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第十一章 繚乱三姫
245.ひとり眠れぬ夜
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浴室のまえの脱衣場からはソフィアの賑やかな声がひびいてくる。
近侍の者たちも遠ざけているため、引っ張ってきたエカテリニの服をソフィアが脱がせてやっているようだ。
――ソフィア……義姉様も、着たり脱いだり、普段は女官さんにやってもらってるだろうに……。
と、アイカは歳のおおきく離れた新しい義姉の、他人に尽くす人間性を垣間見た思いであった。
やがて、紅色にちかいピンク髪をした王太子妃――まだ自分が王妃となったことを知らないエカテリニが、
わけも分からないままソフィアに手を引かれて浴室に入ってきた。
――全裸! ……そりゃ、そう……か。しかし、おキレイです!!
と、アイカは興奮していたが、それとは見せず、みなと一緒に穏やかに迎え入れる。
ソフィアがエカテリニの背中を流してやり、
横に座ったアイカが、夫バシリオスの無事と即位を伝える。
そして――、
「エカテリニさんが良ければ、コノクリアに王妃として迎え入れたいって、バシリオスさんからの伝言です! と――っても、会いたそうでしたぁ!!」
というアイカの言葉に、エカテリニは感極まり涙をこぼした。
その長く離れていても変わらぬ夫婦愛は、女子たち皆の心をしずかに打った。
「あ~あ~、バシリオス兄上もこんないいお妃様もらって、幸せ者だなぁ~。私も旦那ちゃんのところに帰ろうかなぁ~」
とボヤくソフィアにウラニアが微笑む。
「そうしなさいよ。きっとバンコレア候も首を長くしてお待ちだわ」
「どうかな~、のびのびしてそうだけどなぁ~? わたしがいると騒々しいし?」
ソフィアの自虐にみなが笑い、エカテリニも涙ながらに笑顔をみせた。ロマナも苦笑いしながら、いつものようにソフィアをクサすことはしなかった。
なごやかな時間がながれ、ながく続く動乱の痛みを、みなが労わりあった。
しかし、カリュの瞳は、サラナの表情にさす翳を見逃してはいなかった――。
*
深夜、夫バシリオスの無事を聞かされたエカテリニは、ひとり眠れぬ夜をすごしていた。
近侍の者たちもさがらせ、バルコニーで夜風にあたる。
ぬるんできた風は、まもなく迎える盛夏の先触れを告げる。
ちょうど真逆の風――、夏が去る冷えた風を受けながら、夫バシリオスに自分の苦しい胸の内を打ち明けた晩のことを悔いない夜はなかった。
――側妃をお取りください。
というエカテリニの訴えを、バシリオスはやさしく断った。
――私はお前だけで満たされている。2人も愛せない。
その言葉はふかく胸の奥に刻まれ、離別以来、唯一の心の支えとなってきた。
そして、いま他国で王位に就く栄冠を手にしてなお、自分を呼び寄せようとしてくれている。
実家チュケシエで針のむしろに座るような日々を送っていたエカテリニを、ロマナがヴールに迎え、厚く遇してくれた。
やさしいウラニアと、あかるいソフィアに護られ、寂しくはない日々を過ごした。
とりわけ、ともに夫と離れ離れになったウラニアとは、心を通わせ、励まし合った。
ベスニクと再会したウラニアを、バルコニーからチラと眺め、うらやましく思っていた自分。いまとなっては、すこし恥ずかしい。
きっと、まもなく自分も夫バシリオスの胸の中に飛び込むことができるのだ。
クスッと苦笑いし、風でみだれた紅色の横髪をかきあげる。
コンコンッ――。
と、ドアをノックする音が聞こえた。
こんな夜更けに? と、訝しみながら部屋の中へと戻る。
――なにか、変事が……?
と、つい暗い考えを頭によぎらせるのは、やむを得ない。
幸福感に満たされた今だからこそ「わるい報せでなければよいが……」という思いが湧き立ち、ドアノブにかける手を、一瞬とめる。
ひとつ深呼吸してから開いたドアの向こうに立っていたのは、バシリオスの侍女長サラナであった。
昼間の大浴場で顔を目にして懐かしい気持ちを抱いていたが、それよりもバシリオスの無事を聞いて舞い上がり、声をかけそびれていた。
いまはリティアの義妹となったアイカの侍女を務めているという。
カリュと、近衛兵リアンドラに付き添われたサラナは、かたい表情で口をひらいた。
「……幽閉中のバシリオス様について、ご報告にあがりました」
「そう。……バシリオス様を護ってくれたのだものね。さ、中へどうぞ」
部屋に招き入れ、ソファに座らせる。
が、カリュがサラナの後ろに控えるのではなく、となりに寄り添って座る意味がわからない。そっと、手を握ってもいる。
にくき側妃サフィナの侍女長であったカリュ。
あの悪夢のような王太子決起が、バシリオスの先導によるものではなく、臣下の暴走によるものであったと聞かされてはいた。いずれ名誉は回復されるだろうとも。
しかし、側妃サフィナの陰謀がなければ、引き金となったバシリオスとルカスの追放もなかった。
カリュはそれに加担していたはずだ。
リティアの侍女としてアイカに従っているというが、エカテリニにすれば割り切れないものが残る。
侍女同士の紐帯――、に理解を示す者ばかりではない。
近衛兵リアンドラも、エカテリニがヴールに入ったときには、すでに王都に潜伏しており、ほとんど面識がない。
訝しむ気持ちを隠せないまま、エカテリニはサラナに向かい合って腰を降ろした。
カリュが、サラナの手をキュッと握る。
サラナは意を決したように顔をあげ、エカテリニをまっすぐに見詰めた――。
近侍の者たちも遠ざけているため、引っ張ってきたエカテリニの服をソフィアが脱がせてやっているようだ。
――ソフィア……義姉様も、着たり脱いだり、普段は女官さんにやってもらってるだろうに……。
と、アイカは歳のおおきく離れた新しい義姉の、他人に尽くす人間性を垣間見た思いであった。
やがて、紅色にちかいピンク髪をした王太子妃――まだ自分が王妃となったことを知らないエカテリニが、
わけも分からないままソフィアに手を引かれて浴室に入ってきた。
――全裸! ……そりゃ、そう……か。しかし、おキレイです!!
と、アイカは興奮していたが、それとは見せず、みなと一緒に穏やかに迎え入れる。
ソフィアがエカテリニの背中を流してやり、
横に座ったアイカが、夫バシリオスの無事と即位を伝える。
そして――、
「エカテリニさんが良ければ、コノクリアに王妃として迎え入れたいって、バシリオスさんからの伝言です! と――っても、会いたそうでしたぁ!!」
というアイカの言葉に、エカテリニは感極まり涙をこぼした。
その長く離れていても変わらぬ夫婦愛は、女子たち皆の心をしずかに打った。
「あ~あ~、バシリオス兄上もこんないいお妃様もらって、幸せ者だなぁ~。私も旦那ちゃんのところに帰ろうかなぁ~」
とボヤくソフィアにウラニアが微笑む。
「そうしなさいよ。きっとバンコレア候も首を長くしてお待ちだわ」
「どうかな~、のびのびしてそうだけどなぁ~? わたしがいると騒々しいし?」
ソフィアの自虐にみなが笑い、エカテリニも涙ながらに笑顔をみせた。ロマナも苦笑いしながら、いつものようにソフィアをクサすことはしなかった。
なごやかな時間がながれ、ながく続く動乱の痛みを、みなが労わりあった。
しかし、カリュの瞳は、サラナの表情にさす翳を見逃してはいなかった――。
*
深夜、夫バシリオスの無事を聞かされたエカテリニは、ひとり眠れぬ夜をすごしていた。
近侍の者たちもさがらせ、バルコニーで夜風にあたる。
ぬるんできた風は、まもなく迎える盛夏の先触れを告げる。
ちょうど真逆の風――、夏が去る冷えた風を受けながら、夫バシリオスに自分の苦しい胸の内を打ち明けた晩のことを悔いない夜はなかった。
――側妃をお取りください。
というエカテリニの訴えを、バシリオスはやさしく断った。
――私はお前だけで満たされている。2人も愛せない。
その言葉はふかく胸の奥に刻まれ、離別以来、唯一の心の支えとなってきた。
そして、いま他国で王位に就く栄冠を手にしてなお、自分を呼び寄せようとしてくれている。
実家チュケシエで針のむしろに座るような日々を送っていたエカテリニを、ロマナがヴールに迎え、厚く遇してくれた。
やさしいウラニアと、あかるいソフィアに護られ、寂しくはない日々を過ごした。
とりわけ、ともに夫と離れ離れになったウラニアとは、心を通わせ、励まし合った。
ベスニクと再会したウラニアを、バルコニーからチラと眺め、うらやましく思っていた自分。いまとなっては、すこし恥ずかしい。
きっと、まもなく自分も夫バシリオスの胸の中に飛び込むことができるのだ。
クスッと苦笑いし、風でみだれた紅色の横髪をかきあげる。
コンコンッ――。
と、ドアをノックする音が聞こえた。
こんな夜更けに? と、訝しみながら部屋の中へと戻る。
――なにか、変事が……?
と、つい暗い考えを頭によぎらせるのは、やむを得ない。
幸福感に満たされた今だからこそ「わるい報せでなければよいが……」という思いが湧き立ち、ドアノブにかける手を、一瞬とめる。
ひとつ深呼吸してから開いたドアの向こうに立っていたのは、バシリオスの侍女長サラナであった。
昼間の大浴場で顔を目にして懐かしい気持ちを抱いていたが、それよりもバシリオスの無事を聞いて舞い上がり、声をかけそびれていた。
いまはリティアの義妹となったアイカの侍女を務めているという。
カリュと、近衛兵リアンドラに付き添われたサラナは、かたい表情で口をひらいた。
「……幽閉中のバシリオス様について、ご報告にあがりました」
「そう。……バシリオス様を護ってくれたのだものね。さ、中へどうぞ」
部屋に招き入れ、ソファに座らせる。
が、カリュがサラナの後ろに控えるのではなく、となりに寄り添って座る意味がわからない。そっと、手を握ってもいる。
にくき側妃サフィナの侍女長であったカリュ。
あの悪夢のような王太子決起が、バシリオスの先導によるものではなく、臣下の暴走によるものであったと聞かされてはいた。いずれ名誉は回復されるだろうとも。
しかし、側妃サフィナの陰謀がなければ、引き金となったバシリオスとルカスの追放もなかった。
カリュはそれに加担していたはずだ。
リティアの侍女としてアイカに従っているというが、エカテリニにすれば割り切れないものが残る。
侍女同士の紐帯――、に理解を示す者ばかりではない。
近衛兵リアンドラも、エカテリニがヴールに入ったときには、すでに王都に潜伏しており、ほとんど面識がない。
訝しむ気持ちを隠せないまま、エカテリニはサラナに向かい合って腰を降ろした。
カリュが、サラナの手をキュッと握る。
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