意を察したのか、ヴェリアナの眉がやや微動する。さすがに薬草を始めあらゆる植物を囲う大農園を実家に持つ女に、何も警戒心を抱くなというのは無理だ。
「あいつが輿入れするという事は、つまりロドハルトの民になるという事だ」
「……何が言いたい」
「ロドハルトの法では、一妻多夫は可能なのか?」
一瞬で察した。曲がりくねった質問であれど。しかしそれを表情に出さぬくらいには、弁えているつもりだった。
コーマスを見る。彼は表情を一切変えない。だからこそ、告げた。
「不可だ。仮に可能であったにしろ、俺が許すわけねぇだろ」
「そうだな。それにお前なら法自体変えられるわけであるし……野暮な質問だったか」
「ああ、とんでもなくな。だがお前がそれを踏まえた上で聞いてくるってことは」
……居る。間男が、必ず。それも、コーマスがラチカの夫としての地位を許しても構わない男が。
「誰だ」
声が、硬くなる。表情は動かしていないつもりだ。コーマスは溜息を吐く。それはかつて残虐な拷問師とすら噂された男のものにしては、あまりには苦し気だった。
「お前なら分かるだろう」
ああ、やはり。あいつか。
ずっと燻ってはいた。ラチカの専属従者。仕事は出来、従者としては理想的なレヂェマシュトル。感情を殺していると謳う傭兵あがりの分際で、事もあろうか……ラチカに。
だからこそ、問わざるを得なかった。
「何故認めている?」
エヴァイアンの血縁者であり、かつレヂェマシュトル。確かに歳も近く若い二人が恋に落ちてもおかしくない話ではない。しかしそれを止めるのが、エヴァイアン本家の役割ではないのか。だからこそ、そもそもギャムシアは……油断していた。
コーマスは紅茶をすすった。
「俺はあいつが幸せになればいい。俺の臨む道に立ちはだかりでもしないのであれば、兄としてあいつの安寧はそれは勿論願うに決まっている。しかしそれが安泰である必要はない」
動じる気配はない。こんなにも、怒気が漏れ出しているというのに。
「散々苦労して、傷ついて、苦しんで、踊らされて。その上であいつが決めればいい」
自分とコーマスの考え方は、やはり似ている。しかしそれでも、気に食わない。
……この男は腹黒い。自分とシャイネを、敢えてけしかけるつもりか。どちらがラチカにふさわしいか……というより、選ばれるか。躍らせるつもりなのか、自分を。ならば、上等だ。
ああ、案外今なのかもしれない。ラチカの心を壊す結果になったとしても、結局自分のものになれば……その後で、再構築すればいいだけだ。自分には、それが出来る。
「ラチカは今、どこに居る」
絞り出すような問いは、怒りで震えていた。コーマスは紅茶にミルクを改めて足した。白く白く、染まり続ける。
「堕胎薬の副作用で臥せっている」
「堕胎薬……!?」
あの時、あれだけ悦んで自らの精を呑んでいたというのに。ああ、なるほど。この女か。ヴェリアナを渾身の力で睨んでも、彼女は涼しく笑うだけだった。
コーマスは深く溜息を吐く。
「次回訪問には十分間に合う。通常通りシャイネと二人で向かわせるから、お前の好きにしろ」
「それでいいのかよ、お前は」
ギャムシアの発想など、きっと気付いているだろうに。それでもコーマスは表情を変える事はなかった。
「うちのレヂェマシュトルは有能だ、お前の拷問程度では死なん。そもそもそんな程度で死ぬような男にラチカをやるつもりはない」
心底矛盾していると思う。ラチカの意志を尊重する体を装いながら、結局一番試練を振りまいているのは他ならぬコーマスだ。一応自分の妹に関する事は、自分が操縦しているつもりなのだろうか。
……その事含めて後悔させてやるべきか。
「帰る」
仕事は実際詰まっている。すべき事はすべて終わらせるのが先だ。
……その後は、本腰を入れるしかあるまい。手遅れになる前に、侵食を開始せねば。
「とっても最悪」
ベッドの中にこもるラチカのうめき声に、シャイネは深い溜息を吐く。
ラチカの寝室に本来シャイネは立ち入りを許されなかったが、コーマスにより今後の立ち入りの許可を得た。ある意味、部屋付きになったにも等しい。その真意は見えないが、自分の想いをある種認めてもらえた気もしていた。
シーツの中からも漏れ出す、血の匂い。シャイネはとくに、戦闘員としての経験からその匂いに敏感だ。慣れてはいても、決して得意ではない。
「毎月こうなるんですか? ここまで匂いを感じた事は無かったのに」
「いや……本当はもう少し大人しいし私軽い方なんだけど……」
「副作用、ですか」
ヴェリアナから無事堕胎薬を受け取り、服用したのが約三時間前。すぐに体の異変に気付いた。まず、かなりの眩暈。体力消耗の事もあってか立っていられなくなり、部屋に運び込まれた。そして、大量の……下腹部からの出血。
そもそも堕胎薬を急に要した原因はシャイネである。そのせいもあってか、彼は目に見えてしょんぼりとしていた。
「申し訳ありません」
「大丈夫だよ、義姉さんも一日安静にしたらいいって言ってたし」
「ですが……」
そもそも子を成したところで、レヂェマシュトルに見つかれば暗殺対象になる。その辺りのごろつき程度であれば自分でどうにかなるが、同練度……もしくはそれ以上のレヂェマシュトル達の手にかかってしまえば正直危うい。結局色々考え無しだった、と痛感する。
ラチカは額の汗を手の甲で拭いながら、顔を青く染めている。ヴェリアナいわく命の危険は無いらしいが、相当体に負荷がかかるとの事だった。
「何か食べたいものなどは」
「ミルク煮以外……」
「……かしこまりました」
そばに用意しておいた果物を向いてやる。細かく切ってやり、口へと運んでやる。ラチカの唇はそっと受け取り、もみもみと咀嚼した。
「美味しい……」
「教会には俺名義で鳩を飛ばしておきました。ご安心ください」
恐らくラチカがいくら必死に謝ったとしても、モシェロイはきっと怒髪天確定だろう。きっと罰としてまた山籠もり1か月など強いられるかもしれない。それならシャイネが事情をしっかり説明する方が、納得もしてくれるだろう。
「ありがとう……」
「次のロドハルト訪問まで、あと二週間はあります。それまでゆっくりお休みください」
……ふと、胸をさす痛み。
シャイネとあんな事があった上で、ギャムシアにどんな顔をして会えばいいのだろう。勿論彼はこの事を知らないし、何よりラチカとの結婚が確定しつつある事で多少浮かれているはずだ。自分がヘマさえしなければ、うまくいくのだろうが。
いや、それよりも。
「シャイネは、許してくれるの?」
シャイネは深い溜息を吐く。その顔は、いつものような……狂気の様子は失せ切った困り顔だった。
「もうこうなったら、お嬢様の気の済むようにして頂ければ。勿論俺の気持ちは変わりません。なので」
唇が近付く。そっと、重ねられた。
「……いずれ俺のもとへ来たくなるようには頑張らせて頂きますよ。法もどうにかなりそうですし」
レヂェマシュトルの掟とエヴァイアンの掟の抜け道に関しては、コーマスから聞いた。そして、その上で……見定めろとも。
結局元通りな気がする。それでも、失わずには済んだ。あまりにもずるい決着ではあったが、これでいいとするしかない。あとはギャムシアだ。
その姿はエヴァイアンにおいては珍しい顔立ちだった。つりあがった凛々しい眉、垂れ気味とはいえ知性を感じさせる切れ長の青い瞳。漆黒の髪を緩やかに揺らしながら、男は馬車を降りた。
出迎えの使用人達がその美しさにざわめくのをうんざりと見回しながら、コーマスは彼に近付く。
「よぉ」
ギャムシアはけろっと笑った。そんな彼の肩に、コーマスの手が置かれる。
「何故急に来た……」
「烏飛ばしたろうが」
「いやおかしいだろ、何故伝書烏が来て1時間で来るんだ。普通来ていいかどうかの返礼を待つだろう」
ギャムシアは特に気にした風もなく、周囲を見渡す。
どうやら、馬車をひく御者と彼しか来ていないらしい。さすがに不用心過ぎやしないか、と思ったがギャムシア自身が剣の心得がある武人だ。そこまで厳戒でもないのか。
「前国主と挨拶に来て以来だな、エヴァイアンは。何も変わってねぇ」
「ああ、そういえばそうか。あの時俺もラチカもいなかったんだよな」
「お前とは去年の……お前の就任の時が初対面だったな。早えな、もう1年か」
まるで気の置けない友人かのように語り合う二人を置いて、使用人達はそそくさと消えていった。気でもつかったのだろうか。
……急に来るのはいい。言ってはいるものの、元々ギャムシアはこういう奴である。今になって驚きはしない。しかし問題は、目的の方だ。
「で、だ」
ギャムシアが話し始めようとするのを手で制する。「ひとまず来い、立ちながらする話でもなかろう」と告げ、歩き出す。ギャムシアは大人しくついてきた。
大陸の中でも存在感のある二国の国主が、とくに大きな政治の取り決めでもないのに会うというのはなかなか異例である。なにか大事ではないか、と噂する使用人達を無視しながらコーマスは公務室の扉を開いた。
来賓用の椅子をすすめ、対面に座る。すでに控えていたヴェリアナが、すでに淹れていたであろう紅茶をさしだした。
「ありがとう、奥方殿」
「いいえ」
彼女は蕩けるような笑顔で応えた。しかし何となく察している。彼女はきっと、自分が嫌いだ。恐らく嫉妬からくるものだろう。自分も似たような人間だからこそ、分かる。そして更にコーマスもだ。
コーマスは紅茶に大量のミルクを注ぐと、ばっさり切り出した。
「先の手紙は読んだし、ラチカの意志も聞いた」
ギャムシアはにやりと笑う。
「妹君は何て? 早く俺に会いたいと?」
「お前の脳内はお花畑か。俺と妻で、あいつの意志も揺さぶり確認した」
その意味が一切分からない訳ではない。しかしここは黙っておくのが利口だろう。コーマスの続きを待つ。
「実際あいつは国主の妻になる覚悟はあるし、それなら相手がお前がいいとは言っていた。気に食わんが。実に気に食わんが」
「……お前そんなに俺が嫌いかよ」
「妹の差し出し先にするには荷が重すぎる」
そう言いながらも、反対というわけではなさそうだった。その事に、表情には決して出す事は無いが安堵する。
……何だかんだいってラチカは前国主の娘、現国主の妹である。十分な箱入りだ。そんな女の家と争っては、不都合しかないだろう。実際それを理由に拒まれても困る。別にラチカの意志を挫くのが趣味なわけではない。
あの苦しんでいる顔、表情が消えた瞬間。あれには相当そそられはするが。きっと彼女はエクソシストとして苦労はしながらも基本は蝶よ花よと育てられ、爛漫が常であったのだろう。だからこそ、その過去を抜き切ったかのような……自分が「はじめて」だと、錯覚出来る。彼女の過去は敢えて聞かない。
「だからこそ、お前の覚悟も兄として聞いておきたい」
コーマスは結局ラチカの兄だ。エヴァイアンの国主としていかに冷静に振る舞おうとしても、結局残された唯一の妹に対し情は消せないのだろう。それを踏まえれば、ギャムシアにはそういった情を持つべき相手は……肉親という意味では、はなから居なかった。
義父母は優しかった。大切だった。しかし、心から……欲しい、と感じたのはこの男の妹だけだ。
「俺の覚悟、か」
紅茶に口をつけようとしたが、何となくやめた。その真意を察したのか、ヴェリアナの眉がやや微動する。さすがに薬草を始めあらゆる植物を囲う大農園を実家に持つ女に、何も警戒心を抱くなというのは無理だ。
「あいつが輿入れするという事は、つまりロドハルトの民になるという事だ」
「……何が言いたい」
「ロドハルトの法では、一妻多夫は可能なのか?」
一瞬で察した。曲がりくねった質問であれど。しかしそれを表情に出さぬくらいには、弁えているつもりだった。
コーマスを見る。彼は表情を一切変えない。だからこそ、告げた。
「不可だ。仮に可能であったにしろ、俺が許すわけねぇだろ」
「そうだな。それにお前なら法自体変えられるわけであるし……野暮な質問だったか」
「ああ、とんでもなくな。だがお前がそれを踏まえた上で聞いてくるってことは」
……居る。間男が、必ず。それも、コーマスがラチカの夫としての地位を許しても構わない男が。
「誰だ」
声が、硬くなる。表情は動かしていないつもりだ。コーマスは溜息を吐く。それはかつて残虐な拷問師とすら噂された男のものにしては、あまりには苦し気だった。
「お前なら分かるだろう」
ああ、やはり。あいつか。
ずっと燻ってはいた。ラチカの専属従者。仕事は出来、従者としては理想的なレヂェマシュトル。感情を殺していると謳う傭兵あがりの分際で、事もあろうか……ラチカに。
だからこそ、問わざるを得なかった。
「何故認めている?」
エヴァイアンの血縁者であり、かつレヂェマシュトル。確かに歳も近く若い二人が恋に落ちてもおかしくない話ではない。しかしそれを止めるのが、エヴァイアン本家の役割ではないのか。だからこそ、そもそもギャムシアは……油断していた。
コーマスは紅茶をすすった。
「俺はあいつが幸せになればいい。俺の臨む道に立ちはだかりでもしないのであれば、兄としてあいつの安寧はそれは勿論願うに決まっている。しかしそれが安泰である必要はない」
動じる気配はない。こんなにも、怒気が漏れ出しているというのに。
「散々苦労して、傷ついて、苦しんで、踊らされて。その上であいつが決めればいい」
自分とコーマスの考え方は、やはり似ている。しかしそれでも、気に食わない。
……この男は腹黒い。自分とシャイネを、敢えてけしかけるつもりか。どちらがラチカにふさわしいか……というより、選ばれるか。躍らせるつもりなのか、自分を。ならば、上等だ。
ああ、案外今なのかもしれない。ラチカの心を壊す結果になったとしても、結局自分のものになれば……その後で、再構築すればいいだけだ。自分には、それが出来る。
「ラチカは今、どこに居る」
絞り出すような問いは、怒りで震えていた。コーマスは紅茶にミルクを改めて足した。白く白く、染まり続ける。
「堕胎薬の副作用で臥せっている」
「堕胎薬……!?」
あの時、あれだけ悦んで自らの精を呑んでいたというのに。ああ、なるほど。この女か。ヴェリアナを渾身の力で睨んでも、彼女は涼しく笑うだけだった。
コーマスは深く溜息を吐く。
「次回訪問には十分間に合う。通常通りシャイネと二人で向かわせるから、お前の好きにしろ」
「それでいいのかよ、お前は」
ギャムシアの発想など、きっと気付いているだろうに。それでもコーマスは表情を変える事はなかった。
「うちのレヂェマシュトルは有能だ、お前の拷問程度では死なん。そもそもそんな程度で死ぬような男にラチカをやるつもりはない」
心底矛盾していると思う。ラチカの意志を尊重する体を装いながら、結局一番試練を振りまいているのは他ならぬコーマスだ。一応自分の妹に関する事は、自分が操縦しているつもりなのだろうか。
……その事含めて後悔させてやるべきか。
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