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チャプタ―76
ダメな安倍晴明76
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晴明のことも気がかりではあったが、晴俊は邸を離れて四条以北の一角を訪れた。そこは、彼の懸想している女人と、彼女の間の子どもが暮らしている屋敷だった。
彼女の声でも聞こえぬかと、晴俊は耳をすます。門扉の内側からなにやら、行くぞ、という子どもの声が聞こえた。
内側から戸口を開いて幼児が姿を現した。身なりからして雑人の子どもといったところだろう。何らかの事情で屋敷に足を踏み入れていたものの退屈で外に出てきたというところか。
「これ、待ちなさい」
晴俊は子どもに声をかけた。
ん? と子どもは呼び止められたことが不思議といった表情を浮かべる。
「外は危ない。母御もおられるときに出歩くといい」
「えー、でもお屋敷は退屈なんだよ、窮屈だし」
子供らしい屈託のない主張に、晴俊の口もとがゆるんだ。
「したが、そもじに何かあれば母は涙することになるぞ」
「んー」
「悪いことは申さぬ、止めておけ」
晴俊の微苦笑の言葉に、
「うーん、わかった」
と子どもはうなずいた。
と、ふたたび門扉の内側が想像しくなる。牛の鳴き声が聞こえた。どうやら、邸の主が出かけるらしい。
開いた戸口の方から、
「いってらっしゃい、あなた」
と子どもを抱いて見送る、晴俊が懸想する女人の姿が見えた。
あのように大きゅうなって――子どもの成長に、晴俊は目もとが熱くなるのを感じた。その場で泣き出してしまいそうだった。
醜態をさらす前に晴俊は早足にその場を離れて歩き出した。
晴明の世話が自分のもとを離れた折に晴俊は野菊のもとに向かった。
「野菊、息災か」
祈りに似た思いが声を大きくした。
返事は、ない。嫌な予感をおぼえながら小屋のの筵をめくって中に入った。こんなことなら、いっそ愛する女人が病だと言って無理やりにでも邸に彼女を招いておくのだったと晴足は思った。
総身が凍りついた。凍える、凍てついた。
板敷の上、駆け具から這い出た姿勢で動かなくなっている人影を見つけたのだ。
「野菊」
押し出されるように晴足の口からその名が漏れる。
一拍遅れて晴足は彼女に歩み寄った。だが、野菊がそれに反応することはなかった。目を閉じているが、眠っているのではないことは気配でそれと分かる。
「野菊」
呼びながら晴足は彼女の手をとった。
「すまなかった。まことにすまなかった」
両の目から透明なしずくが溢れてくる。今さらどうしようもないのが分かっているからこそ、尽きることのない後悔が胸にわいてきた。
己が側にいても助けることはできなかったのかもしれない。だが、最期の瞬間を孤独に過ごさせずには済んだかもしれなかった。
「ああ、野菊」
どれだけの時間か、晴俊が心配して探しに来るまで彼はその場にうずくまっていた。
晴俊が来てからは、事情を知った彼が雑人を連れてきて簡略な葬送の準備を済ませた。晴足はただ黙ってその光景を見つめていた。
正直、何をどうしたのか定かには憶えていない。ただ、野菊が逝ってしまった、という事実だけが胸に残った。
彼女の声でも聞こえぬかと、晴俊は耳をすます。門扉の内側からなにやら、行くぞ、という子どもの声が聞こえた。
内側から戸口を開いて幼児が姿を現した。身なりからして雑人の子どもといったところだろう。何らかの事情で屋敷に足を踏み入れていたものの退屈で外に出てきたというところか。
「これ、待ちなさい」
晴俊は子どもに声をかけた。
ん? と子どもは呼び止められたことが不思議といった表情を浮かべる。
「外は危ない。母御もおられるときに出歩くといい」
「えー、でもお屋敷は退屈なんだよ、窮屈だし」
子供らしい屈託のない主張に、晴俊の口もとがゆるんだ。
「したが、そもじに何かあれば母は涙することになるぞ」
「んー」
「悪いことは申さぬ、止めておけ」
晴俊の微苦笑の言葉に、
「うーん、わかった」
と子どもはうなずいた。
と、ふたたび門扉の内側が想像しくなる。牛の鳴き声が聞こえた。どうやら、邸の主が出かけるらしい。
開いた戸口の方から、
「いってらっしゃい、あなた」
と子どもを抱いて見送る、晴俊が懸想する女人の姿が見えた。
あのように大きゅうなって――子どもの成長に、晴俊は目もとが熱くなるのを感じた。その場で泣き出してしまいそうだった。
醜態をさらす前に晴俊は早足にその場を離れて歩き出した。
晴明の世話が自分のもとを離れた折に晴俊は野菊のもとに向かった。
「野菊、息災か」
祈りに似た思いが声を大きくした。
返事は、ない。嫌な予感をおぼえながら小屋のの筵をめくって中に入った。こんなことなら、いっそ愛する女人が病だと言って無理やりにでも邸に彼女を招いておくのだったと晴足は思った。
総身が凍りついた。凍える、凍てついた。
板敷の上、駆け具から這い出た姿勢で動かなくなっている人影を見つけたのだ。
「野菊」
押し出されるように晴足の口からその名が漏れる。
一拍遅れて晴足は彼女に歩み寄った。だが、野菊がそれに反応することはなかった。目を閉じているが、眠っているのではないことは気配でそれと分かる。
「野菊」
呼びながら晴足は彼女の手をとった。
「すまなかった。まことにすまなかった」
両の目から透明なしずくが溢れてくる。今さらどうしようもないのが分かっているからこそ、尽きることのない後悔が胸にわいてきた。
己が側にいても助けることはできなかったのかもしれない。だが、最期の瞬間を孤独に過ごさせずには済んだかもしれなかった。
「ああ、野菊」
どれだけの時間か、晴俊が心配して探しに来るまで彼はその場にうずくまっていた。
晴俊が来てからは、事情を知った彼が雑人を連れてきて簡略な葬送の準備を済ませた。晴足はただ黙ってその光景を見つめていた。
正直、何をどうしたのか定かには憶えていない。ただ、野菊が逝ってしまった、という事実だけが胸に残った。
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