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42.いざ、勝負。
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感覚がすべて鈍っている気がする。空気の味も、色の具合も、響く音も何もかも薄まっている。
ギャムシアがここを出て、どれくらい経っただろう。まだ一時間か、二時間か、それとももっとか。時間の計算は元々下手だった。ラチカは唇すら動かせない体で、ぼんやりと天井を見上げた。
……次戻ってきたら、どんな事を言われようと請うてみようか。逃げる気はもう無い。相手を挿げ替える事も。ただ本当に、想い始めたのだと。
そもそも彼が自分で「ラチカに言わせている」と勘違いするような状況を作っているだけに過ぎない気がする。思えばここに初めて閉じ込められたあの日以来、二人で冷静に話す機会すらなかった。
「……?」
足音、ではない。ただ、確実な……何かの、気配。これは、まさか。
そうか、地下室というトラウマの空間に居たせいで悪寒すら感じなくなっていたのか。あたりをきょろきょろ見渡すと、確かに……尾が見えた。亡霊だ。
まさか、こんなところに侵入していたとは。いや、そもそもラチカはロドハルトに結界を確かに施していた。あれはロドハルト内部への亡霊の侵入を防ぐものだった。しかし、内側で新に召喚されたとなれば……別だ。
「ん、んっ」
口の周りの糸が引き込まれ、激痛が走る。しかしそんなラチカを気にしていないかのように、尾はふわふわと周囲を漂う。わざとラチカの視界を泳いでいるようだが、未だ靄の塊である本体は姿を見せない。それだけ大きな存在なのか。
『ああ、可哀想に』
それは、確かに声だった。重い、声。男性……老人とも思えるような、声。
通常、亡霊がこの世界に主張できるのはせいぜいその姿……靄程度だ。ごくまれに上級亡霊として、声を発するものがいると聞く。しかしそんな亡霊は生前相当世に存在を知らしめているか、もしくは余程この世にしがみつく程の怨念を抱えているかだ。
そもそも亡霊とは、ネクロマンサーによりあの世から無理やり呼び出された亡者の魂だ。それなのに、周囲にネクロマンサーの気配は……鈍った勘を研ぎ澄ませても見つからない。
……ああ、何と情けない。自身の本質を、もはや完全に失いつつあった。ぼたぼたと、涙が零れ落ちる。
『あ、あ、駄目だ。泣いては、ならぬ。綺麗な顔が……いや、今は……とにかく、泣くでない』
慌てたような声。その中に敵意は感じられない。
一体何者なのか。そう問おうにも、口が動かない。ようやく、尾が引っ込み……奥からずるりと、靄が現れた。とても、大きい。初めて見る。
『こんな年若い乙女を何故こうも……ギャムシアはどこか歪んでいるとは思ったが。しかし、あやつは……悪い奴では、ないのだ』
ギャムシア。その名にハッとした。何故、この亡霊が彼の名を。
まさか。
『……余の命を、あやつは。かつて身を賭して救ってくれたのだ。決して、悪い奴ではない、のだ』
「……ギャムシア様?」
疑惑に満ちた声に、呼び止められる。振り返ると、そこにはシャイネが居た。顔が明らかに、いつもの冷静さを欠いている。そこをどこか訝しく思いながらも、ギャムシアはあくまで柔和に微笑んだ。
「シャイネくん。久しいですね」
「……申し訳ございません、ただいまお手隙でいらっしゃいますか」
「ああ」
それを聞くと、シャイネは一つ舌打ちをする。さすがに咎めた方がいい所業ではあるが、ギャムシアは敢えて黙っていた。シャイネは忌々し気に、吐き捨てるような口調で呟く。
「イプシュルムへ出られた、と聞いていたものですから」
それを聞き、眉をひそめる。イプシュルムから来賓こそあったが、それはもう済んで先程見届けたばかりだ。それに、あくまでこちらが迎えた側である。恐らく、執事長が下手な誤魔化しをしたに違いない。内心苛立ちながらも、ギャムシアはその表情を崩さずに口を開いた。
「急きょ予定が変わりまして、逆にこちらに来て頂いたのですよ」
「それならそれでおかしい話ですよね。国主同士の会合なら、そんな変更などあれば前もって報せなどあると思いますが。私は先程、執事長からギャムシア様が出られると聞きました」
……しつこい。しかしこれなら、もう誤魔化しても無意味だろう。
「何も用が無いのであれば、これで」
そう言い放ち立ち去ろうとするギャムシアの腕を、シャイネが勢いよく掴む。レヂェマシュトルの腕力ではなく、あくまで加減はされていたが。
彼の、黄金色の目を見る。その目は、怒りで焼けていた。
「……お嬢様は今どちらに」
「手を放せクソガキが」
口調が、外れる。しかしもうここまできたら、構うものでもない。
振りほどく。男性の力と言えど、平凡な腕力ではシャイネにはかなわない。それでもシャイネは手を離した。「やっと本性を現しましたね」とだけ吐き捨て、シャイネはギャムシアをその目でねめつけた。そんなシャイネに、ギャムシアは敵意を剥きだしにする。
「コーマス殿からこっちはすべて聞いている。何でもラチカとこそこそ睦んでいたらしいな」
「だとしたら何だというのです。俺の方が、お嬢様を大切に扱える。粗暴な貴方よりも幸せに出来ます」
はっ、と鼻で笑ってやる。
「『扱う』だ? お前その時点でラチカを自分の尻に敷くつもりでしかねぇじゃねぇか。結局お前も俺と同じだよ」
その一言に、シャイネの目が一瞬で暗闇を纏った。見た事も無いような怒りを滾らせて。
「貴方に、何が分かる。俺にとってのすべては、お嬢様です。あの人が居てこそ、俺は俺として成立する」
本当に、気付いていないのだろう。結局シャイネ自身もラチカを自己確立の為の道具として見做している。あまりにも醜い依存だが、ギャムシアにはそれをわざわざ指摘してやる程の親切心は無かった。
シャイネの唇が、開く。
「……お嬢様は結局貴方を選んだ」
ぼつり、と落とされた言葉。
「でも俺は、納得出来ていない。俺自身がまだ、貴方にお嬢様を託していいか分からない。とんだ、我儘ではありますが」
色々折り合いをつけようと、自分の中で努力はしたのだろう。そして、自分の中で出来る事はすべて行ったのだろう。
そうなれば、後は……ギャムシア自身が、シャイネを納得させねばならないか。ギャムシアは今日の予定をすべて思い出し、……歩き出す。
「ついてこい」
シャイネは訝し気にしながらも、ギャムシアの足跡をたどった。
到着したのは、広大な中庭だった。誰も居ない。その中心には、何か置かれている。数本の、模造剣だ。恐らく剣の稽古用の、殺傷能力のない木製。運が悪くて骨折程度で済むだろう。
そうか、忘れていた。ギャムシアは国主であり医者でもあるが、剣術の顧問でもある。
「好きなものを取れ。太さ、長さすべて違う」
頷く。一番手に馴染むものを抜き取った。
レヂェマシュトルで徒手空拳の訓練を主に積んでいるシャイネにとっては、武器など扱い方は心得ていたとしても重りにしかならない。しかし、ギャムシアはしっかりと自分の意志を汲んでくれた。応えなければならない、と不必要なまでのシャイネの性根は言っている。
ギャムシアもまた、一本の模造剣を取った。
「顔面含め急所は無し。三回当てたものが勝ちだ」
淡々と告げるギャムシアに対し、頷く。
ギャムシアはあくまでシャイネを倒し、認めさせる気だろう。実際、この勝負次第だ。いくらハンデを抱えていようと、レヂェマシュトル相手に試合を申し込むなど負け戦なはずだろうに、余程剣の扱いに自信があるのか。それとも、ラチカを賭けている以上負けられないという矜持なのか。
二人して距離を取る。ギャムシアは秒を落とし始め、放った。
「……はじめっ!」
ギャムシアがまず踏み出す。それが予感出来たからこそ、シャイネもまた構えた。ギャムシアの振りの向きから予測し、剣を倒す。ガキン、と音を立てて剣同士がぶつかった。当たっていない。飛びのいて体勢を持ち直す。
再び彼は剣を突き出してくる。それを受け、流し、をひたすら繰り返す。速さこそそこそこだが、一撃一撃が……重い。伊達に顧問を名乗っていないようだ。
それなら。
「っ!」
背後に駆け回る。そのまま剣を背中に打ち込もうとするも……ギャムシアの右腕が背後に瞬時に回った。寸でのところで、防がれる。まさかの対応に正直面食らうも、ギャムシアは冷たく呟いた。
「お前のその手、前回見たからな。予測は出来るさ」
そうか、あの試合会場か。となれば、普段の作戦は対策を取られているに違いない。これは、不利だ。
そのまま剣を弾かれ、跳躍して着地する。そんなシャイネを見ながら、ギャムシアは舌打ちする。そのまま、流れるように体を傾けてきた。
「!?」
剣筋が伸びたかのように錯覚するも、そんな仕掛けは一切無さそうだった。まさかあんな体制から打ってくるとは。ギャムシアの剣先が、シャイネの肘を弾いた。
「一本目だ」
それを聞き、カッと頭に血が昇る。歯を噛みしめながら再び剣を打つも、防がれる。ギャムシアの氷のような目は、シャイネの剣だけを見ていた。集中しているのだろう。
ああ、そうだそこだ。シャイネはラチカの事で頭がいっぱいだが、ギャムシアはあくまで目の前の戦いに完全に思考を切り替えている。恐らく根底にはラチカの事もあるだろうが、今はどうシャイネに勝つかだけに集中しているはずだ。
……それがまた、気に食わない。
「はっ!」
ガキン、と音が鳴って再びぶつかる。ギャムシアはそのままシャイネの剣を横に流した。
何故そうも余裕ぶれるのか。自分の中はこんなにもラチカでいっぱいで、おかしくなりそうなのに。レヂェマシュトルの矜持すら、擲ってしまっているのに。そんなシャイネの脇腹を、ギャムシアの剣が打った。
「くっ……」
痛みで脚が崩れそうになる。しかしそれこそ、畳みかけられる。必死に精神力で脚を支えると、ギャムシアは感心したように首を傾げた。
「驚いた。俺の剣をまともに受けて立ったままかよ」
シャイネは呼吸を一瞬で整え、剣を薙ぐ。その向かう先は……ギャムシアの膝だった。ハッとしたギャムシアの剣先は下に向かうが、間に合わなかった。カン、と音を鳴らしてギャムシアの左膝に直撃する。
「つっ!」
さすがに堪えきれず膝をつくが、ギャムシアは完全に予測していた。空中を掻くようにして剣を持ち変えると、落ちてきたシャイネの斬撃を受け止める。衝撃が鳴るも、堪えた。
まさかこれすら防がれるとも思っていなかったのか、シャイネの表情が動揺で揺れる。ああ、やはりまだ……結局、若造だ。
「らぁっ!」
真下から直上した衝撃にシャイネは耐えきれず、尻をつく。そのまま勢いでギャムシアは立ち上がり、シャイネの胸元目がけて剣を突き出した。
もう、終わりだ。間に合わない。シャイネはぎゅっと硬く目を閉じた。しかしいつまでも、剣先は伸びてこない。恐る恐る目を開けると、そこには勝ち誇った顔をしたギャムシアが立っていた。
「三本目、だ。俺の勝ちだな」
とん、と剣先で胸元を軽く突かれる。ギャムシアはそのまま剣を背後に放り投げた。カランカランカラン、と回転しながら剣は地面を転がっていく。その様を眺めながら、シャイネは深く溜息を吐いた。
「……完敗です。想像以上でした」
「それなりに見くびられてたってのは分かった」
呆れたようにギャムシアは溜息を吐くと、シャイネの隣に座り込んだ。不思議そうに見てくるシャイネに対し、続ける。
「まあ、そういう事だ。しかしレヂェマシュトルって言っても、万能な戦闘が出来るわけじゃねぇんだな」
ぐ、と押し黙るシャイネにここぞとばかりに畳みかける。そんなギャムシアの顔は、どこか考え事をしているように穏やかだ。敵意は失せている。
「そうだな、お前。俺の弟子になれ」
「……は?」
突然の提案にぽかんとするも、ギャムシアは続けた。
「いやお前、出来る事は多い方がいいだろうが。毎朝四時にここで稽古やってるから、お前も出ろ。俺が鍛えてやる」
「貴方本当にいつ寝てるんですか」
「睡眠は一日二時間ありゃ足るだろ」
レヂェマシュトルでもないのに、この男は本当に何なのだろうか。しかしギャムシア自体は、あくまで正論しか言っていない。そもそも、ただの剣術顧問にレヂェマシュトルである自分が負けたという事実がそれなりにシャイネの心臓にのしかかっていた。
同時に挑発するように、ギャムシアはにやりと笑む。
「まあ、妻の従者を鍛えてやるのも夫の務めってな」
その言葉にかちんときた。シャイネは鼻で笑う。
「ええ分かりました。すぐにでも貴方の上に行き、打ち負かしてやります」
「おうおう怖い」
茶化すように笑うギャムシアに向き合い、頭を下げる。
「……よろしくお願いします」
「おう」
……なんとなく、ラチカがこの男に惹かれた気持ちも分かった気がした。
ギャムシアがここを出て、どれくらい経っただろう。まだ一時間か、二時間か、それとももっとか。時間の計算は元々下手だった。ラチカは唇すら動かせない体で、ぼんやりと天井を見上げた。
……次戻ってきたら、どんな事を言われようと請うてみようか。逃げる気はもう無い。相手を挿げ替える事も。ただ本当に、想い始めたのだと。
そもそも彼が自分で「ラチカに言わせている」と勘違いするような状況を作っているだけに過ぎない気がする。思えばここに初めて閉じ込められたあの日以来、二人で冷静に話す機会すらなかった。
「……?」
足音、ではない。ただ、確実な……何かの、気配。これは、まさか。
そうか、地下室というトラウマの空間に居たせいで悪寒すら感じなくなっていたのか。あたりをきょろきょろ見渡すと、確かに……尾が見えた。亡霊だ。
まさか、こんなところに侵入していたとは。いや、そもそもラチカはロドハルトに結界を確かに施していた。あれはロドハルト内部への亡霊の侵入を防ぐものだった。しかし、内側で新に召喚されたとなれば……別だ。
「ん、んっ」
口の周りの糸が引き込まれ、激痛が走る。しかしそんなラチカを気にしていないかのように、尾はふわふわと周囲を漂う。わざとラチカの視界を泳いでいるようだが、未だ靄の塊である本体は姿を見せない。それだけ大きな存在なのか。
『ああ、可哀想に』
それは、確かに声だった。重い、声。男性……老人とも思えるような、声。
通常、亡霊がこの世界に主張できるのはせいぜいその姿……靄程度だ。ごくまれに上級亡霊として、声を発するものがいると聞く。しかしそんな亡霊は生前相当世に存在を知らしめているか、もしくは余程この世にしがみつく程の怨念を抱えているかだ。
そもそも亡霊とは、ネクロマンサーによりあの世から無理やり呼び出された亡者の魂だ。それなのに、周囲にネクロマンサーの気配は……鈍った勘を研ぎ澄ませても見つからない。
……ああ、何と情けない。自身の本質を、もはや完全に失いつつあった。ぼたぼたと、涙が零れ落ちる。
『あ、あ、駄目だ。泣いては、ならぬ。綺麗な顔が……いや、今は……とにかく、泣くでない』
慌てたような声。その中に敵意は感じられない。
一体何者なのか。そう問おうにも、口が動かない。ようやく、尾が引っ込み……奥からずるりと、靄が現れた。とても、大きい。初めて見る。
『こんな年若い乙女を何故こうも……ギャムシアはどこか歪んでいるとは思ったが。しかし、あやつは……悪い奴では、ないのだ』
ギャムシア。その名にハッとした。何故、この亡霊が彼の名を。
まさか。
『……余の命を、あやつは。かつて身を賭して救ってくれたのだ。決して、悪い奴ではない、のだ』
「……ギャムシア様?」
疑惑に満ちた声に、呼び止められる。振り返ると、そこにはシャイネが居た。顔が明らかに、いつもの冷静さを欠いている。そこをどこか訝しく思いながらも、ギャムシアはあくまで柔和に微笑んだ。
「シャイネくん。久しいですね」
「……申し訳ございません、ただいまお手隙でいらっしゃいますか」
「ああ」
それを聞くと、シャイネは一つ舌打ちをする。さすがに咎めた方がいい所業ではあるが、ギャムシアは敢えて黙っていた。シャイネは忌々し気に、吐き捨てるような口調で呟く。
「イプシュルムへ出られた、と聞いていたものですから」
それを聞き、眉をひそめる。イプシュルムから来賓こそあったが、それはもう済んで先程見届けたばかりだ。それに、あくまでこちらが迎えた側である。恐らく、執事長が下手な誤魔化しをしたに違いない。内心苛立ちながらも、ギャムシアはその表情を崩さずに口を開いた。
「急きょ予定が変わりまして、逆にこちらに来て頂いたのですよ」
「それならそれでおかしい話ですよね。国主同士の会合なら、そんな変更などあれば前もって報せなどあると思いますが。私は先程、執事長からギャムシア様が出られると聞きました」
……しつこい。しかしこれなら、もう誤魔化しても無意味だろう。
「何も用が無いのであれば、これで」
そう言い放ち立ち去ろうとするギャムシアの腕を、シャイネが勢いよく掴む。レヂェマシュトルの腕力ではなく、あくまで加減はされていたが。
彼の、黄金色の目を見る。その目は、怒りで焼けていた。
「……お嬢様は今どちらに」
「手を放せクソガキが」
口調が、外れる。しかしもうここまできたら、構うものでもない。
振りほどく。男性の力と言えど、平凡な腕力ではシャイネにはかなわない。それでもシャイネは手を離した。「やっと本性を現しましたね」とだけ吐き捨て、シャイネはギャムシアをその目でねめつけた。そんなシャイネに、ギャムシアは敵意を剥きだしにする。
「コーマス殿からこっちはすべて聞いている。何でもラチカとこそこそ睦んでいたらしいな」
「だとしたら何だというのです。俺の方が、お嬢様を大切に扱える。粗暴な貴方よりも幸せに出来ます」
はっ、と鼻で笑ってやる。
「『扱う』だ? お前その時点でラチカを自分の尻に敷くつもりでしかねぇじゃねぇか。結局お前も俺と同じだよ」
その一言に、シャイネの目が一瞬で暗闇を纏った。見た事も無いような怒りを滾らせて。
「貴方に、何が分かる。俺にとってのすべては、お嬢様です。あの人が居てこそ、俺は俺として成立する」
本当に、気付いていないのだろう。結局シャイネ自身もラチカを自己確立の為の道具として見做している。あまりにも醜い依存だが、ギャムシアにはそれをわざわざ指摘してやる程の親切心は無かった。
シャイネの唇が、開く。
「……お嬢様は結局貴方を選んだ」
ぼつり、と落とされた言葉。
「でも俺は、納得出来ていない。俺自身がまだ、貴方にお嬢様を託していいか分からない。とんだ、我儘ではありますが」
色々折り合いをつけようと、自分の中で努力はしたのだろう。そして、自分の中で出来る事はすべて行ったのだろう。
そうなれば、後は……ギャムシア自身が、シャイネを納得させねばならないか。ギャムシアは今日の予定をすべて思い出し、……歩き出す。
「ついてこい」
シャイネは訝し気にしながらも、ギャムシアの足跡をたどった。
到着したのは、広大な中庭だった。誰も居ない。その中心には、何か置かれている。数本の、模造剣だ。恐らく剣の稽古用の、殺傷能力のない木製。運が悪くて骨折程度で済むだろう。
そうか、忘れていた。ギャムシアは国主であり医者でもあるが、剣術の顧問でもある。
「好きなものを取れ。太さ、長さすべて違う」
頷く。一番手に馴染むものを抜き取った。
レヂェマシュトルで徒手空拳の訓練を主に積んでいるシャイネにとっては、武器など扱い方は心得ていたとしても重りにしかならない。しかし、ギャムシアはしっかりと自分の意志を汲んでくれた。応えなければならない、と不必要なまでのシャイネの性根は言っている。
ギャムシアもまた、一本の模造剣を取った。
「顔面含め急所は無し。三回当てたものが勝ちだ」
淡々と告げるギャムシアに対し、頷く。
ギャムシアはあくまでシャイネを倒し、認めさせる気だろう。実際、この勝負次第だ。いくらハンデを抱えていようと、レヂェマシュトル相手に試合を申し込むなど負け戦なはずだろうに、余程剣の扱いに自信があるのか。それとも、ラチカを賭けている以上負けられないという矜持なのか。
二人して距離を取る。ギャムシアは秒を落とし始め、放った。
「……はじめっ!」
ギャムシアがまず踏み出す。それが予感出来たからこそ、シャイネもまた構えた。ギャムシアの振りの向きから予測し、剣を倒す。ガキン、と音を立てて剣同士がぶつかった。当たっていない。飛びのいて体勢を持ち直す。
再び彼は剣を突き出してくる。それを受け、流し、をひたすら繰り返す。速さこそそこそこだが、一撃一撃が……重い。伊達に顧問を名乗っていないようだ。
それなら。
「っ!」
背後に駆け回る。そのまま剣を背中に打ち込もうとするも……ギャムシアの右腕が背後に瞬時に回った。寸でのところで、防がれる。まさかの対応に正直面食らうも、ギャムシアは冷たく呟いた。
「お前のその手、前回見たからな。予測は出来るさ」
そうか、あの試合会場か。となれば、普段の作戦は対策を取られているに違いない。これは、不利だ。
そのまま剣を弾かれ、跳躍して着地する。そんなシャイネを見ながら、ギャムシアは舌打ちする。そのまま、流れるように体を傾けてきた。
「!?」
剣筋が伸びたかのように錯覚するも、そんな仕掛けは一切無さそうだった。まさかあんな体制から打ってくるとは。ギャムシアの剣先が、シャイネの肘を弾いた。
「一本目だ」
それを聞き、カッと頭に血が昇る。歯を噛みしめながら再び剣を打つも、防がれる。ギャムシアの氷のような目は、シャイネの剣だけを見ていた。集中しているのだろう。
ああ、そうだそこだ。シャイネはラチカの事で頭がいっぱいだが、ギャムシアはあくまで目の前の戦いに完全に思考を切り替えている。恐らく根底にはラチカの事もあるだろうが、今はどうシャイネに勝つかだけに集中しているはずだ。
……それがまた、気に食わない。
「はっ!」
ガキン、と音が鳴って再びぶつかる。ギャムシアはそのままシャイネの剣を横に流した。
何故そうも余裕ぶれるのか。自分の中はこんなにもラチカでいっぱいで、おかしくなりそうなのに。レヂェマシュトルの矜持すら、擲ってしまっているのに。そんなシャイネの脇腹を、ギャムシアの剣が打った。
「くっ……」
痛みで脚が崩れそうになる。しかしそれこそ、畳みかけられる。必死に精神力で脚を支えると、ギャムシアは感心したように首を傾げた。
「驚いた。俺の剣をまともに受けて立ったままかよ」
シャイネは呼吸を一瞬で整え、剣を薙ぐ。その向かう先は……ギャムシアの膝だった。ハッとしたギャムシアの剣先は下に向かうが、間に合わなかった。カン、と音を鳴らしてギャムシアの左膝に直撃する。
「つっ!」
さすがに堪えきれず膝をつくが、ギャムシアは完全に予測していた。空中を掻くようにして剣を持ち変えると、落ちてきたシャイネの斬撃を受け止める。衝撃が鳴るも、堪えた。
まさかこれすら防がれるとも思っていなかったのか、シャイネの表情が動揺で揺れる。ああ、やはりまだ……結局、若造だ。
「らぁっ!」
真下から直上した衝撃にシャイネは耐えきれず、尻をつく。そのまま勢いでギャムシアは立ち上がり、シャイネの胸元目がけて剣を突き出した。
もう、終わりだ。間に合わない。シャイネはぎゅっと硬く目を閉じた。しかしいつまでも、剣先は伸びてこない。恐る恐る目を開けると、そこには勝ち誇った顔をしたギャムシアが立っていた。
「三本目、だ。俺の勝ちだな」
とん、と剣先で胸元を軽く突かれる。ギャムシアはそのまま剣を背後に放り投げた。カランカランカラン、と回転しながら剣は地面を転がっていく。その様を眺めながら、シャイネは深く溜息を吐いた。
「……完敗です。想像以上でした」
「それなりに見くびられてたってのは分かった」
呆れたようにギャムシアは溜息を吐くと、シャイネの隣に座り込んだ。不思議そうに見てくるシャイネに対し、続ける。
「まあ、そういう事だ。しかしレヂェマシュトルって言っても、万能な戦闘が出来るわけじゃねぇんだな」
ぐ、と押し黙るシャイネにここぞとばかりに畳みかける。そんなギャムシアの顔は、どこか考え事をしているように穏やかだ。敵意は失せている。
「そうだな、お前。俺の弟子になれ」
「……は?」
突然の提案にぽかんとするも、ギャムシアは続けた。
「いやお前、出来る事は多い方がいいだろうが。毎朝四時にここで稽古やってるから、お前も出ろ。俺が鍛えてやる」
「貴方本当にいつ寝てるんですか」
「睡眠は一日二時間ありゃ足るだろ」
レヂェマシュトルでもないのに、この男は本当に何なのだろうか。しかしギャムシア自体は、あくまで正論しか言っていない。そもそも、ただの剣術顧問にレヂェマシュトルである自分が負けたという事実がそれなりにシャイネの心臓にのしかかっていた。
同時に挑発するように、ギャムシアはにやりと笑む。
「まあ、妻の従者を鍛えてやるのも夫の務めってな」
その言葉にかちんときた。シャイネは鼻で笑う。
「ええ分かりました。すぐにでも貴方の上に行き、打ち負かしてやります」
「おうおう怖い」
茶化すように笑うギャムシアに向き合い、頭を下げる。
「……よろしくお願いします」
「おう」
……なんとなく、ラチカがこの男に惹かれた気持ちも分かった気がした。
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