117 / 307
第五章 王国動乱
108.入城(2)
しおりを挟む「クリュセとは、相性が悪い」
葡萄酒を注ぐマエルが、表情も変えずに出した名前は、北街区の娼館を取り仕切る女主人のものだった。
目の前に置かれたグラスをなみなみと満たす葡萄酒には目もくれず、ノクシアスは苦笑いを返した。
「俺もだ」
「だが、急ぎ交渉して貰わねばならぬ」
「へいへい」
肩をすくめたノクシアスは、グラスに口を付けた。
「美味いな」
「リーヤボルクで新王に立たれたアンドレアス陛下の元のご領地、フェデンシア大公国で、昨年の葡萄は作柄が良かったのだ」
「それで、王位にまで登り詰めたのか」
ノクシアスの軽口に、マエルは「それもある」と、真剣な表情を返した。
「無頼の口にまでは入らなかっただろうが、既にテノリア王国には出回り、アンドレアス陛下の軍資金となった。あながち冗談とは言えぬ」
「へぇ。王侯貴族様の味って訳だ」
「そういうことだな」
マエルも、口に含んだ葡萄酒を、満足気な表情で飲み下ろした。
「で? あのババアと交渉ってなんだ?」
「そう、悪し様に言うものではない。クリュセは、お前の母親だろう」
「家出息子の礼儀だよ」
「ふん。まあいい。王都の娼館をすべて、リーヤボルクの兵に格安で開放させたいのだ。もちろん、差額はこちらで補てんする」
「街娘を手籠めにして回る前にってことか?」
「そうだ。あの者たちは、折り紙つきにガラが悪い。急いで娼館に収めねば、なにをしでかすか分からぬ」
「無料でなくていいのか?」
「無料では褒美の使いどころがなくなる。それに、形だけでいい。王都ヴィアナの娼館が、自発的にリーヤボルク兵を歓迎するていを取ってもらいたいのだ」
「なるほどな」
ノクシアスは、柔らかいソファの背もたれに身を沈めて、皮肉気に口を歪めた。
「女にキャアキャア言わせて、いい気にさせておきたい訳だ」
「そうだ。今は抑えが効いているが、放っておけば王宮の侍女女官を犯して回ってもおかしくない連中だ」
「随分、やっかいなもんを押し付けられたな」
「それが秩序を壊し、新しい秩序を人に先んじて掴む端緒になる」
「分かった。すぐにやろう」
「頼んだ」
珍しく頭を下げたマエルに、ノクシアスも切迫した事情を感じた。
が、グラスには、まだ葡萄酒が残っている。
「しかし、ヴィアナ騎士団の万騎兵長を裏切らせるとは、さすがの手練手管だな。しかも、忠義に厚いと聞こえるスピロ様だ。旦那が手を突っ込むなら、くせ者のノルベリ様の方だと思ってたぜ」
せっかくの美酒を味わう間に、ノクシアスはマエルの腹を探りたかった。
どう言い包めたのか、ルカスの周囲にはリーヤボルク兵で溢れている。子飼いであるはずのザイチェミア騎士団も、容易には近付かせてもらえない様子が見てとれる。
王都の覇権の行方は、まだ曖昧模糊としている。
「スピロ様は、己の利得より、物事の筋目を重んじる忠義者……」
「そう聞いてるぜ?」
「スピロ様を万騎兵長に取り立てたのは、先王ファウロス陛下だ」
「それが、スピロ様の筋目……、って訳か」
「覚えておくといい。常に真っ直ぐ王道を歩みたい者には、どちらが進むべき『正面』かを教えてやるだけで良いのだ」
「ほう……」
「真っ直ぐに猪突猛進すれば、ついていけぬ者も出る」
「だから、5,000しか率いていなかったのか」
「騎士団同士で殺し合ったほかに、離脱した千騎兵長もおるやに聞く」
「怖い怖い。王国には、どこまでマエルの旦那の毒が回っていることやら」
グラスを空にしたノクシアスは席を立った。
――いや。俺自身が、その毒か。
と、暗い笑みを浮かべ、瀟洒な扉に手をかけた。
「いずれ、サミュエル様にも引き合わせよう」
送り出すマエルの言葉には返事を濁し、母親が経営する娼館に向かった。
――ノクシアスめ。聖山の民の誇りまでは売り払わぬ……、といったところか。
目を細めたマエルの脳裏に、若き日のアンドレアスの姿が浮かんだ。人としての器は段違いだが、若者の野心にはくすぐられるものがある。
王都に満ちたリーヤボルク兵の本性が知れ渡るに連れ、獣行を未然に防いだノクシアスの名も高まるであろう。そうすれば、より役に立つ手駒になる――。
思案を巡らせているマエルのもとに、ペトラ姉内親王とファイナ妹内親王が王都に帰還したとの報せが届いた。
「当面の手駒がそろったな」
そう呟いたマエルは、腰を上げ、サミュエルが陣取る国王宮殿に向かった。
63
あなたにおすすめの小説
魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
巻き込まれて異世界召喚? よくわからないけど頑張ります。 〜JKヒロインにおばさん呼ばわりされたけど、28才はお姉さんです〜
トイダノリコ
ファンタジー
会社帰りにJKと一緒に異世界へ――!?
婚活のために「料理の基本」本を買った帰り道、28歳の篠原亜子は、通りすがりの女子高生・星野美咲とともに突然まぶしい光に包まれる。
気がつけばそこは、海と神殿の国〈アズーリア王国〉。
美咲は「聖乙女」として大歓迎される一方、亜子は「予定外に混ざった人」として放置されてしまう。
けれど世界意識(※神?)からのお詫びとして特殊能力を授かった。
食材や魔物の食用可否、毒の有無、調理法までわかるスキル――〈料理眼〉!
「よし、こうなったら食堂でも開いて生きていくしかない!」
港町の小さな店〈潮風亭〉を拠点に、亜子は料理修行と新生活をスタート。
気のいい夫婦、誠実な騎士、皮肉屋の魔法使い、王子様や留学生、眼帯の怪しい男……そして、彼女を慕う男爵令嬢など個性豊かな仲間たちに囲まれて、"聖乙女イベントの裏側”で、静かに、そしてたくましく人生を切り拓く異世界スローライフ開幕。
――はい。静かに、ひっそり生きていこうと思っていたんです。私も.....(アコ談)
*AIと一緒に書いています*
転生幼女は幸せを得る。
泡沫 呉羽
ファンタジー
私は死んだはずだった。だけど何故か赤ちゃんに!?
今度こそ、幸せになろうと誓ったはずなのに、求められてたのは魔法の素質がある跡取りの男の子だった。私は4歳で家を出され、森に捨てられた!?幸せなんてきっと無いんだ。そんな私に幸せをくれたのは王太子だった−−
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
異世界に転生したら?(改)
まさ
ファンタジー
事故で死んでしまった主人公のマサムネ(奥田 政宗)は41歳、独身、彼女無し、最近の楽しみと言えば、従兄弟から借りて読んだラノベにハマり、今ではアパートの部屋に数十冊の『転生』系小説、通称『ラノベ』がところ狭しと重なっていた。
そして今日も残業の帰り道、脳内で転生したら、あーしよ、こーしよと現実逃避よろしくで想像しながら歩いていた。
物語はまさに、その時に起きる!
横断歩道を歩き目的他のアパートまで、もうすぐ、、、だったのに居眠り運転のトラックに轢かれ、意識を失った。
そして再び意識を取り戻した時、目の前に女神がいた。
◇
5年前の作品の改稿板になります。
少し(?)年数があって文章がおかしい所があるかもですが、素人の作品。
生暖かい目で見て下されば幸いです。
ペットたちと一緒に異世界へ転生!?魔法を覚えて、皆とのんびり過ごしたい。
千晶もーこ
ファンタジー
疲労で亡くなってしまった和菓。
気付いたら、異世界に転生していた。
なんと、そこには前世で飼っていた犬、猫、インコもいた!?
物語のような魔法も覚えたいけど、一番は皆で楽しくのんびり過ごすのが目標です!
※この話は小説家になろう様へも掲載しています
知識スキルで異世界らいふ
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ
子育てスキルで異世界生活 ~かわいい子供たち(人外含む)と楽しく暮らしてます~
九頭七尾
ファンタジー
子供を庇って死んだアラサー女子の私、新川沙織。
女神様が異世界に転生させてくれるというので、ダメもとで願ってみた。
「働かないで毎日毎日ただただ可愛い子供と遊んでのんびり暮らしたい」
「その願い叶えて差し上げましょう!」
「えっ、いいの?」
転生特典として与えられたのは〈子育て〉スキル。それは子供がどんどん集まってきて、どんどん私に懐き、どんどん成長していくというもので――。
「いやいやさすがに育ち過ぎでしょ!?」
思ってたよりちょっと性能がぶっ壊れてるけど、お陰で楽しく暮らしてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる