198 / 307
第八章 旧都邂逅
186.声がそろった
しおりを挟む
旧都の静かな街並みで出くわした、水色がかった銀髪にアイカは見覚えがあった。
すらりとした顔の輪郭は往時のままであったが、そこに浮かぶ表情には翳がさしている。美しさを引き立てているようにも見えたが、人を遠ざける陰気さを放ってもいた。
アイカを認めると、視線を下げ二頭の狼をチラッと見た。
そして、足早に立ち去ろうとする美形の千騎兵長を、アイカが走って呼び止めた。
「カリトンさん! カリトンさんですよね!?」
アイカに袖をつかまれたカリトンは、しばらく無言でいたが、観念したようにゆっくりと顔を向けた。
「……久しゅうございます」
「ご無事でしたか……」
「ええ……」
アイカが、カリトンと最後に会ったのはリティアとの王都脱出の晩のことだ。
バシリオスとルカスの、スパラ平原での決戦直前。踊り巫女に扮して脱出を図ったリティアを発見したカリトンの太ももを、アイカが射抜いた。
立ち去ろうとする気配の消えたカリトンの袖から、そっと手を放した。
「……脚は……大丈夫ですか?」
「脚……?」
カリトンはしばらく考えて、ようやく思い出したようであった。
バシリオスの決起以来、多くの戦場を駆けた。それは、カリトンからすれば失態続きの記憶でもある。その一つでしかないアイカから受けた矢傷のことは、すっかり失念していた。
自らの名声を落とす出来事のひとつでもあり、無意識で忘れようとしていたのかもしれない。と、自嘲気味に口の端をゆがめた。
「……よかったら、二人でお話ししてくれませんか?」
というアイカの言葉を、追い付いていたカリュが遮った。
「なりません。せめてアイラをお側に。……お立場をお考えください、アイカ殿下」
「……殿下?」
カリトンが眉を寄せ、訝しむ声をあげた。
「ヴィアナ騎士団千騎兵長カリトン様とお見受けいたします。私は、側妃サフィナ様の元の侍女長カリュ。現在は第3王女リティア殿下の侍女でございます」
「……存じております。リティア殿下にお仕えされたのは、王都を脱出される前のことでしたから」
「恐れ入ります。……アイカ様は、リティア殿下と義姉妹の契りを結ばれ御義妹君となられました。先ごろ王太后陛下よりも、ご自身の義孫とお呼びいただいた身。ゆえに、殿下とお呼びしております」
「…………」
カリュに促されたアイラが一歩前に出て、頭を下げた。
「北の元締シモンの娘、アイラにございます。アイカ殿下とタロウ、ジロウの、王都北郊の森での狩りの際にお目にかかったことがございます」
「……覚えております」
「今は、アイカ殿下に侍女としてお仕えしております」
カリトンは胸につかえるものを耐えるように、ぎこちなく息を吸い目を閉じた。
「…………時は……流れてゆくのですね」
「はい……」と、アイカが応えた。
「私の《時》は……いつからか、止まったままです……」
苦しそうな顔つきをしたカリトンを、アイカはそのままに別れることが出来なかった。
*
旧都を見晴らせる高台のテラスで、アイカはカリトンと並んでベンチに座った。側にはアイラが控え、少し離れたところでカリュやネビたちも待機している。
異世界に転生し、7年間のサバイバル生活を終え、王都ヴィアナに入った当日、アイカは既にカリトンと出会っている。配下の騎士に奴隷として売り飛ばされそうになったところをリティアに助けられた土間でのことだ。
リティア宮殿に入ってからは、毎日の狩りに護衛として付き添ってくれた。
弓の腕を褒めてくれ、不愛想な美少年騎士ヤニスの言葉を優しく通訳してくれた。獲物をさばいて昼食を一緒に食べた。リティアもいた。クロエもクレイアもいた。いちばん楽しかった頃の記憶に、カリトンの姿もあった。
しかし、バシリオスの決起――、いや、ファウロスによるバシリオスとルカスの追放で、風景は一変した。
リティア宮殿に使者として訪れたカリトンの葛藤に満ちた表情。脱出を図るリティアに追いすがる姿。
アイカ自身も、文字通りカリトンに矢を向けることになってしまった。
その2人が、並んで空を見上げる。
万騎兵長ノルベリ率いるヴィアナ騎士団8,000がハラエラに潜伏していることは伏せたが、いずれ王国に帰還するであろうリティアを援けるために旧都で時を待っている。カリトンはポツリポツリと、そのことを話した。
その口調からは、気力や気迫といったものが、ごっそり抜け落ちていた。
アイカは話を聞きながら、これまでのカリトンの来歴を、知っている限り頭の中でたどっていた。そして、リティアと関わることに複雑な想いを抱えているであろうことに、思いが至った。
カリトンの漂白されたような横顔を見上げた。
「あの……」
「はい」
「……リティア義姉様は、しばらく帰りません」
「…………そうですか」
「あの……もし、良かったら……」
その時、突然うしろから女の人の大きな声が聞こえた。
声のする方に目を向けると、カリュと押し問答をしている若そうな女性が見えた。すると、カリュを振り切るようにアイカの方に駆けて来る。
驚く間もなく女性はアイカの足もとで、滑り込むように平伏した。
「アイカ殿下! 私はナーシャと申します! どうか、どうか、私を召し抱えてくださいませ! どうか、どうか、私を殿下の旅にお連れ下さいませ!」
女性とアイカの間にはアイラが入っていたし、カリュやネビも追い付いてアイカの周囲を護る。また、カリトンも反射的にアイカを護る姿勢をとっていた。
ナーシャと名乗った女性が顔をあげた。表情からは悲壮な覚悟がうかがえる。
遠目には若く見えたが、近くで見るとそこそこ歳はいってそうな女性。青色の瞳に、青色の髪の毛。チワワのような可愛らしい顔立ち――、
「…………ア、アナスタシア……王妃陛下ですよね?」
アイカの言葉に、皆、ゆっくりと振り向いた。
「はあっ!?」
声がそろった。
すらりとした顔の輪郭は往時のままであったが、そこに浮かぶ表情には翳がさしている。美しさを引き立てているようにも見えたが、人を遠ざける陰気さを放ってもいた。
アイカを認めると、視線を下げ二頭の狼をチラッと見た。
そして、足早に立ち去ろうとする美形の千騎兵長を、アイカが走って呼び止めた。
「カリトンさん! カリトンさんですよね!?」
アイカに袖をつかまれたカリトンは、しばらく無言でいたが、観念したようにゆっくりと顔を向けた。
「……久しゅうございます」
「ご無事でしたか……」
「ええ……」
アイカが、カリトンと最後に会ったのはリティアとの王都脱出の晩のことだ。
バシリオスとルカスの、スパラ平原での決戦直前。踊り巫女に扮して脱出を図ったリティアを発見したカリトンの太ももを、アイカが射抜いた。
立ち去ろうとする気配の消えたカリトンの袖から、そっと手を放した。
「……脚は……大丈夫ですか?」
「脚……?」
カリトンはしばらく考えて、ようやく思い出したようであった。
バシリオスの決起以来、多くの戦場を駆けた。それは、カリトンからすれば失態続きの記憶でもある。その一つでしかないアイカから受けた矢傷のことは、すっかり失念していた。
自らの名声を落とす出来事のひとつでもあり、無意識で忘れようとしていたのかもしれない。と、自嘲気味に口の端をゆがめた。
「……よかったら、二人でお話ししてくれませんか?」
というアイカの言葉を、追い付いていたカリュが遮った。
「なりません。せめてアイラをお側に。……お立場をお考えください、アイカ殿下」
「……殿下?」
カリトンが眉を寄せ、訝しむ声をあげた。
「ヴィアナ騎士団千騎兵長カリトン様とお見受けいたします。私は、側妃サフィナ様の元の侍女長カリュ。現在は第3王女リティア殿下の侍女でございます」
「……存じております。リティア殿下にお仕えされたのは、王都を脱出される前のことでしたから」
「恐れ入ります。……アイカ様は、リティア殿下と義姉妹の契りを結ばれ御義妹君となられました。先ごろ王太后陛下よりも、ご自身の義孫とお呼びいただいた身。ゆえに、殿下とお呼びしております」
「…………」
カリュに促されたアイラが一歩前に出て、頭を下げた。
「北の元締シモンの娘、アイラにございます。アイカ殿下とタロウ、ジロウの、王都北郊の森での狩りの際にお目にかかったことがございます」
「……覚えております」
「今は、アイカ殿下に侍女としてお仕えしております」
カリトンは胸につかえるものを耐えるように、ぎこちなく息を吸い目を閉じた。
「…………時は……流れてゆくのですね」
「はい……」と、アイカが応えた。
「私の《時》は……いつからか、止まったままです……」
苦しそうな顔つきをしたカリトンを、アイカはそのままに別れることが出来なかった。
*
旧都を見晴らせる高台のテラスで、アイカはカリトンと並んでベンチに座った。側にはアイラが控え、少し離れたところでカリュやネビたちも待機している。
異世界に転生し、7年間のサバイバル生活を終え、王都ヴィアナに入った当日、アイカは既にカリトンと出会っている。配下の騎士に奴隷として売り飛ばされそうになったところをリティアに助けられた土間でのことだ。
リティア宮殿に入ってからは、毎日の狩りに護衛として付き添ってくれた。
弓の腕を褒めてくれ、不愛想な美少年騎士ヤニスの言葉を優しく通訳してくれた。獲物をさばいて昼食を一緒に食べた。リティアもいた。クロエもクレイアもいた。いちばん楽しかった頃の記憶に、カリトンの姿もあった。
しかし、バシリオスの決起――、いや、ファウロスによるバシリオスとルカスの追放で、風景は一変した。
リティア宮殿に使者として訪れたカリトンの葛藤に満ちた表情。脱出を図るリティアに追いすがる姿。
アイカ自身も、文字通りカリトンに矢を向けることになってしまった。
その2人が、並んで空を見上げる。
万騎兵長ノルベリ率いるヴィアナ騎士団8,000がハラエラに潜伏していることは伏せたが、いずれ王国に帰還するであろうリティアを援けるために旧都で時を待っている。カリトンはポツリポツリと、そのことを話した。
その口調からは、気力や気迫といったものが、ごっそり抜け落ちていた。
アイカは話を聞きながら、これまでのカリトンの来歴を、知っている限り頭の中でたどっていた。そして、リティアと関わることに複雑な想いを抱えているであろうことに、思いが至った。
カリトンの漂白されたような横顔を見上げた。
「あの……」
「はい」
「……リティア義姉様は、しばらく帰りません」
「…………そうですか」
「あの……もし、良かったら……」
その時、突然うしろから女の人の大きな声が聞こえた。
声のする方に目を向けると、カリュと押し問答をしている若そうな女性が見えた。すると、カリュを振り切るようにアイカの方に駆けて来る。
驚く間もなく女性はアイカの足もとで、滑り込むように平伏した。
「アイカ殿下! 私はナーシャと申します! どうか、どうか、私を召し抱えてくださいませ! どうか、どうか、私を殿下の旅にお連れ下さいませ!」
女性とアイカの間にはアイラが入っていたし、カリュやネビも追い付いてアイカの周囲を護る。また、カリトンも反射的にアイカを護る姿勢をとっていた。
ナーシャと名乗った女性が顔をあげた。表情からは悲壮な覚悟がうかがえる。
遠目には若く見えたが、近くで見るとそこそこ歳はいってそうな女性。青色の瞳に、青色の髪の毛。チワワのような可愛らしい顔立ち――、
「…………ア、アナスタシア……王妃陛下ですよね?」
アイカの言葉に、皆、ゆっくりと振り向いた。
「はあっ!?」
声がそろった。
61
あなたにおすすめの小説
魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
巻き込まれて異世界召喚? よくわからないけど頑張ります。 〜JKヒロインにおばさん呼ばわりされたけど、28才はお姉さんです〜
トイダノリコ
ファンタジー
会社帰りにJKと一緒に異世界へ――!?
婚活のために「料理の基本」本を買った帰り道、28歳の篠原亜子は、通りすがりの女子高生・星野美咲とともに突然まぶしい光に包まれる。
気がつけばそこは、海と神殿の国〈アズーリア王国〉。
美咲は「聖乙女」として大歓迎される一方、亜子は「予定外に混ざった人」として放置されてしまう。
けれど世界意識(※神?)からのお詫びとして特殊能力を授かった。
食材や魔物の食用可否、毒の有無、調理法までわかるスキル――〈料理眼〉!
「よし、こうなったら食堂でも開いて生きていくしかない!」
港町の小さな店〈潮風亭〉を拠点に、亜子は料理修行と新生活をスタート。
気のいい夫婦、誠実な騎士、皮肉屋の魔法使い、王子様や留学生、眼帯の怪しい男……そして、彼女を慕う男爵令嬢など個性豊かな仲間たちに囲まれて、"聖乙女イベントの裏側”で、静かに、そしてたくましく人生を切り拓く異世界スローライフ開幕。
――はい。静かに、ひっそり生きていこうと思っていたんです。私も.....(アコ談)
*AIと一緒に書いています*
転生幼女は幸せを得る。
泡沫 呉羽
ファンタジー
私は死んだはずだった。だけど何故か赤ちゃんに!?
今度こそ、幸せになろうと誓ったはずなのに、求められてたのは魔法の素質がある跡取りの男の子だった。私は4歳で家を出され、森に捨てられた!?幸せなんてきっと無いんだ。そんな私に幸せをくれたのは王太子だった−−
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
異世界に転生したら?(改)
まさ
ファンタジー
事故で死んでしまった主人公のマサムネ(奥田 政宗)は41歳、独身、彼女無し、最近の楽しみと言えば、従兄弟から借りて読んだラノベにハマり、今ではアパートの部屋に数十冊の『転生』系小説、通称『ラノベ』がところ狭しと重なっていた。
そして今日も残業の帰り道、脳内で転生したら、あーしよ、こーしよと現実逃避よろしくで想像しながら歩いていた。
物語はまさに、その時に起きる!
横断歩道を歩き目的他のアパートまで、もうすぐ、、、だったのに居眠り運転のトラックに轢かれ、意識を失った。
そして再び意識を取り戻した時、目の前に女神がいた。
◇
5年前の作品の改稿板になります。
少し(?)年数があって文章がおかしい所があるかもですが、素人の作品。
生暖かい目で見て下されば幸いです。
ペットたちと一緒に異世界へ転生!?魔法を覚えて、皆とのんびり過ごしたい。
千晶もーこ
ファンタジー
疲労で亡くなってしまった和菓。
気付いたら、異世界に転生していた。
なんと、そこには前世で飼っていた犬、猫、インコもいた!?
物語のような魔法も覚えたいけど、一番は皆で楽しくのんびり過ごすのが目標です!
※この話は小説家になろう様へも掲載しています
知識スキルで異世界らいふ
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ
子育てスキルで異世界生活 ~かわいい子供たち(人外含む)と楽しく暮らしてます~
九頭七尾
ファンタジー
子供を庇って死んだアラサー女子の私、新川沙織。
女神様が異世界に転生させてくれるというので、ダメもとで願ってみた。
「働かないで毎日毎日ただただ可愛い子供と遊んでのんびり暮らしたい」
「その願い叶えて差し上げましょう!」
「えっ、いいの?」
転生特典として与えられたのは〈子育て〉スキル。それは子供がどんどん集まってきて、どんどん私に懐き、どんどん成長していくというもので――。
「いやいやさすがに育ち過ぎでしょ!?」
思ってたよりちょっと性能がぶっ壊れてるけど、お陰で楽しく暮らしてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる