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第十一章 繚乱三姫
256.われは蹂躙姫なり
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天地が憤っているかのごとき激しい豪雨のなか、
ウラニアが騎馬に鞭をいれる。
歳に似合わぬ幼い顔立ちには、険しい表情が刻まれ、
しかし、おおきな雨粒にも瞳を閉じることなく、まっすぐに前を見据えて馬を駆けさせる。
――ベスニク危篤。
その報せを受けるや、孫セリムにヴールを任せて、
ウラニアは単騎、駆け出した。
その後を異腹の妹ソフィア、
それに、ロマナの近衛兵アーロンとリアンドラが追う――。
*
ロマナから、
「お祖母さまへの急使を頼む……」
と告げられたアーロンとリアンドラは、少なからず戸惑った。
「しかし、ウラニア様ご着陣となれば、事態を隠し通すことは難しく……」
「かまわぬ……」
「……ヴ、ヴール軍はともかく、幕下六〇列候にベスニク様の状態を知られては、動揺が……」
憔悴した表情のロマナ。
鎧を脱ぎ、着替えたアッシュグリーンのドレスには雨のしみがポツリポツリと目立つ。
みずからの手元に戻った側近ふたりに淡々と命じる。
「……ようやく会うことの出来た伴侶が、今度は……、永遠の旅に出ようとしているのだ」
「ロマナ様……」
「お祖父さまも会いたかろう……。あとのことは任せよ。いそぎ報せてくれ」
「……かしこまりました」
「お祖母さまは、可愛らしいお顔立ちをされているが、ああ見えて〈聖山戦争世代〉だ……」
「はっ」
「報せを聞けば、護衛がととのうのも待たず、単騎駆けをしかねん。……全速の移動が往復になって申し訳ないが、ふたりでこちらまでお送りしてくれ」
真っ赤に腫らした瞳に、柔和な笑みを浮かべたロマナ。
アーロンとリアンドラは、ふかく頭をさげ雨のなかヴールへと駆けた。
果たして、優れた馬術で単騎とび出したウラニアを追い、
さらには姉を追うソフィアをも追って、
降りしきる雨の中、アーロンとリアンドラもふたたびセパラトゥア高原の陣へと、とって返す――。
*
アイカがずぶ濡れで到着したのは、
まさにベスニクが臨終を迎えようとしている、その時であった。
到着するや旧知のアーロンに状況を知らされ、身支度を改める間もなく、ベスニクの天幕に通された。
奥に設えられた寝台に横たえられたベスニク。
片手をウラニアに、もう片方の手をロマナに握られ、かろうじて意識はつないでいたが、呼吸はほそい。
ロマナが悲愴な笑顔を、アイカに向けた。
「……アイカ。来てくれたのか……」
「……はい。……リティア義姉様の命により」
「ふふっ。リティア……、相変わらず勘のいいヤツだ」
「はい……」
「さあ、お祖父さまに顔を見せてやってくれ……。惨めな牢獄ではなく、幕下六〇列侯も従えた勇壮なる戦陣にて、お祖父さまがこの時を迎えられるは、すべてアイカのおかげぞ……」
「そんなこと……」
と、枕元に寄ったアイカを認めたベスニクは、ぎこちなく顔を向け――、
「お、おお……、アイカ殿下……」
「ベ、ベスニクさん! お気を確かに!!」
「桃色髪をした《無頼姫の狼少女》よ……」
「は、はいっ!」
「西南伯家を……ロマナを……お頼み……いたします……」
そして、静かに目を閉じると、
ウラニアとロマナが握るベスニクの手から、ゆっくりと力が抜けていった――。
みずからの留守をねらった、ペノリクウス候の狡猾な侵攻に対する、
――憤死。
で、あった。
ウラニアは柔らかい微笑みを浮かべ、ベスニクのほほを撫でた。
「ほんとうね……、ロマナの言う通り……」
ベスニクの手を置き、魂が抜けたように立ちあがったロマナは、
ウラニアに、なにも応えられない。
だが、ウラニアもロマナに反応は求めず、静かに休む夫のほほを撫でつづけ、誰に問うでもない言葉を発する。
「……どうして、……生きている間に、もっと……撫でてあげられなかったのでしょう? ……優しい微笑みを返してくださるうちに、……もっと、撫でればよかった……」
ゆっくりとベスニクの胸に顔を埋めたウラニアは、
うっ、うっ――……
と、嗚咽を漏らしはじめた。
そのちいさな背中に、ソフィアが手をあて、ほほも乗せ、一緒に目を閉じる。
呆然と立ち尽くすロマナ。
ベスニクの手を握っていた掌には、まだ温もりが残っている。
もう片方の手には、ベスニクから託された〈西南伯の鉞〉……。
「セリムはまだ幼い……。ロマナが鉞を執ってくれ……」
と、呼吸するのも苦しそうなベスニクから告げられたのは、つい先程のこと。
「わかりました! お任せくださいませ! 〈大権の鉞〉はヴールの空に燦然と輝きつづけましょう!」
のどの奥に流れる涙を呑みこみながら、祖父の憂いをなくそうと明るく答えたのも、
つい先程のこと――。
しかし、そのベスニクは既にもの言わぬ姿で横たわる。
ウラニアの嗚咽も、どこか遠くから聞こえてくるかのように感じられる。
「怒ろう……」
アイカの声が、天幕のなかで静かに響いた。
なにを言われたのか分からないロマナが、漂白されたような顔を、
アイカに向けた。
「えっ……?」
「ロマナさん。いま泣いたら、きっと二度と立ち上がれない。怒ろう、怒っていいと思う!」
握ったままの〈西南伯の鉞〉の重みが、
急にロマナの手のひらに感じられた。
「怒っていいよ! ロマナさんは、怒っていい!!」
絶叫するような調子になるアイカ。
ロマナの背にガシッとしがみつき額を押し当て、なおも叫ぶ。
「だって、ロマナさん、頑張ってるのに!! 頑張って、頑張って……、なのに、こんなのないよ! こんなのって、ひどいよ!! ロマナさん、怒っていいよ!!」
ズシリと重い〈西南伯の鉞〉。
それを、ロマナがジワリと持ち上げてゆく。
鉞の刃は、鈍く鋭くかがやき、ロマナの美しい顔を映した。
偉大なる王ファウロスが、偉大なる祖父ベスニクに授けた大権を象徴する、王国にひと振りしか存在しない、
大権の鉞――。
「……どいつもこいつも」
「うん!」
「……どいつもこいつも好き勝手しやがって」
「うん! うん!」
「お祖父さまも、お祖父さまだ。あれほど止めたのに王都に行って囚われて……」
「うん! うん!」
「やっとアイカに救けてもらって帰ってきたと思ったら、ペノリクウスごときにブチ切れて死ぬって、なんなんだ!?」
「うん! うん! もっと、言ってやれ――っ!」
「お母さまも、お父さまも、お兄さまも、好き放題に生きて、好き放題に死にやがって」
「うん! うん!」
「後始末は全部、わたしに押し付けるとは、どういう了見だ――っ!!」
「そうだ、そうだ――っ!!」
「あったま、きた!!」
「きたきた――っ!!」
「王都のルカスもリーヤボルクも、ペノリクウスもまとめて、蹂躙姫様が面倒みてやらぁ――っ!!」
「そうだ――っ!!」
ロマナの背から手をはなしたアイカ。
必死に笑顔をつくり、滂沱の涙を流しながら、
天に向かって何度も拳を突き上げている。
「いいぞいいぞ――っ!! よっ! 清楚可憐の蹂躙姫――っ!!」
「ヴール全軍、出陣!!!!」
その裂帛の叫びは、叩き付けるような激しい雨のなか、天幕を突きぬけヴールの将兵にまで届いた。
〈西南伯の鉞〉を振り、天幕を出たロマナは、
雨に打たれるまま、あつまってきたヴールの将兵の前に立つ。
「聖山の民、最強を誇るヴール軍の勇士たちよ!! 偉大なる祖父、西南伯ヴール候ベスニクは冥府へと旅立った――っ!!」
激しい風雨に加えて、暗い天上からは低く重い雷鳴が鳴り響き始めている。
「〈西南伯の鉞〉は、この蹂躙姫ロマナに託された! ただちに出陣し、まずは祖父を憤死に追いやった憎きペノリクウスを、討つ!!」
鉞を振りかざし、ペノリクウスが侵攻している北西を指したロマナに、
おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
と、雷雨をかき消し大地を震わせるようなヴール軍の雄叫びが応える。
雨はロマナのドレスを鮮やかなグリーンに染め上げ、
その美しい顔をとめどなく流れる。
ロマナの怜悧な表情は、ヴールの将兵たちから従軍している列侯たちへと、向きを変える。
「とはいえ、これはヴールの戦い。西南伯幕下六〇列候におかれては、お好きに召されよ。たとえ戦陣を離脱されても、怨みはせぬ」
「いや! これは西南伯の戦い。そして、我ら幕下列侯の戦いにございます!!」
と、雨が打ちつけぬかるんだ大地に膝を突いたのは、エズレア候であった。
父をロマナに誅殺されたエズレア候。
しかし、いまロマナを見あげる目には、ペノリクウスの仕打ちに対する激しい怒りがこもっていた。
「西方会盟だかなんだか知りませぬが、ペノリクウスがごときの好きにさせ、おめおめ自領に戻りなどすれば、わが主祭神〈軍神ザイチェミア〉にあわせる顔がありませぬ!!」
「いかにも!!」
と、列候たちの呼応する声がつづく。
「西南伯幕下の誇り、踏みにじらせるつもりなど毛頭ございません!」
「われらもロマナさまの戦陣にお加えくださいませ!!」
次々に膝を突く、幕下六〇列候。
神威を体現したと崇拝するベスニクの魂魄が、わかく美しい公女の身体に宿り、燃え盛っているのだと仰ぎ見た。
冷えた眼差しのロマナが、鉞を地に突き立て、
その柄に両手をのせる。
「西南伯幕下六〇列侯よ!!」
「は――っ!!」
こうべを垂れ、一斉に応える列候たち。
激しく吹き付ける暴風が、緑がかった金色の髪を踊り狂うようにたなびかせ、
ロマナは屹立する。
「われに大権を認め、われに忠誠を誓うか!?」
「ははっ! 幕下一同、ロマナ様と共に!!」
「ならば従軍を許す! 西南伯幕下の名に恥じぬ、奮闘を期待する!!」
「ありがたき幸せ!!」
「われに続け! われは、蹂躙姫ロマナ!! あたらしき西南伯なり!!」
稲妻が走り鉞を振りかざしたロマナを照らし出し、
天地を切り裂く雷鳴が轟く。
そして、タロウとジロウの遠吠えに、
うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
と、幕下六〇列侯とヴール全軍の渾然一体となった叫びが重なり、荒天の空を埋め尽くす。
暴風雨のなか、西南伯軍はただちに瀑布のような進軍を開始する。
ロマナのとなりでは、鎧を着こんだウラニア、ソフィア、もちろんガラも馬を走らせる。
そして、アイカもタロウに乗りジロウを引き連れ、ロマナとともに駆けた――。
ウラニアが騎馬に鞭をいれる。
歳に似合わぬ幼い顔立ちには、険しい表情が刻まれ、
しかし、おおきな雨粒にも瞳を閉じることなく、まっすぐに前を見据えて馬を駆けさせる。
――ベスニク危篤。
その報せを受けるや、孫セリムにヴールを任せて、
ウラニアは単騎、駆け出した。
その後を異腹の妹ソフィア、
それに、ロマナの近衛兵アーロンとリアンドラが追う――。
*
ロマナから、
「お祖母さまへの急使を頼む……」
と告げられたアーロンとリアンドラは、少なからず戸惑った。
「しかし、ウラニア様ご着陣となれば、事態を隠し通すことは難しく……」
「かまわぬ……」
「……ヴ、ヴール軍はともかく、幕下六〇列候にベスニク様の状態を知られては、動揺が……」
憔悴した表情のロマナ。
鎧を脱ぎ、着替えたアッシュグリーンのドレスには雨のしみがポツリポツリと目立つ。
みずからの手元に戻った側近ふたりに淡々と命じる。
「……ようやく会うことの出来た伴侶が、今度は……、永遠の旅に出ようとしているのだ」
「ロマナ様……」
「お祖父さまも会いたかろう……。あとのことは任せよ。いそぎ報せてくれ」
「……かしこまりました」
「お祖母さまは、可愛らしいお顔立ちをされているが、ああ見えて〈聖山戦争世代〉だ……」
「はっ」
「報せを聞けば、護衛がととのうのも待たず、単騎駆けをしかねん。……全速の移動が往復になって申し訳ないが、ふたりでこちらまでお送りしてくれ」
真っ赤に腫らした瞳に、柔和な笑みを浮かべたロマナ。
アーロンとリアンドラは、ふかく頭をさげ雨のなかヴールへと駆けた。
果たして、優れた馬術で単騎とび出したウラニアを追い、
さらには姉を追うソフィアをも追って、
降りしきる雨の中、アーロンとリアンドラもふたたびセパラトゥア高原の陣へと、とって返す――。
*
アイカがずぶ濡れで到着したのは、
まさにベスニクが臨終を迎えようとしている、その時であった。
到着するや旧知のアーロンに状況を知らされ、身支度を改める間もなく、ベスニクの天幕に通された。
奥に設えられた寝台に横たえられたベスニク。
片手をウラニアに、もう片方の手をロマナに握られ、かろうじて意識はつないでいたが、呼吸はほそい。
ロマナが悲愴な笑顔を、アイカに向けた。
「……アイカ。来てくれたのか……」
「……はい。……リティア義姉様の命により」
「ふふっ。リティア……、相変わらず勘のいいヤツだ」
「はい……」
「さあ、お祖父さまに顔を見せてやってくれ……。惨めな牢獄ではなく、幕下六〇列侯も従えた勇壮なる戦陣にて、お祖父さまがこの時を迎えられるは、すべてアイカのおかげぞ……」
「そんなこと……」
と、枕元に寄ったアイカを認めたベスニクは、ぎこちなく顔を向け――、
「お、おお……、アイカ殿下……」
「ベ、ベスニクさん! お気を確かに!!」
「桃色髪をした《無頼姫の狼少女》よ……」
「は、はいっ!」
「西南伯家を……ロマナを……お頼み……いたします……」
そして、静かに目を閉じると、
ウラニアとロマナが握るベスニクの手から、ゆっくりと力が抜けていった――。
みずからの留守をねらった、ペノリクウス候の狡猾な侵攻に対する、
――憤死。
で、あった。
ウラニアは柔らかい微笑みを浮かべ、ベスニクのほほを撫でた。
「ほんとうね……、ロマナの言う通り……」
ベスニクの手を置き、魂が抜けたように立ちあがったロマナは、
ウラニアに、なにも応えられない。
だが、ウラニアもロマナに反応は求めず、静かに休む夫のほほを撫でつづけ、誰に問うでもない言葉を発する。
「……どうして、……生きている間に、もっと……撫でてあげられなかったのでしょう? ……優しい微笑みを返してくださるうちに、……もっと、撫でればよかった……」
ゆっくりとベスニクの胸に顔を埋めたウラニアは、
うっ、うっ――……
と、嗚咽を漏らしはじめた。
そのちいさな背中に、ソフィアが手をあて、ほほも乗せ、一緒に目を閉じる。
呆然と立ち尽くすロマナ。
ベスニクの手を握っていた掌には、まだ温もりが残っている。
もう片方の手には、ベスニクから託された〈西南伯の鉞〉……。
「セリムはまだ幼い……。ロマナが鉞を執ってくれ……」
と、呼吸するのも苦しそうなベスニクから告げられたのは、つい先程のこと。
「わかりました! お任せくださいませ! 〈大権の鉞〉はヴールの空に燦然と輝きつづけましょう!」
のどの奥に流れる涙を呑みこみながら、祖父の憂いをなくそうと明るく答えたのも、
つい先程のこと――。
しかし、そのベスニクは既にもの言わぬ姿で横たわる。
ウラニアの嗚咽も、どこか遠くから聞こえてくるかのように感じられる。
「怒ろう……」
アイカの声が、天幕のなかで静かに響いた。
なにを言われたのか分からないロマナが、漂白されたような顔を、
アイカに向けた。
「えっ……?」
「ロマナさん。いま泣いたら、きっと二度と立ち上がれない。怒ろう、怒っていいと思う!」
握ったままの〈西南伯の鉞〉の重みが、
急にロマナの手のひらに感じられた。
「怒っていいよ! ロマナさんは、怒っていい!!」
絶叫するような調子になるアイカ。
ロマナの背にガシッとしがみつき額を押し当て、なおも叫ぶ。
「だって、ロマナさん、頑張ってるのに!! 頑張って、頑張って……、なのに、こんなのないよ! こんなのって、ひどいよ!! ロマナさん、怒っていいよ!!」
ズシリと重い〈西南伯の鉞〉。
それを、ロマナがジワリと持ち上げてゆく。
鉞の刃は、鈍く鋭くかがやき、ロマナの美しい顔を映した。
偉大なる王ファウロスが、偉大なる祖父ベスニクに授けた大権を象徴する、王国にひと振りしか存在しない、
大権の鉞――。
「……どいつもこいつも」
「うん!」
「……どいつもこいつも好き勝手しやがって」
「うん! うん!」
「お祖父さまも、お祖父さまだ。あれほど止めたのに王都に行って囚われて……」
「うん! うん!」
「やっとアイカに救けてもらって帰ってきたと思ったら、ペノリクウスごときにブチ切れて死ぬって、なんなんだ!?」
「うん! うん! もっと、言ってやれ――っ!」
「お母さまも、お父さまも、お兄さまも、好き放題に生きて、好き放題に死にやがって」
「うん! うん!」
「後始末は全部、わたしに押し付けるとは、どういう了見だ――っ!!」
「そうだ、そうだ――っ!!」
「あったま、きた!!」
「きたきた――っ!!」
「王都のルカスもリーヤボルクも、ペノリクウスもまとめて、蹂躙姫様が面倒みてやらぁ――っ!!」
「そうだ――っ!!」
ロマナの背から手をはなしたアイカ。
必死に笑顔をつくり、滂沱の涙を流しながら、
天に向かって何度も拳を突き上げている。
「いいぞいいぞ――っ!! よっ! 清楚可憐の蹂躙姫――っ!!」
「ヴール全軍、出陣!!!!」
その裂帛の叫びは、叩き付けるような激しい雨のなか、天幕を突きぬけヴールの将兵にまで届いた。
〈西南伯の鉞〉を振り、天幕を出たロマナは、
雨に打たれるまま、あつまってきたヴールの将兵の前に立つ。
「聖山の民、最強を誇るヴール軍の勇士たちよ!! 偉大なる祖父、西南伯ヴール候ベスニクは冥府へと旅立った――っ!!」
激しい風雨に加えて、暗い天上からは低く重い雷鳴が鳴り響き始めている。
「〈西南伯の鉞〉は、この蹂躙姫ロマナに託された! ただちに出陣し、まずは祖父を憤死に追いやった憎きペノリクウスを、討つ!!」
鉞を振りかざし、ペノリクウスが侵攻している北西を指したロマナに、
おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
と、雷雨をかき消し大地を震わせるようなヴール軍の雄叫びが応える。
雨はロマナのドレスを鮮やかなグリーンに染め上げ、
その美しい顔をとめどなく流れる。
ロマナの怜悧な表情は、ヴールの将兵たちから従軍している列侯たちへと、向きを変える。
「とはいえ、これはヴールの戦い。西南伯幕下六〇列候におかれては、お好きに召されよ。たとえ戦陣を離脱されても、怨みはせぬ」
「いや! これは西南伯の戦い。そして、我ら幕下列侯の戦いにございます!!」
と、雨が打ちつけぬかるんだ大地に膝を突いたのは、エズレア候であった。
父をロマナに誅殺されたエズレア候。
しかし、いまロマナを見あげる目には、ペノリクウスの仕打ちに対する激しい怒りがこもっていた。
「西方会盟だかなんだか知りませぬが、ペノリクウスがごときの好きにさせ、おめおめ自領に戻りなどすれば、わが主祭神〈軍神ザイチェミア〉にあわせる顔がありませぬ!!」
「いかにも!!」
と、列候たちの呼応する声がつづく。
「西南伯幕下の誇り、踏みにじらせるつもりなど毛頭ございません!」
「われらもロマナさまの戦陣にお加えくださいませ!!」
次々に膝を突く、幕下六〇列候。
神威を体現したと崇拝するベスニクの魂魄が、わかく美しい公女の身体に宿り、燃え盛っているのだと仰ぎ見た。
冷えた眼差しのロマナが、鉞を地に突き立て、
その柄に両手をのせる。
「西南伯幕下六〇列侯よ!!」
「は――っ!!」
こうべを垂れ、一斉に応える列候たち。
激しく吹き付ける暴風が、緑がかった金色の髪を踊り狂うようにたなびかせ、
ロマナは屹立する。
「われに大権を認め、われに忠誠を誓うか!?」
「ははっ! 幕下一同、ロマナ様と共に!!」
「ならば従軍を許す! 西南伯幕下の名に恥じぬ、奮闘を期待する!!」
「ありがたき幸せ!!」
「われに続け! われは、蹂躙姫ロマナ!! あたらしき西南伯なり!!」
稲妻が走り鉞を振りかざしたロマナを照らし出し、
天地を切り裂く雷鳴が轟く。
そして、タロウとジロウの遠吠えに、
うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
と、幕下六〇列侯とヴール全軍の渾然一体となった叫びが重なり、荒天の空を埋め尽くす。
暴風雨のなか、西南伯軍はただちに瀑布のような進軍を開始する。
ロマナのとなりでは、鎧を着こんだウラニア、ソフィア、もちろんガラも馬を走らせる。
そして、アイカもタロウに乗りジロウを引き連れ、ロマナとともに駆けた――。
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