人生最後の居酒屋でガオと一皿

かぎのえみずる

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episode1-1 親子丼

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 春の季節、暖かい日差しの中。桜が病院の外で揺れている、残酷ざんこく光景こうけいだった。
 家族に見守られている。
 まだまだ大丈夫だと思っていた延命装置えんめいそうちはとうに外されている。
 ぴっぴっと電子音が弱々しくなる度に、家族は泣いている。
 ベッドに横になっている今の状況で、未来を期待する人々はいないだろう。

 孫や娘に微笑ほほえむ。
 手を伸ばせば、握ってくれて。その手が自分より力強いと安心する。
 そういえば娘は、妻が死んでからは気落ちしたときには親子丼をよく作ってくれていた。
 娘は料理が苦手だったのに、いつの間にこんなに上手になったんだと感動したのを覚えている。
 この逞しい手で作ってくれていたのかと、少しじんわりとする。
 苦労のしてきた手だ。でも、幸せの手だ。

「少し、春にしては寒いな」


 笑えば意識が微睡まどろむ。家族の叫ぶ声が聞こえる。

 悲しまなくても良いよ。きっとすぐに忘れるよ。最初は辛いかもしれないけど、貴方たちなら乗り越えられるから。

 目を閉じると、突然、白い光に包まれた。冷たい病院の空気は消え、足元には硬い土と柔らかな花の香り。遠くに、花畑に囲まれた屋敷が見える。その中心には、巨大なクリスタルが輝き、眠る女性が閉じ込められていた。白い空間はまるで日差しの中にいるような明るさだ。昼間のような明るさだろうか。
 ここは、天国か? それとも、夢の続きか?

「あっ! お客さんだー!」

 弾けるような声に振り返ると、犬耳の少年が立っていた。赤と青の髪が春風に揺れ、エプロンの名札には「ガオ」と書かれている。彼の笑顔は、まるで娘の親子丼のような温かさで、心を溶かされる感覚だ。
 ガオは近づいてくると此方を押しのけ、女性が閉じ込められているクリスタルを一生懸命いっしょうけんめい磨いてから、此方へ振り返った。

「何食べたい? うちは中華、和食、洋食。なんでもあるよ」
「……お腹はすいてないな、それに私は歯もなくなった……あれ?」
 
 入れ歯ではない事実に気づく。普通に話せるし立派な歯が生えている。
 今まで気づかなかったけれど、これじゃあまるで健康体だったころの自分みたいな体だ。
 健康体のまま老いたような体だと気づいて自分の手をまじまじと見つめる。
 
「そう。じゃあお腹がすくまでお店で待っている?」

 本来店とはお腹がすいてからはいるものではないのかと混乱しながらガオに手を引かれ、店の中に入る。今なら何でも食べられる気がして。
 
(入院や終活だったから、しばらく固形物を口にしていない。それでも今なら大丈夫な気がする、不思議だ。
 それなら食べてみたい。最後の最後に何でも良いから美味しい物を……)
 
 屋敷は居酒屋だったようで、店内はメニューのお品書きでいっぱいだ。お品書きは和洋中本当に混在していて、中には洋菓子や和菓子も書いてある。
 カウンターとテーブル席があり、カウンターには紺色のクッションが敷かれていて、カウンターに腰をかける。
 不思議ふしぎと落ち着く店内で、木材に紺色が基調となっている様子だった。キョロキョロ見回せば客は数人おり、何名かに店員が対応していた。
 お客さんは美味しいと涙しながら食べている人や、項垂れて吐きそうな顔でもう食べない人がいて極端な客層だ。
 そのうち美味しいと食べていた人も吐きそうに食べていた人もゆっくり輝いて消えていく。
 不思議な光景にビックリする。消えてしまうのだろうか……? それでもいい、美味しい物を食べられるならもうなんでもいい。
 いつも心引かれる焼き鳥やビールには目が行かなかったし、心も引かれなかった。

「ここはどこだい」
「お店さ、居酒屋。何でも食べられる居酒屋。でもそれ以外は言っちゃいけないんだ」
「店主に命じられているのか」
「そんなかんじ。あとは中華と和食と洋食で担当する板前が違うんだ。甘い物がいいなら、俺だけどね!」
「そうなのか。なんで食事をさせたいんだ」
「ご飯はね、一番その人の心を現すからだよ。どうしたいのか、何が欲しいのか、苦しいのか嬉しいのか」

 この子の言ってることはよくわからないな、と感じるが。それでも不信ではなかった。
 此方のためにと一生懸命考えているだろう健気さも伝わったし、何より何かどこかで見たことある懐かしさもあった。
 愛らしさから何となくガオを撫でると、朗らかに大笑いして尻尾が大きく揺れた。
 期待通りの愛嬌に、心が温かくなる。

「じゃあ、そうだな」
 この子を見ていると娘の作った親子丼を思い出す。他人に活力を与えるような朗らかさは、どこか似ていた。
 あれを思い出すと、やけに腹が減ってくる気がしてくる。
 
「親子丼を頼むよ。娘がね、仕事で疲れた日はエネルギーつけてねってよく作ってくれたんだ。
 カツ丼だと私には重いからね」
「そっかあ!! じゃあ和食だね、呼んでくるよ板前!」

 にこにこと笑った少年は、私の隣に座っていたのだがぱたぱた奥の方へ駆けていく。
 途中で冷ややかな店員が「走るな」と告げていて、ガオはやだー!と反抗した。

「オーダー入ったよ、和食だって! 親子丼!」
「わかったわかった、じゃあ俺様の出番だな! お客さん待ってな、最高の物を俺様が食わせてやろう!」

 店の奥から現れたのは黒髪と赤い髪の毛が入り交じった、やんちゃそうなお兄さん。
 エプロンをしていて、見目も格好良い。とても気さくな雰囲気ではあったが、それと同時に我の強さも感じる強気な目をしていた。
 存在感が強く、決して一般人になれない華も感じる。
 にやっと笑いかけてくれば、レシピ本を見ながら作るお兄さん。
 大丈夫かな、この人。名札にも「名無し」としか書いてないし。
 板前はカウンター越しに厨房で、マル秘と書かれたノートを取り出し、調理していく。こんな目の前に色々煮詰められた鍋だらけの厨房の主が、こんな調子で大丈夫なのか?
 板前がレシピノートを見ながら作るとか、前代未聞ぜんだいみもんだぞ。
 心配になる気持ちとは裏腹に、あっという間に出来がり、親子丼は目の前に差し出された。

「おまちどおさん。熱いから気をつけな」
 
 私は器と箸を受け取り、割り箸をぱちっと割って匂いを嗅ぐ。
 お味噌汁と漬物までついてくるのだから親切だ。
 カウンター越しにガオがじっとこちらを見守っている。目元が穏やかだった。
 お兄さんも私の様子を見守ってからはっとして、素知らぬ顔をして視線をそらした。


 まずはお味噌汁に手を付ける。
 とても暖かくて何年も飲んできたように馴染む味だ。
 体が温まっていくのを感じる。先ほど何を求めているのか食事で分かると言っていたが、なるほど温かい物がほしかったのか。
 暖かさはご馳走だ。最後の晩餐ばんさんにふさわしい。
 親子丼に箸を伸ばせば、肉汁と卵のふわふわが口の中に滑ってくる。
 熱々ながらも、火傷しない火加減が絶妙で。この歯ごたえを直に感じるのは久しぶりで、それだけでも嬉しい。
 噛めば味が滲み、ご飯の甘さが際立つ。時折ときおり煮汁がご飯にしみていて、これをかみしめるとまた美味しい。
 はふはふと食べるとお腹が満たされていく。

「ッはあ~……」
「おいしい?」
「……うん、美味しいな。娘の親子丼と似ている」
「どんな親子丼だったの」
「とても、優しい味で。誰よりも、素朴で。
 ああそうだな、これを食べた次の日は、なにがあっても頑張れたなあ……」
「おいしい? おいしかった?」
「こら、ガオ。あまりべたべたすんな」
 
 名無しと名札の青年が、ガオの額をぺちっと叩くとガオはくうんと項垂うなだれ寂しげだったから、つい笑ってしまった。

「うん、ああでも。手持ちがねないんだよ、申し訳ないけど入院していたから」
「いいんだ。だって美味しかったなら、それが『答え』だから。貴方は、きっとまだ大丈夫」

 ガオがにこにことしながら、カウンター越しに私の手を握る。
 ガオはぽろぽろと涙を零して、「お元気で」と祈った。
 その祈り姿が、まるで暖かいお日様みたいだったんだ……。
 祈られた体が光放ち、シャボン玉のようにはじけた。


 *


 瞬きをすれば先ほどの居酒屋は消えていて。
 病院の中にいると気づく。しっかりと口には歯がない。いつもの私だ。入れ歯をたぐり寄せ嵌める。
 家族があっけにとられた目で見ている。
 外は大きな風が吹いている様子で、桜の木が揺れていて、桜吹雪が舞っている。
「い、生き返った……?!」

 家族が大喜びで私に抱きついている。
 脈は安定してきて、電子音が力強くなってきた。
 いったいどういうことだと、医者も看護師も顔を見合わせている。

「もう少しだけ、苦労をかけるよ」

 状況を把握はあくした。
 あのご飯屋さんでご飯を食べたお陰で、よみがえったのだろうと。
 あの世に行きかけて、三途さんずの川じゃなかった体験者は私だけなのだろうかと小首かしげ。
 今はただ、娘のうれし涙に笑った。
 
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