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46.感動の再会を喜ぶのは後に致しましょう。
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「この書類は出来た、八番の烏にすぐに頼んでくれ。あとそろそろ新薬の途中経過を見ねえとだな、奥から取ってきてくれるか」
「かしこまりました。あと新薬はもうお持ちしております」
「お前本当優秀だな、さすが俺の妻になる女の従者なだけある」
「その口縫い上げてやりましょうか」
その妻になる女の口を縫い上げた、というのはさすがに黙っておいた。
あの試合から、ギャムシアはシャイネを常に傍に置いていた。他の使用人は皆ラチカの輿入れに向けての試運転だと薄々勘付いているようで、文句は誰も言わなかった。それはそれで腹立たしいが、一度認めてしまったからには何もとりなせなかったというのが本音である。
シャイネは微量の液体が入った細長いガラス筒をギャムシアに渡し、かわりに書類を受け取った。丁寧に素早く畳みながら、憎々し気に口を開く。
「それより本当にお嬢様はどちらにいらっしゃるのですか、離れには一切気配を感じられませんよ」
シャイネには未だに地下室の話はしていない。せっかく表面上は屈服させられたのに、そんな弱みのようなものを掴ませればいつ牙に変えるか分かったものではない。
「いやだから離れだって。あいつは新年行事の報告書作りで俺でも経験した事の無い缶詰作業中だって何回言や分かる」
「新年行事なんてお嬢様が投身自殺まがいを引き起こしたくらいしかありませんよ、はい終了です。会いに行ってきます」
「ざっけんな! ったくもう大人しくこっちの仕事しやがれクソガキ!」
執事長なら穏やかに微笑んでただ言いなりになっていたのに。それともラチカの事さえなければ、本当に従順な使用人だったのだろうか。
そういえば、執事長の姿を全然見ない。シャイネを傍におく、と伝えたらお暇だとか言って消えていったが。それにしても、一切姿を現さないのは一体どういうことなのか。別に休みをくれてやったわけではないのに。
彼はアスパロロクから引き継ぐ形で、ギャムシアに譲られた。新しい主である自分にもそれなりに忠義を尽くしてくれているとは思う。
「おい、クソガキこの書類もだ」
「かしこまりました、下種野郎」
しかしひとつ疑念が残る。
彼が以前仕えてた前国主……サガリオット・アスパロロクにも彼は仕えていたという。しかしギャムシアはサガリオットの主治医として当時から国主邸に出入りしており、ある程度使用人の顔は把握していた。そんな中でも、あの執事長はいなかった。名前だけは聞いていたが、彼がギャムシアの前に初めて姿を現したのはギャムシアが国主になってから数年後の事である。
執事長、パイヤ・クルァトー。その名前しか、しばらく知らなかった。
「……ん」
「どうしたクソガキ」
「お黙りください。音が……これは、」
耳を澄ませる。確かに、バタバタと忙しない音が聞こえる。人間の足音よりも重い。
シャイネはギャムシアに視線を送り、忍び足で扉に近付いた。その瞬間、バンッと大きな音がして扉が押し開かれる。
「ぶっ!?」
直撃だった。扉の圧に吹っ飛ばされる形で、シャイネの体が宙に浮く。そのまま床を転げていった。そんなシャイネを指さしながら、ギャムシアはゲラゲラ笑う。
「ぶは、ちょ、大丈夫かよクソガキ! あーはは、やべっ鼻血出てら。まあお前なら、ふは、はは、すぐ」
「わーっごめんシャイネ! わざとじゃないんだよ本当だよ!」
飛び込んできた主……ラチカは半泣きで叫ぶ。ポシャロに乗ったまま駆け寄ってくる主に、シャイネは呆然とした目を向けてくる。
「お、じょ、さま……?」
ギャムシアの目が、すっと冷える。予想はしていたが、やはり……怖い。背筋が緊張で強張る。
ギャムシアはそっと、口を開いた。
「まあ、愉快なもん見れたし。とりあえずどうやって抜け出したか聞くのはあとにしてやる」
「す、すみません……」
要するにここでシャイネをぶっ飛ばしていなければ、どうなっていたか分かったものではないという事か。シャイネには悪いがその事に安堵と恐怖しながらも、ラチカは溜息を吐いた。
しかし、サガリオットの説明をするには脱出の経緯の説明も必要になる気がする。天井を仰ぐと、サガリオットは穏やかに天井を旋回していた。
『ふむ、懐かしい。わずかだが……改装したか。しかしほぼほぼ、変わりは……無いな』
そうか、ここはかつてサガリオットにとっても公務室だったのか。先程より穏やかな声に、安心する。亡霊だからこそ顔が無く靄のみではあるが、声の感じでは案外表情が出る系統なのかもしれない。
「何天井見てんだ」
やはり、ギャムシアには見えないか。そしてシャイネにも見えていないはずだ。
……説明は避けられないだろう。言うしかない。
「あの、ちょっと聞いてもらいたいことあるの。二人に」
信じてもらえるかは分からない。それでも、やむを得ない。
二人は黙って聞いてくれた。シャイネの手前さすがに地下室の事は言えないので、あくまで自室で作業の缶詰にされていた事にはしたが。
サガリオットの名も、出した。その瞬間わずかにギャムシアの眉が歪んだが、それだけだった。ラチカの話が終わるまで何も言わずにおいてくれるらしい。当のサガリオットは、そわそわと天井を漂っているだけだった。口を挟んでも、ギャムシアに聞こえないからという事だからだろうが。
「……なるほどな」
ラチカの話が終わったのを見計らったのか、ギャムシアは重く溜息を吐く。
「パイヤ・クァルトーは偽名。その正体はかつての大悪党……ふん、有り得ねぇって事は無さそうだ」
「まさかの」
「長くなるから省くが、確かに不審な点が多いんだよあいつは。お前も何かしら掴んでたんだろ、クソガキ」
ハッとしてシャイネを見ると、彼はいつもの感情の見えない表情で軽く頷いた。
「誠実な人間ではないな、と思っていたくらいです。少なくとも俺は何度か嘘をつかれています。あくまでこの下郎国主様に言いくるめられて、というのもあるのでしょうが……あと、あの件もあります」
「ああ、朝言ってた話か」
何の事かは分からないが、反応的には悪くはない。案外信じてくれてはいるのか。都合がいい。
その時だった。すでに開かれたままだった扉の向こうから、使用人が飛び込んでくる。
「国主様! 侵入者です!」
「なに?」
ハッとして、使用人を見る。彼は慌てた様子で、早口でまくしたてた。
「人数は五名、しかし恐らくまだ居るかと。執事長と伝書烏が皆、攫われました!」
「は!?」
ぎょっとしてシャイネと顔を合わせる。シャイネもまたすぐに勘付いたのだろう、頷く。そのまま使用人に詰め寄った。
「今はどこに!」
「それが、あまりにも早く……申し訳ありません、取り逃がしました」
恐らく攫われたわけではない。しかし、ここで逃がしては……まずい。
ギャムシアは使用人に追跡を命じると、彼が飛び出していくのを見届けた。そのまま、ラチカに向き合う。
「結界が掘り起こされたって言ったな。結界は張り直せるか」
「急いで結界の楔を造れば大丈夫、半日くらいは見てもらった方がいいかも。でも、どうせなら」
シャイネを見る。彼は頷いた。
「お嬢様の血を使う以上、その後は休養が必要になります。その間に攻め込まれた場合はそれこそ元も子もないので、エヴァイアンから応援を呼んだ方がいいですね」
「ラチカの師匠か。だが烏は全滅したと……ああなるほど、それを見越してか」
つまり言い換えれば、それだけディグレオはエヴァイアンから応援を呼ばれる事を危惧しているという事だ。
ギャムシアはしばらく悩むそぶりを見せていたが、ふと閃いたようにポシャロを呼んだ。端の方でで大人しくしていたポシャロは、ぱたぱたと駆け寄ってくる。
「烏の代わりだ。お前、エヴァイアンの一番大きな教会に行けるな?」
ポシャロは否定するようなそぶりを見せる事なく、軽く吠えた。そんな愛犬の頭を撫でながら、ギャムシアはラチカを見る。
「烏にゃさすがに及ばねぇが、レヂセマシュトルの犬のポシャロなら馬車で直接エヴァイアンに行くよりは断然早い。いいな」
「わ、わかった。じゃあ、改めて手紙書き直した方がいいよね、もう師匠宛で」
「念には念を入れて暗号文にしておけ。万が一ポシャロを単騎狙いされた時の事も踏まえてだ」
それを覚悟の上で行かせるのか。いや、それもポシャロを信頼しての事だろう。
手紙の用具を一式用意しながら、ギャムシアはシャイネの方に向き直った。
「お前は至急全使用人を広場に招集して、情報を共有しろ。それを元に作戦を組む。ポシャロにも手伝わせろ」
「かしこまりました、ただちに」
シャイネはポシャロを連れ、すぐさま公務室を出て行った。そのせいで、ラチカとギャムシアの二人きりになる。
重い沈黙が流れる中、先に口を開いたのはギャムシアだった。
「……サガリオット様が、おられるのか」
ハッとして、頷く。当のサガリオットは何も言わず、ただ天井近くに浮遊している。
「見えない、よね」
「ああ。……どちらに」
天井を指さす。サガリオットは気を遣ったのか、そろりと降りてくる。ギャムシアにはその存在が認識出来ないはずだが、なんとなくは分かるらしい。彼の顔を見ると、見た事の無い顔だった。今にも、泣きだしてしまいそうな。
そのまま、絞り出される声。
「……俺の技力が、及ばなかったばかりに。貴方のいのちを、延ばしきれなかった……」
サガリオットは黙って聞いている。ギャムシアは顔を伏せていた。その下の表情は、見えない。
「青二才で、若造で、生意気で。周囲に医者なんか目指したところで、人のいのちを救えるわけなんて、って。言われていたのに。様々な臨床実験の場を与えてくださって。だからこそ俺は、技術を磨けた」
医療は、大陸ではもはや魔法の域である。皮膚の再生のメカニズムは太古からなんとなくは皆分かっていたものの、自然治癒では追いつかない怪我や病魔には誰もかなわない……それが大陸の人間の奥底にある共通認識だった。
それを覆したのは、アスパロロクだ。海の近くにある国家ゆえに大陸外から渡来する生物から疫をもらいがちだったその国は、自衛のために医療が発達したのだと聞いた。
「……それを、恩人にこそ発揮すべきだったのに……!」
ギャムシアの背は、震えている。しかしラチカには、自身の言葉をかけられなかった。だからこそ、サガリオットを見る。彼は穏やかに、靄を揺らした。
「余は、救われた」
ハッとした様子で、ギャムシアの顔が上がった。その顔は、濡れている。
ラチカはサガリオットの声を聴きながら、彼に一拍遅れをとる形で言葉を繰り返す。
「世継ぎの決まっていない、あの死んではならぬ時、その時にこそお前は余を救ってくれた。あれは結局のところ天命だったのだ。そこを超えようなどそれは人としてはならぬ所業」
紡がれる言葉を聞きながら、ギャムシアはそっと頷く。
「……至極、光栄に思います。国主様」
当代国主の言葉に、大きな靄を揺らすようにしてサガリオットは頷いた。
「かしこまりました。あと新薬はもうお持ちしております」
「お前本当優秀だな、さすが俺の妻になる女の従者なだけある」
「その口縫い上げてやりましょうか」
その妻になる女の口を縫い上げた、というのはさすがに黙っておいた。
あの試合から、ギャムシアはシャイネを常に傍に置いていた。他の使用人は皆ラチカの輿入れに向けての試運転だと薄々勘付いているようで、文句は誰も言わなかった。それはそれで腹立たしいが、一度認めてしまったからには何もとりなせなかったというのが本音である。
シャイネは微量の液体が入った細長いガラス筒をギャムシアに渡し、かわりに書類を受け取った。丁寧に素早く畳みながら、憎々し気に口を開く。
「それより本当にお嬢様はどちらにいらっしゃるのですか、離れには一切気配を感じられませんよ」
シャイネには未だに地下室の話はしていない。せっかく表面上は屈服させられたのに、そんな弱みのようなものを掴ませればいつ牙に変えるか分かったものではない。
「いやだから離れだって。あいつは新年行事の報告書作りで俺でも経験した事の無い缶詰作業中だって何回言や分かる」
「新年行事なんてお嬢様が投身自殺まがいを引き起こしたくらいしかありませんよ、はい終了です。会いに行ってきます」
「ざっけんな! ったくもう大人しくこっちの仕事しやがれクソガキ!」
執事長なら穏やかに微笑んでただ言いなりになっていたのに。それともラチカの事さえなければ、本当に従順な使用人だったのだろうか。
そういえば、執事長の姿を全然見ない。シャイネを傍におく、と伝えたらお暇だとか言って消えていったが。それにしても、一切姿を現さないのは一体どういうことなのか。別に休みをくれてやったわけではないのに。
彼はアスパロロクから引き継ぐ形で、ギャムシアに譲られた。新しい主である自分にもそれなりに忠義を尽くしてくれているとは思う。
「おい、クソガキこの書類もだ」
「かしこまりました、下種野郎」
しかしひとつ疑念が残る。
彼が以前仕えてた前国主……サガリオット・アスパロロクにも彼は仕えていたという。しかしギャムシアはサガリオットの主治医として当時から国主邸に出入りしており、ある程度使用人の顔は把握していた。そんな中でも、あの執事長はいなかった。名前だけは聞いていたが、彼がギャムシアの前に初めて姿を現したのはギャムシアが国主になってから数年後の事である。
執事長、パイヤ・クルァトー。その名前しか、しばらく知らなかった。
「……ん」
「どうしたクソガキ」
「お黙りください。音が……これは、」
耳を澄ませる。確かに、バタバタと忙しない音が聞こえる。人間の足音よりも重い。
シャイネはギャムシアに視線を送り、忍び足で扉に近付いた。その瞬間、バンッと大きな音がして扉が押し開かれる。
「ぶっ!?」
直撃だった。扉の圧に吹っ飛ばされる形で、シャイネの体が宙に浮く。そのまま床を転げていった。そんなシャイネを指さしながら、ギャムシアはゲラゲラ笑う。
「ぶは、ちょ、大丈夫かよクソガキ! あーはは、やべっ鼻血出てら。まあお前なら、ふは、はは、すぐ」
「わーっごめんシャイネ! わざとじゃないんだよ本当だよ!」
飛び込んできた主……ラチカは半泣きで叫ぶ。ポシャロに乗ったまま駆け寄ってくる主に、シャイネは呆然とした目を向けてくる。
「お、じょ、さま……?」
ギャムシアの目が、すっと冷える。予想はしていたが、やはり……怖い。背筋が緊張で強張る。
ギャムシアはそっと、口を開いた。
「まあ、愉快なもん見れたし。とりあえずどうやって抜け出したか聞くのはあとにしてやる」
「す、すみません……」
要するにここでシャイネをぶっ飛ばしていなければ、どうなっていたか分かったものではないという事か。シャイネには悪いがその事に安堵と恐怖しながらも、ラチカは溜息を吐いた。
しかし、サガリオットの説明をするには脱出の経緯の説明も必要になる気がする。天井を仰ぐと、サガリオットは穏やかに天井を旋回していた。
『ふむ、懐かしい。わずかだが……改装したか。しかしほぼほぼ、変わりは……無いな』
そうか、ここはかつてサガリオットにとっても公務室だったのか。先程より穏やかな声に、安心する。亡霊だからこそ顔が無く靄のみではあるが、声の感じでは案外表情が出る系統なのかもしれない。
「何天井見てんだ」
やはり、ギャムシアには見えないか。そしてシャイネにも見えていないはずだ。
……説明は避けられないだろう。言うしかない。
「あの、ちょっと聞いてもらいたいことあるの。二人に」
信じてもらえるかは分からない。それでも、やむを得ない。
二人は黙って聞いてくれた。シャイネの手前さすがに地下室の事は言えないので、あくまで自室で作業の缶詰にされていた事にはしたが。
サガリオットの名も、出した。その瞬間わずかにギャムシアの眉が歪んだが、それだけだった。ラチカの話が終わるまで何も言わずにおいてくれるらしい。当のサガリオットは、そわそわと天井を漂っているだけだった。口を挟んでも、ギャムシアに聞こえないからという事だからだろうが。
「……なるほどな」
ラチカの話が終わったのを見計らったのか、ギャムシアは重く溜息を吐く。
「パイヤ・クァルトーは偽名。その正体はかつての大悪党……ふん、有り得ねぇって事は無さそうだ」
「まさかの」
「長くなるから省くが、確かに不審な点が多いんだよあいつは。お前も何かしら掴んでたんだろ、クソガキ」
ハッとしてシャイネを見ると、彼はいつもの感情の見えない表情で軽く頷いた。
「誠実な人間ではないな、と思っていたくらいです。少なくとも俺は何度か嘘をつかれています。あくまでこの下郎国主様に言いくるめられて、というのもあるのでしょうが……あと、あの件もあります」
「ああ、朝言ってた話か」
何の事かは分からないが、反応的には悪くはない。案外信じてくれてはいるのか。都合がいい。
その時だった。すでに開かれたままだった扉の向こうから、使用人が飛び込んでくる。
「国主様! 侵入者です!」
「なに?」
ハッとして、使用人を見る。彼は慌てた様子で、早口でまくしたてた。
「人数は五名、しかし恐らくまだ居るかと。執事長と伝書烏が皆、攫われました!」
「は!?」
ぎょっとしてシャイネと顔を合わせる。シャイネもまたすぐに勘付いたのだろう、頷く。そのまま使用人に詰め寄った。
「今はどこに!」
「それが、あまりにも早く……申し訳ありません、取り逃がしました」
恐らく攫われたわけではない。しかし、ここで逃がしては……まずい。
ギャムシアは使用人に追跡を命じると、彼が飛び出していくのを見届けた。そのまま、ラチカに向き合う。
「結界が掘り起こされたって言ったな。結界は張り直せるか」
「急いで結界の楔を造れば大丈夫、半日くらいは見てもらった方がいいかも。でも、どうせなら」
シャイネを見る。彼は頷いた。
「お嬢様の血を使う以上、その後は休養が必要になります。その間に攻め込まれた場合はそれこそ元も子もないので、エヴァイアンから応援を呼んだ方がいいですね」
「ラチカの師匠か。だが烏は全滅したと……ああなるほど、それを見越してか」
つまり言い換えれば、それだけディグレオはエヴァイアンから応援を呼ばれる事を危惧しているという事だ。
ギャムシアはしばらく悩むそぶりを見せていたが、ふと閃いたようにポシャロを呼んだ。端の方でで大人しくしていたポシャロは、ぱたぱたと駆け寄ってくる。
「烏の代わりだ。お前、エヴァイアンの一番大きな教会に行けるな?」
ポシャロは否定するようなそぶりを見せる事なく、軽く吠えた。そんな愛犬の頭を撫でながら、ギャムシアはラチカを見る。
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手紙の用具を一式用意しながら、ギャムシアはシャイネの方に向き直った。
「お前は至急全使用人を広場に招集して、情報を共有しろ。それを元に作戦を組む。ポシャロにも手伝わせろ」
「かしこまりました、ただちに」
シャイネはポシャロを連れ、すぐさま公務室を出て行った。そのせいで、ラチカとギャムシアの二人きりになる。
重い沈黙が流れる中、先に口を開いたのはギャムシアだった。
「……サガリオット様が、おられるのか」
ハッとして、頷く。当のサガリオットは何も言わず、ただ天井近くに浮遊している。
「見えない、よね」
「ああ。……どちらに」
天井を指さす。サガリオットは気を遣ったのか、そろりと降りてくる。ギャムシアにはその存在が認識出来ないはずだが、なんとなくは分かるらしい。彼の顔を見ると、見た事の無い顔だった。今にも、泣きだしてしまいそうな。
そのまま、絞り出される声。
「……俺の技力が、及ばなかったばかりに。貴方のいのちを、延ばしきれなかった……」
サガリオットは黙って聞いている。ギャムシアは顔を伏せていた。その下の表情は、見えない。
「青二才で、若造で、生意気で。周囲に医者なんか目指したところで、人のいのちを救えるわけなんて、って。言われていたのに。様々な臨床実験の場を与えてくださって。だからこそ俺は、技術を磨けた」
医療は、大陸ではもはや魔法の域である。皮膚の再生のメカニズムは太古からなんとなくは皆分かっていたものの、自然治癒では追いつかない怪我や病魔には誰もかなわない……それが大陸の人間の奥底にある共通認識だった。
それを覆したのは、アスパロロクだ。海の近くにある国家ゆえに大陸外から渡来する生物から疫をもらいがちだったその国は、自衛のために医療が発達したのだと聞いた。
「……それを、恩人にこそ発揮すべきだったのに……!」
ギャムシアの背は、震えている。しかしラチカには、自身の言葉をかけられなかった。だからこそ、サガリオットを見る。彼は穏やかに、靄を揺らした。
「余は、救われた」
ハッとした様子で、ギャムシアの顔が上がった。その顔は、濡れている。
ラチカはサガリオットの声を聴きながら、彼に一拍遅れをとる形で言葉を繰り返す。
「世継ぎの決まっていない、あの死んではならぬ時、その時にこそお前は余を救ってくれた。あれは結局のところ天命だったのだ。そこを超えようなどそれは人としてはならぬ所業」
紡がれる言葉を聞きながら、ギャムシアはそっと頷く。
「……至極、光栄に思います。国主様」
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